夜のお仕事
夜の街は静かだ。
俺は人が好んで通らない路地裏を選んで歩く。今夜請け負ったのは「人を殴る」という仕事だった。と言っても俺がそう解釈しているだけで、実際には嫌がらせをして欲しいというような要望だ。まあ、恨み辛みを人を使って晴らそうという程度の低い依頼は大体1発殴って終わらせている。おっさんはどんな仕事もなるべく受けようとする。でも、受けてがいない依頼というものもある。レベルの低い依頼は本物の殺し屋なんかには受けが悪い。そんな依頼は小遣い稼ぎになるから俺が請け負うのだ。おっさんは小遣いは自分で稼げというから、しがない学生の身分である俺は謹んで受ける。
標的の男はマレクとかそんな名前の男で、恨まれる原因は彼の浮気性による。見た目はなかなかの色男。女の前では紳士を装うが正体は酷いものだ。女の子達を口説き落としては飽きたら即捨てるという最低な男だ。
この辺りに住んでいるという情報を手に入れて、この付近をうろうろし始めて1時間程が経つ。マレクは夜な夜な女と遊んで帰ってくる。朝帰りの場合は長丁場になってしまう。学校があるのでそれは勘弁して欲しいと願いながら、影になる場所で待機していた。
ターゲットが現れたら尾行を開始し、人気のないところで復讐実行だ。ぐぐっと左手を握りしめた。
あっ。あいつか。
薄茶色の髪。整った顔。すらっとした体型。あらかじめ聞いていた特徴にぴったり当てはまる人物がこちらに向かって歩いて来ているのを見つけた。都合の良いことにひとりだ。尾行の手間が省ける。あとは名前さえ合っていればターゲットに間違いない。
俺は裏路地から出て、彼を迎えるように道に立った。
2,3歩進んだところで彼は立ち塞がる俺の姿を目に止め、訝しげな様子を見せ、尚も動こうとしない俺に彼は話しかけた。
「なんだお前は」
「お兄さん、お名前は?」
「ああ?そっちが先に名乗れよ」
怒気を含んだ声で彼が言う。俺は微笑みを絶やさないように気を付けた。
「俺はウラミ。お兄さんは?」
「……マレクだが」
はい、あたり!今夜はついてる。
「マレクさん。誰かの恨みを買った記憶はありますか?」
「一体何の話をしているんだ」
「俺は依頼を受けてここに来ました。発散できない恨みを晴らすために。復讐代行人ってところですかね」
「だから……」
「では、お仕事させていただきます」
営業に礼儀と笑顔は必須だ。にこりと微笑む。
と、同時に握り込んだ拳を彼の顔面にぶち込んだ。派手な音を立てて彼は倒れた。いい具合に入ったから、もしかしたら気絶しているかもしれない。その方がもちろん、好都合だ。目論見通り彼はそのまま動かなかった。少し力を入れ過ぎたようだ。
「アララ」
歩み寄って確認するとやっぱり伸びていた。顔が晴れて二枚目が台無しだ。ざまあみろ、と思いながら彼の荷物を失敬する。依頼人への確認のためだ。彼のものとわかるものを持ち去るようにしている。
そして、ついでに。
いつからだったか、俺の右目は人の感情を喰らうようになった。口と歯があってむしゃむしゃ食べるという訳ではない。それを見ると、空腹が満たされるのと似た満足感を得られることに気がついた。しかもそれが、癖になるように甘美なものだから堪らない。好みは負の感情。憎しみ。悲しみ。恨み辛みはご褒美のようだ。
「はいはい、わかってるよ」
急かすように右目が疼くのを感じて、宥めるような独り言を声に出した。巻いてある包帯に手をかけ、少しずらす。「食事」のためには獲物を直接瞳に映す必要があった。
殴り倒して伏している彼を視界に入れる。じわりと広がる甘い味。復讐は蜜の味とはうまく言ったものだ。
「お。なかなかおいしいじゃん」
そう呟きながら唇を湿らした。
しかし、俺の脳裏に浮かぶのは全く別の人物の事だった。あの子のことを思うと別世界にいるような気分になる。夜の静けささえ遠のいていく。求めて止まないあの子は赤き双眼を持つ殺人者。消えてしまってどのくらい経つだろう。同じ赤い目なのに、あの眼光には適う気がしない。できることならもう一度、君を一目この瞳に映したい。許されるならその鋭く美しい殺意を味わってみたい。
「ね、死神。会いたいなぁ」