地下室 前編
真っ暗な中、2人の後をこそこそと付いて行った。行き先はわかっていても気付かれてしまったら追い返されるに決まっているので慎重に。先回りするのもありかと思ったけど、後手に回る方が対応しやすいだろうと考えた。
彼らは特に会話もなく、ただひたすら歩いて行った。バールからジュールの屋敷までは学校の近くを通って中央十字路から西へ進み、少し歩かないといけない。人通りが少なく、静かだから足音には気を付けないと。これはまあ、今まで培っていた技術があるから自信はある。
しばらく歩くと屋敷が見えた。明かりはついていない。使用人がいるはずなのに、と不思議に思うが彼らは当然のように中に入って行った。出迎えはやはりおらず、忍び込むのは簡単だった。昼に入っているから1階の部屋の位置はまだ頭に残っている。隠れられるようなところは少ないので、彼らの移動を死角から伺いながら移動する。
どんどん奥に入って行って、昼間案内された客室を通り過ぎた。さらに角を曲がったところで鍵を取り出している。通り過ぎて来た部屋の扉より少し小さなめな扉だった。ソルがそれを開き、アルテさんを先に中へ入れる。紳士的なのは喧嘩しても変わらない。彼女が中に入る時にこちらに視線を向けたような気がしたのはきっと気のせいだ。気付かれるようなへまをしたつもりはないし、侵入者を見つけたのに黙っているわけがない。そう思い込まないと、心臓の高鳴りが収まらなかった。
2人が入って行った後、扉に耳を張り付けた。中から聞こえる音は、どうやら階段を降りているようで、地下室があることを初めて知った。さらに下の方で微かに音が聞こえた。扉が開き、閉まる音だ。中にも部屋があるようだ。少しだけ隙間を開けて、そっと中の様子を窺った。2人の姿はもう見えなかった。階段の下にもうひとつ扉がある。部屋がずらりと横に並んでいるようだ。階段をひとつひとつゆっくりと踏みしめながら降りて行き、扉の前まで来た。小窓が付いていて、扉を開けなくても中を確認できるようになっている。俺はそこから部屋の中を覗き込んだ。
いた。2人は背中をこちらに向けていて、俺は安心して息を吐いた。小さな部屋で、扉を挟んですぐそこに2人は立っていた。俺も彼らが見ている方へと視線を移した。ソルがちょっと邪魔でよく見えないけれど、真っ黒の鉄格子が見える。まるで牢屋のようだ。その向こうに人がいる——小さな、子供のようだ。白い服に身を包んだ細い体が転がっている。身じろいで、むくりと起き上がった。
立ち上がった事でこちらからも見えるようになったその子を見て、息を呑んだ。信じられなかった。
その姿はまるで囚人のようで、白い服に身を包んだ彼女は黒い布で目隠しをされている。白い服は拘束着だった。黒いベルトが体に巻き付いて、腕が自由に動かせないようになっている。
——そんな。ソルの隠し事が、少女監禁だったなんて。
驚きで口が開きっぱなしになってしまう。少女の口が動いているから、2人と何か話しているのだろう。こんなに近いのに声が聞こえないから、防音されているようだ。
少女の事を考えるとこんなこと、黙っているわけにはいかない。今夜はこのまま退散しよう。明日、学校でソルに確認しよう。間違ったことをしているのなら正してやらなくては。
小窓から離れようとした瞬間。捕われている少女が口をにんまり歪めた。何を、言ったのか……心臓が鳴る。
振り返ったアルテさんと、ソルと目が合った。扉が勢い良く開いて、俺は尻餅をついた。アルテさんがつかつかと俺の方へ歩いて向かってくる。「お前、なんで……!」とソルが驚いて言った。俺は転んだままどんどん後ろに下がった。
「だって、あの。えー。なにか隠してると思ったから。まさか、こんなことだとはさあ」
言い訳がぐだぐだでくだらない。焦りで何も思いつかなかった。
アルテさんは無言で迫ってくる。腰に階段がぶつかった。立ち上がらなければこれ以上奥へは逃げられない。彼女は少し屈んで、胸の前で右手を何かを払うように大きく振った。パンッと俺の目の前で何かが弾けるような音がしたかと思うと、少し水が跳ねてきた。
まばたきの間の出来事だった。彼女の右手には刀が握られていて、刃が首元に当てられている。
ヒュッと息を吸った。
彼女はしなやかに屈み込んで、俺の足の間に片膝を付いた。刀を挟んで覗き込むように睨まれた。
「だ、誰にも言いませんから、み、見逃してくださぁい……」
「見逃す?」
眉間に皺が寄った。無表情でわかりにくいが、それだけで怒っている事が伝わってくる。
後ろでソルが戸惑って突っ立っているのが見えた。その姿があまりにも場にそぐわず間抜けて見えた。親友よ、ここはなりふり構わず助け出すところだ。助けてくれ……そんなことを考えられるくらいには冷静になっている。間抜けな姿のお陰だ。ありがとう友よ。
現実から逃げてないで、目の前の事を考えよう。アルテさんに目を戻した。やろうと思えばすぐにでもやれるだろう。しないのは、脅しているだけだから。ただし、答えを間違うと俺の首は落とされる。彼女は「見逃す」という言葉に反応した。見逃すつもりはないということだ。始めは殺すつもりだったはずだ。殺意は本物だった。でもやめた。俺じゃなかったら、殺してた。俺だから、殺さずにいる。——なるほど。
「俺に手伝える事が?」
「……そう。お前はそれを選ぶのね」
「殺されるよりは、幾分かましかな」
合っていた。ツンと張っていた空気が緩んで、刀は下ろされた。アルテさんはそれをぽいっと空中に放り投げたが、それは地に落ちる前に蒸発するように消えた。一体どういう仕組みなのだろう。気になるけど質問はせず、埃を払って立ち上がった。
「ねえ!ねえねえねえねえ!!」
ガンガンと鉄格子にぶつかる音が響く。彼女のことをすっかり忘れ去っていた。牢屋の向こう側にいる捕われた少女がこちらに興味津々といった様子でぶつかり続けている。
「とって!これ、とってよソル!それ、だれ?はじめて聞いたこえだ。なまえなんていうの?ねえ!!見たいよ!聞いてる?ねえってば!」
足をジタバタさせて目隠しを取るように要求するものだから、ベッドから伸びた両足につけられた足枷から伸びる鎖がじゃらじゃらと音を立て続けている。アルテさんが煩さにうんざりしてソルに合図した。ソルが鍵を取り出して鉄格子に近寄って行く。少女はそれに気付いたのか、とことこ歩いて設置してある椅子に大人しく座った。ソルが中に入る。背中のベルトを椅子に固定してから、目隠しを外した。俺はアルテさんに促されて鉄格子の前まで移動した。
ソルが移動して、俺と彼女の間には鉄格子しかない状態になる。彼女が目を開いた。
目が合った瞬間。俺の右目は激しい熱を持った。
赤い瞳。俺の右目と同じ、鮮血のような赤。あの子だった。その赤は、闇を背負ってさらに禍々しくなっている。求めて止まなかったあの眼光に、今ここで。
「会えるなんて」
すごいよ、堪らない。こんなところに……。
——あれ?
どうして捕らえられているんだろう。首輪なんかつけられて、そんな。犬みたいに。
彼女は戸惑いが隠せない俺を見て、妖しく笑うのだった。