八章 戦の合間
散らかり放題になった教室の中、人間三人と、鬼一匹の姿があった。
「あいたた……。ナイス、村叉」
「いんや、別にたいしたこたぁないよ」
水実の言葉に、刀の刃を地面に落としてから、村叉は爽快に笑った。
そんな二人の方に、有紗が駆け寄っていく。
「水実ちゃん、河竹くんはどうなったの? 平気なの!?」
第一声は、“大幸”の心配だった。彼女たちの関係性への理解が足りていない水実は、命がけで守りきった自分たちへのねぎらいが最初でなかったことに、少し眉をひそめる。
「別に大丈夫よ。霊を追い出すために、精力を一気に使ったせいだから、直に目を覚ますわ」
棘のある声色になりながらも、きちんと答えは返す。元々、見返りは求めていない案件なのだから、自分への行動はそこまで気にしていられないのである。
「そっか、よかった……」
大幸のそばにかかんだ有紗は、それを聞いて胸をなで下ろした。思い出したように、水実と村叉へ顔を向ける。
「二人は大丈夫?」
揺らめく瞳は、本気で二人を心配していた。棘を突き立て続けるには、純粋すぎるほどに。
「問題ないわ。痛かったけどね」
「あたいは見ての通り、無傷さ。おいしいとこどりしただけだからね」
そんな感じだったので、水実は語調を柔らかくした。村叉の方は、そもそも気にしていなかったのだろう、冗談を言う余裕もあった。
「そっか……。じゃあ、みんな大丈夫なんだね」
心の底から安心した様子で言って、目を閉じ、息を漏らした。
「そうね。みんな無事よ」
水実も、穏やかに微笑した。自分の信条を守りきったということもあるが、目の前の少女を守りきったことが、なにか嬉しかった。
「そういえば、どうして最初からその子を呼んでおかなかったの?」
落ち着いたところで、有紗は疑問を口にした。村叉へ視線をやる。
「ああ、そのこと? 難しいことじゃないわ。村叉は、“切り札”にしておいたのよ」
「“切り札”?」
水実の返答に、有紗は首をひねった。
「そっ。人間に取り憑いた霊を引き剥がすには、あたしの手の内だと、村叉の刀が一番効果的なんだけど、終始呼び出してたら、攻撃が見切られるかもしれないし、あたしの霊力もキツいから、トドメにしようと思ったわけ」
語る水実は、少し億劫そうだったが、それでも途中でやめたりはしなかった。
「だから、室内に引き込まれたとき、あらかじめ召喚用の依り代は、床に置いておいたの。あたし一人が省エネで踏ん張って、チャンスがきたときに、絶対決められるようにってね」
複線は、一番最初から張られていた。それを気づかせなかった時点で、彼女の勝利は高確率だったのだ。
「あとは、いかに隙を作るかってだけだったわ。そのうちにあんたを狙うのは目に見えてたから、それまでに力を使わせられるために、わざと戦いを引っ張ったの。あたしも消費がすごかったけど、あの数秒分くらいなら、召喚用の霊力でも、残すのは簡単だったしね」
ようするに、彼女は意図的に長期戦へ持ち込んだのである。
「で、あんたに一発目の攻撃が飛んだとき、霊力を温存したくてしけた札を放ったら、あいつ油断してくれたのよ。もうあたしが、あの程度しか出せないってね。それを利用して、二回目のときに勝負を決めたってわけ」
なんでもないように語った水実だったが、最後にポツリと付け足す。
「まあ、その前に机やら黒板消しやらをぶつけられたのは、かなり痛かったけど……」
「あははは……」
顔をしかめたのを見て、有紗は苦笑した。何があったか見ていない村叉は、とりあえず敵に攻撃されたことだけは察し、
「まあ、そんだけピンピンしてれば問題ないさ」
軽口を叩いた。
「じゃあ、相手の攻撃の仕方を変えさせるようなこと言ったのも、わざとだったわけね」
それから、戦いの中での水実とあかりのやりとりを思い出し、有紗が他意なくそう口にした。霊力をさらに使わせるため、故意で攻撃が甘いなんて類のことを言っていたのだと、彼女は一人で納得したのである。
「……へ?」
それに対し、水実は間の抜けた声を出した。
「……あれ?」
予想外の反応に、有紗も首をひねった。
「あんた、驚かれてんじゃないかい。何を言ったんだよ」
二人の様子を見比べ、村叉が主人に怪訝な顔を向ける。今度は想像もつかないようだった。
「別に、なんも特別なことは言ったつもりないけど」
「そ、そうなんだ」
水実の発言に、有紗は理解した。力を使わせたのはわざとでも、自分の言葉と戦闘の展開については行き当たりばったりだったのである。
「この作戦って、教室に入る前から決めてたの?」
分かったところで、これ以上続かないように、話題を変えた。これ以上引っ張っても、意味がなさそうだったのである。特に怪しむ様子もなく、水実は答えに移ってくれた。
「そうよ。二手に別れてあんたたちを探し出そうってなったとき、速攻で決めたの。手を打たないと、昨日の晩となんにも変わらないから」
昨晩、簡単にあしらわれたのを思い出したのか、ため息をつきながら肩をすくめた。
「んん……」
と、男性のうめき声がした。
「河竹くん!」
水実との会話などなかっったかのように、有紗はすぐさま大幸に関心を移した。
「新見さん……?」
開ききらないまぶたから、ぼんやりとした瞳が覗く。纏った空気に凶暴さはなく、いつものような儚さだけだった。安堵で、有紗の全身から力が抜けた。
「よかった……。なんともなさそうで」
彼女の言葉が耳に届いたのかどうか怪しい様子で、目を泳がせながら、大幸はゆっくりと身体を起こした。額に左手を当てる。
「俺は……、どうしたんだ?」
床を見つめながら、絞り出すように口にした。二人への問いかけとも、自問ともとれる言い方だった。
「あんたは、霊に身体を乗っ取られてたのよ。主導権は向こうだったでしょうけど、意識はあったでしょ。思い出せるはずだわ」
選択肢を前者しか頭に浮かべなかった水実は、なんの遠慮もせず事実をすぐさま答えた。いたわりのない乱暴な口調に、有紗が抗議めいた視線を送ったが、まったく気づかなかった。傍らの村叉が、鈍感な主人に聞こえないよう、密かにため息をつく。
「……そうか。ぼんやりとあるこの記憶は、夢じゃないんだな」
「当然。証拠に、あたしのたんこぶでも見せたげようか」
「いや……、いい」
水実が髪に隠れた膨らみをさするが、そちらに一瞥もくれずに大幸は軽くかぶりを振った。
「つまり、この惨状は俺がやったわけだ」
女性二人のいるのとは逆方向に首を動かし、散らばった机や椅子へ目をやる。彼の、惨状という表現は的を得ていた。
「正確には、あんたに取り憑いてた幽霊の仕業ね。なかなかやってくれたもんよ」
忌々しそうに、もう一度頭を触る。そして彼女は、口を滑らせた。
「あんたの元彼女でしょ。なんとかしなさいよ、まったく」
瞬間、空気が凍った。有紗は純粋な驚きを顔に浮かべ、大幸は無表情で固まり、村叉は青ざめた。
「水実、あんたそれ、言って大丈夫なんだろうね」
生前強いつながりがあった人間へ、不用意に霊の正体を明かすと、幽霊側についたりして危険であるという彼らの世界の常識から、恐る恐る村叉が確認した。
「えっ? ……あっ」
指摘されて、水実は口を間抜けに開けた。常識云々ではなく、単純に、あかりが幽霊の正体であるのは、秘密にしておくように正義から言われていたことを思い出して。
「あんた、まさかなんにも考えずに言ったのかい」
「う、うん」
言葉を交わしながら、二人揃ってゆっくりと大幸の方へ首を曲げた。
幸薄の少年は、まばたきもせずに硬直したままだった。そばにかがむ有紗は、何もできずにただ戸惑っていた。
しばらくして、大幸が重々しくつぶやいた。
「……やっぱり、あかりか」
「河竹、くん……?」
ただならない様子に、有紗が不安げに顔を覗き込む。それでも、大幸は目線を動かさない。
「……新見さん」
「な、何?」
急に名前を呼ばれて、身を乗り出した。
「もう、俺といるのはやめてくれないか……?」
その言葉を聞き、有紗の表情から、色が失われた。
「どう……、して?」
「あかりが、怒っていたんだ。はっきりと何かを聞いたわけではないけど、感情だけは伝わってきた。君を、気に入っていない」
彼女の変化を気に留めず、淡々と理由を語る。どれだけの絶望を与えるかを知らずに。
「たぶん、完全に離れないと彼女は君を殺そうとし続ける。だから、もう俺とはいない方がいい」
はっきりと言い切った。傍らの少女が目を見開き、がくんとその身体が沈む。
「あかりは、裏切れない」
最後に、自分へ言い聞かせるように口にして、ふらふらと立ち上がった。三人を置き去りに、出口へ歩き出そうとする。
「待ちなさい」
その背中を、水実が引き止めた。
「聞き捨てならないわね。今、生きているこの子より、あんたは死者を選ぶってわけ?」
詰問口調だった。隠す気すら感じられない。
「死者だろうと、あかりの想いを確かに感じたんだ。一番大切な人なんだから、彼女を選んだっていいじゃないか」
言葉に迷いはなかった。水実が余計につっかかる。
「大切だとしても、彼女を選んだらあなたに未来はないわ。あの子は、すでにあなたが知っていた人から変質してる。一緒には歩めない」
負けず劣らず、彼女の言葉も真っ直ぐだった。多くの霊を目の当たりにしてきたために、確信があるのだ。本物のあかりであっても、もう彼の最愛であった人物とは別人となってしまっていると。
「それがなんなんだ。どんな存在だろうと、あかりはあかりなんだろ。どう変わっていようと、関係ない」
それを捉え切れていない大幸は、水実からすればずいぶん的はずれな反論をした。あかりが幽霊となったという認識はあっても、自分の知る故人とは完全に違うという実感するための経験が足りなかった。
「そうじゃないの! あの子は、あなたを想いすぎたがために悪霊になった。もう、当時とは違って想いが純粋じゃない」
右手の人差し指で腰を何度も叩く。なぜ、この少年は理解しないのか。
「ヘタをすれば、あんただって死ぬかもしれない。それでもいいの?」
「かまわない。あかりが望むなら」
続けての問いに対する答えで、水実は沸点に達した。
「ふざけたこと言ってんじゃないわよ、大バカが」
低く静かに、怒りを滲ませた。
「あたしや村叉が、あとあの白髪のバカが、なんのために命張ったと思ってるの? この子とあんたを守るためなのよ」
軽く首を向けていただけの大幸の肩を掴み、自分の方へ引っ張った。
「……それは感謝してる。けれど、相手の正体があかりだと分かった今、もう俺には必要ないんだ」
それでも彼は目を合わせない。水実がさらに不機嫌さを増す。
「なめたこと抜かすな! あんたが必要してなくても、はい、そうですかって、簡単に手を引くわけないでしょ!」
今度は声を荒げた。強引に自分の方を向かせ、胸倉を掴んで睨みつける。
「勘違いするんじゃないわよ。あんたの命は、確かにあんたのだけど、“あんた一人のもの”じゃない。“周りの人たちのもの”でもあるの」
鬼のような形相を、彼の顔に寄せる。会って二日とは思えないほど、本気の言葉をぶつけていた。
「あんたの親、友達、先輩後輩、教師、その他諸々に、あたしたち。あんたと関わりを持った奴全員が、あんたの死を許さない。死者のために死ぬなんて、絶対に認めないわ」
力がこもっていた。彼女の曲げられない芯が、くっきりと表れていた。
「どれだけ大事な人が死のうが、例えその人が望んでいようが、死ぬなんて選択肢を選ぶな。死者をないがしろにしろとは言わないけど、生きてるなら同じ生きてる人のために生きろ!」
言い切ると、鼻息は荒くしながら黙り込んだ。散らかった教室を、静寂が包む。
水実の剣幕に、有紗は悲しむことを忘れるほど、彼女の強い言葉に引き込まれていた。期待を込めて、大幸へ目をやる。今の説得に応じて、踏みとどまってほしかった。
「……君に何が分かるんだ」
しかしその期待は、大幸が水実の腕を振り払ったことで、脆くも崩れ去った。
「俺にとってあかりは、親とも友人とも絶対的に違う存在だった。それほど特別な人を、君は失ったことがあるのか? 何を描くのも自由だった未来に、突然何も描けなくなった気持ちが分かるのか?」
いくつもの感情が、声に混じっていた。ただ、すべてが負に属する。
「彼女との未来が、俺の未来だったんだ。それを亡くした。実際には、俺はとっくに死んでるんだ。だから、生きている人のために生きるなんて、元からできない」
悲想的な笑みを浮かべる。水実をさらに憤慨させた。
「屁理屈言ってんじゃないわよ! あんたは生きてるでしょうが。霊体でもなんでもない。他人の死を言い訳に、自分の生から目を逸らすな」
また手を伸ばすが、弾かれた。
「何を言われても、俺の考えは変わらない。……もう、近づかないでくれ」
明確な拒否を示し、彼は足早に教室の出口へ向かった。
「待ちなさい!」
水実が再び追おうとしたが、
「やめときな!」
ずっと黙って会話を聞いていた村叉の声に反応して、足を止めた。その間に、ただ一人のために固められた意志に満ちた背中が、扉の向こうに消える。
「……はぁ。どうして止めたの」
見送ってから、水実は村叉方へ振り向いた。式神は、いつの間にか刀を手から消していて、腕組みの体勢で憮然としていた。
「たぶん、今の奴には、何言ったって無駄だよ。考えが凝り固まってるみたいだからねえ。あんたみたいにバカ正直な奴が、正面から槍を刺しても、あんな強い盾はなかなか貫けやしない。盾を構える理由をなくした方が早い」
口調は静かだったが、呆れているのかため息混じりだった。
「構える理由をなくす?」
「そうだよ。奴がどうしようと、さっきの霊を退治しちまえばいい。絶望して死のうとするかもしれないけど、今のままよりは生きていく可能性ができるだろうさ」
水実ほどの情熱はないのか、言い方に真剣味が欠けていた。ただ、手としては有効だった。放っておくと死のうとするのは変わらないかもしれないが、状況は変わる。
「それ、いいわね。霊の力が大きくなって惨事になる前に、どうせ退治しないといけないし」
その意見に、水実は賛同を示した。今はまだ、あかりが命を狙う対象を、大幸と親しげな女性に絞っているものの、このまま悪霊として居続ければ想いの歪みがさらに増し、被害が広がるかもしれなかった。退治は必須なのだ。
「媒体はなんだか分かってんのかい?」
「目星はついてるわ。あの白髪の話だと、さっきの奴がたぶん遺骨を持ってるから、それだと思う」
村叉の問いに、正義の話を思い出して答えた。
「遺骨ぅ? 家族ではないんだろ? なんだってあいつが持ってるんだい」
それに対し、村叉は顔をしかめた。常識からはずれた存在にすら、信じられないことだった。
「知らないわよ、そんなの。あの白髪が帰ってきてから、直接訊いた方が早いわ」
詳細を知らないので、水実は雑な返事しかできなかった。
「それより、今ならあの生意気な霊もそんなに抵抗できないはずじゃない? 攻め込むなら、早い方がいいわ」
話題を変え、あかりの対処に移る。強気な彼女は、今すぐに攻めることを口にした。
しかし、村叉は首を縦に振らなかった。
「いんや。それは、やめた方がいいと思うよ」
「なんでよ?」
意図が分からず、水実は目をしばたかせた。
「あんたもけっこう消耗してるじゃないかい。生まれてからずっと一緒にいるあたいの目は、誤魔化せないよ」
軽い口調だが、有無を言わせない目を向けられた。強気で、悟らせないようにしていたが、長年の付き合いである相棒は騙せなかった。
しばらく、反抗からか水実は村叉に目を合わせていたが、
「……分かったわよ。あたしも身体を休めるわ。本当は、できるだけ早めに片付けたいんだけど」
あきらめて、肩をすくめた。
「それが賢明だろうねぇ。あたいを戦略に加えるなら、尚更さ」
反論の余地はない。相手も弱っているとはいえ、今の状態の水実一人であかりを倒すのは、かなり厳しかった。召喚をしようにも、霊力が不足に陥る公算が高かった。
「仕方ないわね。有紗、今何時?」
自分の回復に充てる時間を考えようと、有紗に尋ねた。しかし、未だ彼女は死人のごとく固まっていた。
「有紗!」
彼女の事情を知らないうえ、ただでさえ今すぐ攻め込むという考えをたしなめられた後なので、水実は声を荒げた。
「えっ?」
今度は呼びかけに対して反応があった。見開いた目が水実に向く。
「あんなわがまま一人のことで、落ち込んでるんじゃないわよ。あいつはまだ、この世にいる。生きてれば、あいつと友達に戻れる未来が存在できるの。だから、下向かない」
早口で、イラついた調子だったが、中身は励ましに近かった。本人の自覚があるのかはともかく、彼女の言葉に、有紗はほんのわずかに元気を取り戻した。
「……うん、そうだね。ごめん」
乱暴な励ましに、弱々しいものの、笑みを浮かべながら謝った。まだ、大幸と完全に縁がなくなったわけではないのだ。
「それで、何?」
「時間を教えて。日か月を見れば分かるんだけど、あんたに訊いた方が早いから」
「時間? えっと……。あっ、もう五時前だ」
左腕に巻いていた時計の示していた時間に驚きつつ、水実に伝えた。ちらりと窓へ目をやると、確かに日が落ち出していた。
「五時前か……」
「あんたなら、満タンじゃないにしても、最低いい状態になるのは、深夜の十二時くらいだねぇ。完璧にするなら、明日の朝になってからってとこか」
腕を組んだ水実より先に、村叉が答えを出す。
「そうね。どちらかというと、陰気の強い女の霊だから、朝の方がいいかも」
同意して、さらに話を進める。霊力の回復と戦闘のことを考えると、朝が絶対的に好条件だった。
しかし、問題もあった。
「けど、夜には相手もある程度力を取り戻してるうえに、増強されてるからねぇ。あの男が懐柔される可能性も、大いにあるよ」
大幸である。彼を死なせては、水実にとっては負けに等しい。自分の意志を貫けなかったことになるのだ。
「それを言われると迷うわね。あいつにはまだ色々言い足りないから、死なせるわけにはいかないし」
両方にあるメリットとデメリットに、額を覆うように手を当ててうなった。
「そういえば、あのくるくる頭からの連絡はないのかい?」
悩む主人を横目に、村叉は有紗へ話を振った。くるくる頭とは、髪がパーマの正義のことである。
「まさちゃんから? えっと……」
すぐに誰かを理解して、有紗は自分の携帯を探して、服のあちこちを探した。しかし、見つからない。しばらく同じ動作を続けてから、急に顔を上げた。
「そうだ。私の携帯、水実ちゃんに貸したんだよ」
正義の要望に応じ、水実に渡してそのままだったことをやっと思い出した。そもそも、自分の手元になかったのである。
「あー、そうだったわね。ちょっと待って」
今度は、水実が自分の服を調べ始める。目的のものは、ズボンの右ポケットに入れられていた。
「あった。あたしは操作がよく分かんないから、お願い」
流れでそのまま持ち主の手へ返した。
「あっ、うん」
受け取って、とりあえず、待ち受けを開くと、着信があったことと、新着メールを示すアイコンが表示されていた。
「……メールがきてる」
「メール?」
「うん。着信履歴もあるし、メールもいっぱいきてる。ちょっと待ってね。今、見るから」
あれだけの戦闘をしたので、壊れていないか不安だったが、問題なく反応したことに有紗は感心した。着信履歴にあった名前は、やはり正義だった。ただし、二回程度しか電話はかかってきていない。首をひねりつつ、続けてメールを確認する。こちらも、数通しかない。内容に目を通すと、どれも同じようなことが書かれていた。
「えっと、何通かあるんだけど、中身はみんな一緒みたい。『これを見たら、すぐに連絡して』だって。電話もメールも、乗っ取られた高橋くんに、私がここへ連れられてきたちょっと後あたりの時間までにしか、きてないみたい」
「まあ、そうでしょうね。あんだけ霊に支配された空間じゃ、電波なんてまともに届かないわよ」
「あっ、そっか」
四限途中、授業を抜けて廊下で交わしたやり取りを思い出す。霊は電波を荒らしやすいのである。
「それより、向こうの要望通り、電話をかけてみたらどうだい? 緊急事態なのはあっちも察してるだろうから、無事を知らせた方がいいだろ」
村叉が口を挟む。確かにその通りだった。
「そうだね。じゃあ、電話する」
素直に従い、有紗は正義へ電話をかけた。ワンコールだけで繋がり、彼の焦った声が耳に飛び込んだ。
『もしもし、あっちゃん!?』
「うん。そうだよ」
できうるかぎり明るく答えた。
『あっちゃん? 本当にあっちゃん!?』
「そうだよ。安心して。ちゃんと、みんな生きてるから」
なおも不安がる正義をなだめる。子供をあやしているような、穏やかな口調だった。
『よかった……』
それで緊張の糸が切れたのか、力の抜けた声が聞こえた。電話口で、思わず苦笑する。やり取りの半分しか聞けない水実は、怪訝そうに首をひねった。村叉は自分で提案しておきながら、さほど興味がないのか、特に口を挟んだりなどはしてこなかった。
『月原さんが、あっちゃんと河竹くんを見失ったって言って電話が切れたから、心配してたんだ。電話にもメールにも反応がなかったし、しばらくしたら、そもそも電波が通じなくなったし』
正義は、今にも泣き出すのではないかというような話し方になっていた。それだけ心配していたという証明でもある。こんなに想われていたのかと、有紗は微笑んだ。
『やっぱり、昨日の霊に襲われたのか?』
「うん。でも、水実ちゃんのおかげで、私は怪我してないよ」
『そっか……』
ほっとしたようで、息を吐いた音がした。
やや間が空いてから、
『……あっちゃん、月原さんのこと水実ちゃんなんて呼び方してたっけ?』
そこを指摘された。正義にとっては、初耳であった。
「あっ、そっか。知らないよね。昨日、まさちゃんが帰ってからそう呼んでるんだ。好きに呼んでいいって言うからさ」
『ふうん……?』
声の調子から、首をひねる正義の姿が浮かんだ。彼の中でのイメージと、合致していないらしい。
「そんなに変かな」
『えっ? あっ、いや別にいいと思うよ』
慌てたような感じだった。予想通りだったかと思ったものの、有紗は必要以上に追及せず、ひそかに笑うだけに留めた。
その笑みは、すぐに凍った。
『それより、その月原さんと、あと河竹くんは?』
「えっ……」
大幸の名前を言われて、彼女は言葉を失った。自身は、水実の励ましで立ち直っているため、大幸を思い出したからなどというのが理由ではない。優しすぎる幼なじみに、どう伝えればいいのかが分からなかったのである。
『あっちゃん?』
黙り込んでしまったために、心配そうな声で呼びかけられた。今度は、有紗が慌てて言葉を返す。
「あっ、ごめん。なんていうか、その……」
しかし、しゃべり続けられなかった。何をどうすればいいのか。困り果てて、そばにいる二人に目をやった。
「何?」
水実が顔をしかめる。会話内容がさっぱり伝わってこないので、少し機嫌を損ねていた。
「あっ、えっと……」
助けどころか、イラついた表情を向けられて、さらに口ごもる。彼女には頼れなそうだった。
しかし、
「あんたが代わってやればいいのさ。状況説明は、同職のあんたの方が適切だろうからね。なんせ、敵は幽霊なんだ。そっちの方が話が早い」
村叉が、助け舟を出してくれた。
「えー? あのバカの協力なんていらないから、別に説明なんてしなくていいじゃない」
その意見に、水実は否定的だった。元々自分だけで解決しようとしているためである。
「それには、賛同できないねえ。協力は仰ぐべきだよ。あんたが嫌でもね」
だが、村叉はよしとしなかった。
「正直に言って、苦戦は避けられないんだ。あんたは嫌かもしれないけど、戦力は多い方がいい。足を引っ張るほど弱い奴でもないしねえ」
聞いた瞬間、水実は顔をしかめた。明らかに嫌がっていた。
「我慢しな。そのプライドと、もっと大きなプライドと、あんたはどっちが大事だい?」
その反応に、さらに村叉が続ける。語気こそ弱いものの、重みがあった。
しばらく、睨み合いのような状態が続いた。有紗が息をのんで見守る。電話口からは、『もしもしー?』と、正義の声が漏れていたのだが、放置した。だんだんと不安そうなものに戻っていっていたのだが、それでも答えない。
結局、先に折れたのは、水実だった。
「……分かったわよ。あいつにも、協力してもらう。有紗、話したいことがあるから、電話貸しなさい」
肩を落としてから、右手を有紗に差し出した。
「あっ、うん」
素直に、携帯を渡す。水実は引ったくるように掴むと、
「もしもし」
いきなり不機嫌さを全面に出して、口を開いた。
『えっ? う、うん。もしもし。月原さん……、だよね?』
「そうよ。とりあえず、ちゃちゃっと要点だけ話すから、黙って聞きなさい」
『あっ、うん……』
どんどん押してくる水実に、正義は文句を言わずに従った。
『河竹くんが……』
一通り話をすると、正義は悲痛そうな声を出した。大幸にあかりのことが知られたら、こうなることを予想していただろうとはいえ、やはりショックは隠せないようだった。
「そっ。話しちゃったのは悪いと思うけど、気にしてたらきりがないわ。あんた、もう帰ってきてるの?」
言葉ほど悪びれる様子なく、話を進める。正義も、わざわざ止めたりせず、その問いに答えた。
『いや、一応、もう広島は出てるんだけど、そっちに着くには、まだかかるかな』
「具体的に、何時ぐらいに帰ってこれるの?」
『うーん……。たぶん、十一時は越えないと思うけど』
「はっきりしないわね。調べれば分かるもんじゃないの?」
水実の左手の人差し指が、定期的に携帯を持つ右腕の肘近くを叩く。静かに見守る村叉とは、対照的だった。
『……そうだね。ちょっと調べてみるから、一旦切るよ』
「早くしなさいよね」
一度、電話が切れた。数分して、またすぐに連絡がきた。どのボタンを押せばいいのか有紗に尋ねてから、通話を再開する。
『もしもし?』
「あたしよ。時間、分かったの?」
『うん。事故とかがなければ、十時半にはうちの最寄り駅まで帰れる』
「ふーん、十時半ね」
言われた時間を繰り返して、左手を口元に当てる。翌朝を迎える前にけりをつけたい水実としては、好都合な情報だった。終電と霊力の回復を考えると、作戦を練る余裕もある。
「あたしは、明日の朝になる前に片をつけたいんだけど、あんた、帰ってきてからすぐに、あの影薄男の家に行って戦える?」
戦闘なので、一応正義の状態を尋ねたところ、
『それ前提で話してたんじゃないの?』
予想外の言葉を返された。目を丸くして、黙り込む。
『月原さん?』
名前を呼ばれ、彼女は我に返った。
「そ、そうよ。よく分かってるじゃない。あんたにしては上出来ね」
落ち着きのない取り繕いだった。別に驚きが知られたところで、何も問題はないのだが、自然となってしまったのである。
『はあ……?』
急にほめ言葉をもらったからか、不思議そうな声が耳に届いた。
「と、とにかく、今日の深夜に戦うけど、状態に問題はないのね?」
『うん。ないよ』
「そっ。ならいいわ」
変に話を長引かせたくなかったので、水実はさっさと必要な質問をした。正義の返答に、満足そうな微笑を浮かべる。
「じゃあ、あんたはとにかく最速で帰ってきなさい。話はそれからよ」
最後にそう締めくくり、返事を待たずして、電話を切った。
空が、だんだんと黒色に染められていった。




