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捨てる神あれば拾う神三

「なんでい危ねえなあ」

と、その後ろ姿に届かないであろうやじを一つとばすと籠を担ぎ直し、何も落としちゃいないか確認すると、後はさして気にもせずに長屋まで急いだ。さて長屋に着いて、中に入る前にちょっと一服と帯に指しておいた煙管を取り出そうとすると、喜市の手はただ着物をつかむだけで、あるはずの煙管の感触がなかった。


以前に馴染みのご隠居からもらった銀の雁首の洒落た煙管は、いつもなら大事に懐の中に入れておくのだが、一服している最中に例の伊介に呼び止められたもので、とりあえずと帯に挟んでしまっていたのだ。


気づけば部屋の前にざるを放り出し風のように早くさっきの店の前まで駆けていたが、残念ながらそこには何も落ちていなかった。

いや、もし落としていたのならあのときに気がついたはずなのである。確かにいつもなら転んだところで大して気にしないのだが、何せ銀二分という大金を持っていたものだから、今日ばかりは落としちゃいないかと、立ち上がった後に確認したのだ。

もちろん懐も確認した。しかし、二分銀に気をとられて大事な煙管がなくなっていることに気がつかなかったのだ。


となると、思い当たるのはただ一つであった。


「あの野郎か」

喜市は顔をしかめる。脳裏に浮かぶのは先ほどの男である。

ぶつかってすられるなど、スリの常套手段をまともに食らってしまった自分が情けなかったが、そんなことを悔やんでももう時は遅く、喜市は肩を落として仕方なく長屋へとそのままとぼとぼ帰っていった。


部屋に入ると、侘助が茶をすする横で、昨日のじいさまが高いびきで寝ている。

自分の落胆とは裏腹に心地良さそうなそれに益々気落ちしつつも、侘助に悟られまいと至って普通な体でいつものように流しの横にざるを積み上げて腰を下ろした。

「よう侘助、後で出かけないかい。今日は儲けてな、御前の着物を作りに行こうじゃないか。化けて着物は着られても、暑さ寒さはかわんねえんだろ」


銭を手の上で遊ばせながらさも楽しみといわんばかりに口にしたのだが、侘助は首を横に振った。

「なんだ、いらないのか」

「それだけあれば質入されても買受できるだろう」

どこをどう察したのか侘助にはすっかり見透かされていて、喜市は参ったとばかりに苦笑いを浮かべたが、侘助の提案を聞けばそれもそうだなと思えた。

「悪いな、折角新しい着物が買えたのになあ」

いつもならこんな時、煙管をくわえて誤魔化すのだが、今日はそれがない。行き場所のなくなった手の先に侘助が茶を勧めてくれたのが、喜市にはまたやるせなかった。

「じいさま迎えるなら、花魁の幽霊のがまだいいやな、侘助」

代わりに悪態をつくと、あざ笑うかのようなひときわ高いいびきが返事をしたので、二人は思わず顔を見合わせて笑ってしまった。


「喜市、入るぞ」

戸の向こうで清次郎の声がした。

「どうぞ、清次郎どの」

喜市が促すと清次郎はさわやかな笑みで戸を引いて登場し、じいさまを見るとほっとしたような顔を浮かべた。

「朝から楽しそうだな、何があったんだ。」


「その真反対さ。」

思い出したように少し苛立って見える喜市に、清次郎は首をかしげたが、まあこんな狭い処に暑い中三人で寝ては苛立ちもするだろうと

「暑い中ありがとうな」

とだけ口にしたので、喜市は少しばつが悪そうに頬をかいた。


「ところで、今日の夜は何ぞ用があるかな。飯でも食いに外に出ないか。精をつけに鰻なんぞどうだろうか」

清次郎が飯に誘うなど、今までに三度とないことである。ましてやあっさりしたものしか受け付けぬという弱い腑を持ち合わせる男の提案とは思えず、侘助までもが驚いて目をまあるくした。

「いや、用はないんだが、生憎しばらく自由に金が使えねえのさ。」

気もそぞろな喜市はそんな異常にも気づかず、茶を飲むと口から煙をふぅっと吐くように息をついたのだが、清次郎はそれを見てぱあっと笑顔を浮かべた。


「なんでい、富くじでもあたったかい」

茶化すようにと聞くと、いよいよ清次郎は少し自慢げに胸を張った。

「いやあ、講武所の臨時雇いになってね、わずかばかりだが給金も出るのだ。それで昨日、支度金を頂いて、あまったのでね、うなぎでもどうだろう」

昨日清次郎が朝方から「用がある」と言って出かけたのはこの為だったのか、と、喜市はその自慢げな顔の理由と共に納得した。

聞けば、侘助を練武館の伊庭八郎の下へと迎えに行った時のこと、清次郎の体つきを見た道場の者が一つ相手を願った結果、すっかりその腕前を気に入ってしまい、口ぞえしてくれたのだった。


「ほう、それならありがたくごちそうになろうかね」

突然、聞きなれない声がしたほうを、二人そろって振り返ると、そこにはさっきまで寝転がっていた男が身を起こして、にこにこと微笑んでいた。

「ああ、気づかれたか、ご隠居」

清次郎は安堵した様子で、その笑みに答えたが、喜市はやはり少しばかり渋った顔で迎えた。

「そうだ」

思いついて清次郎はすぐさま踵を返すと自分の部屋へと戻り、握り飯二つと味噌汁を持って戻り、それを男に差し出した。

男は、ありがたやありがたやと呟くと、瞬く間に大きな握り飯と味噌汁を平らげていく。

喜市があっけに取られてみていると、男は空になった椀を差し出し

「もう一杯所望してもよろしいかな」

と口にしたのには、清次郎も流石に驚いてしまった。

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