黒髪の麗人
外では日が沈みかけていて、夜はすぐそこだった。
エリーに追い出された俺はこれ以上突っ込んでは嫌われてしまうと察してとぼとぼと帰路についた。それでも違和感を感じていたのは本当だ。探索したいがための嘘ではない。ソルは何かを隠している。そして、それは結構俺にも関係あることなのではないかとそんな気がしてならなかった。
裏の出入口から帰宅すると、準備で忙しなく動き回っていたマスターが俺の姿を一目見た途端怒鳴りつけた。
「オイ!なんで手ぶらなんだお前!」
「あ」
ソルに気を取られ過ぎてすっかり忘れてしまっていた。今朝頼まれていた酒の買い出しのことをだ。「ただいま行って参ります!」と言いながらマスターの蹴りを受ける前に玄関から飛び出した。取引しておいて持ち逃げっていうのは質が悪い。今回のは反抗ではなく、忘れていただけだから全力で働かさせて頂く。
メモを取り出すとずらりと並ぶ酒の名前に目を通す。大方、近場の酒屋で揃うものばかりだ。珍しい酒は少し離れている店だけど、充分歩いて行ける距離である。よし、と気合を入れると目当ての店へ向かった。
1軒、2軒。すっかりお得意様だから、大体のところはツケといて貰える。「またなー!」と店主に見送られて3軒目。バールに一番近い店が最後だ。ここまでで酒は2箱分にまで及び、流石に持つのに苦労し始めた。なんてったって重い。そして嵩張る。とうとう最後の一瓶が箱に入りきらずに地面の上に置き去りのままだった。
「おっちゃーん、ちょっと腹の間に差し込んでくんない?」
酒屋から少し離れているが叫べば聞こえるかと思って、抱えた箱から溢れる瓶を顎で支えながら呼びかけた。離したら落っこちてしまいそうだから振り返る事はできなかったのだ。ところが一向に返事がない。もう一度呼びかけた。
「ねえ!聞いてる?」
「……こうでいいの?」
死角になっている右の方から女性の声がした。咄嗟の事に「うお」と変な声が出てしまった。ゆっくりと向きを変えると、奇麗な黒髪のお姉さんが立っていた。エリーではない。
黒い服に身を包み、腰の辺りまで伸びた髪も黒く、白目が少なく瞳も真っ黒で、肌の白さが浮き立っている。頬は赤く染まっていて、まるで少女が恥ずかしさを表しているかのようだったが、彼女の瞳は果てしなく深く、暗いせいで可愛らしさを打ち消している。背は俺より低いけれど、多分年上。
ついつい分析してしまうのは職業病って奴だろうか。沈黙して見つめ続ける俺を訝しげに思ったのかお姉さんは首を傾げた。
「違うの?」
「あ、いえ!大丈夫です、そのままぶっ刺してください!」
お姉さんは俺の言葉がおかしいのに少し微笑んでくれた。恥ずかしくなる。
「手伝おうか」
印象良く受け取ってくれたのか有り難い申し出をしてくれた。だがしかし。俺は箱を持ち上げたまま首を振った。こんなか弱そうな女性に重い荷物を持たせる訳にいかない。
「刺してくれるだけで充分ですよ」
「行き先は一緒だし問題ないよ」
「ふへえ?」と情けない声で返事をすると、彼女は片手で瓶を弄びながら少し目を細めて言った。
「バールでしょ。マスターの息子さん」
俺はあまり店に出ないから、店の客の事まで把握しきれていないのだ。
「お客様でしたか!なおさらそんなことさせられませんね。さあ、一思いに!」
変な物言いをしてしまったことに後悔する。しかも彼女は乗ってくれず、華麗に無視して瓶を持ったまま歩き出している。
「お客さ〜ん」
「気にしないで。私の気が向いただけ」
どうやら気まぐれらしい。無理に止めるのもおかしいような気がして、そのまま運んでもらう事にした。きっとこの人の一日一善という奴なのだ。
時間にして5,6分。名前を名乗り合うくらいの自己紹介しかできなかった。彼女の名前はアルテさん。うちの店に結構通ってくれているようだ。アルテさんの話を聞いていると、おっさんに思い入れのようなものがあって利用してくれているように感じた。
「あ、その辺に置いといてください。後は俺が」
裏の出入口にまで運んでもらう訳にはいかないと、引き止めた。アルテさんはその通りにすると「それじゃあね」と別れを告げて店の入り口の方へ向かって行った。手伝ってくれたのは本当についでだったようだ。少しの期待は打ち砕かれたけれど、きっと次がある。俺はうんうん頷いて、荷物を店の中へ運び入れる作業に移った。それにしても奇麗な人だった。もう一度拝みたいものだ。鼻歌でも歌ってしまいそうなくらいの気分で一箱だけ持ち上げた。
「おっさん、買って来たよ」
裏の入口から中に入り、買って来た酒を倉庫へ運んで行く。倉庫は店のカウンターのすぐ裏にあるから一応声をかけた。しかし返事はない。
「おっさん?」
まさか店を放棄してどこかへ行ったなんてことはないだろう。さっきアルテさんが入って行ったばかりだし、そんな失礼は許さん。確認するためにそっと倉庫からカウンターを覗き込んだ。
おっさんの背中が見えたのでひとまず安心した。その先に、奇麗な黒髪が揺れるのが見える。そして、
「もう限界だって言っているんです!傍で見ている俺がそう判断した。あなたはあんな状態の彼女を見ていないから!」
叫ぶように訴える声は聞き覚えのあるものだった。おっさんは俺の呼びかけが聞こえていないのか「落ち着けって」と宥め続けている。おっさんの向こう側を見ようと少し身を乗り出すと、予想通り。ソルの茶色の髪の毛だ。
「あの子のことは私に任せてと言ったはず。お前は傍にさえいられれば良いと言った」
この澄んだ冷ややかな声はさっきまで話していた親切な黒髪の女神様のものだ。ソルと揉めている。その内容は見当もつかないが、もしかしたらソルの秘密が聞けるかもしれない。誰も俺の存在には気がついていないし、顔を引っ込めて聞き耳を立てることにした。
「傍にいるからこそ、何もできない事が辛いんだ……」
「これ以上口を出すようなら、もう協力しない。私は別の方法を見つけることもできる」
「だったら何故こんな提案をしたんですか。こんなの俺が望んでいた状況じゃない。あんな風になってしまうのなら、自由に泳がせていた時の方がまだマシだった!」
「乗ったのはそっち。やめるならそれでもいいけど、あの子の身柄は渡してもらう」
「そんな馬鹿なことが……!」
「私に勝てるつもりなら、どうぞ」
ソルはアルテさんの問いには答えられなかった。親友が悔しそうに歯を食いしばる姿が目に浮かぶ。
会話が途切れたのを機におっさんが間に入った。
「いい加減にしろお前ら。店で揉め事は禁止。出入禁止にすっぞ」
「……すみません」
謝ったのはソルだけだった。
「アルテ。とりあえず事実確認だけでもしてやれ。それからじゃねぇと仲介はなしだ」
「……わかったよ」
やけにあっさりとアルテさんは受け入れた。しかも即行動に移すらしい。「行くよ」とソルに声を掛けて去って行った。おっさんが盛大にため息をついたのを聞くが早いか、俺は急いでまだ外に放置してある酒瓶のもう一箱を音を立てないように倉庫に運び込んだ。
ソルがこんな店を利用する理由。アルテさんとの接点。これから2人はジュールの屋敷に行くのだろう。そこで、一体何を確認するのか。『あの子』が誰なのか。わからないことがたくさんあって、知りたくてたまらない。
じゃあ、行くしかない。
外はもう暗く、尾行するにはうってつけだ。