五章 彼の痛み
曇天空の下、背負っていたカバンを前に回し、正義は大幸から渡された地図を取り出した。一カ所だけ、赤丸をつけられている箇所がある。指でなぞって道筋を確認した。
「さてと、行くか」
一人息をはき、カバンを元の位置に戻して歩き出した。
彼は、広島県に来ていた。
有紗が襲われた後、猶予がないと判断した正義は、授業を放棄して、広島に行くことを決断した。
それを聞いて、有紗は目を見開いた。
「本気まさちゃん? 明日、普通に授業だよ」
翌日は木曜で、もちろん平日。有紗がそう言うのも無理なかった。
「それでも、行かないとダメなんだ。休みまで待てない。一日で何回も襲撃されたんだから、早くしないと、こっちが消耗しきる」
「そうね。このペースでこられると、息切れは目に見えてるわ」
水実も正義に同意した。彼らの霊力は、無尽蔵ではない。この日だけでも、それなりに消耗していた。
「でも、広島に行ったところで、絶対に相手が分かるとは限らないんでしょ?」
「そうだけど、俺には一つあてがあるんだ。それなりに自信もある。だから、行って確かめておきたいんだよ」
「あてって、どんな?」
「それは……、まだ言えない」
理由は、その場にいた大幸にあった。悟らせたくなかったために、彼の方は見なかった。食いつかれる前に、話題を移した。
「とにかく、明日の朝一番で行くよ。その間の警護は月原さんに任せていいかな」
「いいわ。あたしと村叉でやる」
水実は胸を張って快諾した。押され気味であったことや、式神を警護に回して彼女の霊力が保つのかどうかなど、考えると不安な点は数多くあったが、正義が遠出をするには彼女を信頼するほかになかった。
「うん、なら、こっちは大丈夫かな。でも、二人はできるかぎり一緒に行動してね」
自分で言ってから、葛藤に襲われた。恋敵と一緒にいるように、自分から言ってしまった。些細なことだったが、それでも動揺はあった。
(一緒にいるのが俺なら、守れるのに)
ひそかに、嫉妬が彼を蝕んだ。
「どうしたの、まさちゃん? 恐い顔してるよ」
「えっ?」
そこで有紗に声をかけられて、彼は我に返った。
「あっ、いや、なんでもない」
笑ってごまかした。彼女には、今抱いてしまった黒い自分を知ってほしくなかった。友人である、大幸にも。
大幸自体は、大事な友人だった。しかし、有紗を加えた瞬間、憎い恋敵にもなった。
黒い感情を抱かずにいられないほどの存在に。
「そういえば、日高。明日行くなら、俺は母さんになんて言えばいい? さすがに、遊びに行ったって理由じゃ、怪しまれると思うんだが」
その感情の矛先である男から訊かれた。正義は必死に悪意を抑え、普通を装って答えた。
「あっ、河竹くんには悪いけど、できれば日帰りするつもりだから、連絡はしなくていいよ。家の位置だけ教えてくれれば、そこを中心に周辺を見て回るから」
「そうか? なら、いいが」
正義の本来の目的にも、彼の内側でのたうち回るものにも気づかず、大幸はあっさりと言い分を受け入れた。
「うん。じゃあ、月原さん。有紗と河竹くんを頼むね」
「任せなさい。今度は遅れをとらないわ」
水実は腰に両手を当て、また胸を張った。根拠ない自信ではあったものの、なかなかに頼もしかった。
そして正義は今、大幸の地元へと足を運んでいた。
朝一番に家を出たものの、今はもう昼下がりになっていた。まだ本格的な夏にはなっていないが、六月半ばでも快晴だとそれなりに気温は高い。
「暑い……」
息を弾ませ、汗を垂らしながら、彼は大幸の実家を目指した。大幸には、まるで寄らないかのような感じで言ったものの、本当は彼の家に行くのが一番の目的だったのである。
大幸の実家のある場所は、広島中心部からは離れた、穏やかな住宅街だった。過剰に発展はしておらず、普通の生活にはちょうどよさそうな雰囲気を持っている。ただ、坂が多いので、今のような気候のときに歩くのは少々つらい。
それでも一歩一歩着実に進み、駅から十五分ほどで目的の家に着いた。表札に『河竹』とある。綺麗な二階建ての一軒家で、主張しすぎない落ち着いた洋風の外見が、持ち主のセンスのよさを表していた。規模の小さな会社の社長という話だったが、稼ぎは悪くないらしい。
一度、深呼吸をしてから、インターホンを見据えた。指を近づけていく。あと少しというところで、
「あの、うちに何かご用でしょうか」
「えっ?」
横から声をかけられた。見るとそこには、大きな自前の買い物袋を肩に下げた、中年女性の姿があった。警戒されているようで、身体を後ろに引いている。
「あっ、えっと、河竹さん……ですよね?」
まだ動揺が収まっていなかったが、とりあえず尋ねた。
「そうですが……」
案の定、彼女は河竹家の人間だった。おそらく、大幸の母親だろうと、正義は予想した。
「僕、大幸くんの友達で、日高正義っていいます」
大幸の家族であることを確認できたので、名乗って頭を下げた。
「大幸の……?」
彼女はまだ訝しげな表情だったが、少し警戒が緩んだ。
「はい。大学で同じ学部なんです。学科は違いますけど」
「……本当ですか?」
とはいえ、完全には信じてもらえていなかった。仕方がない。本人も同行しているならともかく、彼一人しかいないのである。
「本当です。信じてもらえるか分からないですけど、これ見てください」
そう言って、証明代わりに地図を差し出す。ところどころに、小さな字で細かい道順の説明があった。家の周囲も回ると説明して、大幸に書いてもらったものである。
「あと、これも。確認してもらえば、大幸くんの携帯からだって分かると思います」
続けて、以前大幸からもらった携帯メールを見せた。アドレスを見てもらえば、彼のからであるのが分かる。それらを受け取った女性は、まず地図を見つめた。
「確かに、あの子の字みたいですね」
小さな声で言った。
「分かるんですか?」
そっちはだめだろうと踏んでいた正義は、目を丸くした。
「ええ。自分の子供の字ですから」
女性はこともなげに答えてから、次に携帯へ目をやった。自分の携帯と見比べる。アドレスを照合しているらしかった。
「なるほど。確かに、大幸のお友達みたいですね。でも、どうして一人でここに?」
納得したような口調だったが、まだ疑っているのは目に見えていた。彼女が返してきたものを手に、どう答えるべきか思案する。
「答えられませんか?」
やっぱり嘘か、といった感じで正義を追い込む言葉を彼女は口にした。大幸の友人であるのは嘘ではないが、なぜ一人で来たのかは言い出しにくい。ただでさえ人外の存在の話なのだ。
「なら、大幸に確認する方が早いですね。電話します」
しかし、そんな複雑な事情を彼女が分かるわけもなく、鬼の首をとったような態度になる。自分の電話を操作し始めた。
「……待ってください」
それを、正義は止めた。やはり友人ではないのかと、間違った確信を持たれかねないのも承知の上で。
「私が電話することに不都合でも?」
半ば犯罪者扱いの目を向けられた。ショックを受ける態度ではあったが、それでも大幸に連絡されるわけにはいかなかったのである。ためらいがちに言葉を返す。
「……不都合です。大幸にバレると、僕が確認したいことを、あなたにしゃべるなと頼むかもしれませんから」
「どういう……?」
意味を捉えられなかったらしく、女性は顔をしかめた。まだ早いかとも思ったが、正義はその確認したいことを口にした。
「大幸くん、何年か前に、大事な人を失ってますよね」
「なっ……」
女性は、明らかに動揺を見せた。問いかけへの肯定に等しい。
「やっぱり、そうなんですね? 大幸くんは、大事な人を亡くしているんですね?」
さらに踏み込む。もし正義の考えが正しければ、その人物こそが今回の“敵”の正体だった。女性は斜め下に目線を落とし、黙り込む。粘り強く返事を待っていると、
「……あなた、お名前はなんでしたっけ」
それとは別の言葉がきた。
「日高です。日高正義です」
素直に、もう一度名乗る。女性は、また少し考えてから、
「……中で話しましょう。来てください」
正義を、家の中へ招いた。その顔は、やや青かった。
通されたのは、一階の客間だった。部屋の真ん中に背の低い机があり、それを挟んで三人がけのソファーが対になって置かれている。机の縦方向には、一人用の背もたれの長い種類の違うソファーが一つあり、真向かいには少し距離をおいて、大きい机があった。周囲には、ガラス張りの扉がついた本棚がたくさんある。
正義が座るように促されたのは、対になったソファーの片方だった。その真ん中に落ち着く。
女性は一度部屋を出て行き、しばらくしてからお茶と菓子をお盆に乗せて帰ってきた。背の低い机に置き、正義とは反対側に腰かける。
「まだ、名乗っていませんでしたね」
先に口を開いたのは、女性の方だった。
「私は、大幸の母で、河竹杏奈といいます」
そう言って頭を下げた。正義も慌てて頭を下げる。
「あなたは、本当に大幸のご友人なのですよね」
家に通しておいてなお、まだ彼女の警戒は解け切れていなかった。友人かどうかの疑いも残っているのだろうが、普段は隠している部分に触れられたことの方が、警戒の理由としての比重は高いかもしれない。
「はい。本当なら、確認してもらえばすぐなんですけど、そういうわけにはいかないので、すいません。大幸に、あなたと会ったことは知られたくないんです」
大幸が頑なに避けた話題をしに来たのだ。それだけ知られたくないことを、いつもの正義なら聞こうと思わない。しかし、事情が事情でそうもいかなくなってしまった。しかも、ある理由から、正義が話を聞きに来たことを、大幸に知られるわけにいかなかった。
「……そうですか。その感じだと、やっぱりまだ立ち直れていないみたいですね、あの子は」
杏奈が視線を落とす。そういう彼女も、まだ過去に捕らわれているようだった。家族にすら長く影響する死であったことが伺える。同時に、それほどの死ならば、ますます今回の事件の張本人である可能性は高い。
「教えてください。亡くなったのは、いったい誰なんですか」
核心に迫る。しかし、警戒の抜けきっていない彼女が、そう簡単に答えるはずもなく、
「お答えする前に、一つお訊きしたいことがあります」
「えっ?」
「どうしてあなたは、それを知りたがっているのですか」
「それは……」
わけを問われた。言葉が続かない。素直に話して、信じてもらえると思えなかった。
「どうしてですか」
詰まっている正義に、追い討ちがかかる。今度は淡々とした攻め方で、さっきのような勝ち誇った様子はない。
どうしたら納得させられるか、正義は頭を悩ませた。真実が受け入れられるとは思えない。だからといって、いい嘘も思いつかない。長く、沈黙が続いた。時間間隔が狂い、どのくらい経ったのか分からなくなってきていた。
「理由が話せないのは、私の耳には入れたくないものだからですか」
そこで、杏奈が口を開いた。テーブルに視線を落としながら。
「いえ、なんというか……」
大幸が危険に晒されていることから、間違ってもいないが、主な理由ではなかった。
「話したところで、信じていただけないと思うんです。それどころか、今度こそあなたに追い出されるかもしれません。普通の人からしたら、頭がおかしいと思われるような内容なので」
とりあえず、まだ話せる範囲だけを伝える。展開的に、すべてを正直に話すことになるかもしれないと、正義は思った。
「つまり、普通の間隔だと、突拍子もない理由ってことですか」
「はい」
うなずく。水実が一緒なら、式神を見せることで証明できたが、正義は召喚術がからっきしなので、平常で力の存在を可視させる方法を持っていなかった。
ゆえに、
「もしかして、幽霊、とかですか」
「えっ」
顔を上げた杏奈の口から、正義より先に“幽霊”の単語が出てきて、彼は目を見開いた。
「一番なさそうなものから口にしたのですが……、その反応だと、これが当たりみたいですね」
そう言って、杏奈は再び視線を落とした。
「どうして……」
正義は、思わずそう漏らした。一番可能性が低いと見込んでいたにせよ、まずその考えに至ったのが驚きだった。
「……死んだ人のことを尋ねたからです。そういう類いの話に関して、私は肯定でも否定でもないので、もしかしたらと思いまして」
杏奈は儚げな雰囲気になりつつも、かなり落ち着いた様子だった。
「それで、幽霊になった“あの子”は、いったい何をしたのですか」
「あっ、いえ。まだ、本当にあなたの言っている人かどうかは確定してないんです」
杏奈の言葉に、慌てて正義は訂正を入れた。まだ、確かではない。
「ただ、可能性の一つではあります。今、大幸くんの身の周りで起きている事象の原因が幽霊であることは確かなので」
大幸が危険だとは言わなかった。正義の予想が正しければ、本当に危ないのは有紗なのだ。しかし、親を目の前に、息子が他人を危険に巻き込んでいるとは言いたくはなかったので、半端な表現になる。
「幽霊、ですか。それなら、それをどうにかしようとしているあなたは、何者なんですか」
「僕は……」
杏奈に問われ、正義は少し迷ったものの、はっきりと答えた。
「陰陽師です」
「陰陽師?」
「はい」
不思議そうな表情の彼女に、うなずいてみせる。
「僕は、幽霊や妖怪の退治を生業にしている存在なんです。占星術も取り込んでいますから、占いもやります。架空の存在なんかじゃなく、僕は本当に陰陽師なんです」
言葉はうまくないが、誠実で必死さのある説明だった。さらに、一言付け足す。
「幽霊は、僕の領域です」
真っ直ぐに、杏奈を見据えて言った。その姿は、陰陽師としての自負に満ち溢れていた。
「大幸くんのために、話していただけますか。大幸くんがかつて失った、大切な“女性”について」
正義がそこまで言い終えると、杏奈は目を落とし、沈黙した。粘り強く、正義はそれが破られるを待った。
やがて、
「……あの子は、中学のときに、余所から引っ越してきたんです」
ポツリと、杏奈がつぶやいた。否定がなかったことから、女性であるという正義の見立ては、間違っていなかったらしい。
「いつも元気かつ、活動的な子で、理詰めで冷静沈着な大幸とは真逆な性格の持ち主でした。にもかかわらず、二人はあっという間に親密になったんです。互いにないものを持ち合っていたからもしれません」
それは、間違いなく、件の人物の話だった。
「正確な時期は分かりませんが、大幸とあの子は、少なくとも高校に上がる前には、すでに男女として付き合っていました。二人共、信頼に足る子たちでしたから、私たちもあの子のご両親も何も口出ししませんでした。公認であったと言っても、問題はないでしょう」
淡々と、彼女は過去を振り返っていく。清算できているわけではないだろう。忘れられていないからこそ、スムーズに言葉が紡げてしまうのだ。
「二人は、傍目から見ても幸せでした。喧嘩でもしたのか、機嫌が悪い時もありましたけど、ふと色々な偶然で二人を見かけるたび、楽しそうに笑っていましたから」
目に映る寂しさや悲しみの感情の色が、さらに濃くなる。それでも、声の調子だけは変えずに続けた。
「でも、高校一年の夏、そんな二人に影がかかったんです」
そして、核心に迫る。
「異変が起きたのは、あの子が大幸といつものように遊びに出たときでした。後から大幸に聞いた話ですが、あの子が倒れてしまったんです。その日のうちに元気になったので、そこまで大事にはならないと思っていたのですが……」
杏奈は、一度言葉を切った。口調は変わらずでありながら、苦しげに続きを絞り出す。
「お医者さまが感づいて、あの子に検査を受けさせたところ、重い病気であることが分かったんです。不治の病でした。目に見えていなかっただけで、本当はもっと前から、あの子は病魔に蝕まれていたんです」
「病魔……」
正義がつぶやく。普通の言葉と同じように、ただの一文字一文字の組み合わせのはずなのに、ひどく重たい。あまりに、言葉の持つ意味が違う。
「あの子本人を除いた家族に告げられた余命は、約一年だったそうです。あの子のお母さまから聞きました。しかもそれを、大幸にも聞かれてしまったんです」
知ってしまった時の大幸の心中を、正義は想像するしかなかった。まだまだ若かったとはいえ、最愛の人を失うと確定されたのは、まさに絶望の淵に落とされた気持ちだったに違いない。
「かなりのショックだったに違いありません。聞いた直後に、家を飛び出していきましたから。それでも、泣くだけ泣いてから帰ってきた大幸は、次の日から精一杯強がって、真実を知らないあの子と笑い続けたんです。周りが見ていられなくなるほど、痛々しいくらい必死に」
何も知らない正義でさえ、胸の詰まる思いだった。本来の絶望には遠く及ばないだろうが、“あの子”を有紗に置き換えれば、多少なりとその行動がいかに辛かったか想像にかたくない。
「でも、病魔に侵されていくことから救えるわけもなくて、あの子はどんどん弱っていきました。冬までは、普通の生活をすることができたのに、冬休みに入ってからしばらくして、急に状態が悪化したんです。それ以降は、みるみる弱っていきました。それでもなお、大幸はめげずにあの子を励まし続けました」
けれど、今現在、その女性の存在はない。彼の想いは実を結ばなかったことを、はっきりと示していた。
「でも、とうとう次の年の夏の終わりに、あの子は息を引き取りました。それからです。大幸が、今のように、朧気で儚い雰囲気を纏って生きるようになったのは。夫の跡を継ぐという夢を自分に課すことで、なんとか生きていますが、本当なら生きる意味をなくしたに近い心境のはずなんです」
正義の中で、すべての予測がつながった。あくまで、大幸がなぜ身近な人の死を隠したのかという理由のことで、幽霊の正体についての確信ではない。
かねてから正義は、大幸がしゃべらなかった身近な人の死のことを、彼が女性について言葉を濁すことと結びつけて考えていた。一番愛した女性が亡くなったと仮定すれば、説明がつく。
愛した女性の死を話さなかったのは、彼女が悪霊と化したなどと考えられなかったことと、自分の胸の内に秘めておきたいという感情からだろうと正義は考えていた。それほどの好意を寄せた女性がいたならば、他の女性の話をしたがらないのも納得がいった。
「その子の名前は、なんていうんですか」
正義が尋ねた。ゆっくりと、杏奈は答える。
「……あかり。池田あかり(いけだあかり)です」
「池田あかり……」
それが、大幸の愛した少女の名前。もしかしたら、前夜にまみえた幽霊の正体かもしれない人物の名だった。
「写真とかはありますか?」
「ええ、ありますよ。今、持ってきます」
腰を上げ、杏奈が客間から出て行った。その背中を見送ってから、正義は目を閉じる。
写真と見比べれば、幽霊があかりであるかどうかはすぐに分かる。ハズれていたら、また一歩目からやり直しだが、ハズれていなかったらいなかったで、大幸をどうするかが問題だった。
素直に話したら、彼はあかりに味方しかねない。ヘタをすれば死へと引きずり込まれる。かと言って話さなければ、土壇場でバレた場合のリスクが高い。事前であれば、説得なり捕縛なりができる。なにより、良心が痛むのだ。
結論は出せず、そのうちに杏奈がアルバムを抱えて戻ってきた。そのまま先ほどの席につき、
「お待たせしました。あの子の写真なら、これにあると思います」
机にアルバムを置いた。そこまでホコリをかぶっていなかったので、彼女か、もしくはその夫かがたびたび開いているのが見てとれた。
「たぶん……」
正義の方へ向け、アルバムをめくっていく。途中のページで手を止め、一枚の写真を指差した。
「これが一番よく撮れていると思います」
「失礼します」
一言かけてから、示された写真を見る。夜のようだった。暗い背景には、砂浜と海が認識できる程度にに写っている。そして中心には、底抜けに明るい笑顔を浮かべた、天真爛漫な印象を抱かせる少女がいた。
雰囲気と表情こそ違えど、それは間違いなく昨夜顔を合わせた悪霊と化した少女だった。
正体が、確定した。
「……その子ですか?」
正義の表情に変化があったのか、杏奈が問いかけてきた。それに対し正義は、
「……いいえ。違うみたいです」
否定を、返した。
「そう……、ですか」
本当は見破っていたかもしれないが、杏奈は微笑を浮かべた。いや、見破られていただろう。正義の気づかいに対する微笑と考えた方が、自然だった。
「一応、墓参りをさせてもらいたいんですが、どこにあるか教えていただいてかまわないでしょうか」
無駄な気づかいだっただろうかと、少し自己嫌悪をしつつ、“仕事”を続ける。
「ここの最寄り駅から、下り電車で一駅行ったところにあります。けっこう広いところですから、行くのなら私が案内しますよ」
「いえ、そこまでお世話になるわけには……」
彼女の申し出を断ろうとしたが、
「気にしないでください。最初は怪しみましたが、変な人ではないというのはよく分かりました。陰陽云々は正直信じきれてませんけど、あなたみたいに他人に優しい人は、その分優しくされていいんですよ」
続いてかけられた言葉で固まった間に、
「少し待っていてください。すぐに準備しますから」
と、押し切られた。
あかりの遺骨が眠るのは、広大な敷地を持つ集団墓地の、端に近い地点だった。昼間でも、墓場を歩くと商売柄、正義はちらほらと怪しい霊気や妖気を感じる。かまうときりがないのだが、それとなく安易なまじないをかけるぐらいはしていた。
昼下がりから、そろそろおやつの時間になろうかという頃で、人影はまばらだだった。
「もう少しです」
前を歩く杏奈が言った。それからすぐに、右へと折れる。すると、急に足を止めた。後ろの正義も止まり、尋ねる。
「どうしたんですか?」
「いえ……、あかりちゃんのお墓の前に、あの子のお母さまがいるんです」
「あかりさんのお母さんが?」
杏奈の横から顔を出し、彼女の視線の先を見る。河竹家の面々と同じように表情が暗い、中年の女性の姿があった。こちらに気づき、一度こちらを凝視してから、頭を下げてきた。
「河竹さんじゃありませんか。お久しぶりです」
歩み寄ってきて、彼女は微笑んだ。近くで見てみると白髪が多い。関係ないかもしれないが、正義の中ではあかりの死という苦痛と結びついた。
近づいてきた彼女に、杏奈も挨拶する。
「お久しぶりです、池田さん」
「あかりのところへ来てくださったんですか?」
「はい」
「それは、ありがとうございます。……ところで、こちらの子は? 見たことないですけど」
中年女性はすぐさま正義のことを話題にした。
「大幸の友達です。日高正義くん。たまたま用があってこっちに来てるんですけど、大幸に頼まれたのでちょっとだけ世話を妬いてるんです」
「へえー、大幸くんの」
それでもう、別のことに話は切り換わるかと思ったのだが、
「ん……? なんで、大幸くんの友達がここにいるんですか」
そうはいかなかった。
「だって、ここにあるのは……」
そこで言葉を切り、彼女は娘の墓を横目で見た。大幸の友人であることは、ここに来る理由と直結しないのだ。彼が彼女のことを話すのは、まずありえないから。
「この子は、大幸の様子からあかりちゃんのことを察したんです。大幸のことを心配してくれているので、私がだいたいを話しました。そしたら、墓参りもしておきたいと」
杏奈が機転を利かせて、必要最低限の事実だけで説明した。
「ああ、なるほど。終始あの感じでいたら、気づくチャンスはいくらでもあるでしょうね」
狙い通り、あかりの母は納得し、二度ほどうなずいた。正義のように特殊な出来事を介さなくても、大幸にはあかりの存在を予測できるような雰囲気があるため、いかにして気づいたのかを疑われたりはしなかった。
「にしても、墓参りまでしてくれるなんて、あなたはいい子なのね」
「あっ、いえ。そんなことはないですよ」
いい子と言われ、正義は身体を縮こませながら否定した。墓参りそのものが目的ではないのである。彼がここにやって来たのは、あかりの遺骨の状態が知りたかったからだった。
「ふふ。そういう風にかしこまるなら、余計にいい子だと思うわ」
あかりの母は、優しく笑った。まだ恋人の死を引きずる今の大幸には、きっとできない表情だった。
「大幸くんのこと、助けてあげてくださいね。そろそろあの子も、前を向かないといけないと思いますから」
彼女は、もう娘の死から立ち直っているように見えた。ふと思い出した瞬間に、涙を流しているかもしれない。夜な夜な、喪失感を感じているかもしれない。それでも、その目は今を映していた。過去だけを見てはいない。
「……強いですね」
思わず、正義はそう口にした。あかりの母は一度目を丸くしてから、
「別に強いわけじゃないですよ。ただ、あかりをいつまでも心配させるわけにはいかないと思っただけ。ようは、強がってるの。親が子供に弱い部分を見せ続けるわけにはいかないですから」
困ったように、はにかんだ。親の意地ということらしい。正義は、それ自体が強いと思った。
しかし、それから彼女は表情を一変させ、目を悲しそうに細くし、うつむいた。
「けど、大幸くんが悲しみ続けてるのを見ると、揺れてしまうんですよね。本当は、もっとあかりのことを考え続けてやるべきなんじゃないかって。……迷ってしまうんです」
「……池田さん」
それを見て、杏奈も悲痛な声を出す。
「だからこそ、大幸くんには立ち直ってほしいんです。私の思いが揺らいでしまいますから」
あかりの母は、娘の墓の方へ首を少し動かす。
「勝手な考えだとは思います。けど、そうじゃないと、本当の意味で立ち直れないんです。今の大幸くんそのものが、私にとってはあかりの死なんです。あの子を目にするたびに、私の中でまたあかりが死んでしまうんです」
話す彼女の顔が歪む。立ち直りたいのに、同じ生き残りによってそれをくじかれる。もうやめろと、泣き叫びたいくらいだろう。しかし、その生き残りというのが娘を異性として、本気で愛した人間であるがために、できないのである。
その痛々しさに、正義も心がねじれる思いだった。しかし、続けて彼女が発した言葉に、彼は苦しさを一瞬忘れ、陰陽師として耳を疑った。
「大幸くんに……、遺骨を分けるべきではなかったかもしれません」
「えっ?」
あかりの母の表情を見ていられないつらさから、地面に落ちていた視線が、一気に上がる。
「大幸くんに、あかりさんの遺骨を……、渡したんですか?」
「え、ええ」
急に食いついてきた初対面の少年に、彼女は戸惑い気味にうなずいた。ことの重大さを把握できる知識を持つのが、正義だけなのだから仕方がないことだった。
「あかりの葬儀が終わってしばらくしてから、うちに来て、遺骨を分けてくれないかって言われて。大幸くんも悲しんでるのは、よく分かっていましたから、あかりの遺品にあった小さな缶に入れて渡したんです」
正義の目が、さらに見開かれる。非常識とも言える行為であったことは、当時の彼女たちの心理状態を鑑みると責められないが、とんでもない事実だった。
「河竹さんは、このこと知ってましたか?」
「いいえ……。まさか、あの子がそんなこと……」
杏奈も驚いているらしく、表情が固まっていた。
(だとしたら……)
自分が昨晩かけた言葉を思い出して、冷や汗を流す。
有紗と大幸に、一緒にいるよう言ったのである。
背筋が、凍った。




