第76話
3月3日。今日は桃花ちゃんの誕生日である。覚えやすいし、長谷川さんが惜しみなく情報を流しているので、その事を知る人は多い。一時期の逆ハーレムの反感で女子には人気が無いが、男子からは贈り物が絶えない。特に雨竜先輩は熱烈な贈り物をした。年の数だけの虹色の薔薇の花束にブランド物のリングドトリプルパヴェハートネックレスだ。桃花ちゃんはかなり戸惑いつつ受け取っていたようだ。晴樹先輩からはお菓子、五十嵐先輩からはイヤリング、四月朔日君からはフリージアの花束、三国君からはマグカップ、一条先輩からは超高級ブランドの長財布だった。一条先輩からの誕生日プレゼントの値段を聞くのがちょっと怖いが、一条先輩の金銭感覚は壊れているのでどうでもいいか。後で月絵先輩に怒られるんだろうな~。田中君からはボディバターを、長谷川さんからは手作りアルバムを貰っていた。二宗君は桃花ちゃんの誕生日を知らなかったらしい。次々と贈り物をされてるのを見て目を丸くしていた。雪夜君は今年もクッキーを贈るんだそうだ。
放課後、家庭科室から教室に戻ってくると、桃花ちゃんはまだ教室に居た。教室からはだんだんと人がいなくなり、私と桃花ちゃんだけになる。桃花ちゃんは窓際の席に座り、真っ赤な夕日を見ている。
「七瀬さん。」
呼びかけると振り向いた。今まで私がいる事に気付いていなかったのだろう。ちょっと驚いた顔をしている。
「朝比奈さん。まだ帰ってなかったのね?どうしたの?忘れもの?」
「ううん。お誕生日おめでとう、七瀬さん。私からのプレゼントはティラミスケーキだよ。」
箱の中にはココアがニコニコマークに抜かれた模様のティミスケーキのカップが二つ入っている。家で作って来たケーキを朝、第三家庭科室の冷蔵庫にしまっていたのだ。さっき回収してきた。
「私に?ありがとう。」
私が桃花ちゃんにプレゼントを渡すのが意外だったのだろう。凄く驚いてる。
「嬉しいなあ。私一度朝比奈さんのケーキ食べてみたかったの。調理実習のお菓子も美味しそうだったし。」
「今食べる?」
私はプラスチックのスプーンを取り出した。
「うん。ありがとう。」
桃花ちゃんはスプーンを受け取って、ティラミスを掬って食べる。
「ん~!おいし~い!洋酒かな?なんかすごい良い風味がする。」
「コーヒーシロップにブランデー、ラム、カルーアを使ってるよ。」
ビスキュイ生地も一から焼いたものを使っている。私も向かいの席に腰掛けてもう片方のティラミスを食べる。うむ。美味しい。数種の洋酒を混ぜているので複雑な風味がする。美味しいとは言いながらも桃花ちゃんはなんだか浮かない顔だ。
しばらく無言で二人でケーキを食べる。
「…ねえ、私は前世の記憶があるって言ったら信じる?」
私は一瞬硬直した。
遂にその話を聞く日が来たか。
私は落ち着いて桃花ちゃんに尋ねた。1年間ずっと見つめてきた桃花ちゃん…そのルーツが今、明かされる。
「どんな記憶?」
「中流家庭に生まれて、無難な生活を送って、教員にもなったかな。28の時に車に跳ねられて死んじゃったけど。月の大きな晩だった、あの光景は一生忘れないと思う。恋もした。すごい本気の恋。それが破れた時、逆恨みしちゃったんだ。それで復讐した。結構手酷く。それからかな、恋ができなくなったのは。」
「……。」
私は愕然とした。桃花ちゃんの持ってる前世の記憶は私の前世の記憶だったからだ。前に雪夜君が「他人の記憶を移植されている場合、その他人に心当たりがある」って言ってたのはこういうことだったのか。桃花ちゃんは2人目の私だ。一瞬どっちが本物だろう、と迷った。 私はもしかして偽物?私のこの記憶はただのコピー?
「この世界はね、私が前世でやってた乙女ゲームの世界なの。私はヒロイン。あ、『何言ってんのコイツ?』とか思ってる?」
桃花ちゃんはふふっと笑う。
「ううん。」
この世界を私は『黒歴史ノートの世界』だと思っている。桃花ちゃんは『乙女ゲームの世界』だと思っている。黒歴史ノートを生み出した記憶は持ってないのかな?ってことはやっぱり私は本物の私?
「前世で恋が出来なくなっちゃったのが怖くて、今世では色んな人に積極的にアプローチしてみたんだ。これだけ人数がいれば誰か一人くらいはちゃんと恋できるかもしれない…なんて悪女だよね。」
それが桃花ちゃんの八方美人な言動の理由だったんだね。同じ前世を共有しながら『もう恋はしない』と思ってた私と『誰かと恋したい』という桃花ちゃん。桃花ちゃんは「恋はしない」という私の発言を聞いて「強いね」って言ったけど、桃花ちゃんの方が強いよ。
「ゲームの詳細は穴空き状態で覚えてないことの方が多いんだけどね。それでも春日さんと二宗君とユキ以外みんな私を好きになってくれた。でもね、誰にも心惹かれないの。まだ前世の彼の影が私の心に巣食ってる。だからどんなに優しくしてくれても同じ気持ちを返せない。私が迷ってる間に雨竜先輩と田中君以外誰もいなくなっちゃった。ずっとこんな気持ちで一生を過ごすのかな?なんだか、そう思うと…辛いよ…」
桃花ちゃんがきゅっと眉を歪めた。
私の膝はみっともない程にがくがく震えた。
ダメだ。
ダメだった。
桃花ちゃんに本当に必要な人は雪夜君だった。それが今、わかった。私が前世の話をした日、雪夜君が私にかけてくれた言葉が必要だったんだ。取り上げてはいけなかったんだ。あの優しい人を。
でももう遅い。雪夜君は桃花ちゃんのものにはならない。
家族として、それ以上はない。
ではここで絶望するのが最善か?
違う。違うだろう、朝比奈結衣!
私は自分に気合を入れなおした。
なるだけ雪夜君が私に伝えたかった事を伝わり易い言葉で。今度は私が桃花ちゃんに伝える番だ。
「私にある人が教えてくれました。今を生きてるのは誰でもなく私自身だって。私は本当は何をしたい?私の心はどこにある?今を生きる私の未来には無限の可能性があるって。前世を振り返らなくても進んでいけるって。七瀬さんもそうだと思う。七瀬桃花は何をしたい。前世に囚われるのではなく、今世でどう生きたいか。それからだと思うよ。だってあなたは前世の誰かじゃなくて、七瀬桃花なんだから。『七瀬桃花』には前世になかったはずの未来がある。焦る必要なんて無いんだよ。本当の、心からの望みを探してみよう?」
上手く伝わったか分からない。私の言葉では響かないかもしれない。私は私が前世の記憶を持っている事を桃花ちゃんに話していないし、これからも話さないと思う。それは余計な混乱を招くだけだから。自分の人生だと思っていた物が誰かのコピーだったなんて知って絶望しない人はいないはずだから。こんな私の言葉が桃花ちゃんに届くのか不安だ。
桃花ちゃんは私の言葉を黙って聞いていた。それから微笑んだ。
「ありがとう。朝比奈さん。進んでいけるか分からないけど…私は今の私の人生を探してみたいと思うよ。」
桃花ちゃんの笑みはちょっと言葉で表現し難いほどきれいだった。
桃花ちゃんが美しい世界に気付けますように。私は祈った。
「ねえ、朝比奈さん。」
「ん?」
「結衣ちゃんって呼んでも良い?」
「いいよ。」
「じゃあ私の事も桃花って呼んで。」
「うん。桃花ちゃん。」
心の中ではいつも桃花ちゃんって呼んでたけど言葉にするのは初めてだな。バイト先まで一緒なのに。一緒に誘拐された仲なのに。私と桃花ちゃんは目を見合せて笑った。
予想されてる方は沢山いたと思います。
桃花ちゃんは結衣ちゃんの写し鏡。
湖面に浮かぶもう一つの月です。