4 カナリアの歌
「我らに害する人間は、殺してしまえ!」
魔物がわっと公爵に襲いかかります。従者にも群がり、馬は進めなくなりました。
「邪魔だ、退かねば斬る!」
公爵の脅しも意味がなく、魔物は次から次へと涌き出てきます。その様子を、一つ目のコウモリのような魔物が見ていました。
「やあ、大変だ」
森の中の城に帰るなり、魔物は言いました。そこはイスラ嬢とピアスラがいる部屋でした。
「公爵様があんたを助けに来たみたいだ。だけど、魔物の数が多すぎて、なかなか進まないようだ」
「なんとかならないのですか」
イスラ嬢は心配そうに言いました。ピアスラも黙って聞いています。
「無茶言うなよ、俺は何も出来やしないんだから。森の主が出てきたとしたら、公爵様も無理だろう」
「森の主って……」
イスラ嬢がそう尋ねたとき、森の東側から、全身を震わせるような重く恐ろしい声がしました。
何事かと、イスラ嬢が窓を開けました。黒い霧が流れ込んできました。風が薙ぎ払った霧の向こうに、真っ黒な大きな人の影が見えました。頭が木の上に飛び出ています。影は空に吠えました。窓ガラスがびりびりと震えます。イスラ嬢は怖くなり、思わず一歩さがりました。
「あれが主だ。人間なんて、骨まで残さずに食ってしまうんだ」
イスラ嬢は顔を覆ってその場に座りこみました。
「化け物が!この森に迷い混んだ人間を食っていたのはお前だな。我が領内で、よくもやってくれたな」
怯えきった馬をなだめながら、公爵は叫びました。影がゆらりと公爵の方を向きました。その顔には、目も鼻もありませんでした。不気味な口がだらしなく開いているだけです。
「リナルド様、お気をつけてください!噂に聞きましたが、そやつはおそらくこの森の主です」
ちっと舌打ちして、公爵は剣を構え直しました。
「主だと?この森を領土に持つはこの私だ。主は二人もいらぬ。生き残った方が正統な主だ」
その言葉を分かってか分からずしてか、影は公爵に手を伸ばしました。周りで見ていた小さな魔物は、一斉に影の味方を始めました。
公爵は隙を作らないよう注意し、次々と倒していきます。従者も仕方なく、公爵に倣いました。彼がちらりと公爵を見ると、公爵の目には涙がありました。
一通り魔物を凪ぎ払うと、公爵は森の主を探しました。すると、魔物はゆっくりと動き、城の方へ向かいました。おそらくそこにはイスラ嬢がいるに違いない、そう確信した公爵は馬を走らせました。
もう少しで城に着くという時、森の主がゆっくりと手を挙げました。そのまま降りおろし、主は城を崩しました。
城はガラガラと音を立てて崩れていきます。
「イスラ嬢……!」
愕然とした表情で公爵は瓦礫の山を眺めました。土埃の舞う中、主はなおも逃げていきます。
「嘘だ……そんな……」
公爵は馬を瓦礫の方へ進めました。そして、くるりと向きを変えると森の主を追いかけ始めました。
剣を構え直し、馬の腹を蹴りました。
「貴様ーっ!」
木の間を走り抜け、主の踵を切りました。傷口からは黒い霧のようなものが溢れてきました。馬がのたうち回って倒れました。公爵も投げ出されました。ひどく息苦しい霧です。森の主の身体は、どんどん縮んでいきます。
普通の人間の大人くらいの大きさにまでなった森の主めがけて、公爵は斬りかかりました。光と共に公爵ははじき飛ばされました。石や木の枝で傷だらけになりました。
同時に、獣のような咆哮がして、主の姿はなくなりました。
公爵は血を流したまま、瓦礫の方へ向かいました。戦争で受けた傷が悪化したのでしょうか、足が思うように動きません。引きずるようにして歩きました。それに、先ほどの黒い霧のせいか、腹の底からどす黒い血が込み上げます。
瓦礫までたどり着き、公爵は膝を折りました。
「イスラ……」
もう、どこにいるかも分かりません。涙が頬を伝った時、瓦礫の隙間から鳥の声がしました。
間違いなく、ピアスラの声です。公爵は必死で瓦礫を掻き分けました。するとそこには、鳥籠に入ったままのピアスラと、気絶しているイスラ嬢がいました。
「良かった……」
真っ赤な手でイスラ嬢を抱え、公爵は彼女を見ました。すると、イスラ嬢が目を覚ましました。
「ああ、リナルド様……来てくださったんですね」
とても嬉しそうに言います。イスラ嬢は少し怪我をしていましたが、元気そうです。
「これが公爵かい。良かったなあ、会えて」
一つ目の魔物が笑いました。イスラ嬢が微笑み返します。その手を取り、公爵は静かに言いました。
「帰りましょう、イスラ嬢。これからも私が……必ず守りますから」
イスラ嬢は優しく微笑み、頷きました。その二人を見て、ピアスラが唄いました。一つ目の魔物は楽しそうに踊っています。
その後カナリアたちが噂することには、公爵はイスラ嬢とピアスラを連れ帰り、慎ましやかに暮らしたということでした。そして、黒昼の森は姿を変え、豊かな森になったということです。それに、公爵の城には楽しいことが大好きな一つ目の魔物が住み着いていると今でも噂されています。