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捨てる神あれば拾う神六

「あれ、侘助、今日喜市は来たかい」


侘助は寝ぼけ眼で首を振る。

どういうわけか知らぬが貧乏神をえらく気にいった侘助は、喜市が「狭くなるだけだ」と忠告したにもかかわらず、清次郎の部屋で寝起きしていた。

それなものでここ何日か、喜市が仕事に出る時間は侘助に一声かけに清次郎の家に顔を出してから振り売りに行っていたのだが、今日はそれがこない。


晴れて陽気の良い、絶好の振り売り日和なのにどうしたものだろう、あるいはもう出かけたのだろうかと妙に不安を覚えた清次郎は出掛けに喜市の部屋を訪ねた。


「もし、いるのか、喜市」

「あいよ」

問い掛けに少し遅れて、部屋からは低く苦しそうな返事が聞こえる。

「入るぞ」

と清次郎が戸を引くと、そこには掻巻きの中で悶えるように眉を潜めた汗だくの喜市がいた。

「おお、清次郎殿」

「これは一体どうした」

近づきかけた清次郎を、喜市は手を突き出して制止した。

「わるいねえ清次郎殿。夜から腹下しが酷くてねえ、食い物に当たったか」

言いかけてふと喜市は言いよどむ。

「もしやコロリかもしれんな」

一瞬で目を丸くした清次郎に苦笑いを浮かべ、喜市は目を閉じた。

「だから侘助をお願いするよ」

消え入りそうな声に清次郎は焦った。

それもそのはずで、この夏、江戸ではコロリと呼ばれる死の病が流行っていて、人がばたばたと死んでいる。

一様に患者は嘔吐や腹下しを繰り返し、干からびるように絶えるのだ。


清次郎は喜市の部屋何も言わずにを飛び出すようにして自分の部屋に戻ると、朝の芋粥の残りを器によそって持って来た。慌てすぎたせいでこぼしたのも気にせずに、その手で箱膳を引き寄せると乱暴にその上に置く。

「今すぐ、岸本殿を呼んで参る。これを食べて待っていろ」

清次郎は必死に言ってくれていることはわかっていたが、しかしながら喜市は口をあけるのもおっくうで

「ありがたいねえ」

とだけ答え、膳に手をつけようとしなかった。しかし察した清次郎はすぐさま眉間にしわを寄せ

「食え」

と怒鳴りつけるように言い、急ぎ出て行ってしまった。


その様な清次郎の物言いが初めてで驚いたのが効いたのか、喜市は渋々粥に口をつけた。

味気無い芋粥はいつもより一層食い応えがなかったが、しかし先ほどの清次郎の一喝と、今聞こえているお向かいのあわただしい音を思えば、何とか食べねばと言う使命感にやっとのことでからくり機械のように口へと運ぶことができた。


一方清次郎は火をおこして湯を沸かし始めると、それと喜市の世話を侘助にまかせて飛び出した。まだ朝早く、髭を整えていた岸本の元に、汗だくの清次郎が駆け込んだのは、それから四半刻も経たない頃だった。


岸本殿、と聞き覚えのある声が門の方からかかったと思った次の瞬間には、足音は既に岸本の寝所まで迫っていた。そして現れた今まで見たことも無い程に険しく、子供のようにうろたえた表情の清次郎にただならぬ物を感じた岸本は、左半分の髭を整えるより先に

「どうした」

と清次郎に座布団を差し出した。

「喜市がコロリかもしれません」

挨拶よりも早く出たコロリという言葉に、岸本ははっと息を飲んだ。

「分かった、直ぐに支度しよう。辻でも良い。籠を拾って置いてくれるか」

そう言い置くと、岸本は傍らの屏風にかかっていた羽織りを引っ掛け、奥の部屋へと消えていった。


急いで通りへ出た清次郎は広小路まで走り、そこで煙草を呑んでいた仕事前の籠掻きを急かし引きずるように連れて来た。

岸本が医者だと分かると、籠掻きの方も急いでくれ、清次郎は追いつくのも精一杯であったが、途中講武所に休みの届をしていないことに気付き、やっとのことで籠と並走すると、岸本にそれを告げて去った。



「侘助、水はいいから、来ちゃならねえよ。清次郎殿の所にかえんな」

侘助は喜市が再三寄るなと言うので、部屋の隅で膝を抱えるように座っていたが、清次郎の所に帰るつもりもなかった。

「狸はそんなものにかからん」

「そんなのわからんだろう。とっととけえんな」


朦朧としながら話すが、しかし、頻繁に行く雪隠は手助けがあればだいぶ楽なものになるのはわかっていて、そのときばかりは侘助に貧乏神を呼びに行かせていた。


「お前さんのせいじゃなかろうね」

「それは疫病神の持ち場だからなあ」

貧乏神は飄々と話すので、それもそうかと喜市はおとなしく肩を借りた。

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