第七話 共犯者
樹木が乱雑に生い茂る森の中は視界が悪かった。ふくらはぎ辺りまで伸びた下生えを踏み分けて進んでも、細い幹や太い幹が次々と行く手を邪魔してくる。枝分かれした先では無数の葉が頭上を覆い、そのおかげで降り注ぐ雨粒はだいぶ少なくなっているが、その代わり厚い雲のせいでほとんど地上に届かない日光がさらに遮断されていた。
地面から盛り上がった木の根や大きな石につまずきながら、出来る限りの速さで足を進める。何だか夢の中を歩いているような感覚だった。地面を蹴り上げる足の感覚が希薄で、なかなか前に進まない。もどかしさに気持ちばかりが焦る。
「恭介!」
声は響かず、降り続く雨に吸収される。続けて彼女の名前を叫ぼうとしたが、何度目か木の根につまずいて身体のバランスを崩す。水分を含んだ髪の毛が重たい。水滴だらけの眼鏡を外して髪をかき上げた時、その廃屋を見た。
時の経過によって朽ち果てた木造の小屋だ。
木々の間に突如として現れたソレは、一体何の用途で建てられたのだろう。身体についた泥を払って立ち上がる。早まる鼓動を落ち着かせるため、意識して大きく呼吸を繰り返す。湿った木の幹に手をついて、そっと様子を窺う。
廃屋の前には人影があった。
緩く波打つ長髪のせいでその横顔はわからない。でも、どんなに遠くたって見間違えるはずがない。さらに目を凝らすと、彼女の隣には大柄の人影があった。その肩に手を回して立っている人物は恭介だ。
よかった、二人とも無事だったんだ。
安堵を込めて名前を呼びながら駆け寄るのと、
「は、る? 来るな!!」
彼女の鋭い叫び声と、
「――――ッ!」
すぐ近くの地面が弾けたのが同時だった。
足がもつれて地面に強く臀部を打ち付ける。でも、痛みなんて全く感じない。ただ、自分の視界の先に佇む人物――大柄な体躯を真っ黒な雨合羽に包み、こちらに銃口を向ける人物を信じられない気持ちで見つめる。
「……なん、で?」
その人物は空いた左手でフードを掴み、後ろに払った。――異様に肉付きの良い白髪の老人の相貌が現れる。ゆっくりと細められる脂肪に囲まれた小さい目。
「……織作、織之助?」
自分が発したはずの声が遠くに聞こえる。
「本当に、貴方が……?」
ふくよかなその両頬がゆっくりと持ち上がり、黄ばんだ歯が覗く。ぽっかりと空いた銃口が狙いも明らかに近づいてくるのをただ、凝視する。
「違うよ」
大きな足音が聞こえた。
「そいつは織作織之助じゃない」
まるで気負いのない足取りで近づいて来たのは探偵様だ。銃口の狙いが素早く変わる。
「止まれ!」
両頬の肉付きが良すぎるせいで滑舌が悪く、とても聞き取りにくい声。それは昨夜の映像で聞いた声そのものだった。私の少し手前で歩みを止めた彼女が鼻で笑う。
「お前が本当に殺したいのは織作織之助だろう? だったら今すぐ鏡を見てみろ。銃口を突きつけるべきは自分自身の頭じゃないのか?――なぁ織作新」
「――ハハッ」
肉まんじゅうのような顔が痙攣した。
「ハハハハハハッ!」
真っ黒い巨体を震わせ、ソレは大きな口を開けて笑う。片手で自身の白髪をわし掴みにすると力任せに後ろへと引っ張る。口の中に手を突っ込み、いくつか綿を摘み出す。地面に落とした織作織之助の被り物を泥まみれの靴で踏みつけ、織作新は再び周囲を震わす高笑いを上げた。
「別にバレてないとは思っちゃなかったぜ。自慢気に言うほどのコトじゃねぇだろ。そんなんで俺に一泡吹かせた気か?」
黄ばんだ歯をむき出すその顔は、一瞬前までの織作織之助の面影など微塵もなかった。ただその身体は昨夜の映像のまま、服を何枚も重ね着して肉襦袢でも着込んでいるかのような体型だ。
「弾はあと二発残ってる。どっちから死ぬかぐらいは選ばせてやるぜ」
銃口が私と彼女の間を揺れ動く。その人差し指は先程から引き金に掛けられたままだ。彼女は新を見つめたまま、ゆっくりと両手をあげる。
「随分と上機嫌だな、織作新」
「あぁ?」
「織作織之助の筋書き通りに計画を遂行出来たコトが、そんなにも嬉しいか?」
「動くなっつってんだろ!」
一歩、彼女が新に向かって近づく。銃口の狙いがその額に定まる。私は、身じろぎ一つ出来ない。
「お前はこの屋敷に到着した直後、織作織之助から今回の計画を持ちかけられたんだな。招待客全員を殺せば遺産をやるとでも言われたのか? 会社経営で莫大な借金を抱えているお前は、大喜びでその提案を受けたんだろう?」
「はっ、バカだなテメェは。的外れもいいトコだ!」
落ち着いた口調で、一言ずつ言い聞かせるように話す彼女とは対照的に、新は感情の昂りに任せて声を荒げる。
「計画を持ちかけられたのは一か月以上も前だ。屋敷に来てからだったら準備出来ねぇだろうが、バカが! それに俺の目的は金じゃねぇ。あのくそジジイを直接俺の手で殺すコトだ!」
「その割に昨夜の映像では、やけに大人しく床に転がされてたじゃないか。その時に織作織之助を殺しておけば、お前の目的は早々に達成されたはずだ。だが、お前は織作織之助の計画通り、篠塚洋平を射殺してこの森に逃げ込んだ。今、この状況も織作織之助の計画の内なんだろう?」
「違うな。俺があのくそジジイの思い通りに動いてやるワケがねぇ!」
苛立ち紛れに地面を踏み鳴らしたタイミングで、彼女が互いの距離を縮めたことに、感情を昂らせる新は気づかない。
「だいたい、俺があのくそジジイに大人しく捕まってやるわけがねぇだろ。探偵とか言いながら、そんな簡単なコトも分かんねぇのか? もっとご自慢の頭を使って考えろよ。乳と態度がデカいだけのクソビッチが!」
蔑みも露わに声を立てて笑われ、彼女は悔し気に顔をしかめる――振りをしている。しかし新はそんな彼女の表情を見て、満足そうに鼻を鳴らす。
「全てはくそジジイを俺の前におびき出すための演技だ。計画通り篠塚を殺してやったんだ。今頃アイツ、のこのこと屋敷に姿を現してるはずだぜ。さも自分が全てを実行したかのような口ぶりで、自慢げにこの計画を白状してるんだろうさ」
「そうやって油断させて、織作織之助が屋敷に残った人間を殺すつもりなんだな」
「全然ちげぇよ! 元々あのくそジジイの狙いは篠塚だけだ。あんな大口叩いたところで、結局アイツは虚栄心ばっかが強い、ただの小心者で小賢しいジジイなんだよ。策を弄して高みの見物をするだけで、直接やり合う度胸なんかないんだ!」
新は再び感情に任せて足を踏み鳴らす。彼女と新の距離が僅かに、しかし確実に近づく。
「だが、ここからは俺の筋書きだ。お前らを殺して、屋敷に残った連中ごとあのくそジジイも殺してやる!」
「小早川柚木もか?」
「あぁ?」
一瞬面食らったような表情をするも、新はすぐに分厚い唇を捲り上げた。
「柚木は殺さねぇ。くそジジイを殺したあとで、俺と一緒にあの屋敷で暮らすんだ」
「小早川柚木が承諾するかな?」
「ジジイの庇護がなくなれば、何の力もない柚木は俺に頼るしかなくなるさ。金を持ってんのは俺だ。俺の言うコトさえ聞けば、一生不自由なく暮らさせてやるんだからな」
「だが、小早川柚木は『男性』なんだろう?」
「身体は『女』だ。だったらヤることは変わらねぇ。勝手に言わせとくさ」
「……なるほど。だとしたらやっぱり、コレも織作織之助の計画の一部なんだろうな」
彼女は独り言のように呟く。
「織作織之助の狙いが、篠塚洋平だけのはずがない。お前が織作織之助を憎んでいるように、きっと織作織之助も、小早川柚木に害をなすお前のことが憎くてしょうがないんだ」
「あぁ?」
「なぁ織作新」
紅潮した新の顔を見据えて、彼女が大きく足を踏み出す。
「来るなッ!」
「織作織之助は今、本当にあの屋敷にいるんだろうか? それとも今この瞬間にも、お前を殺そうとこの森のどこかに潜んでいるんじゃないだろうか」
「うるせぇッ!」
紅潮した顔で怒鳴り散らし、新は拳銃を構えなおす。
「だったらコソコソ隠れてないで俺の前に姿を現しやがれ! さっさとしねぇとコイツら殺して、屋敷にいる連中も全員殺しちまうぞ!――答えろよ、くそジジイ!」
「そんなコト、させるかよッ!」
新の後ろで黒い影が動いた。
下生えを踏む音に新が背後へ銃口を向けるのと、その距離を詰めていた彼女が身を低くして地面を蹴るのが同時だった。
その動きに気付いた新が銃口を戻そうとするが、遅い。
巨体の懐に入り込んだ彼女は拳銃が握られた右手首を鷲掴み、そのまま身体を体当たりさせた。バランスを崩した巨体の足を払って諸共地面に倒れ込めば、すかさず恭介がその身体に飛び乗り抑え込む。いつのまにか新の右手から弾きだされた拳銃が私の足元近くに転がっていた。
「ふざけんなよテメェら! 離せッ!!」
「いい加減あきらめろ! 大人しく俺らと屋敷に戻んぞ!!」
「テメェこそふざけんなッ!!」
こんな状況でも恭介は新の説得を試みるつもりらしい。
その時、暴れ続ける左手が恭介の下から逃れた。目の前に垂れる銀灰色の髪をガムシャラに鷲掴み、引っ張る。
「……ッ」
端整な顔が苦痛に歪む。一瞬にして頭の中が真っ白になった。
「――離せよッ!」
拳銃を拾い上げて、銃口の狙いを定める。伸ばした腕が細かく震えていた。泥まみれのスキンヘッドだけが妙に鮮明だ。争う声は、遠い。
「羽琉、止めろ!」
揉み合う三人の向こう側から視線を感じる。濡れる地面に落ちた、泥まみれの織作織之助の被り物。原型をとどめないソレにぽっかりと穿たれた黒い空洞がじぃっと私を見つめている。――殺せ、殺せと雨音が囁く。
「その手を離せ……ッ!」
「あぁなんだよテメェ! 俺を撃とうってのかァ!?」
彼女の髪がさらに強く、強く引っ張られる。ギョロリと見開かれて充血した眼球が、分厚い唇が彼女の真っ白な頬に近づいていく。
「撃てよッ!!」
黄ばんだ歯の間から伸ばされた赤い舌が濡れた真っ白な頬を舐める。耳鳴りが煩い。殺せ、殺せと囁きが渦巻く。
「ほらッ! 早く撃てよくそジジイ!!」
「うわぁぁぁぁぁッ!」
私は、引き金を引いた。
鈍い音と小さな呻き声。
新の頭が力なく横を向いた。
彼女の髪を掴んでいた手が地面に落ちる。――静寂。
「羽琉」
私は引き金を、引こうとした。
そう、この拳銃で織作新を撃とうとしたはずだ。それなのに、なんで発砲音が聞こえない? なんで、あの泥だらけのスキンヘッドから出血していない?
「羽琉」
気配を感じて顔を上げる。
その姿を直視する間もなく手にした拳銃を引き剥がされ、強く抱きしめられた。
「お前が拳銃の撃ち方を知らなくて、よかった」
安堵したような、泣き出しそうな声音だった。雨で冷えた身体が温もりを宿す。
「本当に、よかった」
……後から聞いた話だけど、新から拳銃を引き剥がした時には拳銃に安全装置がかけられた状態だったらしい。相手から拳銃を取り上げる時の基本だと彼女は笑っていたけど、どのタイミングでそんな事が出来たのだろう。不思議だ。
「ありがとう、羽琉」
もう一度強く抱きしめられて、その温もりが離れていく。
「おい、神居。大丈夫か?」
「ダメに決まってんだろ。こちとら怪我人だぜ。あんまりムチャさせんなよ」
動きを止めた新の横で、地面に両足を投げ出すように恭介が座り込んでいた。その左太腿には今まで着ていたジャケットが縛られている。
「ああ、これか? 弾がかすっただけだ。歩くのには問題ねぇよ」
私の視線に気づいた恭介が笑う。きっと心配させないようにわざと明るく言ってるのだろう。よいしょとその場で立ち上がる様子はぎこちなく、わずかに顔をしかめたのを私は見逃さなかった。
「ホント、お前が来てくれて助かったぜ。俺らだけだったら、あそこまで上手く新の隙は付けなかっただろうよ。最後だけはまぁ……アレだったけどな」
「……ごめん」
恭介の言わんとしていることが良くわかって、私は深々と頭を下げる。
「全ては結果オーライだ。ただ、この後コイツをどうするかだよなぁ」
降り続く雨粒を全身に受け、身動き一つしない巨体。どうやら恭介が上手いこと――なぜか詳しい方法は教えてくれなかった――気絶させたらしい。だったら、最初からそうしてくれればよかったのに……。そしたら私だってあんな真似しなくて済んだんだ。
「気絶させた後が困んだろ。もう一度言っとくが、俺は怪我人なんだぜ」
心の声が聞こえてしまったようだ。恭介に向かって再び深々と頭を下げる。
「本当に、ごめんなさい」
「まぁあんな興奮してたら、拳銃突きつけたって大人しく屋敷まで歩いてくれたとは思わねぇけどよォ」
恭介はおどけた仕草で肩をすくめる。
「にしても、あんまり新を逆上させるようなコトばっか言うからヒヤヒヤしたぜ。いくら注意を逸らせるにしても、もうちょい穏便にできなかったのかよ?」
「心配したか?」
「まさか。テメェは一回ぐらい撃たれて痛い思いすりゃいいんだ」
「はは、素直じゃないなぁ」
彼女は雨と泥で乱れた髪をウザったそうにかき上げる。
「ちょうどいい機会だと思ったんだ。織作新には確認しておきたい事があったからな。人間は反論させるとよくしゃべる。特にああいう手合いには有効だ」
「結局、織作織之助と織作新は共犯だったってコトだな」
「おそらくな」
「今ごろ、織作織之助本人が屋敷にいるってのは本当だと思うか?」
「さぁな」
飄々と確信をはぐらかす彼女の態度に、恭介が眉をひそめる。
「新と話してなんかわかったんだろ? いい加減、お得意の謎解きってヤツをしやがれ」
「解くほどの謎なんてないだろ? 全てはお前が考えている通りだ」
彼女は小さく息を吐く。
「計画を立てたのは織作織之助、それを実行したのが織作新だ。新は屋敷に到着した後、お前達との諍いをきっかけに屋敷から離れ、森の中に身を潜めた。昨夜の映像に映された新の姿は等身大の人形だったんだろう。そうして今日、織作織之助の計画通りに篠塚洋平が自室の窓から顔を覗かせた瞬間を射殺した。それから――」
微かに胸を上下させる巨漢を見下ろしていた彼女が、ふと視線を上げる。
そこには新が被っていた織作織之助の残骸が打ち捨てられていた。あの、私に殺せと囁いた引力はもう感じない。ソレはただの踏みにじられた被り物だ。彼女は何かを振り払うかのように、大きく首を横に振る。
「それが、全てだ」
本当に、それが全てなのだろうか。
ずっと、ずっと感じている大きな違和がある。
でも、それに気づいてはいけない。考えてはいけない。
この物語にピリオドを打つべきは今ではない。
「問題はコイツをどうするかだな」
恭介の声に、沈んだ意識が引き戻される。
「考えるまでもない。目隠しと猿ぐつわでもして、両手両足縛ってそこら辺に転がしとけばいい。応援が来たら回収してもらおう」
「いつ来るがわからねぇ応援待つ間に、コイツに何かあったらどうすんだよ」
「……神居、お前は本当に昔っからバカだよなぁ。こんなヤツ何かあったって構わないだろ?」彼女は呆れたように顔をしかめる。
「まぁいいや。もう一度署には連絡した。お前の読み通り、屋敷に繋がる山道は土砂崩れの危険性が高いらしい。ここから近い集落じゃ避難指示も出てるみたいだな。だが、こうして人一人が殺されたんだ。すぐにでも応援を寄こすってさ」
「おお、そうか。そりゃよかった」
一気に恭介の表情が明るくなる。
「なんか、ちょっと元気が出てきたぞ。おい、あの小屋ん中に色々道具が入ってたんだ。アレ使って、担架作れねぇかな?」
「マジで言ってるのか? こんな巨体、即席担架で屋敷まで運べるわけがないだろ」
「だぁいじょうだって! お前らはちょっとそこで待ってろ!」
探偵様が抗議の声を上げるも意味はないようだ。恭介はひらひらと手を振りながら、廃屋に向かって意気揚々と歩き出す。彼女は大きな、大きなため息をついて私を見た。
「ケガもしてて、こんな状況だ。アタマん中でヘンなもんが出まくっててテンションが高いんだろ。まぁへばられるよりはマシだけどな。悪いけど、先生は神居を手伝ってやってくれよ。私はコイツを見張ってるからさ」
「うん、わかった」
すでに廃屋へ消えた恭介を追いかけようとして、ふと振り向く。
「あのさ」
「ん?」
「ありがと、助けてくれて」
彼女はきょとんと首を傾げると、
「どうした、先生。雨に打たれ過ぎてアタマがおかしくなったか?」
無神経な言葉とは裏腹に、どこかくすぐったそうな笑い声を上げた。
「早く神居のトコにいってやれ。担架でも何でもいいからさっさと作って、さっさと屋敷に戻ろうぜ」
「うん、そうだね」
彼女に笑い返して、急いで廃屋に向かって走り出す。
頭上を覆う葉っぱに空が遮られているせいもあるだろうが、ようやく雨足が弱まってきた気がする。ただえさえ薄暗い森の中だ。完全に日が落ち切るまでには屋敷に辿り着かないと……。
「恭介、私も一緒に手伝うよ!」
「おう、頼むぜ羽琉!」
気合を入れて張り上げた声に、笑顔の恭介が力強く答えた。
第三章 降り続く雨の中で(完)




