四章 襲撃
「……来た!」
敵が現れたのは、有紗の家の方だった。突然の膨大な霊力にも動じず、水実が依り代を取り出す。
「村叉!」
「あいよ!」
ハスキーボイスの小鬼が、今度は元気に現れた。背は水実の腰くらいまでで、一本だけある角を足すと、もう少し伸びる。右手には自分の背丈ほどあろうかという刀を持っていた。全身が黒く、髪はない。黒い大きな目がつり上がってるあたり、使役者そっくりだった。
「へえ。久しぶりに大物みたいじゃないかい」
「そうね。油断したら、たぶん簡単にやられるわ。あんた!」
「はい!?」
急に顔を向けられて、隅のベッドに腰かけていた有紗は思わず背筋を伸ばした。
「あの男の陰陽師にもらった結界の紙はちゃんと持ってる?」
「えっ、あっ、はい。持ってます」
「オッケー。じゃあ、そこから動いちゃダメよ。私たちにとってもその結界は悪影響だから。なにより、あんたの命が危なくなる」
「わ、分かりました」
気圧されて敬語になりながら、うなずく。ぎゅっと、正義からもらった五芒星の書かれた紙を握りしめた。
「どっから来るかしら」
「さあねえ。このレベルだと……」
村叉がしゃべっている最中に、机の上にあった教材類が重力を無視して浮かびだした。
「まあ、なんでもありだろうねぇ」
「えっ!?」
有紗がその光景に目を見張る。次の瞬間、彼女にめがけてその教材類が高速で飛んできた。
「きゃあ!!」
小さな悲鳴を上げて、頭を抱える。しかし、何も身体にはぶつからなかった。恐る恐る顔を上げると、教材はいつの間にかベッドの前に移動していた村叉の前で、重力を取り戻して床に散らばっていた。
「でも、思い通りにはさせられないねぇ」
彼女は刀を振るった後のような体勢だったが、教材類に斬撃の跡はなかった。知っている世界の出来事とはいえ、有紗は目眩がする思いだった。
「まずいわね。この部屋だけ、ピンポイントで切り離されてる」
水実がせわしなく首を動かしながら言った。村叉も、同じような動作をしている。警戒しているらしい。
「えっと、この部屋が切り離されてるってどういうこと?」
意味が分からない有紗は、首をかしげながら、おずおずと尋ねた。
「そのまんまの意味よ。この部屋が、その扉の向こうと切り離されてるの。敵の霊力でね」
水実が横目を向けて答えてくれたが、さっぱり分からない。首の角度がさらに横へ傾く。
「ようするに、この部屋だけが別世界にされてるの。部屋の外は三次元のままなのに、この中だけ四次元にされてるみたいなもんよ」
「なるほど。……なるほど?」
分かったような分からないような、そんな感じだった。
「とにかく、あんたはそこから動くな! 目をつぶってお祈りでもしてなさい!」
さらに部屋の物が重力を失って、どんどん有紗に向かって飛んでいった。村叉が斬って落とす。傷がついていないのは、彼女が物そのものではなく、物を操っている“霊力”を斬っているからである。
「うざいわね。やってることはちまっこいくせに……」
「あたいらはまるっきり無視してあの子狙いだから、防戦一方だねぇ!」
御札に霊力を込めて投げることで水実も撃墜に加勢するが、数が異常だった。霊力のせいで、一つ一つの殺傷力が上がっているため無視するわけにもいかない。すべて撃ち落とせなくなるのも、時間の問題になっている。
有紗は言われた通り目をつむっていたので、想像することしかできなかったが、音だけでも恐怖を感じるには十分だった。
「まさちゃん……」
口から出たのは、想い人ではなく、長い時間を共にしてきた幼なじみの名だった。彼から渡された、小さくも心強い特別な紙を、より強く握りしめる。
「村叉、後ろ!」
「んあっ!?」
水実の大声に反応し、村叉は横目で後ろを見た。一瞬、前方への対処が疎かになるほど、有紗に危険が迫っていた。
ベッドは部屋の端にあるのだが、それと壁の間、本来ならせいぜい手のひらが通るくらいの隙間から、白い“腕”が有紗に向かって伸びていた。それは、明らかに人外のものの腕。
「ちぃ! 水実ぃ、援護しな!」
「無理よ! 浮遊物の処理が疎かになる! その子を動かした方が早いわ! あんた、目なんてつぶってないで、早くそこから離れなさい!」
「えっ、えっ!?」
急にさっきと真逆の指示をされ、有紗は慌てて目を開けた。先に足を床に下ろし、続けて両手を支えに上半身を下ろそうとした。
「早く!」
水実が叫ぶ。白すぎる手が、もう有紗の腕を掴まんとしていた。
しかし、そうはならなかった。有紗が早く下りたからではなく、正義の結界が発動したのである。
『痛っ!』
「わわっ!?」
有紗の腕に相手が触れようとした瞬間、眩い閃光が走った。光の勢いに押されるように、ベッドから床に倒れ込む。
「いったい何……?」
顔だけ後ろに向けると、そこには有紗たちより一回り幼い少女が浮かんでいた。
「本当、守護系の力はかなりのもんみたいね、あいつ」
水実が苦笑いを浮かべながら、その少女と向き合う。結界の力が発動した時点で、室内の物への干渉は止んでいた。
「うはぁ。こんなガキが、ここまででかい霊力を持ってるとは、信じられないねぇ……」
村叉も刀を構えながら、苦笑いをしていた。言葉とは裏腹に、さほど余裕は感じられない。
「……お、女の子?」
やっと、上だけながら身体を起こし、有紗はつぶやいた。陰陽師二人が揃って警戒するほどだったので、もっとおどろおどろしい見た目を想像していたのだが、自分より少し年下らしき姿に驚いた。本来なら彼女は霊力がないので、霊の姿を見ることはできないのだが、目の前の少女が空間を支配しつつあることと、正義の結界の力によって、可視できた。
「そっ。あれが、あんたを殺そうとした悪霊。こんなに若いとは思ってなかったけどね」
室内の物が静まったのを見て、水実は床に座っている有紗の前へと出た。村叉の隣に立ち、有紗を守る形になる。
悪霊と化した少女は、深い闇をその目にたたえたまま、恨めしそうな表情を有紗に黙っていた。
「ふん……。歳はあたしくらいでも、今まで見たヘタな大人の霊より、やな目してるじゃない」
その視線に、水実は強気に対する。両手に御札を持って構えた。
「いったい、何を考えてたんだかね。こんな悪霊になっちまって」
村叉も刀を両手持ちして構える。空気がさらに張り詰めた。
『……邪魔しないで』
白い少女がつぶやいた。右手を水実たちに向ける。
「なっ!?」
「くぅ!?」
すると、二人は背中に強力な圧力を感じ、ひざから崩れた。
「えっ、ど、どうしたの!?」
動きを封じる必要がないと判断されたためなのか、有紗だけはなんともなかった。急に崩れ落ちた二人を見て、血相を変える。
「おいおい……。こりゃ、まじで、やばいじゃないかい……」
「…っ!?」
自分の背丈より高い刀を片手で振り回していた村叉ですら、苦しげな表情を見せる。水実は、まともにしゃべることすらできなかった。
『あなたたちに用はないの』
冷めた声で告げると、少女は有紗との距離を詰めだした。間には水実と村叉がいたが、二人とも少女を止められるような状態ではない。
「くっ……」
それでも村叉は、立ち上がろうとした。しかし、
『動かないで』
「あがっ!?」
もう一度、少女に手のひらを向けられ、さらに重い圧力をかけられた。あまりの力で、今度は地面に張りつけられたかのように床に伏した。水実が口をパクパクさせる。名前を呼ぼうとしたようだったが、声にはならなかった。
「あっ、うあっ……」
どんどん近づいてくる少女を前に、有紗はわずかに後ずさりするが、すぐに壁に当たってしまった。自然と、身体が震えだす。
『死ね』
冷酷かつ無慈悲な言葉を発し、少女の白い両腕が水実へと伸びる。恐怖で固まった有紗は、目を閉じることすらできなかった。
「やめろっ!!」
と、聞き慣れた声が耳に入ってきた。
「あ……」
壁に背をつけていた有紗の左に出入口のドアがあったのだが、外と断絶されていたはずだった。しかし今は、それが開かれ、
「あっちゃんから離れろ!」
正義が立っていた。
「へえ……。結界を張るだけじゃなくて、打ち破ることもできんのね」
「にしても、これはこれで恐ろしいねぇ……。あれだけの断絶状態を破っちまうとは」
部屋が幽霊の少女の支配下ではなくなったことで力の効果が弱まり、水実と村叉が立ち上がる。正義の力に、二人は言葉以上に驚いていた。強い霊力によって次元ごと隔離された空間を、外側から強引に元通りにするのは、並大抵の能力ではない。
『……ふん』
空間が自分の支配を離れたのを感じ、さらにもう一人の陰陽師の登場を迎えて、少女は有紗に伸ばした手を引っ込めた。
「あ、あれ。消えた……?」
正義がドアを開いた時点で、有紗は少女の姿を見失っていた。本当はまだ眼前にいるのだが、彼女には認識できない。
「まだだよ。動かないでね、あっちゃん」
脅威が去ったのかと、気を抜きかけた有紗へ、彼らしい穏やかな口調を向ける。ただいつも違い、有無を言わせない雰囲気があった。それを感じ、彼女は素直にうなずく。
「さあて、これで三対一。形勢逆転ね」
次の手を考えているらしい少女に、水実が余裕たっぷりに言い放つ。村叉も、獲物を構えなおしていた。正義は、さっきから御札を右手に、敵を見据えている。
『……絶対に殺す』
「そんな捨てぜりふはかれても、逃がさないわ。あんたはここで成仏させる!」
水実が凄み、一歩踏み出す。少女は相変わらずの冷たい目で、敵である三人を見回した。それから最後に、有紗を見て、
『……死んでしまえ』
あからさまな殺意を含んだ言葉をかけた。それは、まさに呪い。
そして、急激に少女の霊力が消えだした。
「だから、逃がさないって言ってるでしょ!」
水実が御札を投げつける。正義もそれに合わせ、自分の御札を投げた。村叉は、それによる相手の出方に備える。
『ぐぅ……』
二人の攻撃は、気配を消そうとしていた少女に当たり、強い閃光が走った。小さな悲鳴が漏れる。
「まだまだ!」
勢いに乗って、水実は第二撃を放とうとする。
『……今日はさようならだわ。でも、あなたを殺すまであきらめない』
その前に、暗い殺意の瞳を向け、少女は有紗へ告げた。ただ、届いてはいない。ある意味、自分への宣言なのかもしれない。
『他の人たちも、邪魔するなら一緒に殺す』
続けて、自分の邪魔をする者たちへそう言って姿を消した。追撃しようとしていた水実の手が止まる。
「気配が消えた……! あんた、追える!?」
「うん。まだ、補足できてるよ。ついて来て!」
彼女の問いに、正義はすぐ返答し、
「あっちゃんはここで待ってて!」
「う、うん」
有紗がうなずいたのを見ると、慌ただしく部屋を出て行った。
その後に続いて、
「村叉はここで待機してて!」
水実が村叉の返事を待たずに、部屋から去っていった。残された式神は、やれやれというように微笑を浮かべる。
「まさちゃん……」
そのそばで、有紗は幼なじみの無事を祈った。
「早いな。本体そのものはもう、気配がないよ。なんとか、形跡は追えるけど……」
ドタドタと有紗の家を出た正義は、水実を引き連れ、さっきの少女の霊力を辿っていた。発生源である少女の位置はすでに見失っていたが、そのあとは追うことができた。言うなれば、足跡を辿っているようなものである。足跡の主の現在の位置は分からなくても、追跡はできる。だが、難度は高い。
それでも、必死にその気配を手繰っていく途中、
「日高!」
「えっ、河竹くん!?」
カバンを背負った大幸が正面から走ってきた。思わず、足を止める。有紗の家の方から霊力を感じた際に、正義は彼を寺に置いてきていた。
「なんでここに? 家で待っててって言ったのに」
なので、当然ながらその疑問が浮かんだ。
「悪い。心配だから出てきたんだ。それより、お前らがここにいるってことは、新見さんは大丈夫だったんだな?」
「うん。でも、相手は取り逃がしたんだ。……って、そうだ、気配は!?」
大幸に気を取られて、彼はすっかり気配を追うことを忘れていた。切れる寸前だったとはいえ、まだ水実の我慢が利いていたので、気を抜いてしまってからさほど時間は経っていなかった。
「……ダメか」
それでも、少女の霊力はもう感じられなかった。あるのは、水実と村叉、それからこちらに近づいてくる春雅のものだけだった。
(父さんにも騒動がバレたな)
正義は顔をしかめた。
「ちょっと、何してんのよ! せっかく追い詰めるチャンスだったのに!」
そんな正義に、水実が噛みつく。完全に自分の落ち度だったので、彼は謝るしかなかった。
「……ごめん」
正義の指示に従わなかった大幸のせいにもできなくはなかったのだが、言い訳はしなかった。
「まったく、もう!」
獲物を逃してしまったことにイラつき、水実が右足で地面を何度も叩く。
「……どうやら、悪いタイミングで会ってしまったみたいだな。悪い」
そのやりとりから、何かマズいことをしてしまったらしいことに気づき、大幸は二人に頭を下げた。不機嫌な水実は反応しなかったが、
「ああ、河竹くんは気にしないでいいよ。僕のミスだから」
正義は力なく笑いながら、そう返した。
そして、追い討ちをかけるかのように、
「これはどういうですか、正義」
父である春雅がやって来た。怖いくらい、穏やかな口調だった。
「……父さん」
覚悟していたとはいえ、正義は父の登場に身体を固くした。彼にとって父は、頼もしく尊敬している人物だが、同時にこういう場合は恐ろしくもある。
「強い霊力を感じました。しかも、新見さんの家の方からです。どういうことですか」
たじろぐ息子に、春雅はもう一度尋ねた。その威圧感に、その場にいた水実と大幸も緊張を覚えずにいられない。
「……あっちゃんが、霊に襲われたんだ」
「お前は、そうなるのを知っていたのですか」
恐る恐る答えた正義に、さらに問う。
「……うん。絶対にそうなる保証はなかったけど、起きる可能性があるのは知ってた」
「なら、その霊が強いことは、知っていたのですか」
「……知ってた」
「いつからです」
「それは、今日だよ。昼間にも、一度あっちゃんが襲われて、その時に分かったんだ」
「では、新見さんの娘さんが霊に命を狙われているのは、いつ知ったのです」
「それも今日」
「……そうですか」
春雅は、息子の受け答えを聞き、考え込む。正義は次の言葉を待った。
しばらくして、春雅がまた尋ねる。
「どうして、うちにいたのに言わなかったのですか。この間、幽霊や妖怪の絡む類いのことは、きちんと話すように注意したはずです」
「それは……」
正義は目を落とした。小さな声で、言葉を紡ぐ。
「あっちゃんが僕の友達だからだよ。大事なんだ。父さんの力を借りないで、僕の手で助けたかったんだ」
それは、虚実の入り混じった答えだった。
有紗が友達だからではなく、彼女が好きだから、自分で助けたかったのだ。簡単に言えば、いいカッコをしたかったのである。加えて、ただ単純に父に助けられたくないという思いもあった。親に頼りたくなかったのである。だからこそ、強引だったということもあるものの、水実の協力を受けるのは嫌がらなかった。つまるところ、年相応の感情がすべてだったのだ。
本当は、先日父にこの類いのことは知らせるように言われた時、すでに今日のような事件が起きるかもしれないという心当たりがあった。それを隠したのも、父を関わらせたくないという考えが原因だった。
「……そうですか」
何十年も前、正義と同じ年齢を生きた春雅は、静かに言った。複雑な心情を表すような微笑が、その顔に浮かんでいた。
「お前の言い分は分かりました。……正義」
「……何?」
そんな表情の父を、正義は不思議そうに見つめる。
「他のことならともかく、これは命に関わることです。もちろん、私はお前に死んでほしくはありません。できればケガもしてほしくないと思っています」
「うん、分かってるけど……」
正義は戸惑った。父が何を言わんとしているか、察しがつかなかった。
「だから、さっきほど大きな霊力を持つものをお前一人に任せるのは、できれば避けたいと思っています。そこまでは分かりますね?」
「……うん」
正義がうなずく。それくらいは、当然理解していた。同時に息苦しさも感じる。尊敬はしていても、あまり干渉されたくないという感情は、関係なく抱いてしまうのだ。
「ですが、命を落としてしまうかもしれないというのは、私も同じです。そうなれば、お前一人で戦わないといけません」
「父さん?」
それでも、父が急に自身の死の可能性を突きつけてくると、彼は顔色を変えた。誰の死でも、もしもの話すら彼は嫌がる。父のものはその最たるものだった。本人の口からでさえ、聞きたくなかった。
「さっきの霊力は大きかったけれど、今のお前なら一人でもたぶんかろうじて調伏できるでしょう。それに、彼女も協力してくれているのですよね?」
動揺する正義をよそに、直斗は話を進め、水実に目をやった。急に目線を受けた少女は、顔を強ばらせる。
「えっ? う、うん。たぶん」
ただし、問いかけられたのは正義だったので、返答は彼がした。直斗が、不安げながらうなずく。
「なら、いいでしょう。この件はお前に任せます」
「えっ? 今、なんて」
父の決断に、正義は耳を疑った。思わず、聞き返す。
「お前に、今回はすべて任せると言ったのです。場合によりますが、私は介入しません。お前のやりたいようにやりなさい」
一言一言、絞り出すように直斗は正義に自分の考えを伝えた。心配がゆえに、まだ自分の手の内に置いておきたいという思いを、先を見据えて、息子に経験を積ませなくてはいけないという考えが抑え込んだ。
「父さん……」
予想外の展開に、正義は唖然とした。水実がいるとはいえ、父が自分に調伏を任せてくれたのである。
「ただし、一つだけ約束しなさい、正義」
「な、何を?」
「生きている人は、誰も死なせてはなりません。もちろん、お前もです」
強い口調だった。本来なら、約束できることではなかったが、
「……うん。分かった。誰も死なせない。それに、僕も死なない。約束する」
正義は同じくらい、いや父以上に、強い口調で返した。決意の表れとして。
「よし。では、あなたは月原さん……だったかな?」
「は、はい。そうです」
それを聞いてから、直斗は再び水実に目をやった。彼女も、さっきと同じように緊張から背筋を伸ばす。
「見たところ、あなたは女性でも特に陰気が強い。うちの息子とは、力をつぶし合うかもしれません」
「そ、そうですね」
何を言わんとしているのか分からなかったものの、その通りなので、とりあえず水実は肯定した。
「ですが、裏を返せばお互いの弱点を補強し合うことができるということです。だからあなたに頼みたい」
春雅はゆっくりと頭を下げた。
「正義を、よろしくお願いします」
「えっ!?」
「ちょっ、父さん!?」
その行動に、正義と水実は揃って声を上げた。
「な、何してるのさ? いきなり、頭下げるなんて」
「いいのですよ。人に頼み事をするのですから、これくらいは普通です」
またも動揺している正義と、対照的に冷静な春雅という構図になった。春雅が顔を上げる。
「私は今回、この子から目を離します。ですから、あなたにこの子を頼みたいのです。危ないときは助けてやってください。あなたが危ないとき、この子はきっとあなたを守ってくれますから」
優しい微笑を浮かべた。水実がさっきまでとは違い、かしこまったからではなく、驚きで固まる。
「私の息子を手伝ってもらえますか?」
「あっ、は、はい。もちろんです。元からその気でしたから」
敬語に慣れていないのか、たどたどしく彼女は答えた。
「そうですか。ありがとうございます」
返答を聞いて、春雅が頭を下げる。
「いえ、そんなお礼なんて」
それに対して、水実は申し訳なさそうに、慌てて両手を振った。暗いので気づいた人間はいなかったが、顔がどことなく赤い。
「それでは、本当に頼みます。私はこれで帰りますので」
軽めにもう一度、春雅は頭を下げ、
「しっかりやりなさい、正義」
息子にそう言い残してから、三人の若者に背を向けた。その姿は、どこか寂しかった。
「父さん……」
それを見送りながら正義がつぶやく。その肩に、大幸が手を置いた。
「お父さんはお前にすべてを任せた。いろんな心配を抑えて、お前を信頼したんだ。どうするべきか、お前なら分かるだろ」
いつものように、何度も間を空けてながら告げる。正義もそれにうなずいた。
春雅の背中が完全に見えなくなってから、
「ちょっと、あんた!」
今日一日で定着した、水実らしい声が上がった。正義が振り返る。すると、彼に向かって迫ってきていた。腕が届く範囲に入ると、正義の襟を掴んで詰め寄る。
「なんなのよ、あの父親は!」
「なんなのって言われても……」
わりと強い力で掴まれていたが、そこは男女の違いがあり、正義は特に苦しい状態にはなっていなかった。困って頬をかく。
「それに、あたしたちに任せるってどういうことよ! そもそも、なんであんたは父親になんにも話してないの!? あんなに強力な霊力の陰陽師に手伝ってもらわらないなんて、どうかしてるわ!」
さらに水実が声を荒げる。ただ、今までと何か調子が違った。
「それにお礼言うとか、本当意味分かんない。どうかしてるんじゃないの?」
「そんなこと言わないでよ。父さんは君の実力を見込んで、あんなお願いをしたんだから。そもそもは、僕のわがままのせいだし」
その違いに気づかず、正義は真剣に答える。大幸はそれとなく違いに気づいていた。
「何がわがままよ! 意味分かんない!」
水実がもう一度わめく。ここまで荒れるとは思ってなかったので、正義はオロオロし出した。
「お、落ち着いてよ。確かに、僕が悪かったけど」
「うるさいわね!」
なだめに出たが、水実の勢いは緩まなかった。正義は、何が彼女の気に入らなかったのか分からず、困り顔になった。
そこに助け舟を出したのは、大幸だった。
「察してやれ、日高。彼女はたぶん、照れてるだけだ」
「……照れてる?」
「はあ!? あんたまで何言い出してんのよ?」
二人が揃って、大幸に顔を向ける。片方は首を軽くひねり、もう片方は今にも噛みつきそうな語調だった。動じることなく、大幸は話を続ける。
「月原さん、だったか? お礼を言われるの苦手だろ。だから、さっきの大野のお父さんの言葉に動揺して、そんな態度なんじゃないか?」
「なっ!?」
水実が体勢はそのままに、固まった。正義の襟を掴んでいた手から力が抜ける。
「……図星みたいだな。なら、怒ることじゃない。深呼吸して、落ち着くといい」
「だから、あんた何言って……」
水実が反論しようとしたが、微笑を浮かべ続ける大幸を見て、戦闘意欲をなくした。
「はぁ……。分かったわよ。もういいわ」
投げやりだったが、ずいぶんと落ち着いた口調になった。正義がほっと胸をなで下ろす。
「じゃあ、とりあえずあっちゃんの家に戻ろう。たぶん、あの去り際の『死んでしまえ』って言葉で、呪いをかけられてる」
それから、本題に思考を向けた。有紗に、解呪を施さなければならない。
しかし、
「あんたが仕切るな!」
「あだ」
水実が正義を叩いて、真面目な空気はあっという間になくなった。
その後、有紗の家に戻り、正義は有紗に解呪を施した。今後についての対策も話し合ったが、あまり詰められずに終わった。
未だに、大幸は何も語らない。正義の中で、決心ができた。
彼の故郷を訪ねるしかないと。




