15話 花の神獣
アンジュ・クラント(16くらい)10歳以前より記憶がない。魔法つかい 魔術師は苦手。
ウィル・ザ・スミス(19)アンジュの同室の気のいい男。炎の斧
ルサリィ・ウェンディ(23)アンジュのことを気に入っているお姉さん 風使い
魔法 魔力を利用してあらゆる現象を生み出すもの
魔術 計算を利用した魔術式を使用して魔力を効率化させた魔法
魔術式 魔法を発動させるための計算と文言を記載した図形、図式。
魔導技術 科学技術を用いて他のものから魔力を抽出して、魔術式を動かし魔法のような力を得る技術
星の泉 15話
「花まつり?」
細々とモンスターを倒す任務を幾つかこなして、夏の盛りを迎えようとしていた頃だった。
「そ、王都よりももっと東側にあるディラン辺境伯領で花まつりがあるんだよ。それの宣伝係」
1月ぶりの広報活動だった。ルジェロはそれを聞くとすごく嫌そうな顔を浮かべた。
「大丈夫、今回はルサリィと新入りくんとウィルだけだよ」
「まあ、コイツはモンスター狩ってる方がいいからな」
ウィルはわざと嫌味ったらしく言うと、ルジェロは剣に手をかけた。
「まあまあ、5人でわざわざ行くほどのものでもないし、晴れやかな祭にそぐわない顔をするルジェは僕と一緒にグレート・ボアを狩ってもらいます」
「……なるほど、行き先途中まで一緒か」
グレート・ボアはB級モンスターだ。勿論脅威ではあるが、町の自警団だけでいつも対処されるタイプのモンスターである。
本当に広報活動を極力やらせたくないが故のモンスター狩りであるのが分かる。行き先が途中までならンヴェネもギリギリまで打ち合わせに参加することが可能だ。
「今回は制服じゃなくて、ディラン辺境伯領が花まつり用の衣装を貸し出してくれるんだよ。ルサリィは花の女神のドレスを着てもらうことになる」
「あら、私だけなのね。そうだ、アンジュもまだ16だし、ドレス似合うんじゃないしら」
ルサリィのとんでも発言に驚くのは、ンヴェネとウィルだけで、当の本人は特に熟慮することをしなかった。
「ルサリィがそれがいいって言うんなら」
「このルサリィ全肯定マン!」
『ドレスって女性のひらひらのやつ?』
ルサリィがアンジュに甘いように、アンジュもまたルサリィが言うことに全幅の信頼を寄せている。ルサリィはよくアンジュに「これが似合う」「あれが似合う」と服を買い与えて、服の着方を伝えているのだが、ルサリィのセンスがあるお陰で大体評判が良かった。それもあってアンジュはルサリィの言うことは全て(特に着る物に関しては)正しいと思っている節がある。ルサリィは、アンジュが何一つ文句を言わず素直に着てくれるので楽しくて仕方ないし、アンジュもルサリィが手放しで褒めるから楽しくなっているので、そのサイクルは止まらないのである。(神のくせにアンジュよりは常識的でも鳥のクルルも止めることはない。)
「君が平時何を着ようと僕は止めないけどね、一応招待された公式の場で異性装は不味い」
「あら、残念。2人でおめかしが楽しめると思ったのに」
「お互いに仕事がなさそうな時にやって。それに、ちゃんと男性陣にも衣装貸してくれるから」
花まつりという地域の祭なら、少し羽目外しても問題ないかと思ったルサリィだったのだが、ルサリィが思ったより重要なポジションでの仕事だったらしい。そう言われればルサリィもすぐに断念した。
「で、男性陣に貸し出されるのは、ディラン辺境伯領自慢の民族衣装なんだよ。最近は地方でも王都流のファッションが流行ってるんだけど、ディラン知事はその自慢の民族衣装を流行らせたいみたいだから、こっちが本命なんだよ」
「ならルサリィもそっちの方がいいんじゃないか?」
「あのディラン・ブラウスなら女性ファッションでは既に有名よ」
「……あー、思い出した!」
ディラン辺境伯領の自慢は、花柄の刺繍だ。様々な花の図柄があるが、それはどれも美しく、王都では比較的高い価格の服であるし、古着屋でも人気がある。
「ディランの男性なら似合うんだろうけど、下町の俺には似合う気がしない」
「王都にあるのは女性向けしかないもの。男性用ならまた違うんじゃないかしら」
「かなぁ。女性用はあんなに人気なのに男性用があまり知られてない時点で俺は心配」
ウィルは一抹の不安を抱えながら、ディラン辺境伯領へと向かった。
今回の移動は遠いのでサウスポート経由の海路から回ることになった。魔導技術と風の力を使って進む船にアンジュは心を躍らせていたが、表情には表れてないため、誰にも気づかれなかった。
行く先のディラン辺境伯領は名前の通り土地の所有権はディラン辺境伯にあり、中央から任命されている地方官もクリストファー・ディラン知事だが、領事裁判権や法律は中央、王都と同じである。ンヴェネは複雑だよねと言う。
「封建制から中央集権化させて、封建制時代の領主をそのまま地方官なんだから、なんの意味があるのか分からないよね」
「地方は王より領主の方が人気が高いから仕方ないんじゃないかしら。特に辺境伯の辺りは」
一応中央の法律と中央に帰属する軍があるから、形式上意味がないわけではないが、実態としては封建社会から特に大きな変化はない。
「王都の軍人より、国境警備隊の軍人の方が人気だし」
民衆のヒーローとして作られた五星士だが、辺境伯の地域にはもっと身近な国境警備隊という本物のヒーローが存在するんだから、何と言う顔で入っていくべきなのかは分からない。
「今回はウィーと新入り君はとりあえずゲストとして手を振ってればいいから。ルサリィには挨拶してもらうけど」
「広報なら俺じゃなくてンヴェネでよかったんじゃねえの? アイツと一緒なのは嫌だけど、2人での任務くらいは慣れてるし」
「服のプロモーションなら僕よりウィルの方が適任だからだよ」
ルサリィとアンジュは特別な力を持っているから、特に力を見せつけたい時の広報として抜擢されるのはウィルもよく理解できる。そして、ルジェロは戦い以外での広報活動ではあまり役に立たないのも察するところだ。諜報などの特別な仕事ではない限り、軍の中では2人以上でことにあたる決まりになっているから、そちらにも割く必要がある。ウィルもンヴェネも人当たりは良いから、どっちでも良いのだけれども、ンヴェネは今回ウィルを広報の方に選んだ。ウィルは給金の殆どを家に入れているが、自分の取り分は殆ど服に使っているくらいには服が好きだ。
「そう言われると嬉しいのは確かなんだけど、ディランの服は、王都の下町の男には上級者過ぎるって」
「ウィーなら大丈夫だって」
このウィルの不安は、ルサリィの言いなりであるアンジュにはきっと分からないから、正直行くならンヴェネを連れてきたいと思った。
そして、ウィルの予想通りのことは起きた。
ーーーー
ディラン辺境伯領は、辺境伯というように国境近くに存在する。今回訪れるのはその中でも1番大きな都市であるネプタスという街だった。一つ前の港町で、ンヴェネとルジェロは降りたのでここにいるのは3人とクルルだけだった。
「大きいな、この街も」
『王都よりはちょっと小さいくらいかな』
「サラシャ王国の隣で交易も盛んだし、同じルーグ王国の街とは雰囲気違うよなぁ」
「王都はどこか薄暗さを感じるけれども、ここは本当明るいわよね」
船を降りる際に五星士たちは私服から夏用の制服に着替えたわけだが、夏の日差しが眩しい。
ネプタスは、建物の壁が淡いカラフルな色合いが多く、全体的に可愛らしい玩具の印象を持つ町だった。
「俺この色合いに勝てるかな」
「ウィルは珍しく弱気だな」
「ンヴェネがファッションセンスで俺を選んでくれたのはめっちゃ有難いんだけど、系統が違いすぎるから……」
「ウィルは確かに黒とか茶色系のシックなかっこいい色合いが多いからな」
「アンは……、水色とか黄色とか明るい色着ていたもんな」
ルサリィがアンジュに選んでいたのは、メインとしては王都の男子に人気のあるシックなものが多いが、シャツや小物に明るい色合いを選んでいたのを思うに、彼は似合うとウィルは思う。
「でも、ウィルは明るい雰囲気が全体的にあるから、明るめの色も絶対に合うと思う」
「私もそう思うわ!」
この2人がウィルのことを褒めることは、想像通りだ。でも、きっとウィルが全身蛍光色を着ていても褒めるのも想像つく。だから、ここで冷静に指摘してくれるだろうンヴェネの存在が有難かった。
自分に支給される衣装に関連しなさそうであれば、この可愛らしい家々たちを好きになれたのだが、不安は増すばかりだった。
その後、祭担当者と落ち合って、明日以降の打ち合わせと服のサイズの確認だけ行われた。ルサリィのドレスの方は、図案を見せてもらえたが、アンジュやウィルの方は当日複数パターンを用意して持ってくるらしく、どんなものかは分からなかった。
『花まつりって何するのか分からなかったけど、花で街を飾って、町の人たちが着飾ってダンスする祭なんだねぇ』
「クルルはどんなものを想像していたの?」
『誰が一番綺麗な花を咲かせたかっていうものかと』
クルルが拍子抜けだと言っていたが、アンジュは笑った。
「祭って言葉の通り、元は神様に対する何らかの儀式なんだよ。クルルのそれはコンテストだ」
『花の神の感謝を目的とした祭っていうのはさっき初めて聞いた。人間って凶悪かと思えば、こうして神に感謝するから毎度驚くんだよね』
クルルが驚いたなと言っていると、横で聞いていたウィルが、
「花の神は何の神獣?」
と尋ねると、クルルはえーという面倒くさそうな声をあげる。
『神獣って人の想像よりもっと一杯いるんだって、確か虫の子だったと思うよ』
「花はさすがに虫か」
花と1番密接に繋がっているのは虫なのは理解できるが、ウィルはあの綺麗なモノの神に少し期待してしまっていたから、少しだけ残念に思えてしまった。
「そういえば、お花はお花の神獣ではないのね」
「そういえばモンスターの一部に動く植物がいるもんね。それなら、そういうのが神獣になりそうだよな」
クルルは深くは知らないと言うけれども、植物は基本的には環境だから世界の持ちものという考えがクルルの中にあるので、植物が神の力を持つというのは想像できなかった。
「動く植物って言われるのは細かく分類したら本当は動物なのかもしれない」
アンジュが言うと、ルサリィやウィルも納得した。モンスターの植物は巨大でかなり自由に動き回っているから、本当は動物でしたと言われても疑わない。
「あの花ってジャングルの王様とも言われてるし、大きいやつは虎も食うらしいから」
ウィルもそれは伝聞でしか知らなかったが、それを言うと2人は恐ろしいと肩を寄せた。
「クルルも急に大きくなったりするから、虫の神獣もそういうものだったりする?」
『さあ、できるんじゃないかな。人間が魔法使えたり、魔術式使えたり、魔導技術使えたり、使えなかったり、様々なように神獣も様々なんだって。大きさが変わるくらいの程度なら神獣じゃなくてもできるしね』
いかんせん人間側の神獣の知識が少な過ぎるせいで、人のそばに居る神獣のクルルへの質問が多くなる。クルルが分析・分類などそういうのは人間の方が得意なんだからと言っても、普通の神獣は人間に力を貸したりすることはないし、話す事もない。
『あと、花まつりも基本は人間が勝手にやっているんだから、花を司る神獣が来ないなんて普通なんだからね』
「……確かに」
と、花を司る神獣について語っていたのだが、翌日の打ち合わせで祭担当者が新しい伝説を聞かせてくれたのだ。
「千年以上昔なんて言われているんですけどね。花の神が昔村の人間の娘を大層気に入って、人間の娘を妻に迎えたそうなんです。そして、その娘は神から分け与えられた力で、その村を神の加護がかかった花でいっぱいにして、村を都市へと発展させたと言われているんです。だから、この街は花を神の恵みと言っているんですよ。……最近の子たちは楽しさばかりに目がいって忘れてしまっていますけどね」
その話を驚いたのは、人間の3人ではなく神獣のクルルだった。打ち合わせの間の昼休憩を空いた会議室で取っているとクルルが祭担当者の言葉を思い出して話し出した。
『意外と神獣と人間って恋に落ちるんだな』
「ウェンティもそうだもんね」
『……虫は絶滅してないし、きっと神獣は別の個体に入れ替わったんだろうなぁ』
つい最近神獣と別種族との子供に会ったところだった。
ルサリィとアンジュは全く気にしてないが、ウィルは下世話なことばかり考えてしまう。
「いや、恋って。異種族間で交配できるのか? いや、話を聞いた限りエリスっていう奴がいるんだからできるんだろうけどさ」
意味が分からんとウィルが言う。それに同意するのは神獣のクルルで、深々頷いた。しかし、アンジュは首を傾げた。
「魔力の使い方によればいくらでもできるんじゃないか?」
『本当に? 怖いこと言ってないよね』
「え、要は受粉なり受精なりができればいいんだろ? なら、魔力をそういうものにできれば簡単じゃ?」
『ああ。なるほどね。神獣ではないのが女性である必要はあるけど、それならできそうだなぁ。その方法なら、子供は女性側の種族になるし、エリスが人間の形だったと言うのがそれの証拠かも』
「それは、神獣側は全員男っていうことなのか?」
クルルがアンジュの説明に納得している横で、ウィルは女神はいないのかと尋ねる。
『神獣に性別らしい性別はないよ。子供以下には性別もあるけど、彼らもあんまり性別を意識することもないし、神獣の地位に上がったら性別は無くなるからね。ぼくも間違ってるかもしれないけど』
神獣は基本的に長命だから、子孫を残すという意識は基本的にない。世界から神獣の地位を落とされた時に、子供がいれば彼らが繰り上がって神獣になることが多いが、いないからといってもその種が存在しているならば、どこかで神獣が生まれる。
ただウィルが思ったのはそんなことではなく、クルルがアンジュのことを大事にしているのは、恋の可能性があるのではという下世話な思いだった。ルサリィやアンジュはそんなこと考慮の一つにも入れてないようだけれども。
「……その、だいぶ余計なお世話だと怒られると思うんだけど、クルルはアンのことは恋愛的に好きではないのか?」
ルサリィはそう言うのを聞くのは良くないと嗜めたが、当のクルルやアンジュは特に何も気にしてなかった。
『なるほど、ぼくがアンジュのことを大事にしているというのはそう言う感情からくるものもある可能性を否定できないな。肯定もできないけど』
「そういえば、なんでクルルがそばにいてくれるのか聞いたことなかった」
クルルはそこで動揺した。クルルが彼のそばにいる理由は、彼が記憶がない時代にあるからだ。ウィルには憐憫だと言っていたがそれを言うのすらクルルには躊躇いがあった。
『ぼくがアンジュのことが好きだからにしよう。それがいい』
「……建前というのがありありと伝わってくるんだけど」
本当のことを言うくらいなら、恋愛だと思われてもいいと思ったクルルは今までにないくらい饒舌に語った。
『だってほら、種族を超えて特別に守ってるわけだから、きっとこれは恋なのさ』
「さっきまで意味分からんって言ってた」
『さっきまでは! さっきまでは分からなかったけど、アンジュやウィルの話でさもありなんって思ったわけ』
珍しくアンジュが白けた目でクルルを見る。クルルの弁明は確かに恋人に嘘がバレたようだが、本当にそうではない。この話を始めてしまったウィルはすごく申し訳なくなって、クルルのフォローへ回った。
「ま、アンにはミルフィーちゃんがいるから仕方ないよな! 気づかない方がいいって思ってたんだろ」
ウィルは自分でも何言ってるのか分からなくなった。しかし、クルルが必死になって話したがらないのは、アンジュのことを気にかけているからなのはアンジュも分かっていた。
「分かった。もう聞かないよ。ありがとう、クルル」
『あ、えっと』
悲しそうに微笑んで感謝するアンジュにもクルルは困った。しかし、あまりコミュニケーションをとる神獣ではないクルルには良い返しが見つからなかったが、そこにルサリィが助け舟を出す。
「どうしてアンジュは、クルルに聞きたがったの?」
ウィルとクルルは、女神がいると心中で叫ぶ。
「上手い説明ができないけど、そばにいる理由が分かれば、離れていってしまう理由も分かるかと思った。クルルがそばにいてくれるのって当たり前じゃないなと……、離れていかないでほしいなって思ったから」
『それは誓ってないよ。ぼくがアンジュのそばにいられなくなる原因があるとするなら、それはぼくが神獣だからに他ならない』
それが例え恋心ではなかったとしても、クルルのそれも愛であることには変わりなかった。
「それってクルルとしてはアンジュを眷属にしたいとかじゃないんだな」
『無い。笑ってくれればそれでいい』
「親か」
ウィルの追加の質問にクルルは間髪入れずに答える。無償の愛だとルサリィやウィルが感嘆しているのだが、アンジュは酷く困惑していた。
「分からない、それは何?」
「え、何が?」
【リーラやミルフィーがアンジュに教えたものだよ。】
アンジュは考え込むように手で口を押さえた。
「……リーラはまだ分かるんだ。たまにミルフィーのそういうのは怖いんだ」
『本当に? ……いや、ぼくは学んだ。それこそ恋愛っていうものだよ』
ルサリィとウィルにクルルの発言の一部は聞こえなかったが、偶にアンジュが「役に立たないといけない」という発言をしているのを知っているから、人の益になることをしなければ人に好かれることはない思ってる節があるのを知っている。だから、アンジュはクルルの無償の愛というものに対して懐疑心があるのだろうと気づいた。
「アンジュ、対価の無い愛というのが怖いのね。確かに根拠なんてないのかもしれない。でも、アンジュだって彼女に何か貰えなくてもやってあげたいって思う時があると思うわ」
「……ミルフィーには返すので精一杯だよ」
「それはとても素敵な考えだわ。じゃあ、対価に関する考え方を変えてみましょう。私はよく貴方に服を買うことは、見た目上は私があげてばかりだけど」
「うん。いつもありがとう」
「とんでもないわ。だけど、私は貴方が喜んで素直に着てくれるのが嬉しくて仕方ないの。貴方が受け取るというだけで喜びを得るのだから、ミルフィーさんもきっと貴方の想像以上に受け取ることができているのよ」
「それはミルフィーも、クルルもそう?」
『恐らくね。ぼくとミルフィーが全くそのまま同じとは思わないけど、少なくともぼくとミルフィーはきみと一緒にいることに1番の価値を感じているという点ではそうだろうね』
「俺が何もできなくても?」
『まともに話すことができなかったきみに話かけたのは他ならぬミルフィーだったよ』
自分の発言で、少ししんみりとした雰囲気になったのを、アンジュは慌てて変えた。
「このフリットすごく美味しい。なんて言う魚なんだろ」
『ぼくにも』
「なかなかフライって軍の食堂じゃでないもんな」
「サクサクしてて美味しいわね」
アンジュの様子を察して他の3人もそれに乗った。
ーーーー
と、一度アンジュのことで気を取られて忘れていたが、祭の当日である。朝から祭の支度をするために街の講堂に来たわけだが、すっかり忘れていたディラン名物の服である。
「か、可愛すぎないか?」
ふんわりとした袖にひらひらした袖口にカフスがついた白いブラウスは襟元や袖口にウィステリアやブルーベルの花の刺繍がされている。男性向けと言うこともあって、青色の糸のみでひかえめではあるが、女性が着たとしても地味にはならない。それでも、いくつかある中で1番控えめな柄なのである。トラウザーズはシンプルな黒の無地で、靴は黒の革で武骨なブーツで控えめにしているが、トップスの可愛らしさにウィルは戸惑う。
「すごく似合ってるよ。ウィルは濃い青がよく似合うね」
「……あ、ありがと。アンも……、いやなんでそれが似合うんだ」
アストランティアの花がモデルとなった花の刺繍がメインで、ピンク、黄色、水色の糸で縫われている白地のブラウスは、ふんわりとした袖に袖口がひらひらとしたポエットスリーブだ。これが若さかと3つしか変わらないのに嘆いた。
衣装に着替えたところで、ドレスアップしたルサリィはとある女性を連れて入ってきた。ルサリィもカラフルな薔薇が刺繍されており、色合いはアンジュとよく似ていた。
「2人ともとても素敵だわ!」
「本当だな、王都の男性は苦手がるとは聞いているが、勿体無いくらい似合っている」
ルサリィの隣にいる人は、今回の企画者の1人、シビル・ディラン夫人である。彼女の親は多くの酪農家を抱える地主で、彼女自身は服飾デザインナーとして仕事をしていて、王都で女性向けのディラン・ブラウスが流行った火付け役でもある。
「はは、お褒めいただきありがとうございます」
ウィルが着ている服のデザイナーを手前、文句を言うことはできなかったが、ウィルを見てディラン夫人はそばにいるメイドたちに髪型や細かい調整をするように指示をする。
ルサリィは花の女神というコンセプト通りに、花冠や花のモチーフのアクセサリーをつけて、長い髪は編み込んで全てアップしていた。
ウィルがルサリィを見てこれが花を司る神獣が惚れた女性と現実逃避している間に、2人のメイドがさっさと準備をしていた。ファンデーションを塗られた時には驚いたが、それが女性的ということもなく、ただ鏡に映る自分の肌が綺麗になっていた。
「化粧ってすげー。やる気持ち理解できるな、これ」
「汗で落ちてしまうから、動くことの多い職の方にはお勧めできないのが残念ですよね」
「ああ、そうか。維持ができないんだ」
「今回はパレードで手を振る以外は特に動きませんから特別です。スミスさん、髪にアクセサリーは無しですか? 耳飾りは?」
「な、なしでお願いします」
「女性をエスコートしなくていいのだから、着飾っても誰にも怒られませんよ」
王都の男性がシックな大人しい服を選ぶ理由の一つに、女性を立てるということがある。ルサリィがいるものの、五星士ではそれをしない。五星士以外ならルサリィもエスコートを受けていいのだが、五星士の男がルサリィをエスコートをすることをしてはいけない。五星士という国民のヒーローがメンバー1人を特別扱いするということは言語道断であるからだ。ンヴェネは少し悔しがっているが、ルサリィは嬉しいルールと言っていた。
「いや、でも、俺の顔には合わなくないですか?」
「合わないアクセサリーもありますが、合うアクセサリーも存在します。貴方次第です」
ウィルは頭を捻った上で、シンプルなヘアアクセサリーを選んだ。祭なのだから多少は浮かれても問題ないだろうという判断で選んだ。メイドたちが整えた軽めのオールバックヘアに、シルバーの細身のブルーベルを模ったヘアピンを少し耳の横に付け足した。本当にシンプルなのだが、ウィルからしたら大冒険である。
「素敵ですよ」
「あ、ありがとう」
恐らくウィルより多少年上のメイドなのだが、照れてしまう。ウィルはイザヨイのように快活で年上の女性がタイプだからだ。イザヨイがいなかったら、きっと惚れていた。
照れを隠すように、アンジュの方へ呼びかけた。ウィルと同じように2人のメイドがついていたのだが、2人のメイドが楽しそうにしていて、アンジュは大人しくされるがままだった。
「そっちはどう……、化粧ってすげえ」
十数分前と同じ感想がでる。いつもは素朴という言葉を体現しているアンジュだったが、眉を整えられ、ウィルと同じようにファンデーションで肌を綺麗にされ、恐らく目元が印象深くなるようにされている。それで、ただの素朴から綺麗な少年に一気に寄せられている。
それだけじゃなく、髪はふんわりとした編み込みされ、最後に白いレースのリボンでまとめられているし、三つ編み部分にも花が差し込まれ非現実的な美になりつつある。
「……え、俺このルサリィとアンに挟まれるの?」
2人が非現実的なのに、1人だけ現実的な装いになってしまった。
「む、それぞれは綺麗だが、並ぶと少し浮いてしまうか。スミスさんにレイをかけよう。それに布を持ってきてくれ。この青で頼む」
「はい!」
ウィルが狼狽えている間に、ディラン夫人が指示を出してあれよこれよと着飾った。気づけば服のイメージに合う青の腰布を巻いて、レイが首から下がっていた。
「祭だからな」
可愛らしさ云々よりも2人の隣で浮いてしまう方が今は回避した方が良さそうだと観念した。
3人と一柱の予想を大きく超えて花まつりは大きくそして華やかな祭だった。いくつもの露店が出て、町中からいい匂いがする。
メインステージがある広場もたくさんの人でごった返していた。開会式はディラン夫人から始まったが、人気デザイナーであるディラン夫人の人気は凄まじく一言発しただけで黄色い悲鳴が響く。
クリストファー・ディラン知事はこそりと五星士にたちに、「僕よりも女性人気がすごいんだ、かっこいいだろう」と惚気ていた。ディラン夫人は白いドレスに一つ大きな百合の花の刺繍がされている以外はシンプルな装いだが、それだけでも決して地味には映らないくらいには上品かつ美人だった。
「自慢の奥様なのですね」
「ああ、本当に」
幸せそうな顔で答える知事に、3人は笑顔で答えた。
続いてルサリィのゲストの挨拶が行われたが、市民たちに温かく歓迎されていた。普段はリーダーであるンヴェネが取り仕切っているが、ルサリィも2番手として堂々たるスピーチが特にディラン辺境伯領の女性たちに喜ばれていた。
国境警備隊が先導をするパレードの列の中で五星士たちは領主夫妻のあとにつづいた。手を振ると市民は笑顔で振り返してくれるから、衣装が気になってたことなどウィルは忘れていた。
「凄い、花の妖精みたいだわ」
「ディランの刺繍はやっぱり綺麗ね」
街の中で手を振っていると、ふと自分の肩に何かが乗ってることに気づいた。手を伸ばしてみるとそれは大きいハナカマキリだった。
「いつの間に?」
何気なしに払おうとしたが、突然アンジュに腕を掴まれた。
「な、何?」
「……それ多分、神獣」
「へ?」
アンジュ曰く尋常じゃない魔力を感じたらしい。クルルもその肩にいるのか神獣であると同意した。
『大分若いけど、神獣だね』
「……本当に?」
「クルルみたいに話さないんだな」
『……アンジュは聞こえると思うよ、か細すぎて聞き取れないだけ』
2人は呑気に話しているが、ウィルはそこまで虫が得意ではない。こんな仕事しているから慣れてはいるものの、自分の体にくっついているのが分かっているまま放置するほど好きではない。
ウィルの表情を読み取ってのか、とりあえずアンジュはハナカマキリを自分の掌へ移した。
「とりあえずパレードが終わるまでは待ってよ」
アンジュの掌でハナカマキリは威嚇のポーズを取っているが、特にそれ以上何かしてくるわけでもない。
「攻撃して来ないな」
『虫とはいえ神獣だよ。無闇矢鱈に攻撃しないよ。ぼくは天敵だから、ぼくと話す気はないみたいだけど』
同じ神獣でも話す話さないはあるらしい。自分が崇める者が、自分の命を狙う者と仲良かったら失望するだろうという説明に納得した。天敵の神獣とは言葉を交わすことは、同族に対する裏切りであるということだ。
とはいえ、パレードの途中だ。アンジュは手のひらに乗せたままパレードを練り歩いていた。度々人の近くを通るとそれは何かという質問を受け、アンジュは花の神様ですと返していたが、天然な人間だと思われて可愛いと笑われていた。
「これはなんていうのが正解だと思う?」
「何に言っても、パレード中にハナカマキリを大事そうに乗せてる変人にしか見えない」
今日の非現実的な衣装のせいで神秘的にも見えるのもあるし、アンジュの両の手のひらの上で威嚇のポーズをしているのが決めポーズをしているように見えるから、余計御伽噺の人に思えてくるのだ。
「……こうなったらとことん御伽噺の登場人物になりきるか」
「それやられたら俺が吹き出す。……カマキリ任せて悪いけどさ」
「俺いまだに声が聞こえているわけじゃないんだけど、身振りでなんか言ってることわかる気がするんだよな」
「本当に御伽噺の人間じゃん」
「“ウィルのところに行かせろ”って」
「それはアンの声じゃなくってか?」
「ウィルが思った方が正解でいいよ」
ウィルは批判めいた目をするが、ハナカマキリに視線をやった。すると、カマキリは威嚇のポーズを和らげた。
「あー、うん。そんな気がしてくる」
それでも、アンジュのように持つことはできず、パレードが終わるまでウィルはアンジュに任せた。アンジュが時々魔法で花を作って人に渡して歓声を受けたりしていたが、その手の上にいるハナカマキリの方がウィルは気になって仕方なかった。
ーーー
「時折、何を話していたんだ? すごく楽しそうだったけれど」
パレードが終わって、歓談の時間にディラン夫人が五星士たちに話しかけてきた。花の神獣であるハナカマキリの話をすると仰天していた。
「虫にも神獣というのが存在するのも驚きだが、神獣がそうやって司るものがあるというのも驚きだ。新しい話ばかりだ」
「そ、そうですよね」
ウィルの数ヶ月前だったら、ディラン夫人と同じように驚いただろう。しかし、それ以上の不思議人間が隣にいるので驚くことが大分減ってきた。
「ふむ……、それで、神獣は何かを訴えているのか?」
「クルルはダメか?」
アンジュが首傾げているのでウィルはクルルに尋ねたのだが、クルルはバシッと羽でアンジュの頭を叩く。
【ダメって言っておいて。アンジュとそんなに関連のない人に話せるって思われたくないからさ。】
クルルのテレパシーのようなものは伝えられる相手がアンジュかアンジュ以外かにしか分けられないようだ。
「……クルルはダメらしい。それに、俺も全然」
「魔法使いは鳥と話せるのか」
「た、偶々」
ディラン夫人がそう勘違いするのも仕方ない。
「しかし、この方が伝説の花の神か」
【絶対違う。】
「違うようです」
「ほう、何故?」
納得される理由なんて見つからなかった。
「魔力が若いようです」
苦し紛れに言ったそれを、ディラン夫人はアンジュが魔法使いであるからそういうこともあるだろうと頷いたので、アンジュの方が面食らった。名残惜しそうにしていたが、彼女は他の来賓と話す必要があると一度その場から離れた。去り際に終わったらまた話そうと残した。
『彼を持ち帰るわけにはいかないのだから、どうにかして話を聞けないかな』
「……頑張ってみるよ」
やり方は分からない。クルルも森神もアンジュから話しかけたわけではないから、参考にはならない。
ただただハナカマキリを凝視して、それだけに集中した。どのくらいの時が経ったか分からない。アンジュがもし永遠とは何かと聞かれたらハナカマキリの言葉を聞き取ろうとすることと答えるくらいには時間がかかった気がしたが、太陽の位置はさほど変わらない。
ふと何かがピーピー騒いでいるような気がした。
「……もしかして、これか?」
モスキート音のような小さな音だ。
『頑張れ! もっと音を増幅させるように魔力を仕向けるんだ』
「聞いたことがない、そんなの」
『メガフォンは大きくことが聞こえるでしょ』
「でも神獣のそれは実際には声でないよね」
音ではないのに、音を増幅などクルルは意味わからないことを言う。
『音ではないけど、意外とイメージは近いよ』
クルルを信じてメガホン、手を耳に当てる、口に手を当てる、音が大きくなる方法をありったけ想像する。
ピーピー聞こえる音が少しずつ大きくなるのを理解すると、そこからは大して時間はかかることなかった。
【くっそぅ、ずっと無視しやがって。】
クルルの声ではない何かがアンジュの耳でも聞き取れ、アンジュがあっと表情に出すと
「アン、うまくいったのか?」
ウィルが顔を覗き込んだ。カマキリの荒っぽい口調にも驚いていたので、言葉も出さずこくこくと頷くしかなかった。
【はー、どうやったらうまく抜け出せんのかねぇ、俺様は。】
あまり頭が良さそうな話し方をしていないが、あのと声をかけた。
「ようやく声が聞けたんだけど、話聞かせてもらえる? 今まで無視していたわけではないんだ」
【……ん? 今俺様に声をかけている?】
「そうだよ」
すると、ハナカマキリは嬉しそうにまたポーズを決めた。
【無視してたのかと思っていたぜ。】
「結構集中しないと聞こえなくて」
【そー言うものなのか。他の種族と話したことねえから知らねえや。】
「クルルがきみに話しかけていたみたいだけど」
【クルルというのは、お前の肩にいる鳥か? 虫の中でも俺様の担当範囲は鳥が天敵な奴らが多いから、その神獣と話しちゃいけないんだ。】
ただの個人だったら別種族だろうと天敵だろうと問題ないらしいが神獣同士だとそうもいかないという。
「それで虫の神獣である神がウィルの肩に乗っていたのは何か理由があるのか?」
【ふふん、好きになったからだ!】
「え」
『この虫の好きってあの恋って奴?』
驚いた反応をしつつもすぐアンジュは受け入れ、クルルは本当に? 疑う。
「ウィルって虫にもモテるんだな」
「えっ、何、何の話!」
「虫の神獣が、ウィルのことを愛しているんだって」
「は、えっ? クルルの発言ってそう言うこと?」
『そりゃそういう反応になるよ』
他人に好かれて悪い気をする人間は中々いないが、虫に好かれて嬉しい人も中々いない。アンジュだったら普通に嬉しいのだろうかと疑問を持ちながら、神獣に対して嫌だと言う言葉もウィルは口に出せない。
「えっと、でも、何で俺……」
『素直に断っても大丈夫だよ。他種族だから、攻撃さえ加えなければ』
【俺様は強いぞ、最強なんだぞ!】
「ウィルにきみの声は聞こえてないんだ。強いぞってアピールしてるけど」
『……ぼくの想像よりずっと若そうだ』
アンジュが丁寧に虫の声をウィルに伝えると、それだけでも、クルルの若そうだと言っていることが分かる。
「何歳なんだ?」
【16!】
「俺と同い年?」
『永い時を生きる神獣だからなぁ、普通の人間の年よりももっと幼くなるね』
発言を聞くに人間の7,8歳くらいだろうか。神獣に性別らしい性別がないくらいだから、恋愛においても年齢というのも殆ど関係ないのだろう。
『いや、歳というより脳が小さい虫だからか』
「神獣なのに?」
『神獣は、その種族の普通なものたちと違って頭は確かに良い。でも、やっぱり種族の壁は超えられないよ。こんなに頭のいいぼくだって人間の使う計算は苦手だ』
それから、思い立ったようにクルルは続ける。
『神獣が人に恋に落ちる理由に、人が賢いからおしゃべりが楽しいってのはあるかもね』
「俺は何も喋ってないけど?」
『あれ、本当だ』
そうして、一柱と2人の視線が虫の神獣に注がれる。
「どうしてウィルに惚れたんだ?」
【俺様の話か。それは勿論雰囲気だな!】
「何と言ってる?」
「雰囲気」
どうにかして断りたいウィルは頭を抱え、アンジュは質問を変えた。
「きみがウィルを知ったのはいつ?」
【あのお前たちがいたでかい家で、着るものに頭を悩ませていた時。】
「その時にウィルの何に惹かれた?」
【んー、なんというか、皆がきゃらきゃらと楽しんでいる横で1人悩んでたんだよな。】
「ん、悩んでた」
【だけど、だからと言ってそれで他の奴に当たることはなかったし、お前たちが話しかければにこやかだった。その雰囲気がいい。】
凄く短い時のことだったとしても、それは確かにウィルの本質を表している。アンジュは、虫の神獣のいうことに全面的に同意してそのままウィルに伝えた。
「なっ」
ウィルは、言葉を失った。初対面の時とは違って、ある程度気心知れてきたアンジュから言われるのも恥ずかしさをました。
【どうなんだ?!】
「恥ずかしがっているだけで、褒められたことは喜んでいるよ」
【おう!】
『でもさ、いくらウィルが好きだと思ったところで、アンジュがいなけりゃその言葉ひとつも伝えられないのに、迷惑でしょ』
クルルの厳しい言葉は聞こえているはずだが、それには何も返さない。
【いい奴だなって惚れるならコイツだって。】
「惚れなきゃいけないみたいな言い方だな」
【だって神獣を止めるには、人間と結婚しないといけない。】
アンジュはそこで冷めた気持ちになった。虫の神獣は尊大であり、かつ神獣を辞めたいという同情すれど自分勝手な理由に、ウィルを利用するような発言に嫌悪した。
『最低』
クルルの冷たい言葉が正論だとアンジュは同意した。
「祭は楽しんだろ? そろそろ森に帰った方がいいんじゃないか?」
【何だと、急にどうした。】
『アンジュもウィルのことは大好きだからねぇー、そりゃあ利用するようなことを知ったら嫌悪するに決まってるじゃない』
【嫌だぁ、俺様は後どれくらい生きればいいんだよぅ。】
『まだ16しか生きていないのに』
「な、何がどうなっているんだ」
アンジュとクルルの発言以外追えてない当事者のウィルは、なにかしらウィルのことを利用しようとする発言があったことくらいしか分からなかった。だから、珍しくアンジュが本当に怒っていることも。
『ま、好きだって言いながら、相手に合わせる気がない時点で、戯言だよね』
嫌悪しつつもアンジュが膝をついて丁寧に地面に降ろそうとすると、ハナカマキリは体以上のカマでアンジュの手を切りつけた。それは運悪く手首の動脈を切り、どくどくと溢れる。
【俺様は神獣だぞ!】
『お前!』
「アン、大丈夫か!」
アンジュを傷つけられたと知覚するや否やクルルは魔法を唱えて、油断していたハナカマキリは魔法の風で遠くへと飛ばされていった。
「え、あ、あんなことしてクルルは大丈夫なのか」
『雷使ってないから大丈夫。アンジュは?』
「すぐなおした。服も」
ウィルはアンジュのいう通り傷が既に治っていることを確認すると、心を撫で下ろした。あの時ハナカマキリを振り払っていたら、そうなっていたのは自分かもしれないと思うと、申し訳ない気持ちがあったからだ。
「あんまりついていけてなかったんだけど、カミサマは何を言ってたんだ?」
「神獣を止めるには人と結婚するしかないから、惚れるならウィルがいいって言ってた」
「好きってわけじゃなかったのか。助かった」
好きを全面に押し出した者をすげなく断ることができるような人間じゃなかったウィルは、断りやすくなって助かったと言うが、アンジュはそうじゃなかった。
「生きる時間が違うのに、自分の利益のためだけにウィルを犠牲にしようとしたんだよ」
「何でアンが泣きそうになるんだ、そんな顔もできたのかっていうそっちの方が驚きだよ」
『アンジュにとってミルフィーとリーラの次くらいに大切だからね』
「俺はアンにそんな心配されるほど柔じゃねえぞ。安心しろよ」
「……俺が凄く嫌な気持ちになっただけだよ。ウィルがそれが嫌なら努めて忘れることにする」
「俺のことでそこまで怒ってくれているのは嬉しいけど、俺としては笑ってる方が気が楽なだけ」
『ぼくのせいで恨まれてたらごめん』
「それはどうにかしてくれよ」
「ふふっ」
クルルとウィルが軽快なやりとりを見て、アンジュは思わず声に出して笑った。
「何で笑うんだよ」
「いつも2人の息があって見えるから、面白いんだよ」
『……むっ、ぼくもう少し威厳があるように話すか』
「そんな話し方もできるのか?」
『貴様はいつも余のことを軽視しすぎだ。どれほど永く生きていると思うのだ』
「すげー、クルルじゃねえみたい」
「その話し方で今後やってくの?」
『疲れるからやーめた』
「はやっ」
ウィルはクルルのツッコミをしつつも、一瞬アンジュが暗い顔をしたのを見逃さなかった。かと言ってそれで何かを覆す気もなく、
軽口を叩く。
『虫の神獣はいつもひよっこなんだ』
「いつも?」
『ぼくも全ての神獣にあったわけではないのだけれど、出会ったものは全て若いものばかりだ』
「それって」
『すぐ代替わりしてる』
「それでも神獣の力を持ってるってことは普通のモンスターよりもっと強いよな」
『それはそうだね。でも、ぼくが言いたいのは虫の神獣はいつも精神性が弱いってこと。まだ永くも生きてないくせに勝手に未来想像して絶望してるんだよ。1000年早い』
「それって虫の種族性ってこと?」
『こうなってしまえばそうなのかもしれない。虫は基本的に長生きしないから』
蝉やカブトムシなど幼虫時代が長かったり、女王アリが長生きというのはよくある話だが、この世界の無数の虫の中では僅かな部類だ。
『あと機能的って言うのが、多分あるんだと思う』
「なにそれ」
『神獣である者以外、特に思考しないってこと。植物寄りみたいな』
「つまり、話し相手がいなくて寂しくなるってこと?」
『まあ、そうだね。ぼくのような鳥類っていう大枠しかない神獣もいるけど、多種多様な虫は決して神獣も一意にはならない』
「確かにクルルって何の鳥と言われると不明だなぁ」
『ま、虫のことなんて鳥や人間が頭を悩ませても無駄だよ』
ただクルルに吹き飛ばされて頭が冷えてくれればそれでいいのだけれど、そうは問屋は が卸さない。歓談の時間を終えて、引っ張りだこだったルサリィと共に露店を見に行った折だった。
あの声が聞こえて振り返った。
【さっきはよくもやってくれたな!】
ルサリィとウィルには聞こえないものだから、アンジュだけが人混みの中で止まってしまった。しかし、いくら見渡してもハナカマキリの姿はない。
【どこ見てやがるこっちだ。】
「えっ」
それはアンジュの目の前にいたのだが、ハナカマキリはおらず、はっきりとした翅の模様があるアサギマダラという蝶がひらひらと飛んでいた。
「まさか虫の神獣の」
【うわ、執念深い。早くルサリィたちのところに帰ろう。】
アンジュの頭を叩いて、クルルは翼で指し示す。クルルには形態が変わることくらいは予想済みだったようで、何気にしていない。
【絶対俺様は、人と恋に落ちるんだ。】
【なんだよ、その執念。気持ち悪すぎるよ。せめて人の姿が取れるようになるまで出直しな。】
しかし、クルルの言葉を全て無視するのは変わらない。
【お前は怒ったが、どうすれば人と好きになれる。】
先ほどはクルル以上に怒っていたアンジュだったが、ウィルが全く目の前の神に靡かないということを分かった以上、ただ冷静に答える。
「ウィルは人が好きなんだよ。彼が種族の壁を越えようと思うことはない」
【ちっ。まあいいや、じゃあお前は?】
「本当に人なら誰でもいいの?」
【アイツがよかったけど、話が聞けないんじゃしょうがないだろ。】
【しっしっ、ミルフィー以上の愛を示さない限り、ぼくが許さないよ。】
クルルには何も返さないのに、クルルはずっと虫の神獣に対して抗議を続ける。返さなくても虫の神獣に聞こえているし、何よりクルルが彼の言い分を聞き入れているとアンジュに思われたくないためだった。
「俺も妥協で好かれても……」
と、言葉を話してハッとする。ふと周囲を見ると、虫や鳥に話しかけている変人がいるということに気づいてしまった。そして悲しいことにそれは自分であることも。アンジュが青い顔をしたのに気づいたクルルは
【今こそショーだよ! 御伽噺の登場人物ぶろう。】
と、呼びかける。アンジュが知っている曲はピアノとパーカッションのあの即興のみなのにと思いながら、アンジュは必死に笑顔を作って、花を魔法で生み出したり、鳩を呼んだりと思いつく限りの大道芸をする。
「すごーい!」
「手品?!」
「花の神様だ!」
と、なんとか誤魔化してから慌てて物陰に隠れた。
【お前ってすげー魔法使いなんだな!】
【知らなかったのに、求愛したの?】
「もう勝手にしてくれ」
一瞬でどっと疲れを得た。突然のことでただでさえ下手な魔力の調整がよりうまくいかなかったのもある。
【ルサリィが心配してるよ。】
「俺もそう思う」
ただ今一度喧騒の中に戻れるほどの気力がなかった。その要因の一柱は呑気なものだった。
【俺様も人混み嫌いだぜ。】
「虫の神獣は……、名前なんて言うんだ?」
【名前? 呼ばれたことない。好きに呼べ。】
クルルの方を見やるが、クルルも知らないようだった。
「じゃあ、蘭で」
【何でも。】
今の姿は蝶なのだが、最初に会ったハナカマキリの印象が強かったからつけた名前だった。
「蘭は人混み嫌いなのに、祭の日に人の町にやってきたんだな」
【他の神は知らないけど、やっぱり自分が称えられてるって嬉しいもんだろ。生まれてからこの季節になったらやってくるんだ、この町に】
虫としては何匹も人によって駆除されているが、反対に虫も人を殺したり、共生もできたりすることもあるので、虫の神獣が人を憎むと言うことはないのだと言う。だから、人間のものだったとしても素直に祭を受け入れることもできる。
「虫が人を殺すか」
【簡単ないえば毒虫もそうだし、蚊も生きる上で人を殺すことがあるらしい、っていうのは教わった。】
「誰に?」
【名前は忘れたけど、人だった。】
「でも、蘭は人と話す力を持ってないんだよな」
【そうだなー……でも、あ、そうだ。神獣の子だ。】
「人の神獣?」
【どうだったか……、あれ?】
「どうした」
【神獣の子だと思ったが、人間の神獣ではないと思った。だが、そうなると……。】
「そうなると?」
【人と結婚して子を成しても神獣でいるということが?】
神獣の子エリスは確かに神獣の血筋として生きていたし、神獣ウェンティは死んでいた。神獣として力を失ってもすぐに死ぬわけではないのかと蘭は動揺した。
【神獣の力の失うタイミングはいつかは分からない。でも、自分と違う種族を偏愛したら、いつかは神獣の力を失うというのが正しいよ。】
ずっと蘭は無視をしていたクルルの言葉だったが、それには流石に動揺した様子を見せた。
「他にも神の力を失う原因があるらしいけど、どうして人と恋することに拘泥しているんだ?」
【俺様はポジティブな理由でやめたいんだ。他の虫たちに少しは祝福されるような辞め方がいい。】
「じゃあ、本当に好きな人を探さないとダメじゃない? 妥協で選んだら、祝福も何もない」
アンジュに指摘され、虫の神獣の蘭は盲点だと驚きながら、確かにそれはそうだと深く頷いた。クルルからすればただの浅慮なのたが、願望ばかりか先行して大事なことを見失っていたことに気づいて蘭は感謝した。
その話をして、アンジュは別のことが気がかりになり、クルルの方を見る。
「クルルはその……結構俺のそばにいるけど、それだけでは力を失わない?」
アンジュは大分贔屓されているように感じているが、クルルはいやと首を振った。
【まあまあ、色々あってぼくも全盛期より大分力はないよ。でも、まだ大丈夫。加減しているからね。前にも言ったと思うけど、アンジュが本当に苦しい時、ぼくの力は頼りにならないのが心苦しい。】
クルルにはまるで未来が見えているかのように確信的に言う。
「その未来は本当に来る?」
アンジュの質問にクルルは口を閉ざした。それは消極的に肯定しているようなものだった。クルルは誤魔化すようにアンジュを奮い立たせた。
【ほら、早くルサリィたちの場所に戻ろうよ。】
バシバシと雑に翼でアンジュの頭を叩くので、重い腰を上げる。まだ気は進まないが、ルサリィとウィルが心配してあると思うとじっともしてられない。
【祭は楽しいもんだぜ。いろいろ紹介してやる。】
蝶の姿の蘭は、ふわりとアンジュの肩にとまるとさっさと行けと指示を出す。
「蘭の声がほかの人間には聞こえないんだ。ルサリィたちと合流できるまではあまり話せなくなるけど、ごめん」
【気にしなくていいよ、ただの虫のためにアンジュが人間たちに白い眼を向けられる筋合いはない。】
【おう、了解した。】
クルルは蘭に対して手厳しいし、蘭はまるでクルルをいないように扱っているので、それらの間に挟まれるのも疲れてくる。アンジュは少しばかりメイン通りの様子を路地から確認してから、華やかなその方へ出ていった。
夏なので日は長いが、アフタヌーンティーの時間は過ぎたようだ。アンジュは人ごみをかき分けながら、ウィルたちが進んでいった方向へと歩き始める。
ふと隣に人がいないという状況が、すでに懐かしくなっていることに気づいた。村ではミルフィーが暇ではない限り、他に話しかけてくる人もないし、リレイラ村の近くのラシェルの街でも、連れ立って歩く人はいなかった。だから慣れているはずなのに、軍に入ってからは逃走の可能性があるとのことで、一人で歩くことは禁じられていたため、誰かしらが一緒にいるのが普通だった。
奇妙な気分だった。こうして一人でいると世界から切り取られたように、遠くから人々の様子を覗いているような気すらなる。
露店の売り子の元気な声を聴いては、何があるのかと気になって、しかし、迷惑だからと近づけず、遠くから様子を見る。
【お前はいらないのか、あの飴がついた果物。】
昔、飴売りの前を通る度に、羨ましいと眺めたことがあった。それはいつのことだっただろうか。初めて村の人にお使いを頼まれて街へ行ったときのことだったように思う。今でも世界から隔絶されたような気になることも多いが、その時は今より顕著だった。雑然とした群衆劇を間近で見ているようで、その中に参加しようという心持ちは一切なかった。飴はいらなかったので蘭の提案に首を振った。
感傷に入り浸りながら歩いていると、突然前方から来た人にぶつかった。その女性はアンジュに軽く謝罪してアンジュが何かいうよりも早く足早に人ごみの奥へと消えていった。女性に疑問を持ちながら前に向き直った瞬間、アンジュは蹲った。
気持ちが悪いという程度ではない。身体中の血液が流れなど無視して動き回っていてるような感覚に襲われた。魔力が沸々と湧き立って、今でも勝手に暴れ出しそうだ。
【アンジュ!】
【おい、なんだ、大丈夫か?】
突然蹲って苦しそうにするアンジュを見ていられなかったクルルは大きな鳥の姿になると、咥えて空へと上がった。周囲は大きな騒ぎになっていたが、アンジュと二柱はそんなことを気に留める余裕などなかった。
クルルは街から1番近い林の中で降り立った。街中で祭りというせいか外れの林の中は静かだった。
クルルは精一杯優しく地面に下ろしたが、アンジュは身体中の脂汗まみれで、顔色は青く、呼吸も絶え絶えとなっていた。
【ど、あ、なんだ、こりゃあ。】
クルルは困り果てながら、アンジュの体を観察した。すると、胸の辺りにある魔術式が動いているのに気づいた。
【魔力を狂わす魔術式?!】
クルルは頭を抱えた。人間が作る魔術式の解除ほど難しいものはない。魔術式を無理やり物理的に壊すという手段は、今回アンジュ自身につけられてしまった為にできない。
アンジュは意識が朦朧とする中、クルルの発言が聞こえた。かつて森神につけられた魔術式と同じものなのだろう。しかし、苦しくて考えるのも億劫だ。少しの救いを求めて、アンジュは近くの木に手を伸ばした。木の魔力はいつも穏やかで静かなので気休めになるのだ。それで漸くアンジュは口を動かした。
「ごめ、み、ず」
【み、水だよね!】
クルルは慌てて水を魔法で出すが、ただ出しただけなので、元気ではないアンジュはそれを眺めることしかできなかった。
【お前ばかだろ。】
蘭は蚕の姿になると、即席で繭を作り出し、顔出して穴を開けた。
【人が作るようなものじゃねえが。】
再び蝶の姿に戻り、クルルの出した水を汲むと、アンジュの口元に持って行った。繭の隙間から少しずつ漏れる水を蘭は飲ませた。
「あ、がと」
【ふふん、俺様天才。】
それを見たクルルは、焦燥感で一杯になった頭が少しは冷静になった。
【ぼくはウィルを探してここに来るよう言うよ。それからあの女をとっ捕まえる。】
蘭は返事しないし、アンジュは多少瞳が動いただけだったが、クルルは空へと舞い上がった。
アンジュの状況が酷いことくらいは、種族が違えど、蘭にだってよく分かっていた。ただそばにいることしかできないというのは歯がゆく、じっとしていられない。幸いここは林で、蘭の知り合いの虫はたくさんいる。見るだけならば彼らでもできるので、蘭もクルルとは違う方法の解決を探すことにした。
【暫く離れるけど、何かあればすぐ戻ってくる。虫たちが見てくれてるから、すぐに気づく。それに、そんな遠くにはいかない。】
アンジュはやはり瞳を動かすくらいで、はっきりとした答えをしなかったが、その場を離れた。
苦しくて何も考えられないのに、一人(実際には蘭の知り合いの虫たちがいるとしても)になったという事実だけは、アンジュは理解した。彼らがアンジュのために奔走しているというのは、なんとなく理解していても寂しく、心が折れそうになる。それすらも嫌になってこのまま狂って消えてもいいような気持ちが湧く。朦朧とした頭はくだらないことしか考えられない。しかし、魔力の暴走が起き、死と共にここら一帯を焼け野原にしそうな感覚があって、それはできないと言う僅かな理性がアンジュを繋ぎ止めていた。
「ちょ、ちょっと待った。ごめん、遅くなった」
突然人の声がして、アンジュが瞳を開けると、そこには人がいた。トリパスの街にいたあのマントの魔術師である。夏なのに相変わらず厚いマントを着ていて、深くフードを被った彼の顔はよく分からない。
「……あの子がごめんね! まさか僕の魔術式を奪うなんて思ってなかった」
魔術師はアンジュに駆け寄り、アンジュに貼り付けられた魔術式を見て解除を二、三度試みるが、その顔は険しい。
「ちょっと待ってね、文献探す!」
すぐに諦めたかと思ったら、彼は一瞬姿を消すと、すぐに両手一杯の古い本を抱えていた。
「きっと解除方法もあるから!」
と本を開き始めるが、本を読み慣れている様子ではない。
「このどこかに情報があるっていう確信はあるんだけど……、少しだけ手を借りていい?」
魔術師の彼がアンジュに触れると、少しだけ身体が楽になった気がした。
辛い体をおしてアンジュは這うように本に手を伸ばした。アンジュは一つ一つ本を見てから、漸く一つを選んだ。
「ありがとう!」
彼はそれを受け取るとバサリバサリと勢いよく本を捲りながら、ああそうかと頷いてアンジュに使われた魔術式野記載のページを見つけ出した。彼がそれを見て魔術式の解除の式を書き入れながら、話し始めた。
「覚えてないわけじゃないんだけど、僕は記憶がありすぎる。だから、正しいものに辿り着くのに時間がかかる。人の名前もたくさん覚えているのに、どれが自分の名前か分からないんだ」
少し声が出るようになったアンジュが尋ねる。
「どんな名前を持ってる?」
「そうだなぁ、スイ、エル、シン、ウェン、ジェームズ、セシル、ユーリ、ヤコブ、ジョンソン、フランシス、クラウス、ガーネット……まあ、様々だよ。皆はそういうのは自分のではないんじゃないかっていうんだよね。きみは好きに呼んでくれていいよ」
「……スイ」
「ふふ、じゃあ、スイで! これから僕もそう名乗ろう」
スイと呼ぶと彼は嬉しそうに鼻歌を歌う。トリパスの時に感じた彼への恐怖心は、今日は薄れていた。彼があの時の狂気的な雰囲気がなくなっているせいなのかもしれない。
「ねえねえ、キミの名前は?」
「……アンジュ」
「そっちじゃないって」
「……じゃあ、好きに呼んでいいよ」
本当はリーラがくれた名前以外アンジュは望んでいなかったが、彼の様子に絆された。キミの名前ねと言うとマントの彼は嬉々として悩み始めた。
跳ねた水音が聞こえた。
いつのまにかアンジュの暴れ出しそうな魔力は落ち着き、平時の自分に戻っていることに気づいた。その先にはあの魔術師の赤い瞳が覗いていて、にこりと笑った。
「エル」
神に使える聖女のような慈悲深い笑みを湛えて彼はアンジュを呼んだ。
「解除成功だ、良かった」
アンジュ以上にスイは喜び、アンジュに抱きついた。
「もう少しエルといたいんだけど、あの子を追いかけないと。悪い子じゃな……いや、悪い子ではあるんだけど……悪い子だからか、悪い子で何しでかすか分からないから、追いかけないといけなくて」
そうして名残惜しそうにして離れる。
悪い子という割にスイは嫌いではなさそうな様子ではあったが、悪いことへの信頼も厚いようだった。
「またね、エル。またすぐに会おう」
そういうと彼は目の前から姿を消した。アンジュは一方的に話す彼に圧倒され暫く放心していたが、腰を上げた。もう体は良くなったのだから探しに行こうと思ったが、ここでアンジュが離れたら、揃うのがさらに難しくなる。
「蘭、聞こえてるか?」
虫たちがたくさんいる林で尋ねてみるが、しーんと静まり返っていた。聞こえてないかと少し落胆をした時、ブーンと羽音がなる。
【待たせたな! 元気そうじゃねえか!】
目の前にいる女王蜂から蘭の声がする。
「蘭は色んな虫になれるんだな」
【おうすごいだろ。何にでもなれるが、何にもなれないんだぜ。】
その力を自慢しながら、自嘲する。蘭が抱える疎外感はアンジュも理解できる気がした。
「だから、人の伴侶が欲しいんだね」
【……そう、だな。】
自信満々だった彼が、突然歯切れが悪くなった。
「どうした?」
【……俺は自分の死のことしか考えていなかった。こんな俺でさえたくさん虫が死んでいくのを見ていたから、見慣れたことだと思ってた。でも、よく考えてみりゃあ、俺はあまり深く虫たちと関わってきたわけじゃなかった。どうせ皆先に俺より死んでしまうんだろうって思って浅くしか関わらなかった。虫の神獣なのに。】
「俺が死にかけて動揺した?」
【あの鳥がいたときは俺は冷静だった。俺以上に動揺している奴がいたから。でも、奴が抜けて一人になったとき耐えきれなかった。】
死にゆく人だって何度も見てきた。それもなんとも思わなかった。しかし、深く他者と関わろうとした初めての相手がこうなって、これからのことが怖くなった。
「でも、まだ俺で良かったな。本当に惚れた相手だったら、もっと悲しかったし辛かっただろう」
【今回でも辛いのに、これ以上なのか? 俺はこの先どう生きていけばいいんだろう。】
最高の死に方を選ぶために人の伴侶を見つけるという目標があった。それだって元々は自分が深く傷つくのが分かっているから、その目標を立てたのだ。結局傷つく羽目になる。アンジュはクルル曰く若造の気持ちがすごく理解できると思った。
「それはね、俺も分からないよ。俺が記憶を無くして色んな人に迷惑をかけているって分かって自分でも心苦しいんだけど、それを知るのは怖くて苦しいんだ。どうやって生きたいくのがベストなのかが俺にもわからない」
蘭はアンジュの話を静かに聞いて頷いた。
【どこかで絶対に傷つくのならば、1番自分が納得できる傷を選びたい。】
「ん。そうだね」
蘭は逡巡したのち、口を開いた。
【もう少し人じゃなくって虫たちと深く関わってみようと思う。神獣として。】
「うん、きっとそれがいいよ」
と、アンジュは蘭の発言を肯定しながら、自分はどうだろうかと思った。少し悩んだところ、まだ迷惑をかける方が、自分は生きていける気がした。
「おーい、アン。どこだ?」
遠くからウィルが呼んでいる声がして、アンジュは力強くそれに答えた。その声を聞いてウィルはやってきたが、無事なアンジュを見て安堵していた。
「あのクルルが焦って来て、何か伝えてるのは分かっても何言ってるのか全く分かんねえし、なんとか筆記で伝えてきたけど、鳥視点で分かりづらいしで結構大変だったんだよ。でも、なんか解決したっぽいな」
アンジュの魔力が暴走しかけていたせいで、クルルの声はウィルに届かなかった。サンセット・ブリッジの魔力欠乏状態の時とは違って、酷いノイズが走ってウィルは頭痛がするくらいだった。
「ウィルと初めて行った任務で森神に貼られていた魔術式覚えてる?」
「ああ、あの邪悪な奴な。……それがお前に?」
「本気でここら一帯を巻き込んで死ぬかと思った」
「……解決して良かった。顔色はまだ悪いけど。それにしても、クルルでも解除できなかったんだろ? 何があった?」
ウィルにとっても初めて神獣に邂逅した任務であるから脳裏に焼きついている。極彩色の猪が森中で暴れ回り、目の前のアンジュが血まみれになりながらも魔術式を解除したかとも。
アンジュはウィルに包み隠さず全てを話した。不思議な魔術師が記憶がぐちゃぐちゃであると言うことも全て。
「……記憶がありすぎる? 怖いんだけど、それってソイツがアンの記憶も持ってるってことじゃねえのか?」
「そうなのかもしれない。だから、彼は喜んでいるのかも。俺は逆で、彼に会うのがとても怖い」
「クルルのいう『彼』ってそう言うことだったのか……」
「クルルの話?」
「いや、なんでもない」
ウィルは、初めて会った時のクルルの話がいつも頭の中にある。アンジュの記憶を取り戻すトリガーはいつも「彼」が持っているという話だ。
アンジュはそれを知る由もないから、自分の話からウィルに惚れていた蘭の決着について話した。ウィルはアンジュの肩に止まっている女王蜂が気になってはいたのだが、それがあのハナカマキリだとは思わなかった。
「それで蘭は……、虫の神獣はもう少し自分の種族のことを目に向けるって」
「そうか、良かった」
ウィルにとっては、言葉も交わしたことがない虫の話だから、大きな話ではないのだけれども、アンジュが気にかけている様子だったから深くは突っ込まず、ただ相槌を打つ。
【迷惑かけたな! でも、ありがとう。】
その言葉を伝えられても、それはアンジュに言って欲しいとウィルは答えた。
彼に別れを告げて林から出ると、ちょうど遠くからクルルとルサリィがやってきた。
『わあー、良かった無事でぇ!』
「ああ、良かったわ」
クルルはいの一番にアンジュに抱きつくように飛んできた。クルルの方はルサリィと協力して例のぶつかってきた女を捕まえに行ったのだが、その女がエリスだったことが分かったところで何か違う力によって逃げられたとのことだった。
『逃げられた時は流石のぼくも青ざめたけど、ルサリィとまともに話せることに気づいて、アンジュが無事であることを確信したから余計には追わなかった。魔術式が解けたのは蘭の功績?』
「ああ、いや」
と、アンジュが事の顛末を話すと、クルルの動きが止まった。
『記憶がありすぎる、スイとエル?』
「どうかした?」
クルルはわなわなと震え、アンジュに対して叫んだ。
【ぼく、ごめん、すごくすごく大きな思い違いをしていたんだ。】
「思い違い?」
【ちょっと、本当に心苦しいけど、行ってくるね! 帰ってくるから待ってて。】
クルルは間髪入らずに、上空へと舞い上がった。アンジュは一瞬のうちは呆気に取られていたが、つんのめりながら追いかけようとしたのをウィルが止めた。
「どこに行くんだよ!」
「でも、クルルが!」
ウィルとルサリィに声は聞こえてないから、何故アンジュが動揺したのが分からなかった。今までだって何度か神獣としてやることがあるからとアンジュのそばを離れたことなんていくらでもある。
「クルルが、確かめに行くって」
「何を?」
「分からないけど、『前』もああ言って帰ってこなかったんだ」
「前って?」
アンジュが最近の話をしているわけではなさそうなのは分かっていたが、それでもクルルはアンジュと一緒にいたので分からない。
「そんな事ないって、一瞬離れることはあってもクルルはお前のそばにいただろ」
アンジュは幼子のように首を振った。
「大丈夫だって、俺らが一緒に待ってやるから」
ウィルが努めて優しくアンジュを宥めると、アンジュは唇を噛み何かを振り切ったように顔を振り、追いかけようとして体に入っていた力を緩めた。
「ごめん、ありがとう」
「冷静になったか?」
「そうだな」
2人のやりとりを見守っていたルサリィが、双方の方に手を伸ばした。
「帰って来ないことがあったのは怖いわね。私もまだ聞きたいこともあるから、ずっと一緒に待つわ」
「……ありがとう」
アンジュは微笑もうとして無理しているのも2人は何となく気づいていたが、それを指摘したところで、更に彼が気に病んでしまうことも分かっていたから2人も納得したような素振りを見せた。
ウィルが振り切るように話題を変えた。
「それにしても、今日はびっくりなことばっかりだったな。2人は超人かと思うくらい綺麗な恰好していたし、虫の神獣にも好意を示されるなんてさ」
「その話少ししか知らないわ」
「ルサリィは殆ど他の来賓と話してたもんな。俺は当事者なんだけど、虫の神獣の声が分からなくて全部アンとクルルの伝聞なんだよ」
「それでも、神獣に好かれるんだものね。さすがウィルだわ」
「性別は神獣にないっていうんだけど、アンが話す感じ男っぽくってそれもびっくりしたな。本当に性別なんてどうでもいいんだなって。」
「蘭は口調は男っぽいけど、見た目は全部メス寄りだったと思うよ」
「……え?」
アンジュが伝えるとウィルは思考を一瞬止めた。
「だってアンが『俺様は最強なんだぜ!』って言ったって」
「その口調でも女子の時もあるし……」
「まあ、女子だったところで虫の時点で俺は恋愛なんてできないんだけどな。人間だって意思疎通が取れないやつを好きになったりしないし」
その話を聞いて、やはりミルフィーは特別な人間なんだとアンジュは思った。6年前のアンジュは、ろくに言葉も話さなかったし、応答すらなかなか返すことは無かった。ミルフィーがいなかったら、ウィルやルサリィたちと仲良くなることは不可能だった。ルサリィはミルフィーもたくさん貰っているというが、アンジュ自身が受け取ってる方が多すぎる。
ミルフィーにとても会いたかった。




