ベビーシッター
部屋に取り残された俺たちは、俺が抱えているその厄介なものを黙って見つめていた。世話を頼まれても、こんなことしたことがない。今でこそ死神の世話をしているけど彼女は自分でしっかり立つし、好き勝手に喋る。ご飯も自分で食べてくれるし、考えれば考える程ここにいる少女より彼女の方がいい子に思えた。殺人鬼なのに。
「どうすんだよ……」
「名前でも呼んでみたらどうだ」
完全にソルは他人事だ。「あとはよろしく」と言って部屋から出て行ってしまった。最低の雇用主だ。
「ぺ、ペルセちゃーん?」
恐る恐るアリスが呼びかけていた名前で呼ぶ。するとまた、彼女の目はぱっちりと開いたのだった。人形の目が勝手に開いたみたいで怖い。
彼女はじーっと俺を見つめている。そこに感情はなかった。呼ばれた人に反応しているだけなのだろうか。
「ペルセちゃんで合ってるかな?」
「ペルセ」
小さな声が答えた。どうやら喋れるらしい。好き勝手には喋らないだけのようだ。微かな鈴のような声は大変可愛らしかったが、それ以上喋るつもりはないのか口をぎゅっと閉じている。
「よかった。喋れるんだね。俺はウラミ。会話を聞いてたかな?」
「……ペルセしゃべる。ウラミ。聞いてた」
言葉を覚えたばかりなのかもしれない。たどたどしく単語を並べただけの話し方だ。言葉を学ぶ環境にいなかったのだろう。拾い子だと言っていたから、路上で暮らしていたに違いない。小さなその体は、細くて骨ばかりであまりにも軽かった。確認を済ませたらエリーに軽食を作ってもらおう。
「お手紙をくれる?」
俺がそう問いかけると、ペルセはごそごそと白いエプロンドレスを漁った。ポケットがついているらしい。取り出した上等の封筒を受け取った。
「ありがと。どれどれ」
ペルセをソファに座らせた後、その隣に座って手紙を開けた。中の便箋も上等なものだ。丸い奇麗な文字がずらりと並んでいた。
——ペルセポネー 推定10歳
2ヶ月前、商業区裏通りで花売りをしているところに遭遇。赤い瞳に惹かれて連れ帰った。警戒心は強いが適応力はある。洋服を大人しく着るようになった。髪も触らせてくれる。
野菜より肉を好むが食欲はあまりない。
掌に傷。原因は不明だが触れたものを壊してしまう。花は枯れ、家具は崩れる。感情が高ぶった時にそうなるようだが詳細は不明。手袋が必須。
髪の毛は放っておくと絡まって大変なことになるのでお風呂の後はオイルを馴染ませるように。
肌が赤くなってしまうから日焼けは厳禁。
わからないことはこちらに連絡するように。
手紙は連絡先を最後に締められていた。後半はほとんど美容に関する事で、女の子は大変だなあとしみじみと思った。それを俺がやらなければいけないことに気付くとうんざりした。
一緒に手紙を読んでいたペルセにちらっと視線をやると、目が合った。ぱちぱちと音がしそうな瞬きを繰り返した後、ペルセは「なあに」と言った。
「ちょっと大変そうだけど、仲良くしてくれる?」
ペルセは赤い大きな瞳でじっと見つめた後、首をゆるゆると横に振った。
「駄目?俺は怖くない人だし、ペルセが過ごしやすいように頑張るよ」
「食べちゃいや」
食べる?理解できなくて咄嗟に言葉が出ず、ぱくぱくと空気を噛んでいるとペルセは抑揚のない口調で続けた。
「ペルセはまだ生きるの」
「もちろんそうしてもらうつもりだよ。お腹すいた?」
「ウラミ。あのね」
ソファから立って俺の正面に立ち、手袋をした手を膝の上に置いた。
「おにいさんはどうして死んじゃったの?」
ペルセが首を傾げると、髪が流れるように落ちてきてふわっと膝をくすぐった。その瞳は真剣そのもので、俺を見透かすような深い赤はとても居心地が悪い。
両親の姿も顔も声も覚えていない俺が、どうして家族構成を覚えているだろう?兄がいることをどうして初めて会ったペルセが知っているのだろう?
「おかあさん。おとうさんも」
「……」
「どうして?」
顔が引きつって、笑顔を作れなくなっている。汗が背筋を流れた。
「……俺はずっと1人だよ。ペルセと一緒だ」
「もうちがうの?」
「うん。違う。俺は俺だよ」
膝からやっと手を離した。その瞬間安堵感に包まれ、そのとき初めて俺が殺されかけていた事を知った。触れたものが朽ち果てる力の前に無防備にもへらへらしていたのだ。今更緊張しても遅すぎる。
「おはな見たい」
「オッケー。でも明日にしようか。今日はもう遅いから寝ようね」
手を差し出すと、手袋の手をちょこんと乗せてくれた。
頭の奥底の心当たりがあるものが、刺激されたような。それでも起き上がってこないそれは、思い出してはいけないと脳みそが総動員で押さえつけているからか。しかしそれは俺の中にストンと落ちて収まっている。俺には兄がいた。そんな覚えは全くない。けど、それが真実であるような気がしてならなかった。