9話 黒髪のあの人②
翌日、アンジュはウィルが起きるよりも前に自室を出て、女性宿舎の方へと向かった。中に入れないが、女性宿舎から出てくる女性兵士にルサリィと話がしたいとお願いをすると怪訝そうに睨みながらも、ルサリィを呼びに行った。
ただでさえ朝早く、嫌われても仕方ないがウィルが気付くよりも前に彼女と話がしたかった。
「おはよう、アンジュ。いい朝…、じゃなさそうね。昨日はよく眠れなかった?」
ルサリィはアンジュの顔を見るや否や、嫌そうな顔をすることなく優しく笑い、それどころかアンジュの心配をしてくれた。
「朝早くごめん。」
「いいのよ、私アンジュと話すの好きだから、朝一番に話したいって思ってくれて嬉しいわ。」
「ありがとう。」
イザヨイと昨日の夜偶然会ったことと、イザヨイのウィルへの想い、それから、彼女の決意をルサリィに話すと、ルサリィは最後までうんうんと頷きながら、静かに聴いた。
「お互いがお互いを好きなのに、それぞれの大切なものが大きすぎて一緒にはなれない…か。」
「…ルサリィはどっちを選ぶ?」
「異国の人を好きになったことがないから、ちゃんとは分からないけれど、でもきっと、私も恋を選ばない。とっくに親が死んで、捨てるもなんてほとんどない私でもそうだから、イザヨイは更にそう思うのでしょうね。」
「そうなんだ。」
「ふふ、それに既に世間では行き遅れの年齢だし、私はもう気楽よ。」
「ンヴェネのアプローチは…。」
「彼が本気かどうか分からないわ。」
彼女のいう通り、普段から飄々とした物言いのンヴェネの本意は分からない。本当にルサリィの方が好きであの物言いしかできないのであれば同情する。ただ「兄貴でもないんだから」と苛立ったあの時だけは、間違いなくンヴェネの感情だった。
「ま、今は2人のことね。私たちにしてあげれることってほとんどないと思うけれど、今度ミズホの国を歓迎するダンスパーティーがあるのよ。」
「ダンスパーティー?」
「男女で踊るのよ!王族が主催するパーティで、それに私達も参加できるわ。」
「ええ、なんで?」
「五星士は国の英雄という名目があるからよ。」
「でも、なんでダンスパーティー?」
「基本的に決まったパートナーがいる人が、パートナー以外の異性と連れ歩くのは外聞が悪いし、婚姻前に妙な噂を立たせちゃいけないと思うの。だけど、ダンスパーティーで一曲踊るくらいなら許されるわ。」
最後に何かしら思い出になることを作ってあげたいというルサリィの思いに同意した。しかし、それにも問題はあって。
「ワルツを踊れるかって?前にダンスパーティーで見たことあるけど踊ったことないよ。笑われるのがオチだからね。」
五星士のリーダーで一番経歴の長いンヴェネでもこの通りだった。一度ルサリィと分かれて、一人で談話室でコーヒーを淹れていた彼を丁度よく見つけてその話をしたのだ。
「ルサリィは昔貴族の男と一瞬付き合ったことがあったから、踊れるんだろうけどね。」
「ウィルが踊れたりは。」
「見たことないよ。ただ踊れはしないだろうね。ダンスパーティーに呼ばれたところで、俺たちは動物園の猿と一緒さ。貴族にとって、言葉を解すことができる動物にすぎないんだからね。ある意味俺たちを蔑んでくる貴族の方がまだ俺たちを人間だと思ってるんじゃない? そんな環境で貴族的なものを覚えようとはしないだろ。」
ンヴェネはしっしっと手でアンジュを追い払う動作をする。
「ルサリィが提案したっていうのはあまり否定したくはないけど、2人の思い出が汚い貴族たちの笑いにはされたくないかな。僕もウィルは大事な仲間なんだ。」
アンジュが嫌いだから、そうするのではなく、彼もまたウィルのことを思って、彼がルサリィの提案を否定した。
「貴族の目くらいならら俺が稼ぐと言っても、協力は無理?」
「へえ、面白いこと言うね。何ができる?」
「ただの平民が動物園の猿だとするなら、俺は猿回しの猿だよ。」
ンヴェネは初めて見るアンジュの射殺すとてもいうような真剣な瞳にほんの少したじろいだ。
「見せ物になるっていうの。」
振り払う動作をやめて、探り入れるようにアンジュを凝視し、
「…ヤナ長官に相談してみるよ。僕が話せる貴族なんて彼ぐらいだ。」
そう諦めるような口ぶりで彼は漸く頷いた。
丁度そこに朝から姿が見えないアンジュを探していたウィルが入ってきた。
「あ、アン。お前こんな所にいたのか。変な奴に呼び出されたとかじゃなくてよかったわ。」
「…ウィリーはちょっと心配が過ぎるよ。いくら新入りくんがプライマリースクールレベルとはいえさ。」
「アンが危険な目に遭うとは思わないけどさ、常識がないから何やらかすか分からねえじゃん。」
「いつもリーラとミルフィーにそうやってよく怒られたよ。ふらふらどこか行くなって。」
「自覚してんなら、新入りくんももうちょっと改善しようか?五星士はそこそこ自由とはいえ、僕らこれでも軍人よ?」
「…気にはしているんだけど、衝動で。」
決まり悪そうに、アンジュは頭をかく。何しろ分かっているけれども、直せない悪癖というものが一番厄介だ。
「処分が下らないうちはいいさ。王国を離反すると上層部に受け取られたら、殺されるかもしれないよ?敵国に『若い魔術師』を取られるくらいならってね。」
「…よく分かっているよ。戸籍、というか国籍さがない以上、この国の法律で守られることもないし。」
「うん、え、よく分かるね?」
プライマリースクール生と少しバカにした相手から、そのような返答をされると思わなかったンヴェネは驚いて戸惑う。
「こないだ法律の本読んだから。」
「君、文字習いはじめて1ヶ月じゃなかったか?」
「アン、先週ジェファーソンの探検記読んでなかったか?」
その小説は恐らくプライマリースクールの4学年(8〜9歳)のレベルだった。(ウィルは軍内の手習で知っているのではっきりとは分からないが。)それがいつのまにかパブリックスクールレベルの本を読んでいたようである。いくらなんでもレベルアップが早すぎる。
「うん?その隣に置いてあったよ。」
「いや多分シェーラのおっちょこちょいだろ。なんで小説と法律の入門書が隣に並んでんだよ。」
「著者が2人とも「ジャック」だったから?」
「ああ、それはきっと同姓同名の別人だね。生きている時代30年ズレてるよ。気が動転して間違えちゃったんだろ。」
けれども、問題は私立図書館司書シェーラのおっちょこちょいではない。いくら元々はちゃんとした教育を受けていたかもしれないとは話されていたとはいえ、ここまで一気にレベルが上がるだろうか。少なくともこの6年間は碌に本も読んだことなく、過去に教育を受けいたとしても10歳で止まっているはずなのにだ。
「君はこの国出身なんだろうって思うよ。だから、戸籍もすぐに見つかるだろうさ。ああ、それで、僕はさっきの話を長官にしに行くから、君たちはそろそろ鍛錬に行きなよ。降格させらたくないならね。」
「そうだよ、こんな話しにきたわけじゃない。いくぞ、アン。」
「ああ。」
そう言って2人は少し小走りで部屋を出て行った。ンヴェネは自分の頭を描きながら、やるせない思いを吐き捨てるように大きくため息をついた。
貴族の繋がりがないからと自信のなさそうに言っていたンヴェネだったが、ヤナ長官との話し合いがうまく行ったようで、数日後にはダンスパーティーのためのダンス講師を連れてきたのだ。
「ダンスパーティーまでの2週間、任務がない日は2時間みっちりダンス訓練をしてもらいまーす。これは長官命令だから逃げんなよ、ルジェ。」
五星士全員がそのダンス訓練を受ける羽目になったわけだが。
「くそ、何で俺が。」
「こんなにダンスって人と密着すんの?!」
男のダンス講師1人と、女性4人に態々来てもらって、練習を開始したが、ウィルとルジェロはその距離感に戸惑いを見せていた。
「ウィリー、気にしすぎだってば。こういう時だけは新入りくんを見習え?」
2人がマゴついている間に、アンジュは剣の鍛錬と同じくらいに、真剣にダンスを練習している。
「なんであんなに素直に指導を受けられるんだよ。」
勿論最初の提案をしていたのがアンジュだから、というのもあるだろうが、義理感でやっているというには真剣がすぎる。
「精神性はプライマリースクールレベルで、好奇心が豊かなんだよ。」
「はぁ、羨ましい。」
アンジュは初日の1時間で不恰好ながらも一通りのステップと流れは頭に入ったようだ。
踊る、なんて生涯やる気はなく、ダンス講師に散々なことを言われたルジェロは、今すぐにでも剣を抜いて鍛錬しそうである。
「…パーティーで踊らなくてもいいってんなら、何で習う必要があるんだよ。」
「それは僕らが悲しいくらい公僕だからです。長いものには巻かれてくりゃれ。」
ルサリィとアンジュが姉弟のようにダンスの話をしているのを横目にルジェロとウィルはブーブーと口を尖らせる。
「ウィリー、いいのかい?イザヨイちゃんとと踊れるかも知らないよ。」
ンヴェネの本心としては、ウィルが踊れるようになって、選択肢を増やせるのならそれでよかった。
「…そ、れ卑怯だわ。…イザヨイは踊れるのかな。」
「彼女貴族階級の令嬢だからね。軍人である前にさ。文化交流の一環でこちらのダンスは一通り踊れるようになったって言っていたよ。」
これはルサリィが事前に本人に聞き込みを行なっていたので間違いはない。
「…頑張ってみる。」
そうして素直にダンスの練習を始めたのを、ンヴェネは笑った。彼が真面目にダンス練習を始めたのに気づくと、ルサリィとアンジュの2人はンヴェネに視線をやり、微笑む。
「全く、手がかかるメンバーたちだよ。」
それでも、ンヴェネは幸福を感じた。
太陽が沈み、真夜中ウィルがすっかり眠りについた頃、再びアンジュは部屋から静かに抜け出した。そして、中庭に進んでいくとやはりあの夜と同じようにイザヨイは素振りをしていた。
「今日も来たな、アンジュ。」
そうイザヨイが来たあの日から任務がない日にはそこに行くのが日課になりつつあった。
「そんなに楽しいものか?」
アンジュも偶にイザヨイと共に素振りをするのだが、日中の稽古で草臥れていることも多く大抵は彼女の刀をただ見ている日がほとんどだった。それでも、静かに見ているのだ。
「楽しい、というか、寂しい?」
「何故。」
「寂しい、じゃないか。違う。懐かしい…のか。焦りもある。でも、理由は、はっきりしない。」
「そうか、そういうこともある。アンジュはあまり夜に男女が会うということは気にしないんだな。」
「え、ああ、ごめん。そういうのいっつも忘れる。」
「いや、妾はお主といるのは好きだぞ。本当に妾の事をただの武人だと思っていたりとな。」
アンジュはとにかく純粋で目の前にいる人間を女性だ、男性だ、と考えたりしない。それは全く女性扱いされないということでもあるが、イザヨイにはそちらの方がずっと気楽でよかった。
「…イザヨイは必要以上にはウィルには会わないよな。」
同室で面倒見がいいウィルと基本的に一緒にいるアンジュは、あまりイザヨイが接触をしてこないことに気付いていた。勿論完全に避けているわけでもないが、会った時はプライベートな会話をすらことなく殆どが仕事上の会話ばかりだ。
「これでも口実を作っては話をしているぞ。」
「その殆どがモンスターや魔導武器のことだから…。」
「そう生きると決めたからな。ウィルとの思い出ならお主が聞いてくれるしな。」
「それなら、いくらでも。」
魔法で無理やり状況を変えたところで、彼女は幸せにはならない。何か一つ変えたところで、彼らのハッピーエンドには転がらない。だから、アンジュにできることは、一つでも多く彼女に楽しい記憶を残すことくらいだ。
「結婚しても、俺たちのこと忘れないで。」
「当たり前だ。忘れるなど、勿体無いことできるか。」
月明かりに照らされる彼女と刀は、慎ましくも美しく輝いていて、切なかった。
あと3日でそのダンスパーティーというところで、アンジュは任務を言い渡された。
「トパリスの町の近くで、カンカラという種類のA級モンスターが異常発生している。」
軍でモンスターを主に倒すのが任務である五星士に、命令が下るのはいつも突然である。ルサリィとンヴェネと共に礼をして長官の執務室後にした。
トリパスという町は王都に続く街道の宿場町で、中規模の町で軍の馬車で半日程度でさほど遠くはない。近頃は道路や馬車のタイヤの向上、はたまた自動車なるものも出始めいるので少しずつ寂れていっているが、徒歩や質の悪い馬車で移動する庶民たちにはなくてはならない町だ。
【無理しないでね。】
アンジュにしか聞こえない声で、頭上にいるクルルはそう言う。
3人が馬車に乗り込もうとした時、待ってくれと声をかけられる。
「あれ、イザヨイちゃん。今回の任務同行だった?」
イザヨイが肩で息を吸いながら、首を振った。馬車で半日の場所、ダンスパーティーに間に合うかどうか少し微妙だ。
「今、無理矢理長官殿に頼み同行許可を貰った。モンスターの戦い方を学びに来ているのに、同行する数を限らせては勿体ない。」
しかし、彼女の真摯な頼みに拒否する権利など持ち合わせて無かった。
「A級とはいえそんなに大した相手じゃないけど、歓迎するよ。」
イザヨイも同じ馬車に乗り、ルサリィの隣に座った。
「カンカラというのは、どう言うモンスターなんだ?」
「見た目は鳥類かな?スピノサウルスみたいな頭しているけど。」
「空飛ぶってこと?」
イザヨイの質問に、そのモンスターも知らないアンジュも一緒に尋ねた。
「このメンツを見て。ウィリーも炎は出せるけどそんな距離はない。遠距離の攻撃手段がある人間ばかりだよ。」
「近接格闘の鍛錬は見たことあるけど…。」
今もルサリィの所持品は2本の短剣で、それ以外の武器は見受けられない。
「僕はこの通り、長銃だよ。拳銃もある程度は使えるけどね。」
ンヴェネは長銃を背負い、肩から吊した両脇のホルダーには拳銃が2本所持しているし、腰には短剣も身につけている。
「ンヴェネの魔導武器はその長銃?」
「そうだよ、あ、レベルアップしてくれるってこと?」
「発動しているの見たことないから分からない。」
「ああ、じゃあ、この任務で見せてあげよう。雷鳴を呼ぶ銃をね!因みにルサリィは、魔導武器を持ってはないよ。」
「五星士は魔導武器を使えないなら入れないんじゃ。」
「それは新入りくんとほとんど理由は同じ。彼女は風使いの一族…、風の民の最後の生き残りだ。」
「ええ、そうなの。といっても、それを知ったのは6年前なんだけど。」
風の民と聞いてもアンジュはピンとは来なかった。ただ確かに今まで会った人とはまた違った魔力を感じるのは確かだった。
「風の民は2000年以上前に消えたのよ。だから、王宮にもあんまり資料は残ってなくて、詳しくは分からないの。」
「そうだったのか、3年ほどの付き合いだが、知らなかった。」
アンジュと共にイザヨイは興味深そうにその話を聞いていると、大きくガタンと馬車が揺れ、御者の叫び声が聞こえる。4人の軍人は馬車が止まるや否や、すぐに外へと飛び出した。
「…これは。」
見た光景に彼らは言葉を失った。
外は丁度日が沈む影響で、何もかもが真っ赤に染まっていた。その中でその町のは異様だった。
1メートルほどの体格の、スピノサウルスのような細い頭に細く大きな口、猛禽類のような翼と爪を持ったモンスター、カンカラがその町の空を覆うように町を巣食っていた。数は優に100を超えている。
「異常発生とは聞いたけど、この数なんて聞いてないよ。」
伝令を務めた兵も首を振った。
「聞いた時は十数匹でしたよ!」
「どんなに遅くとも昨日の話だよね。」
「はい。」
人々の逃げ惑う声と悲鳴が聞こえ、ここは地獄なのかもしれないと思う。町の外で立ち尽くすわけにもいかない。4人はやるべき事を思い出すと走り出す。
【鳥類の癖に、ぼくの声を聞かない…。】
鳥の神獣クルルは、驚きと悲しみの声を呟いている。それはアンジュ以外には聞こえていない。
「それが何か。」
【神獣の本来の役割は、管理でもあるんだよ。】
余程のことがなければ、その種族の神獣に対して服従するのが当然のことなのである。つまり、鳥類が、鳥の神獣であるクルルの言葉を無視するなんてあり得ない。
「新入りくん、前に行き過ぎんなよ!後ろに下がっとけ!」
いつもより荒々しいンヴェネの声。
「ンヴェネ後衛じゃん。」
「君の剣の腕で前線立てるレベルのモンスターじゃないってんだよ。大人しく回復係やっときな。」
ンヴェネは的確にカンカラの脳天を貫き、倒していく。
「風神、舞え!」
いつもより低くハスキーな声でルサリィが言うと彼女の周りには風が纏わりつく。そして、髪で隠れていた右目が現れて、赤く光る。瞳の中には不思議な文様が書かれて、カラクリが刻むように動いている。
ルサリィのその力は数匹の飛んでいたカンカラを巻き込み、地面へと叩きつけて、動かなくさせる。
「ふむ、さすがベテランの五星士たちだ。」
イザヨイも刀を抜くと、その鋭い刃で簡単に首を落としていく。
「新入りくん、僕のリロードの間足止めできる?」
「任せて。」
そう言った直後には十数匹のカンカラの片翼を凍らせて地面に落とす。空飛ぶ鳥の地上でのスピードは高が知れているので、それだけで十分だった。
「全く便利なもんだな!」
イザヨイが前で戦っていても、ンヴェネは気にせず、銃を使う。誤射するとは一切思っていない程、彼は腕に自信がある。
少しずつ町の中に侵入して、倒していくが、全然敵は減らない。きっと通常であれば、人々の生活の中心だったろう、町のメインストリートは食い荒らされた哀れな骸たちが溢れていた。
片隅で震える生存者たちには大丈夫助けると声をかける。
「クリフ、カイ、もう一度王都に戻って応援を呼んでこい。」
ンヴェネが伝令と御者に強い声で命令して、彼らは駆けていった。
「新入りくんはどれくらい魔力が持ちそうなわけ?」
「今のペースだと、多分3刻後には切れるかも。」
ただあと1時間もしないうちに日は暮れる。既に周囲は赤く染まり、判別が難しくなってきている。魔法で辺りを照らすことを入れると6時間も持たないだろう。
『隊長さん、アンジュはぼくが守るから気にしなくていいよ。』
「神さんが守ってくれるっていうなら、怖いものなんてないな。」
大きな力を持っている神獣は、たくさんの人が死に瀕していても気に入りの1人しか守る気はないようで、ンヴェネは蟠りを感じたが、
「クルルは本来カンカラを守る立場なのに、人間を守るなんて言っていいの。」
というクルルを気にかけるアンジュの言葉を聞いて、人間本位だった自分を恥じた。
『どうやらぼくの手から離れてしまった同族だから、問題ない。』
しかし、彼が同族に手を下すことはなるべくなら、避けたい。
「暗くなってきたから、明かりをつけるよ。」
アンジュは目が驚かないように、ゆっくりと光の強さを大きくさせて少しずつ灯が届く範囲を広げた。
「100ヤードも広げて、大丈夫なの?」
ルサリィやイザヨイがアンジュの負担を減らそうと、アンジュのそばに寄ったが、アンジュは距離を狭めることはしなかった。
「今、死角が一番怖いから。」
「そうだけど…。」
「あと、気になったことがあるから聞いて欲しいんだけど。」
ルサリィは分かったと頷くと、一際大きな風を吹かせカンカラたちを遠くへ飛ばす。
「みんな同個体なんだよ。」
「は?」
「普通だったら、似ているけど魔力に違いがある。でも、まるで写しとったみたいにみんな同じ。双子がたくさんみたいな。」
「…それって分身みたいってことかしら。」
空から飛来してくる様子はないのに、減ることはないモンスター。何者かによってコピーされ続けているとするならば納得はできる。例えそれが違ったとしても、その可能性を潰すことができれば進歩だ。ンヴェネはさっと判断すると、再度指示をした。
「ルサリィは、新入りくんと一緒にここで数を減らして。イザヨイちゃん、僕らの事情に巻き込むけど、僕と一緒にその分身の原因を探して貰っていいかい。」
「もちろんだ、ついて来たからには協力は惜しまない。」
「だったら、そっちにも光を。」
「いや、僕はカンテラを持って来ているから必要ない。」
そう言って彼は手慣れた様子でマッチでカンテラに火をつけると、腰のベルトに身につける。
「じゃあ、ルサリィ頼んだよ。」
「ええ、ンヴェネも気をつけてね。」
イザヨイとンヴェネはアンジュの照らす外に出て行く。
「アンジュ、無理しなくて大丈夫。私が絶対に貴方を傷つけさせない。」
「…カッコいいな、ルサリィは。」
「だって私、先輩だからね。後輩を守るのは当然でしょ?」
性別なんて関係ない。イザヨイもルサリィも、惚れ惚れするほど格好いい。ウィルやルジェロは、五星士としては先輩でも軍人としてはルサリィよりも先輩だから、あまり彼らに対しては先輩然とはできない。しかし、ルサリィは特別な力を有した人間として(アンジュよりもよほど珍しい力で)軍属する先輩だからこそ、彼女はアンジュを気にかけているのかもしれない。
「風神様、より強く唸りたまう。」
風はより激しく唸り、木の屋根をガタガタと言わせる。ギリギリ損壊しないような風の軌道をするために彼女は神経をすり減らす。
アンジュのおかげでメインストリートから外れてもはあまり暗くなり過ぎていない。
皆んな屋内に逃げたらしく、屋外に生存者はいない。こちらも先程のメインストリートと同じく食い散らかされた骸がいく人も打ち捨てられている。
「…アンジュは軍人となってから日が浅いと言ったが、こんな状況でもずっと冷静だったな。」
いくら軍人でモンスターとの戦いに慣れていても、このような惨たらしい遺体が幾つも転がっている状況、中々精神は休まらない。
「そうだね、新入りくんの恐ろしいところだ。」
動物の解体に慣れているから、血や臓物が平気とは言っても、恐怖で目を見開いた人間の死体なんていくら経っても慣れはしないと思うが。
「…でも、僕ら以上に慣れているんじゃないかな。彼にとって人と動物はあまり変わりないようだから。」
全ての生き物の死に悲しんでいるのならば、普通の人よりその状況に慣れるのは早いのだろうと勝手に結論つける。そうしないとあまりにも不気味だ。
より闇深い場所に向かうと、怪我をしながら抵抗する町人たちがいて、彼らとモンスターの間に体を滑り込ませる。
「あ、なたたちは。」
「遅くなって悪かったよ。僕らは王国軍のメンバー。ここは僕たちが対処するから光を辿ってメインストリートに向かって。違う王国軍のメンバーがいるから。」
足をもつれさせ、怪我人が怪我人の肩を抱き、明るい場所へと彼らは向かう。この暗闇だから、アンジュの光はきっと心理的に不安を消すだろう。やはりそうすると今彼の存在は意味がある。
生存者を見つける度にンヴェネとイザヨイはメインストリートに行けと言いながら、町の探索を進める。とある長屋の前で、子供の泣き声がした。逃げ遅れだろうと急いで向かうと、そこには2人の少年がいた。1人はどこにでもいるようなシャツと膝の部分が擦り切れたズボンを履いた男の子、もう1人はもうすぐ夏が来るというのに、まるで12月に着るような厚手のマントを身につけて、フードを深く被っているので顔は良く見えない。ありふれた恰好の男の子は泣いていて、マントのもう1人はなぜかあたふたとしている。
「君たち、ここで何を。」
しているんだと声をかけようとした時、少年たちの近くに落ちていた本、図鑑から抜け出すようにカンカラがぬっと現れた。
「なっ!」
それはすぐさまイザヨイによって、真っ二つとなった。漸くそれで彼らの目は2人を見た。
「…だれ。」
不安そうに見上げた普通の男の子に懐疑心を抱きながらも手を差し出した。
「ここは危険だから、町の真ん中に行きな。」
すると、ぶるぶると頭を振るのだ。
「ごめんさい、ごめんなさい。」
彼は謝罪の言葉を繰り返すとまた泣き出してしまった。すると、厚手のマントを着た彼が、また困ったように頭を抱えた。
「…何をしている?」
「うひゃ、急に喋りかけないで。」
「ずっと待ってたでしょ、こっちは。」
すると、再び本からカンカラが現れ、間髪入れずに拳銃で頭をぶち抜いた。
「この騒動はその本が原因でいいのかい。」
「それはどこにであるただの図鑑だよ。この騒動の原因っていうのは、僕だね。」
まるでこの町の惨状なんてどうでもよいというように、あっけらかんと彼は話す。
「君は何者だ。場合によっては殺す。」
「そのちゃちな銃と刀で何ができるというの。例え僕が殺されても、そして、その本が燃え尽きてもこれは止まらない。そもそも、それができるんならもう僕はやってる。」
「…話が読めない。質問に答えろ、お前は何だ。」
「僕は世界で1番の魔術師。」
「…魔術師?」
顔立ちはよく見えないが、声は声変わりもまだの少年そのもの、身長だって20インチ程度ンヴェネより低い。ティーンのアンジュでさえ、貴重な若い魔術師と言われているのに、どう考えてもローティーン程の彼が魔術師だなんてなかなか信じ難い。
「世界で1番?随分取り乱しているみたいだったけど。」
「あはは、僕大体の魔術使えるんだけど、なんか計算ミスめっちゃしちゃって、たまにこういうとんでもないことやっちゃうんだよね。」
軽い。何もかもが軽い。
「…君、何人の人がこれで犠牲になったと思っているんだ。」
「105人…、あ、今もう1人死んじゃったよ。106人だ。」
人の心がない人というのを、今までも何人か見たことがある。が、このまるで喋る機械と話すような感覚は、初めてのことだ。人が死んでいくのは「可哀想なこと」だとプログラムされた人の形をした何かに思える。
「…君が死んでも変わりゃしないなら、先に君を殺してから解決方法を探そう。」
セーフティを外し、トリガーに指をかけるが、全くトリガーは動かなかった。
「なに。」
「君のちゃちな銃では、僕を殺せないって言ったでしょ?」
イザヨイが抜いた刀も、突然錆びていき、根本からぼきりと簡単に折れてしまった。
「君たちが僕を殺すのは大変だけど、僕が君たちを殺すのはとても簡単なんだ。何故って僕が最高の魔術師だからね。」
魔術師。魔術式という計算式が描かれた効率的に魔法を使うために補助するものを扱える人間のことを指す。全て忘れた癖にアンジュは魔術師の意味を正確に理解して、自分のことを魔法使いと呼ぶ。
「…コイツ。」
ンヴェネは何も見えないが大きな力によって壁に叩きつけられた。
「ごめんね、僕王国軍って大っ嫌いだからさ。」
制服をではなく傭兵のような恰好をしていても分かるくらいには顔が売れたかと妙な感慨を持った。見えない力で床に押し付けられる。
「ンヴェネ!」
イザヨイは小刀を持ってはいるが、先程の様な方法で折られるのであらば、対処の方法などない。
「…何が目的なのだ、貴様は。」
「目的?今回のこれに関しては僕が引き起こした事故で、本来ならこの鳥を見てみたいっていう彼の要望を叶えたかっただけなんだよね。」
「何が最高の魔術師だ、結果の予測が不適当だったくせに。」
「確かに!なんで最高だなんて思ったんだろ?」
話が通じない。どうにかしてンヴェネにかかる魔術を消したいのだが、この相手に何が有効なのかが分からず、イザヨイは焦っていたが、できることといえば刀を振ることしかできない。少しでもンヴェネから気を逸らすことができれば、とその小刀を振り上げた。
敬愛する姫様の隣で死ぬことは叶わなくても、軍人として仲間を救えるのならば本望だという覚悟だ。
「貴女と戦いたくないなぁ。」
鈍そうなくせに、彼は最小の動きでイザヨイの一刀を逃げる。彼の体を覆う程の厚手のマントが少し切れたくらいだ。その後連続で斬りかかるも、全て避けられる。しかし、彼から反撃はない。ンヴェネに魔術で押し潰しているので手一杯なのか、迷っているのかはわからない。
「貴様、女だからと躊躇っているのか。」
「何で僕が女性に躊躇う必要がある?」
全く理解ができないというような口振りに、どうやら自分の方が固定観念が強かったと反省する。
「ならば、何故妾を殺そうとしない。」
何人の人が犠牲になったという問いかけに対して、ただ死んだ人数を答え、ンヴェネに対しても魔術で潰そうとした彼が人を殺せないと躊躇うことはおかしいはずだ。
「…知らない。殺したくはない。」
朦朧とした意識の中でンヴェネは、彼もイザヨイの髪に既視感を感じているのを不可解に思った。
「だから、大人しくしてて。」
身体が氷のように動かなくなる。その魔術式が一瞬で出てきて対処のしようがなかった。その術式が書かれた魔術書を持っていたわけでもないし、魔力結晶があったわけでもない。それなのに魔術式は1秒も満たない程度のスピードで現れた。
「僕は君を殺さないけど、この軍人は殺したいから。」
ンヴェネが小さく悲鳴をあげる。
動け!何のためにここにきた、とイザヨイは自分を叱咤する。軍人として愛する人のそばで死ぬことはできないと覚悟していたが、目の前でただ仲間が死んでいくのを見ているのなんて耐えられない。
「ふざ、けるな。」
「君を殺さないと言っているのに?」
昔から変わらない。ただ愛している人が帰ってくるのを指を咥えて待つだけなんて、できるたちではなかったから、女だてらに剣を握った。
そして、諦めるにはむずかしいほど、イザヨイには才能があった。
幼い頃から振っていた小さな小刀を力強く握りしめて神経がブチギレそうなほど無理やり彼女は体を動かした。
「な…!」
一閃、そうして彼の厚いマントを切り、額に赤い筋を作る。動揺した彼はンヴェネにかかっていた魔術を止める。
「ばかじゃ、ないの。」
「それが、できる、ようで、あれば、元より祖国から出て、剣を振るものか。」
「分からないよ。何もなくたって、生きているのが一番幸せでしょ。」
無理に魔術式を破った身体はもう既にボロボロで刀を握るだけでも辛かったが、袖を破り刀を手放さないようにグルグルに巻きつける。
「…そう、だろうな。」
「僕あまり女性の知り合いが少ないんだけど、それって君が女性だから?」
「…ない。」
むしろ女性なら、血みどろの生活よりも平穏を望むことが多いはずだが、そのステレオタイプを伝えるのもイザヨイにはできなかった。
「妾が武人だからだ。」
聞いておきながら、彼は興味はなさそうだ。




