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God of the Sky  作者: 青乃郁
薔薇とキャラメル
16/25

花屋のダーマウス

 真夜中。屋敷中が寝静まった後、俺はベッドを抜け出した。自分が無謀な事をしようとしているのはわかっているが居ても立っても居られなかった。こうしている間にも、ペルセは危険に晒されているかもしれない。柔らかいベッドですやすや眠れるような神経は持ち合わせていなかった。

 音を立てないように忍び足で歩き、タンスの引出にある拳銃を取り出してズボンの後ろに突っ込む。丸腰では心もとないと思い、失敬しておいたものだ。しっかり包帯も巻き直して、準備を終える。

 自分の息づかいだけが聞こえる中、そっとドアを開けて外に出た。夜中の空気は少しひんやりしていて、いつものように俺を落ち着かせた。はっきりとした場所はわからないが、冷静になればなるほど死神が俺を通して見た景色が思い浮かぶようになっていた。これが一体どういう原理なのか見当も付かないけど、利用できる力を使わないのは馬鹿馬鹿しい。

 屋敷から出て、南にまっすぐ進んでいった。ペルセの居場所は恐らく奇妙な仕立屋の近くで、アリスの屋敷にも近い。建物のイメージは掴んでいるから、その近辺でうろうろしていれば見つかると踏んでいる。

 人の気配が全くない大通りを横切って、夜に聳える不気味な仕立屋の横の小径を通り抜ける。

 突然右目に違和感を覚えて立ち止まった。この辺に違いない。どこだろうときょろきょろ辺りを見回すと、目に留まったのは道の向こうにある花屋だった。1階が花屋、2階から上が自宅になっている立派な建物で、その向こうにあるリデル家と比べるとその違いは天と地ほどだが、裕福な家である事は間違いない。看板には「花屋のダーマウス」と書いてある。ダーマウス。ネズミだ。

 なるほどと思いながら、そろそろとその家に近づいていった。もう忍び足はお手の物で、外でも大した足音は立たないから警戒されることもない。そう思い込んで、壁を伝って家の側面へと回り込み、明るい窓を見つけて覗き込んだ。

 窓から洩れている明かりは小さな蝋燭のものだった。火がゆらゆらと揺れる度に、影が揺らめく。その部屋は事務所のようで、机の上は書類でいっぱいで、散らかっている。

 人の姿がないので慎重に窓を持ち上げた。ガコっと窓が開く音が静かな夜に響く。様子を見るため、すぐには踏み入れなかった。心臓の高鳴りが収まってから、改めて窓枠に手を掛ける。ぐっと自分の体を持ち上げ、右足から踏み入れた。床に着地するのにも音を立てないように細心の注意を払った。

 両足を地に着けると一安心とばかりにほーっと息を吐いた。やはり誰もいない。蝋燭はほとんど溶けかけている。廊下に繋がっている扉がひとつだけあった。奥は店内で、暗くて良く見えないが噎せ返るような花の匂いで満たされている。反対側には階段があり、そこから上が自宅なのだろう。階段を上りきると、部屋がいくつも並んでいて、どこのドアも閉まっている。明かりが漏れていたり人の気配がしたりもしない。夜中だから眠っているのが普通だろう。人攫いでもしていない限り。

 再び息を吸って、吐いて。腰に押し付けられたものが銃口であることに気がついたのはそれからまもなくだった。散らしたばかりの緊張が一気に戻って来た。心臓はさっきよりも数倍速く動いている。


「お客様、商品は1階でございますよ」


 笑いを堪えたような、小馬鹿にした声がした。唾液を飲み込んで、なんとか返事をする。


「もちろん、わかってるよ」

「何しに来た?」

「探し物をしてるんだよ。キャラメルみたいな女の子が薔薇の花に拐かされちゃってさぁ」


 そう言うと同時に後頭部を銃の台尻でこっ酷く殴りつけられた。俺の意識はここで途切れた。



 気がついた時には俺は足も手も縛られて身動きが取れない状態になっていた。うつ伏せになって床に無様に転がっている。芋虫みたいになっているから、上体を起こす事もできなかった。仕方なく目だけを動かしてここが1階の事務所であることを確認した。殴られた頭がズキズキ痛む。


「起きたか」


 上から声がした。その方を見ようと身を捩らせたが、顔を上げる事はできなかった。男はゆっくり時間をかけて椅子から立ち上がり、俺の頭の前に屈んで髪を引っぱり顔を上げさせた。痛みで歪む俺の顔を嘲るように見ているその男は、小柄で子供のように見えた。あの仕立屋に作らせたと思わせる思春期に良くある想像力を拗らせてしまった印象を持たせる真っ黒な服を着ていて、左胸に真っ赤な薔薇の花飾りをつけている。円な黒い目を細め、微笑むとパッと手を離した。当然俺は顔から落ちる。


「いってえ!」


 床にキスしながら呻く。男の楽しそうに笑う声を心から憎んだが、そんな感情に振り回されてはいられない。状況を確認しなくては。


「ねえ、今何時?」

「まだそんなに時間は経ってねーよ。もうすぐ夜明けだ。あんたをどうしようか考えてたところ」

「とりあえず座らせてくれない?喋りづらいよ」

「しょうがねえな」


 男はあっさりと承諾して、また髪を引っ張りながら座らせてくれた。拘束を解いてくれる気はないらしいが、俺と話をする気はあるらしい。壁にもたれて、もぞもぞと尻を動かして落ち着く場所を探した。それが済むと彼に目を向ける。落ち着いた様子で椅子にゆったり座り、机に肘を置いて寛いでいる。机の上には赤ワインの瓶とそれが注がれたワイングラスが増えている。蝋燭は新しいものに取り替えられていた。


「君、誰?ペルセはどこ?」

「あんたこそ誰?どうしてここがわかった?」


 どうやら俺が答えないと答える気はないようだ。


「俺はウラミ。彼女のベビーシッターだ。君はその仕事を邪魔したってわけ。俺は彼女がいるところならどこだろうとわかるんだ。だから追いかけて来た。ねえ、ペルセはどこ?」

「自己紹介くらいさせろよ。仲良くしようぜ?俺はユノナス。ユノって呼んでくれ。花屋の店主をしている」


 ユノは足を組んで「あの子は生きてるよ」と付け加えて俺を安心させた。


「オッケー、ユノ。ペルセを返してくれない?」

「当然、駄目だ」

「君の望みは何?君がアリスを慕っていることは知ってるよ。だからペルセが邪魔だったんでしょ?」


 ユノは言い当てられたのが意外だったようで、少し戸惑った。アリスに彼の行為は気付かれていないと思っているのだ。


「よくわかったな。まあ、そういうことだ。アリスさんはいつもうちに花を買いに来てくれる。あんな身分の高い人がわざわざ俺に会いに自ら出向いてくれるんだ。そんで、俺の育てた花を褒めてくれる。その間に、あのガキが割り込んできた。邪魔で仕方ないと思ったよ。どうしようか考えてたら、あの人が現れた」

「あの人?」

「ああ。うまくいけば俺を助けてくれる」


 ユノの視線は宙を彷徨って、「あの人」のことを考えている。俺は辛抱強く次の言葉を待った。


「赤い目。それが必要なんだ」

「目?」

「そう。全てがちょうど良かったんだ。そうするしかないだろ?」


 恐ろしい事を聞いているような予感がする。察してしまう前に話を終わらせてしまいたかったが、好奇心は止める事ができない。それにペルセの居場所もまだわかっていなかった。


「赤い目が必要だと『あの人』が言ったんだね」

「そうだ。あの人はそれを所望している」

「殺して取り出すように言われてるの?」

「それは俺の役目じゃないし、知ったこっちゃねえ。けど、頼まれたのは目だけだな」


 赤い目を欲する人間。それが意味すること。嫌な予感でいっぱいになる。いや、俺にもできることはある。喜んでしたいことではないけれど、彼女を解放する切欠にはなるかもしれない。


「俺を捉えた理由を聞いても良い?」

「それは簡単だ。侵入して来たから。それだけだな」

「俺をどうするつもり?」

「別に。赤い目を引き渡したらどこへでも好きなところへ行けば良いさ」

「通報するかもしれないのに?」

「引き渡した後のことは俺は知らねえ。証拠は何も残らない」

「その引き渡しはいつなの?」


 ユノがワインを一口啜った。グラスをゆらゆらと揺らしながら、俺に視線を合わせた。


「あんた、質問するのが好きだな。明日の夜だ。昼間は店を開けるから、大人しくしてないとぶっ殺すからな?」

「ペルセに会わせて」


 明日の夜なら時間は充分ある。どうにかペルセの元に行かなければならない。ユノが酔っていてべらべらと簡単に喋ってくれて助かった。「あの人」が誰なのか聞き出せたら一番良かったのだけど、そこまで踏み入ると逃げられてしまうかもしれないから止した。気が変わって殺されてしまっては元も子もない。心臓は相変わらずドクドクと脈打って思考の邪魔をする。ユノは「まあいいか」と結論を出した。


「最期になるかもしれねえからな。挨拶するといい。立ちなよ」

「無理だよ。これを切ってくれないと」


 足首にぐるぐる巻かれたロープを見る。ユノは少し考えて、ペルセをこっちに連れて来る事を選んだ。俺に逃げ出さないように念を押して、2階へ上がっていったかと思うとすぐに戻って来た。キャラメル色の髪が彼の腕にいっぱいになっている。ペルセはそこでぐったりしていた。目を閉じて微動だにしない。一瞬、体の中を冷たいものが通り抜けた。死んでいるのかと思った。それを察したユノが「眠っているだけだ。殴ったのは最初だけだよ。俺は紳士だからな」と言った。ユノはペルセを俺の隣にそっと置いた。彼女も俺と同じ様にロープにぐるぐる巻かれている。


「ペルセ」


 呼びかけると少しだけ身じろいだ。生きてる。ほうっと安心して息を吐くと、ペルセはうっすら目を開けた。状況が掴めずにぼんやりとしている。隣に俺が居る事に気付いて、じっと見つめられた。その口の端には血が乾いていて、殴られたのだとわかる。ぼんやりしているのは起きたばかりだからと言う訳じゃなさそうだ。衰弱しているのが見て取れる。早く、ここから逃がさなければ。


「俺の包帯を外してくれる?」


 ペルセを心配する俺をにやにやと見ていたユノに言った。


「あ?このガキの治療をしたいってんだったら……」

「違うよ。俺の願いはペルセを逃がしたいってこと」

「だからそれは無理だって言っただろう」

「いいから外して。君は考えを変えるかもしれない」


 めんどくさそうに俺の包帯に触れ、毟り取った。髪の毛が何本か巻き込まれたようで痛かったが黙っていた。俺はすぐに目を開いてその瞳を見せた。ペルセは知っているから何も反応を示さなかったが、ユノの方は真っ黒な目を見開いていた。


「……赤目だ」

「そう。俺がここに残って、あの人とやらに付いて行く。だからペルセのことは逃がしてやってくれないか?」

「3つ……これだけあれば……アリスさんはきっと」


 俺の話は無視された。ユノは自分の考えに浸っていて、しかもその考えは俺にとって最悪なものだ。ユノは時々ペルセに対する優しさを見せていたから、もしかしたらと賭けに出たのに。

 つまり俺はしくじったのだ。

 次の策を考えなければ。手の拘束さえなければよかったのに。先にどうにかしてこれを解かせるべきだった。


「ユノ」

「面倒だな。……うん。やっぱりそうするしかない。2人も面倒見るのは厄介だし、明日まで大人しくしてないだろう、ウラミ?しょうがないよな。やるしかない。俺のために死んでくれ」


 ペルセを横目で見る。俺の視線に気付いたのか反応してくれた。頷いて見せる。察してくれただろうか。


「聞いてくれ、ユノ。こんな幼い子に手を出すなんて頭がおかしいんじゃないか?そうまでしてアリスを手に入れてどうしようっていうんだ。後味悪いだけだろ?」


 なんとか意識を俺に集めようと話し続けた。ペルセは手袋を剥ぎ取られている。彼女の指には十字の模様が1本1本ついていて、これは【悪魔の子】の能力に関するものだ。ペルセは物を朽ちさせる力がある。その力を使うように、伝わっているといいのだけれど。


「俺はずっとそう望んでいたんだ。今更それを覆すわけにはいかない」

「君は自分の力でもそうすることができるはずだ。どうして人を頼るんだ?君の想いはその程度なのか?」


 俺から目を離させないように、両方の目でじっと彼を見つめながら喋り続けた。


「……違う。そんな訳ないだろ」


 彼の黒い瞳がギラギラし始めた。鋭く俺を睨みつけている。手を後ろにやると、腰の辺りから銃を取り出した。


「それ以上喋るな。脳みそを床に飛び散らしたくなければ。オイ。あんた何してる?」


 心の中で舌打ちをした。ユノの視線はペルセに注がれている。気付かれたのだ。彼女はもう自由に歩き回ることができる。


「ペルセ!逃げろ!」


 俺は叫んだ。ペルセは弾けるように駆け出して、ユノの脇を抜けた。ペルセは店内に逃げ込んで行き、彼もそれを追う。ガシャンと物が落ちる音や、ユノが悪態をつく声が聞こえる。なんとか加勢しようとロープを解こうと奮闘したが、擦れて血が出ただけだった。苛々して「くそったれ!」と声を上げたのと同時に、派手に硝子が割れる音が響いた。笑い声も混ざっている。2回の銃声。ドタバタと足音がこちらに向かって来た。ユノが戻って来たのだ。


「なんだあいつは!」


 気が動転している。体勢を崩しながら事務所に入って来た。銃を向こうに向けながら、ぜえぜえと肩で息をしている。

 ユノは俺の存在を思い出すと飛び掛かって来た。自由に動けない俺はあっさり捕まり、ありがちな人質となってしまった。彼の腕が俺の首を締め、米神に銃を当てられる。こちらに向かって来ている足音が、彼の敵である事は明らかだ。緊張した面持ちで扉を見つめている。そっと開いていく。俺の考えが正しければ、彼の敵は——


「はあい、ウラミ。元気?」

「なんとかね」


 にっこり笑う死神だ。

 拘束から解放された死神は禍々しかった。目隠しも、腕の拘束もなにもない。首輪だけが残っていて、外れた拘束用のベルトがぶら下がっているが気にもしてない。拘束着のままで、長い袖を楽し気にぶらぶらさせている。彼女の瞳は煌々と赤い光を放っている。影を纏わせて。


「近づくな!そこから1歩でも踏み入れたらこいつの頭をぶち抜くからな。そこにいろ」

「なんだそりゃ。馬鹿みたいだよ君」

「黙れ!」


 空気がピンと張りつめ、緊張が続く。ユノの額から流れ落ちた汗が頭のてっぺんに落ちたのを感じた。死神は軽口を叩いているが、俺がこんな状態だから手出しができないでいるのだ。彼女はいつも仕事を1人でこなしていた。こういう足手まといに邪魔される心配をしなくていいようにだ。情けなさと恥ずかしさで体が火照りだした。


「あんたが出て行かない限りこいつの命は危険に晒される。俺はこいつが生きてなくたって構わないんだ」

「メンドクサイなあ」

「……あんたの瞳も、赤いな」

「うん?ウラミとお揃いだよ」

「合わせて3つ。あのガキの分を補える。俺はその目が欲しい」


 ユノは無謀にも死神の目にまで目を付けた。止めた方がいいことを伝えようと口を開けると、ぐりぐりと銃口を当てられたので口を閉じた。

 死神はユノの発言にわくわくしたらしい。赤い瞳を見せつけるように見開いて、馬鹿にするように大笑いした。影も一緒に揺れる。


「何が可笑しい」


 彼は苛々して歯を食いしばりながら聞いた。

 死神は瞬時に笑顔を消し去ると、邪悪な瞳で彼を睨みつけた。白い拘束着の広い襟刳りから肩を出して、右腕を自由にした。袖から手を出せないからだ。右手に影を集約させて、そのまま右目にめり込ませた。

 何をしているのか理解できなかった。事務所の中の音が消えて、組織を断つ嫌な音だけが響く。彼女の腕を赤いものが伝って、床に落ちる。ニタッと口を歪めて笑うと、部屋に入って来て机の上にある赤ワインが入ったグラスにぽとんと落とした。グラスの中で、彼女の目玉が俺を見ていた。


「なにして……」


 声が掠れた。死神の右目があったはずの場所からは血の涙が流れ、また拘束着を汚した。服を着直すと、拘束着の袖ごとワイングラスを持って翳して見せる。


「はい、あげる。これでいい?ふたつ欲しいなんて言って欲張る?」

「……問題ねえ。あんたが大人しくそのまま帰るなら」

「ウラミと交換だよ。いいよね?」


 ユノは迷ったが、終いには頷いた。彼女の瞳は美しい。俺の瞳より赤々としているのは一目瞭然だ。死神の目と、おまけに何もせずに死神が帰るという条件。ユノに有利な事は間違いない。断る理由はない。

 死神は目玉入りのワイングラスを机の上に戻した。そして開いたままの出入口から片足だけ外に出た。ユノは俺を突き飛ばして、机に飛びついた。足が拘束されている俺はそのままバタンと倒れてしまい、死神に笑われた。


「はーい、これで動けるよ」

「ありがと」


 得体の知れないものでロープを切ってくれて、俺はようやく自由になった。死神はさっさと壊した花屋の出入口の方へ向かっている。俺は最期に一目だけワイングラスを眺めるユノを視界に入れて、彼女の後を追った。

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