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星の泉  作者: 詩穂
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10話 預言者イカルア

アンジュ・クラント(16) 主人公 不思議な少年 10歳以前の記憶はない

ウィル・ザ・スミス(19) アンジュと同室の面倒見のいい兄さん イザヨイが好き。炎の戦斧

ルサリィ・ウェンディ(23) 右目が隠れている。風の民の最期の生き残り

ルジェロ・ビトレーイ(18) 竜殺しと呼ばれる王国軍随一の剣の使い手 氷の剣

ンヴェネ・ルーイ(25) いつもニコニコしている五星士リーダー 雷の銃

 そう仕向けたとはいえ、貴族との会話についていけず飽き飽きしていたところだ。


「見事な魔法でしたわ、サー・クラント。」


 ハニーブランドの愛らしい顔立ちをしたティーンの高位の女性にアンジュは声をかけられた。フォローに回っていたンヴェネは心臓が止まるほど驚いていたのをなんとか奥底に留め、にこやかに微笑んだ。


「初めまして、クリスティーナ王女殿下。」


 落ち着いたプラム色のドレスを召し、艶やかな髪は綺麗に結い上げられ、ティアラをつけている女性は、正しくこの国王位継承権第2位である。全くもって声をかけられるような立場ではない。ンヴェネが声をかけたのも非常識だったが、全く彼女がどういう立場なのか分かっていないアンジュを前にしたらそんなことも言っていられなかった。目配せてでアンジュは慌ててンヴェネの後に続く。


「魔法使い、魔術師というのは千年以上前から続く貴族の家系に多いのですよ。だから、あまり緊張されないでくださいな。」


 遠縁かもしれないでしょうと微笑む彼女は心の底からアンジュを歓迎しているようだが、アンジュには分からなかった。所詮知らない人間でしかないのだ。


「クリス、何をしているんだい。」

「あらお兄様、偉大な魔法使いに敬意を払っているだけですわ。お兄様の何倍もの力の持ち主のようですから。」

「全く。驚かせて悪かったね、私の名前はロイ・ガウェイン・モルガンだ。初めまして、サー・クラント。」


 そうして声をかけてきたのは、同じブランドヘアーと瞳の色、どこからどう見てもクリスティーナの兄弟。この国の王太子殿下であり、モルガンという広大な土地の領主だった。


「私も魔術師だ、同じ魔術師同士仲良くしよう。気軽にロイと呼んでくれ。」

「ロイ、…殿下。」


 呼び捨てにしようとした瞬間に方々から視線を感じたアンジュは慌てて皆が使っている敬称を付け足した。少しだけロイは残念そうだったが、彼も立場上何も言わなかった。


「よろしく、アンジュ。アンジュよりも10歳上だが、怖がらなくていい。」


 あの少年に抱いたような強い感情はないが、魔術師と自己紹介された時には多少なりとも嫌悪感を抱いた。


「さっきのショーはとても夢があってよかった。魔法や魔術の可能性をより『強く』他国の人間にも見せることもできた。」


 勝手にやったことだが、ノリのいい楽団のおかげで、元々その予定だったかのように見えた。会場はかつてないほどの盛り上がりを見せることができたということを嬉しそうにアンジュに耳打ちをした。


「是非今度静かなところで、気兼ねなく魔法について語りたいものだ。」


 彼の言葉が嘘だろうと本心だろうと、アンジュは頷くことできず、彼をじっと見つめることしかできなかった。


「申し訳なく存じます、殿下。彼はまだこういった機会に慣れておらず。」


 いつもなら、例え礼儀なんてなくても言われたことには何らかの返答をするアンジュが見つめるだけなどとおかしなことだが、そんなことンヴェネには言ってられない。


「いいんだよ、ずっと農家で暮らしてきたというのも聞き及んでいる。可愛そうに。でも、まだ若いから、“取り戻せるだろう”。」


 王家のロイは善意からそう言ったが、庶民からすると許せない発言だった。


「ロイも、可愛そう。」

「おい、ちょっと待て。」


 ンヴェネに強い眼力で睨まれ、アンジュはそこで口を閉ざした。空気を読んだクリスティーナがにこりと微笑むと、ロイに声をかけた。


「お兄様、あちらにエドワード伯爵がいらっしゃいますわ。今度の輸出関連の話をすると仰ってましたわね。」

「おお、そうだった。クリス、ありがとう。では、また。」


 気を悪くしたわけでもなく、ロイヤルたちはアンジュに気遣いさっとその場から離れていった。


「新入りくーん、ちょっと休憩しようかー?」


 額に青筋を作りながら、ンヴェネは微笑んだ。

 パーティが始まる前に言葉遣いの練習をしていたのに、子供のようにやらかしてくれたものだと怒っているのはアンジュでも分かった。

 貴族たちがメインのこの会場では大事にはできないので、ンヴェネは目を光らせながら会場から抜け出した。


「ごめん。」

「そもそもー、リーダーにそんな言葉遣いばっかりしているからそうなるんだよねー?そうだよねー?」

「ごめんなさい。」

「『申し訳がございません。』『お詫び申し上げます。』」

「もうしわけがございません、おわびもうしあげます。…ロイ、殿下ってそんなにすごい人です?」

「あーもー、面倒だからいいよ。僕に対しては普通で。…当たり前だろう、10歳だって知ってる。ちょっとした言動で僕らの人生を簡単に変えられる人なんだ。生きた心地がしなかったよ、僕は!」

「はい、申し訳がございません。サー・ルーイ。」

「言葉を覚えるのが早くて、オジサンは嬉しいよ。」

  

 わざとらしさに頭がいたいと、手で押さえた。なるべく貴族と接する機会を減らすようにしないとと頭を巡らせる。


「王家の人はとにかく高貴で…。」

「ルーイ大尉、気にしなくていいよ。」


 会場の外の人目がつきづらいところにいたはずなのに、王太子のロイが話しかけてきた。


「…王太子殿下、私の名前を。」

「民の英雄を知らぬ為政者など、やめたほうがいいだろう。」

「有り難き幸せでございます。」


 ンヴェネに微笑むとアンジュの方へ向き、


「古い貴族にとって、魔力持ちは神の御使と言われている。7、800年前までは魔力の量で王を決めていたようだ。世が世なら、君がこの国の王となりうる存在だった、ということだ。」

「…え?」

「そうだなぁ、今は易々と貴族家は増やせないが、アンジュに限れば他の人より簡単なわけだ。それに今日のアレを見た貴族は、君のことを養子にしたくなったろうね。」


 ンヴェネは閉口しアンジュは彼が何を言っているのかが分からず、目を迷わせる。


「アンジュは私が怖いのか?」


 怖いのは彼では無いと首を振る。


「…魔術師が怖い、です。」

「アンジュの話やすい話し方でいい。アンジュの方が実力は上だと思うが、それでも?」


 ロイは努めて優しく聞いてくるのだが、アンジュは後退り、ンヴェネの顔を見た。勿論彼が知る由もない。


「アンジュの記憶を奪ったのが魔術師なのかな。」

「…知らない。」

「それが分かったら、こんなにも苦労はしないか。」

「さっきの。」


 アンジュは片方の手でもう一方の手を掴み、振り絞るように尋ねた。


「なんだ。」

「魔力持ちは神の御使というのは、どういう…、意味。」

「アンジュは『イカルア』様を存じているかい?」

「し、らない。」


 そう聞いたンヴェネは本当に?とでもいうようにアンジュの顔をジロジロと眺める。


「ウィルも首から下げているだろう?」


 この国で一番力のある宗教に出てくる預言者で、それがイカルアという黒髪の青年だ。特に王都ではとても強く信じられており、ウィルもまたその宗教の象徴である二輪を象ったネックレスをつけていたのだ。たしかにアンジュは何度かそれを見たことがあるが、ウィルは何かに縋って祈るような人間ではなかったから、それが宗教的なものだとは全く気づくことはできなかった。


「その預言者イカルア様が人間たちに魔力を与えた、と言われているのだ。だから、強い魔力持ちは神の御使と考えられる。」

「…そう、なんだ。」

「ああ、少なくとも古い貴族たちの伝承では。だから、アンジュは本当は古い貴族の家系の子だと思うのだかな。君のような記録は残っていなかったから、過去に“色男”がいなかったかを調べているよ。」


 何がなんでも、貴族の血筋だということにしたいようだったが、アンジュには全くそうは思えなかった。


「そこらへんの草木にも、鳥にも虫にも魔力はある。ウィルやンヴェネたちが魔導武器を起動するのにも魔力は使われているし、貴族のみのものじゃない。」

「そうかもしれないね。」


 ロイは気を悪くした様子もなく、アンジュの言動を興味深さそうに頷くのみだ。


「ああ、もっとアンジュの話を聞いてみたいが、そろそろ行かないと。さっきの話、私は幾らでも推薦状を書いてあげるから、少しでも考えておきな。」


 ハニーブランドを軽快に揺らしながら、彼は会場へと戻っていった。彼の姿が完全に見えなくなると、ンヴェネは脱力した。


「新入りくんは心臓何でできているのさ。よく王太子と普通に話せるよ。」

「クルルの方が偉いんだろ?」


 友達が規格外だったか、とンヴェネはため息をついた。


「…自分が貴族の子だったら嫌なことでもある?」


 貴族の子供だったとしても、彼の母はリーラ・クラントのみで今更変わることもなかろうとンヴェネは言った。


「さっき、ロイは悪気なく『可愛そう』と言った。ンヴェネの言った通りだ、まだ悪意を持って言っているのなら、こっちの存在を認めているような気がするけど、心の底から農民であることが『可愛そうなこと』だと思っているのは気味が悪い。それが普通の感覚な貴族と近いなんて言われても、怖気が立つ。」


 珍しく怒りの感情がはっきりと出てきていた。他の同じ平民の兵たちにも様々貶されても、仕方ないという諦めで怒りもしないのに。


「…ああ、そうだよね。僕もそこら辺は腹が立ったけど。」


 アンジュはスタスタと会場を背にして帰ってしまった。ウィルが目を離したら何をしでかすか分からないと言った意味が漸く分かる。


「おい、リーダー許可出してねえけど。」


 はああと大きく溜息をついたが、今回限りは見逃してやることにした。




「あれ?アンは。」

「気分が悪くなったみたいで、部屋に帰らせたよ。」


 ンヴェネが会場に戻ると、ウィルはルサリィと話していたのを止めて話しかけてきた。

「ウィリー、イザヨイちゃんは?」

「婚約者がいる女性にずっとそばに居られないだろ。」

「それもそうか。どうだった?一夜限りの夢は。」


 ウィルは少し気まずそうな顔をしてから、悲しそうに笑った。


「最高だったよ。今日死んでも構わないくらいには。」

「それは困った。君たちには生きていてほしいから、協力したのに。」

「冗談だよ。そう思うくらいなら、この国や家族は捨ててる。アンにも礼を言いたかったんだけどな。」

「流石にあのマジックショーの真意分かっちゃった?」


 誤魔化すようにいうンヴェネに、ウィルは睨む。

「今日は災難だよ。僕はただルサリィや新入りくんの頼みを聞いていただけなのに、なんでこう胃が痛くなるんだって。」

「ンヴェネ、助かったわ。私じゃあ、男性パートは教えられなかったもの。」


 ルサリィも会話に加わるとンヴェネを労い、ウィルの話を遮った。


「最近3人が妙に仲良かったのって全部これだったんだな。」 


 感謝することはあっても、ウィルがンヴェネを責める謂れはなく、深く踏み込むことはしなかった。


「ルサリィと仲良いって言われるのは嬉しいけど、新入りくんとはなぁ。」

「そう言いつつちゃんと気にかけているじゃない。」

「それは僕が優秀なリーダーだからです。」


 そう言うと、ンヴェネの脳裏にはアンジュとロイの会話が思い出さられ、再び頭痛が襲ってきた。


「どうした?」

「いや、…そうだ。ウィリー、部屋に戻ったら新入りくんがいらいらしているかもしれないから、気を…つけてというのも違うな。放っておくかウザいくらい構うかのどっちかにしておいて。」

「あのアンが。」

「イライラ?」


 ンヴェネも珍しいとは思っていたが、よく一緒にいる2人はそれ以上に驚く。


「まだ10代の若者よ、それくらいあるでしょ。」

「いや、アンは妙に達観しているから。」

「そうよね、どちらかというと嫌なことがあると怒るというよりも悲しいって思うタイプの子だから。」

「流石に身内を馬鹿にされたら怒るみたいだよ。」

「リーラさんを?」

「というか、農家を?」


 あーとウィルは納得したように渋い顔をする。


「貴族はブルーカラー以下を人間扱いしないからな。ブルーカラーがいなけりゃ皆死ぬっつーのに。」

「まあ、そうなんだけど、あの王太子殿下に思いっきり噛み付くから僕は生きた心地がしなかった。なにあれ、狂犬だろ、あれ。」

「あ、ああ、そういうところもあるんだよなぁ。」


 ロイが農民を素で見下していようと、基本的には優しい王子で助かった。そうでなければ、どんな処罰を食らっていたか知れたものじゃない。今後そういうことは無いようにしてほしいとンヴェネは願うばかりである。






「よっしゃ、あといっぴーき。」


 大型の蜘蛛のB級モンスターを薙ぎ倒したウィルは、斧を振り上げ自分を叱咤した。

 ダンスパーティーから10日後、国に帰るイザヨイを見送ってから初めての任務だった。


「ち、どこ行きやがった。」


 ウィルと共に任務に来ていたルジェロは剣についたモンスターの体液を振り払いながら悪態をついた。B級ではあるが、大量発生していたのを狩るように駆り出されたウィルとルジェロ、そして、もう1人いるはずの彼が姿を見せない。


「おーい、アンー。」


 探すウィルの背後で大きなどさりと物が倒れる音がした。


「2人がズンズン先に行くから迷子になった。」


 そうして、二人から遅れて少し不満そうなアンジュは違う巨大なトカゲのようなモンスターを斬り捨てていた。


「おう、生きてたか、良かった。アンも剣の腕がだいぶ良くなったな。」

「ああ。」


 気の抜けたアンジュの左腕からは、ダラダラと鮮血が流れているのに、ウィルは気づいた。


「治せるならさっさと治せよ。もう少しで終わるから。」

「ああ。」


 と言いながら、痛がりもせず突っ立ったまま動かないで、その傷を眺めているだけだ。


「おーい、アーン?」

「おい。なにをぼうっとしてやがる。」


 アンジュが呆然としている間に、ルジェロは最後の討伐対象を倒した。


「…忘れた。」

「は?」

「傷ってどうやって治すんだっけ。」

「…俺は知らない。」

「だよな。」


 鮮血が止まる様子は無い。魔法を使わないのなら、さっさと止血するしかない。ウィルは慣れた手つきで簡単に包帯を巻きつけた。


「ルジェロ、倒したなら帰るぞ。」


 ルジェロは返事こそしないが、素直にウィルの指示に従って、帰りの馬車に足早に乗り込んだ。


「アン?」


 ウィルによって巻き付けられた包帯を静かにじっと眺める。


 此処の所、アンジュはずっと可笑しかった。勉強して普通に文章が読めるようになったはずなのに、渡された書類を見ても何が書いてあるか分からないなどと言う。


「心因性のものでは?」 


 魔術部隊の一人、医療魔術の魔術師がそう判断する。アンジュが魔術部隊に行きたがらないのを、ルサリィとウィルによって引きずられながら何とか診せたのだが彼は分からないと首をすくめた。


「とにかく脳に損傷は見つけられません。ストレスが溜まってしまったのでしょう。」

「それって治るんですか。」


 どうでよさそうなアンジュの代わりに付き添いのウィルが尋ねると、魔術師は俯いた。


「ゆっくり休むことですよ。」


 しかし,不思議なことに、アンジュの様子はいつもより明るかった。否、大きくは変わってないのだが、前よりも感情が表情に出るようになっていた。身体が動かないと言うこともなく、寧ろ前よりも断然剣の腕前は良くなっていた。本人も調子はいいというので、通常通り任務に出たのだ。




「痛い。」


 帰りの馬車でアンジュは血が滲む包帯を苦々しく見つめた。


「当たり前だろ。結構ザックリ行ってるし、少し骨見えたし。」


 それをウィルが手当てするまで、痛みを実感していなかったらしくて、しみじみとその痛みを感じていた。


「痛いな。」

「うん、分かったよ。帰ったらすぐに魔術部隊に治してもらえ?」

「…こういうの変だって知ってんだけど、痛いって思うの久しぶりな気がする。」


 大体何かあっても魔法で治してしまうから、とウィルやルジェロには想像しづらい感想を聞かされる。


「そうか、知れてよかっな。クルルは治せないのか?」


 アンジュの頭に乗っていた神獣のクルルはきょとんとしていたが、ああと話し始めた。


『神獣は傷を負ってもすぐに治るから、治す魔法が得意じゃ無いんだ。治せなくてごめんね。』

「俺が忘れなければ良かった話だから気にするな。」


 アンジュが苦笑いをしながら、ぶっきらぼうにクルルの頭を撫でる。


「ったくやっぱり休んでたほうが良かったんじゃねえの?魔法忘れて大怪我で帰るってさ。」

「でも、俺は元気だ。」

「どうだか。漸く読めるようになった字が読めなくなったり、魔法を忘れたり…。絶対おかしい。」


 アンジュの代わりに、彼がおかしくなり始めた日を思い出すと、それはあのダンスパーティ以降だった。心因性なものであるなら、それをアンジュに伝えるのはウィルには出来かねた。


「アンが魔法を使えるようになったのは覚えていないって言ってたけど、そのリーラさんに拾われた日にはもう使えたのか?」

「…いや、記憶のあるうちで初めて使ったのはミルフィーが風邪を引いた時だったから、3ヶ月後くらい?」

「それまでは?」

「あんまりちゃんと覚えていないけど、それまでは使えることを忘れてた、んだと思う。」

「…もしかしたら、一時的にその頃みたいになってるのかもしれねえな。」


 そうかもなという軽い返事をしたアンジュは、珍しく剣を抜いて、ルジェロのように刃こぼれを確認し始めた。

 王都について寄宿舎に戻る前に3人はルサリィとンヴェネに話しかけられ、ルサリィはアンジュの包帯に驚いた。


「アンジュ、どうしたっていうの?」


 今までアンジュが怪我したことは幾度もあったが、王宮にたどり着く前にはいつも自分自身で治していたからだ。


「アンは文字の次に今度は治癒魔法を忘れたんだって。」

「ますます調子悪くなってるね。」

「この怪我以外は元気だ。」


 困ったように首をすくめるアンジュに、ンヴェネは乾いた笑いが出る。


「これは厄介だなぁ、ウィー。」


 ンヴェネとウィルが顔を見合わせてどうしたものかと考えているとガキンと鉄の交錯音が響いた。

 アンジュの背後からルジェロが力の限り早く剣を抜いて斬ろうとしたのだ。しかし、アンジュはその竜殺しの剣を、左腕を怪我しながらも自分の剣で防いだ。


「ちょっとルジェ…!」

「こっちは調子良いな、オマエ。」

「そうみたいだ。」 


 ルジェロは眉間に皺を寄せながらすっと剣を引いて鞘を収める。


「…オマエは誰だ。」

「どう言う意味?」


 アンジュは怪訝そうに眉を顰め、ルジェロを睨む。恐らく前までのアンジュならそのような反応をしなかった。


ーーーアイツの剣はあのウィル(あの馬鹿)とは違う。

ーーー魔法を使おうとするとウィルっぽい剣になるよね。


 ンヴェネはあの時ルジェロと交わした言葉を思い出した。ルジェロ以外はアンジュとそれなりに話をしていたから、却って気づかなかったが、ルジェロはただアンジュの剣だけを見ていたから、その違いについてよく気づいていたのだろう。


「…そうか。二重人格。」


 ボソリとンヴェネが呟いた言葉にウィルはハッとなった。


「魔法を使う人格と剣を使う人格が分かれているってことか。」


 文字が読め魔法を使える少し幼い言葉を使う人格と、文字が読めず魔法が使えないが剣が得意で、少し荒っぽい言葉を使う人格があるとすると今までのアンジュの様子に対して納得ができるのだ。


「そんなことがありえるのか?どっちにしろ同じ身体じゃん。」


 アンジュはあまり納得していなさそうだが、ルサリィも確かにと頷いた。


「でも、確かに…表情全然も違うもの。」

「そう?顔までは俺も分からねえ。」


 そのどちらとも同じ記憶を持っているようだし、完全なる別人格というわけでもなさそうだとウィルはマジマジとアンジュを見て、彼が怪我を負っていたのを思い出した。


「こんなところでちんたらしてたら傷がひどくなる。さっさと医務室行くぞ!」



 王国軍の医務室と王宮の医務室は分かれている。大きな違いは一つだけ、そこに魔術師がいるかどうかだ。基本的に王国軍の人間は王宮の医務室には行くことができないのだが、アンジュが魔法を使えることもあって、王宮の医務室に行くことが決まっている。


「また会いましたね、クラント准尉?」


 40後半の医療魔術の魔術師は、可愛そうな目でアンジャを迎え入れた。


「それから、付き添いありがとう。スミス少尉。」


 魔術師がいるからか、アンジュはこちらの医務室に来たがらないのだが、王国軍の医務室に突っぱねられてからはウィルが無理矢理こちらに来させるようになっている。


「今日は怪我なんですよ。」

「珍しいですね。怪我で今まで医務室に来たことなど…。」


 アンジュが医務室に来てから一言も発さないので、ウィルが代わりに全て伝える。


「こないだ文字を忘れたと話したけれど、今度は治癒魔法の使い方を忘れたらしいです。」

「それは…困りましたね。」


 魔術師はそうして何も言わないアンジュの怪我を治していたのだが、アンジュの魔法に見慣れたせいか、その魔術をかけるのに妙に時間がかかるなと思ってしまった。


「でも、多分大丈夫。ありがとう。」


 漸くアンジュが口を開いて笑顔を見せた。


「いえ、心配要素しかないのですが。」

「これが異常だったとしても、あなたは治し方を知らないんだから、ここにいるのも邪魔になるだけだろ。」

「…確かに、私では力不足でしょう。貴方に一番大切なのは休息ですから、さっさと部屋に戻り休みなさい。」


 はっきりと断じるように言ったアンジュに、その魔術師は心を痛めたようで視線を逸らす。

 軽い会釈をして、アンジュは医務室から出ていく。そのまま鍛錬場に向かおうとしたアンジュをウィルは引っ張って宿舎の自室へ連れて行った。


「休めって言われているんだろうが!」

「でも、俺は元気だし。」


 働きすぎだとウィルは思う。元より志願して軍にいる人間でもなく、家族を人質に取られたも同然で連れてこられた場所で気なんて休まるはずもない。可愛そうだと思うけれど、置かれた立場で必死に生きているのだ、彼は。

 

「お前の心が元気じゃない。そういう診断だったんだろ。」

「分からない。けど、今自分に起きていること、俺は心の問題じゃないって思う。」

「こーいうのは自分よりも他人の判断に従うのが吉だし、どうせ上からすぐに任務でも振ってくる。休めるのなんて、今しかない。」


 と、ウィルが言ってもアンジュは口を尖らせる。クルルも困ったようにアンジュの膝の上で彼を見上げているが、なにも言わない。


「外出許可取ってくるから、大人しくここにいろ!」


 ウィルが忙しない様子で、部屋から出て行き一人残されたアンジュはクルルを抱き寄せた。


「おかしいっていうの、皆言うけど、そんなに?」

【ぼくは思わないよ。】

「魔法が使えないなら、ここにいる意味はほとんどないのは分かってるけど。」

【アンジュのせいじゃない。アンジュはずっと自分を責めているのかもしれないけれど。】

「責めている?なんで?」

【ああ、いや。ううん。ぼくもちゃんと知らないのに余計なことを言った。】


 クルルはもうそれ以上何も言わなかった。アンジュもなんとなくは分かる。クルルが本当は昔の自分のことを知っているのだと。でも、クルルと一緒にいて感じる懐かしさは、ミルフィーと共にあの田舎の村で駆け回った記憶にしか繋がらない。

 クルルのふわふわとした羽毛を撫でて、癒されていると、再び部屋の扉が開いた。


「散歩に行くぞ!」

  

 ウィルは気晴らしに行こうとアンジュを連れ出した。不慣れだった王都の道もメインストリートとシェーラの私立図書館の道くらいなら、案内などなくても迷わず歩ける。

 紹介してくれたあの時とは違ってウィルは何も言わずに前を進む。アンジュは腕にクルルを抱きしめながら、その後に続くだけだ。クルルも何が何だか分からんと動く気配もなかった。


 ルーグの王都には、王宮への道とは違いもう一つ大きなメインストリートがある。それは広場の噴水から一直線に伸び、大きな鐘と時計台を持ったとある宗教施設への続く道だ。それは王宮と同じく数百年の歴史を持ち、この国を見守り続けている王都民にとって大切な場所だ。敬意を込めて『星の祈りの場』とも呼ばれたり、冷たい呼ばれ方だと請願所とも言われる。100年かけて作られたと言われている大きな建造物は、王国の権威を見せつけるように凝った意匠の彫刻が飾られ、圧倒される迫力に思わず息を呑む。

 アンジュも遠目ではこの大きな建造物を見てはいるものの、入ったのは初めてだった。ごった返している、というほどではないが、平日というのに人がたくさんいた。宗教施設でありながら、国の観光資源でもあるらしく、聞き馴染みのない言語もたまに聞こえる。


「…ウィル?」

 

 何故ここに連れてきたんだろうと問うように彼の名前を呼ぶ。


「…ここの庭は結構綺麗だぞ。」


 ウィルはそういうと星の祈りの場の聖堂の中には入らず、脇の廊下を通り抜けその施設の外の庭に連れてきた。

 その庭は王宮のように平坦でシメントリーな明らかな人工的な庭ではなく、幾多の多種多様の草木で溢れた、しかし、全く手付かずの庭ではなく緻密に計算された自然が一番美しく見えるような庭だ。


「…確かに綺麗だ。」

「王都の中でここまで緑に溢れた場所はねえしな。」


 ウィルのネックレスがきらりと光る。彼にアンジュが不平を訴えたことはない。ただ恐らく、空が見えないとボソリと呟いたり、任務で木々に触れている所などを見て、こうしてここに誘ってくれたのだろう。

 

「あのダンスパーティーさ。俺たちの為にありがとうな。」


 ウィルはガシガシと頭をかきながら恥ずかしそうに礼を述べるが、アンジュには礼など不要で不思議そうに彼の顔を覗き込んだ。


「あれのせいで貴族たちに目をつけられただろ。」

「遅かれ早かれ、じゃねえ?」


 ロイが神の御使とまで呼ばれた魔力持ちをずっと放置するとは思えないが、ウィルはずっとあれ以来心を痛めていたようだ。自分のせいでアンジュが王太子であるロイを含めて、貴族たちに注目を浴びるようになってしまったのだと。


「俺は自分の意思でやったことを他人のせいにはしない。」

「…だけど。」

「ウィルが罪悪感に駆られるのも自由だけどな。」

「自由か…。普通そこ、気にしなくていいって言わねえ?」

「そうなの?気にしなくていいって言ったらウィルは気にしなくなるのか。」

「ま、まあ、多少は?」


 否。少しは気分が晴れるかもしれないが、全く気にしなくなるはずはない。そこまで素直でもないし、図太い精神をウィルは持ってない。


「俺はスーザンが死刑になることとか、メアリーから1人の家族を奪ったこととか、ヤナ長官から気にしなくていいって言われてもまだ気にしてる。」


 ウィルはそうだろうなと口を閉ざした。


「…気にしてもどうにもならないって分かってもいるし。…でも、そうだなぁ。俺があのダンスパーティーで使ったのはウィルの役に立ちたい思いもあったけど、それ以上に自分の為だった。魔法は願いを叶えるものだってずっと思っていたけど、望みを叶えても幸せになるとは限らない。それを目の当たりにして無力感が強くて、それでも、何かできることがあるって証明したくなった。だから、今の状況は自業自得だ。」

「やめてくれよ。あの時、俺とイザヨイは周りを気にしないで気持ちよく踊れたのはアンのおかげだ。だから、業だなんて言わないでくれ。」


 真剣にそういうものだから、アンジュは心の底から面白くなって、思わず吹き出して笑った。


「あはははは。」

「な、何がそんなに面白いんだよ!」


 肩を震わせて声に出して大きく笑う姿をウィルは初めて見た。こんな風に笑えたのかと、自分が笑われたことすらウィルは忘れそうになる。


「だって他人のウィルが、俺以上に悩んでるから、おかしくって。」

「他人っておい。他人だけど、仲間だろ。」


 アンジュはそれを肯定することなく、ただ笑い声を抑えようとながら、肩を震わせて笑っていた。どれほど相手を慮っていようと、他人は他人だと須く思っている。アンジュは優しいようでいて、その実超然と俯瞰して見ているだけなのかもしれない。


「とりあえず今回の任務俺も疲れた。偶にはゆっくりしたい。」


 ウィルはその自然の傍に座り込んで、そう呟いた。

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