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捨てる神あれば拾う神七

講武所に急ないとまを告げた清次郎は、ものすごい勢いで長屋までの道を駆けて行く。

二本差しのお侍がそのような様子であるものだから、自然とその姿は目立ち、人々はすれ違う清次郎へ好奇の目を向けていた。

普段の清次郎なら恥ずかしく感じるような事態であったが、そのようなことを気にする余裕もなく、人目など構わずにただただ一目散に走っていた。


その時、脇の通りから曲がってきた駕籠が、清次郎を追い越してその前を走る。

思いがけず入った邪魔に、清次郎が顔をしかめた瞬間、駕籠のすだれがちらりと上がり、その中から声がかかった。

「貴殿、はばかりながら、かように急いて走っておられるのはいかがしてか」


必死に走っているさなかに、このような質問などは煩わしいものであったが、告げれば道も空けてくれようと、清次郎は上がる息で

「知人が急病にて」

と短く告げた。


その瞬間、「止めよ」と中からは張りのある声が響き、駕篭掻きはその足を止めようとした。

これはいいと、清次郎は駕籠を追い越そうと駕籠の真横に来たその時、再び先ほどの声が


「待たれよ」

と引き止めた。


息が上がっていた清次郎が、勢いを持ったままの足をやっと止め、眉間にしわを寄せたまま顔を駕籠へとむけると、中からは二十歳頃であろう色の白い涼やかな目の優男が出てきて、立ち上がるとその手で駕籠の中を指し示した。

意味のわからぬ清次郎が首を傾げると、その男は

「お乗りください」

と再びその手でぐいと駕籠をさした。


またとない助けの手ではあったものの、見ず知らずの男からの思いもよらない申し出に答えあぐねていると、その男は僅かに声を潜めて

「武士がそのように往来を急いては品なく映りましょう。さあ、お早く」

と嫌味もなくにこりとして口にすると、駕篭かきに何か指図し、清次郎を手招いた。

「ありがたく存知ます。私は狩野清次郎と申します。講武所にて指南を」

駆け寄った清次郎が律儀に言いかけている横から、男はせかすように口を挟む。

「私は深川の伊東道場の鈴木大蔵と申す。話はまた。では、急がれよ」

そう素早く告げると男はさっさとすだれを下げて、駕篭かきに「早く」と告げていた。


その頃、喜市の待つ長屋は大騒ぎであった。

ついにここでもコロリがでたかと、逃げるもの、見物に来る者で喜市がおちおち眠れぬほどの騒々しさであった。


「岸本さん、こんなに水ばっかのめやしないよ」

戸の向こうの騒がしさにため息をつきつつ、かさつく唇で文句を言う喜市に、侘助はせっせと湯飲みに水を入れて運ぶ。

そんなものだから、喜市も断りきれずに弱っていたのだ。


「この病は干からびて死ぬんだ、命が惜しけりゃ飲むんだな」

傍らで薬草なんぞを煎じる岸本は、貧乏神に命じて布を結んでおしめもどきを作らせている。

おそらくそれは自分用に作られたものだと思うと、喜市は閉口するばかりで、侘助がまたもや差し出した水入りの湯飲みに、せめてもの味付けをと吉婆が「万病に効くから」と差し入れてくれた梅干をほぐし入れて飲んだ。


激しくなる吐き気を堪えながらうめぼし水をようやく飲み干した頃、規則正しく響く掛け声が近づき、それがぴたりと止まり少なくなった足音がこちらに向かうと、戸ががらりと開いて両手いっぱいに水菓子やら卵やらを抱えた清次郎が慌しく駆け込んできた。

どうやら足で戸を開けたせいでささくれに引っかかった袴を強引に剥がしたので、立て付けの悪い戸がばたりと倒れ、周りを取り囲んでいた近所の人間は蜘蛛の子を散らすように逃げてしまった。


「喜市、具合はどうだ。好きなものを買ってきたんだ、どれでも食べるといい」

倒した戸などちっとも気にせぬ様子で、息を急き切らしながら必死の形相で言う清次郎を見れば、口を開くのも億劫だった喜市も端に乗った桃を指差して

「それを剥いてくれるか」

と言わずにはおれなかった。

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