二章 黒の陰陽師
黒髪の少女は、正義と同い年か、それより少し年下に見えた。背は女子にしては高く、正義とあまり変わらないように思える。白っぽい服装をしていたので、肩まである特徴的な黒髪がより映えていた。右肩には、やや大きめのカバンを提げている。
「あんた誰?」
つり目をさらにキツくして正義を睨みながら、少女はそう尋ねた。
「えっと、たぶん同業者」
おずおずと答える。霊力の感じからして、間違いなかった。
「なるほど。あんた、やっぱり陰陽師なわけね」
納得しつつ、睨むのはやめない。なぜここまでピリピリされるのか。気になった正義は、思っているままに訊いてみる。
「あの、なんでそんなに僕のこと睨むの?」
「別に。同業だからって初対面の男を相手にして、警戒しない方がおかしいじゃない」
「はあ」
確かに納得できなくはない理由だが、真正面から“怪しい”と言われるに等しいので、軽くショックを受けた。ただ、外に出た反応は薄い。
「それよりあんた、さっきの幽霊のこと、何か知ってるの?」
内心落ち込んだ正義を置いてきぼりに、少女は自分の話に入る。彼がなんと言うか迷っていると、
「さっさと答えなさい。知ってるの? 知らないの?」
返答を催促してきた。堪え性がないのか、落ち着きなく右足で床を叩いている。
「知ってるといえば、知ってるかな。あんな大きい気配を観測したのは初めてだったけど」
一方的な進行を不満に思ったものの、正義は素直に情報を出した。
「ふーん、知ってるの。じゃあ詳細を教えなさい」
すると、少女は食いついてきた。命令口調でそう言って、一気に正義までの距離を縮める。見知らぬ異性の顔が迫ってきて、正義は少しどぎまぎした。
「そ、それは無理だよ。まだ、情報不足なんだ。無責任なことは言えない」
それでも、途切れ途切れながら今度は回答を拒否した。もちろん、誠意からのことだったのだが、
「なによ、役に立たないわねぇ」
それを聞くと、少女は急に勢いを弱め、顔を引いた。正義は一息吐きつつ、頬の温度が上がっているのを感じた。
「まあ、そっちはいいわ。あれだけの霊力が現れたってことは何かあったはずよ。教えなさい」
少女は攻め方を変え、何が起きたかを尋ねた。
「別にいいけど……」
「ホント? じゃあ、さっそく話しなさい」
「その前に一つ訊いていい?」
すぐには答えなかった。冷静さを取り戻したところで、彼女に質問したいことが浮かんだのである。
「何よ」
意外にも少女は、あっさり正義の言葉を受け入れたが、不本意に思ってるのは明らかだった。腕組みをした右手の人差し指がせわしく動いていたのである。
相手の態度を目にして、正義は気が引けたものの、言い出した手前、やめるわけにもいかなかった。
「君の名前は? 僕は日高正義っていうんだけど」
人の名前を尋ねるときはまず自分から、というルールを守ってから少女に訊く。
「……ずみ」
少し間を置いて、ぼそぼそとした声が聞こえた。
「えっ?」
「名前よ。月原水実」
渋々という感じだった。不機嫌なのが顔に出ている。
「月原さんね」
「ええ、そう。さっ、あんたの問いには答えたわよ。あたしの質問に答えなさい」
腰に両手を当て、水実はまっすぐに正義を見た。少し気圧される。
「分かったよ」
しばらく考えてから、うなずいた。同業者である水実なら、教えてもいいだろうという判断だった。有紗を助けられる率も上がるかもしれないこともある。
とりあえず、今起きたことを彼女に伝えた。大きな殺意を持った霊力が発生したこと、それによって百科事典が今いる教室から落下し危うく自分の友人が死にかけた、ということである。友人が幼なじみで、女子であることは言わなかったが。
「なるほどね。それだけじゃ、無差別に狙ってるのか、そのあんたの友人を狙ったのか分からないわけか」
水実はなるほどなるほどとうなずく。正義が不用意に詳細を話さなかったのも、そこに理由かあった。おそらく有紗個人を狙ったものだと彼は思っているのだが、確実な証拠がなかったのである。
「まあ、どっちにしろ調査は必要ね。あんた、ここの学生?」
「そうだけど……」
それを聞いて、彼女は薄く笑った。イタズラを思いついた子供のように。
「ちょうどいいわ。あたしに協力しなさい。本当は一人でなんとかしたいんだけど、あたしはここの生徒じゃないから、案内がいないと困るのよ」
「ああ、なるほど。ここの学生じゃなかったら、うちの学校の敷地内は確かに分かりにくいかも……」
ごく自然に受け答えしてから、
「あれ? うちの大学の生徒じゃないの」
その点に気づいた。
「ええ、そうよ。強い霊力を感じたから、ちょっと中に入らせてもらったの。開放してるみたいだったしね」
確かに正義の通う大学は、かなり出入りか自由だった。とはいえ、本当に部外者が入ってきているというのは驚きだった。
「それより、あんたは協力してくれるの、くれないの? 人命がかかってるからあたしは無償で動くけど、友達のためならあんたも動くでしょ」
「それはまあ、もちろんそのつもりだけど」
「なら決まり。善は急げね。まずはその被害者のとこにいきましょ」
はっきりと正義が了承する前に、水実は歩き出した。
「あっ、ちょっと待ってよ」
「何よ。なんかあるの?」
足を止め、正義を軽く睨む。
「君が先に行っても、どこ行けばいいか分かんないだろ」
「……分かってるわよ。あんたがトロそうだから、先にあたしが動けばあんたも動くでしょ。だからよ」
「ああ、そう……」
明らかに嘘だったが、正義は必要以上につつかなかった。
「そういうことを言うなら、さっさと先を歩きなさい。そのために連れてくんだから」
彼女はぶっきらぼうな口調で、先に行くよう促してきた。照れ隠しに見える。
「分かったよ」
正義は肩をすくめつつ、彼女の言葉に従って、先に教室を出た。水実が後に続いた。
江戸時代以降、科学の発展により陰陽師は激減した。細々とながらその技術は後世に伝えられ、今でも全国に彼らは存在するのだが、陰陽師同士が“偶然”に遭遇することはほぼありえなくなっていた。
そんな時代に彼らは出会った。何かに導かれるように、ありえないはずの出会いを果たしたのである。
だからそれは、まさしく“運命”だったのかもしれない。
「それじゃ、まずはそのあんたの友達に会いに行きましょ。どこにいるか分かる?」
棟から出たところで、水実が後ろから訊いてきた。
「うん、まあ。でも、今は授業中だからあんまり邪魔したくないんだけどなあ……。あれだけ大きい霊力が使われた後だから、しばらくは安全だと思うし、僕もホントなら授業だし」
と、一応の反対意見も入れて答えたのだが、
「知ってるなら、さっそく行きましょ。案内しなさい」
不都合な部分は耳に届かなかったようで、完全に無視された。
「……はあ」
「どうしたの? ため息なんてついて」
「いいや、なんでもない」
抵抗が無意味なのを理解し、正義はうなだれるのであった。
「変なの。それで、どこにいるの? ここから見える?」
そんな彼の様子を、彼女は“変”で済まし、問いかけを続ける。すでに反抗心を折られてたので、彼はすぐに答えた。
「あの建物の二階だよ。教室は僕が知ってるから、ついて来て」
「分かったわ」
足取りの軽さがまるっきり逆になりながら、二人は授業中の有紗と大幸のもとを目指す。
大学の授業というのは、一部を除いて出入りはほぼ自由である。受ける受けないは本人の自己責任だからだ。有紗と大幸が三限に受けていたのもその考えに基づく授業で、正義と水実が教室後方の扉から入っても、近くに座る生徒から少し目線をもらっただけで、簡単に入れた。
「どの子?」
さすがに水実も声を小さくした。顔が正義に寄る。
「今探してるからちょっと待って」
その距離感に内心戸惑いながらも、彼は冷静な言葉を返した。教室全体から、二人を探す。
「あっ、いた。あそこだ」
目的の二人は、教室中央左に隣合って座っていた。
「うっ」
気づいてから、正義は動揺した。二人が隣合って座っているというのは、見たくない光景なのである。
「どうしたのよ、変な顔して」
意味が分からない、という感じに水実は首をひねってから、
「あのひ弱そうな男があんたの幼なじみね。あいつを助けたっていう子はどこにいるの?」
キョロキョロと大幸の周りに目を走らせた。当然、見つかるわけがない。そもそも、幼なじみは有紗という女子なのである。大前提が間違っていては、探し人を見つけるのは不可能だった。
「俺の幼なじみを助けたのが、君の言ってる男子だよ」
「えっ、そうなの? じゃあ、狙われたのはどの人よ」
さすがに、本当のことを言わざるを得ない状況だった。水実が当事者たちに会いに行くと決めた時点で決まっていたことではあったが、色々とバレたら、馬鹿にされそうな気がしたので言いたくなかったのである。
「……あの子だよ」
「どの子よ」
「あの、髪が栗色で長い女の子」
とうとうはっきりと告げた。どんな返しをされるかと、正義は内心身構える。
しかし、
「なんだ、女だったの。てっきり男だと思ってたわ。まあ別にいいけど。じゃ、あの二人なわけね。話を聞きましょ」
特に個人的事情に関わることには触れてこなかった。
「何、ぼっーと突っ立てんの。早く行くわよ。あんたがいる方が話が進みやすいだろうし」
意外に思っていると、その水実に急かされた。
「えっ、あっ、うん」
一回その勢いに押されて、曖昧な返事をしてから、
「あっ、ちょっと待って」
あることに気づいて、水実を呼び止めた。
「何よ?」
振り向いた顔は、明らかに眉をひそめていた。
「えっとさ……」
呼び止めておきながら、答えに窮する。本当は、あの二人の間へ割り込むのに気が引けるのと、有紗が好きな人といるのを邪魔したくないという、お人好しすぎる理由があったのだが、どちらもさっき会ったばかりの水実には説明したくなかった。
なので、
「ほ、ほら、やっぱり授業中だし、終わってからでもいいんじゃないか?」
とりあえずそれっぽい意見を上げてみた。
「ここまで来て何言ってんの。今はおとなしくしてるけど、相手はいつ出てくるか分からないんだから、急がないとだめよ」
予想を裏切らない否定意見を返された。おまけに正論なので、ケチのつけようがない。
「いや、でも」
それでもなお、引き止めようとしたが、
「ほら、早くついてきなさい」
聞く耳を持たず、水実は二人の方へ歩き出した。
「あっ、ちょっと待ってよ」
正義は、慌ててついて行く。
水実は後ろでごにょごにょ言っている正義を無視し、有紗と大幸の隣へ行った。二人が怪訝そうな表情を向けるのにかまわず、
「ちょっといいかしら」
声量を抑え目に、口火を切った。
「何?」
有紗が明白な警戒を見せる。他にも席が空いているのに、わざわざ知らない人の隣に座ろうとしてる人間を、怪しまないわけがない。事なきを得たとはいえ、さっきの“偶然”に起きた事故のこともあり、疑心はなおさらだった。大幸も、不思議そうな顔をしていた。
しかし、
「えっと、ごめんあっちゃん。ちょっと事情があって」
見たことのない少女の後ろから、見慣れた少年の姿が出てきて、その警戒心は和らいだ。
「なんだ、まさちゃんの知り合いか。もう、何かと思ったじゃない」
「うーん。知り合いっていうか、なんて言うか」
有紗の解釈に正義は色々と言葉を挟みたかったが、
「あたし、あんたたちと話したいことがあるのよ。ここでもいいんだけど、話しづらいから個人的には場所を移したいわ。どっちがいい?」
水実はそれをさせなかった。話しながら、腰を下ろす。正義も周りを気にして、とりあえず座った。
事情を理解できていないのにもかかわらず、一方的にどんどん話を進める彼女に、有紗は待ったをかけた。
「ちょっ、ちょっと待って。ちゃんと説明してくれない? それに今、私たち授業中だし、後じゃだめなの?」
「ダメね。急げるなら急いだ方がいいことだから」
その待ったはあっさり却下された。状況を把握している正義と水実からしたらもっともな意見なのだが、それを知らない二人からすれば、意味が分からないものだった。
「それ、どういうこと?」
なので、当然きたこの質問に、
「あんたの命に関わるってことよ」
水実は神妙な面持ちで答えた。
「なっ……」
完全に予想外の言葉だったようで、有紗は息を呑んだ。その脳裏に浮かぶのは、かつて巻き込まれたある世界のこと。
「あんたたち、さっき変な事故にあったでしょ」
戸惑う彼女に、さらに水実がたたみかける。正義は割って入る言葉が見つけられず、話を聞いているしかなかった。
「あれは、偶然なんかじゃない。あんたたちの知らない世界の奴がやったことなの」
“知らない世界”という言葉に、有紗の疑いは確信に変わる。
「まさちゃん」
「何?」
「これ、まさちゃんの世界の話、だよね」
「……うん」
その問いに、正義はうなずいた。
「あら、あんたは知ってるのね。話が早いわ」
水実にはその会話の流れは好都合だったが、
「……ちょっといいか」
大幸には何がなんだかさっぱりだった。
「君たちは、さっきから何を言っているんだ? 君たちの言ってる世界って、なんのことなんだ?」
「ああ、あんたの方は知らないの」
流れが途切れたことへの不満を見せつつ、
「全部まとめて説明したげるから、とりあえず場所を移してもらえない? ここで話しても、あんたが信じるかどうか怪しいし」
水実は場所を移すことを催促した。とにかく、ゆっくりかつ自分たちだけで話せる場所に行きたかった。
「日高もその方がいいと思うのか?」
「うん」
「新見さんも?」
「うん。たぶん、その方がいい」
「そうか」
自身の回答を出す前に、彼は二人の意見を尋ね、考え込んだ。水実を含め、正義たちは黙って彼の言葉を待つ。
やがて、ゆっくりと口を開き、
「分かった。君たちに従おう。場所もまかせる」
他三人の意見に同調した。
「決まりね。あんた、いい場所考えなさい」
それを聞いて、水実は正義に顔を向けるとそう命じた。正義は、顔をしかめ、
「僕、君のしもべじゃないんだけど」
と、一応反論してみたが、
「さあ、さっさと考えなさい」
まったく届かなかった。
(耳鼻科で診てもらった方がいいんじゃないかな……)
密かにそんなことを思った。
正義と大幸の相談の結果、四人は建物を出て、キャンパス端に寂しく存在しているベンチへ来ていた。通り道でもなく、わざわざ来ようとしなければ誰も来ることがない場所だったので、今からしようとしている話を考えると都合がよかった。だが、水実は難色を示した。
「確かに、余計な人間に話を聞かれるリスクは低いけど、こんな他と断絶されたような空間にいるのは、あまりよくないわ。他の場所はないの?」
彼女の意見には一理あった。この世のものではない存在は、普通の空間では姿を現すのにもわりと力を使うが、今彼女たちがいるような、普通の空間から切り離されたような場所では出てこれやすくなってしまう。それを危惧していた。
「心配いらないよ」
そんな彼女に対し、正義は余裕を見せた。カバンからノートを取り出し、一限の際に書いていた図形を再び描く。それから、それに手を当てながら目を閉じて、数秒間何かを念じるようにその体勢を続けた。
「これは……」
水実は、正義の力の大きさに目を見張った。守護の力があまりに強力だったのである。
「強い守護術式……。あんた、なかなかやるじゃない」
「死んだ母さんの力も借りてるから。そのせいで陰気も混じってて、ちょっと不安定なんだけどね」
「確かに、あんた自身は陽の気が極端に強いみたいね。あんまり陰気のある術式は使わない方がいいわ」
その言葉を、正義は意外に思った。
「君でも、他の人の心配をするんだね」
何気なく口にした。嫌味っぽくも思えるが、彼自身としてはただ素直にそう思っただけだった。
「失礼ね。私だって他人の心配くらいするわよ」
水実は口をへの字に曲げてから、
「あっ、言っとくけど、あくまであんたがいないと都合が悪いからってだけだからね。こういう状況じゃなきゃ、あんたの心配なんてしないんだから」
慌てて付け足した。
「うん。分かってるよ」
正義はそのままの意味で受け取って、少し気を落とした。有紗のことですでにズタボロなので、軽いジャブですらそれなりに堪えるのである。ただ、そのそばで有紗は笑いをかみ殺していた。正義にではなく、水実に対しての笑いだった。一方、大幸は、守護術式云々の話でますます困惑して、そんな余裕がなかった。
「とにかく、これだけ強いなら平気そうね。どれくらい保つの?」
「うーん。この強度で一時間は余裕で保つかな。攻め込まれなければだけど」
「それだけ保てば十分だわ。話を始めましょ」
準備は整ったと言わんばかりに、待ちぼうけをくらっていた二人に顔を向ける。
「とりあえず、一番大事なことから言っとく。さっきあんたたちが遭った事故は、事故じゃない。あれは、人ならざるものの仕業よ」
一番の重要要素であり、かつ一番受け入れられにくい部分をまずはっきりと告げた。
「なっ……」
大幸が言葉を失う。これが、普通の反応だった。しかし、他三人がまったく驚きを見せていなかったため、まるでそれが間違っているように思えてしまう。
「まあ、信じられないのも無理はないわね。今から私が証拠を見せるけど、それでも信じてもらえないことが多いし。心配しないでいいわ。それが普通だから」
自分のペースでポンポンしゃべりながら、肩にかけていたカバンから人型をかたどった紙を取り出した。真ん中には、正義が守護術式にも利用している、円の中に五芒星の図形がある。
「それは……?」
大幸が尋ねる。いや、つい口から出たと言うべきか。意図的な問いではなかった。
「依り代よ。マンガとかで見たことない? 式神を呼ぶときに使うやつ」
「より……?」
理解が追いついていない様子だったため、
「ちょっ、ちょっと待って。ついて来れてないにしても、度がひどいよ。君が早すぎる。もう少しゆっくり行こう」
正義が間に入った。この状態で式神なんてものを見せたら、程度の重い錯乱になってしまう可能性もある。話どころではなくなってしまう。
「えー? 別に大丈夫でしょ」
と、水実は不満を口にしたが、
「いや、日高の言うとおり、少し間をもらえると助かる」
「仕方ないわね。じゃ、ちょっとだけ待ったげる」
大幸本人の申し出があったので折れた。腕を組んで肩をすくめる。
「大幸、なんか訊きたいことある?」
状況整理の足しにと、正義が確認した。優しい人柄な彼らしく、心配そうな表情をしている。
「ん……」
あれこれと考えているのか、少し空けてから、ゆっくりと答えた。
「そうだな。とりあえず、さっき新見さんが遭った事故は、事故じゃないんだな?」
「ああ。パッと見は事故だし、警察が調べてもそう言うと思うけど、見る人が見ればすぐ分かる。あれは事故じゃない。分かりやすく言うと、殺人未遂だ」
自分で言いながら、正義は背中が冷えるのを感じた。あのときの殺意は相当大きかった。もし大幸が有紗の隣にいなかったらと思うと、恐ろしい程に。同時に、隣にいるのが自分だったら未遂すらさせなかったかもという対抗心も、密かにあった。
「で、それの犯人……と言うのかどうか知らないが、それは人じゃない。こういうことか」
「うん」
続けての問いにうなずく。
「信じがたいな。君らには悪いけど、俺はオカルトを信じていないんだ。鵜呑みできない」
しかし、幸薄の少年はそれを認めなかった。それが普通だった。落ち着いて考えていたからといって、受け入れられることは少ない。むしろ、相手が冷静であればあるほど、そう捉えられる方が多かった。
「うん。だからこの子は、その存在を証明しようとしてるんだ。自分の配下を召喚することで」
「それで、そのための依り代というわけか」
やっと大幸の中で流れが理解された。会ったときからだが、水実はなんでも性急すぎると正義は感じていた。
「なるほど理解した。それじゃあ、召喚してみてくれるかい。その、人外の存在を」
促した彼の口調には人間らしい恐怖と懸念、そして期待が混じっていた。
「言われなくてもやるわよ。驚いて、泡ふかないでね」
やや上からっぽい言い方にムッとした彼女は、悪態に近い前置きをしてから、
「出てきなさい、村叉!」
依り代に自分の血……ではなく唾液をつけて、手を離した。ボンッと爆発音がし、白い煙が上がる。
そして煙が引いたところにいたのは、
「うあー……」
地面に突っ伏してうなっている、異形のものだった。大きさは水実のだいたい半分くらい。シュールな光景に、呼び出した本人を含め固まる。
「水実ぃ……」
「な、何よ」
異形のものと思われるものの声に、水実がひるみ気味に反応する。ハスキーだが、女の声だった。
「あんた……、あたいをこんな陽気満点なとこに呼び出して、どーいうつもりよぉ……」
「あっ」
そう言われて彼女は、間抜けな声を上げた。
「ご、ごめん村叉! いつもならこんな結界ないから、つい」
「そうかい……。とりあえず苦しいねぇ……。一旦帰らせてくれないかい……?」
うつ伏せに転がってる生物が呻く。誰の目にも、つらそうなのは明らかだった。
「う、うん。分かった」
さっきまでの水実からは想像できないほど、焦りを見せていた。一回深呼吸をすると、その異形に手を当てて、
「そ、そなたのあるべき場所に帰りたまえ!」
一回噛みながらも言い切った。式神の身体が黒い霧のようなものに包まれ、それがなくなると異形の姿もなくなっていた。
「ふう……」
水実は安堵から息をつくと、キッと正義へ目をやった。
「あんた村叉を殺す気!?」
「えーっ!?」
さすがに声を上げてしまった。理不尽が多い少女だとは思っていたものの、さすがにこれは群を抜いている。
「呼び出したのは君じゃないか。なんで俺に怒るんだ?」
「あんたが止めないからよ! 式神は陰気に属するんだから、陽気が強いこんな結界内に呼び出したらいけないって分かるじゃない!」
非常にまともな意見のはずだったのだが、超絶な言い返しをくらった。さすがに温厚の塊である正義も簡単に引かない。
「そ、それを言うなら、君だって気づくべきじゃないか。自分の式神なんだし」
引かない……のだが、それでも口調は穏やかな彼であった。
「しょうがないでしょ! 私はこんな状況に今までなったことなかったんだから!」
一方、返されてくるものはかなり語気が強い。
その言い合いの傍らで、
「すごいな。目の前であんなのを見せられたら、信じざるを得ないよ」
「私もびっくりした。存在は信じてたけど、霊感がからっきしらしくて自分の目で見たことなかったから」
「そうなんだ。新見さんも向こうの事情を知ってたから、てっきりああいうのも見てるもんだと思ってたよ」
「ううん。実はないんだ」
「ん? じゃあ、どうしてオカルトを信じてたんだ」
「それはね、霊感はないのに私って幽霊とかに好かれやすい体質らしくて、それでちょっとゴタゴタに巻き込まれたことがあったからなんだ」
他二名は入るに入れず、正義の負けを予想しながら雑談をしていた。いい雰囲気だったので、正義がそっちを気にする余裕がなかったのは幸いだったかもしれない。
「とにかく、あんたのせいで村叉が死にかけたんだからね! 次からは気をつけなさいよ」
「わ、分かったよ……」
「ふんっ!」
結局、正義が折れて口論は終わった。疲れから、彼はがっくりと肩を落とす。結界の持続時間を無駄に使ってしまったことにも気づいて、頭を抱えた。
「まあ、いいわ。あんた、後で村叉に謝りなさいよ」
「分かったよ」
逆らうだけ無駄だと察して、彼は素直に従った。水実は肩をすくめると、今度は大幸へ顔を向け、
「まったく、無駄に時間を使っちゃったわ。これで納得した? あんたたちに起きた事故は、人間じゃないものが起こしたのよ」
そうまくし立てた。言われるでもなく、すでに人外の存在を認めていた大幸は、それにうなずく。
「ああ、納得した。こんな眼前で見せられたらな。これで信じないとしたら、俺は自分の頭を疑わないといけなくなる」
彼は実に自然にこの事実を受け入れていた。達観すら見受けられる。普通なら、もっと騒ぎ出してもおかしくないのに。まるで、こんなことは“たいしたことではない”と言わんばかりだった。
「そう。理解が早くて助かるわ」
その反応を見て、水実は次のステップに入っても問題ないと判断した。敵が人間でないと分かっただけでは、まったく足りない。
「じゃあ尋ねるけど、自分たちがそういう類のものから狙われるきっかけになるようなことをした覚えはある?」
必要なのは、なぜこの二人が狙われたのかという理由だった。無作為に選ばれたのか、それとも彼らに恨みがあるのか。それによって、彼らを襲ったものがなんなのかを突き止めることができるかもしれない。そうすれば、対策も立てやすい。
「それって、おもしろ半分に幽霊スポットに踏み入ったとか、そういうのでしょう? ただでさえ気をつけろってまさちゃんから言われてるから、私は心当たりないかな」
先に答えたのは、有紗だった。正義と過ごしてきた経験から、知識だけは持っていた。なので、何をしたらそういうものから命を狙われやすいかも知っていた。
「そういうことだったら、俺も記憶にないかな。肝試しとかは好きじゃないし」
有紗の発言を受けて、大幸もそれを基準にして答える。幽霊などを引きつけそうなことは、した覚えがなかった。
「そう。じゃあ、最近じゃなくてもいいから、あんたたちの身近で、死んだ人はいる?」
二人の解答を聞いてから、続けて水実は尋ねた。あまりないが、身近な人間の霊が無念を暴走させて、無差別に人の命を狙うことがあるからだ。
「身近で死んだ人は、けっこういるかな。でも、人を殺そうなんてする人はいないよ?」
「生前の性格なんてあてにならない。私たちの世界を知ってるあんたなら、それくらい分かるはずよ」
有紗の言葉を、水実は一刀両断した。真実ではあるが、その語調はキツい。
「それはそうだけど……」
それに押されて、有紗は口ごもった。釈然としないのだが、言い返す言葉が見つからない。
「で、あんたは? 身近で死んだ人はいるの」
そんな彼女に関心を払わず、水実は大幸に返答を求めた。しかし、彼は返事をしない。いや、自分が話しかけられていること自体に気づいていなかった。うつむいて何かを思案するその姿は、いつも以上に儚い。
「ちょっと、あんた聞いてる?」
もう一度声をかけても、まだ顔を上げない。明らかに、様子がおかしい。心配した有紗が肩を叩いた。
「河竹くん、大丈夫?」
「えっ……? ああ、すまない。ぼーっとしてた……」
それでやっと大幸は我に返った。ただ、儚さが抜けていない。表情も悲しげだった。
「えっと……、俺は何を答えればよかったんだ……?」
それから、水実へ確認をした。正義と有紗はそれに驚く。彼が話の途中で内容を忘れるなんてことは、普段の聡明そうな落ち着きからは想像できなかった。
「身近で死んだ人がいるかどうかよ」
しかし、今日出会ったばかりの少女はそんなことを知らないので、単純に彼の態度にイラついた。自分のさっきの口論は棚に上げて、危機感が足りないと感じたのである。
「ああ、そうだったね。そうだな……、俺が生まれてからだと祖父や叔母が亡くなってる」
そんな不満に気づいているのかいないのか、穏やかに答えた。さっきの様子がますますおかしく思えるほど、変哲のないごく普通の内容。確実に、何かある。
「なるほどね。じゃあ、そっちの可能性も考えないといけないか」
唯一それに気づいていない水実は、特に違和感を覚えることもなく話を進める。
「そしたら、また姿を見せたときに見極めるしかないわね。こっちからは攻められない。あんた、御札ある?」
「……あるよ」
正義が応じた。何をする気かはすぐに分かったので、先んじて霊力を込めておく。その対応から察するに、守備の能力は彼の方が高いらしい。
「御札?」
「そっ。ベタだけど、一番信頼できる手段よ。持っておけば、そう簡単に向こうの思うとおりにはならなくなる。それに相手がもたついてる間に、私が退治にかかれるわ」
「……僕もやるけど」
二人に御札を渡しつつ、一言添える。それから、相手を引き寄せるなら必要ないので、結界を解いた。
「はあ? 別に私だけで十分よ。あんたがいても邪魔になる」
添えた言葉は余計だったらしく、水実は露骨に嫌な表情を浮かべた。
「えー? そうかなあ…」
正義は納得いかないといった感じに口を尖らせた。
「そうなの! 現に、村叉が苦しんでたでしょ。相性が悪いのよ、あんたと私は」
「まあ、確かにそうだけど」
さっきの式神の様子を顧みるに、正義の陽気は水実の足枷になりかねなかった。それで納得しきることはできなかったが。
「とにかく、相手に心当たりがない以上、もう話せることはないし、帰っていいわよ。本当は後手に回るの嫌いなんだけどね」
水実は肩をすくめた。表情にも不満が出ている。分かりやすい。
「そうか。じゃあ、俺は授業に戻るよ。まだ時間があるし」
終了宣言を聞いて、大幸はすぐさま背を向け、歩き出した。有紗を置き去りにするかのように、足早に。
「あっ、待ってよ。私も戻るね」
それを有紗が追う。しかし、いつもなら足を止めるような優しい性格のはずなのに、今の大幸はそうしなかった。どんどん歩いていく。逃げているようにも見えた。
「さてと。じゃ、あたしはちょっと距離置いて、敵を待つとするわ。ちょうどいいとこある?」
二人の背中を見送りつつ、水実は正義に尋ねた。あまり離れると、結界の効果で相手が鈍くなるとはいえ、襲撃に対応できなくなってしまう。半ばストーカーのように行動しなければならないのである。
「月原さん」
「ん、何よ?」
質問に答えず、自分に真剣な目を向けてきた正義に、彼女は首をひねった。いったいどうしたというのか。
「気づいたかもしれないけど、河竹くんは……、たぶん何か隠してるよ」
正義が告げる。本当はたぶんというより、間違いなくという気分なのだが、まだ確証がない段階なのでそうは言えなかった。
「隠してるって、何を」
「身近な人の死を君が訊いたとき、何か忘れられないことがあったような様子を見せてたんだ。気づかなかった?」
説明してから、問いかける。彼としては何気なく訊いただけだったのだが、
「も、もちろん気づいてたわよ。確かに、ぼーっとしてて変だったわね」
水実は、変に慌てて答えた。そのせいで逆に、気づいてなかったのがバレバレになっていた。
「そっか」
しかし、正義は苦笑しただけでわざわざ指摘しなかった。




