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終章 生きる

 あかりを消し去り、一息ついたのも束の間、続けてやらないといけないことがあった。

「白髪!」

 他でもない、正義の怪我の処置である。彼はとりあえず、左手で右手を持ち上げ、出血箇所を心臓より上にしていたが、水実は怒りの表情を浮かべた。

「バカ! まずは、腕をしばんなさいよ!」

「む、無理だよ。片手だけじゃ……」

 正義が、痛みと水実の怒声で身体を縮こませる。とはいえ、彼の言う通り、ただでさえ片腕で激痛が走っているのに、そのうえもう片方だけで傷口の上部を縛りつけるというのは難しい。

 言われて、水実もそれに気づき、

「いいわ、あたしがやる。ほとんど他人に応急処置したことないから、多少粗くても我慢しなさいよ」

 部屋の中から適当なタオルを見繕うと、肘と手のひらの間にある傷口よりも上、肩口よりもやや下にきつく縛りつけた。その間にも、じわじわ血が流れ落ちていく。

「村叉!」

「あいよー!」

 続けて、玄関に残しておいた式神を呼びつける。事態を詳しく把握していなかった鬼は、正義の腕に深々と食い込んだカッターを見て、眉間にしわを寄せた。

「っと……、そんなに騒いでいい状況じゃないみたいだねぇ」

「そっ。とりあえず、救急車を呼んで、あたしはこいつに付き添って病院まで行くから、この部屋とそこで寝たまんまのバカをお願い。霊力は、今渡すわ。手出して」

「なるほど。了解、了解。任せときな」

 真剣な面持ちでうなずくと、村叉は水実の差し出した手に自分の手を重ねた。霊力が流れ込んでくる。

「白髪、今から救急車を呼ぶけど、まだ耐えられる?」

 力を渡し終え、水実が手を離して、正義に問いかける。

「うん……。大丈夫」

 かなり苦しげな顔で答えられた。あまり平気には見えないが、やせ我慢だとしても、させておくしくしかない。

「ならよし!」

 水実は大きくうなずくと、

「携帯貸しなさい!」

 正義から携帯を引ったくって、救急車を呼んだ。




 翌朝、正義は真っ白なベッドの上で目覚めた。ぼんやりとした状態で、身体を起こそうとして、右腕が固定されていることに気づき、再び枕へ頭を預けた。

 すると、

「こらっ」

「あいてっ」

 頭をわりと強めに叩かれた。寝起きなので、脳に響く。首を右に曲げると、

「二度寝しようしてんじゃないわよ」

 白を基調とした私服姿に戻っている、水実がいた。

「あー、えっと、おはよう」

 とりあえず身体を起こして、挨拶した。意識がはっきりしてきたところで、右腕は固定されているのに加えて、感覚がないことを自覚する。

「ああ、右腕なら動かないわよ。麻酔が効いてるから。まあ、一生動かなくなったとかじゃないから、安心しなさい」

 右腕に目がいったのに気づいたのか、水実が口を出してきた。彼女の方を向いて、尋ねる。

「えっと、どういう手術をしたのか教えてくれない?」

「別に、出血を止めて傷口を縫合しただけとか、そんなんだと思うわよ。不幸中の幸いで、神経系には異常がなかったそうだけどね」

 右手をひらひらさせながら、返答された。詳細はあまり分からなかったが、

「とりあえず、大事にはなってないってことでいいのかな?」

「ええ。右手も二週間くらい安静にしてれば、大丈夫らしいし。使えないから、筋力は落ちるかもだけど」

「そっか」

 軽傷に分類されるであろうことは、確定できた。一度、大きく息を吐いたが、

「そうだ、河竹くんは!?」

 友人のことを思い出して、背筋を伸ばし直した。

「ああ、あのバカなら、有紗とあんたのお父さんの二人と一緒にいるわ」

「有紗と父さん?」

 流れが読めず、首をひねる。

「最初は二人共、病院に慌てて駆けつけてきたんだけど、あたし個人としてはどっちかというと、残してきたあのバカの方が不安だったから、向こうに行ってもらったの。村叉じゃ、そのうち霊力を切らして帰っちゃうのもあったし。それに、二人がタクシーで来た頃には、あんたはぐっすり寝てたしね」

「なるほど……」

 今度は、完全に力を抜く。父がいるというのが、心強がった。

 が、そうそう気を抜いていられない言葉が、水実から発せられた。

「朝になったら、三人でここに来るって言ってたから、そろそろ来るんじゃないかしら」

「えっ?」

 まるで、その発言に合わせたかのように、正義の眠っているベッドのカーテンが開かれた。

「まさちゃん!」

「おや、どうやら目が覚めたようですね」

 現れたのは、有紗と春雅だった。一方はベッドの正義に横から抱きつき、もう一方はにこやかな顔を向けた。

 そして、その二人の後ろから、

「……日高」

「河竹くん……」

 悲しそうに瞳を揺らしながら、大幸が入って来た。

「とりあえず、中に入りなさい」

 立ちすくむ彼を、春雅が中へ促す。おずおずと入ると、春雅がカーテンを閉めた。

「言いたいことがあるのでしょう? 自らの口で言いなさい」

 優しくも厳しい調子で言うと、大幸の背を叩いて、正義の前に押し出した。向き合い、二人共して黙り込む。

「なんで」

 しばらくして、先に口を開いたのは、大幸だった。

「なんで俺を助けてんだ」

 怒っているような、悲しんでいるような、複雑な表情を浮かべていた。

「河竹くん……」

「なっ、まだあんた、そんなこと言うの?」

 正義から離れた有紗と、反対側に座っている水実がかなり対照的な反応を見せる。言われた当人である正義は、どちらよりの反応でもなく、黙って大幸を見つめていた。

「なんとか言えばどうなんだ、日高」

 大幸が答えを迫る。距離自体は変わっていないのに、どこか威圧感があった。それでも、正義は口を開かない。

「日高っ!」

 正義の足元にあるベッドの手すりを掴み、今度は身体を前に倒して形相を厳しくする。それに対し、ようやく対峙している少年は口を開いた。

 しかし、

「……それだけ?」

 言葉は短かった。口調は今までと変わらない、穏やかなもの。なのに、言葉そのものではなく、彼の声に大幸はひるんだ。

「あ、ああ。それだけだ。あのまま放っておいてくれれば、俺とあかりは永久に一緒にいられるはずだった。それを邪魔したお前は、許せない」

 動揺しながらも、負けまいと続ける。その姿はとても感情的。ゆえに、

「ふーん」

 正義の落ち着き具合は、不気味さすらあった。

「ねえ、河竹くん」

「な、何?」

「もうやめてよ」

 そんな彼が、淡々と語り出す。

「君たちの愛情の形なんて、俺は知らない。でも、君が死を望むのは許せない」

「なっ……」

 はっきりとした否定を示され、大幸は眉をひそめた。彼に似合わないほど声を荒げ、食いかかる。

「なんでだ! お前に、俺の命のことへ口を出す権利はない!」

「確かに、“本来なら”そんな権利はないだろうね」

 顔色を変えてこなかった正義が、初めて変化を見せた。眉を下げ、ややうつむく。瞳は、悲しげに揺らめく。表した感情は、悲しみと、哀れみ。

「でも、僕はもう君と知り合ってる。一方的かもしれないけど、友達だとも思ってる。君の紡いだ縁の中に、もう僕は入ってるんだ。だから、君の生き死に口を出す権利はあるんだよ」

「何を、言ってるんだ?」

 大幸が戸惑いを見せたが、かまわず続ける。

「君の命は、君のものだ。でも、それはあくまで大前提でしかない。君の命は、君とつながるすべての人のものだ。君一人のものじゃない。つながった人たちの人生に、影響するんだから」

「そうね。池田あかりの死があんたに多大な影響を与えたように、あんたの死も複数の人に影響を及ぼす。例えば、あんたの前にいる二人とかね」

「そうだよ、河竹くん! 死にたいなんて言わないで! そんなの、あたしもまさちゃんも、嫌だよ!」

 両隣にいる女子二名も、同調する。

「……この通りだよ。君は、自分勝手に自分の命を扱うことを、許されてない」

 そして、正義は大幸の目を見て告げた。加えて、訴えかける。

「それに僕は、死にたくなかったのに死んでしまった人をたくさん見てきた。みんな、生きていたかったんだ。まだまだたくさん、やりたいことがあったんだ。なのに、生きている人間が自分の手で命を断ってしまうなんて、おかしいじゃないか。死者を冒涜してるよ」

 彼が、死者と対峙する仕事に携わっているがゆえの訴えだった。

「死者への冒涜? 違う! あかりは俺の死を望んでいた。俺は、死者の願いに応えようとしていたんだ。どこが冒涜なんだ」

 大幸が反発する。だが、正義は退かない。いや、退けない。自身の考えと、友人の生がかかっているために。

「それこそ違うよ。向こうの意思うんぬんじゃない。生きることができるのに、生きようとしないのがすでに冒涜なんだ。生きていけるなら、生きなきゃダメだ。自分の命を、精一杯に」

 ゆったりとしながら、強く真摯に語りかける。父を思わせるような、しゃべり方。どうしても、大幸に分かってほしかった。

「もうあかりさんはいない。だからって、すべてを捨てちゃだめだ。君にはまだ、たくさんのものが残ってる。死んでしまった人たちが、きっと持ち続けたかったはずのものが」

 それが最後の言葉だった。あとはただ、目を合わせて黙り込む。

(届いてくれ……)

 心の中で祈る。恐ろしく長く感じた時間の後、大幸の口が動いた。

「……お前とは、話しても無駄みたいだな」

 冷たい目をして、大幸はカーテンの外へ出ようとした。

(だめか……)

 もう言えることは言い尽くしてしまっている正義は、歯を食いしばって、見送るしかなかった。

 しかし、

「待ちなさい、君」

 ずっと沈黙を守っていた春雅が、呼び止めた。

「まだ何か」

「一つだけ訊かせてください」

 内心を見透かすかのように、細めた目を向ける。穏やかさには合わないものの、厳しさには合致する鋭い目だった。

「君は、本当に死にたいなんて思っているのですか?」

 問いかけた瞬間、大幸の呼吸が一瞬止まった。

「これまで、あなたは自殺しなかった。ですが、彼女の霊と出会い、請われたことで死んでしまおうと考えた。そして今、彼女の霊は消えた。本当に死にたいと考えているのなら、なぜあなたは、ここにいるのですか?」

「それは……」

 答えに詰まる。理由は難しくない。“ここ”にいることが、すべてだった。

「月原さんが呼び出していた鬼がいなくなってからは、あなたを見ていたのは老いぼれた私と、女性である有紗さんです。逃げ出して死んでしまおうと思えば、できたはずですよ」

 大幸は、何も言えずに立ちすくむ。まぶたは大きく開かれ、口は真一文字に結ばれていた。

 彼が本当に死にたいのなら、わざわざ正義の病室に来る必要などない。にも関わらず、今ここにいる。それがすべてなのだ。

「あなたは大切な女性の望みを考えるがあまりに、自分の感情に気づかないふりをしているのではないですか? 胸に手を当てて、考えてみなさい。今あなたは、死にたいなどと心の底から思っていますか?」

 春雅は手をゆるめずに、迫る。眼鏡の奥にある細目が、しっかりと彼を捉えていた。

「俺は……」

 反論しようとしているのか、大幸がつぶやく。しかし、後が続かない。

「自分をごまかしてはいけませんよ。“死”と相対すれば、己の感情が自然に分かります。心がなんと言っているか、分かっているはずです。それに、あなたはまだ若い。この老いぼれですら、まだまだやり残しがあるのですから、あなたもたくさんあるはずです」

 春雅はそう言うと、口を閉じた。誰一人言葉を発さず、動きすら、最低限である呼吸程度のものになる。

 少年を死なせまいとしている四人は、たった一つの解答を待っていた。

「俺は……」

 さっきと同じ出だし。正義たちに緊張が走った。そして今度は、言葉が続く。

「死にたくなんて、ない」

 紡がれたのは、心の底から引き上げられた、本音だった。

「恐いんだ。死んだら、何もない。幽霊の存在が本当だったところで、恐さは拭えない。理屈じゃないんだ」

 顔を歪め、強固な意思によって沈められていた思いを吐き出す。人ならば、いや、生きているものならばきっと感じるもの。

 死への恐怖。

「あかりが死んでから、生きているのが嫌になった。それなのに、死ねなかったんだ。恐ろしかったから。あかりの霊に会ってからもそうだった。どうやっても、それだけはなくならなかったんだ」

 それは、元から人間の心に刻み込まれているために、どれだけ強い思いを持っていたとしても、消し去ることができない。あかりへの絶対的な愛情を口にしていた大幸すら、例外ではなかった。

「自殺できなくても、あかりに殺してもらえば、問題なかったんだ。でも、あかりはお前らが消してしまった。裏切るわけにはいかないのに、もう俺は望みに応えられない」

 表情が沈む。彼の絶望感は、四人へ痛いほどに伝わった。

「応えられなくても、いいじゃないか」

 その中の一人が、口を開いた。大幸が半身を向ける。

「また、勝手なことを言うもんだな。日高」

 正義である。ベッド上で彼は、今にも泣きそうな顔をしていた。

「だって、それで河竹くんが死なないで済むなら、応えられなくていいじゃないか」

 姿も声も、情けないものだったが、心は伝わる。大幸にも。

「あかりの願いに、応えなくていいのか?」

 始めて、決心に迷いを見せた。

「うん。だって、嫌なんでしょ? 死って、大きすぎる選択肢だし、無理して選ぼうとする必要はない。あかりさんの意思には反してしまうかもしれないけど、亡くなってしまった人を幸せにすることはできない。でも、他の人たちを幸せにすることはできる」

 大幸を真っ直ぐ見つめ、告げる。

「今この世にいる人たちのために、生きてみてよ」

 死者と死者でない者。どちらのために、命を使うか。重大な二択を迫った。

「この世にいる人たち、か……」

 深くうつむく。

「あかりは、許してくれるのか?」

 問いかけられ、正義はかぶりを振った。

「もうあかりさんはいないから、それに答えられる人はいない。答える人がいても、想像でしかない。すべて君が決めるしかないんだ」

「俺が……」

「うん」

 正義がうなずく。死者の思いは、作り上げようと思えばいくらでも作れる。ただ、それが正しいかどうかは、絶対に分からない。本人が、いないのだから。

「あれだけ、俺に死を迫ったんだ。許しては、くれないだろうな」

 足元を見つめたまま、大幸はつぶやく。彼にとっての真実を。

 許されない。しかし、恐怖のために死ぬことができない。道は、決まっていた。

「仕方がないな。……生きるよ。生きて、俺が生かされた意味を探す。あかりの望みに応えられなかった分、俺の人生にそれに見合う価値がないと、あまりに悲しいから」

 そして彼は選び取る。愛した少女の願いに反するものを。

「これで、お前は満足だろ、正義」

 どこか皮肉めいた調子で、正義に悲しげな笑みを向ける。目を逸らさずに、正義は言葉を返す。

「僕はね」

 たった一言、それだけを。

「……だろうな」

 大幸は、いつもの儚げな笑顔を残し、カーテンの外へと出て行った。

「あっ、河竹くん!」

 有紗が、後を追う。正義のところには、水実と直斗が残った。

「これで、よかったのかな」

 三人になって、最初に口を開いたのは正義だった。出てきたのは、迷いの感情。

「いいに決まってるわ」

 答えたのは、水実だった。毅然たる表情で、正義を見る。

「生きてる奴が、無駄に命を捨てるなんてなんの意味もない。生きてればいいことがあるなんて綺麗事はさらさら言う気はないけど、死んだらなんにもない。誰かを救うことができる可能性も、誰かに救われる可能性も、すべてなくなる。命があるなら、最後の最後まで必死に生き抜かないと駄目。何があるか、誰にも分からないんだから」

「それはそうだけど……。みんながみんな、そんなに強いわけじゃないよ」

 賛同しつつも、正義は目線を落とし、人の弱さを指摘する。誰もが必ず、正しいと思えることを実行できるとはかぎらない。

「分かってるわよ、それくらい。だから、あたしたちみたいに、生き抜くことにある可能性を知っている人間が、バカどもを説得しなきゃいけないんでしょうが」

 水実はその懸念に対する答えを、迷いなく口にした。凛々しい表情から、上辺だけではない、心底からの感情であることが感じられた。

 正義は、しばらくぼんやりと水実を見てから、

「本当に、強いよね。月原さんは」

 軽くうつむいて微笑した。

「別に、そんな強くないわよ。他の人間が弱すぎるだけ」

 それに対し、彼女は肩をすくめて見せた。

「どいつもこいつも、なんでもかんでもすぐにあきらめすぎなのよ。失敗の公算が高かろうと、挑戦しなきゃ、絶対に成功はない。人生だって、生きていなきゃ、幸せの可能性は必ずゼロ。死ぬことに意味なんてないわ」

 なんでもないように言い切る。彼女にとって、当たり前のことであるから。

「まあ、霊っていう歪な形でも、確かに存在しているものを消し去っているあたしたちが言うことでもないかもしれないけど」

 それから、自嘲気味に唇の端を持ち上げる。悲しげというよりは、呆れ気味だった。

「とにかく、これでよかったのよ。それとも、あんたはやっぱり、恋敵だからあのバカには死んでほしかった?」

 続けて、意地悪い笑みを近づけ問いかける。正義は、静かに目を閉じ、否定を口にした。

「……いや。河竹くんは、友達だ。死んでほしいわけ、ない」

「なら、ぶつぶつ言うんじゃないわよ。あんたにとってこれが正しかったなら、それでいいんだから」

 返答を聞き、正義から離れた水実の笑みが満足そうなものに変わる。彼女らしい快活さがあった。

「かなわないなあ」

 正義がため息混じりにつぶやく。

「ん、今なんて言ったの?」

 水実が訊いたが、

「ううん、別に」

 彼は答えなかった。

(変な奴)

 頭の中で水実は思ったが、口には出さなかった。

 二人の会話をじっと聞いていた春雅は、一段落したところでそっとカーテンの外へ出た。

 一人思う。

(若いですね、本当に。あの真っ直ぐさを、私は守っていかないと)

 それは、自分なりの決意。大人である自身へ課す使命だった。

 それから、息子を助けてくれた少女のことへ考えを移す。

(それにしてもあの子、どうやってトドメを刺したのかは言いませんでしたが、河竹くんの部屋の霊力の痕跡から見て、おそらく中堅の妖怪を呼び出したに違いありません。ますます素性が気になりますね)

 廊下へ出た彼は、売店への道すがら、頭を回転させていった。

「父さん、トイレでも行ったのかな?」

「さあ。というか、あの人どんだけ気配消せるのよ。ずっといたのに、かけらも意識しなかったわ」

 残った二人は、さっきと一転し、のんびりとした雰囲気で会話していた。

「そういえば、父さんと有紗は河竹くんの家にいたんだよね」

「そうね」

「じゃあ月原さんは、ずっとここにいるの?」

「そうなるわね」

「そっか。……ありがとう」

 素直に感謝すると、

「なっ、感謝なんていらないわよ。私はもう消耗してたから、あの二人に行ってもらっただけだし」

 やはり水実は、素直に受け取らなかった。なぜか焦り気味に、あれこれ言い並べる。

「それでも、ずっと居てくれたんでしょ? だったら、やっぱりありがとうだよ」

 彼女の抗弁をもろともせず、正義は優しい笑顔を向けた。

「……っ」

 真正面から見れず、水実は顔を背ける。

「どうかしたの?」

 正義が首をひねる。右腕が固定されてるので、覗き込むのは無理だった。

「べ、別になんでもないわよ」

 感謝されるのも、笑顔を向けられるのも慣れていない彼女は、ちらっと正義を一瞥すると、すぐにまた目線はずしうつむいた。

「なら、いいけど」

 動作の意味を理解できず、彼は頬をかいた。

「……誰も戻って来ないね」

「そうね」

 ゆったりと時間が流れる。正義の持つ雰囲気のせいなのか、どこまでも穏やかだった。

 戦いを終えた者たちに許される、安らぎだった。

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