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スカーレットの終幕  作者: 緋楽あけ
第一章 織作邸に集う人々
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第四話 新と恭介(1)

 エントランスホールで階段脇の壁際に追い詰められていたのは――柚木(ゆずき)さんだった。星空の煌めきを失った真っ黒な瞳孔は大きく開かれ、目の前に立ち塞がる巨漢をただ凝視している。


「なぁ織作新(おりさくあらた)。もうちょい小早川(こばやかわ)さんから離れてくれや」

  

 客間から飛び出した私と篠塚(しのづか)に一番近い場所――エントランスホールのど真ん中で仁王立ちする男性が、私達に背を向ける巨漢へ呼び掛けていた。

 両サイドを刈り上げた赤茶の短髪に、腕を捲くったワイシャツが窮屈そうに感じられる筋肉質な体格。後姿だけでわかる。刑事であり、私の学生時代からの友人でもある神居恭介(かむいきょうすけ)だ。緊迫したこの場の雰囲気とは真逆に、とても穏やかな口調で柚木さんを目前に足を止めた巨漢の背中へ声を掛ける。


「頼むよ(あらた)。小早川さん、怖がってんだろう?」

「うるせぇ! 今イイとこなんだよ! サツが軽々しくオレの邪魔をするなッ!」


 口汚く罵倒しながら振り向くその顔は、興奮状態で赤みを帯びている。


 全身迷彩柄の服を着たスキンヘッドの男性だ。体格は恭介と同じか、それ以上。ぎょろり、と。突出した眼球が恭介のみならず、その背後で立ち尽くす私と篠塚をもねめつける。後姿からもひしひしと感じられた威圧が、さらにその圧を増して首元を締め上げるよう。ただ単純に、怖い。


(あらた)ぁ。刑事さんに楯突くのは止めなよぉ。またムショ送りにされたいのぉ?」


 それなのに。

 私より少し手前で二人のやり取りを窺っていた篠塚がおもむろに口を開く。人を小馬鹿にした口調はスキンヘッドの男性を刺激するには十分だ。恭介に向けられていた目玉が篠塚を捉え、分厚い唇が昂る感情に震える。


「……てンめぇ」

「アンタこそ俺の柚木に軽々しく手出ししないでくれる? それとも一丁前に発情期なのかなぁ? そうだとしても縄張りぐらいは守って欲しいよねぇ。いくら頭が弱くても、手を出して良い相手かそうじゃないかぐらいはわかるでしょ?」

「この野郎ォ言わせておけば舐めやがってッ!」

「おいおい、お互い熱くなんのはやめようぜ」


 わずか恭介が立ち位置を移動させる。口調はあくまでも穏やかに。しかし、どちらかが突発的に動いてもすぐ対応できるように。


「言いたいことがあんなら、まずはお互いに落ち着け。そのあと客間でゆっくり話そうや。ちゃんと俺が二人の言い分を聞いてやるからさ」

「刑事さんは優しいねぇ。大丈夫、俺はちゃぁんと落ち着いてるから」


 聞き分けよく頷いた篠塚が振り返る先には――私? 一般的には男前と持て囃されそうな面には相変わらずのにこやかな笑み。優しく細められた垂れ目に鳥肌が立つのは、その全てが見せかけだと知っているから。


「俺から羽琉(はる)ちゃんに紹介してあげるね。アイツは織作新(おりさくあらた)。姉さんと前の旦那の子供だよ。だから織作(おりさく)先生と血の繋がりはないんだよねぇ」


 瞬く間にエントランスホールに充満していく濃密な怒りの感情。しかし篠塚はそれには気づかない。もちろん、ワザと。


「いやぁコイツがすっごい乱暴者でさぁ。もう何度警察のお世話になったかわからないんだ。そのたび姉さんが織作先生のお金を使って助けてあげちゃうんだから困ったもんだよ。だって、俺の将来の取り分が減っちゃうじゃない?」


 篠塚の背後で充血したぎょろ目が怒りに燃え上がる。恭介が制止の声を上げるけど、言葉だけではもうコイツは止まらない。


「しかもアイツ、元自衛官の経験を生かして最近ヤバい組織を結成したみたいなんだ。金で雇われて人を殺したりするヤバ~い組織。銃器の扱いにも慣れてるから、俺達全員を殺すコトなんてお手の物だろうねぇ。羽琉ちゃんも殺されないように気をつけるんだよ?」

「てンめぇ! 二度とその軽口がきけないようにしてやるッ!」


 顔を真っ赤に染め、こめかみに血管を浮かせた(あらた)が大きく床を鳴らす。しかし、固く握りしめた拳が篠塚まで届くことはなかった。


「ホント、頼むぜ二人とも。これ以上の諍いは止めようや」

「そうだそうだ! そんなことよりみんなで一緒に酒を飲もう。きっと楽しいぞ!」


 穏やかな口調にほんの少しの呆れを滲ませて、恭介が(あらた)の太い腕を掴み上げる。あまりにも場違いなお気楽な声は、開け放たれた客間の扉枠に寄りかかる探偵様のものだ。一体、いつからそこに……? 半分以上中身が入ったワインボトルを大事そうに抱え直す姿に、呆れを通り越して感心してしまう。


「サツとビッチがイキがってんじゃねぇよ!」


 恭介に掴まれた腕を乱暴に振り払い、(あらた)は噛みつかんばかりの勢いで怒鳴り散らす。


「どう足掻いたって最後にはテメェら全員死ぬんだ! せいぜいラクに殺してもらえるように祈ってんだな!」

「……どういう意味だ?」

「ハッ! 教えてやるかよ! せいぜいその瞬間まで無様に怯えてろッ!」


 罵声を吐き続ける巨漢の背後で、柚木さんもまた彼女と同じようにお酒らしきボトルを胸に抱え直して、ぎゅぅっと身を縮こまらせていた。その近くには、客間とは反対側の屋敷奥へと続く扉が開け放たれている。(あらた)の意識が逸れているうちに少しでも遠くへ逃げてほしかった。


「柚木さん」


 一方的に喚き散らす(あらた)に気づかれないよう、小声で呼び掛ける。


「ねぇ柚木さん。今のうちに逃げて」


 自身を抱きしめて震えるばかりだった柚木さんが顔を上げた、その時。


「テメェもあのくそジジイの愛人か?」


 充血した眼球とまともに視線がぶつかった。前髪の隙間から見上げる先で分厚い唇がめくれ上がり、黄ばんだ歯が剥き出される。不意打ちの圧に引き攣る喉元。頭からつま先まで舐め回すその視線、その声音の裏側に暗く湿ったナニかを感じて一気に全身が粟立つ。


「相変わらず趣味が悪いジジイだ。人のカタチしてりゃどんなヤツでもいいのかよ。ゲテモノにもほどがある」

「新さん、いい加減にしてください!」


 強い非難が巨漢の背後から飛んだ。柚木さんだ。


「これ以上、織之助(おりのすけ)先生の大切なお客様に失礼な口をきくのは止めてください!」

「あぁ? んなもんオレの知ったことか!」


 私から外された粘ついた視線がゆっくりと反転する。顔が見えなくても、わかる。柚木さんを見下ろすその目玉に宿る暗い悦びの色が。


「やっぱあのくそジジイが選んだ女でマトモなのはお前だけだ、柚木。可愛い顔してんだからもっとオレにも愛想よくしてくれよ。今ならまだ間に合うぜ。さっさとあんなジジイ見限ってオレの女になれ!」


 巨体の陰に隠されてしまった柚木さんに駆け寄ろうとして、目線で恭介に止められる。いいから任せておけ、と。小さく頷くその姿は学生の頃から見慣れた頼りがいのあるもので、いつだって恭介は言葉通り行動してくれる。そもそも一般市民は刑事の指示に大人しく従うべきだ。でも、それでも……。私のために声を上げてくれた柚木さんが一人矢面に立たされている状況を傍観するだけの自分は、嫌だ。


「柚木さん! 私のことなんてどうでもいいから早く逃げて!」

「おい羽琉?!」

「あぁ? 何様だテメェ?! 余計な口挟むなッ!」

「うるさい!」

「二人とも止めてください!」


 恭介を無視して(あらた)へ足を踏み出すが、毅然とした透明な声音が私をその場に縛り付けた。


「どうせ新さんが欲しいのは、女である僕の身体だけでしょう?」


 続く柚木さんの言葉に、思考が一瞬にして奪われる。


「たとえ身体が女でも、小早川柚木は男なんです。男として男である織之助先生を愛しています。その気持ちが理解できない貴方達なんて――僕は大嫌いです!」

「柚木さん!?」


 迫る巨体に華奢な身体が勢いよくぶつかっていった。

 圧倒的な体格差を前にその行動はあまりにも無意味だ。

 しかし新は一瞬、怯んだ。まさか反撃されるとは思っていなかったのだろう。その隙をついて小柄な身体が巨漢の脇をすり抜けた。


「柚木さん、コッチ!」


 新から逃れた柚木さんに助けを示して、必死に手を差し伸べる。漆黒の双眸が私を捉えて笑んだ、気がした。


「……え?」

「待ちやがれ柚木ッ!」

「ああ、酒が逃げていく!」

「止まれ、新!」


 差し伸べた手は、カラッポのまま。

 柚木さんが向かう先は屋敷の奥へと続く廊下でも私達の元でもない。二階へと続く階段だ。



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