魅惑の文化祭
男子校である青南高校が外部の人間に解放されるのは、年に一度、この学園祭に限られている。
保護者といえども式典以外は遮断されるのが当校の常。よって、学園祭に参加できるのは生徒の近親者や友人、付属校生徒を含めた学校関係者のみ。これに普段ご迷惑をおかけしているご近所さんが加わるだけで、一般売りというものは存在しない。
おかげでご招待チケットはプレミア物と呼ばれ、いかに伝を使ってこのイベントに参加するかが近隣高校生の話題だとなるらしい。
その学園祭も今日の十五時をもって閉幕となる。
残り二時間を切った学園内は、最後の盛り上がりを見せていた。
「こんにちはー。このクラスでお茶でもどうですか?」
「三階でお化け屋敷やってます。よかったら案内しますよ?」
「もうすぐ体育館で演奏やるんです。音楽に興味ありませんか?」
多数の生徒たちが鈴なりになって来客に足を止めさせる。
迷う来客たちは気楽なものだが、生徒側は笑みを浮かべながらも真剣そのもの。狙うは来客の持つ投票用紙である。
チケット引替えに渡されるのは校内案内図と投票用紙。来客は学園祭を見て周り、一番よかったと思われるクラスまたは部活動に一票を投じる。人気投票で見事一位に輝けば商品が贈られるという仕組みだ。
客の呼び込み方法も彼らの評価に繋がるのも当然で、いかに気持ちよく自分たちの企画に興味を持ってもらうかも重要な要素となる。
「そろそろラストスパートってところかしら。……顔が引きつってるわよ? せっかく可愛い格好しているんだから楽しまないと。ね?」
ね、と言われても素直に頷けない事情がある。
自分の服装を見下ろすと、頭の動きに合わせて付け毛が肩から滑り落ちた。影になった視界では、腰まで覆うような長めのトップに膝上丈のデニムのスカート、そしてレギンスと呼ばれるスパッツもどきが見える。
ご丁寧にもぴったりなサイズが用意されていた。いつから計画されていたのかと考えかけて、やめた。
顔を覆うファンデーションと唇に乗せられたグロスの感覚が気持ち悪い。
「だめよ、唇をなめちゃ。乾いたと思ったら渡してあるグロスで潤して」
「……リップじゃだめなの?」
「あら、口紅の方がいい? 本当はその方がお化粧映えいいのよね」
「……今のままでいいです」
逆らおうとした自分が間違っていました、と即座に一歩退いてみせる。が、心の奥底から納得できるわけもなく。
「絶対罰ゲームだ……」
「何か言った?」
隣りにいる人物が素晴らしくにこやかな笑みを浮かべる。
それがよく知る彼女の弟と重なり、昶は深い溜め息をこぼした。
年に一度の学園祭は、生徒会の代替わり後初めてのイベントともいえる。
成功如何によってその年の運営が左右されるため、代々の生徒会面子は本領発揮とばかりに独自企画でも盛り上げる。その真剣さは競い合う生徒と変わらないどころか、それ以上だろう。
代々の企画は異なるが、共通していることもある。それは、生徒のエントリー方法だ。
クラス代表と出るか部活代表と出るかでその結果も異なり、その賞金は打上げ会費ともなる。そのため、参加する生徒側も中途半端な参加をしない。
いわば、生徒会対生徒の真剣勝負なのだ。
昨年の斎賀生徒会が企画したのは、全校生徒を対象にした「人探し」。
例えば手の甲の傷をポラロイドで撮り、参加者は学園祭開催期間内にその特徴ある手を持つ人物を探す。見つけ出せれば捜索人である生徒とその所属に賞金が、誰も見つけ出せなければ生徒会の勝ちとなる。
そして聡里率いる今年の生徒会企画は、昨年に続く「人探し」。
当然のことながら同じルールでは面白みに欠けるため、今年は時間制限付スタンプラリーである。ルールは簡単で、スタンプを持つ人物を探し出して次のヒントをもらう。
一見容易に思えるがそのヒントが曲者で、わかりやすく「○年×組 誰某」と書いてあるわけではない。例えば「某大会で優勝経験のある者」という風に、学園内の話題・噂を知っている必要がある。
判らなければ、周囲に聞くことも許されている。しかし当然のことながら、ヒントを求めた生徒に対して問われた側は正直に答える義務がない。自分が応援する生徒以外への妨害も暗に認められているのが特徴だ。
参加募集は学園祭の一週間前までに終わらせ、ルール説明は学園祭の開幕時に全校生徒の前で発表した。しかし、生徒会側がスタンプを持つべき五人と秘密裏に接触したのは、つい今朝のこと。
おかげで誰が持っているのか噂は一切流れていない。おまけに「者」とあるように、生徒とは限らないのだ。
おまけに今年はゲーム時間が短い。一般客に対する最終アピールタイムを狙っているのだから、凶悪と言わずに何と言う。
それは強制的にスタンプを持たされた側も同じ感想だった。
「ほんと、何考えてるんだよっ」
口を開けば、不平ばかりが出てくる。
早目のお昼を食べに行こうと聡里に誘われ、連れて行かれたのは保健室。扉を開けると保健医と聡里の姉である実里がのんきにお茶をしていた。呆気に取られる昶をよそに二人は手際よくこの格好に仕立ててくださったのだ。
スタンプを持つことに異論はない。掴まらないようにすることも承知だ。だが、女装をする必要はあるのだろうか。
『お腹が減っているときはマイナス思考に陥りやすいわよ』
女医の卵の助言に従い昼ご飯を終えてきたが、誰かにバレやしないかと考えていたため消化に悪いことこの上ない。
機嫌降下に貢献したのは、面白そうに見学していた保健医と、接客をした生徒が不信感を抱いているように見えなかったことだ。
いくら昶が小柄とはいえ、どうして疑問に思わないのだろうか。
「とりあえずお腹も膨れたし……アキちゃん、次はどこに行く?」
「……実里さん、楽しそうだね」
普段通り「昶くん」と呼ぶのは危険だからと、彼女はこの格好になったときから「アキちゃん」と呼びだした。下手に名前を考えるよりはマシだが、普段と違うだけについ微妙な表情をしてしまう。
伸びてきた細い指が、昶の眉間の皺をつついた。
「だって楽しいもの。可愛い格好のアキちゃんと歩けて自慢に決まってるじゃない」
自慢と言われた昶は、瞬きをひとつした。
「自慢? この格好が?」
「格好だけじゃなくて、可愛いアキちゃんと歩けることよ。いつも聡里がいるんだもの。……アキちゃんにとっては聡里の思いつきのせいで迷惑だろうけれど」
彼女の言葉に嘘はないだろうと思う。そして、彼女もまた振り回されている一人なのだと今更ながらに気がついた。
弟の計画に便乗した姉。この場合、恨むなら計画をした弟だろう。
聡里からの指令はたったひとつ、「昶」だと周囲に知られないこと。考えようによっては、バレない限り自分が「女装」をしていたと知る人間は数少なくてすむ。
それならば、ばれないようにするだけだ。
気分を入れ替えるためにゆっくり深呼吸をする。内心が落ち着いてから、パンフレットを開きながら小首を傾げている実里に声をかけた。
「どこかに寄ってもいいけれど、そろそろ体育館に移動した方がいいんじゃない? 芳原先輩の試合を良い位置で見られなくなるかもよ」
「それも悩んでいるのよね。誠吾の招待試合が十四時からでしょう。そうするとあまり長居できなくてもいいかなって」
幼馴染の最後の試合ということもあって、実里のスケジュールにきちんと組み込まれているらしい。姉弟揃っての観戦となれば、観客席もそれなりの賑わいになりそうだ。
その横にいて視線を受けるのかと思うと、今から胃が痛い。
溜め息を零したそのとき、前方で周囲の気配が変わった。ほど近い視線の先に和意と斎賀の姿がある。とっさに回れ右をした昶を、実里が反射的に止める。
「和意、久しぶりね」
「実里さん、来てたんですか?」
「え!? 知り合……っ」
驚きのあまり声を出した昶は、とっさに言葉を飲み込んだ。和意のことだから、声を聞けばきっと気づくだろう。こんな格好をしたと彼らにばれるのだけは遠慮したい。
即座に視線をそらした昶を、彼らは不審がっていないだろうか。昶の戸惑いを他所に、実里を中心に何事もなかったかのような会話が続いている。
「聡里くんのお姉さんなんですね。和意とは聡里くんを通じて?」
「正確には誠吾を通じて、かしら。和意が道場に通っていたから知り合ったのだし」
「ああ、なるほど。今日は芳原の試合がメインですか?」
「聡里に用があってこちらに寄らせてもらったの。ついでに試合に時間を合わせてはみたのだけど、ちょっと中途半端に時間が余ってしまって」
「校舎内を見て会場に向かうには、面倒かもしれませんね」
斎賀と実里の声を上の空で聞きながら、昶はただひたすら身体を小さくしていた。
先ほどから和意の視線を感じると思うのは……気のせいだと思いたい。
「でもこの子が人混みに疲れてしまったみたいで、少し早いけれど体育館に向かってしまおうかしら」
話が自分のことに飛んでいるのに気づき、昶は微かに視線を上げる。途端に和意と正面から目が合ってしまった。彼の目がわずかに細められたのを見て、昶は自分だとばれたことを知る。
どうやって切り抜けようかと迷ううちに、問答無用で手首を掴まれた。反射的に振り払おうとする前に、強い力で握られる。
「それなら、彼女は保健室で休んでいた方がいいですね。僕が案内しますよ」
断言するなり和意は歩き出した。
「斎賀、実里さんの案内は頼んだぞ」
誰にも口を挟む隙も与えずその場を後にする。引っ張られる形の昶は、慌てて実里を振り返った。こちらを見送っていた彼女は、目が合うと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
『頑張って』
そう唇が動いたのは気のせいだろうか。
角を曲がり実里たちの姿が見えなくなった頃、昶は意を固めて口を開いた。
「あの……」
「黙ってろ」
久しく聞いていない無感情の声音に、昶は二の句が継げない。取り成そうにも目の前にある背中は話すことを拒否していた。
和意が不機嫌なのかがわからないまま人気のない管理棟まで連れて行かれる。教員の研究室が並ぶそこでは、さすがに文化祭の浮かれた気配がない。
どうしてこんなところに、と訝っていた昶はそのうちの一部屋に押し込まれる。扉が慌しく閉められるや否や、和意の腕に抱きこまれていた。
力強いそれに昶は目を瞬く。
「先輩……?」
和意の行動に顔を上げた昶は、視線のすぐ先に和意の顔があることに気づく。次に来る行為を知り、そっと瞳を閉じた。
「……不味いな」
グロスが口に入ったのだろう。眉間に皺を寄せての感想に、昶はぷくっと頬を膨らます。
「俺だって好きでつけてるんじゃないもん」
「気持ち悪くないのか」
「取ったら怒られるそうだったから……実里さん怒らすと恐そうだし」
「ああ……まぁな」
昶よりも長く付き合いのある和意のことだ。実里のことはよく知っているだろう。
同意してみせた和意の指が、ゆっくりと昶の唇を辿る。その拭うような動きに小さな笑みを浮かべた。
「……すぐにわかった?」
「当たり前だろう。これは聡里の趣味か?」
「わかんない。実里さんかな? 問答無用で着替えさせられて、化粧されて、スタンプを渡されたんだよ」
「スタンプ? ああ、生徒会主催のイベントか。……鬼が好きだな」
「好きじゃないよ! 大体、前回は先輩のせいだろっ」
半年ほど前にも鬼をやらされた。だがそれは聡里ではなく、和意たち前代生徒会の企画である。
知らない間に鬼にされ、一月もの間追いかけられた記憶はまだ新しい。
「あのときは女装なんてさせてないぞ」
腰を抱いていた腕が少しだけ力を緩め、二人の間に距離を作る。改めて全身を確認する視線が嫌で、昶は両手で和意の頬を捕らえた。
「これも好きでやってるんじゃないからね。第一、こんな格好させられてたら、絶対先輩と付き合ってないよ」
「意地でも頷かなかっただろうな」
「そしたら今こうしていることもなかったね」
まだ一年にも満たない関係は、すでに当たり前のものとして存在している。
当然二人の生活も平行線のままで、この温もりを知らずに過ごしただろう。
互いに笑みを交わすことも、身を寄せ合うこともなく。
「そうか? 俺はどんな手を使ってもこうしていたと思うぞ」
「その言い方、悪人の台詞みたいだよ」
「策士には似合ってるだろう?」
「策に溺れるって言葉もあるよ?」
「おまえに関しては、ありえないだろうな」
自信に満ちた表情に、昶は顔を綻ばせる。
「その言葉、信じるよ」
「ああ、任せておけ」
約束の印という代わりに、再び顔を寄せ合う。が、重なる前に外の歓声が二人の動きを邪魔した。
「……何だろう?」
窓へと体ごと向き直った昶を片腕で抱き寄せながら、和意は腕時計に視線を落とす。
「剣道部の招待試合が始まっている時間だな」
「大盛り上がりだね」
「行きたいのか?」
「見たいけれど、この格好では行きたくないな。着替えたら聡里に見つかって怒られるから、今回はやめておくよ」
「そうだな……タイムリミットまでここで過ごす方が平和だろう」
「先輩も付き合ってくれるんでしょう?」
「ああ。着替え終わるまで付き添うよ」
夕方になって、生徒会の閉会宣言と共に生徒会の勝利が発表される。
数日後、報道部によって文化祭の風景という題の写真が貼り出された。
和意が少女と手を繋いで歩く姿が話題となり、昶と気づいた生徒が感嘆の声を上げたのは別の話である。