捨てる神あれば拾う神四
そうして清次郎が夜の約束を喜市に取り付け、男を自分の部屋に連れ帰った後、侘助があくびついでにぽつりと呟いた。
「喜市、あれは人間ではないぞ」
まさか、と思う間もなく、やはりそうかと思ってしまうのは今までの清次郎との不思議な経験のせいだろう。もはや喜市は恐怖の欠片も抱かなかった。
「そうかい、今度は何だい。たぬきか狐か、それとも幽霊か。どうせなら鬼だったら肝も冷えて丁度いいやなあ」
「どれでもない」
茶化して言ったものの侘助が笑いもせずに答えるので、喜市はほんの少し神妙な顔つきで再び訪ねた。
「じゃあ、何だってんだい」
聞くと侘助は言いよどんだ。そうなれば一層気になるもので、喜市は侘助の方に身をぐいと乗り出した。そうして沈黙のまま見つめあった後、侘助は言いにくそうにぼそりと呟いた。
「貧乏神だ」
そう聞くと、途端にいやな予感が背中の向こうから感じる。
貧乏神が不気味だとかそういう問題ではなく、お人よしで運なしの清次郎の身に何かが置きそうな予感がひしひしと感じられたのだ。
「清次郎殿、開けるぞ」
すぐさま戸を開け部屋を後にすると、その勢いのままに清次郎の部屋の腰高障子を勢いよく開けた。
すると、当の清次郎は貧乏神と向かい合って雷おこしを御茶請けにして茶を啜りあっている。不安な予感とは打って変わってのんびりとした穏やかな光景だった。
しかし相手は貧乏神である。喜市は気を取り直すときびきびと言い放った。
「おい、貧乏神のじいさま、清次郎殿に取り憑こうったってどだい無理な話だぜ。
見てみろいこの米櫃。長屋暮らしに余分なんかありゃしねえよ。
じい様にやった飯だって清次郎殿がなけなしの米で炊いたんだ、馳走になってとり憑こうなんて無情にもほどがあらあ」
まくしたてる喜市の言うことを飲み込めない清次郎は、二人をただ交互に見て呆気にとられている。しかし、貧乏神の方はというと、一瞬感心をしたような顔をして喜市に向き直り
「いかにも、わしは貧乏神じゃ。良く分かったのう」
と喜市の怒りなど他所にカラカラと笑い声をあげた。
「ほれ見ろ。清次郎殿、味噌なんか焼くからだ。ささ、わかったからには引き取り願おうじゃないか」
肩透かしを食らったような気持ちになりはしたものの、喜市の頭には今朝のスリの事もあったし、折角清次郎が就いた講武所の雇いを払われては敵わぬと、変わらず強い口調でまくし立てた。
しかしそれをなだめたのは清次郎だった。
「喜市、その物言いはいくらなんでも酷いじゃないか。貧乏神とて神様だ。そのように扱ってはならぬ。それに今日はもう日も傾いて来た。貧乏神様、このようなところだが、どうぞお休み下さい。」
穏やかに笑ってそう口にすると、清次郎は貧乏神にきっちりと頭を下げて喜市に向き直り
「なあに、お主の言うとおりこれ以上貧乏になんざなれやしないよ」
とかけらの心配もなさそうに笑うので、喜市もそれ以上何も言うことができなかった。
翌朝、喜市が朝の物売りから帰って来た頃である。ちょうど、勤めに出かける清次郎と長屋の前で出くわした。
「やあ、立派な格好で。やはり清次郎殿はお武家さんだなあ」
普段は着ないしっかりとした蝦茶の着物と袴を身に着けた清次郎は、やはり武家の貫禄をしっかり持っていて、喜市は素直に関心したのだ。
言われた清次郎も少し照れて頬をかいた。
「そうだ喜市。昨日、味噌を焼くとどうこう言っていたが、あれは何のことだ」
「ああ、貧乏神は焼き味噌がお好きなようでな、味噌を焼くと寄ってくるっつって、縁起が悪いんだよ。」
「ははあ、焼き味噌がお好きか」
ああ、この男はきっとあの貧乏神のために味噌を買って来て焼いてやろうと思っているなと喜市は悟り、溜め息をついたが、しかしながら清次郎らしいその考えにもはや責める気にもならなかった。
「あ、そうだそうだ。侘助に少し貧乏神様の世話を頼んだのだ。それでも何かあったら知らせに来ておくれ」
清次郎はそう言うと、木戸番に挨拶をしながら出て行った。