ウラミ
生まれた頃の記憶がない。
普通のことだ。誰だって赤ん坊の時のことなんて覚えていやしない。
両親の記憶もない。
そんな奴もたまにはいる。生まれ落ちてすぐに捨てられでもすれば生みの親の顔なんて知らなくて当然だ。
そのまま死んでしまう奴もいれば、運良く心優しい人間に拾われて育てられたなんて奴もいる。
まあ、ここまでは受け入れた。そんな境遇の奴はごまんといる。
ただ俺は、突然この世界に現れた。
そう思わざるを得ないほど、記憶が曖昧であやふやで不明瞭だ。精一杯イメージを伝えると、落丁した本、破られたページがある本とかそんなものだ。
例えば1冊の本があるとしよう。その本は人の一生を描いたものだ。第一章ではその人の生まれた場面を。両親のどこが遺伝していて似ているかだとか、名前の由来だとか、最初に話した言葉なんかも書いてあるかもしれない。第二章ではいつ歩くようになったか、好む食材とか、初めての友達だとか……とまあ、こんな感じにその人の人生をまるっと記された本だ。
俺の本は1ページ目からがっつりページが抜けている。
俺の人生は小汚い酒場のあまり手入れの行き届いていない屋根裏部屋から突然始まった。そして一番始めに出会った人間は親ではなく、この酒場のマスターをしているおっさんだった。豪快に笑う彼は店の前に倒れていた俺を拾ってくれたらしい。
状況の把握できていない俺に2つ3つ質問をして、俺はそれに答えられる範囲で答えた。最後に
「行くところがないならここにいな」
と言われた。彼は『心優しい人間』に分類される人間だったのだ。俺は有り難くその言葉に甘え、居座らせてもらった。
おっさんは
「しつけとかめんどくさいところをすっ飛ばした子供は良いな!使いっ走りにもってこいだ」
と言っていた。その発言は実行され、俺はいいように使われている。
——主に、裏の活動の方で。
もちろん酒の仕入れとか店の掃除なんかも手伝わされるわけだが、俺が主としてしていることは情報収集だ。酒場のマスターの正体は裏の世界の住人で、情報を売ったり、暗殺やらなんやらの依頼の仲介をしたりしている。その情報を得る手伝いや、真偽の程を確認するのが俺の役割だ。
「ウラミ!」
低い声が俺を呼んだ。下の階からだ。これが俺の名前だ。ウラミ。
本当にこの名が自分の名前なのか怪しいところだけど、おっさんから受けた質問の中にあった「名前は?」というものに、俺は自分でそう答えたらしい。これが本当の名前なのか、どうしてそう名乗ったのかは、実を言うとその時の記憶も明瞭ではないし、結構昔の話だから忘れてしまっている。が、その時おっさんが「変な名前だな」と言ったことに怒ったことは覚えている。起き抜けに怒鳴って体力を消耗したことも。珍しい名前ではあるが、長い間使っているのでもう慣れた。違和感はない。
「おい!聞こえてないのか!」
おっと。呼ばれていたのを忘れて返事もせずにいた。
「はい、はーい。今行きますよっと」
俺は陽気に返事をして、屋根裏部屋から降りて行った。
さて、仕事の時間だ。