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God of the Sky  作者: 青乃郁
最後の帽子
20/25

鼠捕り

 盛大に破壊されていた店の入口は元通りになっていた。速やかな対応に感心する。

 仕事をひとつ終えた足で、俺と死神はダーマウスの花屋を訪れていた。夜中だというのに、俺が侵入した事務所の窓からは明かりが洩れている。ユノはそこにいるのだろう。また、ワインでも飲んでいるに違いない。

 死神が失った右目を隠していた眼帯を毟り取ったので慌てて鎖を引っ張った。首輪で首が絞まり死神が嘔吐く。じっとりした目で俺を睨んで、不満を訴えているが「向こうの窓が開いてる」と仕草で示すとおさめてくれたのでそちらに向かった。

 窓から覗き込むと、椅子にゆったり腰掛けてワインを啜る彼の背中が見えた。くつろぎの時間を邪魔して申し訳ないが、コツコツと窓の枠を叩いて訪れたことを知らせた。素早く振り返ったユノは俺を見て顔を歪めたが、立ち上がって来てくれた。


「何の用だ?」

「ちょっと話があって。死神も来てるよ」

「来たよ。入ってもいいよね?」

「忙しいから駄目だ。もう二度と来ないでくれ」


 ユノは拒絶した。一歩も中へ入れる気がなく、窓の前に立ち塞がっている。

 死神がにたりと笑った。

 俺は冷や汗が背筋を流れるのを感じていた。

 彼女は閉じていた右目を開いた。そこにはもう赤い瞳はない。暗い窪みから黒い涙がとろりと零れた。

 始めの一粒が地に落ちるとそこからじわりと闇が溶け出す。次から次に窪みから流れ落ち、死神の体を撫でるように這い回った。人の手の形をしている先端が、中にいるユノに握手を求めるように差し出された。

 死神は笑っている。


「……何のつもりだ」

「何って。握手だよ。仲直りしよう」

「仲直り?目のことを言うつもりなら、もうここにはねえぞ」

「ユノ。死神は全部わかってるよ。俺達は話がしたいだけなんだ」


 これは俺の本心だった。手を下さずに済むのならそれが一番良い。大人しく死神に従って、怒りを買わないようにして欲しくて言ったのだがユノは不信感を高めただけだった。


「帰ってくれ」

「ユノ……」

「いいよ、ウラミ。もういい」


 差し出した黒い手がユノを突き飛ばした。後ろの机にぶつかってその上のものが床に散らばる。死神がするりと窓に飛び込んだので、俺もそれに続いた。部屋の中は彼が倒れたせいでぐちゃぐちゃだ。


「椅子に座らせて縛って。跡が残らないように軽くね」

「緩いと逃げてちゃうよ」

「その時は、その時」


 俺にそう言うとぽいと縄を投げてよこした。床で黒い影に絡まり、もがいているユノに近寄り、助け起こした。死神が椅子の背もたれの後ろに立って待っている。逃げ出そうとすればあっという間に天国に送り込むつもりだろう。

 ユノは酔って足下がふらついているがなんとか立って、俺はその肩に手を置いて椅子の方へ促した。崩れるように椅子に倒れ込んだ。体を背もたれごと縄で縛る。


「こんなことをしても、何も喋らねえぞ」


 大人しく縛られながらユノが力強く言う。強がっているのは明らかだ。

 死神がグラスにワインを注いで俺に渡した。


「ありがと」

「君にじゃないよ。この人に飲ませてあげて」

「自白剤でも入ってるの?」


 冗談のつもりだったが、死神は含み笑いをした。


「さあね」


 おっかない。俺はワインをユノの口元に持っていった。傾けると嫌々ながらも一応飲んでいる。零れた雫が顎を伝って太ももに落ちた。


「ねえ、ユノ。知りたいのはペルセの居場所。それだけなんだ」

「お前が逃がした。そいつの目とガキを交換しただろう。俺は知らないね」

「ペルセは君が取引した相手のところにいる。そのくらいは俺にだってわかるよ。その人のことを教えてくれたらいいんだ」


 またグラスを傾けた。酔って喋ってくれると良いのだけど。


「ほら、これも」


 どこに隠し持っていたのか、渡されたのは拳銃だった。ずっしりとした重みを握りしめた手が震えた。使いたくないと思っている俺と、使うしかないと思っている俺がいる。


「ソルのだから汚したら怒られるよ」


 勝手に持って来たらしい。弾倉にはちゃんと弾薬が込められている。ソルがこれを使っているところは見た事がないが、ちゃんと手入れはされていた。


「大事にしてるんだね。死神があげたんでしょ?俺も欲しいな」

「それって本当に君の意思?」

「え?」


 俺が言ったのだから、そうに決まっているのに。


「やっぱりなんでもない。ウラミ、椅子の後ろに立つなよ。君は顔を見てなきゃ駄目だ」


 死神がユノの後ろ側に回りながら言った。俺はユノの隣に立った。

 今度は親指と人差し指を90度にして手で銃を模した。それを米神に当てる仕草をした。俺はユノに同じことをしてみせた。


「うん。あのね。はやく喋ってしまった方がいいと思うよ。ウラミはペルセのことが大好きだから、そのためならなんだってするよ」

「そうだよ。ユノのこと嫌いじゃないけど、射撃の練習相手にしてもいいと思ってるよ」


 引き金に指を掛けてみた。どんな感触がするんだろう。俺も苦痛を受けるのだろうか。それともただ、鉄を引いただけの気軽な感覚で終わるのか。


「ね。誰に渡したのか教えてくれる?『あの人』って誰なの?」

「……俺が教えるのは名前だけだ。それ以上追求しないでくれ。それが条件だ」


 目が据わっている。朦朧としているはずなのによく頭が回っている。全く譲る様子を見せないので、俺は困り始めていた。

 恐らく死神はじわじわと痛めつけて口を割らせる拷問のような真似をさせたいのだろう。そういうことができる精神力を俺に求めている。蹴ったり殴ったりするくらいならできないこともないけれど、俺はユノのことを嫌いじゃない。彼がペルセにしたことは許せないが、今ペルセがいないのはユノのせいではない。協力を仰ぐ事に抵抗はないけど、ユノを痛めつける事には疑問が残る。

 こんなことを言ったら死神は呆れるだろう。俺にできないとわかれば自分ですると言い出すに違いないが、それも避けたいと思っている。用が済めば、死神はユノを殺してしまう。


「わかった。名前だけ教えてくれればいいよ」

「ウラミ……」


 死神は咎めるような声で名前を呼んだ。俺は彼女を見た。


「手伝ってもらってるのはわかってるけど、俺に任せて欲しいって言ったよね」

「……はいはぁい」


 しばし睨み合うと死神が肩を竦めた。ホッとして初めて緊張していた事に気付いた。心臓がドクドクしている。死神に逆らうのはやっぱり怖い。けど、ちゃんと頼めば聞いてくれる。


「待たせてごめん、ユノ。名前、教えてくれる?」

「解放してくれるんだろうな」

「もちろんだよ」


 にこやかな表情になるよう努めて言うと、ユノは口をぱくぱくさせた後、やっと言った。


「ハデス。ハデス・ハッター」


 死神と顔を見合わせた。


「オッケー、ユノ。ハデス・ハッターだね。ありがとう。あとは俺達でなんとか探してみるよ」

「おい!これ、解けよ。それからもう二度と来ないでくれ」

「残念だけど、わかったよ」


 本音だったけれど、ユノにどう伝わったかはわからない。相変わらず目は合わせてくれなかった。


「そうだね。ここに来る理由をなくしてしまえば良い」


 死神が移動しながら言った。口が笑ってしまうのを我慢しているように歪んでいる。


「駄目だ。それは駄目」

「……ここに来る必要はもうないよ?」

「ハデスが誰だかわかってるってこと?」

「それはウラミが知ってるでしょ。もうここはいいからウラミは先に帰ってよ」


 俺には使命があるのでそんなことはできないと答えた。死神の手綱のことだ。それを言うと彼女は不機嫌そうな顔で俺を睨んだ。駄目ったら駄目だ。俺がソルに殺される。それに、死神が考えていることを実行させたくなかった。

 死神がユノの前に立ち塞がって譲らない。

 既にお願いを1つ聞いてもらっている。これ以上は逆らわない方がいいのかと思案しているとユノが「解いてから帰ってくれよ」と呻いた。そのまま放置されるのではないかと恐れている。


「僕が解いてあげる」

「お前はいやだ。ウラミに、」

「心配しないで。僕はしないから。するのは君だよ。手伝ってあげる」


 有無を言わせぬ声色だった。左の赤い目がギラギラしている。口は笑っているのに目は笑っていない。駄目だ。これの前の仕事をしている時の彼女の顔だ。獲物を狙うものの目だ。俺には止められない。


「じゃあ……俺は、表で待ってるから」


 なるべく速く済ませてあげて。

 ユノに聞こえないように、背を向けて言った。死神に聞こえていたのかはわからない。わからないけど本心だ。

 店の外はしんとしていた。朝はすぐそこまできている。通りまで出て、花屋の看板を見上げ、耳を塞いで「ごめんな」と呟いた。

 右目が疼いている。


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