13話 晨星
二つに分けようとしたけれど、切れ目が多すぎて分けるところが分かりませんでした。
アンジュ・クラント(16) 魔法が使える不思議な少年
ウィル・ザ・スミス(19) 面倒見のいい同室のお兄さん 斧使い
ルサリィ・ウェンディ(23) 不思議な風の力を使えるお姉さん
ルジェロ・ビトレーイ(18) 通称“竜殺し”復讐に燃える剣士
ンヴェネ・ルーイ(25) アンジュのことは好きではないが面倒見がいいせいで苦労するリーダー 銃使い
クルル ミルフィー命名 クルルっとしていたかららしい。鳥の神獣 筆談だと仰々しいしゃべり方になる。
猫 通り名 竜の一族の一人。気まぐれな猫を自称している。
連続殺人事件に竜の一族が関与していることが明確となった為、五星士たちのサンセット・ブリッジ滞在は延長となった。王太子のロイは翌日魔導列車の復旧と共に戻ってしまったが、代わるように他の王国軍から応援が来る予定である。
「…にしても、長閑なんだよな。」
連続殺人事件が起こっているはずなのに、のんびりとしている。同じように連続殺人事件が起こっていたサウスポートの時は、普通のように見えておきながら緊張感が漂っていたから、ウィルの疑問はアンジュにも分かる。
橋のサンセット・ブリッジの高欄にもたれて、アンジュ、ウィルそれから人型のクルルは事件のことを話していた。アンジュが眠りこけていた間のことは大体共有したが、無論犯人と一戦交えたアンジュにも何も分かりはしなかった。
ウィルの話をただ頷いていたアンジュだったが、突然高欄によじ登った。
そうして、高欄の上に立って辺りを見回す。
「おい、アン!危ねえ!」
アンジュの行為に、周囲の町の人間達がざわざわと騒ぎ、危ないとウィルと共に降りるように促した。
「落ちたら死ぬぞ!水は深いし、穏やかに見えても流れが早い!危ないから兄ちゃん、辞めな!」
町の人たちの声にアンジュは、何の躊躇いもなく、くるりと高欄の上で振り返る。町人たちの慌てふためく姿を見て、不思議そうな顔を浮かべた後に、悪かったと謝罪して高欄からストンと身軽に降りた。
「急にどうした、アン。」
「なんとなく。」
「子供が真似するんだからな。そういうの。」
一応王国のヒーローという立場なのだからとウィルは嗜める。
「それにしても、随分町の人たち大慌てだったな。」
「そんだけ危険ってことだよ。前に似たようなことがあって戻ってこなかったやつがいんだろ。」
「良い人たちなんだな。」
「ああ、確かに王都だと殆どが遠巻きに見て去っていくもんなぁ。」
ウィルが育った下町ならもう少し人情があるが、他のスラム街や中央街の方は、他人と身内がくっきり分かれている。
「まあ王都だとめんどくせえ奴も多いし仕方ねえのかもしれないけど。」
そうして話しながら、町人たちが育てていた花壇の傍を通るとぷーんとやってきた蜂がウィルの肩に止まった。
「うぎゃああ、蜂だ!」
「ウィル、落ち着いて。」
すっとアンジュが蜂の隣に掌を置くと、何故か蜂は誘われるようにアンジュの手に乗る。
「人に蜜はないよ。」
そのまま空を持ち上げるように手を差し出すと、蜂は言葉を理解しているかのように、空へ飛んでいった。
「…アンは虫とも喋るのか?」
「話してない。」
『アンジュは何故か他の生き物に好かれるよね。』
「それクルルもよく知らないんだな。」
『知らないね。人間と違ってぼくらは情報を言葉として纏めないから、忘れてしまっただけかもしれないけど。』
クルルもウィルに容赦なければ、ウィルも最初こそ気を遣っていたが過ごて、神獣という偉い生き物のくせに色々大雑把であるというのを知ってからはぞんざいな扱いになる。
「…こうしてまたただ探し回ってるけど、クルルが鳥に尋ねたら、楽なんじゃね?」
『昨日も言ったけど、ぼくがアンジュのために注力するのは、神獣としては間違ってるんだよ。神獣としての力を他に使えば、ぼくか世界から捨てられる。捨てられたら、もう見守ることはできない。だから。世界から与えられた力はできるだけ使わない。』
そうクルルとウィルがお互い楽しそうに話しているのを、アンジュは静かに耳を傾けていた。ウィルの気やすさは神にも通じるんだなと思いながら、いつのまにかアンジュの足元に寄ってきた子猫を拾い上げて撫でていた。
「なんだそれ。」
クルルと話すのに夢中になっていたウィルは暫くしてからそれに気づいた。
「猫。」
「分かるわ。」
「おそらく野良猫。痩せてるし、毛はボサボサだし、歯がめちゃくちゃ汚い。」
アンジュに撫でられているうちに、どんどん見違えるように綺麗になっていく。そんな魔法を使っていくのを貴族たちに見られたらなんと言われるか分からない。
「…飼うのか?」
「飼わない。」
「綺麗にする必要あったか?」
「あともう少しで死んでしまうから、可愛そうだろ。」
「お前のそれで少しは寿命も延びたんじゃねえか?」
「治らない。血管が良くない。俺は痛みを誤魔化しただけだ。」
「なんで分かるんだ?」
「なんとなく。」
仔猫はやっと安心できたのか、にゃあと一声鳴いた。
仕立て屋の二つ先の路地裏で、その高齢のご婦人は椅子に座っていた。
「おやまあ、可愛い猫さんだ。」
「あっ!」
ウィルはその女性を見て、ルジェロが教えてくれた人だとすぐに気づいた。昨日来た時にはここにはいなかった。ボロボロの服を着ていたが、指には高そうな指輪を嵌めていた。
「こんにちは、奥さん。撫でますか?」
つい声を上げて驚いていたが、隣にいたアンジュがウィルの無礼をカバーしてくれた。仔猫は少し不安そうにニャアと鳴く。
「猫さんもこんなシワシワの手じゃあ嫌だろう。」
「さっき拾ったばかりなので人慣れしてないだけですよ。」
「その割にはお兄さん好かれてるんだねぇ。」
座っていた女性の前に跪くように座ったアンジュは、仔猫をご婦人の膝の上に載せた。
「あらあら、こんなに小さいのに、頑張ってるんだねぇ。」
よしよしと優しく撫でている手にすぐに仔猫は絆されたらしく嬉しそうに鳴く。
「仔猫のお兄さんは観光でこの町に?」
「はい。」
アンジュとご婦人が楽しそうに話しているので、ウィルは事件の話を聞くのを躊躇う。ルサリィやイザヨイのことを思い出すと、アンジュは女性と話すのは得意なのかなと雑な推測をする。
「シュゼットさんは晴れたらずっとこうしてるの?」
「ああ、晴れているのを見ているのが好きなんだよ。アンジュさんほど若い人にはつまらないかもしれないけど。」
「俺は、天気は関係ないけど、空を見ているのは好きだ。何してんのって良く言われるけど。」
ウィルが事件のことをどう尋ねるか迷っている間に、2人とも名前呼びで話すようになっていた。どうやらシュゼットとの相性が良かったみたいで話が盛り上がっていた。
「そうなんだね、お母様を残して王都にいるのかい。それは心配だ。」
「うん。ちゃんとご飯食べられてるか心配なんだよ。お金は送ってるけど…あの村殆ど自給自足で商店がないし、店のある近くの街まではかなり歩くから。」
「じゃあ、本当はすぐに帰りたいんだ。」
「うん。でも、今は幼馴染が代わりに様子見てくれて、手紙にしてくれてる。」
「あら、とても良い子だねぇ。」
「うん、一等好きな子だ。」
「その子もきっとアンジュさんのことが好きなんだろうねえ。」
「…だと、いいな。」
アンジュはあまり故郷の不安をウィルたちには話さないから、そう聞くのは珍しくてウィルはついつい目的も忘れて静かに2人の会話に耳を傾ける。
「とても穏やかで良い町だね、シュゼットさん。」
「ええ、あたしもこの町が大好きだよ。一時離れていたことがあったんだけど、やっぱり忘れられなくて戻ってきたんだよ。あのサンセット・ブリッジも素敵だろう。」
「良かった。高欄に立ったら遠くの景色まで良く見えた。」
「危ないことするんだねぇ。落ちたら戻ってこれなかったよ。」
「俺は魔法使いだから、簡単には落っこちて死なないよ。」
「あらあらそうなのかい。でも、遠い昔あそこで落ちて死んでしまったのは魔術師だよ。」
「本当に?」
「ああ、あの橋から落ちて二度と戻らなかったらしい。」
ルジェロに話したように、シュゼットはそう話すがアンジュはあまり興味を示さなかった。
「戻ってこなかっただけで、生きているかもよ?」
「ふふ、そうだなあ。でも、もしそうだったら、町人たちが可愛そうだ。かなり必死で探したそうだから。」
「それは可愛そうだ。シュゼットさんもよく橋に行くの?」
「最近はあまり行かなくなってしまったねぇ。観光の人が増えてしまって、見づらくて。」
「そうなんだ。曰くがあるみたいだったけど、そのせいもあって人が多いの?」
「観光客はその魔術師が死んだっていう話はほとんど知らないだろうよ。本当はあまり外の人に話してはいけない逸話だからさ。」
「…俺今聞いちゃったけど、怒られる?」
「もう数百年前の話だもの。そうそう怒る人もいないさ。…外の人に話してはいけないというのは、その魔術師がこの町にいたことを知られてはいけないのに、一人の町の人が弾みで話してしまったことが原因で魔術師が橋から飛び降りたんだよ。町人たちは贖罪で町の人の秘密として語り継いできたんだ。」
「しょくざい。」
一通りの逸話を聞いて、アンジュは一瞬考え込んだあと話を変えた。
「ここら辺って観光客来ないなぁ。」
「ここら辺にある店は、住人向けばかりだからねぇ。」
「ああ、そっか。」
「ここに来るのは住人以外だと、迷ったか、軍人さんか鬼くらいだ。」
「鬼?人間?」
「人の姿に見えたけど、人らしくなかったねぇ。独特な化粧していたよ。」
世間話をしていると静観していたウィルとクルルだったが、流れでアンジュはいつの間にかに事件の話を聞き出していた。
「キャスリンっていう騒がしい子が殺された時だよ。」
「騒がしいってどんなふうに?」
「あの子は他の町から嫁いできたんだけど、先に旦那が死んじまってさ。それ以来なんでもかんでもやっかんでどうでも良さそうなことにも疑る性格になってしまったんだよ。そうしていっつも何かといちゃもんをつけて大声で喚き立てるのさ。」
「へえ、そんなことが。でも、鬼って言うくらいだから、鉤爪とか凄そう。」
「その鬼は長い剣を持っていたから、残念だけど鉤爪じゃないね。」
「じゃあ本当に見た目は普通の人間なんだ。」
「そうだねぇ。違うのはその変な化粧くらいだったよ。」
「じゃあ、変な化粧だと思ったら俺たちは逃げれば良いか。」
「大丈夫さ。鬼が観光客を襲ったという話は聞かないよ。」
「襲われたの全員町の人なんだ。シュゼットさん、怖くない?」
「私はもう老い先短いしねぇ。それに、襲われた子たちは騒いでいた子や悪い子ばかりだよ。ただのお婆のあたしは襲われることはないだろう。」
「詳しいね。シュゼットさんは、その人たちみんなと知りあい?」
「向こうは知らないだろうけど、私の方は知ってるよ。悪い方で有名人だからねぇ。」
「じゃあ、もしかしてシュゼットさんなら、次誰が襲われるか、なんて分かったりして。」
「んー、そうだねぇ。喧嘩屋のジョニーと、舞姫のサリアじゃないかって言われてるかねぇ。」
「舞姫?」
舞姫と言い方は綺麗ではあるのだが、宮廷で行われているような芸術舞台とは違って、この小さな町にある劇場で行っているのは平たく言ってしまうと売春だった。とはいえ、それはここで罪ではない。ここでは貧乏な少女たちが自立して生きていく為の活路なのだから、そこで働くうちの1人が何故狙われるのかは不明だ。
「アンジュさんにはあまり伝えたくない話だよ。」
「どうして?」
「よくない話ばかり年寄りの耳に入ってくるんだ。噂でしかないのに、そんなものを伝えたくはないよ。」
「その人たちにとりあえず会うことがなければ、俺たちも鬼に会うことは無さそうだ。」
「そうしなさいね。危ないものには近寄っちゃダメだよ。」
「うん、子猫も拾ったから、安全な道を通りたいんだけど、どこの道が危ないか教えてほしい。」
「ここら辺はまだ安全だよ。ただ2つ、3つ言った先のフーゲンっていう道のあたりは危ないよ。」
シュゼットは心優しく丁寧にいくつも危険な場所を教えてくれた。仔猫を返してもらい、シュゼットに別れを告げて見えなくなったあたりで、ウィルはアンジュの首をがっしり掴んだ。
「お前、聞き込み才能あるな。」
「無理矢理だよ。喧嘩屋のジョニーと舞姫のサリアだったらどっちが狙われそう?」
「狙われそうかは分からねえけど、喧嘩屋のジョニーの場所と舞姫のサリアだったら、サリアの方が特定して張り易いって思うぞ。」
問題は劇場内に未成年を連れてはいけないことだ。誤魔化すことは簡単にできても、この最年少を連れていくのは良心が邪魔をする。
「サリアの方はンヴェネと俺がやってくるから、ルジェロかルサリィと一緒に町でパトロールしておけよ。」
「態々ンヴェネを探していくのは大変だろ。」
「未成年お断りなんだよ、そういう劇場って。」
アンジュは納得していないようだが、仕方ないと猫を抱いたまま、二人を探すため人の少ない方へと向かう。
「おい、気をつけろよ。」
「クルルもいるから、大丈夫だよ。」
振り向きもせずにそう言ってアンジュは去っていったが、今日は魔法の調子が良さそうであるし、アンジュ第一の神獣がいれば確かに安全なのだろう。
広場の掲示板に伝言を書いてはおいたが、ンヴェネがどこにいるか探すのに苦労するだろうなと思っていたが、予想外にも彼は簡単に見つかった。繁華街に向かう入口あたりで客引きの女に捕まっていたところだった。
「昼間っからこんなところで何してるんだよ。」
と、文句を言いながら近づいたが、恐らくンヴェネも聞き込みの為にいるはずだ。
「ああ、ウィリー。元気そうでなにより。見ての通り可愛い子と話しているよ。」
化粧が派手だが、見たところ10代後半だろう少女とンヴェネは話していた。普通の町の女性たちよりも短めのスカートを履いているあたり、繁華街で働いている子だろう。
「アリッサですぅ、初めまして、オニイサン。」
「あ、ああ。初めまして、おじょうさん。」
住んでいる地域で話し方が変わるのはどこでも同じなのだが、彼女の場合妙に音が丸まって聞こえて、少し聞き取りづらく、ウィルにはテンポがつかみくかった。
「オニイサンたち、育ちが良さそうー。ぜひぜひうちで遊んで行って欲しいなぁ。」
「…ああいや。」
例え聞き込みに行くとしたって、これは経費では落としてくれなそうだからなと渋っていると、アリッサはつづけた。
「もしかして既婚者さんですか?でもでも、大丈夫ですよぅ。うちは、家庭では言えない奥様や娘様の愚痴を聞いて、明日また自然に彼女たちに『愛しているよ』と言ってもらうための店ですからぁ。」
「なんだ、それ。」
どんなキャッチコピーだよと笑った。
「こんな昼間からやってるところなの?」
「ううん、夕方からですよぅ。お店の前のお掃除していたら、このオニイサンが話しかけてきたので、つい癖で営業してましたぁ。」
「ああ、悪かったな。連れが。」
「ちょっとウィリー、僕はそんな失礼なことはしていないよ。この辺りでは変なこと起きていないかって、尋ねていただけだからね?」
名誉棄損だと憤慨するンヴェネを放置して、ウィルは彼女のほうに向きなおる。
「で、実際どうだったんだ?」
「特に何も起きてないですよぅ。でも、殺人事件が起きていたじゃないですかぁ。どうしてもこういう歓楽街にはちょっと道外れて生きている人たちばかりなのでぇ、ちょっと最近客入りはどこもよくないんですよぅ。」
迷惑な話ですよねぇ、と可愛らしい顔をとがらせて不満を言う。
「因みにアリッサちゃん、この殺人事件に乗じて死んでほしい人間とか居たりする?」
「ええ、そんなぁ。死んでほしい人間がいないヤツなんて、最早人間じゃなくないですかぁ?」
きゃらきゃらと笑いながらそう答える。
「それは確かに。」
「ま、こんな往来じゃあ言えないのでお店来てくださいよぅ。」
アリッサは営業スマイルで見送ってくれた。
鳥の神獣であるクルルですら、死んでほしい人間がいるのだから、普通の人間が普通に生きていたらいないはずがない。
その普通じゃない人間はウィルのそばにいるのだが。
普通じゃない人間は、子猫を抱きながらクルルと共にルジェロを探していた。態々シュゼットの言った危険な道を通りながら。
【アンジュが竜の一族なんて見つけても、勝てやしないよ。早いとこルジェロと合流しないと。】
ぶーと口を尖らせながらクルルが苦言を呈していると、
「あ、来た。」
友人が来たような気やすさでアンジュは呟き、剣を抜いて、振り返り虚空をつく。
「おっと、危ないなぁ。」
猫と名乗った男は顔の目の前の剣で通っても、わざとらしく驚いたフリだけをした。
「…妙な魔力の気配があったから。」
相手はまだ剣を抜いていない。であれば、先に剣を抜いているアンジュの方にも勝機はある。
「それは仕方ないね。魔法使いさんの前で、変に魔力を動かせば敵意の現れだもんね。」
猫という男は、両手をあげて降参というポーズをする。
「何しに。」
「ふと、魔法使いさんとお話したくなって。」
「何故…俺に?」
「君は『竜の一族』について、何か知っていることがあるかなと思って。」
竜の一族の男に、何故竜の一族について聞きれているのか意味が分からない。
「僕らには長い歴史がある。それは確かなんだけど、秘密主義者が多すぎて、その情報が手に入らない。ただ魔法使いの君なら知っているかもしれないと思ったんだ。」
「知らない。」
「残念。無駄骨かなぁ。これはどうだい?」
彼は懐から紙束を取り出すと、アンジュの足元に投げつける。クルルが代わりに拾ってアンジュに手渡すと、そこに書かれていたのは、小さな絵のような記号の羅列が続いている。
「おおよそ2000年前には今の字になってそれ以降大きく変わっていないけれど、それより以前の文字はこのように絵のような文字で描かれていた。これが読めるかい?」
読めるはずがないと、一瞥だけしてそのまま剣を握りしめる。
「あらら、本当に無駄骨か。」
男は作ったように落胆してみせ、直後いつのまにか剣を抜いており、アンジュは寸でのところで首を切られずに済んだ。剣先がギリギリと拮抗する。
紙束が宙を舞い、仔猫は道の端でにゃあにゃあと鳴く。
「魔法使いの癖に、剣術もそこそこか。」
【離れろ!】
クルルの魔法で男は吹っ飛んだが、クルリと身軽に回って着地をする。
「変なモンスターだね。人に懐くなんて。」
人の形を作ったクルルを神獣であることまでは見抜けなくても、人外であるということは筒抜けらしい。
「そっちも、魔力少ないくせによく分かるな。」
「はは、魔法使いに比べれば誰だってそうだろう?」
「ハティやウッコと比べて、だ。」
猫はルジェロとやったようにすうっとたち消えてかく乱するように移動するが、アンジュの剣が肩口を掠った。
「それ、俺もよく使ってた。」
「おっと。」
猫の力は相手の視覚情報をずらし、いる場所を錯覚させている。だが、魔力を読み取れるアンジュから見れば、マジックの種も簡単に分かる。それでも、外したのはアンジュの剣の力量より、彼の方が身のこなしが上手だったからだ。
「僕の力を簡単に見破れてしまうのは悲しいね。」
態とらしく悲痛であるという顔を作ると同時に、猫の前に大きな鎌鼬が起きる。
【消えて!】
クルルが敵を排除しようと魔法を使ったが、竜の一族の力を持ってして逃走されてしまった。
【あーあ、ムカつく。逃げ足だけは早いんだから!ぼくが力を奪われてなければあんなの簡単に消せるのに!】
悔しい悔しいと地団駄を踏む神に違和感を抱きながら、彼が置いていった紙束を拾い、アンジュは足がすくんで動けなくなった様子の仔猫を拾い上げ、かいなに抱く。
「クルルはすでに力を奪われていたんだ。」
【昔の話だけどね。鳥たちの管理にはそんなに力は必要なかったし、今まで気にしてなかったんだけど。】
「それってやっぱり人間に加担しているから取られたのか?」
【ああでも、もしかしたら…僕がずっと大したことしてないから衰えたのかも。誰も神獣のことなんて研究しようとなんてしないから、分かんない。】
神と称される超常の存在を研究しようとする下賤な輩はそれなりにいるはずだが、神獣の絶対数が少ないからそういう輩に限って出会えない。それに、神獣たちもまた自分がいざ研究対象にされたら逃げるに違いない。
「クルルは古代文字も読めるか?」
【…うーん、当時はそこまで人間に興味なかったからなぁ。】
クルルは渡された紙の一部を取ると、上から下まで眺める。
【ダメだね。頭に入ってこないよ。表意文字だから、凡そ神獣の名前が書いてあるというのはわかるけど。…この翼を広げている鳥の絵とこの瞳の絵を合わせているのはぼくの名前だと思う。音は知らない。彼らがなんとぼくを呼んでいたかなぁ。】
「…こっちの獅子の絵も神獣?」
【そうだね、戦を司るライオンの神獣。】
「司る?」
【神獣は、もちろんその種族のトップのことなんだけど、偶にこうして別の力を司るのもいる。ぼくは…、ンヴェネと被って嫌だけど、雷だよ。】
「もしかして、風の民もそういう?」
【ああ、そうそう、風を司るウェンティが、勝手に人族に入れ込んだのが原因で世界から消されたんだよ。そのウェンティの力を貰っていたのが風の民たち。】
「因みになんの神獣だった?」
【ペガサス。】
「知らない生き物だなぁ。」
【見た目はほとんど馬。もう絶滅した。】
クルルがその古代文字の解読に力を入れていたが、あああと叫びながら両腕を上げ、紙束をアンジュの身体に押し付ける。
【あげる。これはコピーだからなにもないけど、これの原本は魔力が宿っている可能性がある。それなら、読めるかもしれない。】
「なんで?」
【この時代の人間たちは、重要な文書は血で書いていたはず。魔力の宿った血液はただのインクより発色
と保存状態が良かった。魔力の宿った文字は、その書いた人間の情景が見えるらしい。今の魔力の薄い子たちの血じゃ、そうはいかないだろうけど。】
「そうならクルルだって読めるんじゃ。」
【同じならキミの方がいい。きっとぼくは重要なところでキミに力を貸すことはできないから。】
先ほどの襲撃があったとは思えないほど穏やかな会話をしながら道を歩いていると、恐ろしい形相をしているルジェロが目の前を通った。
「ルジェロ。」
「てめえか。なんかあったのか。」
「さっき犯人の男に剣向けられた。」
「ああ、そう…、おい。」
普通に知り合いに会ったかのような話しぶりに思わずルジェロは話を流しそうになったが、それは流しては言えないワードで、恐ろしい形相がさらに険しい顔になって睨んだ。
「古代文字を読めるかって俺に聞いてきた。クルルの魔法に怯えてさっさと逃げたけど。」
「竜の一族も神獣にはびびりやがるんだな。…なんでソイツは古代文字を…。」
「竜の一族が古代文字を、というよりは、彼が個人的に知りたがっているようだった。」
「…くそ。」
ちっと舌打ちをするルジェロに、ああそういえばと声を上げる。
「彼は竜の一族について知りたいと言っていて、これを持っていた。クルルが言うにはこの文書はどうやら神獣のことが書いてあるらしいんだ。だから、恐らく、竜の一族は神獣の一種だと思う。」
「神獣の…。」
『神獣は、その力の一部を他者に渡すことができる。うーんとねー、人間の言葉にするのなら眷属ってやつ?』
ルジェロは2人から説明を受けて納得したようだ。その方が大分簡単に物事を考えられる。
「竜の一族は秘密主義者ばかりだとあの奇天烈な男は言ってた。」
「身内で騙し合いしてんのか、アイツらは。」
「ただの臆病者かもよ。」
つまらなそうな無愛想な顔をして、アンジュはそう言うのを、ルジェロは、怪訝に顔を顰める。超常の力を持つ竜の一族に対する発言には思えなかったからだ。
「…んで。」
ルジェロのボソリとした呟きはほとんど音になってなかったはずなのに、その魔法使いは深い青い瞳でルジェロを見遣り、
「過去を話して嫌われたくない臆病者かもしれないって。」
いつも通りに無表情で全く笑ってはいなかったのに、どこか嘲り笑ったような気がしてしまった。それはもちろんルジェロに対する言葉ではなく、竜の一族を差した言葉なのに、ルジェロは黙った。いくら物知りなンヴェネとはいえ秘密の多いテロリストのことなんて知らないだろうと思っていたが、ンヴェネはアナンタの名前を知っていた。話せばもっと早く分かったかもしれない。ルジェロがそのことを仲間の誰にも話さなかったのは話すのが煩わしかったというのが一番の理由ではあるが、アンジュのその深い青の目がルジェロ自身のことを言ったような気がしてしまった。
「…どうかしたか、ルジェロ。」
「…いや、無傷だな。」
魔法の使い方さえ忘れていなければ、アンジュは自身の傷を治せるのだから、無傷であることなんて不思議でもないが、気を逸らしたくなってそういった。
「ああ、あの猫っていう男は、自分がいる場所の認識ずらしている。目で見てると間違えるけど、肌で感じている魔力の場所までは誤魔化せない。だから、避けられる。」
ルジェロはアンジュの言いことはなんとなく分かるものの自分では再現しにくい対処法に半目で睨む。
「それで、ウィルはンヴェネを探して舞姫のサリアという人物が狙われることを想定して待機する予定で、ルサリィは?」
アンジュはルジェロの戸惑いなど無視して、違う情報を渡す。
「俺は知らん。」
「じゃあ、探そう。」
「テメェらだけで行ってこい。」
再び一人でどこかへ行こうとするルジェロの肩を引っ張った。
「一人で立ち向かって負けたんじゃねえの?」
貶すつもりは一切なく、ただ一つの事実としてアンジュはそれを言ったが、ルジェロにはそうは聞こえない。肩を捕まえる手を、勢いよく引き離した。
「うっせえ。猫なんて抱いている奴なんてお荷物だろうが。」
「クルルは頼りになる。」
『…ぼくはルジェロを助ける気はないよ。』
「クルルは俺を助けてはくれるなら、俺がルジェロを助ければ良い。」
『ズルい子だ。』
アンジュの言っていることにルジェロは訝しそうに眉を顰める。
「何故テメェが俺を助ける。」
「何でって…、そういう仕事だってウィルに聞いたけど。」
ルジェロがどれほどアンジュのことを気に食わなくても、それはアンジュにとって全く関係ない。ただ仕事だと素気無く答える。
「アイツのは友達ごっこだ。」
「ルジェロがどうウィルのことを評価しているのかは知らない。でも、ウィルだけじゃなくてもンヴェネが連携は大事だっていつも言ってる。」
軍隊として正しいのはアンジュで、間違っているのはルジェロではあるのだが、その物言いがルジェロにはとてても奇妙に思えた。
「…テメェは感情をどこに置き去りにしてやがるんだ。」
しかし、尋ねられても彼は首を傾げる。
「何の?」
アンジュに苛立つ自分が愚かしい。一方のアンジュは腕に抱く猫の頭を撫でながら、変哲のない世間話のように続ける。
「でも、もし本当にただ竜の一族が憎いのなら、使える手は使うべきなんじゃ?」
「…は?」
「今のルジェロの行動は復讐したいっていうよりも、死にたいだけにしか見えない。」
「誰から聞いた。」
復讐したいなんて讐したいなんて復讐したいなんて一度もルジェロはアンジュに言った記憶がない。察しているンヴェネだって彼にはいっていないはずだ。
「何となくそう思っただけだ。ルジェロは、言葉は少ないけど行動は素直だからそうだろうって。」
ルジェロの握りしめた拳がプルプルと震える。アンジュの言っていることに反論できるほど、言葉を使うのは得意ではない。
「…ペラペラと軽い口叩きやがって。」
「じゃあ、被害者候補でも探しに行こう。」
すっとルジェロの怒りをアンジュは流して歩き始めた。
「誰が。」
付いていくかと言おうとすると、アンジュは振り返る。
「ルジェロは探し物得意じゃないだろ?」
と、やはりどこか嘲っているような気がしてくる。
「そういうテメェは。」
「3日前に失くしたジョナサンの指輪を見つけたことがある。」
「意味がわからねえ。」
凄いのか凄くないのかがよく分からなかった。
「テーブルに置いてあった。」
「ただのスッとぼけだろうが。」
「隣町のジェイドおばさんの家の。」
その後二人と二匹で会話もなく住宅街の中を歩いていると、子供たちが楽しそうにゴミを丸めた作ったボールで遊んでいた。邪魔になるのでさっさと離れようと足早に歩いて脇を通り過ぎようとしたところ、その子供たちが蹴ったボールが、偶然反対側から歩いてきていた大男の顔に直撃した。
「おい、クソガキどもなにしやがるっ!」
蹴った子でないが、近くにいた少年の首元を掴む。ボールがアンジュの足元に転がってきたので拾い上げると、ゴミで作られているせいか意外と硬いものがある。力強く蹴られたのが当たったらかなり痛そうで男の怒りも当然のようだ。
「目は大丈夫?当たったお兄さん。」
「んだぁ、テメェは?!」
大怪我はしてなさそうだが、目は痛々しく赤くなっている。
「こっちに顔向けて。」
「だから、なんなんだテメェは!」
気味が悪いと罵るために男がアンジュの方に顔を向けてきたので、魔法をかけてやる。
「あ…?」
スーッと消えていく痛みに、男は怒りが削がれていった。治った頃にはもう男に意識はなくアンジュは少年たちにボールを返していたので、男は呆然とするしかなく、また少年たちはボールを受け取ると蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
アンジュは呆れて先に歩いていってしまったルジェロの跡を追いかける。
「お前は毎回あんなことしてんのか。」
「気が向いたら。」
行く先々でそんなことされていたら探すものも探せないだろうと苦言を呈するつもりだったが、そうでもないらしかった。面倒見が良いウィルとンヴェネが理解に苦しんでいるアンジュを人づきあいの苦手なルジェロが読み解くことなんてできるわけない。
アンジュに抱かれた仔猫がやけになぁなぁと親を呼んでいるような甘えた鳴き方をしているのが、ルジェロの耳に焼き付いた。しかし、やがてその声はか細く消えていく。
「お疲れ様。」
ぼそりと優しくつぶやいて彼はその猫の頭を撫でた。
「その猫は。」
「死んだ。」
石畳の道に打ち捨てるわけにもいかないとアンジュはキョロキョロと辺りを見回して土の場所を探した。
「捨てておけよ、そんな暇はねえ。」
「ここに置いていったら、烏や虫が集まってくる。住宅が多いから迷惑だろ。」
「…どうせお前が拾わなきゃそうなってただろうがよ。」
常識人の他の3人が居れば、死んでしまった猫に対して多少の哀悼をささげただろうけれども、アンジュとルジェロにはその感情も考えも及ばなかった。鳥の神獣であるクルルにもその考えはないが、打ち捨てられないならば、と提案する。
『燃やせば?』
「死んだばっかりだから、簡単には燃えない。水分量が多すぎる。」
『分かった、ぼくが森に置いてくるよ。そんなに離れていないから1時間もあれば往復で帰ってこれる。』
「ありがとう。」
クルルは鳥の姿に戻ると、いつもの30インチほどの大きさより一回り大きくなって猫の遺骸の首根っこを掴んで大きく舞い上がった。
「余計な時間だったな。」
猫なんて邪魔なものをわざわざ拾うなんてと恨みがましくルジェロは睨む。
「悪かった。」
何の言い訳もなくただアンジュは謝罪したから、ルジェロもそれ以上は言えず舌打ちを一度するのみだ。
アンジュが話しかけようとしない限り、ルジェロも喋らない。アンジュもまた話しかけられなければ自分から多くを話すこともないので、自然と二人は話さなくなった。
黙々と歩き続けた二人の沈黙を破ったのは、クルルだった。
『喧嘩でもしたの?』
空から振ってきて、アンジュの頭に着地したのだが、それすらもアンジュはしれっとしていた。
「何もない。」
『ふーん。』
「全然魔力が動いているような感じもないから、俺の方では何とも。」
『まあ、そんなものか。僕も空からちょーっと見てたけど、あの男の姿見つからないね。この町にはいなくて、人を殺すときだけに来るんじゃない?』
「それは厄介だな。」
面倒臭そうだなとアンジュがこぼすと、ルジェロは口を挟んだ。
「それは普段から、離れた場所で魔法や魔術でこの町を監視してるということか。」
『うーん、それはどうかなあ。この町が竜の一族の信奉者の集まりとは思えないし、そんな特殊な魔法っていうか、魔術式作ったのは、ぼくが知っている神を含めても人間の彼だけだから、ただの竜の一族にそんなの無理でしょ。』
「魔術式?」
アンジュにはそれがすぐにはピンと来なかった。
『王都の魔術式。』
「竜の一族すらも拒む魔術式だ。」
登録された者しか王都に入れない魔術式防御システムと、ウィルがネズミ一匹入れないと称した王宮の
魔術式の話思い出して、「あ」と声を上げる。それを、ルジェロは勘違いして、
「…魔術式を突破する方法でも思いついたか?」
と、きつい視線を送る。
「全く分からない。」
アンジュがその魔術師気に対して考えようとする素振りすらない。それを疑わしげに見ていると、アンジュは不思議そうに首を傾げた。
「なんとかして壊してほしい理由があるのか?」
「ある訳ねーだろ。」
「全くないなんて言い切れないだろ。アレの維持に何人の人が死んでるのか、なんて分からないんだから。」
「…どういうことだ。」
「えー、だって…、500年以上前からある魔術式だろ。何の魔力を使ってるんだよ。」
ルジェロは全く気にしたことがなかった。そこにあるものが当たり前だと思っていた代物に、どれだけの人の血が流れたのだろうか。その可能性に気づいたルジェロは思わず目の前にいる魔法使いから目を逸らした。
「どうかしたか。」
「…んでもねぇ。」
劇場近くで情報を探っていたンヴェネとウィルはああとため息き、通りにある近くに空いたベンチに座った。
「…そのよくない噂っていうサリアちゃんってなかなか近づけないね。」
「聞き出したのがアンだったから、どうしてっていうのはあまり聞けなかったんだよなぁ。」
それでも、自然と会話するように話を聞き出していたのにはウィルは驚きながら邪魔にならないように静かにして聞いていた。
「そういえば新入りくんって、野菜やらグースやらを街に売りに行って金銭を稼いでいたらしいよ。」
「ああ、そりゃそうか。」
「決まった人に売っていたらしいけど、相場より多少高値で売れていたらしいね。新入りくんの野菜。」
「ええ、魔法で作ってたから美味しい、とかなのか?」
「品質はそれなりに良かったらしいけど、そんなことより、頭が良かったみたいだね。全ての店回って価格を比較したりしてさ。農民ってほらどうしても学がなくて買い叩かれることだってしばしばあるとは聞くけど、そういうことはなかったようだ。」
「本当か?それなら何で…裕福ではなかったんだ。」
「それは勿論、それ以上に税金の持っていく分が多かったのと、生産数が少なかったのもあるだろうけどねぇ。」
「けど?」
「新入りくんの家って村の中でも最底辺の暮らしだったらしいんだよね。」
「不自然と言えば不自然だな。そんなふうに話が上手いんなら…。女性一人がずっと切り盛りしていたから、元々貧乏であるのは確かだろうけど…。」
「偶然と言って仕舞えばその通りなんだろうけどね。ただ村での立ち位置を悟って稼ぐ金額を決めていて、その分だけきっちり毎回手に入れていたのなら恐ろしいし、その覚悟って相当なもんじゃない?」
「覚悟?」
「彼は痩せっぽちだし、満足にご飯なんて食べられなかったんだよ?普通に生きている人なら、その村の中の立ち位置よりも満足に食べ物を得られることを優先するでしょ。それは強い覚悟がないとやってけないと思うよ。まあ、全て憶測だし間違っているかもしれないけどさ。」
そう2人で話していたところだった。いかにも屈強そうな男が3人、威圧的に話しかけてきた。
「おい、テメェらか?ウチの舞姫の悪い噂流してるっつーのは。」
そんな罪状を持った記憶はなかったが、これはチャンスだった。
「さあ、なんの話かな。僕たちは綺麗な舞姫の話を聞いて是非見物がしたいと思ってはいたけど、どこでそんなに話が捻れたのかな?」
「惚けてんじゃねえぞ。サリアの悪い噂を聞いていたらしいじゃあねえか。」
彼らはあまり新聞を読んでいない質らしく、私服で歩いていたンヴェネとウィルが五星士であるとは気づかないようで、ただの傭兵だと思われているようだ。
「どうだい、ウィリー?」
「そう思うぞ、俺も。」
2人は目配せして、瞬時につま先で土を蹴り、男たちから逃げた。
ンヴェネとは最初の突き当たりで反対に逃げた。地の利は向こうにあるが、昨日散々路地裏も歩き回ったので何となくの場所くらいは分かる。向こうも分かれて走って来て、ウィルについて来たのは1人だけだった。
右、左、右。ジグザグに走り回ったが、やはり住人たちが無法に作り上げた下町は場所がかなり入り組んでいて、その内に突き当たりの下宿屋の前までやってきていた。
「あちゃあ、ここまでか。」
「無駄に、脚が、はええなぁ。」
軍で鍛えた持久力でウィルは息一つ乱していないが、男は肩で大きく息を吸っていた。
「さぁて、吐いてもらおうか。」
ナイフを掲げてウィルに近づこうとしたとき、ぴしゃりとした声が響く。
「君がね。」
男の背後でンヴェネが拳銃を構えて立っていた。ウィルもンヴェネも決して逃げる為に走っていたわけではなく、武器を構えても騒ぎにならなそうな場所を探していただけで、ンヴェネは背後から挟み撃ちする為に道を分かれたいた。
「僕らはサリアの命を狙ってはいない。むしろ守ろうとしている立場だと言っておくよ。」
「はあ?!」
「最近、この町では『嫌われ者』が死んでいっているらしいね?」
「…そ、れは。」
「僕らは犯人である男を見た。その男は僕らの仇敵である可能性が非常に高い。何がなんでもその男を捕縛したいんだ。」
「…だから、サリアを見ていればソイツが現れるかって?」
「とはいえ、本当にサリアがその男に狙われる可能性があるのか、を確かめたい。僕らにも時間がないからね。」
「俺が答えるかよ。」
「仲間の援護を期待しているなら無駄だよ。今キミの友達はお昼寝しているからね。」
挟み撃ちする筈が挟み撃ちされた元も子もないので、ンヴェネは既に後ろから追って来ていた仲間2人を気絶させてから追いついた。
「…くっ。」
バキュンと破裂音と共に男の肩が拳銃によって貫かれた。
「僕らは警察じゃないから、捕まえる気はない。情報だけ吐け。」
男の手には短刀があるものの、銃火器を持っているようには思えない。不利を悟った男は手を上に挙げた。
「…サリアはヤクの売人だ。」
「薬物の売人?」
ンヴェネは、不可解そうに尋ねる。
「そうだ。劇場の舞姫は、知識もないし、大体疲れているから、格好のカモなんだよ。」
「…それは有名な話?」
「いいや。」
ここにきてただの「町の嫌われ者」ではなく、本物の犯罪者が被害者候補に上がるのだろうか。しかも、被害者候補と町の人が話していたとアンジュが聞いたのは町にいるただの高齢の女性だ。
「…他に彼女が『嫌われ者』として挙げられる理由は。」
「あん?…さあな。よくアイツはこんな田舎町なんて出ていくって言っているくらいだが。」
「他に悪どいことは。いや、他の人から評判が悪かった、とかは。」
「同じ舞姫の中じゃあ、見た目もいいしダンスも上手いから売上がよくて妬まれてはいただろうがなぁ。」
「癇癪持ちだったとかは。」
「気は強いが、癇癪持ちじゃねえよ。」
ウィルとンヴェネは互いに顔を見合わせた。
「…で、俺からも聞いていいか。なんでサリアがあの殺人犯の被害者に当て嵌まるんだよ。」
今までの被害者像からはかけ離れている。
「町の人に次の被害者として予想されていた。」
男もそれに関してはよく分からないようだ。
これ以上男から聞ける情報はなさそうだと判断した2人は、警邏の人間に引き渡し、街中に戻った。
「銃弾、損したなぁ。」
「あいつの肩より銃弾の心配かよ、ンヴェネ。」
アンジュとルジェロが歩いていると、突然アンジュが小走りで先にかけて行った。
「デリーさん!」
「おや、こないだミーシャちゃんといた…。また前髪を下ろしていると雰囲気違うわね。」
ミーシャと歩いていた時に少し話をしたデリー夫人が窓の鉢植えに水を与えていたところだった。
「アンジュです。」
「ミーシャちゃんのお父さんの件は残念だったわねぇ。」
「…守りきれなかったです。」
俯いてアンジュは答えると、デリー夫人は守ろうとしてくれてありがとうねと返した。
「ミーシャのお父さんがああなってしまったのはここ最近のことだったんですか。」
ミーシャの話では1.2ヶ月前からおかしくなったということだった。解雇されるのがもう少し後だったら、殺害されることもなかったかもしれない。
「そうよ。贈賄したとかなんとかで、クビにされてしまってからね。」
聞くこともなくデリー夫人はそう話し出した。
「贈賄…?」
「あの列車よ。あれの設置について話を進めていたのがミーシャちゃんのお父さんなんだけど、その計画に贈賄があったとかでクビにされてしまったらしいわ。」
「あの列車ってかなりの期間かかって作られていますよね。それが今更?」
「ええーそうねぇ。その話を最初に聞いた時はミーシャちゃんがまた赤ちゃんだったと思うわよ。」
「なのに、今になって…。」
「悪い人ではないのだけれど、仕事ではちょっと強引な面もあったらしくて、職場で嫌われてしまったんじゃないかしら。」
「…そんな。」
「私も噂程度しか知らないんだけどね。」
色々デリー夫人はそう話してくれた。アンジュはありがとうと頭を下げると急いでルジェロの元へ戻った。
「高利貸しのアリーナの家ってどこにあるんだろ。」
「ンヴェネが資料を持っていたはずだ。宿屋に行けばあるんじゃねえか?」
「じゃあ、一度戻るか。」
「説明しろ。」
「『嫌われ者』の共通点探し。」
行かないという選択肢もあったが、ルジェロは嫌そうな顔だけをするとその背を追った。
宿屋に戻ると、ンヴェネと同室だったルジェロが文机の上に置かれた資料を持ち出し、アンジュに放った。ちらりと確認した上で
「そんなに遠くないから、すぐに行って戻って来れそうだ。」
「はぁ。」
「ルサリィ探して来ようか?」
「…いい。」
ルジェロから見て今1番竜の一族に近そうな人間が、このアンジュなのだから仕方ない。
「その嫌われ者の共通点って何がだ。」
「デリーさんの言ってることが気になった。ヒステリーのキャスリンはよその町から来た人で、ミーシャの父親は王都との列車を開通させる担当の役人。アリーナとグリードにもないかってさ。『よその町』っていうワード。」
「狙われるやつを見つける為にか。」
「そういうやつ。」
アンジュと共にすぐに宿屋を出て、真っ直ぐ2番通りを進み、ブロック端の3階建てのアパートメントの2階に彼女の店及び住宅があるようだ。ピンク色のペンキが剥がれかけた木製の扉には「未契約」の文字が紙に書かれて貼られていた。アンジュは管理人に話を聞くこともなく、彼女の家の前に立ち、耳を傾け物音がしないことを確認すると、
「…おい。」
「管理人に説明のしようがないだろ。」
魔法で簡単にくるりと錠前を外して、部屋に入った。
「お前、泥棒だったのか。」
「俺の村は厩にしか鍵をかけない。」
多少金銭を稼いで税金等は支払っているが、ほとんどが自給自足の村であるから、ろくに金銭なんて置いてないので馬が1番の資産というのは事実なのだが、流石に厩舎の鍵というのはアンジュにとっての最高のジョークだった。ルジェロには通用しなかったが。
高利貸しアリーナのその部屋は酷いありようだった。事件以降、管理人も何の対応もしていないようで、部屋中血だらけで、身内か泥棒かは知らないが金目のものは既に持ってかれているようで至る所の引き出しは出しっぱなしで、ボロボロな紙類と汚れた布だけが辺りに散乱している。
「この物件物凄い低廉で手に入りそうだな。」
アンジュの物言いに、ルジェロはさらに眉を顰めながらも指摘せず続ける。
「…テメェは何を探しているんだ。」
「アリーナ本人の家計簿とか?業務的なのじゃなくて。もしくは日記とか。」
「…この中からか。」
「一時間経っても見つからなかったら諦める。」
そう言ってアンジュは全ての引き出しを元に戻して、紙類と布類と家具を分け始めた。
「この空いた空間に、見たのは並べてほしい。」
無意欲的にルジェロが埃まみれになった紙束を眺めていたが、探し物が得意と言った彼のいう通りに目を通したのをそちらに置く。クルルも再び人の姿に戻ると、二人を手伝う。
「あ。」
しばらく無言での作業を続けていたところで、アンジュが何か見つけたらしく声を上げた。
「…なんだ。」
作業に飽きが来ていたルジェロは反応を示した。
「壊れた橋のサンセットブリッジの模型。」
「この荒れようだ。壊れてようが普通だろ。」
「でも、これは金槌で壊されていると思う。ほら、ここに丸い跡が残ってし、不自然にひしゃげてる。床に落としたとかそういう跡じゃない。」
「それがなんだって?」
「故意に壊したってことじゃん。」
「ああ…だな。」
なんとも言い表しづらいが、恐らく。
「…町への反対者って言う感じ?」
反乱を起こすようなものでもないし、反行政府に対するものでも恐らくはない。
「…おい、こんなのもあったぞ。」
アンジュがそう言うので、ルジェロは次に偶々拾った物をアンジュに見せた。
「…『この度の寄付、誠に感謝しております。』…態々王都の土木開発課から。」
特に債権が無いお礼状のせいか、誰にも持って行かれずに済んだようだ。高利貸しのアリーナが、「投資」ではなく「寄付」というのは気になるところだ。
ここが他国との街道の途中にあるそれなりの大きな町であっても、よその町の人とサンセットブリッジの人の間に線引きされている。何かしら高利貸しのアリーナもそこに生きづらさを感じていた可能性はある。
「で、次の標的は分かるのか。」
「分からない。」
「…おい。」
「ルサリィを探しにいくか。」
「…本当に探し物は得意なのかよ。」
「急いては事を仕損ずる、だろ。」
整理された書類たちをばら撒き、何事もなかったように魔法で鍵を閉めるとアンジュとルジェロは部屋を後にした。
丁度ビルを降りたとき2人を呼ぶ声がしてそちらに振り返った。
舞姫サリアは夜から行われる舞台の稽古をしていたが、一時休憩のために劇場の外に出た。劇場のすぐ裏には大きなゴミ箱があり、それに収まりきらずにいくらかはみていたり、そもそも入れる気のないゴミたちが散乱していて、お世辞にもきれいとは言い切れない場所だった。
「あーあー、やってらんねぇ。」
サリアは勝ち気で、誰よりもこんな場末の劇場を抜け出して自由になりたい、と考えていた。そのためにいくら同僚が犠牲になろうが興味なんてない。
「ああ、おい、サリア。」
声をかけられたほうに億劫そうに眼をやると、そこに知り合いの喧嘩屋の男がいた。ただいつもと違うのは、血がにじんだ包帯を巻きつけていたことだ。
「あんた、なにして。」
「俺のことはどうでもいい。あの、噂で。」
次は、恐ろしい暗殺者はお前を狙っていると伝えようとしたところで、男は目を見開いた。
「おや、よく知られていたね。―――そろそろ長居するのはやめておこうかな。」
サリアの背の向こうに、紫色の口紅をつけた男がにやりと笑った。薄暗い路地裏で、その暗殺者の剣がその少女の体を貫き、光った。
「サリ…」
貫いたと思った少女に手ごたえはなく、男の剣と舞姫のサリアの間に大きな氷塊が生えていく。
「氷…?」
不服そうに男が振り返れば、後ろに赤い髪の男がそこにいた。
「…何故、そこに君がいるんだい?」
「お前、あいつに言われたこと忘れてんだろ。」
少しだけ時間を戻す。
高利貸しのアリーナの入っているビルから出てきたときにルジェロとアンジュの二人の前に現れたのは、アンジュが傷を治した男だった。
「あれ、さっきの。」
「あ、えっと、さっきはありがとうよ。魔術師さん。」
「ああ、うん。」
「じゃ、それだけだ。」
男は礼を言って踵を返したところをアンジュは呼び止めた。
「そういえば、喧嘩屋のジョニーって知ってる?」
「…知ってはいるけど、そいつがどうしたんだ。」
男はジョニーの名前を聞いた瞬間露骨に嫌そうな顔をした。
「…嫌いそうだね。」
「っつたりめいだろ、王都側の地上げ屋だ。」
ルジェロとアンジュは互いに顔を見合わせた。やはり、猫という男は「町の嫌われ者」をランダムで消しているわけではなく、明確に『この町を嫌っている人間』を殺していたのだ。
そこで、ルサリィと合流し、ルサリィの案内でウィルとンヴェネと合流した。
「どう、なんかわかったことあるかい?僕たちはサリアについて調べていたけど、嫌われ者というより、本物の犯罪者だったよ。」
「どういうこと?」
「薬物を若い女の子たちに売りつけていたらしい。」
今までと毛色が違うよねと説明したンヴェネだったが、ルジェロとアンジュは、一目散に駆けだした。
「おい、その女はどこにいやがる!」
「え…、あの道をまっすぐに行った一番大きな建物…。」
何の説明を受けていないンヴェネは、困惑をするしかない。
「薬の売人なんて、町からしたら一番厄介な人間だ!」
そうアンジュが発言したのにも違和感を抱きながら、何か突き止めたらしい二人の後を追う。その後ろからルサリィが叫ぶ。
「急いでいるなら、任せて!―――つかめ、風よ。勇気ある者たちに追い風を。」
「え。」
体がふわりと浮かび上がる感覚がして、屋根の上に着地するとそのまま体が軽くなり、通常よりも足がよく回る。そうして ルサリィの風の力を使って、屋根伝いに向かっていたのだが、
「あ、ルジェロ、大変!」
「なんだ。」
「殺されちゃうから、行って!」
サリアが狙われていることに遠目で視認したルサリィがルジェロを無理やり飛ばした。さしものルジェロもそれには大分動揺した。
ルジェロが振りかぶった剣は、竜の一族の猫も剣で受け流す。ルジェロから来た反対側から、アンジュとルサリィが二人で駆けつけた。
「よかった、ルジェロ。間に合ったのね。」
ルサリィはサリアと喧嘩屋の男を後ろにやって、前に出る。
「ルサリィにあんなふうに飛ばされるのはちょっとかわいそうだったなあ。」
「ふーん、なるほど。魔法使いくんは僕の力を見て『よくやっていた。』って言ってたから再現なんて容易か。」
不敵に笑っていた顔から愉快さが消えて、嫌悪感を露わにした。アンジュが見抜けるからとはいえ、ルジェロは未だ猫の能力を見破れるわけではない。苛立った猫の姿が歪んで、ルジェロの首をまっすぐ狙う。
氷塊が猫の剣を受け止める。
「ルジェロばっかりにかまけていると死ぬわよ!」
ルサリィが起こした鎌鼬に避け、ゴミが舞う。
「ああー、風使いかぁ。」
忌々しそうにルサリィを見やるが、通常人はついていけないそのスピードですら、するするとルサリィの攻撃を逃げていく。
ルサリィは焦っていたが、不意にどんどんと空気が凍り付いていくのを肌で感じ始める。冷たいそれは、ルジェロの力だけとも言い難い。
あまりの寒さに猫もルサリィも一瞬動きが鈍くなる。その鈍った相手を鋭く一閃、ルジェロの剣が貫く。致命傷は避けられてしまったが、その肩に深く入り込み、剣が傷の前で抜けないように凍る。
凍り付いた剣は燃えるように痛いのだろう、苦しそうに顔をゆがめながら猫は笑う。
「糞が。」
「こっちの台詞だ。」
アンジュは男から剣を奪い、捕縛する。
「町を嫌っている人間たちを殺しまくって何をしたかったんだ。彼らは王都に列車を繋げようとしたり、薬を蔓延させていたり、地上げ屋として活動していたり、厄介極まりないだろうけれど、竜の一族と何の関係がある?」
「僕、君に言わなかったかい?僕の好きで殺しているから、何故と聞かないでくれるかって。」
苦悶の表情を浮かべながらも、ふふふと笑うことはやめない。
「それはシリアルキラーを装っているだけだろ。」
「いいや、真実さ。」
「アン、聞いたって無駄じゃねえ?話すわけない。」
「そうそうその通り。君たちが僕のことを理解することなんてあるわけないだろう。」
ははっと乾いたように笑った猫が見た魔法使いの顔は侮蔑でも憎悪もなく、どことなく好奇心を抱いているようで、得体の知れなさに思わず、おしゃべり猫の様相を消した。
「誰かのためではあるんだろうけど、自己満足で動いているっていう謙遜?」
薄紫色の瞳が長い黒い前髪の隙間からアンジュをねめつけるのを、人形のような澄ました顔でするりと受け取る。猫が、悪寒を感じたのは、周囲の冷気だけが原因ではないだろう。
―――ぴちゃん
遠くで水がはねる音がする。その音にその場にいる全員が何故か心臓が高鳴り、動揺した。驚いたのもつかの間、足元には“水面”が広がっていた。
「なんだこれ。」
誰かがそうつぶやいた。動揺が収まらないうちに、剣が刺さったままの猫だけが水の中に飲み込まれていく。このままでは逃げられると認識したルジェロが刺さった剣をつかんだ。それは氷ついて離れなかったのに、水の中に使っていくとお湯にかけられたごとく、易々と解けていく。
「おいっ、待て!!」
ルジェロが必死に水の中に手を伸ばしたが、猫の服をつかむこともなく、深く沈んでいった。猫の姿が消えるとともに、水は引いていき、全て何もなかったように、ただ冷たい風が吹いた。
「はあ、なんだ今の?」
「そんな術も持っていたのね・・・。」
「あんなに追い詰めたのに、ここで。」
今まで竜の一族が神出鬼没だったのは確かだが、このように突然出てきた水の中に飲み込まれて消えていくのは初めて見る。信じられないものを見たといち早く口に出したのはンヴェネで、それに追随するように、ルサリィとウィルが同意する。ただ一人、アンジュだけが放心して立ち尽くしていた。
『アンジュ。』
クルルが呼び掛けてもアンジュは反応しなくて、ウィルが肩を強くゆすった。
「おい、どうしたんだよ。」
「え、ああ。」
ようやくウィルのほうに焦点が合うと、アンジュはかぶりを振った。
「…あれは、だめなやつ。」
「なにが?」
それ以上、アンジュが口を開くことは無かった。悔しそうに剣を握りしめるルジェロと、話しかければなんらかの返事はするものの口を閉ざすアンジュに、ほかの三人はどうしたものかと顔を見合わせながら、仕方なく宿へと戻っていった。
ンヴェネが宿で報告書を書くから各々状況を答えろと返しても、アンジュとルジェロの回答に掴みどころがなくて、だあんと紙を机に叩きつけた。
「こいつら最悪だ!もう2度と組ませたりしない!」
いつもならもう少しちゃんと話すアンジュが話さないどころか、ンヴェネが叩きつけた音に驚いたのか、その手元ばかり凝視して状況は更に悪化した。
『今更で悪いけど、紙で叩く音はアンジュ凄く苦手かもしれない。』
「今まで馬車の鞭の音とか、銃声を聞いているのに、そんなピンポイントで苦手なの?」
『ぼくもそんなに詳しくないけど…。』
アンジュのことを話しているのに、当の本人はやはり口を閉ざしたままだった。ここで聞くのは取りやめて、ンヴェネは落ち着いて王都でまた聞き取りをするからといって、各々の自室に戻らせた。
ウィルは、半ば放心状態のアンジュを連れて部屋に戻ると、帰ったら何をしたいかなどと気楽な話を振る。そうすると、アンジュは少し悲し気な面差しで笑った。
「『お前はずっと優しいな。』」
「…え?」
それはアンジュの体で、アンジュの声で言われたはずなのに、まったく別の人間から、声をかけられた気がした。
「明日はもう帰るんだろうし、さっさと寝る。」
そそくさとベッドのほうへ向かったアンジュに、問いただすことはできなかった。
「俺の村は厩にしか鍵をかけない」
アンジュ渾身のジョーク
・王都と比べて、アンジュの村は金がないんだという皮肉と自虐




