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十一章 欲望

 正義たちは、大幸の部屋の前に立っていた。正義がドアノブへ手をかける。黒い霊力がその手を拒み、電気のようなものが爆ぜたが、彼の予想の範囲だったので、陽気を込めて抑え込んだ。

「抜かりないねぇ」

「まあ、こっちにも言えることだけどね」

 感心というよりは、呆れたように、村叉は敵の用意のよさに対して、そう漏らす。言葉を返した水実は、真剣な面持ちだった。

「鍵はやっぱり開いてないか。月原さん」

「分かったわ。ちょっと下がってなさい」

 彼がドアの前から身を引くと、正義の呼びかけに応え水実は御札を投げた。正義によって、拒む霊力を奪われたドアに張り付く。水実は、人差し指と中指を立てた状態で胸の前へ右手を持ってくると、目を閉じた。

「は!」

 力強く声を上げると、御札が爆発し、ドアは部屋の内側に吹き飛んだ。

「はあー、派手にやるねぇ」

 村叉が明るい声を出し、爽快に笑った。

「さ、行くわよ」

「うん」

「あいよ」

 それとは対照的な鋭い目をした水実に言われ、他二人が従う。ドアの上を歩いて、中へと踏み込んだ。

 玄関から入ると、いきなり左手側にキッチンがある。右にはトイレと風呂場。あと、中が物置だと思われる横へ滑る仕切りがあった。そして正面には、リビングへと続く扉が不気味に存在した。

「今はドアをぶち壊したから、だいぶマシだけど、完全にあの女の支配下になってるわね。やな空間」

 しかめっ面で、水実が吐き捨てるように言う。部屋全体に、悪意に満ちた霊気が広がっていた。

「……持ち主は、あの向こうだね」

 少年が、硬い表情でリビングへ通じる扉を凝視する。黒髪の少女と、その式神である小鬼も同じように目を向けた。

「そうね。二重に空間を閉ざすとか、いかにもあの性悪が思いつきそうなことだわ」

「はっ。結構じゃないかい。そういう奴の方が潰しがいがあるってもんさ」

 二人の発言の後、

「行こう」

 正義が静かに踏み出した。二人が、何も言わずに続く。

 扉の前に来たところで、

「またトラップかな?」

 正義が二人の方へ振り向いた。玄関のドアのことを考えると、また何かしらの仕掛けがあると考えるのが自然だった。

「触ってみれば分かるわ」

 水実は、かったるそうに返事をする。確かにその通りなのだが、さっきと同じようにするのは気が引けた。頭のどこかから、警鐘が発せられていた。

「ほら、早く入りなさい。そうしないと、何も変わらないわよ」

 しかし、水実は何も感じていないらしく、先を促してきた。正論なため、正義は従うしかない。さっきのように霊力の防壁を右手に作って、扉に手をかけた。

 と、力を込めるよりも早く、扉が勝手に開き、部屋が三人を中に吸い込んだ。

「なっ!?」「きゃあ!」「うおっ!?」

 各々が驚きの声を上げ、次の瞬間には身体が宙で回転し、背中から床に転がった。鈍い痛みが走る。思わず呻き声が漏れた。

「あははは! やっぱり来た!」

 身体を起こす三人の耳に、狂った笑いが届いた。主は、見るまでもない。一人しか可能性はなかった。

「……ずいぶんなお出迎えね。やっぱり、あんたは気に入らないわ」

 すでに死人となっているその少女を、水実は睨みつけた。視線の先で、誰の身体も借りていない、本来の姿で顕現している悪霊が、気味悪く口元を緩めていた。

 池田あかり。

「それは奇遇だなあ。私も気に入ってないから、ちょうどいいね」

「そうね。完膚なきまでに叩きのめすには、これ以上なく好都合だわ」

 罵り合いの間に、三人共、身を起こす。正義は友人の姿を真っ先に探した。目的の少年は、半透明の身体を持つ少女の足元に、うなだれて座していた。

「大幸!」

 名前を呼ぶが、反応はない。“死”の文字が頭をよぎる。

「心配しなくても、まだ死んじゃいないわ。完全に、思い残しはなくさなきゃいけないもの。私のことだけを考えられるようにね」

 それを察し、あかりは楽しげに目を細めた。明るいがゆえに、残酷な響きを含む。

「前に、あなたに取り憑いて、他の女に優しくしてる大幸をいっそ殺してしまおうともしたけど、やっぱりそれじゃいけないと思うの。大幸が私のために、自分から死んでくれるようにならないとね」

 正義を指差し、歌うように語ると、恐ろしいほど綺麗に笑った。退治せんとしている三人は、背筋に悪寒を感じた。

「……また、ずいぶんとイかれ具合が進んでるわね」

「だねぇ。もう、更生の余地もないってとこか」

 水実と村叉が、揃って表情を歪める。どちらも、嫌悪感を隠さない。

 一人、正義だけは部屋の様子を観察した。当然ながら電気などついておらず、窓から差し込む、月と街灯の端の明かりだけが部屋を照らしている。そのため薄暗い。

 微かな明かりを頼りに、ものの配置を見てみるがわっている部分はない。また、今のところは目立つものもなかった。

 そして、出入り口である扉へ目をやる。正義たちが吸い込まれた場所だが、

「なっ……」

 知らぬ間に、閉まっていた。慌てて周囲を確かめるが、完全に空間として外部と断絶されていた。

「気づいた? あなたたちを中に入れてから、すぐに扉を閉じたの。窓もガラスの硬度をいじったから、そう簡単には壊せない。つまり、私の独壇場」

 あかりが機嫌よく語る。正義たちとしては、まったくありがたくない情報だった。

「村叉!」

「あいよっ!」

 聞いてすぐに、水実が村叉に呼びかけ、扉の反対側にある窓に斬りかからせる。しかし、

「あっ、ダメダメ」

 本棚がいくつか宙を舞い、室内唯一の窓を守るような位置に落とされた。物理的に道を塞がれ、村叉が足を止める。

「ちいっ。なんだい、面倒だねぇ」

 刀を振り下ろし、悪態をついた。

「強化したのに、わざわざ防御をするのね」

 相棒を横目に、水実が疑問を口にした。窓の強度を上げてあるなら、守る必要はない。

「警戒はしておくべきでしょ? それに、強化は別に内側からの攻撃だけに備えたものでもないし」

「なるほどね」

 敵の回答に納得する。つまりは、窓の強化は外からの衝撃にも備えているのである。水実の頭に、昨晩正義が有紗の部屋へ強引に飛び込んできた様が浮かぶ。他の協力者への警戒心が見えていた。

「なんだかんだ言っておきながら、結局のところ不安てわけね。余裕ぶってるとか、ダサいわ」

 真っ直ぐにあかりを睨みながら、嫌味を吐く。相手は、眉をわずかに動かしたが、

「なんとでも言うがいいわ。どうせ、死ぬのはあなたたちなんだから」

 気味悪い笑みは崩さなかった。

「言ってなさい。あんたごときに殺されやしないわ」

 強気な発言に対し、真っ向から言い返す。負けず劣らず、力がこもっていた。懐から、御札を出す。

「死者が生を脅かすんじゃないわ。さっさと成仏しなさい、悪霊」

「あははは! 言ってくれるじゃない。だったら、成仏させてみなさいよ、陰陽師!」

 あかりが声を上げると同時に、部屋に満ちた霊気に含まれた殺気が、さらに刺々しく変化した。彼女の周囲に、本からベッドまで、大小様々なものが浮かび出す。

「来るわよ、白髪。“準備”は済んでるわね」

「うん、“できてるよ”」

 二人、いや、村叉を含め、三人だけが理解できるニュアンスを込めた会話が交わされる。

「大幸には、私だけがいればいい。誰も彼も、死んでしまえ!」

 狂気の声が上がると共に、宙に浮いた殺意が、三人へ飛ぶ。開戦の合図としてはもの足りない光景でも、命を奪うには十分な威力を持っていた。

「はっ!」「甘いねぇ!」

 黒のコンビが、御札と刀で第一陣をさばく。殺意を削ぎ落とされたものは、音を立てて床に転がった。

 一方、二人の間に立つ正義は、まったく加勢する様子を見せていない。ただ、手には御札があり、真ん中に円の中に五芒星という図形が書かれていた。

「護りの力よ……」

 正義の口が静かに動く。強く光が瞬いた。強力な陽気の護りの陣が発動する。ただし、陰気の力を主として戦っている二人は守護陣に入れない。

「何……?」

 その力の大きさに、あかりが反応を示す。攻撃の手が少し緩まった。

「へえ。ずいぶんと強力な結界だこと」

 目の前に張られた結界を把握し、目を細めてつぶやいた。見下したような笑顔ではあったが、その実、目だけは笑っていない。

「でも、陽気が強すぎるんじゃない? あなたしか守れないわよ」

 それをごまかすかのように、明るい声を上げる。同時に、結界の力を確かめるため、本をぶつけた。火花のごとく光が飛び、正義の立つ場所より、かなり手前で本は殺気ごと弾かれ床に転がった。

 いましがたの衝撃に一瞥もくれず、正義はゆっくりと顔をあかりへ向けた。

「いいや、僕だけじゃないよ」

 敵とは対照的に、かなり静かにしゃべる。彼の両横で必死に攻撃を撃ち落としている二人の姿も相まって、彼の落ち着きようは異様にすら見えた。

 一歩、前へ踏み出す。

「もう一人、護れる人、いるよ」

 さらに一歩。

「そこに!」

 そして、駆け出した。目標は、敵ではなく、助けなければならない、友人。

 大幸目掛けて、彼は走った。

「なっ!?」

 ずっと笑みを浮かべ続けてきたあかりが、顔を強張らせた。その間に、正義は大幸との距離を詰める。

「……っ! 大幸は渡さない!」

 ようやく我に帰り、一気に距離を詰めてくる正義へ攻撃を集中させる。一撃ごとに、結界が歪む。いくら強力といえど、あかりの霊力も強いので、完全には無効化できない。それでも、正義は揺るがなかった。

「ちぃ!」

 直接的な攻撃では止められないと判断し、物で壁を積み上げようと試みる。しかし、高さが足りない。いくら本を積んだところで、脇に逸れられてしまえば意味がない。かといって、窓への道を空けるわけにはいかない。

 結果として、大幸を取られるのは仕方がなかった。

「河竹くん!」

 友人の隣に滑り込み、正義がすぐさま肩に手を回し持ち上げる。攻撃は、大幸を結界内に入れてなお激しいが、まだ保つ。

「白髪! さっさとこっちに退きなさい!」

 と、少女の大声が飛んだ。攻撃が正義に集中したことで、他の二人もあかりとの距離を詰めていた。

「くっ!」

「逃がしゃしないよ!」

 それに気づき、あかりが大幸を一旦あきらめ距離をとろうとした。逃がすまいと、村叉が斬りかかるが、

「やらせないわ!」

「ああ、もう、うざったいねぇ!」

 側面から飛んできたハサミへの対応を迫られ、うまくいかなかった。

 あかりが離れ、ちょうどさっきと位置関係が逆になる。水実は正義と大幸を護るような場所へ立った。

「そいつ、ちゃんと生きてる?」

 御札を構え、正義には背を向けながら尋ねる。彼女の右手側では、村叉が姿勢を直していた。

「うん、大丈夫。悪い霊力に晒されてたせいで、弱ってはいるけど、命には関わらない程度だよ」

 答えつつ、守護陣の中心を司るお札を、大幸の手に移す。少し柔くなっているが、結界としての力は十分に残っていた。自らは、その中から出る。水実の左手側に並んだ。

「とりあえず、一つ目は成功かな」

「そうね。この調子でいくわよ」

 白と黒が連なり、言葉を交わす。大幸の安全確保という最優先事項を終え、本格的な臨戦態勢に入った。

「……殺す」

 恋人を奪われたあかりが、今までの笑みを完全に消し、目をぎらつかせる。表情にはもう、少女らしさなど残っていない。あるのは、悪霊としての殺意に満ちた、醜い姿だった。

「そうだわ。あなたたちを殺せば、今は大幸を取られていても関係ない。取り返せばいいんだもの。殺す、殺してやる」

 部屋の中を、よりいっそう強い悪意が浸食していく。

「こりゃ、とうとうイカレちまったか。どう見ても、立派な悪霊だよ、ありゃあ」

「別に、ああなる前から悪霊よ」

 顔をしかめた村叉に対し、水実は表情を変えずに言い放った。話題にするにも値しないというように。

「はっ、言うねぇ。まあ、まったくその通りだけどさ」

「でしょ? 悪霊はあくまで、悪霊。元がどれだけ善人だったとしてもね」

 わずかに口角を上げた式神の言葉に、主人たる少女はそう口にした。

「ごちゃごちゃうるさいわ。あんたたちなんて、黙って死んでいけばいいのよ」

 その悪霊が会話を遮断した。再び、彼女の周りのものが重力を失っていく。

「さっさと死んじまえ!」

 ヒステリックと言っていい叫びを皮切りに、一気に色々な物体が三人目掛けて飛んだ。

「単調な繰り返しね。冷静さをなくしたら負けだって、知らないのかしら」

「さあてねぇ。こっちが有利になるなら、気にしなくてもいいだろ」

 余裕そうなやり取りをしつつ、水実と村叉は最大限の集中を敵の攻撃に向けた。

 正義も、自身の陽気の力を手元の御札に込め、集中する。

 そして、雨のごとく、怒涛の攻撃が彼らに降り注いだ。

「ふっ、やっ!」

 村叉は、身の丈に合っていない刀を自在に動かし、

「ああ、もう! 面倒臭い!」

 早くも悪態をつきながら、水実が御札で、飛んできた物体から殺意を落とし、

「わっと」

 正義も、御札で飛んでくるものをいなしていき、三人共が、攻撃に対応していく。

「ふっ!」

 正義が写真立てに御札を投げ、霊力の支配から解放したところで、第一波と思われる分は、すべて処理された。

「ぐっ……」

 あかりが、苦々しそうに下唇を噛む。一方、向き合う三人には余裕が見えた。

「まあ、人体の乗っ取りと、ポルターガイストだけしかできないんじゃ、この程度ね」

 真ん中に立つ水実が、無表情のまま嫌味を口にする。

 それから、正義に横目を向け、

「白髪、あいつの媒体、どこにあるか分かる?」

 あかりの存在の源である、媒体の場所を尋ねた。おそらくは、大幸がもらい受けた、少女の遺骨の一部の在処を。

「霊力が満ちすぎてて、追いづらかったから、百パーセントではないけど、たぶん……」

 腕を持ち上げ、指を“それ”に向ける。様々なものが飛ばされている中、それなりの威力があると思われるのに、ずっとあかりのそばで浮いているもの。常に他のものもあることでカモフラージュはしているが、正義は見逃さない。

「あの中だよ」

 それは、大幸のカバン。

「……っ!」

 指差した瞬間、一瞬ながらも、あかりの表情が歪んだ。正解だと言っているに等しかった。

「カバンの中か。遺骨を常時持ち歩くとか、ずいぶんとあいつも変態的なことしてたのね」

 水実が、呆れ気味な声を出し、眉をひそめる。嫌悪感も混じっていた。

「それだけ、高橋くんにとって大切な存在だったんだよ。僕には、責められない」

 そんな彼女に対し、正義は大幸へ理解を示した。わずかにうつむく。頭にあるのは、自らの想い人。

「ただ、その人は悪霊になってしまっていた。だから、想えば想うほど、その悪意に力を与えてしまうことになったんだ」

 顔を上げ、二つの瞳を向ける。

「力の源は遺骨。でも、そこに力を生み出していたのは、高橋くんの想いだった。それはとても純粋なもの。だからこそ、これ以上、悪意にはさせない」


 御札を手に、身構える。静かに、強い陽気の霊力が彼の身体から溢れた。

「あんまり燃えすぎないでよ。あたしはともかく、村叉には、あんたの力はあんまりよくないんだから」

 そこに、水実が注意を入れる。彼の力は、あかりに有効であるが、村叉にも必要以上に効いてしまいのである。

 と、

「ねえ、そっちのあなた」

「えっ……?」

 沈黙していたあかりが、正義に話しかけてきた。本人より先に、水実と村叉が警戒心を抱く。

「白髪、耳かしちゃだめよ。悪霊の言葉に真実はないんだから」

「水実の言うとおりだ。まともに聞く意味なんざない」

 言われるまでもなく、正義は百も承知で、とりあう気はなかった。

 話題が、たった一つそれでさえなければ。

「あなた、大幸に嫉妬しているでしょう?」

 正義が、明らかに動きを止めた。

「あはは! 図星みたいね!」

 その反応を見た瞬間、悪意の塊となった笑みが、彼に向けられた。

「大幸といた、私が殺そうとしてるあの女の子、あなた好きなんでしょ? 大幸が生き残っていいの?」

「揺さぶられるんじゃないわよ、白髪!」

「そーだよ! 呑まれちゃだめだ!」

 あかりのたたみかけに対し、水実が声を上げる。村叉も続いた。

 だが、正義は完全に耳を傾けてしまっていた。

「大幸があなたたちをここに連れてきたときも、大幸の笑顔へのあの女の子の態度を見て、強く嫉妬したでしょう。あのとき、あなたは私にやすやすと乗っ取りを許すほど、大幸への悪意を持った!」

「あのとき乗っ取られかけた理由が、嫉妬……!?」

「あら、何も知らないのね、あなたは」

 昨日、彼が乗っ取られかけたのは、単純に油断したためと思い込んでいた水実は、目を見開いた。そんな彼女に、悪霊が勝ち誇った笑みを向ける。

「そうよ。この男は、大幸を助けに来ておきながら、本当はいなくなってほしいと思っているのよ。自分の欲望のためにね」

 それから、甘ったるい声で正義に語りかける。心を乱す、魅惑的な囁き。

「でも、欲望を持つのは悪いことじゃないわ。人間は、そういう生き物だもの。好きな人に他の異性を見てほしくないと思うのも、当然のこと。後ろめたく感じる必要はない」

 甘言という魔の手が、正義の心中へと伸びる。彼の心は、平静を保てなくなってきていた。

「いい子ぶるのはやめましょうよ。私に協力してくれれば、あなたとあの子の仲は保証してあげる。難しいことじゃないわ。大幸を殺せば、あの女の子の心に必ずあなたが入り込める穴が空く。そこに飛び込めばいいだけ」

 あかりがしゃべるほどに、正義の息が激しくなっていく。

「聞くな!」

 水実が、強めに頬を叩く。それでも、すでに敵に捕らわれかけている彼は、反応を示さない。

「ちっ! やめな、性悪!」

 状況のまずさを、十分すぎるほどに理解していた村叉が、打開のため、あかりに向かって駆け出す。

「邪魔するんじゃないわよ、非力な小鬼風情が」

 その猛進をくじくため、攻撃の手を村叉に集中させる。乗っ取りに力を割いているとは思えないほどの量が、式神へ降り注ぐ。

「なっ……!?」

「村叉!」

 戦局に焦り、一人飛び出してしまった結果だった。水実が援護をしようとしたが、いかんせん数が多すぎる。三人でさばいていた量が、一気に襲いかかったのだ。教室で戦ったときは一人で対応していたとはいえ、今は部屋が狭い分、影響の度合いが強いため、手が足りない。

「そこで寝てなよ」

 そして村叉は、悪意の雨に呑まれた。

「ぐあああ!」

 聞くに耐えない叫びが上がる。打撃音が絶えたとき、水実の目には、さまざまなものが散らばっている真ん中に、ぼろ雑巾のように転がっている式神の姿が映った。

「村叉!」

 攻撃されるリスクも忘れ、慌てて駆け寄る。呻き声を漏らしていた。

「ふふ……」

 あかりは不気味に唇の端を持ち上げ、再び正義へ語りかける。彼を、手中に収めるために。

「どう? いい話だと思わない? 私は大幸と死んでゆけるし、あなたはあの女の子と結ばれて、最後には、全員が幸せになれる。最高じゃない」

 優しく、妖しい声が部屋に響く。操るために、霊力を含んでいた。じわじわと、正義を蝕んでいく。

「白髪! そいつの話を聞くな!」

 腕の中に傷ついた村叉を抱えながら、叫ぶ。しかし声は届いておらず、彼の目はあかりしか見ていない。

 そちらになんの反応も示さず、あかりが立ちすくんでいる少年に近づいていった。遺骨が入っているカバンは動かさない。耳元に顔を近づける。

「私に身体を委ねて。そうすれば、あなたの欲望は叶うわ」

 透けた手が、彼に伸びる。

「やめろ!」

 水実が複数枚の御札を、一気に投げる。実質的に、最後の抵抗だった。

 だが、

「無駄無駄。あなたは、おとなしくしてなよ」

 あっさりとただの紙屑にされてしまった。力なく、床へと落ちる。次の攻撃は間に合わない。ほんの少しの遠さが、絶望的だった。

 あかりはすぐさま向き直り、再び奈落へと彼を誘う。口調は、気味悪いほど明るい。

「さあ、受け入れなさい。願いを叶えましょう」

 囁きのあと、彼女の身体は正義へ入り込んだ。静寂が訪れる。

 やがて正義の口から、

「あははは! いい男! 自分の欲望にとても忠実! とても気に入ったわ!」

 彼の声で、彼の口調ではない言葉が発せられた。

「あのバカ……!」

 水実が苦虫を噛んだような顔になる。

「霊力も多いし、あんたに有利な陽気の力。これ以上ないほど、好都合だわ」

 対照的に、あかりはもう勝利同然のごとく、声を弾ませていた。

「どういうこと? 陰気のあいつには、陽気は毒のはずじゃ……」

 陽気の霊力に喜びを見せる陰気の悪霊を見て、水実は疑問を口にした。

「あいつが乗っ取った白髪の身体を、間に挟んでいるからさ」

 答えは、腕の中から聞こえた。

「村叉!?」

 片目をきつくつぶり、痛みをこらえている式神のものだった。

「あいつは、“陽気を使える身体”を乗っ取ったんだよ。陽気の霊力を使うのはあの白髪だから、乗っ取った悪霊には影響しない。あくまで、あの性悪女は身体を操っているだけだからねぇ」

「なるほどね。本当に、面倒なことしてくれたわ」

 村叉の説明で理論は分かったが、それで打開策が浮かんだりはしない。むしろ、状況の悪さを突きつけられることになった。

「ふふ。どうするの、陰陽師。夕方はあなたが勝ったけれど、今はあの時と比べものにならないほど私が有利よ」

 自分を睨みつける黒き陰陽師の少女に、先ほどまで味方であった白き陰陽師の少年の残虐な笑顔が向けられる。普段は柔和である彼の顔であるがゆえに、余計に悪意が際立っていた。

 そして、もう一つ際立つものがある。

「……なんか、あいつの顔であんな風に笑われるのはムカつくわね」

 水実の苛立ちだった。昨日彼と出会ってから、わりと理不尽に当たっていたが、特に今は、眉間のシワの寄り方がすさまじい。

「……さすがに同意しかねるよ」

 この状況下でなお“正義”に反発する主人に、村叉は呆れを通り越して苦笑いするしかなかった。同時に、まだ心理的に追い詰められていないのであろう言動に、安心する。水実は戦う気力を失っていない。

「あはは! それはいいわね。あなたが嫌がるなら、いくらでも笑ってあげる!」

 水実の反応が愉快だったらしく、あかりは朗らかな声を上げる。悪霊の発したものだが、声自体は正義のものなので、余計に水実の苛つき度合いが増した。

「あー、うざったいわね!」

 ヒステリックに叫ぶと、

「ちょっとごめんね、村叉」

 抱きかかえていた村叉から手を離し、腰を上げた。正義に真正面から向き合う。

「……何よ?」

 あかりは自分の対面に立った少女を、文字通り見下した。訝しげにするが、余裕の態度は崩さない。

「日高正義!」

 その呼びかけを無視し、水実は初めて少年の名を呼んだ。いきなり張り上げられた声に、あかりがひるむ。かまわず続けた。

「あんた、散々いい子ぶっておいて、何よそのざまは! 私とあのバカを殺して、そうして有紗と結ばれるとか、本当にあんたの望みなの?」

「あ、あははは! 何を真面目に語っちゃってるの? 無駄よ。あの男の意識は今、私の支配下。あなたの言葉なんて、届きやしないわ!」

 我に戻ったあかりが、高らかに笑う。それでも、水実はしゃべることをやめない。いや、やめるわけがない。

「うっさいわよ! 今、あんたには用はないの!」

「はあ!?」

 次に水実が口にしたこの言葉に、理由は集約されていた。

「あたしはね、あんたにも相当腹が立ってるけど、今はあんたの中のバカに猛烈に腹が立ってんのよ!」

 なぜ水実が、話すのをやめないか。難しくもなんともない。ただ、正義に対して“キレている”だけなのだ。

「だいたい、意味分かんないのよ、あんたは。いちいちあたしのすることに意見してくるし、そのくせはっきりしないし、男のなのになよなよしてるし。なのに強い力を持ってるとか、本当に気に入らない!」

 言いたい放題言い出した水実に、あかりは笑うのも忘れ、ぽかんと口を開けた。命が危ない状況だというのに、今、敵たる少女が口にしているのは、誰がどう聞いても明らかに愚痴だった。

「そもそも、あんたといるとあたしのペースが乱れるのよ。早く動けばいいのに、小難しくあれこれ考えるし、あたしに従えばいいのに、待ったかけてくるし。イライラするったらありゃしない!」

 不満が次から次へと出てくる。思ったことはすぐに言う主人の性格を重々承知している式神は、

「ずっとあれこれ言ってたくせに、どこに溜め込んでたんだか……」

 これだけ文句を並べられていることに対し、のんきに首をひねった。

「しかも、せっかくこのあたしが不本意ながら、力を認めてあげて、プライドを投げ打って協力させてあげたっていうのに、なんなのよ、この失態は! ふざけてんじゃないわよ!」

 出だしより、さらに熱がこもる。あかりはまだ呆気にとられていて、村叉は元々止める気がないので、もはや垂れ流し状態だった。

「まったく。そりが合わないったらないわ。操る力が陰気と陽気ってだけでも相性最悪なのに、性格まで合わないんだもの。やってらんないわよ」

 そう言って、彼女は御札を手にした。あかりが気づき、ぼんやりとしていた状態から抜け出す。すぐさま攻撃する。

「やらせるか!」

 正義の身体を操り、陽気のこもった御札を、何枚か水実へ投げた。陰気使いである彼女には、毒以外の何物でもない。

 しかし、それらが水実の身体に届くことはなかった。

「なっ……」

 あかりが息を呑む。地面に、彼女の放った御札が、音もなく落ちていく。“水実の放った御札”と一緒に。

「邪魔すんなって言ってるの。日本語ぐらい分かるでしょ」

 半身で右手を身体の前に出しているという、お札を投げたあとの体勢で、水実はあかりを睨みつけた。

「ば、バカな! あなたの陰気は、陽気に弱いはずじゃ」

 予想していなかった光景に、あかりは焦りを隠せない。その姿を見つつ、村叉が頭の中で思う。

(そらそうだろうさ。確かに、あたいらは陽気に弱いけど、“陽気も陰気に弱い”んだから。河竹だっけか。あいつからの情報だけしか受け取っていなかったから、勘違いしたみたいだねぇ)

 ただ、彼女も水実も口には出さなかったので、あかりは混乱したままだった。

「いい加減にしなさい、日高正義」

 うろたえるあかりを無視し、再び彼女の中に沈められた少年の精神に向かって話しかける。

「あんたは、そんな奴に乗っとられるほど弱いの? あたしが協力を求めてあげたのは、もっと強いあんたよ。悪霊なんかに乗っ取られず、あたしがムカつくくらい効果的な守護陣を張れる。そういう奴よ。自分の欲望に溺れて、大切なものを失う人間じゃない」

 愚痴が、純粋な語りかけに変わる。ただ、彼女の素直な思いであることには変わりない。

「無駄だって言ってるでしょう! あなたの声なんか届きやしない!」

 混乱を脱しきれていないながらも、あかりが吠える。もう一度、陽気を込めた御札を投げつけた。真っ直ぐに、正確に、水実へと向かっていく。

「うるさいって……」

 と、その攻撃対象が、額にしわを寄せ、眉をひそめ、唇を曲げた。現れているのは、大きな嫌悪感。多くの御札を、その手に持つ。

「言ってんのよ!」

 叫ぶと同時に、自分めがけて飛んでくるものへと、それらを投げつけた。閃光がほとばしり、双方の御札が地へと落ちる。

「また……!」

 二度目の光景に、あかりは顔を歪めた。ただ、先ほどとすべて一緒ではない。

 彼女がそれに気づいたのは、

「何!?」

 すでに防御の間に合わない範囲に入られてからだった。

 正体は、自分めがけて飛んでくる、一枚の御札。閃光の瞬間に水実が放ったものだった。

 最初に入り口をふっ飛ばしたのと同一であるそれが、あかりが乗っ取った正義の胸にたどり着く。触れると同時に、「はっ!」と、水実が声を上げた。

 瞬間、

「ぐああああ!!」

 爆発音と共に、男の叫びがこだました。身体が、壁へと飛ぶ。

(経験と力の差だねぇ。白髪は本来、護りの方が優れてる。でも、あの悪霊がその方法を理解できてない。便利な機械があっても、説明書がなけりゃ、動かせないからねぇ。ましてや、人間の操作なんて器用なことを、この短時間で取得しきれるわけがない)

 一連の出来事を、村叉は何も言わず見ていた。刀を杖代わりに、身体を起こす。

 そして水実は、吹き飛んだ正義の身体の方へ近づいていく。呻く“彼”を、鼻息荒く見下ろした。

「自分の力で立ち直ってみなさい。私にここまで言わせたんだからね」

「ぐっ……。だから、いくら話しかけても……」

 あかりが言い返そうとしたが、途中で止まってしまった。

「うあっ……? な、何よこれ。そんな、バカな……」

 急に、今さっきとは違う苦しみ方を見せだした。

「当然ね。あたしを無視なんてしたら、打ち首ものよ」

 期待どおりの変化が起きたところで、水実は腰に手を当て、肩をすくめた。

 “彼”の戦いが、密かに始まっていた。

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