第六話 銃声(3)
部屋を飛び出して、脇目も振らず玄関へ向かって廊下を走る。背後から私を呼ぶ声が聞こえたけど、振り返る余裕なんてない。階段を駆け下りた勢いそのままに玄関扉へ身体ごと突っ込む。ポーチの段差に足を取られて膝をつくが、すぐに立ち上がって再び地面を蹴る。――いや、蹴ろうとした。
「羽流!」
強く腕を掴まれ、勢いづいていた身体がつんのめる。腕を掴んだのは――彼女だ。
「私が行く! お前はここで待っていろ!」
「嫌だ! 私も行く!!」
「……お前が来たって足手まといなだけだ」
言葉と同時に強く腕を引かれ、自分の意思とは関係なく地面から足が離れて視界が回転した。
「おい、小早川柚木。羽琉を頼む!」
「わかりました!」
「……いや、だ。いかないで……」
その声は自分にすら届かない。
仄白い曇り空だけが視界に広がっている。顔に当たる雨の感触が今さらながらに冷たい。地面に打ち付けたお尻と膝がじんじんする。両手で顔をこすれば土の匂いと味がした。
「羽流さん、大丈夫ですか?」
もしかしたらこれっきり、彼女と恭介に会えなくなってしまうかもしれない。血の気が引いて身体の感覚がなくなる。
「羽流さん!」
耳元で柚木さんの声が弾けた。顔を覆っていた両手が無理やり剥がされる。薄明るい光が眩しい。ぼやけた視界で白い細面を見る。
「起きてください、羽琉さん。屋敷の中に入りましょう」
「嫌だ!」
掴まれた腕を思いっきり振り払う。
「だって、もしこのまま――」
彼女が、死んでしまったら?
「どうしますか?」
「……え?」
「探偵さんが死んでしまったら、羽琉さんはどうしますか?」
心の中の不安と呼応して、雨音の間を縫って飛び込んできた言葉に呼吸が止まる。
「苦しくて、悲しくて、辛くて――でも、その気持ちをどこにぶつけていいのかわからない。もし殺されたとしたのなら、その相手を殺したいと思うのが普通ですよね」
私を見つめるその表情は、さっきまでの柚木さんではなかった。
その白い細面は悲しいのか苦しいの辛いのか、感情が全くわからない。髪の毛が雨で濡れ、頬をつたう無数の雨粒が涙のようにも見えるのに、そのくせ楽しくてしょうがない無邪気な幼子のようにも見えた。
「……手を、出してください。起こしてあげます」
両腕を掴まれて引っ張られる。小柄なのに力が強い。もう一度引っ張り上げられたタイミングで、地面から身体が浮き上がった。
立ち上がって周囲を見回しても、彼女の姿はもうない。雨と木々の騒めきだけが周囲を満たしている。
「屋敷の中に入ってましょう」
「……やだ」
「探偵さんが戻ってくるまで、ここで待っている気ですか? 風邪を引いてしまいます」
「……私も、追いかけるよ」
「駄目です!」
腕を掴む手が強く、強く握りしめられる。
雨の冷たさで色を失くした相貌の中で、漆黒の瞳が妖しげな光を孕んで真っ直ぐに私を見つめる。
「お願いです、羽琉さん。僕をおいていかないでください」
それは、あまりにも必死さの滲む声音だった。降り続く雨の中で真っ白い細面がさらに迫る。
「大丈夫です。僕がずっと羽琉さんの傍にいてあげます。探偵さんや刑事さんが死んでしまって羽琉さんが一人ぼっちになっても、僕が一生傍にいてあげます」
しなやかな両手が私の濡れた頬を包み込む。
触れ合った素肌は冷え切っていて、どちらの体温も伝えない。雨の音がやけに煩い。薄手のシャツが濡れて素肌に張り付き、華奢な身体のラインを露わにしている。
「きっと、織之助先生もそれを望んでいるんだと思います」
呼吸に合わせてゆっくりと上下する冷たい素肌。絡め取られた視線の先で、色を失くした唇が動かされる。
「羽琉さん、僕達は貴方のことが――」
吐息を感じる距離にある唇が動かされるけれど、言葉が聞こえない。想いが伝わらない。私たちの間には目に見えない透明な幕がある。大きな、大きなその隔たり。まるでちゃちなお芝居でも観ているような気分だ。――なんだか、すごく、泣きたい。
「……柚木さん、ごめん」
細い肩を押し返せば、私を捕らえていた冷たい手のひらが離された。
「本当に、ごめん……」
常闇の双眸から後ずさる。
そして私は踵を返し、思いっきり地面を蹴った。森の中へ。




