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スカーレットの終幕  作者: 緋楽あけ
第一章 織作邸に集う人々
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第五話 新と恭介(2)

 軽やかに階段を駆け上がっていく柚木さんを追いかけることは、誰にも出来なかった。


「おい柚木(ゆずき)ッ! 降りてこい! テメェみたいなじゃじゃ馬キツく躾けてやるッ!」


 (あらた)恭介(きょうすけ)によって即座に取り押さえられた。柚木さんに抵抗されたことが相当気に食わないらしい。恭介に拘束されてもなお、(あらた)は階上に向かって怒鳴り続ける。


「柚木!」

「柚木さん!」


 篠塚(しのづか)と私の声が重なった。

 思わず視線を合わせてしまえばにこりと笑われ、なんとか落ち着かせようとしていた気に障る。せっかく恭介がこの場を穏便に収めようとしていたのに、コイツが引っ掻き回すからこんな事態になったんだ……ッ。


「助けてください、織之助(おりのすけ)先生!」


 全てを篠塚のせいにして思いっきり非難してやりたい衝動は、しかし階上で響く切羽詰まった声と扉を叩く激しい音で吹き飛んだ。


「織之助先生、お願いします! すぐに開けてください! そうしないと(あらた)さんが――」

『どうした? 入っておいで』


 扉が開かれる、音。

 低く囁かれる滑らかな声、が。

 確かに、ハッキリと――聞こえた。


『もう大丈夫。ここなら安全だ』


 この声が。

 彼、なのだろうか……?


「テメェら邪魔すんなァ! 今すぐ全員ぶっ殺してやるッ!!」


 怒声によって私と周囲を隔てる透明な幕が破かれた。一気に喧騒が戻ってくる。


「なんだよテメェ! さっきからなァにジロジロみてやがんだッ! この人間出来損ないの性別不適合者がァ!」

羽琉(はる)、離れてろ! 危ねぇぞ!」


 (あらた)の罵声と恭介の注意が同時に飛ぶ。

 どうにかして二階に上がりたい気持ちが身体を突き動かしていた。気がつけば階段前で揉み合う二つの巨体がすぐ間近。新の興奮は収まらない。むしろ抵抗は激しくなっていく。ついにはその巨体を押し倒して馬乗りになった恭介の顔が苦痛に歪む。呼吸が荒い。早くなんとかしないと……。


「私が黙らせてやる」


 ぐいっと腕を後ろに引かれたのは、その時。

 慌てて見上げた先で彼女が新を見下ろしていた。形の良いその唇は酷く楽し気に笑むのに、薄灰色の瞳はゾッとするほど冷ややかだ。


「こんなヤツ、このワインボトルで一撃だ」

「お前まで手ぇだすなッ! 収拾がつかなくなんだろ!」

「これでも結構ガマンした。もう、穏便に済ませてもらえると思うな」

「イイぜェ! てめェらまとめてかかって来やがれッ! ぶっ殺してやるッ!」

「や、めろ……ッ!」


 凄む(あらた)の脳天に躊躇いなくワインボトルが振り下ろされ――。


「貴方達いい加減にして頂戴! 寄って集って(あらた)を苛めないで!」


 それは、突然の出来事だった。


 私の死角から飛び出した小柄な着物姿がスキンヘッドの巨漢に覆い被さる。まるでワインボトルの一撃を自身の背中で受け止めるように。


 小さな舌打ち一つ。

 (あらた)に覆い被さる久子(ひさこ)さんのすぐ脇でボトルが砕け散った。

 床に、着物に、素肌に。

 赤い液体が飛び散る様はまるで返り血。深緑の硝子片の煌きと相まって必要以上に網膜を刺激する。


「な、にすんだよ……ッ」

「離して! 新を離して頂戴!」


 久子さんはさらに恭介へ飛び掛かる。


 上品に着付けた着物が乱れるのも構わず、綺麗に結い上げられた黒髪が崩れるのも厭わず。


 ただ必死に自分の倍以上はあろうかという相手にしがみつく姿は鬼気迫るものがあった。恭介も久子さんを力任せに振り払うことは出来ず、その隙をついた(あらた)が逃れてしまう。


「よくもバカにしてくれたなァ! てめェら全員覚悟しやがれッ!」

(あらた)! 貴方だっていい加減にしなさい! 織作家の人間としてあまりにも見苦しくてよ!」


 玄関扉を背に私達を罵倒し続ける新の剣幕に久子さんも怯むが、すぐに鋭い声で一喝する。しかし――。


「あァ? 誰に向かって指図してんだよッ!」

「きゃぁッ」

「母さん!?」


 大きな掌が容赦なく久子さんに襲いかかった。

 たたらも踏めず、音を立てて崩れ落ちる小柄な着物姿。真っ先に駆け寄ったのは黒髪の青年――織作光(おりさくひかる)君だった。客間の陰から覗いていたのだろうか。久子さん同様、私の死角から飛び出してきた(ひかる)君は長い前髪で(あらた)を視界から遮断したまま、頬を押さえて身体を震わせるばかりの母親(ひさこ)に縋り付く。


「母、さん……母さん! なんで、兄さんのこと、なんか……」

「なんだよ? 文句があるなら俺に直接言ってみせろッ!」


 か細い声は怒声にかき消され、母親をぶった大きな掌が今度は(ひかる)に伸ばされる。


「またテメェかッ!」


 しかし、すんで恭介がその太い腕を捻り上げた。無言で。


「……全員覚えてろよッ! すぐに後悔させてやるからなァ!」


 恭介の身体を力任せに押しやって、新は玄関扉を蹴破り外へと飛び出していった。瞬間、屋敷に流れ込んできた湿っぽい空気と隙間から覗いた空の暗さが不安な気持ちを掻き立てる。

 恭介はきっと、新に頭を冷やさせるためわざとその腕を離したのだろう。玄関扉を塞ぐように一人仁王立ちしていたが、やがて小さく頷くと私達へ向き直った。

 

「久子さん、大丈夫ですか? 俺が(あらた)を止められなかったせいで、痛い思いをさせて申し訳ないです」


 真っ先に歩み寄るは久子さんと光君の元。床から上半身は起こしたものの、久子さんの顔は血の気が引いて真っ白だった。片頬だけがあまりにも赤くて痛々しい。実の息子に手を上げられたのだ。ひどい衝撃を受けるのは当然だろう。放心した様子で閉ざされた玄関扉を見つめていた久子さんは、しかし恭介の呼び掛けに対して予想外の言葉を口にする。


「全て貴方の責でしてよ!」


 それは、研ぎ澄ませた刃を手当たり次第に振り回すような気迫に満ちていた。全身から恭介に対する強い憎悪が溢れ出る。


「あんなのただの集団リンチよ! 一体あの子が何をしたっていうの? 全ては柚木のせいなのよ! いつもみたいに柚木が色目使ってあの子を唆したに違いないわ! 裁かれるべきはあの子じゃなくて柚木でしてよ! それなのに貴方達は寄って集ってあの子を苛めて……ッ! 貴方が刑事を名乗るなんておこがましくてよ!」

「……そうですか。久子さんはそう思っているんですね。ところでなぜ、久子さんは(あらた)を庇うんですか?」


 相手の一方的な主張を否定も肯定もせず、恭介は刑事らしく淡々と問い返す。その問いかけに強く反応したのは――なぜか光君のほうだった。弾かれたように顔を上げ、何か言いたげに母親と恭介を交互に見遣るが言葉にはならないようだ。


「普段も(あらた)は、貴方達に対して暴力を振るうことがあるそうですね。さっき見せてもらった『招待状』にも書かれていました。貴方達自身が受けた暴力に対して何も言わないのは……報復が怖いからなのかもしれません。ただ、アイツが他人に振るった暴力に対して見て見ぬ振りをするどころか、毎回多額の金を出してその事実を揉み消してやるのはなんでですか? こうしてアイツを助長させるだけでしょう?」

「大切な息子だからよ! それ以外に理由が必要?!」


 久子さんの剣幕は先程までの(あらた)のそれとよく似ていた。怒気を孕んでギラつく眼球、言葉の端々に滲む強い拒絶、他人を蔑む居丈高な物言い――全てが切なくなるほど息子(あらた)にそっくりだった。


「これ以上、刑事という権力を振りかざして人様のプライベートに踏み込むことは許しませんよ! 後日、警察署にも改めて苦言を呈させていただきます!」

「……わかりました」


 もしかしたら、十に満たない一人娘がいる恭介には思うところがあるのかもしれない。どんな立場の人間に対しても一定の共感を寄せることが出来る性格はコイツの良い所であり、昔から私が困らされている所でもある。


(あらた)を害する貴方に話すことなんて、もう何もなくてよ」


 神妙に頷いた恭介を睨んだまま、久子さんがゆっくりと立ち上がる。


(わたくし)達は部屋で休ませていただくわ。――行くわよ、光」

「で、も……ボク……」

「行くわよ!」

「……うん」


 私達を――特に恭介を気にしながらも光君は母親に促されるがまま階段を上がっていく。二人を制止することはもちろん、一言も言葉を発することなくその背中を見送る恭介の横顔に胸が痛む。


「相変わらずまどろっこしいヤツだなぁ、お前は」


 揶揄の言葉は未だ私の腕を掴んだままの探偵様からだ。


「警察ってのはなにをどうしたって見当違いに(なじ)られるんだ。非難を恐れずもっと早い段階でアイツを黙らせておくべきだったな。騒ぎを最小限に抑えるのがお前らの仕事だろう? ムダに散ったコレに謝れ!」


 コレ、と。

 彼女は砕けた硝子片が散らばる床を靴底で擦る。恭介は嘆息してその場に腰を下ろすと、力無く首を振った。


「俺だってそうすりゃ良かったのかもって思うぜ。けど、立場上自分にそれを許すわけにゃいかねぇんだ」

「理想ばっか語るな。現実を見ろ。アイツみたいなのは被害者意識が過剰だ。逆恨みが膨らんで、ヘンな気起こさなきゃいいけどなぁ」

「あんま怖ぇコト言うなよ」

「……ねぇ恭介、大丈夫?」


 タイミングを窺い続けた末、ようやく会話の切れ目で声を掛けることが出来た。私に向けられた表情が一気に緩む。


「おう、見ての通りだ。お前は?」

「まぁそれなりに」

「そっか。なら良かった」


 いつも通りの気安さに少しほっとする。とりあえず現状確認のため、恭介がこの屋敷に到着してからの経緯を尋ねようとしたが、


「なぁ羽琉(はる)


 先を越された。

 

「悪ぃんだが一つ頼まれてくれねぇか?」

「なんだい?」

「その探偵様連れて、小早川さんの様子を見てきてくれや。ちょっと心配でなぁ」

「あ、じゃあ俺も!」


 躊躇いを示す間もなく、私の背後から軽薄な声が聞こえてきた。争いの中心から遠く離れた壁際で篠塚が笑っていた。


「いいよね? 俺だって柚木のコトが心配なんだ」

「……アンタは俺に肩貸してくんねぇか? 情けねぇけどスゴく疲れちまってよ。一人じゃ客間にすら戻れそうにないんだわ」

「神居のコト頼むぞ、篠塚」

「えー……まぁ刑事さんと別嬪さんに頼まれちゃったらしょーがないかぁ」


 渋々といった調子で頷く篠塚の存在など、今の私にはどうでもよかった。


「ほら、先生。行くぞ」


 掴まれたままの腕を引かれた。反射的に軽く振り払えば、低い笑い声とともにあっさりと手が離される。


「行きたくないのか?」

「そうじゃない」


 彼女の身体に飛び散る返り血めいた赤い液体。滲みぼやけて思考を乱す。私の視線に気づいた指先がシャツの胸元を直す仕草に耳障りな拍動が速さを増す。


「じゃあ、さっさと織作織之助に会いにいこーぜ」


 どくり、と。

 その言葉に心臓が一際大きく脈打った。


「……柚木さんの様子を見にいくだけだろ」

「どっちでも同じだ」


 もう一度低い笑い声を立てて。

 彼女は一人、振り返ることなく階段を上がっていく。


 なるべく視界が遮られるように片手で前髪を伸ばし、黒縁眼鏡を押し込む。無意味にジャケットを整え、バックを掛け直す。何回か深呼吸してから、ようやく最初の一段に足を掛ける。


 こうして。


 私はついに、彼と会わなくてはいけなくなってしまった。



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