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スカーレットの終幕  作者: 緋楽あけ
第一章 織作邸に集う人々
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第八話 愛人(2)

 日差しを失った暗い空の下で、屋敷を取り囲む木々が湿った風に煽られて盛大に揺れている。ありふれた推理小説の舞台めいた悪天候を背景に、濃い橙のセットアップに身を包んだ華やかな女性が現れた。


「なんで車まで迎えに来なかったの、柚木(ゆずき)?」


 長い睫毛にくっきりとした二重の双眸。真っ赤な口紅が引かれた、ぽってりとした唇。タイトスカートから伸びるしなやかな脚が、細いヒールを音高く床に打ち付ける。柚木さんとはまた違った色合いの黒髪を背中に流し、軽く顎を上げて佇むその姿はまるでモデルのようだ。


「車に荷物がたくさんあるの。すぐに全部下ろしてちょうだい!」

「わかりました」


 柚木さんは見当違いの方向に放り投げられた車のカギを、それでも見事にキャッチした。女性は舌打ち一つ、砕けた硝子片が散らばる床に目を留め視線を鋭くする。


「ふん、もうひと悶着あったってワケね。こんなの織之助(おりのすけ)の思惑通りじゃない。やんなっちゃうわ」

「……もしよろしければ、七瀬さんの事をご紹介させてください。お二人ともこちらの方は――」

「アンタは黙ってて。自己紹介ぐらい自分で出来るわ」


 他人の好意をきっぱりと拒絶する冷やかな声音に、私と恭介は全く同時に身体を震わせた。


「アタシは七瀬瞳(ななせひとみ)織之助(おりのすけ)の担当編集者兼愛人よ。よろしくね」


 腰に手を当てて、まるでランウェイを歩き切ったモデルのように堂々とポーズを決めてみせる女性――七瀬(ななせ)さんの微笑みは一瞬にして人を引き付ける華やかさに溢れていた。しかし、見惚れるのとは違う。気圧された私達は互いに視線を交わして、おずおずと自己紹介をする。


「え、と……私は藤崎羽琉(ふじさきはる)、です。一応、推理作家やってます」

「俺は神居恭介(かむいきょうすけ)だ。ん~と一応……じゃねぇなぁ。れっきとした刑事だ」

「……だったら私だって、れっきとした推理作家なんだけど。まぁいいか」

「そう思うんなら最初から自信持てって。小声で俺にアピールしたって意味ねぇぞ」

「推理作家の先生と刑事さん、ね」


 口調も表情も変わらないまま、華やかな圧だけが強まる。私達は慌てて駄弁を慎み、深々と頭を下げた。


「どうぞよろしくお願いします」

「よろしく頼む」

「……貴方達がこの屋敷にいる理由は、私達に送り付けられた『招待状』と関係があるのかしら?」


 小首を傾げて呟かれた言葉は、しかしこちらの返答を期待してのものではないようだ。


織之助(おりのすけ)! さっさと顔を見せてちょうだい!」


 七瀬(ななせ)さんは突然、階上に向かって声を張り上げた。先ほどの書斎へ向かおうとするのだろうか。迷いなく階段へと足を踏み出すその先で柚木さんが立ち塞がる。


「待ってください、七瀬さん。今は織之助先生とお話しをすることは難しいと思います」

「柚木のくせにアタシのジャマしようっての?! どいて!」

「きゃっ」

「お~い、七瀬さんとやらよぉ」


 突き飛ばされた小柄な姿が大きくよろめく。恭介がもう何度目になるかしれない呆れ声を上げた。私より一瞬早く。


「俺もさっき書斎にいったが、織作(おりさく)先生はなぁんも話しちゃくれなかったぜ。とりあえずパーティーが始まるまでは客室で一息ついてたらどうだい?」

「あらあら、柚木。こんな短時間でまた新しいナイト様を手に入れたの? 羨ましいわぁ。アタシにもそのテクニックをぜひ伝授して頂けないかしら?」

「……ああ、もう。どいつもこいつも」


 大袈裟に項垂れる恭介の心境はとてもよくわかる。この屋敷に集った人々は一様に話を聞いてくれない。


「あら? アンタなに大事そうに持ってんのよ?」

「あ!」


 その時、柚木さんが先ほどからずっと手にしていた文庫本が取り上げられた。


「返してください。それは織之助先生が――」 

「……ふぅんコレって」


 七瀬(ななせ)さんの声音が明らかに変わった。

 くっきりとした二重の双眸が思いがけず私を見据える。

 文庫本と私の顔とを見比べて、微かに歪められる口元。それは篠塚(しのづか)(あらた)と全く同じ感情で。


「そう、藤崎羽琉(ふじさきはる)……。どこかで聞いたことがあると思ったら……貴方が織之助の――」


 雑音。


「可哀想なコ」

「七瀬さん、その本を返してください。それは織之助先生から探偵さんに渡すよう言付かっているものなんです」

「探偵!? そんな胡散臭いヤツまでいるの!?」

 

 表情を一転させ、七瀬さんは不愉快そうに言葉を吐き捨てた。


「やっぱり今すぐ織之助と話をしないといけないわね!」

「今は無理なんです。原稿を書いている時は僕達の相手なんて全くしてくれないこと、七瀬さんだって知っているでしょう?」

「……だったら、アンタに答えてもらおうかしら?!」


 手にした文庫本を柚木さんに叩きつけ、七瀬さんは昂る感情のまま声を荒げた。苛々とピンヒールを床に打ち付ける音がこちらの気持ちまでざわつかせる。


「本当にあの招待状を書いたのって織之助なの?!」

「……どういう意味、でしょうか?」

「頭の回転が鈍い子ね。あの招待状はアンタが書いたんじゃないかって聞いてるの!――アレは三年振りにこの屋敷に集まるアタシ達に対する精一杯の嫌がらせ。それとも本当は、ここに来させないためにあんなものを寄こしたのかしら? だとしたら皮肉よね。あんなコトが書かれてたからこそ、アタシはこの屋敷に来たのよ。織之助と直接話したいコトは山ほどあるんだから、ねぇ?」

「……招待状は全て織之助先生が用意しました。先ほど久子様から教えていただくまで、僕は内容すら知りませんでした」

「ふん、どうだか」

「なぁ。俺にもアンタの招待状、読ませてもらっていいか?」


 私と同じように七瀬さんの剣幕にビビってるくせして、職務を果たすためにちゃんと口を挟める恭介は確かに「れっきとした刑事」だ。七瀬さんは一瞬驚いた表情を見せるも、柚木さんの向けていたソレとは全く違う愛想の良い笑みで頷いた。


「べつに構わないわよ。刑事さんって人の秘密を探るのがお好きだものね」

「個人的な興味はねぇよ。調査の一環だ」


 バックから取り出された白い封筒は一見して私のそれと同じだった。恭介の背後からそっと手元を覗き込む。そこには見慣れた几帳面な文字が並んでいた。


 一枚目はこの屋敷で開かれる誕生日パーティーへと誘う内容。私に宛てられた文面と全く同じだ。問題は私には同封されていなかった二枚目。そこには、この織作邸に集う人々の「悪事」が綴られていた。


 久子(ひさこ)さんは彼の金を使って随分と贅沢な暮らしをしているようだ。息子である(あらた)が起こすトラブルを、表沙汰にはならないよう裏で手を回しているという話は先ほど聞いた通りだ。

 篠塚(しのづか)は女性関係のトラブルや電車内での盗撮容疑で何度か裁判沙汰になっている。しかし、こちらも彼の金で上手いこと和解しているらしい。

 七瀬(ななせ)さんはお金目当てで彼と身体の関係を持っているが、他にも複数の男性がいるみたいだ。中には私のような売れない小説家もいて、彼のアイディアを相手の作品として出版したことがあると書かれている。

 (あらた)は学生時代から恐喝や暴力沙汰を繰り返しており、久子さんと(ひかる)君に対する暴力も絶えないようだ。自身で立ち上げた警備会社の経営が上手くいっていない現状もあるらしい。


『裁かれるべきは誰だ。私がこのセカイに生まれ堕とされた記念すべきその日に。贖罪や救済なんて必要はないだろう? 諸君にも私にも』


 低く、滑らかな声が。

 聞こえた気がした。


「書かれてる事は他のヤツらとおんなじか。なんで織作先生はこんなもんアンタらに送りつけたんだ? 心当たりはねぇのか?」

「どうせ陰湿なイヤがらせよ。昔から他人を不快にさせるのが上手な人だったもの。それとも、もしかしたらコレは織之助なりの茶目っ気なのかもね」

「この手紙に書かれてるコトは事実か?」

「ノーコメントよ」


 ストレートな恭介の質問に対して、七瀬さんは挑発的に真っ赤な唇を歪める。


「そこに書かれているアタシ達の『悪事』ってヤツは、ただ織之助がそうだと信じ込んでいるだけの妄想よ。自分が考え出したソレに囚われて、今さらアタシ達に復讐でもするつもりなのかしら? だとしたら、ものスゴく迷惑な話よね」


 一つ、気になることがあった。


(ひかる)君のことは書いてないんだね」

「当たり前じゃない」


 恭介に問いかけたはずの言葉は、七瀬さんに鼻で笑われる。


「あの子は一生懸命に織之助の気を引こうとしてるけど、ムダなの。織之助にとってあのコはどうでもいい存在よ。愛情はおろか、殺意すら持っちゃいないわ。――だから、あの子は私達が羨ましくて憎いの。織之助が大好きで、とても憎いの」


 蔑む口調がふと、沈む。 


「けど、それはアタシたちだって同じ」


 七瀬さんは自分の前に佇む人物に、憎しみを込めた視線を落とす。


「ここ数年、柚木だけが織之助の世界の全てなのよ」


 柚木さんは何も言わない。ただ煌めく漆黒の双眸で、真っ直ぐに七瀬さんを見上げている。


「柚木はね、アタシ達にとっての疫病神なの」


 七瀬さんは誰にともなく話を続ける。


「もう三年も前になるのかしら。小さな劇団で役者もどきをしてたこの子に目をつけて、織之助が屋敷に連れてきたのは。久子おば様が離縁状を叩きつけられたのが、そのすぐ後。まぁ結局、おば様が駄々をこねて別宅と生活費を援助してもらう代わりに屋敷を出るコトで手を打ったみたいだけど」


 その笑みは自嘲気味だ。


「アタシだって被害者なのよ。あの時期、急に小説を書くのを止めるとか言い出すからホントびっくりしたわ。どうせアタシとの関係を切りたかったからでしょうけど、そんなコトさせるわけないじゃない。ようやく説得に応じたと思ったら、これまでとは違うくだらない探偵小説を書き始めるし……。ウチでは作風が浮きまくりで売り出すのに苦労したのよ。今じゃそこそこ売れてるけど、あくまでそこそこよ。前の方がよっぽど売り上げが良かったわ」


 七瀬さんは一度口を閉ざしてから、妙にゆっくりとした優しい口調で柚木さんに語りかける。


「ねぇ柚木。自分のコトを『男性』だなんて偽ってまで、織之助の興味を引こうとしているアンタの魂胆なんてわかりきってるの。確実に織之助はアンタより先に死ぬものね。それまで織之助が求める役割を演じきれば、アンタの勝ち。後は遺産で死ぬまで好き勝手に暮らせるわ」


 柚木さんは唇を閉ざしたままだ。その表情は怒っているか悲しんでいるのか――感情が全く掴めない。七瀬さんはもどかしそうに大きな舌打ちをした。


「いい加減、男には興味ないって純真そうな振りするの止めてくれない? 見ててイライラするのよね。織之助がアンタを手元に置いてるのは、ただの物珍しさと若い身体に対する肉欲よ。アンタが演じてたお芝居みたいにキレイな世界なんてどこにもないわ!」

「……寂しいんですね、七瀬さんは」


 とても静かな声だった。

 その双眸が深く、暗い闇色に沈んでいく。


「織之助先生が自分を見てくれなくなって、寂しいんですね。――その気持ち、僕にもよくわかります」

「アンタになんかわかるハズないでしょッ!」


 七瀬さんは目を見開き、勢いよく右手を振り上げた。しかし、その手のひらが柚木さんの頬を打つことはない。


「……もう、いいわ」


 振り上げた手のひらが空で止まる。

 柚木さんから顔を背け、七瀬さんは強く握りしめた右手をゆっくりと下ろしていく。小さく吐き出された吐息にその肩が震えるのを見た気がしたのは一瞬。


「車の荷物、忘れずに下ろしとくのよ!」


 柚木さんの身体を強く押しやって、七瀬さんは足音も荒く階段を上っていく。そして、


「織之助! 返事をしなさいッ!」


 拳を力任せに打ちつける音と、凄みの利いた低い声。しばらくそれが続くも応える声はなく。


「今夜、じっくり話を聞かせてもらうからねッ!」


 一際大きな音が響いた後、ヒールの音が遠ざかっていった。


 無意識に詰めていた息を吐く。


「……柚木さん、大丈夫?」

「ええ。お恥ずかしいところを見せてしまい、申し訳ありませんでした」


 絶対に柚木さんが謝ることではない、のに。

 静かに微笑む小柄な姿に、それ以上なんと声を掛ければいいのかわからない。


「おっかねぇヤツだったなぁ」


 階上を見つめたまま、恭介がぼそりと呟く。

 あれ以上に激しい剣幕の(あらた)の相手をしておきながら、今のほうがその言葉に実感がこもっているのがなんだか可笑しい。私と柚木さんは思わず顔を見合わせて、笑った。



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