18話 雨①
アンジュ・クラント(16くらい)
ルジェロ・ビトレーイ(18)
ンヴェネ・ルーイ(25)
アルフレッド・ヴァレンタイン(21) 第二師団の軍曹 アンジュの悪口を言ったが、その後気が合った。
タラリア 銀髪の男
ウッコ 弓使いの男
その日受けた任務は珍しい類だった。
アンジュは1週間経つがまだ貴族になる話をどうしようか悩んでいたし、第五師団からの嫌がらせは終わらない。ウィルや第二師団のアルフレッド・ヴァレンタイン軍曹が一緒の時は彼らが代わりに怒るくらいで、あれ以降アンジュは何もしなかった。ただ手紙が返って来たことから抜けていたやる気は少しは戻って来た。それでも、リーラのことが心配で真剣さには欠けていた。それを知っているウィルやルサリィはアンジュには優しい。それが却って第五師団の連中は更に反発して過激になるせいで、今度の任務は2人から離され、他の2人へと向かった。ンヴェネはリーダーとして長官などには根回しをしているが、表面上は中立的で、集中していないアンジュには何度も怒った。ルジェロは、偶にウィルに苦言を呈するくらいでアンジュにはいつものように何も言わなかった。
その2人と一緒に向かったのは、とある農村だった。理由は慰問である。その近辺で大規模な大雨があり、川が氾濫して農村はほとんど流されてしまった。復興救助の為に第二師団が向かい、それを手伝う形で慰問することになったのだ。
戦うことも煌びやかに手を振ることでもない。ただひたすら彼らの心に一瞬の安らぎを与える仕事である。
アンジュは災害現場というのを初めて目にした。青々として美しかっただろう田畑は今や見る影もなく泥に沈み、その泥の中に人の骸がちらほらと見える。5体満足であればいい方で四肢が千切れているものもある。しかし、それを見てもアンジュ・クラントという人間の心は揺るがなかった。ただどうやって復旧していくかなどという事を宣うから、ンヴェネは叱りつけた。
だが、死にかけているがまだ生きている人間を目の前にすれば彼は顔を青くして直ぐに魔法をかけていった。
やはりそれを見てンヴェネは人間らしくないという感想を抱く。彼にとって生きているものは素晴らしい、死んだらそれまで、と、竹を割ったように感情の区別がハッキリしていた。
「息子を、息子を助けてください!」
土まみれになって汚れている少年を抱えた母親が魔法使いであるアンジュに懇願していた。しかし、少し離れたンヴェネから見ても既に彼から命が失われているのは容易に分かった。他の被災した農民たちも余裕はないので、嘆願する母親に対して冷たい罵倒をしている。アンジュは彼らの抗議を無視して、母親の頭に手を乗せた。すると、母親はその場で深く眠りについた。彼女の夫がアンジュに頭を下げて人だかりを抜けていった。
アンジュの力では一度に多くの人を救うことはできない。だから、どうしても命の選別ということになってしまう。人間らしくない彼はその事を当然だと思うけれども、流石に方々から怒られると気が参ってくる。救っても救っても感謝よりも失われたことへの非難の方が言葉も感情も強い。
ンヴェネが落ち着くようにと声をかけていたところだった。
先ほどまで晴れていたのに、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。それだけで人々は恐怖し、黙り込んだ。救助活動を行っていた第二師団も作業を中断し、各テントへと戻って来始めた。避難キャンプ地は被災地から遠くはないし、ただ肩を合わせて恐怖から逃れるしかなかった。
アンジュはテントから出て空を睨んだ。
「何してるの。」
「…魔法の雨なんだ。厳密にいえば多分神の力。」
「雨を司る神獣が人間の集落を狙ったんだね。確かに。」
それはクリティカルな攻撃だった。この村は王都に近い大規模な農業地帯だったのだ。なにしろ別名、王都の食糧庫などと呼ばれていたのだ。ここが被害に遭えば、王都も無事では済まない。
「…竜の一族が本当に人間の神獣だとすれば、この雨を起こした神獣に対して攻撃し返すはず。」
「でも、確定情報ではないよね。彼らも人間の集落を狙う敵のはずだ。」
「クルルが言っていたんだ。神獣は自分の種族を嫌うことはできない。」
それを言ったのは本当はルニアだったけれども、そんな事彼は知らない。
「君はこの場に竜の一族がやってくるだろうと言っている?」
「そうだ。」
「…なるほどね。ただ竜王アナンタが雨を司る神獣だったらどうする?」
「いずれにせよ、神獣がいるんだ。」
「…神獣を殺すつもり?呪われるよ。」
「初めて聞いた、その話。」
「自然と共に生きる人間ならよく言われるよ、神獣を傷つけたら呪われるってさ。」
しかし、ただの寓話に過ぎない。間違ってもないとも思うが、それは呪いというよりも神の力を持つ者から反撃されたら当然に死ぬということだけ。
「竜の一族が人間の神獣であるのであれば、俺らが攻撃をしたら呪われるじゃん。でも、ルジェロは呪われてないよ。」
「……竜の一族が神獣じゃない可能性もあるけど。」
「人間の神獣が今もいるなら、彼らが1番可能性がある。」
「僕は君の方が可能性高いと思ってるけどね。」
ンヴェネがずっと考えていた事だった。そうであれば、クルルがそばにいたいと願うのも、神獣たちと会話できるのもそれが理由なら納得できるのだ。それから、時折人間らしくない気持ちの割り切り方も。
「…だったら。」
アンジュは震えるように声を出す。
「俺が神獣だったとするなら、こんなに人間を嫌いにならないよ。」
「…あんなに必死に治しておいて?」
ンヴェネは訝しそうにアンジュを見る。
「価値観の相違だよ。俺は、生きることを幸せなことだとは思わない。」
誤魔化されるだろうかとアンジュは思いながらテントに戻った。雨の神獣がアナンタだったのなら、アンジュはただルジェロの手伝いをすればいいだけなのだ。しかし、そうはならないだろうと雨の音を聞きながら思った。被災地キャンプの中で雨音に恐怖を抱いている人間たちを救ってあげたいのだから。
ンヴェネは、アンジュがいった竜の一族が来るということを疑っていたわけではない。可能性としては大いにあり得ると思っていた。軍の休憩用のテントで、剣を抱いたように座っているルジェロを見つけると声をかけた。
「ルジェ、新入りくんがいうには、この災害は神獣によるものらしい。」
ルジェロは緩慢な動きでンヴェネを見やる。
「神殺しか?」
「さあ、分からないけど、神獣が来るからには竜の一族も来るだろうとさ。」
ルジェロはああと頷いた。ンヴェネとは違って単純に彼は頷いた。
「信じるんだね。」
「アイツが言うならそれは有力だろう。」
「ルジェは新入りくんのことを信じてないんだと思ってた。」
「アイツ自身のことは信じてねえ。」
ンヴェネはルジェロがアンジュの発言や態度は真実なのだろうと考えていると言うことだけは分かった。
「外を見てくる。」
「流石に危険だよ。」
「…俺のことはともかく、魔法使いを見張らなくていいのか。」
「ヴァレンタインが声をかけていたし、お節介焼きだから監視もしてくれるでしょ。」
ルジェロは誘導ができずに舌打ちをした。
「少しルジェロ変わったね。今までなら無視してたよ。」
「お前たちが心配している魔法使いが、『目的の為に使えるものは使え』と言って来た。」
「いつ?」
「サンセット・ブリッジでだ。」
彼は本当は狡猾だとルジェロが話しているようにも思えたが、ルジェロはそれによって自分の態度を改めたらしいこと言った。アンジュは誰よりも人間を観察している。だから、ルジェロの目的を達成させる為に煽るように言ったのだろう。
「君の目に新入りくんはどう見えているんだい?」
「唯の鏡。」
「…は?」
「目の前にいる人間によって、映すものが変わる。」
ルジェロの言った言葉は納得できるものだったが、それをルジェロが言うとは思わなかった。ルジェロはンヴェネが困惑している間に雨の中へと消えていった。
人間誰しも鏡のようなところがあるのは勿論承知なのだが、ルジェロが言う鏡というのは、彼はもっとはっきりとした虚像なのだ。自分自身というのがとても薄い。そして、だから、ルジェロはアンジュ自身を信じていない。状況次第で簡単に敵側へ行ってしまうということが分かるのだ。
ンヴェネは雨雲が心を覆っているようにも感じながら、防水用の外套を手に取った。
ーーーー
アルフレッド・ヴァレンタイン軍曹はアンジュに災害の救助活動の詳細を伝えてくれた。元々五星士に振り分けられたミッションというのは救助活動ではなく慰問で、市民に安心するように呼びかけるだけの仕事だった。だが、勝手にアンジュが避難者の怪我を治した訳で、一時的に現場が混乱した状況になってしまったのだ。
「災害現場が初めてだから焦ってた。迷惑かけてごめん。」
「誰だって救える力があったら救いたくなるもんだろ。明日からは救護班が対策考えてくれるし、治すべき対象を指示してくれる。」
五星士は軍の中では特別だった。さすがにこう言った他の師団との任務は聞き分けなければいけないが、基本的な行動指針は各個人に委ねられていることが多い。
「第二師団って五星士と行動することが多いよね。」
「1番実力と精神的なものが近しいからな。」
「精神的なもの?」
「第一師団はエリート意識が強い。貴族出身も多いしな。第二師団も勿論そうなんだけれど、ましだ。俺はこれ以上の師団を目指す気はねえし。第二師団の師団長であるロナウド・セシルが異動しない限り。」
「あの、なんか凄い異名で呼ばれてる人だよな。」
しっかりと顔を合わせたのはアンジュがアルフレッドに手紙を取られて揶揄われた時くらいだ。アルフレッドは少し気まずげだけれどそうだと答えた。
「『白百合のバーサーカー』な。」
「いつも理知的なところしか見てないから想像つかない。」
「俺も知らん。師団長になる前の話だろうけど、戦場で前線に出てた頃はそれはもう恐ろしいくらいに敵を殺してたそうだぜ。」
「白百合のっていうのは?」
「セシル家の家紋だよ。」
「へー…。」
白金の髪を持ち、全体的に「ホワイト」な印象があったロナウド・セシルは白百合という言葉がよく似合っていた。
「アンジュは異名つけられるなら何がいい?」
「…自分で?」
「なんかかっこいいだろ。」
「アルフレッドは?」
「そうだなぁ、なんだろう。『〇〇の英雄』みたいなのがかっこいいな。アンジュは『晨星の魔法使い』!とかはどうだろう。魔法使いは星がついている方がそれっぽい。」
「かっこいいな。」
アンジュは色んな異名を考えるアルフレッドを微笑んで見ていた。それに気づいたアルフレッドは恥ずかしそうにアンジュを睨んだ。
「なんだ、子供っぽいってか?」
「いや、なんだかいいなって思ってただけ。」
「嘘つけ。母様みたいな顔してたぜ。」
やってらんねえ!と大袈裟にヘソを曲げる。アルフレッドは普段貴族らしくないのに、母親や姉には逆らえないのが愛された御坊ちゃまらしかった。
怒ったふりをしたアルフレッドだったが、丁度見張り番の時間だと席を立とうとした。しかし、周りにンヴェネやルジェロがいなかったから困ったらしい。
「…外へ行ったのかも。」
「じゃあ、アイツら戻ってくるまで救護テントの分かりやすいところにいろよ。」
「俺は迷子か。」
「何かしでかしそうではある。」
「そうかもしれない。」
「否定してくれ。」
五星士という立場は誰からも意識されるものではある。魔法使いという特別な存在なら尚更。それでも、アルフレッドは流石に何も言わず離れることはできなかったらしく、近くにいる救護班に一言声をかけてから持ち場へと戻っていった。
「ごめんよ。」
アンジュはその声をかけられた人に気を逸らす魔法をかけると、アンジュもまた雨の中へと向かっていった。
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遠くから見ても川は恐ろしい龍のように猛々しく荒れていた。あれに捕まったら生きてられないだろう。
この村が災害に遭っていなければ、盛りほどではなくとも植物や木の魔力を追えたが、草木も今はほとんど水に飲まれ死んでいるから難しい。
雲がおかしいのだ。救援活動が始まった頃周囲には雲がなかった。王都と違って背の高い建物もないし、山に囲まれた場所でもない。天気が急激に変わるような場所ではない。一度は止んだ雨が再び降ったのは何かあったはずだ。
ヒュンと弦が弾かれる音がした。空を見上げると、矢が雲を切り裂きその周囲だけ穴が空き、青い空が見えた。矢が飛んできた方向を見ると、そこには黒いコートを着た男が空を睨んでいた。
やはり来た、竜の一族。その男はかつてルジェロの腕を射ったあの男だった。
アンジュが近づくと一瞥だけしてやはり空を見た。
「なにか用かね?」
「……風邪ひきますよ。」
男は矢をつがえるのをやめて、もう一度アンジュ方を見た。
「どうやら魔法使い殿は、悠長にことを構えているようだ。」
「そういうつもりはない。この雨を上がらせるには、雨の神獣を倒さなければならないと思ってはいる。」
「ほう、ただの魔法使いが。図に乗るなよ。」
「たかが2ヤードの範囲を数秒晴れさせることしかできてないのに、よく偉そうな口を聞けるね。」
「ただ雨の中を突っ立て睨むことしかできない子供は口だけは立派だな。」
そう言われて、怒って彼の矢より雲を消す?
何の意味を持たないのにと悩みながら、それを実行するのはやはりくだらないと思った。
「役立たずの眷属しか来ないのか。」
「少しは勉強したらしいな。」
何故彼と言い合いをしなければならないのかと思って顔を背けた。男はまた矢をつがえて空へと放った。アンジュの頭上の雨が止んだ。
「雨の神獣は海の生物だときく。ここは海から遠いからきっと分かりやすいだろう。」
アンジュは再び顔をそちらに向けるが、彼は興味なさそうに空に矢を向けていた。なんなんだ。川を見に行くように仕向ける罠なのかもしれないと思いながらもそれに向かった。
川の中を探したいから、川を持ち上げてみようなんて愚かなことを考える魔術師はいない。ただ純粋な魔法使いは違った。川の水に囚われたくないからと考えた先に見つけたのは、その川の水を浮かせてみればいいなんて子供のように考えだ。
「すげー、水をそうやって持ち上げんの初めて見たわ。」
アンジュが声をかけられた方に目をやるとどこかで見た銀髪の男だった。
「…誰?」
「俺の名前か、タラリア。アナンタの息子だぜ。」
タラリア、ルジェロの仇の名として聞いたことがあったが、アンジュの記憶にはそれ以外では知らなかった。勝手に感じる懐かしさなども一切ない。
「それでお前の名は?」
「知らないの?」
「…あー、流石に昔の名は知ってるぜ?でも、今の名前は知らない。昔の名前で呼ばれたくはないだろう。」
アンジュは冷たい目で見る。
「知らないあなたが悪い。」
「そうだな、頑張るよ。」
アンジュが意地悪なことを言っても、タラリアは怒らなかった。勝手に向こうが知った気になって、そして気を遣ってる風に話しかけるのは少し気分が悪かった。それが原因なのか不明だが、彼を目の前にすると苛立つ気持ちが沸々と心の奥で湧き出るのだ。しかし、それはアンジュの怒りではないのだから抑えなければならない。リレイラの村を出る時に聞こえたあの悪魔の怒りだろう。
「それで、タラリアは何故話しかけて来た。」
「遠くから見るつもりではあった。ただ川を持ち上げたのが気になってな。」
「そう、ただ雨の神獣を探しているだけだよ。」
「さすが子供の発想。」
「馬鹿にしてる?」
凄んで睨んでも、その愉快そうな笑みは変わらない。
「いーや、素直に感心してるぜ。そんなに自由に魔法を使う人間は永く生きていたが見たことねえからな。」
「竜の一族だって使えるんじゃないのか。」
「ん?いや、なんというか、俺たちは限られた能力しか使えねえんだよな。俺は勝手にイカルアの呪いかと思ってる。父上はそんなことねえって言ってるけどな。」
「…タラリアって全然神らしくないね。」
「それはよく言われるぜ。母さんが生きてた頃は、普通の人間の集落で育ったしな。」
「それは何年前の話?」
「そういうの忘れてしまったけど多分7〜800年前?」
「もっと神様っぽくなってもよくない?」
「紙らしさなんてそんなの父上だって知らねえよ。」
ルニアもそんなに神様らしくなかったし、虫の神獣だってもっと子供っぽかった。自我がある神というのはそんなものなのかもしれない。そんな風に身近なことを考えて悪魔の声をできるだけ追いやって話す。
「アナンタってどういう人。」
「父上?そーだな、俺が見たどの人間よりも『臆病者』だぜ。」
タラリアはそうあくたいをついているにも関わらず、敬愛や思慕があるように見えるのが不思議だ。
「だから、ここには来ないの?」
「能力の相性が悪すぎるだけだ。勝てないわけじゃないが、神の戦いに多くの人間が巻き込まれる。雨の神獣が狙ってるのはどちらかっていうとそっちだからな。」
アンジュは川の水を元のように戻した。
「タラリアの能力であれば問題ないって?」
「俺が司っているのは珍しいぜ。『速さ』だからな。」
「自然じゃなくて物理法則…?」
「まあ、そんなすごい力でもねえけどな。」
タラリアが荒れ狂う川に手をつけるとその周囲だけゆっくりとした穏やかなものになる。
「これくらいの力。お前の魔法より大分ショボいだろ。」
ショボいと言っている彼の力よりも彼の片方の腕の動きが不自然に悪いのが気になってしまった。その腕はあの秘境の村でルジェロが切り落とした方だ。
「何その腕。」
「あー…うちにいる魔術師が頑張って俺の腕を生やしてくれたんだけど、ちょっと下手だったんだよな。」
「神経がちゃんと繋がってない。」
「よくわかるな。人体実験でもしたか?」
「……してない。」
「その妙な間はなんだ、妙の間は。」
「どっかではしたかもしれない。」
「うちの魔術師は知識はあるんだが、微妙に上手くいってないんだ。」
「その理由、タラリアは知ってるのか?れ
「それがなぁ、訳わかんないんだよな。お前は魔法が得意な癖に知識はないし。」
「例えば?」
「俺たちの魔術師は『何故火は燃えるのか』とかな。色々なパターンを教えてくれるよ。使う魔術選びも正確。なのに微妙にうまくいかないんだ。」
カンカラという獰猛な鳥を出す魔術式は確かに想定外の挙動だったが、そういう失敗をするらしい。だが、アンジュにはもうどうでも良かったし、自分に囁いている悪魔の声が鬱陶しかった。
「そうだ、うちの魔術師が喜んでいたよ。名前が決まったって。」
「ーーースイ。」
「俺たちもアイツのことどうにかしてやりたかったんだけど、日によって持ってる記憶が違くて中々上手くいかなかったんだ。」
雨は変わらず降り続いているのに、タラリアの力で川はいまだにゆっくりと流れている。彼は大した力ではないというが、アンジュにはとても恐ろしく感じた。物理法則が狂っているということは魔法もまた狂うのだ。
「そう、良かったな。」
タラリアはじっとアンジュの目を見ていたが、アンジュがそれ以上何も言わないと見ると話を変えた。
「ま、偶には人の為に仕事するからよ。お前たちはただ人間を救えばいい。」
「人を散々殺しておいて今更だ。」
「悪いな、殺すのも救うのも俺たちには同じでね。」
「偶には報いを受けてもいいんじゃないか?」
「俺たちは常に日陰者だぜ?」
「人間への愛のために?狂ってる。」
「流石にそんな傲慢じゃない。イカルアと同じ道は辿らない。ただそれだけさ。」
アンジュの軽口なんてもろともしない。当たり前だ。彼は神の力で永いときを生きている。神の血を継いでいるタラリアの銀の瞳は、アンジュを見透かしているようで気持ちが悪かった。気づかないで欲しいと思っていても、アンジュの昔の名を知っていると言う時点でそれは難しいのだろう。アンジュはとうとう言葉を失い俯く。アンジュの内にいる悪魔の声はずっと銀髪の男を殺せという無理難題をふっかける。悪魔が何故それを願っているのかは真実から目を背けるアンジュには分からない。
「どうした?」
《タラリアはどうして僕に話す、どうして罪がある?》
そんな問いの答えなんて受け取りたくないアンジュにはどうでも良かった。それを口にしたのは悪魔の声を聞かないように気を逸らす為だった。
「そんな辛そうな顔で残酷な話を聞けるか?」
《……僕は何のヒントもあげられないんだから、さっさと居なくなって。》
最早自分が何なのかすら分からないアンジュは何らかの魔法を使った。
ーーーー
ンヴェネはひたすら雨の中を走っていた。
雨の神獣がいると新入りの五星士が言っていた。神獣は自由に魔法が使えるのだから大きさは可変であることが多いらしいので、どこを探せばいいのかなんて分りゃしない。神の力によって降っている雨がいつ止むかなんて分からず、とりあえず先に行ってしまったルジェロを探さないといけない。
平地ということもあって川は氾濫してどこまでも大きくなっている。いつ掠め取られるかわからないから、なるべく川は離れて いなければならない。そこは家屋の残骸や人の死体が転がる地獄だ。
「ルジェー!」
彼に限ってしょうもない死に方はしないはずだ。遠いけれども森の方が幾分か安全だから、そちらへ向かっただろうか。
どれくらい彷徨ったか分からない。防水用の外套ももはや意味をなさない。体温の奪われ方が良くないと冷静に判断したンヴェネの前に一本の矢が通り過ぎた。矢を放った存在をンヴェネは睨みつけた。今は優秀なライフルがあるのに、未だに弓矢を使うのは特殊な力を持った者しかいない。
「お前は竜の一族だな。」
男は矢を番えるのをやめ、ンヴェネを見た。
「なんだ、兵士よ。」
「お前たちのその不気味な力でこの騒動を引き起こしているのか?」
「愚かだ。」
「…ふーん、じゃあ、新入りくんのいう通りなのか。」
男はため息をついた。嫌悪や侮辱があるわけでもなくひたすら面倒臭いと思っていそうな顔だ。
「そう仕向けてきたとはいえ、いくらお前たちが私たちを憎くても、雨の神獣を前にし、互いに戦うのは懸命な判断とはいえない。」
その通りだ。現にンヴェネの体力は雨に打たせているせいでかなり消耗している。こんな状況で戦うというのは正気ではない。元より戦う気があるのなら既に魔導武器の銃口を向けている。
「今君たちに僕らとは戦う気がないということを受け取ったよ。」
「ああ、是非ともそうしてくれ。」
竜の一族の弓使いは、もうンヴェネを見ることはなかった。ンヴェネは警戒をしながらその場を離れた。
一度避難キャンプに戻るかと踵を返したところで、けたたましい地響きがなった。ンヴェネがそちらを見ると、そこには人智を逸した景色が広がっていた。大きな茶色い炎上の塊が少し離れた空に浮かんでいる。それが何かなんて一瞬にはわからなかったが、水の塊だ。
それが竜の一族や雨の神獣ならば撤退して報告だと思って長銃のスコープを覗く。雨でレンズがぼやけてよくは見えないが、その球体の汚水の下にはいたのは見知った金色の長い髪の男の姿形だった。
そして、その汚水の塊を地面に叩きつけた。
「…なにをしてんだ?!」
ンヴェネは、雨でぬかるんだ道に足を囚われながらもそこへと走った。
ーーー
茶色い川の水はタラリアを巻き込んで流れていった。そこで漸く悪魔の声が消えて頭が冷えた。
「あ、ど…。」
「おい。」
アンジュが振り返るとずぶ濡れのルジェロが険しそうな顔をしていた。
「俺に見つかって逃したのか。」
ルジェロは竜の一族を特殊過ぎる生き物だと思っているらしい。どんなに神の力があったって、この川の勢いに捕まれば殆ど死ぬだろう。しかし、気が動転しているアンジュには、言葉にならなかった。悲しいことにルジェロはそれを肯定だと思った。
ルジェロはアンジュに対して魔導武器の剣を抜いた。
「…戦うの?」
「そっちについたっていうことなら、仲間としてケジメをつける必要がある。」
ルジェロとアンジュは言葉を交わすとなにかしらいつもすれ違いがあるが、今回は致命的だった。
ルジェロに剣を向けられても、あの悪魔は囁いてなかった。
あれほどミルフィーが1番だと口にしても、アンジュはミルフィーが1番望んでいるものを積極的に守ろうとしない。アンジュ自身の命を。ルジェロに疑われて死ぬのなら仕方ないとすら思う。
「それに。お前の望みと俺の願いが根本的に分かれるのなら戦うのみ。」
ルジェロが剣をアンジュに振り上げた瞬間、川が意思を持ったように増水した。
「っひゃぁ、よかったぁ、・・・出てこれたけどマジかぁ。」
能天気なタラリアの声は2人には届かなかった。その汚水が巨大な怪物の口のように広がり2人を飲み込んだ。
「嘘やん。」
タラリアは何とか再び川の流れを遅くさせるが、先程よりなかなか効きが悪い。タラリアが持つ神の力でも無理ということは、タラリアより上位。恐らくそこに神獣がいるのだ。
そこに大きな銃を背負った軍人が走ってきて、険しい顔で川を睨みつけた。土砂降りの中ぬかるんだ道を必死に走った影響で肩で息をするが、その双眸はまだ絶望してはいなかった。
ンヴェネが魔導武器の銃で川を狙うのをみて、タラリアは制止した。
「おい!その銃は雷だろう!死ぬぞ!」
「川面は狙わない。」
ーーーー
水の中に飲まれる直前に何とかルジェロに掴むことにアンジュは成功して、何とか2人とも息を吸えるような状態にしたはいいが、茶色い水の中、壊れた木や柵などで全く身動きは取れない。それどころかよく周りだって見えないのだ。どっちが上で下なのかもよくわからない。ルジェロに説明しようにも声なんて聞ける状況じゃない。
何が邪魔で何を退ければこの水の中から出られる。アンジュが思案していると、ルジェロは身動きができない中でも何とか目の前の邪魔な木を切った。それで何かが変わるわけではないが、何かをしないよりは気分がマシだ。そういうことだろう。
【…ルニア。】
ドラゴンは風や雨を操ることもあったと聞く。
【……ジュ?………な、か?】
【川の中、死にそう。】
ただその短文を強く願う。繰り返し何度も何度も。届くかもしれないと願って。
【……困った、探しに、行きたくなる。】
たかが数刻話しただけの人間に竜が助けるはずないかと祈るのをやめる。ルニアがいた村からも全く近くはない。
一つの望みが 絶たれたた時、水面の方が光った。雷のような轟音も響いている。ただの雷ではなく、それがンヴェネの武器であることが分かった。光が上から下ではなく横から横に走っているのが見えたからだ。目印としてンヴェネが撃ってくれている、そう思った。
ルジェロが邪魔なものを切っているから、大きな怪我には繋がってない。気づいていなかったが、川の流れはまるで平常時くらいになっているおかげで対して流されてもない。アンジュが悪魔の声を元に彼を川に落としたのに、まさかアンジュたちを助けようとしているとは思わなかった。
アンジュは葦に掴まる。植物はアンジュの魔法にかかりやすい。意思があるかのように葦はアンジュのルジェロに巻き付くように伸びる。ルジェロはモンスターかと思って斬ろうとしたが、アンジュが止めた。まだアンジュの静止で止まってくれるらしい。
何とか葦の助けによって2人で陸地に上がることができた。ゼェハァとお互い肩で息をしていると、やはりンヴェネはそばにいたらしい。
「2人とも何してたのさ?」
そういうンヴェネの顔は怒っていた。その横でタラリアが笑っている。
「川に落とされた時は死ぬかと思ったけど、川に神獣がいるってことが分かってよかったぜ。」
「……殺すつもりだったのに。」
「いや、お前が本当に殺す気だったらこんな手段は取らねえだろうよ。」
「勝手に知った気になるな。」
アンジュが再び魔法を使おうとすると、ンヴェネが止めた。
「待ってよ、雨の神獣がいること確定している中で竜の一族と戦えると思ってるの?」
アンジュは口を閉じたが、代わりにルジェロが吠える。
「今目の前に敵がいるのに戦わねえのか!」
「ルジェロ、悪いな。お前の復讐受け取ってやりてえが、そんな余裕はねえ。」
「くっ。」
ンヴェネとルジェロが言い争いをしている横で、アンジュは少し距離をとった。水の中にいた時は冷静でいられるのに、タラリアが口を開くのが恐ろしい。何か、自分が知らない何かを伝えてしまうような気がする。
「おーい、魔法使い?」
「…なに。」
「あまり川に近づくなよ、また捕まるぞ。」
「僕が死のうがお前には関係ないでしょ。」
「流石に雨の神獣に人が殺されるのは黙ってられねえよ。」
《話しかけないでって!》
自分が自分らしくいられない。そんな時に川から再び水が迫ってくるのを、ギリギリで避けて魔法で跳ね返した。
「ほら、言わんこっちゃねえ」
「お願いだから、どっか行って!」
「…ま、そうだよな!悪かったよ。でも、とりあえずお前たちが一時撤退しろよ。」
タラリアはンヴェネに視線を投げた。
ーーーー
ンヴェネは納得がいっていないルジェロと、精神的におかしくなっているアンジュの首根っこを掴んだ。
「…竜の一族に頼むのは癪だけど、よろしく。」
ルジェロもアンジュも川の中で大分体力が持っていかれた。悔しがりながらも何とかンヴェネが連れて行った。
テントまで戻ってくると、3人の服をアンジュは魔法で乾かした。
「ありがとう、だけど、2人とも勝手なことをしすぎ。」
リーダーの言うことを聞くようにと、まるで彼らがプライマリースクールの子供のようにとンヴェネは叱る。それから、ここからは雑談だとンヴェネは区切る。
「ルジェは想像通りの行動をしたけど、新入りくんはどうして勝手なことをした?」
「ンヴェネが雨の神獣の存在を疑っていたから。」
「そう、じゃあ、君が確信を持てた後に、竜の一族と喧嘩していたのは?」
アンジュは目を泳がせながら答える。
「敵だから。」
「そんな言い訳が通るとでも?」
しばらくじっとアンジュが話し出すのを待っていると、アンジュは口を開いた。
「彼は勝手に俺のことを知ってる。それがすごく嫌だ。」
「今更じゃない?君は魔法使いなんだから。」
「記憶をなくす前の僕の話だよ。」
「……記憶を思い出したくないってこと?」
アンジュはンヴェネから視線を外す。その双眸に何が映っているのかンヴェネにはわからない。深い青の目は大洋を漂っているようだ。
「……そうだね。」
最初の頃のアンジュは、思い出せるなら思い出したいと言っていたが、今は全く逆になっているようだった。そばにいたはずなのにその心境の変化の理由がンヴェネはわからない。
「前は思い出せるならと言っていたけれど、今はどうして怖がってる?何かを思い出したからじゃないの?」
「……分からない。でも、予感がする。アンジュ・クラントは存在しなくなる。ンヴェネが信じた怪我人を助けたせいで軍に来ることになった俺はいなくなる。」
「アンジュ・クラントの記憶が消えるわけでもないのに?」
「…そういう予感がするんだ。」
自分という人格が消えるかもしれない。それは確かに恐ろしい話だ。でも、ンヴェネは彼の不安のうちのンヴェネ自身に限るなら、アンジュの不安は当てにならないと思った。
「僕は、自分のことを顧みず君の怪我人を助けた話は、きみの本質だと思ってる。たくさんの死者には目もくれず、君はただ生きている人だけを見て助けた。それはアンジュ・クラントの性格っていうより、それ以外の君も含めての君自身だと思う。だから、君が君でいられなくなるという不安はあるんだろうけど、僕が信じた君が消えることはないだろう。」
ンヴェネがそう言うとアンジュは泣きそうな顔でンヴェネを見つめた。嬉しいともまた違うし、悲しいともまた違う。
「で、とりあえず僕たちは慰問に来たわけだけど、セシル師団長に言えばモンスター討伐に切り替えることくらいは可能だ。でも、雨の神獣を前にして、流石に竜の一族とことを構えるとなると厳しい。このことは2人もわかってくれるよね?」
「そう、だね。」
「…だが、こんなに目の前にいるのに!」
「雨の神獣を倒すことができるなら竜の一族だって簡単に倒せるよ、きっと。だから、今回は竜の一族は相手取らない。これでいい?」
ルジェロが仇を前にして戦うことができないと憤ることはよく分かるが、今回はアンジュの方が首を縦に振らなかった。
「君は竜の一族に恨みがあるわけじゃないんだよね?」
「…分からない。タラリアを前にすると、冷静でいられなくなる。悪魔に乗っ取られたような気になるんだ。」
「…それは困ったねぇ。」
ルジェロもそのアンジュの様子に漸く本当に竜の一族を殺そうとしたというのを理解した。
「君はタラリアがいる場面で戦わない方がいいかもしれないね。」
「ルジェロが無茶しないなら。」
「……ウィルやルサリィと違って、僕らは君に特別優しかったわけでもないし、君が心配になる理由はある?」
アンジュが薄情な人間だとは思っていないが、ンヴェネはアンジュがルジェロを気にかけるのは不思議だった。どちらかと言うとルジェロはアンジュに対して冷たかったのだから。
「2人は俺を正当な仲間として扱ってくれるから、俺もちゃんと仲間として対応したいだけだよ。」
「なら、同じ部隊に所属するリーダーにもう少し話してよ。君は何に怯えているんだい?」
「……きっと無意識のうちは真実を分かっているんだ。だから、それをとり戻りたら俺は消えるだろうし…、多分非道な人間になる、そんな気がしてる。」
「僕は非道だと思わなくても、きっと君にとってはそうなんだろうね。自分が消えるって言うのは恐ろしいとは思うね。僕だって僕じゃなくなるかもって思ったら裸足で逃げ出すよ。でも、君はもっと違うものにも怯えてないかい?」
「違うもの?」
ンヴェネが聞いてもアンジュは首を傾げる。ンヴェネが知らない何かをアンジュは抱えていると思ったが、アンジュはピンときていなかった。
「…話を変えるけど、アンジュはミルフィーちゃんと結婚するのかい?」
「ミルフィーがその形を望むなら。」
ンヴェネはその受け身な姿勢のアンジュに、無関係ながらどうしたものかと蔑む。
「本当君には君の意思がないね。ミルフィーちゃんはそれで喜んでいるのか?」
「…ミルフィーはちゃんと俺がミルフィーを望むことを望んでる、それは分かる。」
「はぁ。」
「俺はミルフィーのそばにいたい。これは本当。でも、俺が記憶を取り戻したら、きっとミルフィーから逃げる気がするし…。」
「何故?」
「記憶を無くしたのは故意だって最近気づいた。俺はきっと罪から逃げたかったんだと思う。その記憶を取り戻したら…、ミルフィーから逃げたくなると思う。優しいミルフィーを騙した良心から。」
「僕はそこまで気づいていながら、逃げることを選択していることが信じられないよ。」
「……その通りだ。」
彼がずっと何かから逃げている。だから、あの村にいたし、逃げる先のリーラやミルフィーを本当に大切に思っている。そこを守るためなら何も構わないのだろう。だから、古い記憶を知っているタラリアを殺したいと思っている。受け身なアンジュが唯一自分から望んでいること。
「まさかそこでルジェと新入りくんの意思が合致するなんてね。」
「俺もあの野郎と共闘するなら、軍を抜けた方がマシだ。」
「じゃあ、彼らと雨の神獣を戦わせておいて、彼らが勝ったら漁夫の利を狙う?僕らが生き残るにはこれくらいしかない。」
「…利用してやるよ。」
「ルジェロ、タラリアは速さを司ってる。それは、時間もある程度操ることができるってことだよ。俺の魔法も物理法則を狂わされたら発動しない。俺は雨の神獣に殺させようとしたけど、漁夫の利で倒せるか微妙だ。猫とかハティとかとは全然違う。」
「全くとんでもない力だ。」
猫という奇抜な格好をした男ですら、ルサリィ、アンジュとルジェロの3人がかりだった。倒せるはずがないと言うとルジェロはアンジュを睨んだ。
「それでも、俺はやる。」
「……ある程度は治してみせるよ。」
アンジュはルジェロが死ぬ気がした。




