9話 黒髪のあの人③
The Black hair one
ルサリィに守られながら、命からがらにメインストリートまで逃げてきた生存者たちの手当てをしていたアンジュだったが、ある魔力の発出に思わず反応した。
「ルサリィ、一時ここを離れるよ。光は残しておくから。」
胸騒ぎがする。その場に行かなければならない焦燥感に襲われる。
「アンジュ、ちょっと待って。」
「クルル、ここにいてくれないか。」
【え、でも、ぼく。】
「お願いだ。」
生存者を守り、カンカラを追いやっているルサリィには、光の外かけていくアンジュを止めることはできなかった。クルルもまたアンジュのお願いに困り果てながらもルサリィの頭の上に止まった。
「どうしよう…、応援早く来てくれないかしら。」
『むう、ぼくは人間を守る義理なんてないんだけどなぁ。』
「…神獣様。」
『人間に敬われる理由もないってば。』
「クルルでいいのかしら。」
『ん、風の民なんてすっごく久しぶりにあったし、懐かしさに免じて協力するよ。』
ルサリィの風を増長させるように、クルルも魔法で風を起こして、次々とカンカラたちを地面に叩きつける。人間たちにはなくなってから久しい力に驚きつつも、神獣という力の一端を知り驚嘆と畏敬の感情を抱いた。
アンジュは魔力を辿って迷わずその場所を探り当てた。
2人の子供と、ンヴェネが倒れ伏し血を吐いていて、イザヨイは外見上の損傷は見受けられなかったが、ずっとイザヨイの稽古を見ていたアンジュには身体の動きに大きな異常があるのは一目瞭然だった。
この国で殺されてはいけないとアンジュはすぐに回復させる魔法をかけ、ンヴェネにも魔法を使う。
酸素をうまく取り入れることができず、口からはダラダラと鮮血が溢れ、意識はぼうっとしてきて、最早痛みすらも感じることができなくなった時、ンヴェネの意識が浮上した。
「アンジュ。」
イザヨイは安堵と戸惑いの声で彼の名前を呼んだ。アンジュがンヴェネと口を動かそうとしたその時だ。
「助けて!」
今までンヴェネを苦しめていたマントの少年が抱きついてアンジュに助けを求めた。状況が全く理解できていないアンジュはそう言われても返答に困った。
「僕、間違えちゃったの。この魔術止めて。」
少年は置かれた本を指す。ちょうどまた新しいカンカラが出現しそうになるが、それはまたイザヨイによって成敗された。
諸悪の根源である少年はアンジュに縋ってくる。アンジュは困惑していながらも落ち着き払った声で答える。
「ああ、分かった。」
パキンと硝子が割れる音がする。
アンジュはいとも容易くにその魔術式を解除する。小さな変化だったが、魔導武器の使い手のンヴェネも魔術式は稼働しなくなり、この騒動の原因は止まったのだろうと理解した。
もちろんそれは魔術師を名乗る少年はすぐ話に分かったのだろう。少年はありがとうと心底嬉しそうにアンジュの腰に抱きつく。
「…キミは。」
「僕は世界で最高?いや、うーんと最高じゃなかったんだ。僕は魔術師。」
「魔術師?」
アンジュは堪らなく逃げ出したくなったが、どうも足が動かない。抱きつく少年を振り払おうにも、その肩にさえ触れるのを躊躇った。
「そう、魔術師。僕はキミに会えて嬉しいよ。
「俺は…、キミと、会いたくなかった。」
「じゃあ、僕がキミに会いたくなかったのかな。ねえ、キミはアンジュ?あれ、僕がアンジュ?」
逃げ出さないアンジュは自身の爪で深く肌を自分の腕を引っ掻くように腕を組む。
「止めろ!」
ここまで大きな声が出たのは、村でリーラが捕らえられた時以来だ。
「どうして?」
「やめてくれ。」
懇願に少年はアンジュから手を離し、先ほどまでとは打って変わって、静かに言葉を繋げる。
「やっぱり僕、キミに会えて嬉しいというのが本物の僕の感情みたい。これは絶対…絶対本物。間違ってない。ねえ、キミの名前教えて。」
「アンジュ・クラント。」
「違うよ、その名前じゃない。」
「これは俺の名前。俺にとってこれだけが本物だよ。」
「だって僕その名前知らないもの。」
遠ざけたい。逃げ出したい。触れたくない。
「今知っただろ。」
「知らない名前だ。知らない、知らないよ。」
ブツブツと知らない知らないと繰り返して、マントのフードの端を掴んでいる様子に、怯えながらアンジュは立ち尽くすしか無かった。
「アンジュ!」
イザヨイの呼び戻す声で、我に帰るとアンジュはこの隙にンヴェネにかかる魔術を壊し、慌てて途中まで治していた怪我の治療を再開する。
「なんで助けるの。」
先程アンジュに助けを懇願した時とは打って変わって憎しみに満ちた声で詰られ、アンジュはびくりと肩を震わせて彼の方を見た。その時初めて彼の鮮血のような赤い瞳を見た。
ンヴェネが起き上がると同時にアンジュは彼の魔術によって吹き飛ばされ、正面の家屋の壁に打ち付けられた。対抗するにも、間に合わなかった。
ンヴェネはナイフで、イザヨイは小刀で彼に振るうが、それまでと同じようにンヴェネは壁に叩きつけられ、イザヨイの刀からは体を捩って避けらる。
ンヴェネやイザヨイでこれだ。軍人としての経験の浅いアンジュでは勝つことなんてできない。
「ンヴェネ、魔導武器なら意趣返しできるかもしれない。」
「…キミは見なきゃ改善しようがないって言ったね。」
「そうだね。魔導武器攻撃して、俺が魔法で武器入れ替え、それで攻撃、直す、入れ替え。」
イザヨイは避けられるのに気づきながらもそのまま攻撃を続けている間に、アンジュは近くに叩きつけられてそばにいたンヴェネにそう話す。
「オウケイー、新入りくん。最初の攻撃以降は君に任せるとするよ。」
何となくにしか、アンジュの言葉を理解できなかったが、了承する。
イザヨイに攻撃できないという状況が功を奏した。
ンヴェネは少し距離を取って、その銃を構える。縦横無尽に動き回っているが、ンヴェネと魔導武器なら問題ない。しかし、魔導武器を起動するのに、8秒。その長い8秒間にンヴェネは苛立ちながらも、その時間は無事に過ぎ狙い撃つ。
雷光なようなフラッシュと雷鳴のような地響きとともに、光の速さでとはいかないまでも、秒速800ヤードを超えるスピードで銃弾が放たれた。
狙い通りに彼に当たりそうだったが、彼の魔術による土壁で塞がれた。
それから、魔導武器を壊そうと魔術を使うが、先にアンジュが防いだ。
それに少年が絶望したようにその赤い目を見開く。
「理論詰の魔術より感覚の魔法の方が速いに決まってるだろ。」
話している間にンヴェネの魔導武器を手元に移転させ、両脇のホルダーに入っていた拳銃を寸分違わずンヴェネの手に移動させる。いきなりの質量の変化にンヴェネは取りこぼしそうになったが、なんとか手から落とさずにしっかりと握った。
「『入れ替える』だけじゃなくて、気をつけることも言ってよ。」
「他人の手に移転させるのなんて初めてやったから。」
文句を言いながらも、ンヴェネは入れ替わった直後に、拳銃で彼に狙いを定めて正確に外して撃つ。
本当は接触しながら繋げるように魔法を使った方が良いのだが、背に腹は変えられない。
「動け!」
アンジュのセリフに呼応して、魔力結晶が輝きを放ち、時を忘れていたように動かなかった歯車が動き出す。
「ンヴェネ。」
再度の移転にはンヴェネも警戒をしていたので、あわや取りこぼすと言うこともなく、握りしめることができた。
「おおう、こりゃああいつらが驚くわけだ。」
先ほどまで起動に8秒もかかっていたが、3秒程度で起動する。それ以上に手に馴染む感覚があり、容易に引き金を引けた。
雷鳴が響き、閃光が少年を貫く。
が、それは致命傷ではない。そして、優秀な魔術師を名乗る彼からすれば、致命傷以外の傷など大したことがない。
「ンヴェネ!」
アンジュはンヴェネの腕を引っ張った。ンヴェネがいた場所にンヴェネの打った弾丸のような閃光が走る。
「避けたか。」
冷たい少年の声が聴こえて、アンジュは抜いていた剣を握りしめ、降りかかる。少年は驚きながらも、魔法で見えない盾を作り、受け止めた。
「…なんで。」
少年の瞳はもう怒りに満ちてなかった。ただ絶望と悲しみを抱いて、アンジュを見ていた。
それは、アンジュにとってーーー。
アンジュが剣を引っ込めようとするよりも早く彼は目の前から消え、アンジュは眉を顰めた。
「新入りくん。」
後ろからンヴェネが声をかけた。
「ンヴェネ…、ルーイ。」
「どうしたの、フルネームで呼ぶなんて。」
ンヴェネが怪訝そうに見つめると、アンジュの険しい瞳がいつも通りのぼうっとした顔に戻る。
「まあいいや。ねえ、あの少年はどこ行ったか追えるわけ?」
アンジュは首を振った。
「…あの消えたやつ、こっち魔術じゃない。あの狼…ウッコやハティが使ってた竜の一族の力…っぽい気がする?」
「はぁ、竜の一族の魔術師ってこと?」
「…でも、それ以外のこっちぽいと思う。」
ンヴェネにはアンジュのいう「こっちっぽい魔術」というのがよく分からないが、竜の一族の力ではないからアンジュは実際本にかかっていた魔術式を壊すことはできたのだし、ンヴェネにかかってた魔術式も壊したということなのだろうと無理矢理にでも解釈する。
「ふうん?じゃあ、圧死させるって言うのも新入りくんも出来るってことだ。」
「そう、だね。」
「…歯切れ悪いな。」
「あれは効率が悪いと思うし、あまり得策じゃない。」
「得策じゃない?」
2人の話を横で聞きながら、イザヨイは泣いていたもう1人の男の子に手を差し伸べた。
「怖かっただろう。済まなかったな、来るのが遅くなった。」
体を丸めておびえていた少年はその手を取らなかった。
「…ううん。」
「して、状況を詳しく聞かせてくれないか。」
男の子は俯きながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「ボク、お父さんと2人きりで暮らしてて。」
男の子の話は飛び飛びであったが、3人は黙って聴いた。
男の子の名はフレドリック。フレドリックは赤子の頃に母を亡くし、この町で父親と2人暮らしだった。彼の父の仕事は掃除屋だった。これが全く儲からない。日ごと3ダラー、1日に2人分の食事をやっと買えるほどの貧乏暮らしだった。男の子もまた靴磨きの仕事をして、なんとか家計を助けていた。なんとか親子2人で生きていたが、それを周りの子供達が嗤った。
「やーい、掃除屋ー。今日も地べたに這いつくばってやがるぜ。」
それが日常茶飯事なものだから、フレドリックは友達はいない。
そのフレドリックの日常を変えた出来事があった。
「靴磨き屋さん、僕の靴汚れちゃって綺麗にしてもらっていい?」
それがあのフードを深く被った不思議な少年だった。同い年くらいの少年は、明らかに街中で浮くほどの高そうなマントを着ているにも関わらず、町人は誰も彼のことを気にしていなかった。変な人だ、そう思ったが、お金がもらえればフレドリックは構わない。いつも以上に丁寧に靴を磨き、終わりましたよと声をかけると、彼はあ、と声を上げた。
「僕、この国のお金持ってないじゃん。馬鹿だなぁ。」
これは最悪だ、お金を踏み倒されるとフレドリックは一瞬思った。すると、彼はどこから持ち出したのか分からないその本を取り出した。
「フレドリック・カーター、今回はこれて赦してね。きっと高く売れるよ。」
そうして、彼は雑踏の中で消えた。
「何で、僕の名前。」
フレドリックは貰った本を抱きしめて帰った。フレドリックはお金がないが、父から教わり、字は読めた。絵が多い図鑑を売るのにはもったいなく感じ何度も何度も繰り返し読んだ。
不思議な少年はもしかしたら天使さまだったのかも。不幸なフレドリックを案じてくれたのかも。
フレドリックはそう思った。
「フレドリック、フレドリック。盗人フレドリック。」
いつも通りの罵りを、睨みつけるだけにして仕事をしようとした。
「盗人の息子は盗人だーい。」
所詮貰い物のこの本のことを言ったのだろう。それに父親が盗人でないことはフレドリックが1番よく知っている。
なのに、どうしても腹が立つ。あの本の中で1番凶暴で恐ろしいモンスターに喰われて仕舞えばいいのに、とフレドリックは願った。
「久しぶり、靴磨き屋さん。」
「…あ、天使さん。」
「天使?違う違う、僕は世界で1番の魔術師なんだよ。」
「世界で1番の魔術師?」
「うん。ダントン・カーターの息子のフレドリック・カーターさん。」
「なんで知ってるの。」
「それは僕が世界で1番の魔術師だからだよ。」
マントの奥の顔を覗きたいけれども、覗いたら最後、もう会えない気がした。
「…そうだなぁ。フレドリック、今君が望んでいることを教えてよ。」
「望んでいること?」
「魔術や魔法っていうのは人の願いを叶えるものなんだよ。」
「うーん…、じゃあ。」
そう言って取り出したのがあの本で、あの獰猛な鳥を見たいと口に出してしまった。
不思議な少年はたしかにそれを叶えた。フレドリックが口に出さなかった願望までも叶えてしまった。
それがこの町をすべて巻き込んでしまった。
きっとあの魔術師は少年を助けたかったに違いないのに、あれだけの技能を持っておきながら助けるどころか少年の心に大きく傷をつけ、何もかも失わせた。人の願いを叶えるのが魔法だったとしても、全てを叶えようとしてもそれが返って望まない結果を生む。
「口に出さなかった願いを叶えた、か。新入りくんとしてはどうみる?『魔法使い』の新入りくん。」
ンヴェネは得体の知れない少年の話を聞いてもさっぱりだった。ンヴェネからすれば魔法や魔術がそこまで万能とは思ってないので、口にしなかった想いを叶えることなんて不可能だろうとアンジュに問いかけると、彼は違った方向で返してきた。
「魔法じゃなくても、人の心を読むこと自体はできる、とは思うから、なんとも言えないっていうか。」
「魔法じゃなくても人の心読むことができる?」
「あ、別に高い精度じゃなくて、なんとなくこう思ってそう、くらいまでなら読めるだろうし…、気に入っている人が他人に貶されるの見たら、ちょっとくらい痛い目見せようくらいまでは思うんじゃね?」
「ああ、そういう感じね。そこはあり得なくはないか。」
アンジュは図鑑を拾うが、もう既に微かな魔力も残っていない。
「何が間違って、魔術師のコントロールを失ったんだ。新入りくんから見てあの魔術師の間違っちゃったっていうのは何なんだと思うわけ。僕の攻撃を防いだのも、僕に攻撃を仕掛けたのも無駄があったように思えない。それほどの実力があるのに間違えるっていうのが違和感しかない。」
「…魔術式を消しちゃった今ではもうちゃんと探れないけど。自分の魔力以外を使ったか…。まるまる生き物を生み出すって凄く魔力使うから…。火を出すとか氷を生むとか、傷を治すとかよりもすごく難しい…。魔法よりも、計算が必要な魔術なら尚更そうだと思う。」
剣を抜いて戦おうとした時の凛々しさはなく、アンジュはどこか怯えたようにしどろもどろに答える。
「うーん流石に魔術部隊にきいてみるか。気は進まないけど…。ルートビッヒならまあ話聞いてくれるかもそれない。あとは、なんでフレドリックを奴が気に入っていたかも気になる。」
「もしかすると、父ちゃん昔貴族の家で働いていたらしいから、父ちゃんの知り合い…かも。」
「ああ、そうなんだ。」
ンヴェネは何が何だか分からないと混乱しながらも、そこで考えるのをやめ、次の行動を指示した。フレドリックもここに置いていくわけには行かないし、重要参考人として王都へ連れていくことを決めた。
「新入りくん、魔力切れか?」
指示したにも関わらず、図鑑を持ったまま立ち尽くしたアンジュに声をかける。
「おーい、聞いているか。」
「……この本読んだことある気がする。」
「へえ、その今時珍しい羊皮紙の本をか?しかも、字も手書きだし、情報も古いし。誰だよ、カンカラが水辺に生息するなんて間違えた本から引用した奴。まあ、絵は随分気合が入ってるのが高そうだよね。」
それは証拠品として持っていくから汚すなとンヴェネはアンジュに注意をして、反応の悪いアンジュの背を急かした。
生存者の救護や後援への引き継ぎなど夜通しで活動して、漸く帰路についたのは翌日の昼だった。市街地でモンスターが暴れるということは少なく、ここまでの被害が出ることも滅多にない。疲労でいっぱいで誰も行きのようには口を開かない。その中でアンジュが真剣に少年の図鑑を読んでいるのが異様だった。
「…明日はダンスパーティーなんだけど、皆大丈夫?特に新入りくん。」
貴族たちの目を引く猿回しの猿になると言っていたが、この様子でどうなるのだろうとンヴェネが心配していると、アンジュは首を傾げた。
「…カンカラでも出す?」
「僕たちを殺す気か。」
「ジョークだよ。生き物を出すの大変だから、やりたくねえ。」
「酷いジョークだ。」
その魔術で幾人の犠牲者が出たのか分かっているのか分かっていないのか。生きている人には、率先して魔法で傷を治していたが、死んでしまった人間たちには一瞥もくれてやることは無かった。
「新入りくんは生きている人には優しいけど、死んだ人間には、少しの慈悲もない。本当に人間?」
その責めるような口調にルサリィが諌めたが、アンジュは全く気にしていなかった。
「死んだ人に優しくするってどうやって?」
それどころか、ンヴェネの言っていることを全く理解していなかった。
「哀悼したり、泣いたり、死体を優しく扱ったり。」
「それになんの意味がある?」
「ええ…、意味が分からないなら、原人からやりなおすしかないよ。」
アンジュはやはり首を傾げるだけで、理解をできている様子が無い。
「まあ、近くにいる人が死んだら分かるんじゃない?」
もう投げやりに伝えると、ンヴェネ・ルーイとフルネームで口にした時のように眉を顰める。アンジュ自身は様々な感情を持っているとはいえ、表情はぽやっとして判断がつき難いことが多いが、あの時と同じように侮蔑や憎悪なような顔だ。だが、それも先ほどと同じように一瞬で消えて、気のせいのような錯覚もする。
「うーん、死んでほしくはないなぁ。」
気の抜けた声の彼はもう少年の図鑑からは興味が失せたようだった。
妙な空気になったのを察して、一つ咳をしてイザヨイは話題を変える。
「ダンスパーティーか、妾も何度か参加はしているが、疲れるな。」
「いざとなったら私たちも出席するから、ウィルにも頼れば良いわ。困っている人は助けるのが彼だし。」
「そうか、それは楽しみだ。」
さりげなくルサリィが誘導をして、ンヴェネもそれに乗っかった。
「僕は面倒だけどリーダーとして新入りくんのフォローに回らなきゃいけない。貴族への挨拶はウィルには任せられないしね。だから、僕はイザヨイちゃんの手助けには回らない。ルジェはあれだし、ルサリィかウィリー頼りになるだろうね。」
「そうか、大変だな。」
嘘ではなく本当だからこそ、イザヨイも素直にその言葉に頷いた。
帰った時にはすでに夕刻で、彼らを出迎えたウィルが、4人の疲れ具合に驚きながら労った。別れ際、ンヴェネはアンジュに
「猿回しの猿が来たら、芸なんて出来なくとも人の目は集まるだろ。」
と、告げるとさっさと自室の中に入っていった。
「猿回しの猿?」
「…猿回しってウィルは見たことある?」
「無いけど…。」
「俺も無い。」
アンジュは肩をすくめてはにかんだ。とても疲れていたのだろう。彼は疲れて果てた様子で、ベッドに転がりあっという間に寝てしまった。アンジュの肩にいたクルルもウィルに一瞥もくれることはなく、枕元に降りると彼もさっさと眠ってしまった。
「たく、なんだったんだ。…まあ、少しはンヴェネと仲良くなったのはいいけどさ。」
鐘が鳴る。
イザヨイはこの国の衣装を着て、様々な思いがあった。慣れないコルセットでぎちぎちに固められ、共に自国から留学として来ていた男性の腕を取って進む。面倒だがそういうルールになっているから、仕方がない。
「お連れの方はミズホの国の、ミス・イザヨイ・タノウエですね。ようこそ。」
儀礼的なものとはいえ、イザヨイは彼の付属ではいから少しだけ癪に触る。
「今夜は楽しみにしていたよ。よろしく頼む。」
用意された台詞を呟き、さっさと会場の中へ入っていった。
巨大なシャンデリアに、東西の花を象ったレリーフが美しい壁に、イザヨイの身長よりも2倍近い大きさの黒髪の青年が信託を受け取る神話の絵画、30人を超える楽団、何もかもが煌びやかな世界に圧倒され、思わず出口の方を見やってしまった。
「イザヨイ殿、下手で済まないがとりあえず最初の曲を踊ろうか。」
「ああ、ありがたい。とりあえず1曲でも踊っておけば一応の義務は果たされるだろう。」
一緒に来ていた男のありがたい誘いにより、大きな間違いもなく1曲踊り終えた。
「醜い顔だな、猿の国の出身は。」
「似合わないドレスを着ちゃって、脱いだ方が似合いなんじゃないかしら。」
多くは無いが、偶に聞こえる外国人嫌いの貴族の声が嫌に耳に入るのが煩わしい。
幸いイザヨイは外交の担い手とは期待されていないから、壁の花になりはてようがかまりゃしないだろう。イザヨイの国の芸術に興味がある貴族など数人に声をかけられたが、もとより剣ばかり握っている女にあまり話しかける人は少ない。
イザヨイが遠い目をしながら壁際の椅子に座ろうとしたときである。
「イザヨイ。」
この社交場で未婚のイザヨイの名前のみで呼ぶことはすくない。初めて来てからこの国で一番よく聞く声だ。
「ウィル。」
イザヨイはパーティ会場でウィルと会うのは初めてだった。この国の象徴である紺色の布地に金糸で立て襟や飾緒を彩られている。いつもは梳かしただけの髪型も、今日はきっちりと整髪料でまとめられている。
「…今日はいつもと雰囲気が変わっているな。」
「…イザヨイこそ…。」
お互い慣れしたしんだ相手というのに、初めて見るお互いのあでやかな服装に緊張して、いつもならするすると出てくる言葉もなかなか出てこない。
ウィルの背後にいる他の五星士のメンバーたちもウィルと同じように着飾っているのが見えているのだが、そちらを気に留める余裕もない。
「あら、ミス・タノウエ踊ってきたら?」
横で扇を口元にあててくすりと笑う子爵令嬢や伯爵令嬢たちだ。女性から男性を誘うことがエチケット違反とされている為に、暇を持て余しているせいか、意地が悪い。
「レディ、踊ってもらえますか。」
嘲笑が聞こえるとすぐにウィルがすっとイザヨイの前に手を差し出した。
「平民の男が粋がっちゃってかわいそう。」
「暴力人間がどんなダンスを踊れるのかしら。楽しみね。」
「猿同士でお似合いよ。」
「無粋だな。」
誘われていない女性たちのほかに、世話役の女性や立ち話をしていた男性もその嘲笑の輪に加わった直後である。
突如会場の中央のシャンデリアの炎が大きく燃えあがった。
「な、なんだ?!」
そして、炎はイザヨイの国で親しまれている伝説の鳥、鳳凰の形になり会場の上を優雅に飛ぶ。炎は、緑、青、紫と色彩豊かに色を変え、嘲笑していた人間たちも感嘆の息を漏らす。
犯人は、イザヨイの友人の魔法使い、アンジュ・クラントで、彼はイザヨイたちから距離を取って会場の中央でそのパフォーマンスを行った。炎はやがて花火のように弾け、その火の粉が飛び散った先には本物の花が落ちる。
「なにやってんだ、アイツは。」
「凄いな…。」
楽団の中のノリのいいパーカスとピアノ弾きがアンジュの動きに合わせて音楽を奏で始め、会場はさらに盛り上がる。
壁のレリーフから同じ形の花が現れ、空へ舞い、絵画の神託を受けた青年の抱く紙束が縦横無尽に動いた後に花を纏め、花束となり、女性たちの腕に行き、受け取った女性たちはまあと嬉しそうに声を上げた。
最後に絵画の青年は険しい顔からにこりと微笑む。
この“マジックショー"には、捻くれた貴族たちも圧倒され言葉を失い、平民だと揶揄することもできていなかった。
「あ、ありがとう。」
アンジュは戸惑いながらぎこちなくお辞儀をすると、近くにいた貴族たちに握手を求められて、愛想笑いをしつつ対応していた。
その突然のマジックショーが終わったんだろうと見計らうと楽団の指揮者はこほんと咳払いをするともう一度ダンスミュージックを奏で始めた。
貴族たちの関心はウィルやイザヨイからは消えており、もっと面白い存在である若い魔法使いの方は向かった。
「…仕切り直しでイザヨイ。」
「ああ、是非。」
会場の中心ではまだアンジュが貴族たちに求められれば簡単な魔法を使って見せていた。仲のいいウィルは、彼が目立ちたがり屋ではないのを知っているし、貴族に取り入りたいわけでもないのを知っているから、アンジュの真意に容易に気づけた。
会場入りする前に、ンヴェネがアンジュの対応はリーダーである自分がするから、と念入りに忠告していたのも、全て自分のためだったのだと理解した。
「…ダンスは得意ではなかったが、ウィルとこうして踊れるのならば習った甲斐があったな。」
「俺もそう思う。」
嫌々だったダンス練習がこうして楽しい時間に変わる方もあるらしい。
2度のダンスは意味が違うのを知っているから、ウィルとイザヨイが踊るのはこの一度きり。
だから、願わくば、このダンスミュージックがずっと流れていればいいのに、と2人は同じ事を思うが、音楽の長さなどたかがしれている。10分にも満たないうちに、音楽は終わり、2人の身体は離れていった。
「…楽しかった。」
先にその感想を述べたのはどちらからだっただろうか。
「…イザヨイ。」
この国の言葉で伝えるには傍聴する人間が多すぎる。だから、拙いながらもイザヨイの国の言葉で伝えるだけ伝える。
“ずっと好きだった”
辞書や教科書などは殆ど平民では手に入り難かったので、イザヨイの国の人と話して少し知り
得たくらいだ。
“『天津風雲の通ひ路吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ』”
そして、そのイザヨイの国の人から勉強用にと貰った本中にあった詩を述べる。恋の歌を選ぶことはできなかったが、それでも、少しでもこの人を見ていたいと選んだ詩だった。
“そうか、妾の国の言葉をわざわざ習ってくれていたのだな。…そうだな。『ながらへば またこの頃や 忍ばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき』”
イザヨイもまた恋の歌は選べなかった。
辛かった過去も全てが彼女の掛け替えの無い大切な記憶だ。だから、生きてさえいれば、きっとこれも大切な過去になる。
「ああ、きっと。」




