第七話 愛人(1)
エントランスホールに再び足を下した時、ちょうど客間から出てきた恭介と篠塚に鉢合わせた。どうやら、屋敷を震わし続ける爆音の原因は外にあるらしい。
「落ち着かねぇ屋敷だなぁ。次はなんだよ」
たぶん、まださっきの疲れが残っているんだろう。ボヤく恭介が可笑しくて笑ってしまう。
「ご愁傷様。トラブルに巻き込まれるのは刑事の宿命ってやつだよ」
「探偵様、の間違いだろ?」
「違うよ。全ては推理作家の先生のせいだ!」
「――ねぇ柚木、大丈夫?」
私達が軽口を叩き合う隙をつき、篠塚が無遠慮に私と彼女の間を割って柚木さんへと近づいていく。
「さっきは災難だったね。俺、スゴく心配したんだよ?」
「僕は大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます」
砕けた硝子片が散らばるままの床を避け、階段脇で佇んでいた柚木さんが頭を下げる。その態度は穏やかで、篠塚に対する蟠りなど微塵も感じさせない。だったらよかった、と。大袈裟に安堵してみせる男が、そこで大人しく話を終わりにするがなかった。
「でも、なんであんなに新を怒らせちゃったの?」
「……わかりません。地下の貯蔵庫から戻ってきた時、食堂にいた新さんに声を掛けられたんです。二人きりで話がしたいと言われたのですが、お客様の対応で忙しいとお断りしたら急に……」
「俺がちょうど戻ってきた時、扉の中から二人の声が聞こえてきてなぁ。その後すぐ小早川さんが飛び出しきたからビックリしたぜ」
途中で口を閉ざしてしまった柚木さんの言葉を引き取って、恭介が事の顛末を話してくれる。ふと、疑問が浮かんだ。
「それまで恭介はどこに行ってたんだい?」
「ん~? なんだぁ?」
「恭介は! その時まで! どこに! 行ってたの?」
一定だった爆音がなぜか突発的に大きくなる。二度、三度と。……これは、エンジンをふかす音? 恭介の声も自然大きくなる。
「織作先生んとこだ!」
「彼と話したのかい!?」
「いんや! 俺ん時はうんともすんとも返事してくんなかったぜ!」
「……そっか」
エンジン音は一定に戻ったが、爆音はまだ止まらない。
震える空気の中で再び柚木さんが頭を下げた。
「刑事さんには大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ございません」
「迷惑かけられたのは織作新にだ。小早川さんが謝ることじゃねぇよ」
恭介の言う通りだ。
悪いのは柚木さんの想いを慮ることもなく、自分勝手な感情ばかりを押し付ける新と篠塚。そして、危険に晒される柚木さんを庇うこともせず部屋に籠もりきりの――彼だ。
「ううん。いけないのは柚木だよ」
しかし、篠塚は薄ら笑いで断定する。
「誰に対しても気のある素振りを見せるからいけないんだよ。柚木は俺だけを見ていてくれればいいのに」
柔らかなショートボブに伸ばされる指先。
柚木さんが手にした本を強く抱き締めて身を縮こまらせる。私は篠塚を制止するために急いで手を伸ばして――。
「今度はアンタが俺とやんのかぁ?」
心底勘弁してくれ、といった口調で声を大きくしたのは恭介だ。私の手は再びカラッポのまま空を切る。篠塚は大人しく手を引っ込めたが、その顔から薄ら笑いが消えることはない。
「お~怖い怖い。刑事さんが一般市民を脅すの? 後でみんなにも教えてあげなくちゃ」
「だったらもっといいネタがあるぞ! 神居にはお前以上に恨みつらみが募ってるんだ。文句を言ってやりたいことが山ほどだ」
「ほんと? だったら、これから俺の部屋に来てよ。さっきみたいにお酒飲みながらゆっくり話、しよ?」
「う~ん、どうしようかなぁ」
「お前らホント勘弁しろよォ」
篠塚の悪ふざけに乗じる彼女を咎めてほしいのに、恭介はただただ大きな溜息をつくばかり。
「なぁ先生はどうしたらいいと思う?」
私の心境も知る由もなく、探偵様は芝居かかった仕草で首を傾げた。
「私はコイツの部屋に行くべきか? 行かないべきか?」
「知らない! なんで私に聞くんだよ!」
思いっきり顔を背けてやれば、視界の隅で小さく笑う気配。
「悪いなぁ。先生が行かないでくれってさ」
「え~そんなぁ」
別に勝手にすればいいだろ!
抗議の声は喉元で引っかかる。
だってそんなことを言ってしまったら、この酔っ払いの探偵様は本当について行ってしまうから……。
「じゃあ、羽琉ちゃんも別嬪さんと一緒に来てよ? それなら文句ないでしょ?」
コイツの視線が、笑顔が、言葉が――その全てが気に障る。
「篠塚さん! 織之助先生の大切なお客様に――」
「わかってるってば。新とおんなじ扱いしないで。気分が悪い」
「……申し訳ありません」
「大丈夫、羽琉ちゃんには手出ししないよ。羽琉ちゃんには、ね?」
「――だったら、誰に手出ししようっていうんだよ」
小声で吐き捨てた言葉は聞かれなかったと思いたい。
「げっ! そろそろアイツが来るみたい」
腹の底を震わす爆音が止まった。
「俺、とりあえず部屋に戻るね!」
この男にしては珍しいような急いた声音だった。
「客間のお酒は全部飲んじゃっていいよ!」
「ああ、そりゃありがたい」
「じゃあ柚木、別嬪さん。ついでに羽琉ちゃんも。またあとでねー!」
彼女に余計な一言を残して、篠塚は瞬く間に階段を駆け上がっていった。
「酒! 酒! 酒!」
私の制止もむなしく、探偵様も足取り軽く客間へと消えていく。
こうして、あっという間にエントランスホールには三人だけになってしまった。
階段を駆け上る足音が消え、客間の扉が閉ざされれば、誰も口を開くことのないエントランスホールは今まで以上の静寂に包まれる。爆音で聴覚が麻痺してしまったのかもしれない。この場で一番騒がしい人間がいなくなったせいなのかもしれない。今まで鼓膜を震わしていた音が消えただけだというのに、妙な静けさが不安を煽る。
「……なぁんか、おっかねぇ雰囲気だなぁ」
失笑気味に恭介が呟いた時だ。
「あら、みんなしてお出迎えご苦労サマ」
軋んだ音を立てて、玄関扉が開かれた。




