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捨てる神あれば拾う神一

夏は盛りを越えたものの、まだまだ残暑は厳しく打ち水もすぐ干上がるほどの暑さに、江戸の長屋に住む、武家崩れの清次郎と棒手振の喜市、そして喜市のもとで居候をする小さな化け狸の侘助もさすがに参っていた。


「おい侘助、雪だるまになんかは化けらんないのかい」

暑さを持て余した喜市は部屋にごろりと寝転び、天井を眺めながら言う。

ただ寝転がっているだけでも茹だる様な暑さに、もう動く気にもなれなかったのだ。


「なれるが、冷たくはない」

侘助は水を入れた桶に、足をぱしゃぱしゃとつけながら返す。

さすがに元は野生の狸なだけあって、暑いとは言うものの、いつもと特段変わらない過ごし様でいる。

「温い雪だるまなんか雪だるまなもんか」


そう我侭を言った口を尖らせて、必死に団扇をばたつかせるのを、侘助は握り飯片手に眺めていた。

「侘助、それはどうしたんだい」

自分があげた覚えのない握り飯を持っていることに気付き、喜市は侘助の方にごろりと向き直った。

見れば味噌をつけて焼いた、焼きお握りである。

「朝、清次郎に貰った」

手に付いた米粒を啄みながら、侘助は言った。

「ふうん。貧乏長屋で味噌焼くなんざ、縁起が悪いなあ」


「貧乏で悪かったなあ」

跳ね返ってきたような返事が、開けっ放しの戸口から不意にした。

ものぐさをして目だけでみれば、声の主は口をむうっと曲げて仁王立ちをしている。

いつも着物だけは小綺麗に来ている清次郎だが、この日はめづらしく裾からげをし、額には汗がにじみ出ていた。

ふと、喜市は今までに何度か味わったことのある言い知れぬ胸騒ぎを覚えた。


清次郎の両肩からしわくちゃの手がだらりと下がっているのである。

「清次郎殿は拾い物が得意だね」

暑さにだれた喜市が力なく皮肉を言うと、清次郎は俄かに不機嫌そうなめを喜市に向け、背負っていた老人をゆっくりと畳に下ろした。


「清次郎殿、御手前の家は向かいぞ」

喜市は胸騒ぎが確信に変わるのを覚えつつ、清次郎に声を掛けた。

が、言ったところで結局この二人はここにいるのだろうと半ば確信に近い予感であきらめていたので、喜市はそう口にしながらも暑さにあえぐ二人を団扇で扇いでやり、積極的に追い出す気は無かった。

「いや、俺の所はお日様が照って、家の中まで風呂みたいでな。申し訳ない事だが、日が落ちるまで少し世話になっても良いだろうか」


バツが悪そうに清次郎が口にする。

確かにそうだ。

先月の台風の大風で、それまで清次郎の棟に日陰を作ってくれていたケヤキの木の枝がぽっきりと折れ、日差しが燦々と屋根に降り注ぐ様になってしまったのだ。

以来、しょっちゅう入り浸っていた侘助さえも清次郎の部屋に行こうとせず、毎夜彼が喜市の部屋にたずねてくるのを待つのだった。


「構わないが、一体このじいさまはどうしたんだい」

寝煙草をしていた煙管を灰入れに打ち付けて灰を落とすと、喜市は「よいしょ」とだるそうに体を起こした。


畳に腰掛けた老人は痩せこけて粗末な着物を着て、落ちくぼんだ目の辺りは暗く、何とも不気味な風体であった。

しかし落ち着いた様子でにこにこと笑い、侘助が井戸から汲んで来た水を飲むと、大きく一息吐き、そのままごろりと遠慮の欠片もない態度で寝転がってしまい、これにはさすがに喜市も清次郎も顔を見合わせてあっけにとられてしまった。


清次郎の話ではこうであった。


いつも世話になっている遵恵寺の坊主に頼まれ、街道を下って千住まで遣いに行った、その帰りのこと。

清次郎の目に、道端の地蔵にもたれかかって座る年老いた男が映ったが、ぴくりとも動く様子のないその男の脇を、旅人や行商は見向きもせずに去って行く。


「無情なものだ」


道行く人に視線を投げながら「大丈夫か」と声を掛けたものの、返答は無い。

嫌な予感がして、男の胸に耳を当てたが、あるはずの鼓動は聞こえなかった。


暑い中では街道の行き倒れも珍しくはなく、恐らく道行く人々は、その街道の人通りからしてすでに誰かが寺社奉行辺りに届け出ているのだろうと、通り過ぎていく一方だ。

しかし、それでも手くらい合わせてもよかろうに。

清次郎はやりきれない気持ちで南無と手を合わせると、男の体をよいしょと背負った。

日が照り付けるここよりも、地蔵の少し裏手にある木の根元に運んでやろうと思ったのだ。


この暑さのもとでは、すぐに体が傷んでしまう。そうなれば家族が可哀想だ。

そんな仏心を出した清次郎が木立ちへ一歩踏み出した時である。

「お前、握り飯と水なぞ持ってるかい」

不意に耳の後ろから声がしたので、清次郎は驚いて思わず男を背中から落としてしまった。


ぎゃっ、と言う声と共にどさりと音がして、振り替えれば先ほど背負った男が尻餅をつき、しわしわに枯れた手で腰をさすっていた。

いきていたことに驚くより先に清次郎は男の体を案じ、しゃがみ込んで男の体をさすってやった。


「申し訳ない。てっきり行き倒れているのかと思ったのだ。まさか生きておられようとは」

ひたすらに慌てて謝る様子を見て男はかかかと笑い飛ばし、よいよい、と言いながら立ち上がり、服に付いた砂埃を払った。


事情を聞けば、腹が減ったのと暑いので動けなくなったと言うその男を、清次郎は連れ帰って休ませることにした。

幸い奉行に届出は出されていなかったから、途中の寺社に預けて施しと宿を、と最初は思ったのだが、それは何故か男がひどく拒んだのでやめたのだ。


それにしても男は粗末な身なりである。

麻で織られた着物はほつれ、色褪せて、草鞋も履いていない。

浅黒い顔はこけているせいで彫りが深く、奥でぎょろつく目は気味が悪かったが、道中の男の明るい話し振りのおかげでそれは段々と気にならなくなっていた。


そうして、清次郎は長屋にこの男を運び込んだのだ。


「まあ、河原もんのじいさまだろうな」

ぐっすりと眠る男を横目に、喜市は一つあくびをした。

相手が老人なのに気を遣って煙草を吹かさないようにしているものだから、退屈でたまらないのだ。


「いや、農家のご隠居かも知れぬぞ」

と言う清次郎に、喜市はあくびを噛み殺して首を振る。

「そんなわけあるかい。じいさまの手を見てみりゃわかるさ。農家のご隠居がそんな綺麗な手をして無いよ」

なるほど見れば深いしわはあるものの、まめ一つ無い綺麗な手であった。

謎は解けぬもののいつまでたっても老人は起きる気配がなく、とうとう二人は諦め、その日は老人を喜市の部屋に預けて清次郎は帰っていった。

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