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その1 俺がお嬢様に買われるまで



 女っていうのは、いつだって可愛いものだ。




 シルクのリボン、純白のレース、ありったけのフリルをパニエで膨らませ、結い上げた髪を自慢げに飾りあげてサロンをゆったり練り歩く。

 ファッションと噂話が大好きな彼女達は閑を見つけては茶会を開き、流行のドレスや恋仲の誰かについて熱心に喋りつづける。


 そして――時折給仕をする俺を認める度、夢見るような視線をこちらに絡めてくるのだ。


 もちろんこんな優雅な暮らしができるのは上流階級のお嬢様方、つまり俺を所有していた主人達のような貴族令嬢だけだ。多くの女はシルクもサテンも持つことができない。


 しかし使用人や町家の娘の本質など、ご令嬢方と何が違うのだろうか。


 働き者も、貞淑な者もいるだろう。

 だがお洒落とお喋り、それに“恋”に目が無い娘達であることには変わりない。


 そうだ、身分など関係ない。

 どの娘も俺の姿を見たとたん頬を紅潮させ、うっとりとした目でじっと見つめてくる。

 俺の言葉に一喜一憂し、俺の関心を買うのに皆必死だ。


 抱き寄せ、甘い言葉をかけ、場合によってはベッドの中で喜ばせてやり――それで大抵の女は至上の幸福を味わうことができる。

 少なくとも今まで俺を所有していた主人達は皆そうだった。

 何を求められているか俺は知っていたから、いつだって彼女達の望む態度を、望む言葉を与えてきた。それが俺の仕事だった。


 俺が腹の中で何を考えていようかなんて、誰も知ったことじゃないんだ――そうやっていじけそうになった時期もあった。

 だがそれも、昔の話だ。




 先週、俺は主人の手から離れた。

 人生で三番目の主人だった彼女、グラニン卿令嬢イゼルタ=ソアラは軍師である父親の反逆罪発覚により、一族共々流刑に処せられることになったのだ。


 ああ、今でも網膜に鮮明に焼き付いている。

 溺愛していた俺から引き離されることとなった彼女の――半狂乱になって泣き叫び、必死で俺に縋り付こうとする惨めな姿が。


 仕方のないことだ。

 俺は彼女の使用人でも何でもない、グラニン家に所有されていたただの財産、家具のようなものなのだから。


 取り潰された家の財産は当然売り払われる。

 俺も屋敷や財産共々競売にかけられ、次の買い取り手を待つ身となった。






 俺の名前はユーリという。姓はない。

 ガキの頃に売り飛ばされ、女を愉しませるために徹底的に躾けられた、俗にいう愛玩用奴隷というやつだ。







「新しい飼い主が決まったぞ、“王子様”」



 行政府の隅にひっそり位置する、奴隷用の監獄牢。

 石造りの黴臭い部屋を訪ねた奴隷商人の男は、薄ら笑いを浮かべながらそう言った。


「……そうですか」


 どんなに面倒でも一応返事はしなければいけない。こちらは奴隷の身だ。

 新しい主人に興味など無かった。

 どこに行っても俺の仕事は変わらないのだから。


「没落貴族の令嬢だ。身分は落ち目だが金はあるぞ。

なにせこのお嬢様の父親が金貸しでガッポリ儲けててなァ、庶民から大金巻き上げてんのよ」


 そう言って奴隷商人は浅く笑った。いつも嫌な笑い方をする男だ。

 奴隷を人と思わず、豚や牛のように売りさばく。そういう目をしている。


「ほら、さっさと出ろ。夕方にはお嬢様が到着なさる」

 泥のついた棒で尻を叩かれ部屋を追い出される。

 僅かな期間、休息を与えてくれた奴隷部屋を惜しみながら、俺は長い長い廊下を歩きはじめた。




 あてがわれた風呂で監獄の垢を落とし、俺は2人の奴隷に徹底的に身体を磨かれる。奴隷商人の持つ奴隷だ。

 宝石の手入れでもするかのように、幸せそうに男の肌を磨く女達に反吐が出そうになる。

 この、まるで高級娼婦のような扱いに。


 香水を振りかけられ、上等な服を着せられ、俺は客間に連れて行かれる。

「この部屋でお前をお嬢様に引き渡す。くれぐれも無礼を働くなよ」

 そう言って奴隷商人は扉を開けた。





 赤いベルベットの椅子に座っていたのは十代半ばの少女だった。


 絹のような黒髪を後ろで束ね、長い睫は伏せている。

 小柄な体を地味なドレスと男みたいな肩マントに包んだ彼女は、どこか風変わりな空気を纏っていた。


「お待たせいたしました、お嬢様!

 いやぁ本日はわざわざ足をお運びいただきまして、恐縮にございます」


 奴隷商人がにこやかな笑顔を浮かべ、少女に挨拶する。

 それを受けて、彼女ははじめて顔を上げた。


「構わん、大して待っていない。

 あぁ、そいつが件の愛玩用奴隷とやらか」


 濃緑の瞳がこちらを見つめる。そこには――何の感情も宿っていなかった。

 ジャガイモやカボチャでも見るような目である。


「名前は何だったか」

「前の持ち主にはユーリと呼ばれておりましたが、どうぞお嬢様のお好きな名前を付けて可愛がってやって下さいまし」

「ならユーリでいい。

 金はここにある。数えたまえ」

「ははぁ、かしこまりました。少々お待ちください……」


 差し出された札束を数える奴隷商人を、冷めた目で眺める少女。

 代金分きっちり揃っていることが確かめられると、彼女はスッと席を立つ。


「悪いが私も忙しい身でね。このあたりで失礼する。

 そこの、あー何だ、ユーリだったか。着いてこい」

「おっ、お待ちくださいお嬢様!」


 奴隷商人が慌てる。


「この奴隷は私どもがご自宅までお届けします。

 万が一脱走でもされると事ですぞ……!」

「いらん、自分で連れて帰る。

 私は労働力としてこいつを買ったんだ。

 自分の身に懸けられた金の意味も解らず、無責任に逃げ出すような奴なら、どうせ大した労働力にはならんだろうからな」


「しかしですね、この奴隷は愛玩用とはいえ、大の男です!

 万が一お嬢様の身に危険があれば、どうなさるのですか」

「ほぉ。ユーリ、お前は私に危害を加えたりするのか?」


 俺はゆっくりとかぶりを振った。そんなことしたって、一文の得にもならない。


「見たところ理性的な人間のようだ。余計な心配はいらん。

 それともアンタは、顧客の要望が聞けないというのかね?」

「め、滅相もございません……!」


 冷たい微笑を浮かべる少女。

 あたふたと視線を泳がせている奴隷商人を置いて、彼女は部屋の外に出て行った。


 買われた奴隷は通常鎖をつけて移動させられる。


 それを自由にしたまま歩かせるという前代未聞の状況に直面しつつも、俺は僅かな逡巡の後新しい飼い主を追った。




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