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明けの空はあまりに眩しくて。
遠野至は思わず眉をしかめた。今はこんなに眩しい空を見詰める気分ではないと、顔を背け、目を閉じる。それでも瞼の裏に焼き付いた残光は、僅かな頭痛を引き起こす。
ちくり、ちくり、と脳の奥の中心を細い注射針で刺しているかのような痛み。痛みの程度としては十分に我慢出来るものだ。我慢出来ないのは、心情としてのもの。
至は眉間に深い皺を刻み、それでも瞼を開けることはしなかった。薄い瞼越しにもそれは光を伝えてきて、煩わしいことこのうえない。
まるで、眠ろうとしているまさにその瞬間に部屋の電気を点さたれたかのような感覚と酷似している。よく、至の七つ下の妹がやることだ。
至は高校生にしては就寝が早く、二十二時にはベッドに潜り込んでいる。二日に一回、母親が布団を干してくれるお陰で、そこからはいつも陽の匂いがした。陽の匂いは、嫌いではない。寧ろ、好きだ。
そうすると、たまに小学生にしては遅くまで起きている妹が至の部屋へ駆け込んできて、電気を点ける。なんてことはない。遊んで欲しいだけなのだ。
しかしそのタイミングはいつも絶妙で、必ず、至が眠りに落ちる瞬間なのだ。至はそれに対していつも無視を決め込もうとしたが、最後には結局負ける形になった。それも何も、寝た振りをする至の上に、妹は激しく飛び乗り、大声を上げるのだ。そうされると流石に寝た振りを続けることも難しく、起きる羽目になる。
とはいえ、至が起き上がったところで、当の妹は三十分もせぬうちに瞼をとろんとさせ、至の腕の中で眠りに落ちる。至は律儀に妹を部屋に運び、それから再度、自身の布団に潜る。
──昨夜も、そうだった。
至は昨夜のことを思い出しながら、そっと眼を開けた。
眩しい。
自宅のベランダで、ぼんやりと外を眺める。こんな習慣がついたのは、つい半年程前からだ。
高校三年生。
進路。進学。就職。友情。──これから。
考えるべくことが山のように溢れてしまい、自分の中で処理が困難になった。春の頃、進路指導が始まり、友人に将来はどうするのかと訊かれ、ぼんやりと、「なんとかなる」とだけ答えた。無論、なんとかなるわけはないのは、百も承知。けれど、至の脳裏にはそれしかなかった。
特に、夢はない。
只、ぼんやりと、不幸でない人生を送れれば、それでいいと思っていた。そして、今もそう思っている。
けれど、なんとかなる、といったくらいの気持ちではそれが叶うはずもない。仕事だってしなくてはならないし、生きるというのは、空気を吸うことだけではないのだから。
わかってはいるのだが、なら、何をすればいい、というのが思い付かない。そして、それを考える為に、毎朝こうして、ベランダから空を見上げるのだ。
そんなことをしているうちに、春が終わり、夏が過ぎ、秋になった。冬も目前。それでも、初めて此処に座った朝から、何も変わってやしない。
至は流石に深い溜め息を吐き出した。肌寒い朝の空気に、重苦しい息が混じる。こんなふうにして、漂うだけに生きていけたら。至はそう思っては、また溜め息を吐いた。
──無気力。
幼い頃からよく言われてきた言葉ではある。けれど、それをマイナスと取る人も、幸い周囲には存在せず、至はそのまま年を重ねた。
そして今、無気力な十八歳になった。
悲観もしていないし、何か重大な辛いわけでもない。でも、刻々と時は過ぎる。思い付かないからといって、歩みは止まらないし、留まることも出来ない。
「はあぁ」
今度は声に出して息を吐いた。
「おはよう、至」
すると、ベランダの下から声が聞こえた。至は小さな顔を柵の間から出して、下を覗く。するとそこには、友人である端野幸哉がいた。名前が似ている、ということから小学生時代に仲良くなった友人だ。
「今日も進路相談?」
この朝の日課を、幸哉は「進路相談」と称してくるのだ。
「そうだよ」
至は近所迷惑にならない程度の声で答えた。
「至は至なんだし、そんなに考えて見付けたら、それは至らしくないよ」
幸哉の言葉の意味を理解するのに、少々時間がかかった。至は幸哉の言葉を吟味するように眼を閉じ、反復させた。その下では、幸哉が笑顔を浮かべながら、至の言葉を待っている。
「ああ、そうか。そういうことか」
幸哉の言葉の意味を漸く理解した至は、待ってて、と一言断ってから、ベランダを後にした。そして、家の外へと出る。
「答えがわかった」
至は幸哉の前に立ち、言う。
「答え?」
首を傾げる幸哉に、至は大きく頷いた。
「考えても、仕方無いってこと」
至が言うと、幸哉はそれはちょっと違うね、と苦笑いをしたが、至には十分な答えだった。
──見付けた先にある希望的観測。
それは、初めて、至が先を考えた、ということ。
「至のそれは、楽観的とも言う」
見詰めた未来にあるのは、これからの希望的観測でしかないのだ。