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物語綴  作者: 碓井旬嘉
7/8

7

 この手を染めゆくのは紅いもの。紅く、赤く、あかいもの。

 ぐにゃり、とそれを踏めば、厭な感触が生足の裏にまとわりつく。踏み締めた感触が癖になり、今一度、踏みつける。つい先程まで息をしていたはずのそれは、此方を見上げているが、既にその瞳に生気はなく、虚空を見詰めているようだ。

 開いた瞳孔に、澱んでいく白。幾度も美しいとさえ思った黒色こくしょくの瞳の色。けれどそれは今となっては闇の色にしか思えなく、それが無性に哀しかった。

 踏みつける足を退かし、白過ぎる頬に触れる。温かかったはずのそれは、少しずつ温度を失いつつあり、直ぐに冷たくなるのだろう。

 血の滴るそれを、再度、突き刺す。まだ溢れ出るあかが、それはまだ生きているのだと錯覚させる。とろり、とじわり、と地面を染め上げ、広がる。もう一度、突き刺す。また別の箇所から紅が溢れる。

 まだ、足りぬ。これでは足りぬ。幾度も幾度も、刃を突き刺す。至る箇所から鮮血が垂れ流され、本当にそれは生き物だったのだと思い知る。こうすることで、もしかしたら流れる血液の色が違い、己とは異なる生物であったのではないかと、確かめたかったのかもしれない。

 己の愚かな行為を、正当化したかったのかもしれない。

 間違ってなどいない。間違っていたのだと。

 鮮やかな華の咲いた着物が紅く染まり、刃も紅く染まり、それを抱き上げる己の手も紅く染まり、地面を紅く染まる。紅一色と闇しかない世界。

 徐々に温もりを失ってゆくその塊は、微塵も動かない。ぬるぬると、抱き上げる手が滑る。何度かそれを落としそうになり、それでも確りと抱き留める。かいなに閉じ込めれば、驚く程に小さく、頼りない身体だった。

 無力と化したその身体は既に空なのだろう。

 ならば、抱き留めることに何の意味があるのか。抱き締めることに、何ら意味はないのではないだろうか。

 それでも、抱き締めずにはいられなかった。

 白い頬を撫でてやると、そこは血で彩られ、真っ白な雪に血が散ったように見えた。小さな唇は二度と開くことがないようにきつく閉じられている。虚空を見る瞳を見ることには堪えられず、そっとそれを閉じさせれば、瞼にも紅が散る。

 それはまるで死化粧であるかのように、美しく整った顔に映えた。瞳を開けているときは、厳かでもあり、可憐でもあり、無邪気でもあり。それが今となっては、死臭しか漂わせていない。

 死の空気というものは色濃く空間を取り巻き、消えていかない。そこに留まり、終わりを告げる。空いた手に携えた刃の血は既に渇き始め、変色している。

 幾度となく囁き合った唇の色が青くなっていた。

 今になり、この変化を受け入れ難くなり、頬を涙が伝う。

 ぽたり、と一滴落ちれば、その頬を濡らし、直ぐにそれを拭ってやる。冷たい頬に、生温い涙が落ちる。幾粒も落ち、また、拭う。

 塊と化したそれは、当然だが微動だにせず、目を閉じ、此方を見ようともしない。

 これに死を与えたのは紛れもなく自分だ。

 そして、それを望んだのは、これだ。

 望むものを与えたまで。だというのに、涙が止まらない。

 ならば、今一度、この胸に刃を貫こう。


 ──狂気を孕んだ刃。


 誠しなやかに、その胸に突き刺さるそれを、静かに引き抜く。


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