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God of the Sky  作者: 青乃郁
最後の帽子
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見つけた帽子

 放課後、いつも通りソルの屋敷に戻った俺は、中庭の雑草を一心不乱に毟っている。これはエリーに言いつけられた仕事だ。無駄に広い敷地の草むしりは重労働であるが、俺はこれをひとりでやらなければならない。終わる気がしない。最後の1本を毟る頃にはまた新しい雑草が生えているに違いない。

 何も考えないで済むという点ではいい仕事かもしれない。あの子のことをこんなに長く考えなかったことはなかった。講義を受けていても蘇る彼女の姿は頭を悩ませた。

 ハデス・ハッター。聞いた事のある響きだけど、それが誰なのか思い出せないでいる。

 ふう、と息を吐いて立ち上がった。立ちくらみで目の前が真っ暗になる。しばし耐えて、視界が開けてくると屋敷の裏の広大な森を見上げていた。

 誰も踏み入れられない禁断の森。この森の管理者がジュール家だ。彼の一族の使命だそうだ。昔の話だからよく知らないのだが、ソルがこの屋敷を手放せない理由はそれだろう。袖で汗を拭った。

 沈みかけた夕日の光を遮って俺に影が被さった。振り返って見上げると、アルテさんが後ろに居た。


「仕事?」


 静かな声で彼女が聞いた。真っ黒の長い髪が風に吹かれてゆらゆらしている。奇麗な人だ。いつも浮かばれない暗い顔をしている。無表情に努めているような、元々表情を持っていないような。彼女の過去に何があったのか聞く事ができない。無言で人を拒む彼女にこれ以上踏み入れられずにいた。


「そうです。ソルが俺を使用人として雇いやがったから、エリーの部下なんですよ俺」

「前やってたお遊びよりは、稼げてるんじゃないの」


 それはその通りだった。没落貴族と貶されてはいても、ジュールの眠った財力は健在だ。それなりに給料をもらっていた。おっさんの小遣いより断然儲かっている。


「森が気になるの?」


 唐突だった。黒目が大きな真っ黒の瞳は探るように俺を見ている。何を考えているのか全く読めない。


「いや、休憩してたら目に入っただけですよ」

「……そう」


 腑に落ちないといった態度だったけど、それ以上聞かれなかった。俺に対して何か疑念を持っているのかもしれない。俺はじっとアルテさんを観察して、思い当たったことを言ってみることにした。


「俺、誰にも言ってないです」

「は?」

「違ったか」


 疑いの色が強くなってしまった。すごく睨まれている。死神の事を喋ったのか疑われているのかと思ったが違ったらしい。

 彼女は呆れて溜息をついた。阿呆だと思われている気がする。

 振り向き様に「ちょっと中へ」の合図をしたので俺は手袋を立っていたところに放り投げて付いて行った。

 中に入るとソルが待機していて「遅かったですね」と言った。来る予定になっていたみたいだ。そのまま客室へ向かう。彼女と話すときはいつもここだ。たまに地下室で死神を交えて話す事もあるが、彼女と死神との確執は解消されていない。


「なんで呼び出したの?報告はバールを通してって話してたのにちっとも連絡しないし。喧嘩売ってるのかと思った」


 3人が客室に入り、扉を締めた途端にアルテさんが言った。


「ウラミは最近バールに帰ってないんです。こっちに居てもらってる」

「【朽廃】の奪還は失敗したのに?」

「はい。うちの使用人として動いてもらってるしその方が効率的なので。それで死神のことなんですけど、右目を失いました。こいつが人質になっちゃって」

「……はあ。もう常時椅子に縛り付けときなよ」


 ソルは返事をしなかった。死神は今、半ば放し飼い状態なのだ。それが知られたら怒られるに決まっている。アルテさんは最大級に怖いからソルだって怒られるのは回避したいだろう。


「状態はどうなの?」

「目の代わりに夜闇が入ってます。うまく馴染んだみたいで、もう問題ないです」

「役立たずにはなってないってわけ。ならいいよ」


 どこまでも冷淡だ。そこも彼女の魅力のひとつなのかもしれない。俺を責めるなりなんなりしてもいいはずなのに、彼女はそうしなかった。


「朽廃は多分もう死んでると思うんだけど。変態に取っ捕まったなら生きてないよ。あの子の見た目ってそういうの掻き立てそうだし。でも結末は知っておきたい。それは探ってるの?」

「はい。ウラミと死神が主にやってます。繋がりそうなところに狩りに行かせてるところです」

「わかった。それを続けて。ウラミは何かないの」


 アルテさんが俺に目を向けた。あると言えばあるけど、これは話してもいいことなのか、黙って考え込むと2人は待ってくれていた。死神に相談しておけばよかった。今日来る事がわかっていれば聞いておいたのに。後悔しても遅い。思い切って聞いてみる事にした。


「あの。ハデス・ハッターって知りませんか」

「仕立屋のこと?服は取りに行った?」


 アルテさんが逆に聞いた。それが答えだった。


「あ」


 すっかり忘れていたのだ。


「仕立屋……」

「仕立屋がどうかしたの」


 アルテさんの質問は耳に入って通り抜けた。ぐるぐるぐるぐる。記憶が巡る。蘇る。

 姦しい双子の声。


「包帯のお兄ちゃん!」


 もの静かで柔らかい店主の声。


「奥へどうぞ」

「昼間に来ないでください」


 再び、双子の声。


「昼間のハデスつまんなぁい」

「ハデスまたね〜」


 仕立屋ハッター。

 赤い髪、細い目で笑うあの男が、ハデス・ハッターだ。

 手袋。蝋燭。薔薇の花。その瞼の中は——


「見えた」


 外からソルが何か声をかけているけれど、黒く塗りつぶされた顔の声は聞こえない。聞こえるのはペルセが俺を呼ぶ声だけだ。見えるのは、死神が手招きしている姿だけ。

 誘われるままに、足を踏み出した。


「俺、ちょっと行ってくる」

「おい!」


 ソルの手が俺の肩を強く引き戻した。

 俺はその手を優しく取って安心させようと笑った。


「服を引き取ってくるだけだよ。すっかり忘れてた」

「何も今じゃなくても」

「どうせやらなきゃいけないんだ」


 そう、やらなければならない。

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