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設定不明な短編から、長々と説明する短編だとか。色々な短編の詰め合わせです。
お題提供【小嶋観月様】より。
恋愛だったり、青春だったり。なんでもなかったり。宜しければ御目を通してみて下さい。
夕焼け空のグラデーションは、嘗て見たことのない程に鮮やかで、それは郷里を思い出させるものであった。
とある小説の出だしを読み、不意に空を見上げる。
嘗て見たことのない程に鮮やかで、郷里を思い出させる夕焼け空というのはどんなものなのか。俺の想像力乏しい脳味噌では、それがどんなものなのかも想像出来ない。
──文章が下手くそなんだ。
己の想像力を乏しいと認めておきながら、今度はその小説を批判する。なんなら、こと細かく書けばよいのに。
えぇと、と脳内にあるあらゆる語彙を駆使してそんな夕焼け空を表現してみようとした。オレンジが、橙色が、グラデーションで。様々に考えてはみたが、それは徒労に終わり、結局のところ、自分の想像力があまりにも乏しいという結論に達する。
ならば、今見えている夕焼け空を、出来る限りの言葉で表現してみようではないか。
──空の色は橙色で、そこに僅かに紫色が混じっている。それをまるで画板の下地のように白い無数の雲が点在し。
そこで言葉は途切れる。
「……御免なさい」
俺は誰にともなく謝罪した。実際に謝罪したのは、手の中にある文庫本の作者に、だ。
文章が下手くそだとか、単なる八つ当たりでしかない。空の色ひとつ満足に表現出来ない俺からしたら、ひとつの本を書けるということは、もう、偉業だ。
そういえば、学生時代から作文の点数は頗る悪かった。
書きたいと思うことが、文章にならないのだ。
──思ったことをそのまま書けたら、自分だって本を書く。
遥か彼方の昔、今は亡き叔母が言っていた言葉を思い出した。そのときは、何を言っているのだろう、と思ったものだが、今この瞬間、その意味がよく理解出来た。
そうだ、そういうことだ。
もし、思っていることをそのまま文章に出来る才能があるならば、俺にだって、本が書ける。いや、本が書ける、というのは日本語として可笑しいのではあるが、「小説を書ける」などとは言えない。
だって、小説というのは、物語だ。文章も書けるうえに、物語をも考えなくてはいけないのだ。文章が書けるという行為すらとてつもないことに思える俺に、小説などが書けるはずもない。
こうして、一冊の文庫本を手にしてはいるが、元々小説が好きというわけではない。これは、たまたま、だ。
偶々(たまたま)手にはしたが、いつ読み終わるかなど知れない。もしかしたら、読み終わらないかもしれない。
でも、出だしの一文には激しく共感した。
それは夕焼け空のことではなく、郷里を思い出させる、という部分だ。この一文を読んで、俺は遠く離れた郷里を思い出したから。
そもそも、この本を手にした時点で、郷里は関係あるのだが、その土地のことを思い出してはいなかった。思い出したのはあくまでも人物で、尚更正確に言えば、この本で思い出したのではなく、その人物の存在があったから、この本を手にしたのだ。
……回りくどくなってきた。
素直に認めてしまった方が早い。
嘗て惚れた女が好きだった本が、雑誌を買う為に立ち寄った本屋に置いてあって、それが偶々目に付いて、何と無く購入した。そして、夕暮れ時の公園で本を広げたのだ。
もっと素直に言おう。
何と無くではなく、彼女の好きな本だったから手にしたのだ。
殊更素直に言えば、それは嘗て惚れた女などではなく、今も好きな女だ。
結論。昔からずっと好きな女が好きな本が本屋にあって、目に付いたから、態々(わざわざ)買ったのだ。
自分の思考すらこうもスムーズでないのだから、矢張思うことをそのまま文章にするなど、到底無理だ。
こんなだから、かな。
沈み行く夕陽を眺めながら、記憶にある彼女を引っ張り出した。
いつでも彼女の面影は脳裏にあって、それを追い求めていることも事実なのだが、それはあくまで面影であって、本来の彼女は引っ張り出さなくてはならない。
いつも笑顔で、明るくて、イイコで、屈託なくて、素直で。
そして、引っ張り出しては思う。結局のところ、上辺だけしか知らないんじゃないか、と。
だって、本当にそんな子がいるだろうか。
郷里を離れて数年。結局、俺は面影だけを好きなのだろうか。言いたいことも言えずに、只、見ていただけの日々。踏み込むことも、勿論踏み込まれることもなく、一定の距離を保った関係。
それを望んだわけでも、望まれた訳でもない。寧ろ、向こうの気持ちなど一切知らない。
ずっと好きだと思い込むことで、この想いを守ってきたのだろうか。
──落ち込んでる。
──彼氏出来たらしい。
──綺麗になったよ。
色んな噂は耳に入ってくる。
それでも、自分が彼女に会うことはなくて。接点がないわけではないが、会う理由がない。会いたいと告げる理由がない。
近況を耳にするだけで満足しているわけではないし、会いたいと思わないわけではない。
けれど、会う術はないのだ。
それを悲しいとも、寂しいとも思う。そしてはそれは「切ない」という感情だと知ったのは本当につい最近のことで。
切ない、ということばよく耳にはするが、これがそうなのだ、とすとんと気付いた。そう、悲しくて、寂しいのが、切ないのだ。
そしてその切なさというのは、熱さを奪っていく。
冷えた感情は、熱い感情を少しずつ冷ましていくのだ。誰にとも告げたことのない想い。誰にとも告げることのない想い。
色褪せることのない感情だけれども、それは確かに喪われていくのだ。そしてそれは、誰でもなく、彼女によって。
彼女を想い、彼女のことを考え、切なくなって、そして、風化していくのだ。
────人知れず奪われていく熱。
それは、心地好くもあり、心苦しいものでもある。
誰も知らない想いは、人知れず醒めていく。
一冊の文庫本を再び、開く。この一冊が読み終わる頃には。
これから数々の短編を載せていきます。 ひとつでも、あなたのこころに残る作品がありますように……。