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星の泉  作者: 詩穂
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14話 赤い家③


 ルサリィとアンジュが掃除で疲れて宿屋に戻ってくると、宿の娘が陽気な歌を歌いながら飛び跳ねていた。2人に見られると、慌てて宿の奥へと逃げていった。



 制服を脱いで、夕食のために食堂へ入ると、楽しそうだった外とは裏腹に、まるで葬式のようにしじまが広がっていた。人がいないわけでもなく、ただそこにいる皆が静かにご飯を食べている。響くのは食器と僅かに擦れるカトラリーの音のみだ。

 不気味だ。昼間はほとんど止んでいた雨が、再び強くなり窓ガラスを叩いている。


「…何があったんだろう。」


 ルサリィもそう思っていたが、先に声に出したのはアンジュだった。2人を席に案内した主人もなぜこんなに静かなのかは分からないと首を傾げていた。


「そういえば、まだオリバーは来てないね。夜も食べなかったし、部屋で食べているのかな。」

「そういえば、そうね。」

「いえ、私たちは体調不良といった特別な事情がない限り、ルームサービスは行っておりませんし、そのようなことはお伺いしてません。」

「昨日オリバーの部屋を整理した時に大体の荷物を見たけれど、食べ物はなかった。流ふ石におかしくないか。」

「10時から3時までの間は部屋を掃除しに入るんじゃないかしら。」

「いえ、『入るな』の札がドアノブに掛かってので…。」

「じゃあ、一度も会っていないの?」

「はい、そうですね。」


 あれだけ騒いだから、顔を見せられないとは言っていたが、宿屋の人に一度も会わないということができるのだろうか。


「ちょっと俺、オリバーの部屋に行ってる。」


 どうしても1人で顔出しづらいなら、連れてくると足早に食堂から出る。1人になってすることもなくなったルサリィが職業柄つい周囲を見まわして気づいたことがある。全員見かけたことがある客ばかりなのだ。それをルサリィのグラスに果実酒を注ぎに来た主人に尋ねる。


「マスター、今日は新規のお客さんいらっしゃらないのね。」

「ええ、そうですね。本日は連泊のお客様しかいらっしゃらないので。」

「あら、そうなの。それって珍しいのでは?」

「そんなことないですよ。辺鄙な町なので、宿としてはまちまちです。」

「あら、素敵な宿屋だからお客様もひっきりなしに来るのかと思ったわ。」


 この宿は安いわけでもないが、高すぎるということもない。値段の割にとても丁寧なサービスをしていると思うが、宿場町程利便性もないこともあるようで人は少なめだ。昼のうちにチェックアウトをした人もいて昨日よりも人が少ない。


「だからなのかしら。」


 それにしても、妙に静かに思うのは、軍の食堂は賑やかだからだろうか。


ーーーー


 ギシッギシッという音をたてながら、アンジュは階段を登る。日が落ちてぽつりぽつりと置かれたランプが唯一の光源のため、廊下はとても薄暗いが魔法で照らすほどではない。


 トントントン、トントントンとオリバーの部屋の扉を叩いて名前を呼ぶが、なんの返事もない。どうしたものかと耳を戸に当ててみるが、中から音は聞こえない。一度も顔合わせないのは不安だが、魔法で戸を開けるのは流石に気が引ける。主人に話を通そうかと一度振り返ると、宿の娘がアンジュを訝しげに見ていた。


「おにいさん、そこの部屋がどうかしたの?」

「んー、この部屋の人昨日の夜から姿をなくて、中で何かあったんじゃないかと思って心配で。」

「おともだち?」

「え…、どうだろう。昨日少し話しただけ。」

「そんなの全ぜんお友だちじゃないよ。それなのに心ぱいなの?」

「そうだよ。」

「へんなのー。」

「変じゃないよ。」


 友達では無ければ心配しないなんてそんなことはないだろう。道端で人が倒れていれば、例え助ける行動に移さなくたって心では心配する人が多いはずだ。


「なんで?」

「分かる時もあるよ、きっと。」

「分からないときもあるの?」

「あるよ。」

「へんなのー。」


 それは口癖なのだろうか。アンジュの言い回しこそ変であったとしても、内容はその通りだろうとアンジュ自身は信じているが、幼い少女にそれが伝わりそうにはなかった。


「あたし昼間に見たよ。そこのへやの人。」

「何かしていた?」

「んー、知らなーい。」


 興味はなさそうに彼女はそう言って去っていった。

 もう一度だけ戸をたたき、彼の名を呼んでも物音ひとつしないので、アンジュは諦めてルサリィの待つ食堂へと戻った。


ーーー


 ルサリィはアンジュが1人で戻ってきたのを見て、オリバーに断られたものだと思ったが、話すことができなかったと聞いて、不安に思った。


「大丈夫なのかしら。」

「あまりいい状況とは思えない。後で、主人に話して開けてもらおうかと思って。」

「そうね、私たちにそこまで赦してくれるか分からないけど、聞いてみないと。」


 2人は急いで夕食を食べ終わると、給仕に来た主人に声をかけ、中を開けてもらうように頼んだが、主人は難色を示した。


「マスターの配慮は良いことだと思うんですが、心配で。彼は精神的にかなり参っていたので、尚更。」


 彼が心配していることに間違いはないのだが、普段のアンジュよりかなり感情的でルサリィは芝居のように見えた。しかし、それを知らない主人はその説得で、仕方ない、確かに心配だと頷いた。


 オリバーの部屋の前に着くと、主人は腰元に下げている鍵束からオリバーの部屋の鍵を探した。


「部屋の合鍵はずっとマスターが持ってるんです?」

「そうですよ。防犯のために、寝る時も私がきちんと管理してます。」


 十数本ある鍵の中からすっと選び、もう一度オリバーの返事がないことを確認してから主人が鍵を開けた。


 扉を開けてまず目に入ったのは、おびただしい赤色。その赤い色を辿っていくと、ベッドの上で横たわるオリバーの変わり果てた姿だった。仰向けに寝転がっている彼の喉元に光る銀色のナイフが、彼の命を刈り取っていた。3人はそれを認識して言葉を失った。主人がひいいと腰を抜かして後ずさると、ルサリィは動揺しながらもすぐに冷静さを取り戻した。その横でアンジュが顔色ひとつ変えることなく、オリバーの遺体にすっと近づき呼吸がないことを確認すると、目を開かせて魔法の光で照らした。


「な、な、なにを。」

「瞳孔は開いているし、光に対する反射もない。亡くなってる。」


 アンジュは部屋を見渡すが、昨日アンジュが魔法で綺麗にした時から、特に大きな変化はない。


「窓は小さなはめ殺しが2つと、鍵がかかってるのが一つ…侵入した形跡はない、か。」


 オリバーの部屋の窓の下は庭園で、昨日の嵐でぬかるんでいる。窓から中に侵入してきたのであれば、もう少し形跡が残ってもおかしくはない。部屋の扉の鍵も綺麗で、ピッキングされた形跡もない。


「…とりあえず、このままにはしておかないから、町の駐在さん呼んでくれないか。」


 主人は転がるように立ち去って出て行った。ルサリィはアンジュに近づくと不安そうに見る。


「この不審な死に方、やっぱり相手は人じゃないってことよね。」

「…少なくとも普通の人では、こんな綺麗な密室を作れないと思う。めちゃくちゃ頭がいい人がトリックでっていうのはあり得るのかもしれないけど、オリバーはそんな方法で殺されるような人ではない…って思う。これから起こる疑心暗鬼のための布石として使われた―――と考えるのが俺たちは良さそう。」

「…ええ、私もそう思う。これを理由にどう事が転ぶか。」

「この状況を作った奴は俺に罪を着せたかったように思える。」

「…確かに…この密室はアンジュなら簡単に作れてしまうだろうけど、それなら尚更変よ。密室にしないほうが、アンジュは疑われないもの。」

「ルサリィはそうかもしれない。」


 アンジュとルサリィはほとんど一緒にいたし、アンジュがオリバーを殺すような人間でないことも知っているが、町の人間たちはそうではないだろう。


「アンジュ。」

「俺のことは心配しないで。リレイラの村でなにか物が失くなったとき真っ先に疑われるのは俺だから、慣れてるよ。」

「そんなのに慣れないで。…貴方も傷つくことに慣れてるのね。」

「違うよ。皆が俺を疑いたくなる理由が分かるだけ。立場が違ったら俺も絶対俺みたいな人間を疑うよ。だから、仕方ないって思えるし、犯人見つけないとって思う。」


 2人が話し込んでいるうちに、主人の剣呑とした様子をおかしいと思った宿泊客たちが、部屋の周囲に集まってきた。アンジュはハンカチをすっとオリバーの顔にかけ、やじ馬たちを部屋に入らないようにと押し出した。


「し、死んでる?!」


 凄惨な現場を少しでも見た人間が声を上げた。人の恐怖心は伝播しやすく、きゃあと一人の宿泊客が悲鳴をあげる。


「皆様、落ち着いて!」


と、ルサリィが、声を張るけれども、彼らに聞き耳をもつ余力はない。アンジュは剣を抜くと、ガンっと大きな音をたてて、床に突き刺した。客らはその物音に驚いてアンジュのほうを一斉に向いたところを、ルサリィがもう一度続けた。


「皆さま、落ち着いてください。私たちは王都から派兵された、王国軍・五星士です。この件は、私たちが責任をもって対処いたします。一度皆様食堂へ戻ってくださりませんか?」


 ルサリィの落ち着いた優しい声に、彼らは導かれるようにおずおずと食堂のほうへ向かっていった。


「ありがとう、ルサリィ。」

「いいえ、気を引いてくれて助かったわ。…穴をあけてしまったわね。」

「これくらいならすぐ直せるから大丈夫だよ。」


 アンジュが剣を床から引き抜くやいなや、まるで生き物のように床板がもとに戻っていった。


 その後程なくして、この町の駐在所の駐在員のニール巡査を主人が連れてきた。


「なんだぁ、殺しぃだって?」


 ルサリィは、一度アンジュと目を合わせると、頷いた。どう見ても殺人事件には慣れておらず、頼りにはできない。


「ええ、現場はこちらです。鍵を開けたのと、生存確認以外は何も触っていませんよ。」


 単純そうなニールという男は、ルサリィの華やかな容姿に目を奪われていたのを隠しきれておらず、デレっとしながら現場を確認する。しかし、その凄惨な状況を見て、彼の表情は一気に青ざめて、ぎゃあと情けない声を上げる。


「…あのう。」

「し、仕方ないだろうっ。こういった現場になかなかいくことないんだ。あって烏や猫の死骸なんだから。」


 ただの軍人には、特殊な状況下でもない限り、逮捕権もなければ捜査権もない。その中でも象徴としての意味合いが強い五星士は、その特殊な状況というのもなかなか当てはまらない。だから、ニール巡査には頑張ってもらわないといけないのだが、頼りにはなりそうにない。


「グラフィー州支部に応援を頼むからそんな目で私を見るなっ!」

「いえ、何も言っておりません。」

「電報打ってくるから、変にイジるなよ!」

「もちろん、心得ております。」


 主人のように転がり出たニール巡査を見送った。


「電報ってなに?」

「緊急連絡できるものよ。文字数が限られているけれども、かなり早く連絡が取れるの。」

「そんなものが。」

「まだ全然一般的ではないものね。」


 ニール巡査を待ちつつ、2人は現場をもう一度見直すが、特に気になるようなことはない。どこに、犯人がいるのかも読めない。


「…ルサリィ。」

「なに?」

「これ持ってて。」


 アンジュは首から下げていたあのクローバーのお守りをルサリィに手渡した。


「これはなに?」

「お守り。…効果は試してないから、確かではないけど。」

「それなら、アンジュが持っていた方が。」

「大丈夫、俺は魔法で部屋に鍵をかけられる。向こうの魔法の方が上手だったら、どちらにせよ勝てないから。」

 

 ルサリィは、ありがたくお守りを借りることにした。例え気休めだったとしても、そのアンジュの気持ちが嬉しかった。


 電報を打ってきたニール巡査が、気合を入れて確認をしているようだが、アンジュが見つけたもの以上のものは出てこなかった。


「ふーん、まあ、分かったが、こんなの五星士ヒーローさんが解決するようなことなのかね?」

「モンスターの影響で起きたのなら私たちの仕事ですから。」

「んなものがあるのか。ったく、最近は落書きも多いし、喧嘩は増えるし、しまいにゃあ、殺人事件。厄年かこりゃあ。」

「ちなみにそれってどこの地域が多いとか分かります?」

「そんなちっさいこと残してないよ。」


 サウスポートの事件でお世話になった警察は、本当に小さなことまで記録に残していたから、その差に驚いた。何故と尋ねるとアクス警部補は、法律や規則で決められているとか話していたのだが。


「…ニール巡査はこの町の勤務長いんです?」

「今年着任したばっかりだよ。」

「でも、例年より多いんですよね?」

「と思うぞ。」


 曖昧だなぁと2人で呆れていたが、もし頭の良い神獣が怠慢な警察のところを狙っていたのなら納得できる。


「とりあえず、宿泊客にはそれなりの説明をしないといけないわ。」

「その担当は俺がするよ。」


 本当は警察に任せたかったところではあるが、ニール巡査に頼むのは避けたほうがいいと考えてだ。


 さて、問題がある。恐らくこのオリバー殺害は、彼への個人的な恨みが原因で起きた事件ではなく、疑心暗鬼を生み出すために起こされたものだろう。

 宿泊客に、どう伝えるべきか。密室であることを素直に伝えても良いし、不明瞭に誤魔化しても良い。前者は、疑惑が素直にアンジュへと向かうだろうし、後者は、アンジュが意図的に事件の真実を伝えなかったことを、首謀者がそれらしく疑惑をアンジュになすりつけようとするだろう。正直に伝えるよりも、後者の対応をして誰が情報を漏らしたかを確認した方が解決のヒントは出てくるだろうか。


 その考えの答えが纏まる前に、宿泊客が集まる食堂の中に入った。当然のように、入ってきたアンジュに主人も含めそこにいた全員の視線が突き刺さる。それでも、アンジュはそのまま続けた。


「ちゃんと留まってくれてありがとうございます。」

「おい、何があったんだよ、あのおっさん。」


 昨日オリバーに勝手に因縁をつけられていた男性客が怪訝そうにアンジュを睨んだ。


「見た人もいると思うけど、殺されていました。」

「…辺鄙な町の宿屋で殺人事件!…王都で流行りの小説のようじゃないか。」


 仕立ての良いトラウザーズと折り目正しい服を着た男が騒ぎ立てるのを横にいたパートナーらしき女性が諫めた。


「…私たちはどうなるんです?」

「犯人は分かるんですか?」


 矢継ぎ早に質問をされて、アンジュは気圧されつつ一つ一つ答えた。

 

「オリバー・グレイが死んだ。死因は、首を切られたことによるもの…で、犯人は現状分かっていないし、動機も分かりません。…貴方たちには暫く留まってもらうことになる、と思います。」


 アンジュの説明に顔を青くする人たちもいるが、興味深そうに話を聞いていた男が疑問を投げかけた。


「さっき貴方は宿屋の主人に扉を開けさせましたよね?」

「…そうですね。」

「部屋の鍵はどうして?窓から犯人が入ったんですか?」

「侵入経路は不明です。」

「なるほど?なぜ?窓から入ってきたのなら、分かるでしょう?昨日は雨だったんだから」

 

 シナリオの台詞を読んでいるかのような言葉を、彼の性質のせいなのか、誰かに誘導されているのか、見極めるのが難しい。


「それを含めてです。」

「なるほど?」


 興味深そうに彼はアンジュの顔を覗き込んでくる?


「…そこまで分かっているのに、誤魔化すのは却って疑われるよなぁ。貴方が察しているように、彼が持っていた部屋の鍵は部屋の中にあった。つまり、本当に密室殺人だったんです。」

「南洋の猿が入ってきた可能性は?」

「無い。彼の遺体には外傷はなく、致命傷の首の傷一つだけです。素人の犯行には思えないので正直皆さんの来歴が知りたいくらいだ。」

「なるほどなるほど。いや、私は軍隊に所属したことはありますよ。この国のこの年頃の男じゃあ、所属したことがない方が珍しいですからね。」

「あ…ああ、モンターニュ戦争。」


 30代くらいの男は、学者、医者、技術者を除き、戦地に行かずとも従軍したことがあるのが普通らしい。平和な時代しかアンジュには記憶がないから、よく分からない。


「とは言っても密室殺人とは中々軍に所属したくらいじゃ、作れませんよね」

「つーか、密室で殺されたって、鍵かけても安心して眠れねーじゃん。オリバーみたいに殺される可能性が出てくるんだから。」


 ぶつくさと文句を言っているが、彼の瞳は不安で揺れていた。


「…っ、貴方が犯人ということはなくって?」


 客の1人がそう切り出す。すると、先ほどからこの殺人事件に興味津々だった男が返す。


「そうだとしたら、密室なんて言わないんじゃないですか?日中往来で様々な魔法を見せていた彼ならば、密室を作ることは簡単のように思いますが、彼が疑われるでしょう。」

「でもっ、王国軍から抜けたくても抜けられない事情があって、わざと疑われるようにしむけて殺したというのもありえるでしょう。」

「大分妄想が凄いですが、それならば目的達成で我々が次殺される可能性はありません。」


 男がそう庇ってくれたが、アンジュは興味深そうに頷いた。


「なるほど、そうやって軍から抜ける理由が作れるんだ。」

「私もかなり変人だ自負していましたが、貴方も相当ですね。」


 男は愉快そうな顔から真顔に戻る。ウィルが隣に居たら、そのジョークに笑うよりも実現する可能性に怯えていたに違いない。


「じゃあ、魔術師の軍人が違うなら、鍵を持っているこの館の人間じゃ無いのかしら!」

「わ、私を疑うんですか?!」

「一応全員疑ってはいるけれど、さっき一緒に遺体を見た反応は、何も知らない人に見えました」

「つーか、結局俺たちはどうすりゃいいんだよ!」


 ふざけた会話に辟易していた男はガンと机を鳴らした。


「信じてくれるなら、全員の部屋に魔法で部屋を閉じるけど…。」

「貴方を?」


 五星士の軍人であるのに、ここにいる人間にはそこまで信用されているようではなさそうだ。


「…一番確実なのは、こうして全員でお互いを監視することだと思いますが、…ストレスで別の事件が起きそうです。」


 アンジュと変な男だけが呑気な言い方をしていたが、他の人間は全員ピリピリしている。犯行の動機さえわかれば、彼らも安心するのだろうけれども、恐らくは無差別殺人。


「では、私はあなたを信じてみましょうかね。勿論自分でも鍵をかけますが。」


 男がそう言ったのを皮切りに、おずおずと他の宿泊客もそうしてほしいと話しはじめた。それから、主人もお願いしたいと静かに告げてきたので、今使われている客室は自分らも外して6室と主人の奥さんとその日は娘も一緒の部屋で眠る一部屋を足して、7部屋の扉に魔法をかける事に決めた。


一度ルサリィにその話をすると、大丈夫かと心配そうに訊ねられたが、それ以外の方法が今のところ見つからないのでやるしかない。各自が部屋に戻って鍵をかけた後に、アンジュが魔法でもう一度閉じる。

 これでもう一つ良かったのが、誰が夜中に自室の外にでたことかが分かることだった。アンジュは最後の部屋に魔法をかけ終わると、廊下の壁へともたれかかった。アンジュの魔法は、神獣のクルルが言う通り無駄が多いのだろう。6部屋の魔法をかけたところで眩暈に襲われた。


「―――予想と疲労具合が…全然違う。」


 雷が遠くで鳴っているのが聞こえる。不和を司るというのに、風を操っているのだろうか。ルサリィに、元々ここは雷が多い地域だったか訊ねればよかった。

 既に日没からそれなりの時間が経過していて、習慣で朝早く起きていたアンジュは、体力の限界が来ていたせいもある。泥沼に引きずり込まれるような眠気に襲われて、壁に凭れたまま座り込んだ。眩暈と眠気が改善されるまで暫く休もうと決めて、瞳を閉じた。



―――


 ガンと体中に響くような衝撃で、アンジュは目が覚めた。目を閉じたときと変わらない場所だったが、窓を見ると東の空が少しだけ明るくなっている。多少休むつもりだったが、かなり時間が経ってしまったようだ。だが、それ以上にアンジュは、アンジュを起こした衝撃に驚いていた。


「…魔法が、解けた。」


 どこかの部屋の扉が開いたのだ。アンジュは急いで立ち上がると、魔法が消えた個所に一目散に駆けて、ドンドンドンと不安を消すように強くたたく。


「朝早くすみません!大丈夫ですか?!」


 自分の弱さゆえに魔法が消えたのであれば、すーっと静かに感覚もなく消えるのだが、あの強い衝撃は他者によって無理やり消されたから起きたのだ。アンジュが騒いでいると、他の宿泊客が続々と眠たそうに出てきた。


「…こんな朝から、なに。」

「…何か事件でも起きたのかい?」

「分からない。魔法が誰かによって消された感覚があって、なにかあったんじゃないかって。」


 とアンジュが説明しているとその瞬間、女性のきゃーっという叫び声が聞こえた。


「何か起きているっ、開けるぞ!」


 魔法は破られているが、鍵は閉まっていた。


「魔法で開ける!」

「あ、ああ、任せたっ!」


 アンジュが魔法で開けると、隣の男性客と一緒にその部屋に乗り込む。


「なにが…、え?」


 部屋にいた女性が腰を抜かして指差す先には、彼女の夫である男性がロープで首をくくっていた。


「何が…?」

「自殺?」

「…いやっ、なんなのよぉ。」


 彼の死体の下には、自殺であることを示すかのように、椅子が転がっていた。アンジュは隣にいた男性客に協力を頼み、彼を床へと下した。まだ温かみはあり、多少の反射が見られたものの、アンジュの治癒魔法はまったく効果がなく、そのまま亡くなってしまった。


「…亡くなりました。」

「なんで、なんでこの人が死ななきゃいけないのよっ!」


 伴侶であった女性は、亡くなったことを少しずつ理解して、それから、人目をはばからず泣き始めた。


「嫁のヒステリックで気が参ったんじゃねえのか。あのオッサンはナイフで死んでたけど、この人は自殺だろ。」


 この恐ろしい状況で精神が参ってしまった可能性はゼロでは全くないけれども、ただの自殺だったとしたら、何故アンジュの魔法が破られたのだろうか。


「やめてくれ。この奥さんのせいじゃないです。」


 アンジュは制服の上着を脱ぐと、泣いている女性の頭からかぶせた。


「じゃあ、あんたのせいってこと?アンタが守ってくれなかったからこうなったんでしょ?」


 ほかの女性客が、青ざめた顔をしてアンジュを睨んだ。非常によくない状況だった。まだアンジュとルサリィは何もつかめていない。

 そこに夜ニール巡査と代わる代わるオリバー殺害現場を保存していたルサリィが騒ぎを聞きつけてやってきた。アンジュが何かをいうよりも早く、代わりにルサリィが謝罪をした。


「…我々がいながら事件が起きてしまい、非常に申し訳なく存じます。」


 ルサリィも勿論アンジュだって考えうる中で一番の対策をしているはずだったが、現実はそうはいかなかった。


「とりあえず、状況を整理させてもらってもいいですかね。我々は、彼が扉をたたいて騒いでいるから、目が覚めてこうして集まり、それからそこのご夫人の叫び声が聞こえたんですよ。」


 女性は嗚咽しながら、アンジュが扉を叩いた音で目が覚めて、夫が首を吊っている事に気づいたとのことだった。


「外にいた貴方が一番最初に異変に気づいたんですよね。」

「…そうですね。魔法が解けたのが分かったからです。最後の部屋に魔法をかけてから、魔力切れと睡魔で立ち上がれなくて、廊下で寝ていたんですけど、誰かがここの部屋の魔法を解いたことに気づいて、何かあったのかと思いました。」

「なるほど…なるほど…。噂の新人五星士の魔法使いとは、かくなる能力を持っている訳ですね。」

「昨日からお前は何でこんなにも冷静なんだよ!」


 変人の男性客は、ニール巡査の仕事を奪うように話を続けるのを、オリバーと喧嘩していた男は怪訝そうに睨んだ。


「全員自己紹介もしてないですからね、私のことを不思議がるのも無理はありません。私はとある出版社のジャーナリストです。小さな出版社なので、編集者も記者もやり、奥様の豆知識からとんだ怪事件まで記事にする何でも屋ですよ。たまたま王都ではやっている『推理小説』のような事件があって、更には注目の新人五星士魔法使いがいるわけですから、ついついジャーナリストの血が騒いだんですよ。ジャーナリストのジャン・ルドーです。よろしくどうも。」


 ジャーナリストのジャンの発言に隣にいた女性は頭を抱える仕草をした。


「彼女は、同僚のレディ・ダルリアです。」

「彼が皆さんの気分を害して申し訳ありません。」


 彼女が頭を下げて、他の人間は黙る。


「探偵の真似事の記者さんは、何か分かったっていうのかよ?」

「おや、探偵をしているつもりはありません。ただ記事にする場合、状況は分かっておきたいですから、こうして訊ねていただけですよ。」

「…ふんっ、でも、そのジャーナリストのおかげで分かった。これが自殺じゃなかったとしても、魔法を破壊することができる人間ってことでしょ。そんなの限られてくるじゃない。」


 アンジュも普通ならそうだと思うし、魔力を感じ取れるアンジュからすれば事件は簡単なはずだった。


「…誰が魔法使い、魔術師じゃないかは判断がつかないから、潔白の証明ができない。」


 サウスポートの事件だって、普通魔力を持たない彼女と融合した魔力持ちの狼は、結果狼の魔力で分かったのだが、今回今いる人間のうちには魔力をほとんど感じていない。


「だからといって、ここにいる人間だろうと普通の人間ではできないんだから、外の人間が犯人である可能性もあるでしょ?!」

「そうですね。」


 彼らを拘束しておくだけの理由もない。ましてや神獣の力によって、殺戮の渦中に陥る可能性すらある。ルサリィもそう判断した。


「帰宅する希望者はニール巡査に連絡先をお伝えして、すぐ連絡が取れるようにしてください。」


 一度混乱した皆を自室に戻した。泣き崩れる奥さんを気に病んだジャーナリストのダルリアが彼女を連れてその場から離れた。

 ルサリィも現場保存の為に満足した睡眠を取れていないだろうに、現場に2人になると真っ先にアンジュの心配をした。


「ごめんなさいね、廊下で倒れてたなんて知らなくて。身体は大丈夫なの?」

「ルサリィが心配することは何もないよ。俺が下手だから、魔力の配分を間違えてて。」

「それでも、貴方がいたからすぐに事件がわかったわ。…限りなく普通の人間には不可能ということが証明された。」


 ルサリィも事件現場を見渡したが、何も荒らされた形跡もなく、窓も全て閉まっているのが分かる。


「それにアンジュの魔法を破れるんだもの…魔術部隊に来てもらわないと…。」


軍部と魔術部隊は相変わらず仲が悪い。五星士のアンジュしか軍部には自由に使える魔術師(あるいは魔法使い)はいないが、一部の魔術オタクならばアンジュの魔法を破った何かには興味があるはずだ。普段なら中々軍部の人間の治療なんて歓迎しないのに、アンジュが怪我した時には彼らは興味津々で歓迎したのがその証拠だ。


「来てくれたとしても、俺に説明する力はない…。」

「あまり話したことないけど、魔術部隊はずっと研究してきた人たちと聞いてるから、向こうに任せられるんじゃないかしら。」


 と、ルサリィも考えてニール巡査に借りて電報を打ったのだが事態は悪化した。


「はぁ、なんで?!」


 ルサリィたちがそれを知ったのは暫く2人で事件のことを話し合ってから、様子を見に食堂へ行った時だった。男性客の1人の悲嘆の声が響いた。2人が慌てて中に入って尋ねるとジャーナリストのジャンが率先して答える。


「街へ行くために整備された山道が、土砂崩れで動かなくなってしまったらしいんです。先ほど、町の方から連絡が来て。」

「ちょっと確認してくる。」

「私はここで皆の様子を見ているわ。」

「ありがとう。」


 誤報であることを願ったが、その願いはむなしく、大規模にわたって土砂崩れが起きてしまっていた。アンジュが魔法でどかすことも可能ではあるのだが、ここのところ雨が続いていて地盤がゆるくなっている状況では焼石に水だろう。


  原因を探ろうと崩れた土砂の上に上り、崩れた個所を確認すると、一部不自然に地面がえぐれていた。アンジュが宿屋に戻ると人為的に起こされた可能性の話を除いて全て話した。


「ふむ…、私たちは閉じ込められましたか。」

「なっ、なんなのよぉ。」

「なんでこんなことに…。」


 アンジュの報告に、宿泊客は意気消沈していた。


「ルサリィ、俺町のほうでも変なことが起きていないか見回ってくるよ。」


 ほかの住人だって、宿屋の物々しい雰囲気に何か起こっているとは気づいているはずだ。まだ宿屋でしか事件が起きていないなら、町全体をカバーする必要はないから、それを確かめたい。ルサリィもアンジュの意見には同意した。


 すぐにそれは町全体に及んでいることに気づいた。

 宿屋を出たとき、焦った粉屋のルネが追ってきた。 


「アンジュっ。」

「何かあったか?」

「うちの家の粉ひき小屋がめちゃくちゃにされて、大変なんだ。親父もかんかんで…。」

「犯人は?」

「分かんねぇ。」

「そっちに行く。」


 アンジュが粉ひき小屋へと向かうと、その動く滑車が無残にも破壊されていた。不思議な力によってというわけではなく、近くにおいてあった斧で力任せに行ったようだ。その斧も無理やりな力を加えられたせいで、刃こぼれが酷い。


「とりあえずこの小屋が戻らないとパンが食べられないんだよな。」

「そうだな、この町にあるのはここだけで。」


 小麦粉の備蓄自体はあるだろうから、すぐさま困窮するということはないだろうけれども、領主の認可が下りないと粉ひき業を営めないので、すぐ対処をしなければならない。

 昨日と今朝方起きた殺人事件よりはただの人間が行ったとみて間違いない。それが、誰かの影響によるものなのかは分からない。


「ルネ、一寸下がって。」


 粉ひき小屋の息子ルネがアンジュより距離を取ると、アンジュの周囲に光が瞬いた。逆再生の映像でも見るかのように、破片や物が元の場所へと戻っていく。5分もたたないうちに、粉ひき小屋は元通りだった。


「…す、げえ。」


 ルネは奇跡を目の当たりにして、言葉を失った。アンジュは疲れたように汗を拭った。


「ありがとう、アンジュ。…疲れたか?」

「ああ、ちょっと眠りがよくなくて。」

「上の俺んちに来い。せめて礼でもさせてくれ。」


 アンジュは仕事中だからと遠慮しようとしたが、ルネはあまり顔色がよくないから休まないと大事な場面で倒れると説得した。ルネが水と簡単な菓子をアンジュに差し出した。


「あんまり軍人さんに食べさせるような立派なもんじゃねえけど。」


 と、ルネがいうので、とんでもないとアンジュはありがたく頂いた。


「で、これってさ。やっぱりアンジュの言ってたモンスターの影響ってやつなのかな。俺を殴るならまだしも、粉ひき小屋の道具壊すなんて、あの俺をいじめてる奴らでさえ理性があればやらねえよ。」

「…そうだよな。自分たちの生活に直結するから。」

「モンスターって、どうするんだ。俺も協力したい。」

「それが…、まだまだ分からないことばっかりで。ニール巡査も言っていたんだけど、今年は例年より喧嘩や落書きが多いそうなんだけど、大体どこら辺が多いとかわかるか?」

「あんま気にしたことなかったな。」


 アンジュが手帳を取り出して、大まかにこの町の地図を記載する。ルネの粉ひき小屋は北西にあって、宿は町の中央寄りの果樹園が多い地域の南西のほうにある。北東のほうには、果樹以外の田畑があり、南東側は商店が多い地域。


「…落書きは、商店のあたりには人が密集しているし多いか?喧嘩とかは飲み屋のあたりは日常茶飯事だしな。」


 アンジュとルネが顔を突き合わせていると、階下でパリーンと何かが割れる音がして、二人で慌てて降りて行った。すると、ルネに似た女性と男性が言い合っていた。


「あんた、また飲み歩いたっていうのかぃ!あたしがこうして仕事しているってのに。」

「んだよ、男には付き合いってもんがあるんだよ。つーか、仕事ってただ飯作って掃除してるだけだろうが。」

「はぁあ?じゃあ、あんたあたしが居なくてもできるっていうんだね!?」

「ああ、やってやるよ、お前なんか居なくても同じだよ。」


 それを見たルネは顔を真っ青にして、耳をふさいだ。売り言葉に買い言葉で、どんどんヒートアップしていく。


「お前こそ俺がいなくても生きていけるっつーのか?誰の金で飯食ってんだよ。女なんだから大人しくしてろよ。」

「分かりました、分かりました。出ていきます。あんたの人生に私は必要ないっていうんだろ。」

「待ってよ、母さん!」

「ごめんね、ルネ。」


 女性はもう腹が据えかねたとエプロンをとると、外へと出て行った。


「父さん!」

「はん、うるさいのが出てってこれで清々するってんだ。」


 ルネの父親が、いらだって製粉所に行くと魔法によって元通りになっているその場所に度肝を抜かれていた。


「…あ?何で…、夢だったっていうのか?」

「昨日話していたアンジュが直してくれたんだよ。」


 そこでアンジュという存在に気づいたらしく、なんで他人の家に勝手に上がり込んでいるんだと怒った。


「だから、直してくれたんだって。」

「何を夢みたいなこと言ってんだ。」

「俺のことは気にしなくていいよ。俺が直した証拠なんてどこにもないだろ。」

「証拠がないくらい完璧に直るなんて魔法しかないだろ。」

「はは、確かに。そうかも。」

「わけわかんねえこと言ってんじゃねえ。子供は外で遊んでろ。」

「アンジュの制服見えてねえのかよ。」

「見えてる見えてる。が、こんなところにいるなんてただの餓鬼だろ。仕事してるってんなら仕事してこい。」


 ルネがまだ言いたそうだったが、アンジュは制止した。


「そろそろお暇しようと思っていましたので、失礼します。」

「さっさといけ。」


 ルネの粉ひき小屋から出ると、ルネはぷりぷりと怒り、それから、アンジュに恥ずかしいところを見せたと謝罪した。


「…あんなんでも俺が子供のころは仲良かったんだぜ。」

「そうか。」

「ま、10歳くらいの話なんだけど。一回親父が浮気してから、母さんも冷たくなって、何かとつけると怒るようになった。昔だったら仕方ないねって言って笑ってた事でも、今じゃ凄い怒るんだよ。」


 よくある仲の悪い夫婦の話なのかもしれない。それでも、今のこの町では恐ろしい火種となりかねない。


 ルネと2人で歩いていると、町の広場にある掲示板の周りがヤケに騒がしかった。2人が気になって人をかき分けてその掲示板を見ると、赤いペンキで卑猥な言葉で、町の住人である少女への侮辱が記されていた。

 口にするのも悍ましいそれをアンジュは無言で魔法を使って消す。


「鬱憤がある人間がいるなら話を聞く。」


 掲示板に目立つように書いた犯人はこの騒ぎを見たくて絶対にこの近くにいるはずだと、アンジュは周囲を睨みつける。


「はっ、ただの落書きに熱くなってクソダセェ。」

「ただの落書きなんかじゃない。まともな精神を持っている人間だったらこんなこと書けない。心がどっか壊れてる。」


 それでも、ダサい、ショボイと言っていた男はその場から立ち去ろうとしたが、気がついた時には蛇に睨まれた蛙のように身体が動けなくなっていた。


「何か知ってるよな?」


 アンジュはただでさえ感情が分かりづらいのに、その言葉に感情は乗っておらず、精巧な人形に追い込まれたような感覚に男は陥れられた。


「ひぇ、言う言うよ。雑貨屋のジュアンだよ!」


 その名前を聞いたルネが、ぎょっと驚いた。というのも、今回の落書きで侮辱された被害者と仲のいい友人だったからだ。その周りにいる人間たちもざわざわとしている。


「嘘じゃねえよ!離せよ!」

「その人は?」

「ここにはいねえ!面白いことしたから見てみろってやつに言われただけたよ!」


 この状況を自分ではなくて他人によって確認させたのかと理解した。

 アンジュが魔法を解くと、男は支えられるものが無くなって地面にへたり込んだ。アンジュは周囲の喧騒で、やってしまったと後悔した。これでは、二次被害が生まれる。


「皆の良心に御願いしますが、この件でジュアンを責めるのはやめて欲しい。彼が本当に真実を話しているかは分からないので。」


 簡単に大衆から記憶が消せれば良かったが、アンジュにはその方法が分からなかった。なので、何度も頭を下げた。彼らは、分からなさそうにしていたが、アンジュの真剣さに何かあるのだろうと頷いた。


 その騒動があった後、ルネが尋ねる。


「ジュアンは責められるようなことをしたんだから、あんなに頭下げなくても。」

「あの件でジュアンを責めていいのは被害者本人と家族くらいだろ。今この町であれを放っておいたら、より凶悪な事件に発展しかねない。」


 オリバーが殺されてから、この町で起きる事件の凶悪性が増してるように感じる。アンジュは胸の内に広がるおどろおどろしい黒い気持ちをどうにかしたくて雑貨屋へと向かった。

 ルネの案内で来た雑貨屋だったが、ジュアンには会えなかった。

「娘ですか?残念ながら、1、2時間前に出かけた後帰ってこないんです。ああ、見たら帰ってくるように言ってもらえますか。」

と店主に言われたのだ。


「大丈夫か、アンジュ。」

「えっ?」

「顔色、元々良くなかったけど悪くなってる。」

「…宿屋でも事件が起きてるんだよ。」

「え?あ…、そうか。今日一度も宿泊客と会ってないのは…そのせいか。」


 小さな町だ。少しでも宿泊客が動くと、町では話題に上るらしい。


「宿屋って昔からあるの?」

「いや、5年前…いや、もう6年か。俺が10になる年だったから。」

「この近くの宿場町が壊滅的な状況になったのは知ってるか?」

「ああ、なぜかその町の情報があまり入ってこないけど、そこから来る人がピタリといなくなったから、その年は話題になった。」

「…その年から、ルネの夫婦も仲悪くなったんだ。」

「えっああ、確かに。嫌なことが続くなーって。…え、あの夫妻が原因なのか。」


 と、宿屋へ一度戻ろうと話した時だった。反対側から慌てて駆けてくる男がいた。


「あっ、アンタらニール巡査知ってるか?!」

「ニール巡査は宿屋にいるけど、何かありましたか?取次します。」

「軍人さんでもいいのか?人っ、人が死んでたんだよっ。ざっ、雑貨屋のジュアンが!」

「そこへ連れてってください!」

「こっちだっ!」


 ルネとアンジュは走る男の後を追った。

 男が連れてきたのは果樹園の近くの雑木林の中だった。


「お、俺は、キノコ狩りに来たんだ。」


 その男のいう通り、キノコが入った籠が彼が驚いて逃げたのが分かるように中身がぶちまけられるように落ちていた。

 そして、その先にあったのは、切り裂かれた洋服の断片と、無数の傷をつけられたほとんど裸の状態の女性の死体だった。ルネはそれを見て、吐き気を催し口を手で抑えた。


「ルネ、宿に行って俺の仲間とニール巡査に報告お願い。あと、そこの旦那さんは雑貨屋の店主に連絡お願いします。」


 2人は無言で頷いて、走り去っていった。アンジュは悪いと思いつつも魔法で宿屋のシーツを持ってくると、顕になってしまっている体にかける。顔は、殴られた跡の他にたくさん泣いた形跡が残っていた。

 何故彼女はこの場所にいたのかがわからない。雑貨屋でいなくなってから、2時間ほどしか経っていないので、彼女自身が自ら犯人とここで陥ったのではと思い始める。


「ルサリィが話した事件とやっぱり近い。落書き、窃盗、仲のいい夫婦の不貞、強姦殺人…。」


 アンジュは、ただおかしいと思った。ずっと町は「不穏」だった。でも、「不穏」でしかなかった。しかし、ルサリィとアンジュが町に来てからは、待ってましたと言わんばかりに凶悪事件が連続して起きている。


「ルサリィが誘き出された?」


 考えるアンジュの横に、しゅるりしゅるりと白っぽい蛇がやってきた。アンジュを噛む様子はなく、ただじっとアンジュのことを見ている。


「なに?」


 言葉を持たない彼が話すはずはないのだが、ものいいたげの様子につい声をかけた。屈んで手を差し出すとそのままするすると腕を上った。


「アンジュ!」

「ルサリィ。」


 店主よりも現場に近かった宿屋のルサリィが先に駆けつけた。それから、目の前の布の被さったそれを見て言葉を失いながら、少しだけ捲って彼女を確認した。同じ女性であるルサリィは、苦しそうに眉を顰めてもう一度丁寧に布を被せた。


「……どうしてこんな。アンジュ、気を使ってくれてありがとう、同じ女性として感謝するわ。」


 ルサリィは可愛そうな女性の死体に対してされたアンジュの配慮に感謝した。

 アンジュはルサリィが誘き出された可能性を示唆すると、ルサリィはあり得ると同意しながら次の話もした。


「複数理由があると思うの。それは、私たち王国軍の信用を落とすため、それから、アンジュが魔法を使って色々小さな芽を潰したことで焦ったという理由よ。」

「原因…。」

「それに関して、アンジュが悪いんじゃなくてね。アンジュが凄いって話よ。」

「ありがとう、自分の考えが良くない方向に行ってた。」


 とはいえだ。複数考えられる視点から見ても、今こうなっているのは、自分たちがこの町の災厄の最後の引き金だったのだろう。


「…宿屋に今回の本部にして、それからこの町の若者組にも協力を求めましょ。」

「確かに、それのほうがいいのかも。」


 相手が正体不明の神獣だから、二人で対応したいところだったが、至る所で事件が起きてしまっている今、2人ではやっていられない。それぞれ細かい事件の捜査に関しては町の若者組とニール巡査で対策してもらって、ルサリィとアンジュは、神獣に集中したほうがよさそうだった。

 雑貨屋の店主が到着した後、その事件を町役場の人間と自治組織の一つの若者組に引き取ってもらって、ルサリィとアンジュはその場から離れた。ただ店主の慟哭は、離れても脳裏に残り続けた。


 宿屋に戻ると、待機していたルネが心配そうに二人に駆け寄ってきた。


「だ、大丈夫そうか?」

「大丈夫。」


 この町の人にこれ以上負担をかけるのは良くないのではと思ったから、アンジュはそう答えたのだが、本当にそうだろうかと疑念を抱いて止まった。


「俺たち2人のことを若者組はあまり信頼しにくそうだった。こうして俺たちが来てから事件が悪質になっているから、当然だとは思う。」

「それは…でも。」

「それがどう付け込まれるのか…って。対策しないといけない。」


 アンジュがそう言うと、くっついてきていた白い蛇がアンジュの腕を噛んだ。


「いった。」

「大丈夫?!」


 ルサリィやルネが心配そうに見てくるが、アンジュは自分に襲い掛かる鬱屈とした感情が多少消えた気がしたのだ


「悪い、心配かけた。」

「それどっかやった方がいいんじゃ。」


 蛇を好かないルネは先ほどから蛇をチラチラと見ていた。


「いや、助けてくれたっぽい。なんでだろう。」

「先祖の生まれ変わりかしらね?」

「んー…、別の神獣か?」

「神獣に好かれる体質なのかしら。」

「…わからない。」


 噛まれたところから血が流れているのをアンジュが放置するものだからルサリィは包帯を取り出した。


「魔法で治さないなら洗って包帯巻きましょう。」

「そっか、アンジュは魔法で治せるのか。」

「治せるけど、魔力使いすぎてるから、あんまり…。治したところで、体調が悪化しそうだ。」

「魔法って意外と便利でもねえんだ。」

「そうだね、魔力って体力みたいなところあるから。魔力が減れば体も疲れるし、病気みたいな症状出る。」

「じゃあ、あんまり使いすぎない方が良かったんじゃんか!粉挽小屋直さなくても…。」

「今回そうしろって言う任務だったから、仕方ないわ。」

「俺が魔法の知識欠けてるのが悪いって言うか。」


 アンジュも魔法のことをもう少し知っている気がするのに、思い出そうとすればするほど、霞がかってそれが出てこない。

 この町に来てから、アンジュは心が休まることはなく、疲労が溜まる一方だったが、傷口を洗ってルサリィに包帯を巻いてもらうとどこか安心するような気がした。


「…これ長引けば長引くほど俺たちはジリ貧になっていくんだよな。」

「でも、まだ手掛かりがないわよ。」

「俺は一つだけ神獣の特徴を知ってる。」


 その話を聞いたルサリィは、覚悟を決めた。



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