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九章 会話

 連絡を終え、水実と有紗は正義の家へと向かうことにした。代々陰陽師を受け継いできた家なので、霊的な守りの強さから人外のものに攻め込まれる心配が薄く、回復にも好ましい環境だからだった。

「こんなとこね」

「けっこう、時間かかっちゃったね」

 水実の言葉に対し、有紗は少しうなだれて応えた。疲れの色があった。

 二人の姿は、まだあかりと交戦した部屋にある。日は完全に落ち、今は電気が点けられていた。騒ぎ立てられても面倒なので、村叉の力も借りて、散らかった机や椅子を並べ直していたのだ。

 その助力してくれた小鬼は、修復作業がほとんど終わった時点で水実が召喚を解いたので、すでにいなかった。彼女を喚んだままでは、霊力の回復量が落ちてしまうためである。

「じゃ、行きましょ」

「あっ、うん」

 何事もなかったかのように元通りにされた教室を、二人はあとにした。




 階段を下り、建物を出る。すっかり暗くなっていた。都会からあまり離れていないので、星は見えない。

「にしても、あたしがあんな奴に協力を求めることになるとはね。予想外だわ」

 それまでどちらも黙っていのだが、先に水実が口を開いた。機嫌は悪くなさそうな口調だった。

「どうして、そんなにまさちゃんに協力してもらうのを嫌がるの?」

 キャンパスの出口へ向かいながら、有紗がほんの少し首をかしげる。昨日から不思議に思っていたことだった。

 協力はすでにしている。有紗と大幸の警護を分担したこともそうであるし、今日も水実が警護役で、正義は幽霊の正体を探るために大幸の地元へと向かった。しかし、彼女はあまり乗り気ではなかった。終始、最善手だからそうしていたという感じだったのである。

「あたしは、一人でこの世界を生きたいの。まあ、村叉とか、他の式神も加えるなら、もう少しいるけど」

「一人で?」

「そっ。一人で」

 水実は力強くうなずいた。迷いのない目をしていた。しかし、すぐに淀む。

「でも、村叉にあのくるくると協力しろって言われて、拒否できなかった。悔しいけど、あたしの一番の決めごとを守るには、そうせざるをえなかったの」

 強気でいた少女が、目線を落とす。いつになく、弱さのある姿だった。

「本当に、まだまだだわ。早く、強くならなきゃいけないのに」

 そんな彼女の言葉に、

「……そんなに焦る必要、あるのかな?」

 有紗は疑問を抱いた。

「えっ?」

 水実が、思わず顔を向ける。

「まさちゃんが前に言ってだんだ。『いきなり父さんみたいに強くはなれないから、少しずつ成長していくしかないんだ』って。なんだってそうじゃない?」

 ありがちな言葉だった。水実が反論しようと口を開いたが、それよりも早く有紗が話を続ける。

「山登りと一緒だよ。いきなり頂上になんて、いけないでしょ? どれだけゆっくりでも、一歩一歩、着実に登っていくしかない。どのくらいかかるかは分からないけど、いつかはきっとてっぺんに着く。陰陽師の力はよく分からないけど、それにも当てはまるんじゃないかな」

 どうだろうかと言わんばかりに、水実の顔を覗き込む。優しい微笑を浮かべていた。

「それは確かにそうよ。あたしだって、そのくらい分かってる。でも、悠長なことを言ってられないの。ゆっくり山登りなんて、してられないのよ。ヘリコプターに乗って、いきなり頂上に降り立ちたいの」

 一定の理解は示しつつも、かぶりを振った。自分が無茶を言っている自覚もあるが、そうならなければいけないという、強迫観念も持っていたのである。

「あたしは、一刻も早く一人立ちしたい。どんな奴にも文句を言わせないぐらい、口を挟まれないくらい、強くなりたいの。いいえ、ならなきゃいけない」

 声が熱を帯び始める。確固たる信念に似た決めごとに、彼女は縛られていた。それがどこからきているのか、有紗には分からなかった。家出というキーワードと結びつきそうだというのが、精一杯だった。なにしろ、水実はほとんど何も情報をくれていないのだ。

 しばらく、沈黙が続いた。そうしているうちに、校門を通り過ぎた。駅のある、右方向に折れる。ほのかに光る街灯が、規則正しく並んでいた。

「……やっぱり、納得できないよ」

 ぽつりと、有紗がつぶやいた。不機嫌そうに眉をひそめた顔がこちらを向く。

「しつこいわね。何も知らないあんたに、とやかく言われる筋合いはないわ!」

 自分から話し出したことであるのに、声を荒げた。しかし、有紗は動じない。

「確かに、私はなんにも知らない。でも、水実ちゃんが焦りすぎてるのは分かるよ」

「そりゃ、焦るわよ。早く強くならなきゃ、あたしは……」

 一気にトーンダウンし、水実は深くうつむく。眼前に見えてきた駅の看板を見ながら、有紗は口を開いた。

「……ねえ、水実ちゃん。私には、どうしても話したくない?」

 返答はない。否ということだと、彼女は判断した。

「うん。なら、話さなくていいよ。私だって、誰にもいいたくないことってあるし」

 星の見えない空を仰ぐ。傍らを歩く、出会ったばかりの異世界を生きる少女は、何も言わない。

「だから、勝手に話すね」

 首を下ろして、うつむく彼女へ目を向けた。

「まあ、その前に……」

 と、そこで駅構内に入っ。有紗は一度、肩の力を抜き、

「まずは切符買ってきなよ」

 水実を販売機へと促した。彼女自身は、定期通いなので切符は必要ない。

「ああ、そうね」

 言われて始めて、駅に着いたのに気づいたような感じで、水実は目がやや見開かれた顔を上げた。小さなカバンから財布を出し、示された方へ歩いていく。

 年相応な、まだ大人になりきれない少女の背中を見ながら、有紗は目を細めた。視線に気づいたのか、水実がこちらを向いてきたので、ほんの少し目をはずす。しばらくして、彼女は前へ向き直った。有紗も、また見始める。

 自分も大部分は、彼女と大差ないが、それにしても水実は不安定さがあった。そばにいると、命綱なしで断崖絶壁を登っている人を見ているような、そんな気分になる。

「まさちゃんなら、ぴったりだと思うんだけどな……」

 ひそかにつぶやいた。正義なら、彼女の命綱を握ることができるのではないか。そう考えて。

 水実が小銭を入れていく。現在、どのくらいの額が財布にあるのか分からないが、膨らみを見る限り、そこそこは入っているらしい。おそらく、家出に際して、自分の貯金、もしくは家の金を、持ってきたのだろう。

 やがて、切符を手に戻ってきた。

「行こ」

「うん」

 水実に促され、有紗がうなずく。二人で改札を通った。

 下りのエスカレーターに乗ったところで、

「水実ちゃんが一人立ちしたいっていうのは、すごくよく分かった。何か、譲れない事情があることも」

 有紗が話を再開した。やはり、返事はない。

「でも、一人立ちすることと、なんでも一人でするっていうのは、少し違うと思うな」

「……何が違うの?」

 若干の間を挟んでから、今度は食いついてきた。

「一人立ちっていうのは、自分で物事の判断ができるようになることだと思うんだ。なんでも一人でやるのとは、違うの」

 エスカレーターを降りる。電車がちょうど来るらしく、アナウンスが流れていた。

「だから、本当に一人立ちしてるなら、自分一人じゃ無理だと思ったときに、他人を頼ってもいいんだよ」

 水実の表情が、固まった。

「水実ちゃん自身が強くなるのも、確かに必要だけど、それで自分だけで戦おうっていうのは、一人立ちとは別だと思うんだ。自分一人じゃ、どうにもならないなら、他の人と協力してもいい。それを、水実ちゃんが自分で決めたなら」

 電車のライトが見えてくる。二人に沈黙が訪れている間に、駅へと滑り込んできた。ゆっくりと停止し、ドアが開く。

「まさちゃんに協力を求めても、そんなに気にすることじゃないんだよ」

 鳴り響く発車ベルの音の中で、水実は目を見開いて、有紗を見つめた。

「ほら、乗ろ」

 彼女は先に電車へ乗り込むと、振り向いて微笑んだ。うなずいて、後に続く。中に入ると、ドアが閉まった。

 しばらく、二人は言葉を交わさなかった。しかし、一緒に居づらい雰囲気ではなかった。

 やがて、窓の外の夜景が横に流れ始める。有紗たちの地元へは、ここから五駅行って乗り換え、そこから三駅だった。さほど時間はかからない。

「……ねえ」

「ん?」

 か細い水実の声を聞き取り、有紗は顔を向けた。

「あんたから見て、あのくるくるって、どういう奴なの?」

「うーん……」

 内容は正義のことだった。やや考えてから、

「一言で表すなら、優しすぎる人かな」

 穏やかな口調で答えた。

「優しすぎる?」

 しっくりこないのか、水実は首をひねった。

「うん。まさちゃんの知り合いなら、だいたいはそう言うと思うよ。水実ちゃんは、まだ会ったばっかりだから分からないかもしれないけど」

「……おとなしくて、人の頼みを断れないだけなんじゃないの?」

 その言葉に、有紗は声を出して笑った。ほんの一瞬程度で、すぐに水実へ向き直る。

「確かに、それはあるかもね。でも、まさちゃんはちょっと違うかな」

「どう違うの?」

 訝しげな目を向ける。彼女の中では、正義は弱気な人間と認識されていた。

「まさちゃんはね、ちゃんと“自分”を保ってる。ただ他の人の言いなりになってるわけじゃない。本当に嫌なことは断るし、自分の意見も口にするんだよ。水実ちゃんも、覚えがあるんじゃない?」

 言われてみると、確かに思い当たる節があった。昨日、大幸に陰陽師の説明をしたときや、狙われている二人の警備の話に、正義は口を挟んできていた。真っ向から対立していたわけではなかったので、水実は彼にあまり意見されたという印象が薄かったのだ。

 同時に、疑問も頭に浮かぶ。

「それなら別に、優し“すぎる”ってわけじゃないでしょ。普通の優しい人と、変わりないじゃない」

 嫌なことは断り、異をとなえることもあるなら、何か違うというのか。納得がいかなかった。

 しかし、その指摘に、有紗はかぶりを振る。

「ううん。違うんだよ、まさちゃんは」

 はっきりしすぎているくらいの否定だった。

「まさちゃんが頼みを断ったり、文句を言ったりするのは、全部、他の誰かのため。自分のことなんて、全然考えてない。性格なのか、決めごとなのか分かんないけど、それがまさちゃんの曲がらない芯なんだ」

 有紗の言いように、淀みはない。共に過ごしてきた十八年間が、正義はそういう人間であると語っていた。

「他人のために……、か」

「うん」

 迷いのないうなずきを見てから、水実はうつむいた。

 そして、つぶやく。

「やっぱり、気に入らないわね」

「そう?」

 驚くわけでも、残念そうにするわけでもなく、有紗はただ首を横に傾ける。

「ええ。気に入らない。他人のためって言って、無理をする奴は、自分を大切しないの。もっと、自分のことを考えてもいいのに。……あんまり好きじゃない」

 うつむいたまま答える少女の口調は、怒っているような、悲しんでいるような、不思議なものだった。何か思うところがあるのだろうと、有紗はぼんやりと悟ったが、それを掘り下げる気はなかった。

 その代わり、

「だから、水実ちゃんは、自分も大事にしてるんだね」

 別のことを口にした。そのまま続ける。

「今日、私を守ってくれてた時、言ってたよね。『自分の目の前では、誰も死なせない。自分自身も』って。あれも、そういうことなんでしょ?」

 それは、あかりと戦っていたとき、水実が口にしていたことだった。命懸けで戦うことには変わりないものの、守りきる対象に自分も入っている。陰陽師としての、いや、人としての、彼女の決めごとだった。

「……まあ、そうなるわね」

 肯定が返ってきた。

「あたしもあんたも、あのくるくるも、どんな奴でも一人しかいない。死んだら、終わりなのよ。だから、誰も死なせないし、あたしも死なない。そう決めたのよ」

「……そっか」

 どうして、そんな決めごとをしたのかは、言わなかった。有紗も尋ねない。

 そのうち、ゆっくりと黒髪の陰陽師が顔を上げる。強気な笑みが、戻っていた。

「だから、今回はあいつと手を組むことにするわ。誰も死なせないための、最善手としてね」

「うん、いいと思う」

 もう一人の少女も、それに合わせて微笑んだ。

 二人を乗せて、電車は夜を駆けていく。




 その後は、特に目立った会話を交わさなかった。協力を求めてもいいのだと、吹っ切れたらしい水実が、真剣な表情であかりとの戦いについて考えを巡らせ始め、それを有紗が察したので、話すような状況下ではなくなったのである。

「水実ちゃん、乗り換えだよ」

「……はいはい。分かってるわよ」

 乗り換えの駅に着いたところで有紗に呼びかけられ、水実は一旦、思考を止めた。ドアが開き、二人で降りる。乗り換える路線のホームへは、階段を上がる必要があった。右の方に見えるそれに向かって歩き出しながら、尋ねる。

「いい考え浮かんだ?」

「いくつかはね。敵がどの程度できるかと、あのくるくるの力によるけど」

「まさちゃんは、きっと強いよ。ずっと努力してたもの」

「なら、いいけど」

 水実が肩を軽く持ち上げる。そうしているうちに、階段へたどり着いた。一段一段、上がっていく。

「そういえば、あの河竹とかいうのは、幼なじみじゃないのよね。なんか、変な感じ」

「変?」

 有紗は首をひねった。言わんとしていることが、見えてこない。

「あんたたちかしたら、たいしたことじゃないかもしれないけど、古い馴染みの友人二人に、会ったばっかりの奴が加わってるのって、微妙じゃない」

 水実の純粋な疑問だった。正義と有紗は幼なじみだと聞いていたので、てっきり大幸も昔からの友人なのかと思っていた。しかし、昨日、今日と行動を共にして、二人が大幸のことをほとんど知らないようだったので、不思議だったのだ。

「それは……」

 受けた有紗が、言葉に詰まる。足も止まる。励まされて、抑制できていた感情が、急激に膨らんでしまったために。

 大幸が死ぬかもしれない。

 頭に浮かんだ刹那、恐怖がはじけた。ため込まれていた涙が、頬をつたう。

「ちょ、どうしたのよ!?」

 突然の変化に、水実は慌てふためいた。何気なく訊いただけだったのに、なぜさっきまで柔和な表情を見せていた人間が、泣き出すのか。意味が分からなかった。

「あっ、ご、ごめん……」

 頭は、止めるように命令しているにも関わらず、あとからあとから、涙が溢れた。泣いてはいけないと言っているのと、意志に反して感情を反映させているのと、どちらが本当の自分か分からなくなる。今すべきことは、正義の家に行き、自分の顔をのぞき込んでいる少女に体制を整えてもらうことなのに、前に進めなかった。それどころか、手すりを支えにして、膝をついてしまう。

「有紗!」

 自分を呼ぶ声に反応できない。失うかもしれないという恐怖だけが、全身を侵していく。




 一目惚れだった。顔立ちがよかったのもあったかもしれないが、そんなものよりも、今にも消えてしまいそうな儚げな雰囲気に、強烈に惹かれた。四月下旬のことだった。

 きっかけは、同じ授業で偶然近くに座ったこと。それだけだった。ほんの少し言葉を交わしてみると、丁寧かつ優しい態度で、さらに好意は増した。けっして微笑以外の笑い方をしないことも、彼への興味を加速させた。どうして、いつも悲しそうなのか、知りたかった。

 でも、何も訊けなかった。いつも、当たり障りのない会話を交わすことしかできなかった。聞いたら、彼が本当に消えてしまう気がして。それなのに、彼を知りたいという欲は、なくならなかった。

 だから、正義に助けを求めた。彼ならなんとかしてくれると思ったから。幼い頃、二人で迷子になったときも、べそをかいていただけだった自分に対し、泣くことなく手を引いてくれたし、家のものを壊してしまったときは、一緒に謝ってくれた。弟のように後ろを歩いていたが、その実、兄のように頼っていた。

 まさか、こんなことになるなんて思いもしなかった。何がいけなかったのだろう。ただ、好きだから知りたかったのに、今や大幸は危険な状況に陥っており、正義と水実が自分たちの命をかけて助けだそうとしている。

 すべて、自分のせいだった。自身の欲のために、色々なものを掻き回し、友人たちを巻き込んでしまった。

 本当は一人でなんとかしないといけないくらいだった。でも、そんな力はない。頼るしかなかった。

 想い人がいなくならないように、祈るしかなかった。




 だんだんと、有紗は落ち着いてきた。地面に座り込んでいる彼女のすぐそばには、不安げな表情の少女がいた。

「水実ちゃん……」

 呼びかけると、

「……少しは落ち着いた?」

 水実は肩の力を抜いてから、そう尋ねてきた。ゆっくりとうなずく。

「……そっ。なら、いいけど」

 口調は雑だったが、安心した様子だった。

 二人がいたのは、駅構内の端だった。有紗が急に崩れたのは階段の途中だったが、人通りが多かったので水実が強引に引っ張って上りきり、それから隅に寄ったのである。

 何人もの注目は受けたが、話しかけてきた人間はいなかった。かといって、こちらから呼び止めたりもせず、水実は辛抱強く有紗が泣き止むのを待った。時間にして、十五分ほどだった。

「立てる?」

「……うん、大丈夫。ごめんね、こんなときに。もう、歩けるから、帰ろう」

 水実に問われた内容以上の答えをし、有紗は立ち上がった。泣き疲れたのか、動作は緩慢としていた。足元もまだ怪しい。

 それでも、歩き出そうとしたのだが、

「待ちなさい。帰ることには帰るけど、どうして急に泣き出したのか気になるんだけど」

 問いかけられて、足を止めた。

「河竹のことを話題に出したから?」

「……そうだよ」

 静かに、肯定の言葉を返す。

「恐いんだ。……死んじゃうかもしれないことが」

 また、目に涙が溜まる。

「河竹くんだけじゃない。もしかしたら、水実ちゃんとまさちゃんも死んじゃうかもしれない。考えないようにしてたけど、思い出しちゃったんだよ」

 三人分、それも想い人と、家族同然の幼なじみを含む命がなくなるかもしれないという恐怖は、大きかった。

「……気に入らないわね」

「えっ……?」

 不機嫌な声に、有紗は後ろを向いた。

「言ってるでしょ。誰も死なせないって。なのに、不安だのなんだの言われるのは、不愉快だわ」

 腕を組み、責めるような鋭い目をした水実の姿があった。

「あたしがこれだけ言わせておいて、あんたはまだ信用してない。心外だわ」

「別に、信用してないわけじゃ……」

「してないわよ」

 反論しようとしたところに言葉をかぶせ、封じる。強引に続ける気力のなかった有紗は、勢いに負けて口をつぐんだ。

「ボロボロ泣いたくせに、何が信用はしてるよ。説得力がまるでないわ。あんたの中で、あたしたちは死ぬ前提になってるじゃない」

 容赦のない言葉だった。ただでさえ傷ついている有紗にとって、追い討ちでしかない。耐えきれず、頬を涙がつたう。

 再び泣き出したことで、水実は一旦ひるんだが、話を続けた。

「だいたい、考え方が後ろ向きすぎるのよ。あたしと白髪が勝って、話の分からないバカも救出する。考えるパターンなんて、それ一個で十分じゃない。なんでわざわざ悪い方ばっかり想定するのか、理解できないわ」

 早口で、どんどん不満を吐き出す。右手の人差し指が、ひっきりなしに左腕の関節からやや上を叩いていた。

「あたしは誰一人死なせない。あんたは、それを信じればいいのよ」

 最後にひと睨みして、水実は有紗の横を通り過ぎた。数歩進んでから、振り返る。

「なにしてんのよ。さっさと行くわよ」

 有紗の心情など、お構いなしだった。弱っているとはいえ、さすがにもう我慢できなかった。

「……無理だよ」

「は?」

 急につぶやかれた言葉に、水実は顔をしかめた。

「いいことだけ考えるなんて無理だよ。私は、水実ちゃんみたいに強くないもの」

 うつむき、ジーンズの上部をぎゅっと掴んだ。今できる、精一杯の抗議を口にする。

「私だって、考えないようにしてたんだよ? でも、高橋くんのことを想ったら、考えずにいられなかった。勝手に、浮かんできちゃったんだよ。どうすればよかったの? 自然に出てくる考えを、私はどうしたらいいの?」

 好んで、最悪を想定しているわけではなかった。本当なら言われるまでもなく、三人が助かると信じるに決まっている。実際、彼女はそうしていた。それでも、死は頭をよぎり、侵食したのだ。

 痛切な訴えに対し、水実は、

「あんたも、強くなればいいじゃない」

 顔色一つ変えずに、そう答えた。

「あたしなんてまだまだだけど、誰も死なせないっていう決めごとがある。そのための判断を、あたしは迷わない。なんでだと思う?」

「そんなの……、分かんないよ」

 投げやりな返事だった。両手に、さらに力が入る。

 その態度を気にせず、水実は答えを口にした。

「自分を信じるようにしているからよ」

「自分を……?」

 まだ、目も確認できない程度ではあるが、顔を上げる。

「そう。あたしは自分を信じてる。だから、あたしが信頼した人間も信じられる。ただ、それだけのことなの」

 腰に手を当て、堂々とした体勢だった。

 しかし、有紗は首を横に振る。

「それじゃ、さっきと変わらないよ。私は、そんなに強くない」

 そんな彼女に対し、水実は口を尖らせた。

「だから言ってるじゃない。今から強くなればいいの。信じることも力。筋力でも霊力でも、力なら成長させられる。まずは、自分を信じるようにすれば、おのずと、あんたが認めた人間も信頼できるようになるわ」

 口を挟む隙もなく、さらに続ける。だんだんと、熱が入り始めていた。身体も、前傾姿勢になる。

「だいたい、自分は自分でしょ。他人が何を言おうと、判断の主権は自分にある。信じたものは正しいに決まってるの。後々に間違っていたとか言われたとしても、それは間違いなんかじゃない。それが、そのとき信じたものなんだから」

 言葉に加えて、身振りも入り始める。特に手は、有紗を指差したり、自身の胸に当てたりと忙しかった。

「『私は間違ってた』なんてのはおかしいのよ。間違っていたっていうのは、あくまで結果。過去に判断を下した自分が間違っていたわけじゃない」

 いつの間にか、かなり有紗の顔は上がっていた。目のあたりも見えるほどに。

「あんたも言ってたじゃない。あの白髪に助けを求めることを、あたしが自分で決めたなら気に病む必要はないって。同じことよ。自分の判断を疑ったり、後悔する必要はない。信じる以外に、することはないのよ」

 だんだんと、声が大きくなっていった。目線が集まるが、誰も足を止めたりはしない。それでも、有紗には届く。

「自分を信じなさい。疑う理由がないんだから」

 それが締めくくりだった。周囲はざわめいているのに、二人の空間は、静寂に包まれた。

「もう十分でしょ。行くわよ」

「あっ、うん……」

 今度は、素直に従った。

 そのあと、二人は何もしゃべらず、正義の家へとたどり着いた。

 あとは、少年を待つのみとなる。

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