第三話 招待客たち
彼女が乱暴に開け放った扉の向こうは、エントランスホールの質素さとは対照的に明るく華やかな空間だった。どうやらここは二間続きになっているようだ。手前の大客室には深紅の絨毯が敷かれ、金糸で刺繍が施された布張りのソファーや肘掛椅子がテーブルを囲むように置かれている。真っ先に、室内で一番大きいソファーに座る二人の人物が目に留まった。私を客間の奥へと連れ込もうとする彼女の手から逃れ、二人の前でなるべく丁寧に腰を折る。
「こんにちは、藤崎羽琉と申します。推理作家の端くれではありますが、以前より織作織之助先生とは懇意にさせていただいております。どうかよろしくお願いいたします」
しかし、挨拶に対する反応は鋭い一瞥だけ。
真っ直ぐ背筋を伸ばしてソファーに腰掛けるその女性は近寄りがたい雰囲気だった。目尻の皺と後れ毛なく結い上げられた白髪混じりの髪にその人の年齢を感じる。淡い紫地に細かい草花模様が上品な訪問着を身に纏う姿は研ぎ澄まされた刃のよう。私達の存在などもう眼中にはない様子だ。
「あの……もしよろしければ、貴方のお名前を教えていただけませんでしょうか?」
「コイツは織作久子だよ。織作織之助の元奥さんだ。――ああ、まだ離婚はしてないんだっけ。ただの言い間違いだ。そんな怖い顔で睨むなよ」
頼むから酔っ払いは黙っていてほしい。
「不快な思いをさせてしまい申し訳ございません。えと……お隣の方は久子さんのご子息ですか?」
「織作光。織之助さんと私の息子よ」
口早に告げられた言葉には強い拒絶の色。自身の名前を呼ばれたはずの青年は、しかし無言のままだ。
織作光は前髪がやたらと長い上、うつむき加減でスマホをいじっているせいで表情がよくわからない。トップスもズボンも黒、髪色も黒のせいでまだ学生といった幼い印象だが、実際の年齢は幾つなのだろう。私達はもちろん久子さんすら見ようとはせず、揃えた膝の上でスマホをいじるばかりの姿はこちらまで落ち着かなくなる不安定な雰囲気を纏っている。
「ねぇそんなヤツらのことなんて放っておいてさぁ。早く俺の近くにきてよ」
鼓膜にこびりつく、甘ったるい声が聞こえた。
「ほら、お酒持ってきたからさ。もっと俺と一緒に飲もう?」
左手奥に続く一回り小さい客室のソファーで、にこやかにワインを呷る男性の姿があった。「酒」という単語に目を輝かせ、ふらふらとその人物に近づいていく彼女を制止する手段はない。
紺色のストライプスーツと茶色の革靴という出で立ちの男性は、なんとなく一昔前のトレンディ俳優といった雰囲気だ。長めの茶髪は後ろで一つに縛られ、垂れ目の双眸は笑うとさらに細くなる。どことなく軽薄さを感じるのは……きっと偏見ではないだろう。長い足を組み、背もたれに身を預けたまま私達を呼び寄せる態度はあまりにも高慢だ。しかし、酔っ払いの探偵様はそんなこと全く気にはならないらしい。ウキウキ、と。心弾む擬音語を振りまきながら差し出されたグラスを手に取り、並々と注がれた真っ赤な液体を口に含む。
「ウマいな! さすがは大先生が用意した酒だ。さぞかし値が張るものなんだろうな」
「コレは俺が持ってきたワインだよ。ホントは柚木へのプレゼントだったんだけどね。君みたいな別嬪さんに飲んでもらえて嬉しいなぁ」
「織作織之助へのプレゼントではないんだな。大先生の愛人に色目なんか使ったら怒られるぞ」
「もうバレちゃってるから大丈夫。それに、今度は怒れないようにちゃぁんと手を打ったんだ。偉くない?」
「そりゃスゴいなぁ。ぜひ怒られない理由を教えてくれよ」
「いいよぉ別嬪さんにだけ特別ね。――俺、ビデオカメラが趣味でさぁ。屋敷から追い出される前、ちょっとした思い出に柚木の姿をカメラに収めさせてもらったんだぁ。あ~んな姿やこ~んな姿、色々あるよ? 織作先生も泣いて欲しがるレア映像だ」
「なるほど盗撮か」
「ううん、違うよー。でも、無防備な女の姿って堪らないよねぇ?」
「お前、なかなかのクズっぷりだな。後で神居にチクっといてやる」
「神居ってさっきの刑事さん? やめてよぉ逮捕されちゃうじゃない」
二人はグラスに並々と注がれたワインを一気に飲み干し、互いにケタケタと笑い合う。その姿は完全なる酔っ払いだ。会話の内容からかけ離れた陽気さが気に食わない。
「今の話、本当なんですか?」
柚木さんがコイツのことを気にしていた理由がわかった気がした。意を決して二人の会話に割り込む。緩慢に向けられた薄茶色の双眸が疑問を示して瞬いた。
「……どちら様?」
「さっき話しただろう? 織作織之助と同じ推理作家の大先生だ。コイツには絶対手ぇ出すなよ。先生は私の――」
雑音。
「へぇ? 推理作家の先生ってのは君かぁ。この別嬪さんが楽しそうに話してたからどんなヤツかと思ってたら……意外だったなぁ」
薄茶色の垂れ目が好奇心も露わに細められる。全身に絡みつく、泥濘めいた生臭い情念。
「オレは篠塚洋平。あっちで仏頂面してる女の弟だよ。ま、性格は正反対だから気楽に話しかけてくれていいからね」
「……藤崎羽琉、と申します。こちらこそよろしくお願いします」
腹の奥底から込み上げてくる感情を押さえつけて、にこやかに笑ってやる。笑えた、はずだ。
「藤崎羽琉……ああ、知ってるよ」
軽い口調とは裏腹に、粘ついた視線が私を捉えたまま離さない。
「君の書いた話は一度も読んだことがないけど、あの舞台だけは観に行ったんだ。柚木がすごく可愛かったなぁ」
また、「あの舞台」か。
彼女の前でその話を出すのはやめてほしいのに……。
「早々に公開が打ち切りになったのは残念だったね。まぁ内容が内容だ。君の原作を舞台用の脚本に書き起こした織作先生も随分悲しんだみたいだよぉ」
薄ら笑いの篠塚に心の声は届かない。
「織作先生の顔に泥を塗る結果になったことは確かだよね。――君はちゃんと先生に償いをした? 先生はちゃんと君を慰めてくれた?」
わざと見当違いな言葉を口にして篠塚はクスクスと笑う。今度は、にこやかに笑い返すことが出来なかった。
「なぁ先生」
柔らかなその声が、喉元まで込み上げてきた昂る感情を押し止める。
あの舞台、とは。
一体なんなのか。
数秒後にその唇から紡がれるはずの質問に、心臓が縮まる思いがした。
「ほら、先生も一緒に飲もうぜ」
しかし、覚悟が決まりきらない私の耳に飛び込んできた言葉は予想外のものだった。
「先生の少ない給料じゃ、一生こんな高級な酒飲めやしないだろう? 今なら私のグラスを貸してやる。間接キスだぞ」
「絶対いらない!」
探偵様のお気楽な態度と、腹の底で燻る篠塚に対する感情がごちゃまぜになって口をつく。
「君はもういい加減にするべきだ! それ以上酔っ払ったら周りの人達に迷惑だし、なにより君自身の仕事に影響が出るだろ!」
「いいや? いざって時に脳細胞をフル回転させるためには、事前にある程度のアルコールを摂取しておく必要があるんだ。これ、探偵の常識だぞ」
「初耳だよ!」
それが本当なら探偵という職業はなんと気楽なものなのだろう。羨ましい。
「疑うなよ。酔っ払ってるのはな、相手を油断させるためのただの演技だ」
揶揄を孕んだ薄灰色の双眸が鈍く煌めく。
見え透いた嘘つくなよ、と。
反論する間はなかった。
「うわぁっ!」
突然、抱きつかれた。
「なにするんだよ!」
頬に、耳元に、首筋に自分以外の体温が宿る。華奢な肩を押し返さないといけないのに全く力が入らない。うまく、呼吸が出来ない。
「先生」
「ふざけるのもいい加減にして! さっさと離れて!」
「――羽琉」
低く、滑らかな声が私の名前を呼ぶ。
無意識に強くつぶっていた瞼を恐る恐る開けば、とても端整な相貌がすぐ間近。
「会いたかったよ、羽琉」
潤んだ薄灰色の双眸、形のよい桜色の唇、わずかに上気して色づく陶器のような滑らかな頬。少しくらくらするのはきっと、その吐息に混ざるアルコールのせい。
「……急に、なに? 私は会いたくなんてなかった」
「じゃあ、なんでお前はここに来たんだ?」
「全部恭介が悪いんだ! 私はアイツのためにしょうがなく――」
「違う。全部織作織之助のためだろう?」
言葉が、出てこなかった。
離れていく自分以外の体温。
これ見よがしに掲げられた左手には真っ白な封筒が握られている。
「なんで……?」
「な? 探偵ってのはこうやって相手の油断を誘うんだ」
慌てて斜め掛けにしていたバッグを探る。彼から届いた誕生日パーティーの紹介状だけが見事に抜き取られていた。
「招待状が送られてくるほどの間柄なんだな、織作織之助とは。以前にもこの屋敷に来たことがあるのか?」
「……ない。手紙でのやり取りだけだ。彼と直接会ったことは一度もないよ」
「知り合ったきっかけはなんだ?」
「君に話す必要はない」
「小早川柚木が出演した舞台ってヤツに関係があるか?」
「しつこい!」
彼女は大袈裟な溜息をついて、芝居がかった仕草で首を振る。
「私と神居はこの屋敷で起こるトラブルを未然に防ぐために招かれたんだ。織作織之助の関係者は全て把握しておく必要がある」
「だったら、そのご自慢の頭を使って推理ってヤツをしてみたらどうだい?」
「じゃあ遠慮なく」
……ああ、その表情は嫌いだ。
全てお見通しだとでも言いたげに唇の端を持ち上げて見せるお得意の表情。――すごく、ムカつく。
「私が知りたい答えはココに書かれているはずだ」
彼女の手によって封筒から招待状が取り出された。
自信満々に文字を追う瞳は、しかしすぐに止まる。
再び動かされた瞳は訝し気な光を孕み、ついには招待状の裏や封筒の中まで覗き込む。
「これだけか?」
「そうだよ」
「これ以外に同封されていたものは?」
「ない」
私に送られてきた招待状は便箋一枚にも満たない簡潔な内容だ。不思議そうに首を傾げるその意味はわからないけれど、なんとなくざまあみろと溜飲が下がる。
「ねぇ俺にも見せて!」
ふいに、篠塚が彼女の手から私の招待状を取り上げた。
「……ホントにこれだけ?」
そして、なぜか篠塚も彼女と同様に首を傾げる。
「おかしいなぁ。羽琉ちゃんも俺達と同じ穴のムジナだと思ったのに……。もしかして、見られたくなくてウチに置いてきちゃった?」
「だから何をですか?」
「脅迫状」
「……はい?」
「織作先生からの脅迫状。俺達の悪事が詳細に綴られた、ね」
招待状と脅迫状――二つの単語に共通点を見出すことが出来ない。口は開けど言葉が出ない私の顔をまじまじと見つめていた篠塚が、ふいに明るい笑い声を上げた。
「俺の招待状に書いてあったこと、教えてあげる。――『裁かれるべきは誰だ。私がこのセカイに生まれ堕とされた記念すべきその日に。贖罪や救済なんて必要はないだろう? 諸君にも私にも』だってさ」
篠塚はテーブルから取り上げたタブレット端末に視線を落とし、招待状の一文だという言葉を口にする。
「ホント、傑作だよねぇ。わざわざ脅さなくてたってパーティーには出席してあげるのに。昔から織作先生はかまってちゃんで困るよ。でも、それこそが色んな女性から言い寄られる秘訣なのかなぁ?」
「……もしよろしければ、貴方の悪事とやらも教えていただけますか?」
「あれぇ気になるぅ? いいよ、羽琉ちゃんだけ特別に教えてあげる」
「洋平!」
突然、鋭い声が飛んだ。
背を向けていた大客室のソファーから、先ほどよりも鋭さを増した双眸が私達を貫く。久子さんだ。
「人様にべらべらと身内の恥を喋らないで頂戴!」
「お~怖い怖い。もう刑事さんには知られちゃってるっていうのにねぇ」
「話すべき相手にだけ話すべきでしてよ」
「もしかして姉さん、羽琉ちゃんに嫉妬してる? 柚木みたいに旦那がまた知らない女を屋敷に呼び寄せたから?」
「……洋平。二度は言いませんよ」
「はいはい」
殺されそうな視線を飄々と躱し、再び篠塚はこちらに向き直る。
「ねぇ、まずは羽琉ちゃんの悪事を教えて? そしたら俺のも教えてあげる」
「そんなものありません。貴方と一緒にしないでください」
蓄積したコイツに対する感情が、思いがけず強い言葉として飛び出す。しまった、と。取り繕うため笑みを浮かべてみせるが、もう遅い。
「じゃあ、なんで羽琉ちゃんはココにいるの?」
こういう手合いは相手の過剰な反応を見逃さない。相手の神経を逆撫ぜるため、嬉々としてさらに踏み込んでくる。
「招待状を受け取ったのは、昔この屋敷で暮らしていた人間だけだ。それなのに一度も織作先生と会ったことがない羽琉ちゃんに招待状が送られてきたのは、なんで? 羽琉ちゃんと織作先生って、ホントはどんな関係なの?」
薄笑いで私に詰め寄る篠塚の隣で、グラスに残る真っ赤な液体を揺らすばかりの彼女は何も言わない。わざと口を挟まないのは、それが自身も知りたい事柄だからだ。
いつだって探偵は不確かで個人的な感情より、揺るぎない客観的な事実を求めている。そんなもの、このセカイではあまりにも無意味だってことを知りもしないで。しょせん探偵なんて、推理作家の手のひらで踊らされるばかりの哀れな存在だということに気づきもしないで。
「離してください!」
突然、客間の扉越しで切羽詰まった声が弾けた。
「逃げんな柚木ッ! 大人しくしやがれッ!」
「おい、手ぇ離せって。アンタこそ大人しくしてくれよ」
扉越しに響く乱暴な声は聞き覚えのない男性のもの。続いて聞こえてきた声は刑事である恭介と――そして柚木さんの叫び声だ。




