終章 グッド・バイ(2)
「今回の事件はまるで舞台のように、それぞれが自身の専門性を生かした役割を果たすことで創り上げられた。事件の脚本を書いたのは推理作家である織作織之助、殺害を実行したのは銃器の扱いに慣れた織作新。問題は、舞台役者である小早川柚木が果たした役割だ」
両手を後ろで組み、室内を歩き回る彼女は世間一般の人間がイメージする探偵そのものだ。一度言葉を切り、こちらの表情を窺う仕草も、それに付随する意味ありげな沈黙も、探偵を自称する人間が好むものだ。
「まずはパーティーで流された映像から考えていこう。あの映像は二つのパートに分かれていた。前半の一分程度は織作織之助本人によって事前に録画された映像。そしてその後は、織作織之助に変装した小早川柚木による実際の映像だ。全く迫真の演技だったよなぁ。笑い声の後、一瞬ノイズが入っただろ? おそらくそこで映像が切り替わったんだ。
実際の映像の場所は地下貯蔵庫だ。あの場所に積まれていたダンボールに新が着ていたものとよく似た服や、等身大の人形がバラバラにされて詰め込まれていたんだ。ただ、アイツはそれらを隠そうともしなかった。劇団で昔使っていた思い出の品だと笑っていたっけ。あれも内心の動揺を隠した演技だったとしたら……屋敷でのアイツの言動全てが演技だったんじゃないかと疑わしくなってくる」
だとしたら私に向けられた眼差しも、あの言葉も、全て演技だったのだろうか。……そうではないと思う。いや、そうでないと思いたいだけなのか。
「料理を取りに調理場へ向かったアイツは、細工を施していたブレーカーで屋敷を停電させた。停電後に再び調理場へ戻り、録画部分を流している間に地下貯蔵庫で織作織之助に変装。そして、映像越しに私達と話をしたんだ。変装に使ったマスクと織作新の人形は、アイツが所属していた劇団で用意されたものだ。関係者にはすでに証言が取れている。数ヶ月前に織作織之助自身から、誕生日パーティーの余興で使いたいからと作成を依頼されたらしい。
そして停電後はタイミングを見計らって地下貯蔵庫を抜け出し、お前と一緒に書斎へと向かった。非常用発電のスイッチを入れるために外へ出た時、織作織之助に変装した新に襲われたのは――きっと、予想外だったんだと思う。あの時点で新は、次の日の朝まで森の廃屋に潜んでいる手筈だったんだからな」
彼女は一旦言葉を切り、窓越しに広がる街並みに視線を落とした。
「本来この計画は自身の死後、小早川柚木が周囲の人間から害されず暮らしていけるように、織作織之助自身が実行するために立てられたものだ。その計画をアイツがそのまま実行するには無理があったはずだ。きっと予想外の出来事ばかりだっただろう。だが、ことごとく運がアイツに味方をした。もしかしたら織作織之助の執念が、だったのかもしれないけどな」
煌めく夜景から視線を外して、彼女は再び私に向き直る。
「こうして、織作織之助の死は招待客達に隠されたまま織作新と共に屋敷の中から姿を消した。――次は、篠塚洋平の殺害についてだ」
淀みない口調で話が続けられる。
「篠塚の殺害自体は、生前に織作織之助が新に依頼済みだ。アイツはご自慢の演技力で篠塚に窓の外を覗かせるだけでよかった。私達が新を追いかけるのは想定内だったと思う。その間にアイツは屋敷に残った人間を説得し、事前に新が爆弾を仕掛けているはずの車に乗せて爆死させようとしたんだ。残る新は私達が殺してくれるならよし、逆に新が私達を殺してしまっていたら……一体、どうするつもりだったんだろうな。まぁだが実際は、他の人間は逃げてはくれず、神居は新を生かしたまま屋敷に連れて帰ってきてしまった」
ゆったりとした規則正しい足音が、催眠術の様に意識をぼぅとさせていく。
「どうにかして新を殺したいが、アイツは自分で人を殺すことは出来なかった。だから、何とか他人に殺してもらうように誘導する必要があったんだ。アイツが織作織之助のスマホを使って織作久子と光へメッセージを送った、というのは屋敷で話した通りだ。後は睡眠薬で全員を眠らせ、もしも二人が計画に乗らなかった場合は問答無用で屋敷を炎上させるつもりだったんだろう。だが結果的に、織作久子と光は新を屋敷から連れ出し、七瀬瞳は車の爆破に巻き込まれた。――これが、今回の事件で小早川柚木の果たした役割だ」
足音が止まった。
テーブルへと落としていた視線を上げる。思いがけず間近で端整な相貌が見下ろしていた。薄灰色のガラス玉の中に私自身の姿を見る。そこに浮かぶ感情は一体何なのだろう。
「どこまでが織作織之助の脚本で、どこからが小早川柚木のアドリブだったのかはわからない。あの夜、アイツは私がいつから織作織之助が亡くなっているコトに気付いていたかと聞いたが確証なんて何もなかった。あの時点では何もかもがただの推測で、確実な証拠なんてなかったんだ」
形の良い真っ赤な唇が動く様を、無言で見つめ続けることしか出来ない。
「ただ私達の前に姿を現さない時点で、織作織之助はこの屋敷にはいないのだろうとは思っていた。往診医に確認したら、誕生日パーティーの一か月ほど前に肺炎をきっかけに全身状態が悪化したらしい。通院を止めて往診に切り替えた時点で、急変時に延命を希望しない書類にサインはしていたんだな。説明時の同席者として、書類にはアイツの名前も書かれていたようだ」
一歩、彼女が私に近づく。
「きっとこの事件は、織作織之助が小早川柚木と出逢った時から定められた一つの終幕だ。だって、二人はある一つの物語に共鳴して惹かれ合ったんだから」
セカイは二人だけでいい、と。
二人きりのセカイを夢見ながらも周囲からの心無い言動に傷つき、お互いがお互いを守るために罪を重ね過ぎた二人が最後に自らこのセカイと決別する物語。――それはいつか、私が迎えるかもしれない一つの終幕。私自身の物語だ。
「織作織之助がいないとなれば、実際に計画を遂行している人物を推測する事は簡単だった。……ただ、一つだけどうしても引っ掛かることがあったんだ」
さらに一歩、彼女との距離が近づく。手を伸ばせば互いに触れ合える、そんな距離。
「小早川柚木は舞台役者だ。脚本家じゃない。織作織之助の代わりに、事件の脚本を書き直した人間が他にいるんじゃないか。そう思ったんだ。そして、それはもしかしたら――」
彼女はそこで言葉を切る。薄灰色の双眸が強い光を宿して私を見下ろしている。
「……ああ、なるほど」
しばらく口を閉ざしていたせいで言葉が喉に引っかかった。咳払いをして、もう一度口を開く。
「君は、私が柚木さんの共犯者だと思っていたんだね」
「……正確には、織作織之助の共犯者だと思っていたんだ」
肯定する声音が僅かに震えた、気がした。
「お前が織作織之助と手紙のやり取りをしていると知った時、真っ先に思い浮かんだことがソレだった。お前こそが織作織之助から事件の脚本を引き継ぎ、小早川柚木のために演出している人物だと思った。……だから、私はあの屋敷で何が起ころうとも傍観していようと思った。お前になら殺されたって構わないと思っていたんだ」
独白めいた呟きは真情の吐露なのだろうか。低い滑らかなその声は、わずかな余韻さえ残さず互いの間で消えていく。
「だが、違った。織作織之助は小早川柚木自身に脚本を委ねた。そしてお前にはもっと、別の役割を与えていたんだ」
「……別の、役割?」
「ああ」
彼女が押し黙る。
今までの淀みない口調が嘘のようだ。その表情に明らかな躊躇いを感じる。
「小早川柚木にとって織作織之助はセカイの全てだった。それは紛れもない事実だ。だが、織作織之助には他にもアイツ同様――いや、もしかしたらそれ以上の存在がいたんだ」
私を見据える双眸が暗く、深い常闇に沈んでいく。
「お前だよ、羽琉」
飲み込み損ねたツバの音がやけに大きく聞こえた。咳払いをして、口を開いても何も言葉が出てこない。
「だからこそ、織作織之助はお前に手紙を送り続けたんだ。会いたいと、手紙に書かれていたことはなかったか?」
何回もあった。しかし、私は会いたいとは思わなかった。だから一度も直接会うことはなかった。
「小早川柚木はお前だ。わずかなタイミングと気持ちの差で、あの燃え盛る屋敷に身を投げていたのはお前だったのかもしれない」
ずっと感じてはいた。
文面から伝わる彼の想いに気づいていたからこそ、私は頑なに彼と会うのを拒んだのだろう。
私自身は彼に対して何の感情も抱いていなかった。……そう、抱いてはいなかったはずだ。だってその人物によって生み出された作品に共感するからと言って、その人物自身に共感するとは限らないじゃないか。作品と作者は別物だ。きっと彼が共感した物語から創り上げた作者像と、実際にそのセカイを書き上げた「藤崎羽琉」という人間との間にはとても、とても大きな隔たりがある。だから、私は彼の想いに気づかない振りをして今日まで過ごしてきた。その結果が――今だ。
「羽琉」
低い滑らかな声が鼓膜を震わせる。
水中から浮かび上がるように意識が現実世界に焦点を結んだ。
私を見下ろす彼女はとても綺麗だ。
長い睫毛、すっと通った鼻梁、陶器のような真っ白くて滑らかな肌。銀灰色の緩く波打つ髪が端整なその相貌を縁取っている。
「羽琉」
真っ赤な唇がもう一度私の名前を呼ぶ。なんだか無性に切なくて、泣きたかった。思わず立ち上がり彼女に両腕を伸ばす。
「私は、ちゃんと彼が望む役割を果たせたんだろうか」
「……いいや。お前は、お前の役割を果たせなかったんだ。だから私は、こうしてお前と一緒にいることが出来る」
私の身体を抱きしめた彼女が優しく囁く。耳元に感じる吐息がくすぐったい。柔らかなその身体を強く抱きしめ返す。
「きっと織作織之助は、小早川柚木をお前に託したかったんだと思う」
「……一緒に、死んでほしかったってことかい?」
「一緒に生きていてほしかったのかもしれない。だが、もう過ぎたことだ。アイツは一人きりで織作織之助の元にいくことを選んだ」
緋色に煌めく炎の中から、私の名前を呼ぶ涼やかな声が聞こえた。今でも瞼を閉じれば、業火に誘う華奢な右手の向こうで、白い細面が穏やかに微笑んでいる。
「後悔しているか? アイツと一緒にいかなかったことを」
独白めいた問い掛けが、思いがけない力強さで緋色のセカイに沈んでいた私の心を引っ張り上げた。
「いかなかったのはお前だ。だが、いかせなかったのは私だ」
彼女の胸から顔を上げる。至極至近距離で力強い光を宿した薄灰色の双眸とぶつかる。
「私は、後悔していない」
そのまま互いに見つめ合う。永遠とも思える一瞬の静寂。きつく結ばれた真っ赤な唇が緩む。
「なぁ羽琉、このまま二人で逃げようか」
「……どこに?」
「ここではない、違うセカイに」
それはいつも通りの飄々とした口調。そのくせ表情は真剣そのものだ。ただ少し、ほんの少しだけ不安そうに私を窺う相貌が進むべき道に自信が持てず途方に暮れている幼子にも見えて。
真っ白な頬に手を伸ばす。指先に触れる柔らかな肌。小さく震えたのは彼女か、私か。
初めて見るその表情が何だか可笑しくて、安心させるように優しく笑いかける。
「別にこのセカイも悪くないと思うよ。――君が一緒にいてくれるのなら」
きっと、柚木さんにも彼との穏やかな時間があったのだと思う。
ただあまりにも他人を排除し過ぎて強固に創り上げたセカイからは、もう抜け出すことは出来なかったのかもしれない。もはや抜け出す気も、なかったのかもしれない。そうして柚木さんはそのセカイで、二人きりの綺麗な思い出に囲まれたまま、息を止めることにしたのだろう。
それはいつか、私と彼女が迎える一つの終幕。
だって、このセカイは私達に優しくない。
周囲からの心無い言葉に傷つくこともあるだろう。でも、私は最後までこのセカイで生きていたいと思う。――彼女と一緒に。
「羽琉」
柔らかな両手で頬を包まれる。
「私はお前のことが好きだ。愛している」
鼓膜を震わす低く滑らかな声が心地良い。
「……聞こえてるよ。そんなこと、前から知ってるし」
少しだけ見開かれた薄灰色の双眸が嬉しそうに微笑んだ。
「そうか。よかった」
唇に宿る自分以外の体温と柔らかな感触。
閉ざした瞼の裏に炎の残滓を見る。きっと、永遠に消え去ることはないのだろう。燻り続ける胸の痛みを抱いて、私達はこれからも、このセカイで生きていこう。
遠ざかる緋色のセカイで穏やかに微笑む柚木さんに"さようなら"と呟いて。
彼女の胸の中で、私は少しだけ、泣いた。
スカーレットの終幕(完)




