12話 THE CAT
アンジュ・クラント(16) 魔法が使える不思議な少年
ウィル・ザ・スミス(19) 寄宿舎でアンジュの同室の面倒見のいいお兄さん
ルサリィ・ウェンディ(23) 風使いの女性 優しいお姉さん 右目は隠れている
ルジェロ・ビトレーイ(18) テロリスト「竜の一族」の追っている、不愛想な青年
ンヴェネ・ルーイ(25) ひょうひょうとしてそこを見せないが、五星士のリーダーとして力を発揮している。アンジュのことはあまり好きではない。
クルル 鳥の神獣 ミルフィーが命名。それ以外の名前は今は持っていないという。
五星士は民衆のヒーローとして作られた王国軍の広報担当でもある。その日5人に与えられた任務は、なんと王都から西の町サンセット・ブリッジにまで走る巨大な車、魔導列車が走るという国の一大イベントの参加し盛り上げるというものであった。
アンジュがいつものように無造作に髪を結んでいたのをルサリィは注意して、椿油を塗りたくり一本の綺麗な三つ編みをして、前髪も整えさせた。
「写真に撮られるのに、下手な髪型はできないわ。絵とは違って機械は修正してくれないのだから。」
好き勝手にされているのを、アンジュは平然と受け入れていたから、ルサリィも揚々と気合を入れてセットしていた。彼女は、王国軍の高嶺の花とまで言われているが、とてもセンスが良く、アンジュも垢ぬけた仕上がりになった。
「新入りくんってパッとしないけど、よーく見てみるとバランスいいよね。」
「どういう意味?俺褒められてる?」
「もっと太って筋肉つけて、ちゃーーーーーーーんとした恰好してれば、それなりにモテるんじゃない?知らないけど。」
長く含みを持たせたンヴェネのそれは全くもって褒める気はない。
「でも、ほら似合ってるわよ。王国軍五星士の正装!」
「いくらルサリィの発言でも認められないなぁ。服に着られてるじゃん。ルサリィは新入りくんに甘くて贔屓目出過ぎだよ。お母さん?」
「お母さん?!」
ルサリィはガーンと強くショックを受けて、アンジュの背に隠れた。ルサリィには悪いがウィルもンヴェネの言葉には同じ意見だった。そこで行ってしまうのは憚れるので口にせず、ウィルはンヴェネに返す。
「クリーンヒットしてるぞ、ンヴェネ。」
「…デリカシーなさすぎたね、ごめん。ほら、僕母親の記憶が薄いからさ。」
「そういえば、ンヴェネは赦してもらえると思って!!」
ぷりぷりとルサリィは怒るよこで、アンジュは話題を変えた。
「ンヴェネ、今日俺話さなくていいんだよね?」
「君が口を開くと、僕の胃が殺されるからね。絶対喋ろうとか考えちゃだめだよ。」
「それもどうかと思うけどな…、挨拶だけは適当にしとけよ。」
余程ンヴェネはあのダンスパーティーのことが堪えたらしい。全く話さないと言うのも外聞が悪そうだから、ウィルがフォローする。
パンパンという祝砲とラッパの音がなって、魔導列車の開通式が始まる。王太子と王女の二人も参加していたが、あのダンスパーティーの夜と違って、近い距離ではなく近衛兵たちに囲まれているのでンヴェネが心配するようなことは起こらなそうだ。
民衆たちは、初めて公に出る新しい五星士のアンジュ・クラントに興味津々で不躾にジロジロと見ては何かを話している。それをルサリィがそちらを向いてニコリと微笑むと、彼らは頬を赤らめて話をするのをやめる。その繰り返しが何回かあった。
長い式典が終わってようやく列車が走るというところで、五星士たちは個室がある車両で息をついた。個室の中は4〜6人が座れる、赤い布地を張った少し高めの椅子が備え付けられていた。式典では遠くから見守っていたクルルもまた魔導列車は楽しみなようでワクワクとしていた。
「貴族たちにはあのパーティーで知らしめたけど、市民の前に立つの今日が初めてだったね、そういえば。」
「めっちゃ見られてたよなぁ。その割にケロッとしているがアンらしいけど。」
「慣れてる。」
「それもそうか。」
思えば魔法使いなんて珍しい存在、目立たないようにするのが逆に難しい。あの村でもそうだったんだろう。
「サンセット・ブリッジに着いたら、明日の夕方まで休みだよ。好きに過ごしな。」
「ねえ、今日の夜皆でご飯食べましょ!」
「賛成。偶には仕事抜きで話すか。」
それまでずっと無言だったルジェロがげっと声を上げた。
「いつも1人なんだから、偶には仲間と話な、ルジェ。」
「俺は連携で困ったことはない。」
「確かに。困ったのは俺だもんな。」
サウスポートの一件をアンジュが持ち出すと、ルジェロはアンジュに冷ややかな目をやる。
「…新入りくんの肩持ちたくないけどさ、そこは先輩として面倒見なきゃ。ルジェ。」
「俺はアンが嫌味を言い出したところで驚いたけど。」
「僕には結構言ってるよ。
そう軽口を叩きながら、列車は進んでいく。ガタンゴトンと進み、車窓から遠くにトリパスの一番大きな建物が小さく見えた。
「トリパスの復興はどうなってるんだろ。」
例の一件で人口の5分の1が死亡。建物の損害はほとんどないものの、混乱により暴徒化した民衆もいたりと、中々人の心までは回復しない。
「…時間がかかるだろうね。…あの魔術師は絶対どうにかしないといけない。」
ンヴェネがそう言って、ルサリィも厳しい顔をした。
「ああ、被害がたくさん出たって言うカンカラをコピーして増殖させた魔術師か。」
現場は見てないが、ウィルもその報告の詳細は聞いていた。数少なくなってきているのにそんな厄介で凄腕の魔術師が存在するのかと衝撃を喰らったからよく覚えている。
「そうそう、新入りくんのことを知ってそうだったよね。」
「ヤナ長官にも言った通り、記憶にはないけど…。相手もはっきりとしたこと言ってないし、誰かと勘違いしてたような気もする。」
「でも、一直線に走って君に魔術式の解除を頼んだんだよ。」
「その誰かに縋りたいだけだった可能性もある。どうにもならないのに、頼んでくる奴はいるじゃん。」
辟易と答える様子に、何遍も繰り返し似たようなことがあったんだなと推察できるから、ンヴェネはそれもそうかと答えるだけだった。
「ただの興味本位だけど、新入りくんが一番困った懇願って何?」
「一つには決められないけど、『病気で亡くなったお母さんを生き返らせて。』と『人を殺したんだけど、罪を赦してほしい。』はかなり困った。」
ああとルジェロ以外の3人は呆れたように頷く。一般人、特に田舎の村では魔法は神の御技だ。そんなこともあり得るのだろう。
「その人を殺したやつはどうなったの。村の人?」
「それは隣のラシェルの街の人で、名前はメルヴィー・スカルディア。年は知らない。何をやってるのかも知らない。ずっと泣いて泣いて謝罪していたから、もう死んでる可能性はある。」
「あっけらかんと言うなぁ。」
「そんなに謝罪するくらいなら何で人を殺したんだよ…。」
アンジュもその人の心情どころか事情も全く知らないので、それしかなかったが、3人は見知らぬその人への邪推で話が膨らんでいく。結果、並々ならぬ事情があり思い詰めて殺してしまったが、敬虔なその人は罪を重く受け止めてしまっているという話に落ち着いた。
「そんなこと言ったら僕は何人の人を殺したことやら、って感じ。」
「ンヴェネは戦争の一番酷い時に兵隊さんになったんだものね。だからこそ、その分多くの人を救ってるじゃない。」
「まぁ後悔しているわけじゃないけどさ。たかが一人殺したその人と僕、どっちが悪党かって思うじゃん?」
「ンヴェネはそう言うことばかり考えてんだなぁ。俺は金!金!って感じだよ。」
軍に入ることは学のない少年が家族を養うための手段だとウィルは言う。
「…ンヴェネは人が好きだもんな。」
「新入りくん、何様ー?死人には冷たいとはいえ、生きている人の怪我は全力で治す奴がよく言うよ。人なんて殺したことないんでしょーが。」
「それは…、記憶のあるうちは?」
最早ンヴェネとの恒例となってきたが、拳で頭をグリグリ詰られる。
「本当は殺人鬼だったとかそう言う可能性はなくはないんじゃ?だってほら、あの魔術師は100人くらい殺してたじゃん。」
「これでも、僕は王国軍が君を発見した理由から悪い奴じゃないって思ってるよ。」
それはそれで、本気で気に食わないけどという心の声が聞こえた気がした。
しかし、スーザンという一例がある。彼女も悪人の質ではなかったではないか。それでもなお、自分の世界を守るために彼女は罪を犯した。
森の中のカーブの地点から、魔導列車の中が騒然とし始め漸く5人も知覚した。
「これ明らかにスピード落ちているよね?」
「早馬くらいのスピードになってきてる。」
その声は魔導武器に興味津々だったアンジュと同じだった。ンヴェネは魔法の彼かと心の中で呟く。
「興味あるから行ってくる。」
「モンスターが出たなら僕たちの仕事だしね。行くか。」
「オウケー、リーダー。」
「ええ、勿論。」
「竜の奴らかもしれねえ。」
意気込んだアンジュと他の4人が車両を出ると高そうな布の服を着ながら、草臥れた風貌の50代の男とぶつかった。
「あの、何があったんですか。」
技術部の魔術師だろう男は、不遜なアンジュを睨みつつ、
「魔導列車の魔術式がどうもうごがなくなったらしい。こんなことは試験期間中でも初めてだ!」
と、簡潔に教えてくれた。
「魔術式のトラブルなら僕たちは関係ないね。」
ンヴェネはそういうが、アンジュは違う。
「それって俺も見てもいい?」
「アンタがみてもな…、いや、お主は五星士の魔法使いか。若い感覚というのも必要かもしれん…。」
技術部の魔術師はぶつくさぶつくさ文句を言った後に、アンジュの顔を繁々と見て、ついてこいとアンジュの腕を引っ張って機関室の方へ連れて行く。
ンヴェネはあーあと呆れ顔で、隣にいたウィルを見やる。
「ウィー。」
「わかってる。俺の仕事だ。」
ウィルは連れていかれるアンジュの後を追うのに釣られてルサリィも行こうとするが、ンヴェネに止められた。
「邪魔になるだけだよ。」
「でも…。」
「似た境遇の彼が心配なんだろうけど。」
ルサリィは苦々しい顔をして大人しく車両に戻るンヴェネの後についていくが、ルジェロはそれについていかなかった。
「ルジェロ?」
「…本当にいないのか、確認してくる。」
ルジェロにとっては、どうでもいいのだ。
「…機関室には行かないようにね。」
ンヴェネの忠告を聞いたのか聞いてないのかわからない。あいも変わらず敵を探しているようだ。
機関室には隙間が無いほどにあたり一面に機械の類があり、その中心に3つの大きな魔術式と付随して幾つもの歯車が動いていた。それがこの大きな車を動かしているのだろうと思うと、浪漫を感じる。
「で、あるからして、エネルギーの変換をして。」
しかし、魔導技術変態の男が高尚にペラペラと説明をしてくれているがウィルには珍紛漢紛だ。真剣に話を聞いているように見えるアンジュに、
「アンは何言ってるのか分かるのか?」
と、耳打ちをすると、
「全くわからない。」
大真面目に言うものだから、笑いそうになった。
その魔導技術の変態が話している内容がより数学的になっていて、ウィルは訳が分からなかった。鳥類の神獣であるクルルも、その人間の話にはついていけないらしい。
それは隣いたアンジュも同じなのかはいと手を挙げた。
「要はその真上の魔術式が動けばとりあえず列車は動くってことだろ。」
「魔法使いくん、これは幾多層も組み合わさった魔術式だって説明したよな?下二つから動かさないと意味が。」
「右は魔力結晶から魔力を引き出すやつで、左端は上の魔術式にその魔力を変換して供給ってことでしょ。とりあえずの策としてこのまま停車するんじゃなくて駅についてからのほうが皆は対処のしようがある。全く分からない俺にはないけど。」
「い、いや。たしかにその通りだが、だけど連携しているから一つを動かすというのは難しい。この非常に複雑な魔術式を描くのも大変なのだから組み替えることも…。」
アンジュは首を傾げて、とても、不思議そうな顔をした。
「だから、一番上の魔術式に『同じ』魔力を流せばいいんだろ?」
「君こそ何を言っているんだ。」
魔力は人によって、動物によって魔力が異なる。魔力結晶なら長い年月をかけて結晶化するために殆ど同一だ。アンジュは死んだ魔力は使いづらいとは言うが、知識さえあればある程度の範囲で誰でも使えると言うことだ。
だから、この場で非常識なことを言っているのはアンジュで、普通なのは技術部の彼らだ。
だけれど、アンジュの行動を止めようとする人間は出てこず、彼は技術部の人間たちをかき分け、その一番上の魔術式に手をあてる。
ウィルの魔導武器の使い手だ。アンジュが魔力を発出しているのは分かるが、すぐにその魔術式は動かなかった。
ほらやっぱりと言う落胆が技術部の人間たちから伝わるが、一番熱心に話をした男だけがこアンジュから目を離さなかった。
アンジュは幾重にも重なったダイヤル式の錠前を1桁ずつ回して開けるのに挑戦するような感覚で魔力を変質させていく。
「そんなことが、可能なのか。」
男は思わず溢した。アンジュの青い目が一瞬だけ赤く瞬いた。止まっていた歯車がぐるぐると動き出し、もうほとんど止まりかけていた列車が再び加速し始めた。
やった動き出したと安堵したのも束の間、5分後には。
「ハヤイハヤイハヤイ。」
「魔力、魔力入れ過ぎ!」
機関室は阿鼻叫喚となった。その渦中にいるくせに一人できょとんとしているアンジュだけが平和だ。
「脱線する!脱線するから、弱めて!」
その魔力の調整にさしものアンジュもうまくいかない様子で、弱めると今度は魔術式が反応しなくなったりした。
「もうちょいもうちょい。」
「ぎゃー、はや、はやい!」
何度もそれを繰り返して、漸くアンジュが安定して魔力を供給できる頃には1時間が経過し、機関室の人間は疲れ果てていた。
「ははは、慣れてきたけど、もうこの旅も終わりだな。」
目的のサンセット・ブリッジ駅はもう目と鼻の先だった。
「停車は少しずつ魔力抜け!ブレーキの方はうまく動いているから、気楽に行け!」
そうしてお祭り騒ぎの機関室で、無事駅に到着すると年齢など忘れて肩を叩き合って喜び合った。何もしていないウィルにも、良かったなと声をかけられる始末でウィルは何が何だかと思った。
ずっと魔術式を発動していたせいか、アンジュは疲れたと珍しくへたり込んだので、ウィルは労って手を差し出す。
王都に1日で戻る予定だったが、魔導技術の不具合ということで、サンセット・ブリッジでの滞在は予想よりも延びそうだとンヴェネは話す。
「でも、これまで何度も試験運行してたっぽいのに珍しいよねー。」
「やっぱり竜の一族が関係しているのかしら。」
「普通に試験より重かったから、とか?」
「そんな初歩的なミス?」
予定通り夕方に到着したので、宿で堅苦しい制服から着替えると、ルサリィの提案で5人である食堂に向かう。
町の中央に流れる川に係る大きな半円形のアーチ橋がかかっていた。赤い太陽が水面に写り、ルビーのように輝く。
「綺麗!」
「正しくサンセット・ブリッジ、だね。」
実際橋の名札にはそう書かれていて、この橋がそのまま町の名前になったようだ。
まだ夕食の時間帯としては少し早いせいか、食堂に人は疎らで、5人という大人数だったがすぐに席に案内された。ちょうど良い頃合いだったのだろう。5人の元にご飯が運ばれる頃には、ほとんどの席が埋まっていた。
「ちょうど良かったわ。」
「少しでも遅かったら座れなかったかもね。」
「てきとうに頼んだけど、これ何?」
「アンのはサルジー牛の肉のスープだな。なんか知らん実で煮込んだって書いてある。」
「カルの実。」
全く話に参加する気のないルジェロが、ボソリと呟く。
「カル?」
「ここら辺じゃよく採れる。」
「お前この辺の出身だったのかよ。」
知り合ってから一番長い年月一緒にいるウィルが驚く。
「ウィーはルジェのこと知らなすぎじゃない?」
「興味ないよ、昔っから。というか、ンヴェネは知ってたのか。」
「僕はリーダーだから出身地くらいは、書類見てるよ。」
「…俺がどこ出身だろうと関係ねえだろうが。」
ウィルとルジェロが喧嘩しているのを無視して、アンジュはそのスープをパクパクと食べ始めた。
「あら、美味しいの?」
「美味しい。」
「アンの美味しいの基準低いけどな…。」
前にルジェロとウィルと3人で出た任務の際に訪れた宿屋の料理が驚くほど不味かったのだが、それもぺろりと気にせず食べたのだ。もう一人の頓着しないルジェロですら、顔を歪めて堪えるように食べていたのにも関わらず。
「アレは肉が臭いだけで、味は美味しかった。」
「その臭さのせいで何もかも消えてんだよ。」
料理の話で盛り上っているところだった。近くの席の男たちがとある話を始めたのに5人全員耳を傾けた。
「そういや、今度はあの浮浪者のトム爺が殺されたらしいぜ。」
「今月に入って何人目だ?先週の火曜日には暴力屋のグリードが殺されてたよな。」
「その後に、ヒステリーのキャスリンが死んでるよ。」
「高利金貸のババアも殺された。」
「アリーナの婆さんもか。あの人は老衰じゃねえの?」
「妹が発見したらしいけど、彼女曰く喉を一突きだったって。」
殺人事件がこの町で多発しているなんて彼らは聞いたことがなかった。警察ではないが、今回要人が来るのだから、治安が悪くなったと言うのならば直ぐに報告が上がっていてもおかしくないのに。
「まあ、殺されたのは全員町の嫌われ者だ。」
「暫くは品行方正に生きろってこった。」
浮浪者のトム、ヒステリーのキャスリン、暴力屋のグリード、高利金貸のアリーナ。共通点は全員町の嫌われ者らしいということ。
「…嫌われ者が殺されたから、誰もあまり文句も言わないってことか?あの様子じゃ町の警察もおざなりな捜査なんだろうな。」
ウィルの言う通りなのだろう。なんとも言えない空気が広がるが、モンスター関係でないのならば権限外のことだ。なにかすることはできやしない。
「滞在中、気をつけて過ごさないとね。…後で上にもい言っておかないと。」
「だな。」
勘定を済ませて、5人揃って食堂を出る。寝るにはまだ少し時間が空いている。
どこか寄って行くかと話していると、アンジュは前からくる子供とぶつかった。
「ご、ごめんなさい。」
ぶつかって尻餅をついた女の子は9歳くらいで、彼女が出歩くには危険な時間だ。アンジュは助け起こし、涙を堪える女の子に何をしているのかと尋ねる。
「あたし、お父さんを探してて。」
「お父さん?でも、もう暗いからお家で待ってた方がいいんじゃないの?」
しゃがんで女の子よりも視線を低くするアンジュを見て真似して、ルサリィも屈んで話しかける。
「ええ、特徴を教えてくれれば私たちが探して伝えておくわ。お嬢さんは危ないからお帰りなさい。」
「で、でも、お父さん…。」
「お父さんがどうかした?」
「殺されちゃうかもしれない…。」
女の子はミーシャと名乗った。彼女の拙い話から察するに、彼女の父親は1,2ヶ月前までは、町の役人として働いていたが、不当な解雇にあい、それ以降昼から酒を飲み歩くようになって様々な所で騒ぎを起こしてはミーシャの母親が謝りに行っているのだという。
町の中で嫌われている人が殺されるという事件が相次いだから、彼女は心配して探しているらしい。
「お父さん、色んな所で怒鳴ってるし…。」
「それは…、確かに同情する事情はあっても、町の人は嫌な気持ちにはなるかもしれないわね。」
「じゃあ、ミーシャ、一緒に探そう。」
ミーシャの父がそうなって以来、ミーシャの母は夜遅くまで工場で働いているらしく、彼女を一人で帰すのも危ないと思ったアンジュはミーシャの手を繋いだ。
「勿論、お姉さんも協力するわ。任せて!」
「僕も町を散策するからそれっぽい人がいたら帰るように伝えておくよ。」
五星士たちはバラバラの方向に散った。
ンヴェネは散策とは言ったが、優先して探してくれるのだろう。
クルルもまた空に舞い上がって探しにいった。
アンジュはミーシャの父親の話を聞いた。確かに飲んだくれとなってしまって以来、ミーシャのことをあまり構ってはくれなくなってしまったようだが、それまでは厳しくも優しい父親だったらしい。ミーシャの誕生日に一緒にダンスしてくれたり、歌を歌ったり、肩車したり、彼女が話す父親はどれも鮮明だった。
「いつものお父さんもその内戻ってくるってお母さんも言ってた。」
「そうだな。」
「お兄ちゃんのお父さんは?」
「俺のお父さん?…覚えてないんだ。」
「そうだったの?じゃあ、お母さんは?」
「すごく優しい。ミーシャのお母さんにだって負けないよ。」
「えー、ミーシャのお母さんの方がもっと優しい!」
二人でいかに自分のお母さんが優しいかを自慢して、ぽつぽつとガス灯がつき始める夕闇の道を歩く。
「あらミーシャちゃん、色男を捕まえてどうしたの?」
「デリーおばさん。お兄ちゃんと一緒にお父さんを探してるの!」
「あら、またお父さん飲み歩いているの。こんなに可愛いミーシャちゃんを置いて。見かけたら私からも早く帰るように言っておくわね。」
じゃあね!とミーシャはすぐに切り上げて、再び歩き始める。あまりミーシャを連れて狭い道は通りたくはなかったのだが、飲み屋を探すとなるとどうしてもそう言った道を歩かざるを得ない。
「ここら辺は兄ちゃんの仲間に任せて他行かない?」
「でも、あっちにたくさんお店屋さんあるよ。」
何かあった時のために帯刀はしているが、果たしてどこまで使えるかと不安に思いながら、仕方なくミーシャの言うようについていく。
世界を呪う理由に残酷さがあった。
小さな店から叩き出されるように出てきた男が千鳥足で路地の奥へ進む。この野郎だとか、ふざけるな、馬鹿にするなと怒鳴り声をあげているものだから、かなり遠くからでも男の存在を認識できた。
「お父さん!」
「あれが。…かなり酔っ払ってるな。」
確かに周囲の人間から見たら厄介極まりない。アンジュはミーシャを抱えて、男に駆け寄る。
男まであと数ヤード。その時である。
「五月蝿いね。」
ミーシャの父の前にどこからともかく人影が出てきて、まるで蚊でも払うようにその手を振るった。細身の剣を持ったその手を。
椿の花のように何一つ欠けることなく首から男の頭が落ちた。
金縛りにあったように、アンジュの身体は動かなかった。しかし、ミーシャは違った。何が起こったのか理解したのかしていないのか、アンジュの腕から降りて父親に駆け寄りその頭を抱き寄せた。
「み、しゃ。」
そして、男の首は動かなくなった。
ミーシャの幼い体からは信じられないような金切り声がして、アンジュは漸くその身体を動かせた。
「悪かったね、酷いものを見せた。」
男か女かも分からない声で、謝ってるのか侮辱しているのか分からないが、ミーシャの父親を切り捨てた人影は、今度は幼い少女へと剣を向ける。
それだけは、アンジュはさせなかった。
「赦さねえ。」
その人がガス灯によって照らされた。染められたような黒髪、アイライナーで強調された瞳、紫色の口紅。そうして気取った男は、くすくすと笑った。
「赦さなくて結構。僕は自分の好きで殺してる。」
血塗られ剣を見せつけるように、ミーシャからアンジュへと向けた。
「あと何故殺したとかも聞かないで欲しいな。」
男はアンジュが振るう剣を簡単にいなし、そのご自慢の足で引っ掛けて転ばせた。アンジュが体勢を戻そうとする前に、男はアンジュの目を突き刺すように狙う。
避けられないと悟ったアンジュは、自分の右腕で目を庇った。右腕に剣が突き刺さるが、頭に血が昇っているせいか痛みは感じない。そのまま手のひらが切れるのを無視して左手で剣先を思い切り握りしめる。
「頭がいかれたかい?」
アンジュは剣が絶対に抜かれないようにしながら、その男を蹴り飛ばすとその体躯はそれほど大きくないので、2ヤード程飛び壁に勢い良くぶつかった。
「アンジュ!」
ミーシャの金切り声を聞いて、文字通り”飛んできた”ルサリィがアンジュの横に並んだ。
「っと、仲間か。」
アンジュの蹴りも腹部のいい所に入ったのだが、あまりダメージをくらった様子ではない。
男はルサリィが来ると同時に闇に溶けるように逃げ、ルサリィが追いかけようとしたが男の姿は忽然と消え追いかけることはできなかった。
アンジュはあまりにも雑に自分の腕からその剣を抜き去り、ふらふらとミーシャの元へと歩み寄った。
「アンジュ、乱暴に抜いちゃダメでしょ!」
ルサリィの咎める声など全く届かなかった。アンジュはミーシャの前に座り、その頬に手を添えた。
「ミーシャ、ミーシャ、俺の目を見て。」
涙が一杯に溢れた目でミーシャは、アンジュの青い瞳を覗き込む。アンジュの声は子守唄を歌うように優しく、手は涙をぬぐうように撫でる。
「ミーシャは路地裏には来なかった。お父さんは見つけられなかった。デリーおばさんと話した後、俺におぶさっているうちに寝た。いいね?ミーシャは何も見ていない。怖いことなんて何もない。だから、大丈夫、ミーシャ。ね?」
深い深い青の瞳に吸い込まれるように、ミーシャは眠りにつき、体から力が抜けるとアンジュの腕にもたれかかった。
「アンジュ、なにを。」
そうしているうちにも、アンジュの傷からは赤い血が流れ続けていて、ミーシャの服は父親の血とアンジュの血でひどく汚れてしまっている。
ルサリィの後に続いて、他の3人の五星士たちや、怖いもの知らずの町人たちが集まり始めていた。
アンジュはミーシャを抱きあげると、ウィルの腕に任せた。それから、最後に服や身体についた血を落とす魔法をかけてミーシャから離れた。
それまでで精一杯だった。何せその日は1時間以上慣れない魔導列車に魔力を与え続けていてたのだ。そして、動脈を貫かれたことにより大量出血状態で、そこでさらになんらかの魔法を使ったアンジュは倒れてしまった。側にいたウィルは、託されたミーシャで助けることができなかった。いや、それ以上に、アンジュが小声でずっと謝罪していたことに動揺していた。
「ちっ。」
いくらなんでも、ルサリィは男のアンジュを抱えることなんてできなかった。代わりにアンジュの血に汚れることを厭わず、抱えたのはルジェロだった。
「宿でいいのか?」
騒然としていた現場を纏めていた、ンヴェネにそう尋ねた。ンヴェネが自分から彼が動いたことに驚きながら、任せたと笑って頼んだ。ルサリィはさっさと立ち去ろうとするルジェロを止めて、簡単にアンジュの腕の傷に包帯を巻くと、ルジェロにアンジュを任し、混乱する現場を纏めるンヴェネの反対側で同じように民衆たちをなだめ始めた。
「…じゃあ、ルジェロ、任せたから。俺は、ミーシャの母親を探しに行く。」
ふんとお前のことなど存ぜぬとでもいうように鼻を鳴らすと、さっさとルジェロは大けがを負った仲間を背負って夜の中を歩いて行った。クルルが空から戻ってきて、アンジュを呼び続けたのだが意識は戻らない。
夜。あの騒ぎなど遠くの向こうにウィルが感じていると、宿屋のアンジュとウィルの部屋にンヴェネとルサリィが草臥れた様子で戻ってきた。
「やあ、ウィー。命知らずは無事かい?」
「…なんとあのロイ王太子殿下がわざわざこの安宿のほうまで見舞ってくれたよ。」
「僕は今新入り君が眠ってくれていて安心したよ。で、今夜の状況ちゃんと知っている人は何人?」
ルジェロも含めて全員がアンジュのみを指さした。あの場には犯人と被害者であるミーシャの父親、それから、アンジュとミーシャしかいなかった。
「私が一番最初にアンジュのもとについたの。その時すでにミーシャは泣き叫んでて、アンジュに剣が突き刺さっていたわ。」
ルサリィは布に来るんだ、唯一の証拠である細身の剣を見せる。
「これ王国軍の支給品じゃん。シリアルキラーは元軍人?」
分かりづらいが、柄の端に管理番号が振ってある。ンヴェネはこれは国境警備隊がもっている軍刀だろうという。
「私が追いかけられなかったのよ。魔術、もしくは魔法で消えたと思うわ。」
「…竜の一族か。」
ルジェロがぼそりと呟き、ルサリィもその美しい顔を歪ませて頷いた。ンヴェネも頷いて、警察と話して来た内容を合わせて話す。
「僕は死体を見てきたけど、あまりにも職人芸。傷跡はその一つのみだった。じっとした人をギロチンのように重力で思いきり刃を落とすならまだしも、動いている人間をたった1回で首を落とす、なんてできる人を僕は一度も見たことが無い。」
「それだって、竜の一族のアイツらなら可能だろ。…軍刀も盗まれたんだろ。王都じゃなければあいつ等は神出鬼没だ。」
そう、竜の一族という人間たちは、世界中どこにでも現れ、人を恐怖に陥れては消えているが、ルーグ王国の王都にだけはまだ一度も彼らは現れたことが無い。理由は王都全域を囲う魔術式防御システムだ。
「そー考えると、あの魔術式防御システムってとんでもねえ代物だな。500年前からずっとあって王都を守り続けたってやつ。未だに全貌解明できてねえ、天才の魔術式。」
「その天才が全てを隠匿したまま消えたから、今もなお破られないのかもよ?それを壊すのが新入り君だったりしてー、怖いねえ。」
ンヴェネはヘラりと冗談と笑っていたが、3人は全く笑っていなかった。
「もしアンジュが国に愛想を尽かしたら…、もしリーラさんが亡くなってしまったら、全くあり得ない未来じゃないわ。」
「そうなったとしたら、ルサリィは彼を殺すの?」
全てを失ったルサリィはこの国に拾われた。この国が無ければ生きられないのは、ルサリィだけだろう。
「知らない。分からないわ。だって、アンジュは優しい子だもの。」
「優しいからこそ憎む。」
「…そう、なのかもしれないけど。」
ンヴェネの言うことに、心当たりがあるのは全員同じだった。クルルがずっとアンジュの胸の上に乗って悲しそうに縮こまる。五星士たちに声を聞かせる余裕はないようだった。
翌日になってもアンジュは目を覚まさなかった。ルサリィとウィルはあの後のミーシャが気になって彼女の家を訪ねた。母親が出てきて応対してくれたが、やはりミーシャに昨晩、父親が殺された記憶は無いようだった。丁寧に話はすり替わっていて、アンジュが背負ってくれているうちに寝てしまったということになっていたようだ。恐ろしいのは、最後アンジュとこの家のドアの前で別れたことになっていたことだ。幼い彼女が自分で恐ろしい記憶を消して、都合のいいように記憶を変えたのかもしれないが、そうとは思えない。
ウィルとルサリィが再び宿屋に戻ると、部屋には再びロイが見舞いに来ていた。
「王太子殿下。今日も来てくださったんですね。」
「ここにはお忍びできているから、ここではロイと呼んでくれないか?」
「畏まりました、ロイ様。」
「医療の魔術師によって傷は治ったが、意識が戻らない。」
王太子であるロイの遠出ということで、運良く医療の魔術師がついて来ていたのは僥倖だったが、アンジュが目覚める気配がないと命に別状はなく穏やかに眠る彼から全員の視線が神獣のクルルへと向かう。ずっと黙り込んでいたクルルが、漸くその重い口を開いた。
『結構君達に話しかけるのって疲れるんだよ!全くー。…目が覚めないのはアンジュが“魔力欠乏状態”だからだと思うよ。』
「魔力欠乏状態とは?」
『最近の魔術師は元々の魔力が少ないから起こらないけど、身体の細胞、組織液等々、身体を構成するものに魔力って含まれるんだ。つまり、魔力が多ければ多いほど、身体の構成が魔力で出来ている割合が高くて、大量の魔力消費すると魔力欠乏状態になる。これは簡単に言うと超虚弱状態って言っていいのかな。歩けなかったり、物が持てなくなったり、目が見えない、耳が聞こえない、記憶障害など色々起こり得る。ただその全てが起きるわけでなくて、大体は一つか二つの症状が出る。』
「え、魔力をたくさん持ってるっていいことばかりじゃないんだ。」
昔は人間も魔力をたくさん持っていたはずなのだが、いつしかそうでは無くなった。人はそれを退化だとも言うが、魔力という不安定なもので身体を構成させるよりも安定した生物として進化したのだとも言える。
『身体の構成が魔力の割合が高いのは、メリットも勿論あるよ。魔法がたくさん使えるだけじゃなくて体の不調が起こりづらいし、老化は遅かったりする。これも全てがそうなるっていうわけじゃないけど。』
「色々あるのね。…それでその状態から回復するには時間経過しかないのかしら。」
『魔力を移すことができれば回復は早いけど…。ぼくが人間じゃないからできないんだよ。』
「それって人間とか鳥とか関係あるんだ。」
『人間とぼくら鳥が同じようにでできてるって?』
「…なるほどー。」
同じ人間でも個体差があるのに、生物の種類が違うのであれば、それは不可能だと理解できるような理解できないような気がした。
でも、一つ分かったのは、神獣という特別な存在であっても、鳥という生物の枠からは外れることができないらしいことだ。
『あの列車でアンジュみたいに自分の魔力を変質できれば、血液型ほど厳しくないけどね。人間同士であれば。』
ウィルも魔導武器が使えるとはいえ、魔術式を扱えるほどの魔力持ちではない。ルサリィもまた別の力だ。
この中で一番可能性がありそうな王太子であるロイがクルルに尋ねる。
「やり方を教示されれば私ができるか?」
『魔法が…魔術が使えるまで何年?」
「15年程度かかったな。」
『…それほど魔力が希薄なんだよ。だから、無理でしょ。』
「これでも人間の中では早い方なのだかな。」
『5年程度で死ぬ虫だって魔法が使えるっていうのに。』
「なるほど、そう言われると確かにそうだ。」
「…それってアンは何歳くらいからできてたかって知ってるわけ?」
つーんとクルルは突然そっぽを向いた。アンジュと仲良くしているウィルには比較的クルルは優しいのだが、今回はすげなくされた。
『アンジュは魔力コントロールが下手なんだ。無駄に魔力を使ってるからこうなる。』
「急に冷たい言い方だな。ただでさえ、10歳以前の記憶がないっていうのに、また記憶障害とか出たらとか思ったりしないんだ。」
『…甘やかすのは間違いでしょ。今までが間違いだったんだ。きっと。』
「…おーい、クルル?」
クルルは音にはしておらず、思念で会話をしているはずなのに、どうも不穏な言い回しだった。
「クルルがアンジュに魔法の使い方を教えるというのかしら?」
『え。』
「…そういう流れかと思ったのだけれど。」
ルサリィの言ったことに今まで一度も考え付かなかったとでもいうように驚きを見せた。
「まさか、ただ厳しくするというつもりだったのかしら。」
『ロイ・モルガン。きみはどうやって魔術を使うと教えるんだ。』
「え、こう体のエネルギーを捻り出すように。」
いつも穏やかで凛とした王太子が、カエルを踏んだような声を出して、焦りながらなんとか説明しようとするのを見て、「ああ、同じ人間なんだな」と変な感慨をウィルは持った。
「でも、基本は魔導武器と変わらない筈だ。ねえ、スミス少尉。」
「えと、そうだなあ。こうなんかこう気功を練る感じで。」
『ほら、みんなそうじゃん!』
「五月蝿い。」
全員の騒ぎようをピシャリと遮るように、彼は言った。
「アンジュ!」
ルサリィが助け起こすと、まだ身体が怠そうで少し機嫌が悪かった。
「…ごめんね、騒いで。」
「ルサリィじゃないよ。」
「止められなかったから。」
ロイもごほんと咳払いして取り繕い、ウィルは話を変える。
「体の具合はどうなんだ?」
「…手足には異常なし…、目が少し霞んでる。」
アンジュは手をグーパーと開いたり、足を動かしたりと慣れた様子で自分の体の状態を確認した。
「頭かな…。」
「ミーシャと父親を探したのは覚えてるか?」
「…覚えてる。」
と、言った直後に苦しそうに頭を抱えた。
「血が沢山。」
「あ、そう、だったな。」
首を切られたことにより、現場の路地裏もかなり血の海だったが、妙な言い方だなとウィルは引っ掛かりを覚えた。
「…ミーシャは。」
「父親が死んだことは『知らされた』けど、あの夜ミーシャの前で殺されたことは覚えてないよ。」
「そっか。」
「そう仕向けたんだろ?魔法で。」
ウィルが尋ねると、尋ねられたアンジュよりもロイの方が驚いた。
「そんなことができるのか?」
「…難しくはない。ショッキングなことが起きると記憶は消える。俺は魔法でそれを促進させただけだ。」
「そうか、アンジュ。キミは随分沢山勉強して来たんだね。」
アンジュは初対面が良くなかったから、ロイに対して強い嫌悪と警戒心を抱いていた。ロイから少しでも身体を引き離そうとベッドの奥にじりじりと移動する。ウィルは今更ながら、ンヴェネがアンジュに何も話さないようにと何度も繰り返し言い含めていたのを思い出し遮った。
「それよりだ、犯人は覚えてるか?」
アンジュは目を伏せて一度深呼吸をしてから矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「中性的に見えたけど男。年齢は23、4程度。髪色は染色された黒。目元も黒いアイラインで強調されていた。瞳の色は薄紫に、口紅は紫。身長は俺とそんなにあまり変わらない。服装は…、見たことないトップスと黒のスラックスだった。」
「…随分奇天烈な恰好をしているな。」
この国では男が化粧をすることを好かれていない。女性であっても口紅も赤がほとんどで何で染めれば紫になるんだとウィルは頭を巡らす。
「首を簡単に切り落とせるような筋肉のつき方ではなかった。しかも、結構いいところに蹴りが入ったのに、あまり効いていないようだった。」
「…そうか。」
「あと、やっぱり竜の一族っぽい力だったと思う。」
「昨日の時点でおそらくそうだろうって言って、ルジェロは必死になって探し回ってるよ。」
サウスポートの南町でルジェロが竜の一族の男であるハティと戦っていた時、死ぬことを厭わないように全て投げ打って戦っていたから、付き合いが短いアンジュでもその様子を容易に想像できた。
「…俺も探しに行かないと。」
『ばーか。今行ったらアンジュはすぐにぶっ倒れるよ。本当に目が霞んでいるだけ?』
「…耳鳴りがするくらい。」
『耳だっていつもより聞こえてないから耳鳴りが起きてるんだよ。三半規管がやられてるのに、ちゃんと歩ける筈ない。今魔法使ったら、いつ目が覚めるか分からないよ。記憶だって飛ぶ可能性も普通にある。』
神獣はそう言うとアンジュの頭に激突し、物理的に気絶させた。
「神獣様ー?そこ魔法で気を失わせるとかできたんじゃ。」
いくらアンジュの無茶に怒っているとはいえ、手荒すぎて、ロイもこの神獣に閉口している。
『物理攻撃の方がよく効きそうだったから。』
「…そうなのかもしれないけど。」
『じゃあ、ウィル。ここはロイ・モルガンとルサリィに任せてぼくらも探しに行こうか。』
「何で俺?!行くのは構わないけど。」
『戦力外の王子はここにいてもらって。一番頼りになるルサリィが見守ってくれたら安全だよ。』
「…いや、まあ、確かにルサリィは俺たちの中で最強だけどさ。」
風の民の風を操る力は、古代の力ともあって中々解明されていない。神秘的とされていても魔法や魔術の方がはっきりとした理論や体系が作られ、全貌とまではいかないまでもその輪郭は見えているから、対策はそれなりにとられているが、ルサリィのそれは全く別物で、その力を突破できるものはまだいない。
「分かったわ、クルル。貴方のお友達は私が守るから、安心して。」
「私には人を守る力はないが、外に待機している人間は優秀だから、こちらは大丈夫だ。」
お忍びできたので大した人数ではないが、護衛もルサリィもいるので安全ではあろう。ウィルは後ろ髪をひかれながらも、クルルの言う通りに犯人を捜しに向かった。
「あのルジェロはどこら辺捜してんのかな。あまり分散もしたくはないけど、2度手間3度手間する時間もないだろ。クルルはあの竜の一族特有の神出鬼没の能力は知らないか?」
『原…は知ら…い。』
「なら何を知ってんだ?」
『意…悪…いわけでな…けど、きみ…教え…れ…い。』
クルルの思念が、なんとなくは伝わってくるもののノイズが走っているように聞き取りづらい。
「なんか、めちゃくちゃ聞き取りにくいんだけど?」
『…あい…。アン…。』
「ん?」
どんどんと歩みを進めていけばいくほど、クルルの思念が届かなくなってきている。しびれを切らしたのか、クルルはウィルの頭から離れると、突然光に包まれ、その光が消える頃には8~9歳程度の金髪の人間の子供になっていた。
「…え、えとクルル?」
しかし、クルルは口をパクパクさせるだけで、なにも音にはなっていなかった。思い通りにならなかったのかクルルはむすっとすると、紙とペンを持ってこいという動作を示した。
「ゲッ、持ってきてねえ。買ってくる…しかないか。」
紙とペンは痛い出費だけれど、背に腹は代えられぬ。仕方なしに雑貨屋に行って購入した。
「…はい。」
クルルに渡すと、こくりとうなずき、手慣れた様子で文字を書き始めた。
――――まず余の声が聞き取れないのは、仲介となっているアンジュと離れたからだ。
思念とは違って堅い文章で書いてきたので、そこにも面をくらいながら気にしないふりをする。元々アンジュと話すのには苦ではないという話をしていたが、こうして話すのにアンテナの役割を果たしていたとは思ってもなかった。
「それってどれくらいの距離で聞こえなくなるんだ?」
――――普段ならまだ問題ない距離だが、気絶しているうえに魔力欠乏状態だから、30メートルくらいか。
「あー、メートルで出されると分かんなくなってくるけど、うん、多分狭い範囲だな。」
――――ヤードなども含めて、人間の測量の仕方がよく分からんから、この値も正しいとは言い難いが…。そもそも計算というものが人間の知識で、余はあまり知らん。
「そういうものなのか。神様だから、何でも知っていると思った。」
――――それは買い被りだな。神とは言えど、余の力の範囲は、あくまで鳥類。…人間のアンジュに目をかけているのはただの娯楽でしかないしな。
「…娯楽。」
ーーーー趣味
「何となく言いたいことは分かった、アレだな。仕事じゃなくてプライベート、みたいなことが言いたいんだろ。」
ーーーー恐らく
「なんでそんなにアンジュに入れ込むのかも聞きたいところだけど。魔法使いだからってことでもなさそうだしさ。」
ーーーー理由はないが、明確な言葉で表すなら憐憫か。
「神様に同情されるってよっぽどだな。」
クルルはウィルを複雑な感情で篭った目で見ていた。何かを言おうとしているが、紙に書くのは気が引けたらしく、首をすくめてなんでもないと告げる。
ーーーーそれよりも、竜の一族だが。
「ああ、うん。」
ーーーー余にも場所は気付けん。故に歩き回るのだ。
「…そうですよね。そう言う話でしたもんね。」
竜の一族は人間だということ、そして、クルルの力の範囲は鳥にしか及ばなことということを長々と話してくれた結論はそれである。
しかし、手がかりがない。唯一糸口があるとすれば。
「この町で起きている殺人事件か。」
「お、ウィーじゃん。新入りくんはもういいのかい?」
道の反対側から、警察に行っていたンヴェネが楽しそうに手を振ってくる。
「隣にいる子は誘拐?」
「な訳ないだろ。クルルだよ、クルル。」
ーーーー詳細はウィルをから聞け。
筆談が面倒なのは仕方ないので、ウィルはここまで来たことも含めてクルルが人の子供の姿になっている経緯を話す。
「でも、なんで子供なの。神さんってまさか若い?」
ーーーー神獣の中でなら古い方だが、子供なことに他意はない。アンジュの古い姿を借りただけだ。
「目の色違うけど。」
ーーーー微妙な差異くらい許せ。
不貞腐れたような表情で何にも言わなかった。
「新入りくん、そのまま成長というより、成長したら急にかっこよくなるタイプの人間か。」
ーーーー然程変わらんだろ、目の色ぐらいだけで。
「ふーん?」
ウィルにはンヴェネが何をしたいのか分からない。ンヴェネもそこまでにして、話をして元に戻す。
「シリアルキラーは竜の一族か。他の事件の詳細を見てみたけど、確かに一撃で即死。余程の手練れだ。よく新入りくんは生きてたね。」
経歴が経歴のせいか、ンヴェネはアンジュを軍人扱いしていない。
だが、ンヴェネから詳細を聞いて、ウィルは更に首を傾げた。
「…何故暗殺者みたいな奴が、暗殺する必要もないような人々を狙ってるんだ。」
「それが奇怪だよね。チンピラ同士の小競り合いで死にそうな人たちばっかり殺されている。」
「アンの話では、化粧の濃い中性的な男で、首を簡単に切り落とすような体格では無かったって言ってたな。」
「化粧の濃い?」
「えーっとな、なんか細かく言ってたんだけど…、ルサリィなら覚えてるかな…。アイラインが濃くて、髪染めてる黒髪って。」
なんであんなに細かく覚えてたんだろうと疑問に思いながら、えーとと何度か繰り返していると、クルルが助け舟を出す。
ーーーー中性的な男で年齢は23、4程度。髪色は染色された黒。目元も黒いアイラインで強調されていた。瞳の色は薄紫に、口紅は紫。身長はアンジュと同じくらい。服装は見たことないトップスと黒のスラックス。
「凄え。あれだけのことよく覚えてんな、クルル。」
ーーーーお前達とは共有方法が違う。
「あ、なるほど。言葉で会話しているように錯覚してるけど、ダイレクトに情報伝達してるわけだもんね。そっちはまあ良いとしても、新入りくんがそんなつぶさに人を観察するタイプだったのっていうのが驚きなんだけど…、まあ新入りくんだしね。」
「ンヴェネもアンのこと分かってきたな。」
とにかく言動がよく分からないのをいちいち気にしてては疲れるだけだ。本人だってあんまり分かっていないのだから。
「犯人の目的は分からないけど、竜の一族の可能性が高い以上は見逃せないだろ。」
「テロリストが、義賊気取って殺してんのかなぁ。」
「…義賊語る奴が娘の前で父親殺すか、普通。」
「所詮テロリストでしょ。」
クルルは何も言わなかった。
2時間ほどぐるぐると細い道などを歩き回ってみたが、全く見つかる気配がなかった。敵は目立つ恰好をしていたにも関わらず、全く情報らしいものが出てこない。
「いねえ!」
「竜の一族だしねぇ。そうそう見つかるわけないよね。変な移動術を持っているわけだしさ。」
「…このまま帰還命令なんて出たら不完全燃焼だぞ。」
一方、ルジェロもずっと街中を彷徨っていた。
「目つきの悪い軍人さん、何してんだい。」
路地裏で奇妙な笑い方をする高齢の女性が声をかけてきた。サイズの合わないボロボロで汚い洋服を身に纏いながら、その服の袖口の隙間から、指に年代を感じるが高そうな指輪をしているのが妙だった。
「人を探している。」
「おお、そうかい? 年寄りの話を聞いてくれたら、ここに通った人を教えてやろう。」
女性は晴れていればずっとその路地裏の椅子に座りじっとしているのだと言う。闇雲に探すのにも限界を感じていたから、休憩がてらその女性の言葉に耳を傾けた。
「どんな話だ?」
「そうだねぇ、昔私はとある人に恋をしていたんだ。」
色恋の話などルジェロには興味なかったので、話半分に聞いていた。
「その人は綺麗な人だねぇ、ブルネットが多いこの国で珍しいプラチナブランドで、綺麗な貴族訛りで喋っていたんだ。春の祭りの時って、皆んなで踊ったり、美味しいもの食べたりと浮かれらのだけれど、その人はただただその風景を眺めるだけで人と交わろうとしないんだ。だから、声をかけたんだよ。踊らないんですかってね。あの頃は私も若かったし、お祭りの雰囲気で浮かれていてさ。そうしたら、『人が楽しそうにしているところを見ているのが好きなんだ』と言っていた。」
どこか良いとこの貴族が市民にお忍びで現れた話なのだろうとただ相槌を打つ。
「目まで銀色だったんだよ。そんな人見たことなかったから、神秘的でさらに惹かれて『勿体無いから一度だけ踊ろう』って誘ったら、『たまには良いかもしれない』なんて答えてくれてね。2人して下手なステップを踏んだんだ。はは、楽しかったね。」
「…そうか。」
「素敵な人だったから、名前を聞いたんだ。そうしたら、『名前など大層なものなくなってしまったけど』なんて宣って『人からはアナンタと呼ばれることが多い』ってさ。」
「…アナンタ?」
それまで話半分だったのに、聞いたことがある名前が出てきた瞬間、ルジェロは顔色を変え、女性の方へと顔を向けた。聞いたのは最近ではない。ルジェロの遠い記憶、しかし、今でも悪夢となって苦しむ記憶。
赤い炎の中を逃げまどった悲劇の日。
――――ふ、ざけんな、なんで、おれたちのむらを!
――――あー、まだ生きてる奴がいたか。
――――アナンタ様が早く帰りを待ってるのだから、さっさと始末すればいい。人で生きていくにはこの少年には耐えられないでしょ。
村の人たちを殺していった2人組の男が、幼いルジェロの頭上でそのように会話していた。
山奥のルジェロの村が、世界的なテロリストである竜の一族に滅ぼされたあの日からそれを忘れたことがない。好きだった人たちが真っ赤になってしまったその光景の中で、不釣り合いだった和やかな会話を。
「…アナンタ。」
「おや、知っているのかい?珍しい名前だろ。」
仇の名前は分からない。しかし、確かにその名前は敵の名前だ。
「…知らねえ。」
「そうか、珍しい名前だからすぐ見つかると思ったんだけどねぇ、それ以降会えなかったんだよ。」
「それは何年前の話だ。」
「さあ、40年前くらいかねぇ。とんと分からなくなってしまったよ。」
「その男はもうこの町には来なかったってことか。」
「そうだと思うね。」
心の中で舌打ちをする。漸く今まで一度も掠りもしなかった敵の一端を掴めたのかと思ったのにと。
「剣を持った男を見なかったか。」
「軍人さんなら何人か見たよ。」
ルジェロはそこで漸く自分が特定できる情報を何一つ持っていないことに気づいた。自分が見つければ分かるだろうと思っていたが、この場合そうにも行かない。
「…怪しい奴はいたか。」
「ああ、そうだねぇ。近頃はここらに鬼が現れるんだ。悪いことをしていると鬼に殺されちまうだよ。」
「その鬼を見たことあるか。」
「あるよ。」
その発言にルジェロはくいかかる。
「それはいつ、どこでだ。」
「あれはー…、そうだねぇ、いつかしら?キャスリンがそこの路地裏で死んだのよ。キャスリンはいつも声が大きいからね、通ると分かるんだけど、ああ、その日はボッタクリだと喚いていたよ。そしたら、黒髪の男がスパッと切ったんだよ。あたし驚いちまって、腰を抜かしていたんだが、その男があたしに近寄ると抱き上げてもう一度座り直させてくれたんだ、この椅子に。妙な雰囲気な男だったね。」
そのキャスリンに対する冷酷さとこの高齢のご婦人にした慈悲の乖離はなんだとルジェロは眉間に皺を寄せる。
「その男は何か言っていたか。」
「それがねえ。何も言わなかったのよ。ただ寂しそうに笑っただけ。」
「そう、か。ソイツがどこにいるとか分かるか。」
「さあ、知らないね。」
本当に目の前で人が死んだのだろうかと思うほど女性は穏やかだった。それを疑わしく思っているとその気持ちが女性に伝わったらしい。
「ふふ、昔…10年前の戦争じゃないよ。30年前のカール戦争の時、看護師として戦地の近くに住んでたんだ。あの頃は怖かったねぇ。」
「…そうか。」
「ああ、軍人さんは、この町がなぜサンセットブリッジと呼ばれるか知っているかい?」
女性は無愛想なルジェロに、優しく笑いかけた。
「橋だろ。」
「その橋には伝説があってねぇ。何百年も昔、ここにはとても優しい魔術師いたんだとさ。魔術師は日が苦手で日中は町には出てこれなかったんだが、日が暮れると町に出て貧乏な人々の病気や怪我を治していた。だから、人々は早く夜が来ないかとあの橋で祈っていたんだ。」
ルジェロは興味なさそうに聞いていた。
「そして、もう一つあって。その魔術師はどうやら王都から逃げていたらしいんだ。そして、とうとう見つかって、どうしても捕まりたくなかった魔術師はあの橋から身投げしたんだってさ。」
「死んだのか。」
「そうだねぇ、川は深いし、その後町人たちが探し回ったようだけど、見つからなかったんだってさ。つまりね、町人たちに愛された者が沈んだ橋、だから、サンセット・ブリッジなんだとお婆様があたしによく話してくれたよ。」
「何故その話を俺にする。」
「ふふふ、あまりこの話町の外の人に話しちゃいけないんだって言われたんだけどねぇ。貴方になら話してもいいかと思ったんだよ。」
理由などほとんどないのかもしれない。ただ誰かに話したかっただけで、偶然ルジェロがその場にとおりかかって耳を傾けたから。
ルジェロは無愛想なりにご婦人に会釈すると、その場を離れた。まだ夕暮れ時には早いが、サンセット・ブリッジの橋にやってきた。御婦人の話が妙に気になったからだ。脇に看板が立っていて、そこには橋の歴史が書かれている。幾度も補修されているが、橋の建立は500年以上も前になるらしい。しかし、御婦人が話した逸話はそこには書かれていなかった。
「熱心に看板を見ているね。」
背後から50代くらいの男性が、そうルジェロに声をかけた。
「この橋から飛び降りたという魔術師の話を聞いた。」
「おや、誰から聞いたんだ。」
「路地裏の。」
「ああ、シュゼット婆さんか。」
呆れていると言うよりも、あの人なら仕方ないかという様子で男性は話した。
「今更数百年前の人に義理立てするってのもおかしな話だが、外の人にこの話をしないのは贖罪なんだと。だから、あまり大っぴらにはしないでくれよ。」
「・・・贖罪。」
「はは、おかしな話だろう。」
「でも、あんたたちはそうやって生きてきたんだろ。」
「はは、優しいねぇ。だから、ビトレーイさんが、王国軍人だと気づいていてもシュゼット婆さんは話しんだろうなぁ。」
「別に、そんなんじゃねぇ。」
数年前に王国から離反した魔術師と言うならまだしも、何百年も昔の魔術師が王国から逃げた、なんてルジェロにとってはどうでもいいのだ。ルジェロからすれば魔術師なんて基本的に好かない生き物だが、王国に絶対の正義があるとは夢にも思ってはない。
「おーい、ルジェー!」
遠くからリーダーの声がして、鬱陶しく思いながら振り返る。
「なんだ。」
見知った顔2人の横に初めて見る少年が脇にいて、無言で彼を見つめると、何の説明もしないでンヴェネはクルルだと伝えた。ルジェロは深く追求はしなかった。
「竜と一族は見つかったかい?」
「何もねえ。」
「新入りくんが『竜の一族』だろうと言ってたよ。」
「…だろうな。」
ンヴェネはクルルが書いた犯人の特徴をルジェロに渡した。
「…変な奴だな。」
「犯行はその恰好して普段は地味な恰好しているのかもね。顔も化粧してなければ分からなそうだ。」
「最悪だけど、俺らにバレたから町を出た可能性もあるか。」
「…竜の一族が五星士がいた程度で街を出るかは疑問だけど、彼らが関わっている割に被害人数が少ない。…色々イレギュラーだし、無くはない、か。」
全く目的が掴めないのは変わらない。ルジェロはなんの役に立つかは分からないものの、路地裏の女性に聞いた話を伝える。
「40年以上前、この町にアナンタという名の男が現れたらしい。」
「それって、確か…。」
「竜の一族の一人に、敬称で呼ばれていたのを聞いたことがある。それなりの地位がある奴だろ。」
竜の一族は、世界的なテロリストというが閉鎖的な集団で、そこにいる人間たちの名前はよく知られていないか、ンヴェネはただ一人だけ聞いたことがある。
「竜王アナンタ。」
「…王?」
「これを聞いたのは僕も随分昔の話だけど、さっきのクルルの話―――魔力の多いものは老化が遅いって奴を参考にするなら、恐らくまだ生きているはず。竜の一族の頂点、竜王アナンタ。」
「…そうだったのか。」
ルジェロは積極的に自分の話などしない。その話をするまでその名前が、敵のトップであることを知らなかった。3人が顔を見合わせていると、クルルはウィルの袖を引っ張った。
――――アナンタがこの街に来ていたとしても、40年前の話なんだろう。
クルルはつまらなそうに紙に文句を書きつける。彼にとっては、アンジュが害された方が大事で過去の事なんてどうでもよいのだろうけれど、ンヴェネたちにとっては、それよりも彼らの動きのほうが大事だ。
「世界中破壊活動をする神出鬼没のテロリストが、この町では大きな破壊活動は行っていない。それも今日だけじゃないっていうのは気になるでしょ。」
「でも、クルルの言う通り奇妙な連続殺人事件と関連はあったりするか?」
「今回の犯人の男は、ヒステリックな女を殺害しているが、目撃者である高齢の女性を殺害するどころか、腰を抜かして倒れたところに手を差し伸ばしたらしい。」
「ヒステリーのキャスリンって人の事件か。…警察の資料には、そんな高齢の女性なんて出てこないんだけど、どういうこと?」
ルジェロのその話を聞いて、ンヴェネは先ほどもらってきた警察資料をぱらぱらと見直す。その女性は重要な目撃証言であるはずなのに、全く逮捕するやる気が無いのだろうか。
「もう一度僕らがその人から話聞けないかな。」
「その仕立て屋の二つ先の角の路地裏だ。晴れている間はあそこにいる、と言っていた。」
ルジェロはついていく気は無かったので、伝えるだけ伝えるとその場から立ち去った。彼らからの非難の声がいくつか聞こえるが、情報共有さえできれば、彼らと思に行動する理由がなかい。
キャスリンが死んだのは昼頃。敵は昼夜を問わず犯行に及んでいて、共通点もさしたるものがないならば、歩き続けるしかない。
昼の喧騒が少しずつ大人しくなって、空が赤い色をしていく。町のどこからか夕飯どきのスープや肉の焼ける匂いがする。匂いは昼から全く何も口にしていないのを思い出させた。一度宿屋に戻って、食べ物を調達するしかないと踵を返した。
宵闇は、目を混乱させる。夜目に慣れれば、昼に慣れれば問題ないが、その間は見えるものも見えづらい。
「赤髪の軍人。何かお探し?」
その声をかけられるまで、気づかなかった。ルジェロはすぐさま腰の剣に手を伸ばす。
「誰だ。」
「…僕かい?」
少しずつその輪郭が見えるようになり、ルジェロは眉間の皺を深くした。目の前の男は気に食わない新人が伝えた情報と一致する。黒髪に、派手な化粧、首を落とすほどの力はなさそうな筋肉。その薄紫の瞳と紫色の唇が小馬鹿にしたようにニヤリと笑った。それは忘れかけていた記憶をまざまざと呼び起こした。
「テメェは…!」
あの日、ルジェロの大切な人を殺した男の側にいた人間だ。化粧のせいであの時とも雰囲気が変わっているが目の前で見れば間違いない。
「そうだなぁ、僕は『猫』と呼ばれている。赤髪の軍人…、君はオルクを殺した剣士だね。」
オルク。およそ半年前、ルジェロが五星士となり、竜殺しと呼ばれるに至った理由の敵だが、ルジェロにとってはどうでもいい。目の前の敵の方が余程重要だ。
「俺もテメェを覚えている。俺の村を焼いた…!」
「村を焼いた…、それはいつの話だい?身に覚えがありすぎてとんと検討がつかないね。」
剣を握る手に力が入る。数えきれないほど人を殺した相手からすれば、どうでもよいと覚えていないのかもしれない。だが、ルジェロにはその日から彼らを殺すために生きる理由になるほどの人だ。
「憎んでくれて結構。ただ僕が覚えていないことに怒ることは可笑しいね?君もほら、オルクのことも、そして殺してきたモンスターたちのことも何にも覚えようとして来なかっただろう。」
ルジェロは抜刀して、その奇妙な男に振りかぶった。だが、手ごたえはなく、剣は空を切った。
「ああ、残念だったね。僕は気まぐれな猫、当たりはしないさ。」
彼の輪郭がぼやける。歩いた動きは無かったにも関わらず、先ほど居た場所から数メートル下がっていた。
「そうか、それがお前の能力か。」
ルジェロの怒りの感情に紐づいた魔術式は、周囲の温度を急激に下げていった。雨樋から流れた地面の水が氷結していく。それは、特異な能力を持っている竜の一族である男であっても、気候には敵わない。白い息を吐いて、寒そうに眉間の皺を作る。
「はぁ、面倒臭いね。」
気まぐれな猫を自称する男は所持していたナイフで、ルジェロの剣の一撃を避けた。変な能力で剣を召喚でもするかと思ったが、そうではなかった。恐らくこの派手な見た目の男は剣士であるはずなのに、ナイフしか持っていないのならば、ルジェロを舐め腐っていたか、鯉口を切る気はなかったのか、どちらかだ。
ここで猫という男を殺せるなら重畳。
こちらは長物で猛攻を仕掛けるが、座標が狂っているように当たらない。
「っち。」
「ふふ、はは。所詮はただの兵隊。頭は働かない。」
頭が働かないと貶されて、急速に怒りが収まっていった。まるで頭さえ働いていれば、彼の能力は見破れるのかもしれないと、思ったからだ。
しかし、それは一瞬、虚となった。相手も手練れだ、その隙を狙うなんて簡単だ。ただ真っ直ぐと銀色のナイフは喉元を狙った。ギリギリでなんとか致命傷は交わしたが深めの傷だ。けれど、ルジェロは引き下がるわけにも、引き下がるつもりもなかった。
近距離で、その派手な顔に赤く一閃斬りつけた。全く致命傷ではないが、初めて与えた傷だ。
「はは、窮鼠猫を噛むって?」
すっと距離を取り、彼はナイフをルジェロに投げつけた。
かわしたはずなのに、ルジェロの右肩に刺さり、その怯んだ隙に気まぐれな猫は路地の闇に消えていく。
また届かない。
ルジェロは歯軋りをして、膝をついた。
バサバサと鳥の羽音がルジェロの前に止まると、背後から2人の足音がする。
「ルジェ!」
「馬鹿、何してんだ。」
鳥―――クルルが何か言いたげだったが、ルジェロには何もわからない。
その後、ルジェロは王太子ロイの厚意で医療魔術師の治療を受けることができ、あっさりと跡形もなく数は消えた。すぐにでも再び戦いに行きたかったが、ルサリィに咎められ大人しく情報共有をさせられる。
「ルジェロは犯人を見つけたが、傷を負わされた上で犯人には逃げられた。犯人は竜の一族で、『猫』を名乗った、か。動機は分からず仕舞いで、あっさりと五星士2人を撃破、ね。」
ンヴェネが事件の顛末を纏める。クルルによって強制的に眠らされた(気絶させられた)アンジュの横で、4人と一匹はなす術ないと頭を抱えた。
「結局何も分からない。」
ルジェロは肩に剣を乗せて、ボソリと呟く。
「竜の一族の目的は、ただ単に人間の数を減らしたい、それだけなんじゃねえか?」
「それは、あるかもしれないね。滅ぼすほどではなくても人間という生き物を憎んでいる可能性がある。ただサンセット・ブリッジの人間にはなんらか恩があって、代わりにごく少数の人数のみを減らしている?」
再び人の姿になっていたクルルにンヴェネがそう尋ねると、さあと首を傾げた。
『なくはないとは思う。』
「そこまでは知らない、か。」
『竜の一族のことなんて、ぼくは一切知りたくない。頭の片隅に知識として覚えていたくもない。』
「…それは、ある意味でルジェロと同じくらい嫌いだな。方向性は真逆だけど。そこまでの理由があるのか?」
クルルがアンジュのベッドの上に座り、十数秒熟考したあと、口を開いた。
『彼らは昔、僕の大切な友人を殺した。』
そう告げた彼の表情は、憎々しいと歪んだ。
『彼らのことを少したりとも考えたくない。だが、また彼らがぼくの友人を殺すのならば、その時はぼくがこの身が切り裂かれても奴を殺す。』
貴い神獣だとしても、感情は存在する以上憎悪は切り捨てられない。他の鳥たちに不必要だと殺されようとも、構わないとクルルはその拳を握りしめる。神獣の怒りの気迫に気圧され、人間たちは黙った。
『それだけのことだよ。』
何もなかったようにすっと感情を引き込ませ、五星士たちに顔を向ける。
『…君たちもさっさと寝たら?人は夜行性ではないでしょう。』
「神さんもそうじゃないの?」
『そうじゃないね。』
プイっと顔を背ける様子は、その見た目のようの幼い子供のようだった。
「ま、何があったら俺が起きると思うし、今日のところは寝よーぜ。」
「寝汚いウィリーが起きるかな。」
「流石にこの場所で深くなんて眠らねえって。それにクルルが起きてるって言うんだから大丈夫だって。」
クルルは思いの外、その人の姿でいることを謳歌しているのか、ウィルの言葉に勿論と言うように手でgoodのサインをする。そうして、彼らもずっと気を張っていたのもあって素直に部屋へと戻る。退室したのを見届けると、クルルはウィルの方へ向いて大真面目に、
『何故ンヴェネはウィルのことを、複数のあだ名で呼ぶの?普通1人一つなんじゃないの?』
と、尋ねた。
「…ンヴェネはおちょくりたいだけなんだよ。」
『ルジェロのことはルジェとしか呼んでない。』
「それは簡単だ。あだ名が思いつかなかった、それだけだ。ンヴェネの友人にヴィルヘルムっていう人がいるけど、呼ぶたび呼ぶたびあだ名が変わるんだ。ビル、ウィル、ビリー、ウィリー、ヴィム、…リアムって呼んでた時もあったな。」
『愉快だね。たくさんの人がいるみたい。』
鳥の神獣は寝ろと告げたが、ルジェロはベッドの上で剣を握りしめて、蹲っていた。11年前と同じようにただ奪われるのみだ。傷は魔術師という存在によって塞がったが、本来あった傷は深く、運が悪ければあのまま死んだかもしれない。何も果たせないまま、無様に。
「ビトレーイ少尉、リーダー命令、さっさと寝ろ。」
その陰鬱な顔に少しの怒気を混ぜてンヴェネはタオルを投げつけた。ルジェロの11年を虚仮にしたいわけでも、賞賛したいわけでもない。それが彼にとって唯一の生きる道であり、積み重ねてきた努力でもある。
「今までの君の人生がここで終わるわけじゃないだろ。生きているんだから、まだチャンスはある。君の復讐はこんなことで折れるほど、軽くはないはずだ。」
だからこそ、ただうずくまっている目の前の男が腹立たしい。
「ただそうしているなら、今後僕は君の勝手な行動は全て許さない。」
ルジェロの勝手な行動をある程度は諌めても、看過していることも多い。もう2度と復讐に関与することをを許しはしない。そう含蓄のあることを言うと
「寝る。」
身勝手な復讐者は、大人しく剣をベッドの横に置き、頭まで布団を被った。
「…テメェは、何のためにここにいる?」
ルジェロは幼い頃から、王都の王国軍に参加していたが、ンヴェネは元は招集兵の1人で、その後は国境警備隊として働いていたので、彼の事をよく知らない。ルジェロが人一倍他人に興味がないのもあるが、ンヴェネもまた喋る割に本心を語らない。
ルジェロのように復讐を企んでいるわけでも、ウィルのように生活の為というわけでもない。勿論、戦うのが好きだからということも、名誉が欲しいとも思っていない。
「軍の中で、テメェだけが異質だ。」
ンヴェネはさあと首を傾げた。
「そんな難しいものじゃないよ。僕はただ人間らしく生きたいだけさ。」
いつもそうして煙に巻く人間が簡単に答えるはずもなく、分かりそうで分からない答えしか教えてくれなかった。
1日寝ていたアンジュは夜半に目が覚めた。そこにいるのは知っている魔力の雰囲気なのに、見た目はクルルではなく人間の金髪の幼い少年がアンジュのベッドに腰掛けている。
「…る、な、んで人?」
寝起きのせいか上手く喉が動かなかったが、クルルにはさほど支障無かった。
【意外と早かったね。もう少し回復にはかかると思った。】
「…人。」
【偶には紛れるのもいいかと思って。】
頭が冴えてきて、そのクルルのなっている容姿に疑問を抱いた。
「…見たことある姿。」
【君の姿だよ、昔の。】
「俺?」
そうだったかと首を傾げた。
「でも、見たことが…、こうして。」
鏡など高価なもの持っておらず、自分の顔なら水面や金属の反射でしか見たことがないはずだが、こうして相対してその顔を見たことがある気がするのだ。
「それ、俺じゃなくない?」
【君だよ?】
お互いが何言っているのか分からず、顔を近づけてマジマジと見る。
「…2人でなにやってんの?」
妙な物音で目が覚めたウィルが声をかけるまで2人はじっとそうして見つめ合っていた。
クルルさんは基本的に役に立ちません。
2022/2/3 ルサリィの身長に関する表現が間違っていました。以前アンジュと同じくらいの目線と書いておりましたが、ヒールをいれて同じくらいの身長なので、体格としては同じくらいではありませんので、同じくらいの体格という表現を削除いたしました。
ンヴェネ 188CM
ウィル 183CM
ルジェロ 181CM
アンジュ 178CM(ルーグ王国の男性の平均身長くらい)
ルサリィ 170CM (普段ヒールを履いていてアンジュと同じくらいの目線)




