無能薬師と蔑まれた転生令嬢ですが、婚約破棄の日にご先祖様の薬草園を継ぎました 〜「その毒草、私が育てたものですけれど?」〜
「数値も出せぬ無能薬師との婚約は破棄する!」
シャンデリアが煌めく大広間の中央で、公爵令息オルド・ガレンフォードは高らかに宣言した。
「僕は本物の才媛――義妹のミレーヌ嬢を選ぶ。数字ひとつ出せぬ女に、公爵家の名は釣り合わん」
囁きと嘲笑が、さざ波のように広がる。
ヴァルド伯爵家の長女、リゼット・アーデン。私に向けられた無数の視線は、憐れみと侮蔑で濡れていた。
けれど私は、顔色ひとつ変えなかった。
(なるほど、そういう理屈ですのね)
心の中で、静かに呟く。前世――日本で薬学研究者だった頃の癖だ。理不尽なものを前にすると、まず「観察」してしまう。
この世界、剣と魔法の王国リーヴェルンでは、『鑑定スキル』で数値の出る調合薬こそが正義とされる。
私が受け継いだ、土と向き合う伝統薬学は――数値が出ない。だから『無能』と呼ばれてきた。
「聞いていますの、リゼットお姉様?」
オルドの隣で、義妹ミレーヌが作り物めいた笑みを浮かべた。豪奢な金髪を揺らし、勝ち誇るように胸の小瓶を掲げる。
「わたくしは選ばれた聖薬師ですのよ? 数字も出ない雑草いじりのお姉様とは、格が違いますの。おほほ」
(その小瓶の中身、どこから来たのか――あなたが一番、ご存じないでしょうに)
私は薄く微笑んだ。土仕事で汚れた指先を、隠しもせずに。
「……なるほど、そういう理屈ですのね」
「なんだ、反論もできんのか。惨めだな、リゼット」
オルドが鼻で笑う。
私は静かに一礼した。喚くこともなく、涙を流すこともなく。
「いいえ。婚約破棄、謹んでお受けいたしますわ」
その静けさに、広間が一瞬ざわめいた。誰もが泣き崩れる令嬢を期待していたのだ。
ミレーヌが、きょとんと目を丸くする。
「え……? 泣いて縋らないの……?」
「喚いたところで、非科学的ですもの」
私は淡々と告げた。
「――ですが、ミレーヌ。ひとつだけ」
「な、なんですの」
「その小瓶の中身、どこから来たのか。あなたが一番、ご存じないでしょう?」
ミレーヌの笑みが、わずかに強張った。
「な……何を言っていますの、意味が分かりませんわ!」
「ええ、分からないでしょうね。だから――問題ですの」
私は踵を返す。泥のついた古い革手袋を、そっと握りしめて。
「それでは、失礼いたします。薬草園だけは、頂いていきますわ」
オルドが背後で吐き捨てた。
「薬草園だと? ふん、あんな数字も出ぬ雑草地、勝手に持っていけ」
「ありがとうございます。その言葉、しかと覚えておきますわ」
(――ですが。あの言葉、後悔なさらないといいのですけれど)
◆
屋敷に戻った私を待っていたのは、継母の冷たい声だった。
「廃嫡は決定よ。あなたにこの家の居場所はありませんわ」
継母は扇で口元を隠し、窓の外――屋敷の裏手に広がる薬草園を睨んだ。
「そしてあの雑草地。数字も出ない無価値な土地。更地にして、ミレーヌのための薬草プランテーションを作りますの。今夜のうちにお出なさい」
(無価値、ね)
私は黙って窓の外を見た。
五代前の始祖――曾祖母レナが遺した、鑑定スキルに一切反応しない特殊な薬草群。誰も価値を認めない。数値が出ないから。
だが、私だけは知っている。あそこに眠るのが、何の原料なのかを。
「……無価値、とおっしゃいますのね。かしこまりました」
継母が去ったあと、廊下の陰から小さな影が近づいた。
老侍女のマーサ。実母の代から仕える、たった一人の理解者。
「お嬢様……これだけは、お持ちください。奥様方に見つかる前に」
彼女は震える手で、色褪せた一冊の帳面を差し出した。擦り切れたエプロンの下から、後生大事に守ってきたものを。
「これは……帳面? マーサ、震えているじゃないの」
「先々代の、レナ様の手記でございます。実母様の代から、ずっとお守りしてまいりました」
私は表紙を開いた。
そこに綴られていたのは、この世界の誰にも読めない文字――
『りぜっとへ。このほんが よめるということは、あなたも わたしと おなじ たましいね』
ひらがな。日本語。
私は息を呑んだ。
「曾祖母様……あなたも、転生者だったのですね」
「お嬢様、それが読めるのですか……? 誰にも読めぬ、まじないの文字だと」
「ええ。私にだけ読める」
ページを繰る。薬草の育て方。加工法。そして――薬草園の、正当な相続の記述まで。
「薬草の育て方、加工法……そして薬草園の、正当な相続の記述まで。マーサ、ありがとう。私、負けませんから」
マーサが、涙ぐんで頷く。
「……お嬢様が、笑っておられる。土の匂いのする、本物のお顔で」
窓の外では、王都の空が不穏な赤に染まり始めていた。
「空が赤いわね。――赤斑熱。流行の兆しだわ。行くわよ、マーサ」
◆
王都は、瞬く間に恐慌に陥った。
流行り病――赤斑熱。王国中の医師が匙を投げる不治の病。そしてついに、王弟までもが高熱に倒れた。
希望はただ一つ。『天才聖薬師』ミレーヌの持つ、特効薬。
「ミレーヌ嬢! 王弟殿下が赤斑熱に倒れられた。特効薬を、今すぐ!」
王立医療院に呼び出されたミレーヌは、胸を張って小瓶を差し出した。
「お任せくださいませ。わたくしの薬は最高数値。鑑定の光をご覧あそばせ」
数値は最高級。鑑定スキルが眩い光を放つ。
だが。
三日経っても、王弟の熱は下がらなかった。
「……三日経ったぞ。なぜ殿下の熱が下がらぬ!」
ミレーヌの顔から、血の気が引いた。
「な……なぜ効かないの!? そんな、いつもは……在庫が、もう」
彼女は原料の育て方を知らない。加工法も知らない。盗んでいたのは、私が完成させた薬そのものだけ。手持ちの在庫は、とうに尽きていた。
慌てて数値だけ高い偽薬を調合するも、当然効くはずもない。
「新しく調合したこの薬も、まるで効かぬではないか。数値だけが高い、空の薬だ」
「原料が悪いのですわ! きっとお姉様が呪いをかけたのよ! あの女が薬草に呪いを――!」
「……見苦しいぞ、聖薬師殿」
喚き散らすミレーヌを、医療院の面々が冷ややかに見つめる。
ミレーヌの薬は、数値化された「かたち」でしかない。命を救う「なかみ」は、彼女の手には最初から無かったのだ。
そして王都の外れ。
一台の質素な馬車が、静かに都へと向かっていた。
私は窓の外を眺めていた。膝の上には、ひらがなで書かれた古い手記と、数種の乾いた薬草。
「――さて。本物の薬を、届けに参りましょうか」
◆
「数値0の薬など、王弟殿下に使わせるわけにはいかん! 追い返せ、無能薬師など!」
王立医療院の一室で、貴族の医師たちが色めき立った。
私が差し出した小瓶を、鑑定スキルにかざす。反応――なし。数値、ゼロ。
「見ろ、鑑定に反応なし。数値ゼロだ。やはり戯言よ」
そのとき。
「……待て」
低く、重い声が響いた。
部屋の隅に立っていた長身の偉丈夫――竜人の護衛騎士カイ。黒鱗を思わせる角と、赤銅色の瞳。彼は無言で私の前に進み出た。
「殿下はもう、時間がない。数値がゼロでも――今、試せるものはこれしかない」
「護衛騎士が口を出すな! 竜人ならば、数値の意味を誰より知っておろう!」
カイは静かに首を振った。
「知っている。だからこそ言う。……俺の水晶で測れぬものが、この世にはあるらしい」
私は静かに頷き、王弟の枕元へ進んだ。
泥のついた指先で、慣れた手つきで薬を溶く。前世の薬学知識と、曾祖母レナの手記が示した、正確な処方で。
「殿下。苦いですが、飲み込んでくださいませ。……ええ、そう。ゆっくりで結構ですわ」
患者の背にそっと手を添え、小さく声をかける。数値には決して表れない、その仕草を――
カイの赤銅色の瞳が、じっと見つめていた。
(……あれを、どう数値化すればいい)
一晩。
二晩。
そして三日目の朝。
「熱が……熱が下がっている! 斑点が、薄れていく……! 三日目にして……!」
医師たちが我が目を疑い、鑑定水晶を何度も王弟にかざす。
数値0の薬が、確かに人を救っていた。
王国の貴族社会を支えてきた『数値至上主義』が、音を立てて崩れた瞬間だった。
「数値0の薬が、人を救っています。――これが、答えですわ」
カイは、手にしていた鑑定用の水晶を、そっと懐にしまった。
「……ああ。俺の数値には、映らなかった」
それきり――彼は私の前で、二度と水晶を取り出さなくなった。
◆
王弟が回復した報せは、瞬く間に王国を駆け巡った。
そして同時に、一つの疑問が浮上する。
――ミレーヌの薬は、なぜ効かなかったのか?
王家の調査が始まった。断罪を下すのは、私ではない。王家と、法だ。
「ミレーヌ・アーデンの特効薬、効果偽装の疑い。すなわち――人命に関わる薬事詐欺である」
裁定の場。ミレーヌは真っ青な顔で喚いた。
「わたくしは選ばれた聖薬師ですのよ!? 数字が高いのが証拠ですわ!」
「その数字が、まやかしだったのです」
私は静かに前へ出た。手には、一枚の記録。
「ミレーヌの薬に使われた原料。それはすべて、私の薬草園から盗まれたもの。証拠は――土に、あります」
「土ですって……? 何を馬鹿な、土に証拠なんて――」
「曾祖母レナが土壌に混ぜた、鑑定では決して見えない特殊な菌。ですが、痕跡は原料に『署名』のように残るのです」
私は、記録を掲げた。
「あなたの薬に残る菌と、私の薬草園の土壌の菌。完全に一致します。これが――盗作の、証明」
ミレーヌの顔が、崩れていく。
「そんな……見えないものが、なぜ……嘘よ、嘘だと言って……!」
沈黙。
そして、崩壊。
「聖薬師の称号を剥奪。投獄とする。証拠は、覆らぬ」
ミレーヌは引き立てられていった。オルドは王家の信を失い失脚。継母は伯爵家を追放された。
私は、ただ淡々とそれを見届けた。怒鳴りもせず、笑いもせず。
(報復は、私の手でするものではありませんもの。真実が、勝手に彼らを裁いていく)
それが――私の選んだ、静かな断罪だった。
◆
全てが終わったあと、みっともなく縋りついてきたのは、オルドだった。
「リゼット……いや、リゼット嬢。頼む、この通りだ」
公爵家の紋章入り婚約指輪は、とうに取り上げられている。かつての傲慢さは影も形もない。
「君の薬草園がなければ、この国は立ち行かない。もう一度やり直そう。君の薬草を、少しでいい、分けてくれ」
私は、王立薬草園の門前で振り返った。
銀灰色の髪を風に揺らし、泥のついた革手袋をはめた指先で、そっと一株の草に触れる。
「その毒草、私が育てたものですけれど?」
静かな声だった。だが、その一言は刃よりも鋭く響いた。
「ど、毒草……?」
「加工を誤れば人を殺す。育て方も、扱い方も知らないあなた方に――譲る株は、一本もございません」
オルドが言葉を失う。
「そんな……あの雑草地が、まさかそこまでの……」
私は薄く微笑んだ。それは怒りでも、勝ち誇りでもなく。ただ、真実だけを告げる者の落ち着きだった。
「なるほど、そういう理屈ですのね――失ってから気づく、という」
私は踵を返す。
「ごきげんよう、オルド様。二度と、お会いすることはございませんわ」
二度と、振り返ることはなかった。
王家は私に『王立薬草園総監督』の地位と、曾祖母レナの名を冠した独立領地を授けた。
廃嫡の身から一転、国家の薬草事業を担う存在へ。
そして門の前には、あの竜人騎士が待っていた。
「……送る。効率的な護衛のためだ」
ぶっきらぼうに言うカイの耳が、わずかに赤い。私はくすりと笑った。
「ふふ。ありがとうございます、カイ様。お耳が、少し赤いですけれど」
「……鱗の反射だ」
◆
曾祖母の名を冠した領地。その中心に、私の新しい薬草園が広がっていた。
朝露に濡れた葉。土の匂い。数値には決して表れない、命の気配。
私は今日も、泥だらけの革手袋で土に触れる。前世から愛してやまない、この静かな時間を。
「……リゼット」
背後で、巨体が困り果てて立ち尽くしていた。竜人の騎士カイだ。
両手に、二本の草を握りしめている。
「これは、雑草か。それとも薬草か。……見分けが、つかない」
真剣そのものの顔で問う偉丈夫に、私は思わず吹き出した。
「ふふっ。カイ様、左手が薬草、右手が雑草ですわ」
「……数値で見分けられれば、簡単なのだが」
「世の中には、数字にならない大切なものが、たくさんありますのよ」
カイは黙り込んだ。赤銅色の瞳が、土いじりをする私の横顔を、そっと見つめる。
「……ああ。近頃、それを、数えようとしている。うまくはいかんが」
数値でしか人を測れなかった男が、今、必死に「数字にならないもの」を数えようとしていた。
「その水晶、もうお使いにならないのですね」
カイは、少し間を置いてから答えた。
「……お前を見ていると、必要ないと思うようになった。それだけだ」
私の頬が、少しだけ熱くなる。
そんな穏やかな午後、マーサが一通の手紙を運んできた。
「お嬢様。遠方の村から、難病の依頼が届いております」
そして――机の上には、曾祖母レナの手記から見つかった、もう一枚の古い地図。
「あら……それに、この地図。曾祖母様の手記から見つけたもの」
そこには、ひらがなで、こう記されていた。
『だいにの やくそうえんは、きたの やまに ねむっている』
まだ見ぬ、第二の薬草園。
「『だいにの やくそうえんは、きたの やまに ねむっている』……まだ、続きがあるのですね、曾祖母様」
私は革手袋を外し、その地図をそっと撫でた。
カイが、静かに口を開く。
「北の山か。……危険だ。俺が同行する。効率的な護衛のためだ」
「ええ、お願いしますわ。――今度は、雑草と薬草の見分けも、覚えていただきますからね」
「……善処する」
風が、薬草園を優しく渡っていく。
数字にならない価値を、確かに受け継いだ者の園を。
「曾祖母様。あなたが遺してくれたもの、まだまだ続きがありそうですわね」
物語は、ここから始まる。




