捨てる神あれば拾う神五
部屋戻ってみれば侘助は既におらず、喜市は気が進まないながらもそのまま戸を閉めると、くるりと振り返って清次郎の部屋へと向かった。
「おい、入るぞ」
戸を開けてみるが、そこには誰もいない。あれれと下を見れば侘助の草鞋もないので、再び外に出て見渡してみれば、囲炉裏端の長屋のおっかさんたちが行き交う足下にしゃがみ込む二人がいる。ほっとして歩み寄れば、どうやら地面に碁盤の目をかいて将棋をしているようだ。
「おいおいお二人さん。ここじゃおっかさんたちの邪魔だよ。」
声を掛けると二人は同時に喜市を見上げる。
端から見れば、祖父と孫にしか見えまい、と思った。神様だと信じろという方が無理な話だ。余りに俗っぽさがありすぎるのだ。
「そうかい。何じゃ退屈でのう」
なあ、と同意を求められた侘助もこくりとうなづく。
しかしながらこうも神様らしいところが見当たらないと、さすがの侘助の言葉さえも喜市は疑わしく感じずにはいられなかった。
「貧乏神様のお仕事はしなくていいのかい」
「うむ、退屈だしそろそろするかのう。」
思わず嫌味をこぼしてみれば、貧乏神は髭をひねりながら唸る。
神様などではないんじゃあるまいかと思ってみても、喜市は自分が余計なことを言ってしまったという後悔に駆られた。もし、仕事などされてはかなわないのだ。
喜市は考えあぐねて一息つくと、よしわかった、と二人を自分の部屋へと引っ張り戻した。
そうして着物を行李から出すと貧乏神に差し出し、着替えるようにすすめ、ぶら下げた行李の中を探ると先日の大枚を入れた麻の染め抜きの小袋を出した。
「お江戸見物には十分だな」
煙管のことを思えば金は惜しいが、だからと言って清次郎が貧乏神の退屈しのぎに折角の職をとられてしまってはかなわない。喜市は小袋をそのまま懐に納めると、俄かに顔を明るくさせる二人を連れて街中へと繰り出していったのだった。
その日の夜、講武所から帰った清次郎は汗を拭きつつ、にこにことしながら喜市の元をたずねてきた。
「喜市、今日はすまなかったな。貧乏神殿が楽しかったとえらく喜んでいたよ」
「いや、侘助も喜んでたし気にしないでおくんな。商売繁盛の参拝ついでだ。」
喜市の余りにも疲れ切った具合に清次郎は首をかしげたが、それもそのはずであった。
行き倒れていた、というのが嘘だと思えるほど貧乏神は足腰が達者で、日本橋だ浅草だ、深川だ富岡だと終始元気に侘助とはしゃぐものだから、一仕事終えてからついて行く喜市には辛いものであった。
挙句天麩羅だ餅だと食うものだから、見ているだけでも腑が重く感じるようで、夕飯も食う気に慣れなかった。
「しかし神様が寺社巡りとはおかしなものだな。あれは本当に貧乏神かねえ」
清次郎を見向きもせず、煙管がなくて手持ち無沙汰だからか、むしった井草を手でよりながら喜市はただ寝転がって天井を仰ぎ見て口にする。
「ああ、貧乏神殿は、久方振りに皆に挨拶に行けたと喜んでいたよ」
「神様の挨拶回りのお供ってわけか。こりゃあなかなかできないこった、ありがてえや」
力も気もなしに言う喜市にさすがの清次郎も気の毒に思い、手にした風呂敷包みから丸いものを取り出すと、畳の上にそれを置いた。
「帰りに伊庭殿から梨をいただいたのだ。初物だそうだぞ。」
そういうと清次郎ははっと思いだしたように自分の長屋に戻り、すぐさまざるを手に戻って来た。
「帰りに釣りにも誘われてな、私が釣ったんだ、良かったら食べてくれ。それと今日は侘助はうちに泊めるよ」
と、手のひらほどの魚が二匹乗ったザルを梨の横に置いた。あからさま過ぎる清次郎の精一杯の気遣いがおかしくて顔を和ませると、喜市も疲れ切った身を起こし
「ありがとう、清次郎殿」
と礼を言ったので、清次郎も少し安心したようにうなづくと、部屋を後にした。
日、一日と夏が勢いを潜めているのには気付いていたが、もうこんな季節になったのか、と、少しざらつく梨を片手に見つめながら清次郎は外に耳を傾けた。
なるほど、知らぬ間に遠くにヒグラシの声が聞こえる。
現金なもので、食べ物を目にした途端、さっきまで疲れて動きもしなかった腹の虫が、ぐう、と鳴き出したのだが、梨一つでは足りない気もして、また、この暑さにすぐに悪くなりそうな気もして、喜市は魚もさばく事にした。
七輪を外に出し、炭に火を入れると、流しで手慣れた手つきをもって魚をさばく。
網の上に乗せるとじゅわじゅわと脂を浮かせるそれは、喜市に魅惑の誘いをかけた。
そんなものだから、喜市は口にした魚が生焼けなのを気にはしなかった。何よりさばく時にはまだ弱弱しくも生きていたので、刺身でも良かったくらいだ。
そうして先ほどの腑の重たさはどこへやら、魚二匹と梨一つを喜市はぺろりとたいらげてしまった。