第二話 探偵
玄関扉の向こうにはエントランスホールが広がっていた。
靴のまま足を踏み入れると、ウォルナット材の床がわずか軋んだ音を立てる。左手にある階段途中の大きな窓には厚いカーテン。階段脇の扉は開け放たれており、薄暗い廊下が屋敷の奥へと続く。ぼんやりと象牙色の壁を浮かび上がらせるランプを辿ってホール奥に視線を向ければ、重厚な造りの扉に視界を遮られた。
「そちらは食堂から調理場へ繋がる扉です。招待客の皆様がいるのはこちらの客間になります」
柚木さんが指し示したホール右手にも両開きの扉があった。この扉には煤けたステンドグラスがはめ込まれ、人工の光と室内にいる人々の気配が感じられる。
「パーティーが始まるのは夜からだろう? もう全員がここに?」
「まだ到着されていない方もいます。先に到着された方々にはご用意したお部屋で寛いでいただいていましたが、刑事さんがパーティーの前に一度話を聞きたいと仰ったので、皆様を客間へお呼びしました」
探偵さんが、というワケではないところに恭介の気苦労が窺える。同情半分可笑しさ半分で笑ってしまえば、柚木さんが不思議そうに小首をかしげた。
「僕、また変な事を言ってしまいましたか?」
「いや全然! これはただその……」
「おい、酒はどこだ!」
突然、ホール奥の重厚な造りの扉が開かれた。甲高い軋みとともに姿を現した人間に息を飲む。――約半年振りの再会はあまりにも不意打ちで、咄嗟には言葉が出てこない。
彼女こそが「探偵」だった。
緩く波打つ銀灰色の長髪と陶器のような真っ白い肌がとても印象的だ。彼女が私と同い年だと知ったのはつい最近。均衡がとれた容姿は全体的に色素が薄く、端整な相貌と相まってどこか作りモノめいている。
「お部屋にご用意したお酒、もう全部飲んでしまわれたんですか?」
私と同じように彼女を見つめる柚木さんは、しかし私とは違う意味で息を飲むようだ。
「お集まりいただいている客間の方にも何本かご用意しておいたんですが……それも全部?」
「あれだけで足りるハズがないだろう? 地下の貯蔵庫にならあるんじゃないかって、篠塚がそう言ったから探しにきたんだ。それなのに全然扉が開きやしない! 一体どういうことなんだ!」
私が知らない名前を口にして彼女はうがぁっと頭を抱える。その言動は精巧な作りモノめいた外見からは程遠い男性のそれだ。しかし乱暴な言葉遣いとは裏腹に、低く滑らかなその声音はいやに朗らかだった。柚木さんが困ったように眉尻を下げる。
「申し訳ございません。いつも貯蔵庫には鍵をかけているんです」
「なんでだ?! 普段二人暮らしなんだから必要ないだろ!」
「……えぇと」
「君みたいな盗っ人がいるから必要なんだよ!」
これ以上、柚木さんに酔っ払いの相手をさせるわけにはいかない。彼女の言動に非難の声を上げれば、能面のような貌がひどく緩慢な動きで私に向けられた。
「ああ、藤崎羽琉先生じゃないか。奇遇だな。ご多忙な推理作家の大先生が、どうして今日はこのような場所に?」
にやにや、と。
形の良い唇が持ち上げられる。薄灰色の双眸には明らかな揶揄の色。……私がここにいる理由なんて絶対に言いたくはない。わざとらしく驚いてみせる彼女を思いっきり睨みつけてやる。
「理由なんてどうでもいいだろ。それより恭介はどこ? 一緒じゃないのか?」
「さぁな。それこそどうでもいい。そんなコトより、ほら。もっと近くに来てくれよ先生」
「はぁ?」
私に向かって大きく広げられる両腕。彼女が浮かべる微笑みはとても、とても綺麗だ。
「……なんのマネ、それ?」
「恥ずかしがるなよ。久しぶりの再会なんだ。ちょっとぐらい抱きしめさせてくれたっていいだろ?」
「人前でバカなこと言わないで!」
「誰も見てなかったらいいのか?」
「そういう問題じゃない!」
「……相変わらずノリが悪いなぁ先生は」
彼女は大きなため息一つ、あっさりと両腕をおろした。拗ねた振りで唇を尖らせる相手をさらに強く睨み付けたって意味はない。ただただつけ上がらせるだけだ。
「篠塚さんはご一緒ではないのですか?」
一連のやり取りを弁解しようと柚木さんに向き直るが、一瞬早くその桜色の唇から疑問が溢れた。漆黒の瞳は開け放たれた扉の向こうを彷徨っている。私や彼女よりも「篠塚」という人物の方が気になっているようだ。
「地下の貯蔵庫には篠塚さんと一緒に?」
「いや、アイツはもう客間に戻ってるんじゃないか? 自分の部屋に残ってる酒を取ってくるって言ってたからさ。貯蔵庫に行ったのは私一人だ」
「そうですか……」
その言葉に僅か安堵するような柚木さんを不思議に思うが、なぜだか私も同じ気持ちだったから黙っていた。柚木さんが小さく笑う気配。
「僕、すぐにお酒を取ってきますね。羽琉さんは探偵さんと一緒に客間で待っていてください」
「私も手伝う!」
「僕一人だけで大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
意を決して上げた言葉は、やんわりとした口調でハッキリと断わられた。酔っ払いの相手をするより柚木さんの助けになることをしたかったのにな……。私を見上げる明るい漆黒の瞳が見覚えのある揶揄の色を帯びる。
「探偵さんとは久しぶりの再会なんでしょう? 羽琉さんにはたくさんの積もる話があるはずです。どうか、僕より探偵さんと一緒にいてあげてください。――二人で過ごせる今を、大切にしてください」
「なっ……そ、んなコト絶対にヤだ! 話したいコトなんか全然ないし!!」
「ありがとなぁ小早川柚木。ほらさっさといこーぜ、先生!」
「はーなーせー!」
躊躇いもなくお礼を口にして強引に私を引き寄せる探偵様と、何事もなくにこやかに手を振ってくる柚木さん。……ああ、なるほど。二人はある意味同類なのか。なんだか一気に身体の力が抜ける。私は全てを諦めて、彼女に腕を掴まれたまま客間へと向かった。




