105 銀貨と公証人 後編
魔獣の設定を書きたい。そう思いながら、この話を書いていました。
【大陸歴1415年10月21日 昼頃】
〈レオニス視点〉
宗教者は言う。この世界は、神の愛に満ちていると。
私もこれまで幾度となくそれを体験してきた。
自身が熱病に侵されたとき。
同僚が大怪我を負ったとき。
妻が娘ダリアを出産したとき。
大地母神殿で少額の寄進と引き換えにもたらされる神の奇跡は、人々の生活を支え、命を救っている。
しかし、その奇跡はあくまで、ケガや病を癒す『力』として顕現していた。
神の声を直接聞くことが出来るのは、大地母神の最高神官や、聖女教の聖女など、ごく一部の選ばれた聖職者のみ。
私は今まで、それが当たり前だと思って生きてきたのだ。
しかし今、私は『神の使い』と名乗る光球と対面し、言葉を交わしている。
いや、正確に言えば、神の言葉を伝える幼い少女と会話しているわけだが。
しかも、その内容が「この神の村を発展させるために、税をかけるべきか否か」とは。
フラシャールの神官や僧侶たちが聞いたら、噴飯物の『宗教問答』。
まるで、若き地方領主の経済指南役にでもなったような気分だ。
だが、まったく不快ではない。
それどころか、私はこの光球ともっと話をしてみたいと思ってしまっていた。
ふと、大国の中央ギルドから、この辺境の村へとやってくるきっかけとなった会話が思い出される。
「少し、頭を冷やしてくるといい。」
落ち着いた装飾のなされた執務室で私にそう告げたのは、商業ギルドの上役であるセヴラン・オルディス。
腐敗したギルドの中でも数少ない良識派。
その彼の右腕として辣腕を振るっていた自分にしてみれば、その言葉はまさに青天の霹靂だった。
何故と問い返した私に、彼は冷然と言い放ったものだ。お前の正義は、多くのものを損なうと。
役を解かれ、新たな任を受けた私は失意の内に、この村へとやってきた。
「神の奇跡が起きるという村の実態を調査し、商業ギルドの関与と支部設立の可否について報告せよ。」
報告期限はなし。ある程度の裁量は与えられているものの予算はほぼゼロ。
事実上の更迭・放逐である。
長年支えてくれた妻に「すぐに戻る」と言い残してきた通り、私はこのくだらない任務を終えたら、すぐにでも中央に帰るつもりだった。
今、このユーリィという少女から、御使いの言葉を聞くまでは。
まるで何者かの意志で動かされているかのように、私は自然と口を開いていた。
「あなたは、奇跡の力を使ってこの村を作り上げた。先日私も、それを目の当たりにさせていただきました。」
私は少女の頭上に浮かぶ光球に目を向け言った。
「率直に申し上げて、あなたはすでに一つの国です。」
私の言葉を聞いた光球が動揺したように、小さく揺れる。
自分の言葉が届いていることに確信を得た私は、更に言葉を重ねた。
「土地を持ち、民を養い、外敵を退ける力がある。建築、生産、軍事。どれをとっても既存の領主を凌駕している。」
少女はキョトンとした顔で私を見ている。無学な下層民の少女には、少し言葉が難しすぎたかも知れない。
私はそう思い、話の流れを切り替えた。
「問題は主権です。」
「シュケン・・て何ですか?」
「その土地を誰が治めるか、という権利のことだよ。」
私がそう言うと、少女は「ああ!」と顔を輝かせた。
この子は無学ではあるが、理解力は高いようだ。
私は彼女に対する、内心の評価を引き上げ、彼女にも分かるようにややゆっくりと話すよう心がけた。
「この土地は、現在どの国にも属していない。つまり、誰もがこの土地の領有を主張できる状態です。」
少女が頷いているのを確認し、私は話を続ける。
「土地を領有するとは、そこで生きる人々の暮らしを守る義務があるということ。」
「御使い様は、あたしたちを守ってくださっています。」
少女の言葉に、私は微笑みながら頷いた。
「もちろん、そうでしょう。しかし、それは神の奇跡によるもの。単に物理的に保護しているに過ぎません。」
「それは、何が違うんですか?」
「暮らしを守るとは、仕事を与え、土地を肥やし、収穫を分け与えること。奇跡で守るのではありません。『制度』で守るのです。そして、それには金、つまり税が必要です。」
少女が困った顔で黙り込む。すこし言葉が難解すぎたようだ。
妻のソラヤに「あなたは熱くなると専門用語が多くなる」と言われたことを、不意に思い出した。
「税とは、この主権に対する契約です。民は税を支払い、主権者はそれを公平に分配し、国を守る。そこには権利とともに、義務と責任が生じます。」
少女はしばらく考え込んだ後、私に尋ねた。
「税を納める代わりに、太守様の騎士様があたしたちを守ってくださっているってことですか?」
私が「その通り。よく分かったね」というと、少女は花のような笑顔を見せた。
私は表情を引き締め、光球とまっすぐに向き合った。
「御使い様、あなたはその責任を負う覚悟がお有りですか?」
長い沈黙が降りる。少女の様子を見るに、光球と念話をしているようだ。
私は二者の念話の助けになるよう、自分の言葉を補足した。
「もちろん、それを回避する選択もできます。あなたが取り得る選択肢は三つです。」
少女がこちらに目を向ける。私は指を折りながら選択肢を示した。
「第一、従属する。他国に税を納め、保護を受ける。代わりに内政・軍事には制限が入ります。」
光球がわずかに揺れる。
「第二、保護条約、半独立。他国に収める税は少なくなり、内政権も裁量が広い。ただし、軍事権は相手に委ねることになります。」
私は三本目の指を折った。
「第三は独立。先程、私が申し上げたとおりですね。」
私は改めて、光球に語りかけた。
「あなたの力は強すぎる。周囲の国々は、決してあなたを放っては置かないでしょう。」
「一体どうなるんですか?」
少女の問いに、私は光球を見つめたまま答えた。
「従属すれば恐れられる。半独立なら干渉される。独立すれば狙われる。あなたが神の領域を越え、人々と共にあることを選ぶなら、それは決して避けられない。」
一息にそこまで話した後、私はその場にいる全員の顔をゆっくり見回した。
「それが私がうまくいかないと申し上げた理由です。」
再びその場が静寂に包まれる。
やがて、少女は私に言った。
「御使い様は、この場所を誰にも譲らないとおっしゃっています。」
「従属や保護は否定するということですね? では、あなたは主権者として、この村に暮らす人々の生活を守るだけの力が、自分にあると思っていらっしゃるのですか?」
私が最も確かめたかった問い。
少女は、無言のまま、長い時間、光球と向かい合っていた。
二者の間で、どのようなやり取りが交わされているのか。
それを想像しながら、私は御使いの返答を待った。
「御使い様は、自分にはその力がないとおっしゃっています。」
私はその言葉を聞いて、やはりかと胸の奥が冷えるのを感じた。
そして同時に、それを残念に思っている自分にひどく驚かされた。
最初に私が尋ねたとき、御使いは「すべての人々がずっと幸せに暮らせるようにしたい」と答えた。
私は思った以上に、その言葉に期待していたようだ。
だが、私の望んだ答えは返ってこなかった。
それはそうだ。我が身を犠牲にし、重い責任を負ってまで、弱き人々に寄り添おうとする為政者などいない。
持てる者は持たざる者を虐げ、ますます肥え太る。フラシャールで散々見せられてきたことだ。
両者が相容れることは決してない。ましてや、神の眷属と定命の者では、なおさらだ。
「・・分かっていただけましたか。」
自分で思ったよりも、遥かに冷たい声が出た。
しかし次の瞬間、少女が放った言葉によって、私は完全に言葉を失ってしまった。
「だから、どうすれば皆を守れるか、あなたにそれを教えてほしいとおっしゃっています。」
「・・私に?」
今度は、思ったよりも遥かに間抜けな声が出た。
「だから、あの、御使い様が、あなたに教えてほしいって・・。」
涙目で同じ事を言いかけた少女を、私は片手で押し留めた。
「えーっと、私に教えを乞うたのですか? この・・御使い様が?」
「はい! そうです! 御使い様は、これまでもいろんな事を学んでいらっしゃるんです。言葉も、あたしたちと話しているうちに、だんだん分かるようになったんですよ。」
少女は満面の笑顔でそう言ったが、私はそれを上の空で聞いていた。
神が民のために、人に教えを乞う?
しかも、この私に?
おそらく、このときの私は、ひどく引きつった笑顔を浮かべていたことだろう。
私は誤解していた。
この神の使いは万能ではない。しかし、それを言い訳にして逃げることもしない。
力の不足を認め、そのうえで解決策を探る。それはまるで、理想を追い求める為政者のようで。
私は心を落ち着かせるため、小さく咳払いをした。
「こほん。承知しました。私に出来ることであれば、なんでもお教えしましょう。」
「御使い様はありがとう、よろしく頼むとおっしゃっています。」
私は少女の傍らに浮かぶ光球をじっと見つめた。
広い室内を穏やかに照らす光球。
私は一瞬、その光の中に青年領主の影を幻視したような気がして、目を瞬かせた。
しかし、御使いはただ静かに、そこに佇んでいるだけだった。
「では、私の方からも一つ、お願いがございます。」
「お願い、ですか?」
「はい。この村に商業ギルドの支部を作らせていただきたいのです。ご了承いただけますでしょうか?」
少女はしばらく無言で光球と向き合ったあと、私に答えた。
「もちろん、構わないとおっしゃっています。出来れば、そのための建物も、御使い様が建てたいそうです。」
「それは・・いえ、ありがとうございます。ご厚意に感謝いたします。」
その後、私は税の仕組みや商業ギルドの役割などを簡単に説明した。
御使い殿は、私の話をよく理解し、的確に質問を投げかけてくれた。
ただ、少女を介しているので、どうしても話のテンポが悪くなってしまう。それが実にもどかしい。
この御使い殿と村の将来について、直接思いを伝い合えたら、どんなにかいいだろうに。
話し終える頃、私はそんな思いを抱くようになっていた。
すっかり話し込んで、気がついたときには、丘小人たちはその場からいなくなってしまっていた。
私は御使い殿と少女に暇を告げ、アッシャール提督と共に、その場を辞去した。
「御使い殿に引き合わせてくださって、ありがとうございます。」
私がそう言うと、提督はフッと小さく笑った。
「あたしの方こそ、いろんな話が聞けて楽しかったよ。これから忙しくなりそうだ。」
「本当にそうですね。」
私は提督と別れ、滞在している宿に向かった。宿と言っても、石造りの部屋があるだけで、持て成してくれる主人がいるわけでもない。
先程、御使い殿と話した通り、この村にはまだまだ人が足りていないのだ。
私は自室に入ると、筆記具を取り出し、報告書をしたため始めた。
報告に同封する支部設立届も、様式に従い作成していく。
報告書は薄い紙製だが、届の方は羊皮紙だ。署名を終え、最後に自らの印章を押した後、私は二通の書面を封筒に入れ、蜜蝋で封をした。
「さて、ソラヤにも報告しておかなくては。」
裏紙の便箋を取り出し、今日の出来事を丹念に綴る。そして最後に「もうしばらくここに滞在することにした。すまない。ダリアを頼む」と書き記した。
薄い便箋を封筒に入れ、封をしてからふと、別れ際のソラヤの言葉が思い浮かんだ。
「オルディス様はあなたを見捨てたりなさらないわ。あなたの事をよく分かっていらっしゃるもの。もちろん、私の次にね。」
いたずらっぽい顔でそう言った元同僚の妻。あの時は、そんな事があるかと内心怒りを感じたものだ。
しかし今では、彼女の言ったことが正しかったのかも知れないと、私は思い始めていた。
「フラシャールで見られなかった景色が、ここでなら見られるかも知れないな。」
思わずそんな言葉を呟き、私は小さく自嘲した。
そして、愛用の文箱の中に手紙の束をしまうと、夕食の準備に取り掛かったのだった。
お読みいただき、ありがとうございました。




