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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

死者の歩み

作者: 藤 晦朔

「そうだ、このまま進めば地獄の入口だ」


 長身の男が指差す。男の(まと)う清らかな光が道を照らし出した。しかし、洞窟(どうくつ)の果ては見えない。


「お前の魂が(けが)れ切っているなら地獄へ、穢れなきものなら天国への道となる」


「いいえ、私はきっと地獄へ行かねばなりません。それだけの罪を犯したのです」


「そうか。罪が重いほど道は沈む。地獄の何層目に繋がるかはわからないが、お前の告白を受け、導くことが我らの役目だ。さあ、歩み始めよ。そして語るが良い。この旅を終えるとき、お前の魂は、真の姿を現すだろう」


 私の行く先は暗闇に覆われ、何も見えない。既に鼓動を止めた心臓は、私に勇気を与えない。息の根は止まり、身体の熱も失われた。残っているものは、途方もない後悔だけである。一刻も早く、今すぐにでも地獄の責め苦を受けねばならない。その想いが、最後の歩みへと踏み出させた。


「私は、大国の王家に生を受けました。何ひとつ不自由ない生活を送り、三十を過ぎた頃の話です」


 隣を歩く男から(あふ)れる光が、前方を照らす。洞窟に生命の痕跡(こんせき)はなく、凹凸(おうとつ)のない黒岩が切れ目なく続いていた。


「辺境の子爵領で、村が四つ、呪われました」


「呪いとは、神の御業(みわざ)だ。その者たちが信仰を捨て、神の恵みから外れたがゆえに、呪いを受けたのだろう」


「はい、先王もそのように考え、村を廃すべく派兵しました。ところが、その呪いは兵たちへと伝播(でんぱ)したのです」


 魔法の行使もなく傷が回復するさまは、聖典に基づけば奇蹟(きせき)である。しかし、際限なく繰り返されるそれは、もはや呪いだった。心臓を貫き、首を落としても再生するなど、悪魔に(ほか)ならない。そして、世界の理を破壊する能力は、異教の神へ聖歌を(ささ)げることで獲得出来た。


 日々の祈りを欠かせば灰となるものの、歌うだけで不老不死である。その手軽さは、瞬く間に王国を侵食した。


「率先して永遠の命を得たのは、愚かにも貴族たちでした。改宗とともに破門されますから、一人でも老化や死の恐怖に屈すると、その家族も道連れに改宗が進みます」


 年を追うごとに改宗者は増え、やがて人口の三割を占めるようになった。定命(シーズナル)の人間に対し、改宗者は不老不死(エヴァーグリーン)と呼ばれる。私が王座に就く頃には、権力や資産を持つ者、兵士、奴隷は不老不死(エヴァーグリーン)、その他は定命(シーズナル)を選んでいた。


 定命(シーズナル)は、寿命という致死性の遺伝病を患っていると揶揄(やゆ)され、不老不死(エヴァーグリーン)は、聖歌を歌わなければ一週間の寿命だと(さげす)まれた。双方が対立する中、教会は有力な支援者を失い続け、指導的立場の聖職者でさえ、死期が(せま)れば改宗した。そのような世相(せそう)で王国は転機を迎えた。


「言うまでもなく不老不死(エヴァーグリーン)は、餓死(がし)と無縁です。……あれは日照りが続き、大凶作の年でした。私は()れを出したのです。徴税の折に聖歌を歌えば、税を減免すると」


「お前が信仰を()てさせたのか」


「民が減れば、翌年の食料生産までも減ることは明らかでした。過去には、防衛力が弱まり、他国の侵略を許した国もあります」


 改宗以外の選択は、国に滅亡を(もたら)すように思えた。


「改宗政策の結果、百万を超える民が不老不死エヴァーグリーンへと転身し、飢饉(ききん)による死者は僅少(きんしょう)で済みました」


 制限のない身体は、資源の限りモノを生産出来た。これ以降、王国は歴史に類を見ないほど急激な発展を遂げた。私を賢王と(たた)える声は、後を絶たなかった。


「十年、二十年と時を重ねる内に、不老不死エヴァーグリーンに対する疑念の目が強まりました」


 不老不死エヴァーグリーンであっても、聖歌の祈りを絶やせば、自死することが出来る。怪我や死の機会が多い者は、自死を選ぶ傾向にあった。これは、繰り返される苦痛に耐えかねてのことだと言われていた。


 しかし、灰となった者たちの情報が蓄積(ちくせき)すれば、否応(いやおう)なしに不老不死エヴァーグリーンの真実が浮かび上がる。私が機密指定とした内容は、このようなものだった。


「学院の報告によれば、実際は改宗した時点で死を迎えていました。改宗とは、残りの人生の生命力を対価にして、死後も一週間ほど活動させる魔法だったのです。怪我の回復には、その生命力を使用していました。もし生命力が枯渇(こかつ)すれば、身体は灰となります。ただし、聖歌を歌うことで、肉体の状態を死の直後に戻し、生命力までも回復させることが可能です。つまり、不老不死エヴァーグリーンは身体を維持する魔法が掛かっている死人であり、歌を絶やさぬ限り活動することが出来ます」


 日に何度か聖歌を歌う宗派もあるが、それは余裕のある者に限られる。自死とされた者たちは、生命力の消費が激しかった。恐らく、日々歌う余裕のない生活を送り、たった一度、想定より早く生命力が尽きたことで、灰となったのだろう。


 貴族の不老不死エヴァーグリーンもいるとはいえ、その大多数は身分の低い者たちだ。改宗時に死亡していることが定命(シーズナル)に知れ渡れば、もはや人間として扱われないだろう。そして百万人を改宗させたのは、王である私だ。


「百万の信仰を廃し、百万の民を殺した私は、地獄へ行く(ほか)ありません」


「何を言う。お前は、百万の魂を救ったのだ。その証拠に、ここまで少しの下り坂もなかったではないか」


 驚いて顔を上げる。洞窟の奥に、明るい光が見えた。


「こ、ここは、まさか異教徒が死後に来る世界ですか? ついぞ私は聖歌を歌わず、不老不死の誘惑に耐えたはずです!」


「ああ、確かにここは、お前の言うところの異教徒の世界である。百万の信仰を捧げた功績は、決して見過ごされるものではない。惜しむらくは、我らが教えに無知であることだが、あそこに見える煉獄(れんごく)で、その罪を浄化すれば天国に迎え入れられるだろう」


 天国に行ける……のか? 本来、私が信ずる神は、私を地獄に落とし、終わりなき苦痛を与えたはずだ。それを覚悟し、自ら望みもしたが、もし苦痛を受けずとも許されるなら、それに越したことはない。煉獄とは聞きなれない言葉だが、信仰せずとも天国へ行けるとは、何とも寛容(かんよう)なものである。


「私の知る死後の世界は、天国か地獄しかありません。煉獄とは、どのような場所でしょうか?」


「天国は、望めばすべてが叶う世界だ。地獄は終わることのない苦痛に満ちる世界だ。そして煉獄とは、期限付きの地獄と考えれば良い」


 洞窟の終点に光が見えてからは、あっという間だった。出口へ近付くにつれ熱気が増し、徐々に煉獄が見え始める。天にも届くまばゆい光の正体は、地平の果てまで続く炎であった。


「この業火がお前の罪を浄化する。いずれ熱さを感じなくなったとき、天国への道が現れるだろう」


 もう数歩進めば、煉獄に入る。肌を焼く熱気を前に、目を(つむ)り、十字を切った。額から胸、左肩から右肩へと触れ、神への信仰を口にしかけたところでハッとする。もはや私は、異教徒なのだろうか……? いや、洗礼を受けてから死ぬまで、常に教えを信じ続けた。改宗した覚えはない。むしろ、私の横に立つ、名も知らぬ男こそ悪魔なのではないか。


「死者を導くほどですから、さぞ名の知れた方と拝察しますが、恥ずかしながら、どなたであるか見当(けんとう)も付きません。どうか最後に、あなたのご芳名(ほうめい)を教えていただけますか?」


「私は、新たなる教えを広めたに過ぎない。今となっては名乗ることに意味はないが、しかし隠すものでもない。教えてやろう、私の名前はttohsだ」


 私はそれを、知っている。子どもの名付けとは到底無縁のものである。口にすることも(はばか)られるのは、それが最も忌むべきものであるからだ。今や正確な発音さえ忘れ去られたが、その言葉を知らぬ者はいない。それは、ただ一つの存在を表していた。すなわち「神の敵」である。


 その名前が耳に届いてから理解するまでに、どれほどの時間が掛かっただろうか。衝撃に思考が真っ白になった私は、ただ相手を凝視していた。長身の男は、邪悪な気配が皆無であるばかりか、清浄な光さえ纏っている。とても神の敵には見えないが、次に私が放った言葉は、乱暴なものとなっていた。


「……ここは、死後の世界ではないだろう。神の救いを妨げる者よ、一体何を(たくら)んでおる」


「お前たちは聖歌を歌うだけで、永遠の命を得られるのだ。我らは、不老不死を実現する魔力を得るために魂を(もら)い受ける。これは、祈りを捧げたところで何も為さぬ神などより、(はる)かに望まれるものだろう」


 最初に聖歌を歌うとき、体が死を迎えるばかりか、まさか魂までも奪っていたのか……! 


「な、ならば、聖歌を歌った者は、魂を持っていないのか?」


「いいや、魔力で模倣(もほう)した魂がある。それまでと変わらぬ働きをするのだから、本物か否かなど問題ではない」


「本物の魂は、どこへやったのだ!」


「終わらぬ夢を見ている。魂は永久に魔力を生産するのだから、死後の世界など無駄でしかない。死者の魂から生まれる魔力は、ただ神の力を強化するために使われているのだぞ。しかし、模倣した魂へ魔力を回せば、不老不死にもなり得る。本物の魂を分離保護し、聖歌の度に魂を模倣することで、永遠を生きられるのだ。お前の信じた天国や地獄は、社会秩序を維持するためのものでしかない。実際は、死後に終わらぬ夢を見るだけだ。同じことならば、夢を見て、永遠も生きれば良かろう」


 生涯をかけた信仰に疑惑が浮かんだ。思えば、いくら祈りを捧げたところで、何かが返ってくるわけではなかった。現に、神の敵を前にしても、神は私に武器を与えない。そればかりか、目の前の男は、いずれ私が天国へ行くとまで言う。神が決して私に言わない言葉だ。……この男が信用に足ろうと足るまいと、神に祈りを捧げようと捧げまいと、実際は何も変わらないのではないか。


「お前は神の敵だが、私がお前を倒すことは叶わないだろう。そして、私は既に死んでいる。現世(げんせ)の身体がどうなろうと知ったことではないが、百万の信仰を集めた功績を評価すると言うのなら、この世界から私を解放してくれ。現世の私は死に、魔力を供給すべき身体は存在しない。生成され続ける魔力が無駄となるぐらいなら、せめて神に捧げさせてくれはしないか」


「そうだな、お前はかつてない大国の王であったな。我らが信仰を更に広めると約束するなら、魂を解放した上で、お前の身体を再生してやっても構わない。次に死を迎えた時こそ、お前の信じる神のもとへ行くだろう」


「ああ、きっと約束する。どうか生き返らせてくれ」


 男が纏う光から清らかさが消え、純粋な魔力へと変わってゆく。瞬く間に膨れ上がった魔力が奔流(ほんりゅう)となり、私の中に流れ込む。思わず(つぶ)った目を開くと、景色が変わっていた。


 そこは、座り慣れた玉座だった。老衰したはずの身体は若返り、その変化に周囲は驚いている。どうやら、死の直後に戻ったらしい。開口一番、玉座の間に響き渡る声で命令を下す。


「無限の魔力だ! 不老不死(エヴァーグリーン)から奪い取る方法を探し出せ!!」


 ――こうして私は、神への道を歩み始めた。

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