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絶望の色は何だと思う────?
抽象的な質問に私は首を傾げることすら忘れた。絶望、という言葉の意味すら理解することも及ばないこの心は、何の為に存在しているのかと、自分を責め立てたくなる。
そんな私に、そんな絶望の色など、わかるはずも、ない。
「わからないでしょう?」
そう言って笑う彼は、呆れとも諦めとも、卑下したようにも、馬鹿にしたようにも、何とでも取れる声を出した。
「お綺麗な君には、絶対にわからないんだ」
端から突き放された。違う。突き放されたわけではない。近寄ることすら、させてもらえていない。
そんなつもりはなかった。知らなかった。なんとでも口では言える。そしてそれは私の真実でもある。けれど、それが彼に伝わることはないと、それだけは理解出来た。
何を言ったとしても信じてはもらえない。信じてもらえる可能性は極めて低い。
染髪された金色の髪が揺れ、彼本来の青色が覗く。それは真昼の太陽に照られて、極僅かな本質が見えた気がした。
青い空に、白い雲。穏やかな生温い風。所謂快晴。だというのに、私達は陽の光の下で、この世の終わりのような顔をして、沈黙を続けている。そしてそれは、私達、ではなく、私は、だ。
彼が口を閉ざしたのはほんの少し前で、沈黙を守っていてのは私だけで、それは何の言葉も出ないというだけで、この世の終わりのような気分になっているのも私だけで。世界は、終わり、だ。
「世界は、終わり、だよ」
彼の唇がゆっくりと、動いた。薄めの唇はほんのりとした桃色をしていて、それは彼の白磁のような肌によく映えている。そして今は、そんなことを考えている場合ではない。
考えるべきことは、これからの私の行動と、彼への対処。そして、私の気持ちの対処。
「世界が、終わったら、君は、何をしたい?」
質問の意味がわからなかった。だって、世界の終わりは、命の終わりを意味するから。ならば、したいことを思い浮かべたところで、何の意味もないのだ。なのに、彼は何故そんな質問をしてきたのだろう。
「俺はね、君の一部になりたいと、思っていた。どうせ、世界が、終わってしまうのなら、君の、一部になりたいと、願ったんだ」
酷く、残酷な言葉に聞こえた。
私の一部。
それは、とてつもない愛の告白であって、私はそれを受け入れることが出来ない。
「凄いね。君は、無知なのに、任務を完了させようとしてた」
ゆっくりと紡がれる言葉。それは、次々に、私の胸を刺していく。
「いつから、俺の傍に、いたの?」
繰り出される言葉に、私は先程から一言も返せていない。返す言葉もないとは、よく言ったものだと思う。まさに、返す言葉など、この世には存在しないのだ。
私は、私の意思で、彼に近付き、彼を愛し、彼に愛してもらったと思っていた。けれどその総ては違っていたのだ。
「どうして、俺が、君を、愛すると、わかったの?」
これは、私の行動の総てを裏切りと思っているのだろう。
私は、任務の為に、彼に近付き、私を愛するように仕向けた、と。いや、違う。彼は、今しがた、私を無知だと言った。ならば、私が仕向けたわけでないということは、わかっているということ。でも、信じたくないのだろう。信じられるものなど、何もないと、その総てを閉ざしてしまいたいのだろう。
「俺はね、君が、好きだったよ」
既に過去形で語られる言葉に、贖罪の余地などないことを教えられる。
「とても、好きだった」
神か、悪魔か。
彼の微笑みはとても美しくて、それが人間ではないことを強く語った。
「君の生きる世界を、護れるのならば、いいと、思った。そして、それならば、君の、一部になりたいと、願った」
どうして、この想いを届けられよう。
この、私の心の中に渦巻く想いを、どうして告げられよう。何を護ればいいのか。何を、私の中に残せというのか。
こんなときにまで、真っ直ぐに見詰めてくるその瞳は、息を呑む程に鮮やかな翡翠色をしていて、その色は、彼にしか産み出せない色だった。濁りなど、一滴もなく、純粋無垢で、穢れを知らない色。けれど今、その瞳に映るものは絶望でしかない。
愛し、信じた女の裏切り。
弁明もせず、釈明もせず、謝罪もない。只ひたすら、口を閉ざし、見つめ返すだけの女。その瞳に映るのは、そんな、私、だ。
これが、絶望なのかも、しれない。不意に思ったが、それでも今彼の味わう絶望からは程遠く、彼の一部すら理解出来ていないだろうこともわかっている。
「君がね、愛してくれたなら、世界は、終わる。俺が、愛してしまえば、俺が、終わる」
理を知ったのは、夕べだ。告げられた言葉達に、私は泣き叫んだ。どちらも嫌だ。どちらも、選べない。そして、どちらも、叶ってしまっている。
「愛しただけ、なら、よかったね。どうして、愛してしまったの?」
悲しげな表現をされたことに驚愕した。どうして、今、彼がそんな顔をするのだろうか。私は、一言も口にしていない。
愛している、だなんて。
「俺は、君を終わらせたくは、ないんだ」
これが本当の絶望だと謂わんばかりに、彼は表情を歪めた。いつも弓形の眉が下がり、本来目尻は上がり気味なのに、今は盛大に下げられている。
彼の言う絶望の色は、本当に私には到底理解の及ばないものであり、理解することを拒絶したくもあった。総てを投げ出し、総てに終わりを告げてしまいたかった。けれど。
────その瞳に浮かぶ絶望を、確かに掬い上げたいと思った。
「…………私は、貴方を、欠片も愛してなど、いません」
刹那、消えた。
流れ行く涙は、止めどなく溢れ、それが、この世界が続いていくことを表していた。