第五話 銃声(2)
発砲音と同時に茶髪の頭部が弾かれるように左側の窓枠へと打ちつけられた。外側に乗り出していた上半身は重力のまま前のめりに崩れ落ちる。一度は窓枠を軸に垂れ下がった身体は、しかし重心のバランスが頭側にあるのは明らかだ。彼女が伸ばした指先をすり抜け、ヒトのカタチをしたソレは真っ逆さまに墜ちていった。
「窓から離れて伏せていろ!」
頬を引っ叩かれるような鋭い声音に、コマ送りの映像めいていた現実が時の流れを取り戻す。
呆然と立ち尽くすばかりの小柄な姿がこちらに突き飛ばされた。覚束ない足取りのまま倒れ込んできた柚木さんを抱え込んで床に伏せる。
大声で叫べたらどんなにいいだろう。でも実際には、ただ息を潜めて彼女の動きを追うことしか出来ない。再びカーテンが引かれた薄暗い部屋の中で、華奢な身体を抱きしめる腕に細かい震えが伝わってくる。もしかしたら、それは私自身の震えだったのかもしれない。
「何があった!?」
廊下を駆けてきた荒い足音そのままに飛び込んできたのは恭介だ。
「篠塚が撃たれた」
「誰にだ!?」
「わからない。私は姿を見なかった」
「篠塚はどこだ!?」
「そのまま下に落ちた」
「クソッ」
恭介は躊躇いなく窓辺に近づくと、カーテンを開け放つ。この部屋は角部屋だ。窓の眼下は玄関側のため開けているが、右側はうっそうと生い茂る木々が建物のすぐ間近まで迫っている。恭介は篠塚と同じように窓から身を乗り出したまま怒鳴る。
「てめぇは二人を連れて下に行け! 他のヤツらのコト、頼むぞ!」
「……お前はどこに行く?」
「アイツを撃ったヤツを探しに行く!」
「無駄だよ。止めておけ」
私達と同じように身を低くしていた彼女が立ち上がった。
「冷静になれよ、神居。相手は拳銃を持ってるんだ。居場所を特定できないまま無暗に探し回っても、狙い撃ちにされるだけだぞ」
「……アイツが死んだのは、俺のせいだ」
恭介は唇を噛みしめて眼下に視線を落とす。その先には事切れたヒトガタがあるのだろうか。
「アイツが外で織作織之助に襲われた時、すぐにでも追いかけるべきだったんだ。そうすればアイツは殺されなかった。そうだろ?」
「そんなの、ただの結果論だ」
彼女の言い方は素っ気ない。
「例え今回の殺害を防げたとしても、きっと篠塚は別の方法で殺されてたさ。コレはそういう筋書きだ。殺されるべき人間はどう足掻いたって殺される。最後には全員死ぬように帳尻が合わされるんだ。自分の役割以上の行動をとれば、他人の巻き添え喰ってお前も死ぬぞ」
「だったらテメェはこのまま他の人間が殺されてくのを、ただ黙って見てるっていうのかよ!?」
さらに語気を荒げて恭介が彼女につめ寄る。二人の身長はそれほど変わらない。真正面から互いを見据える。
「なんでテメェは何でもかんでもそうやって割り切れんだよ! 殺されるコトが決まってる人間なんていてたまるか! 本当はテメェだって俺と同じ考えだろ? 刑事も探偵も、人を守りてぇ気持ちは変わらねぇはずだ!」
二つの双眸が強い光を宿してぶつかり合う。恭介の目には真っ直ぐな正義感と使命感。彼女の目に浮かぶ感情は……いったいなんなのだろう。わからない。
「――なぁ神居、お前は勘違いをしているよ」
ふっと口元を緩めたのは彼女の方だった。
「私はお前みたいに大層な正義感なんか持っちゃいないんだ。――私は、私のセカイを守りたいだけだよ」
こんな状況だというのに、その声はとても穏やかだ。
恭介は戸惑う様に少しだけ目を見開き、それから声を立てて笑った。
「俺にだって守りてぇセカイはある。安心しろ、てめぇのソレごと守り切ってやるよ」
そして彼女の横を通り過ぎ、部屋を出ていってしまう。
「恭介、待てってば!」
「羽琉!」
遠ざかっていく足音を追いかけるため立ち上がるが、鋭く名前を呼ばれて動けなくなる。
「お前だけは行かないでくれ、頼む」
恭介が消えていった先と彼女の顔を見比べ、身体の力を抜く。私が後を追ったところで足手まといにしかならないことだって、よくわかっている。大きく息を吐いたところで、私の足元に座り込んでいた柚木さんがゆっくりと立ち上がった。
「大丈夫かい?」
「……はい」
柚木さんの表情は明らかに固く、青白い。創作物ですら血生臭いのが苦手だと言っていたのだ。実際を目にしてどれだけ怖ろしい思いをしているだろう。しかし、そこら辺の感情が理解出来ないらしい探偵様は相手を気遣う様子もない。淡々と状況確認を進める。
「なぁ小早川柚木。お前が見た人影は誰だったんだ?」
「……あれは、織之助先生でした」
「確かか?」
「ええ」
「ソイツはどこにいたんだ?」
「車が三台止まっている場所、わかりますか? 織之助先生は、ちょうど赤い車と森の間ぐらいの場所に立って、こちらを見ていました」
柚木さんはその場で背伸びをして、窓の左側を指差す。私も同じように窓の向こうを覗くが、ここからでは屋敷を取り囲む木々の葉しか見ることが出来ない。屋敷に到着した時の記憶を思い起こす。確かこの部屋からはちょうど左側にあたる大客室の前辺りに、車が二台停められていた。きっとそこに七瀬さんが乗ってきた真っ赤なスポーツカーが加わって、今は三台止まっているのだろう。
「なるほど。だとしたら、篠塚を撃ったのは織作新だ」
「……どうしてですか?」
「お前が織作織之助と思われる人物を見た方向と、篠塚が撃たれた方向が逆だからだ。それに、窓から顔を出したタイミングを狙って正確に標的を打ち抜くなんて、訓練を受けた人間にしか出来っこない」
柚木さんの質問に答えながら、彼女がこちらに手を差し出す。
「先生のスマホを貸してくれ」
「イヤに決まってるだろ!」
「警察に連絡がしたいだけだ」
「恭介がさっき連絡したって言ってたよ」
「人一人殺されたんだ。さっきと今じゃ状況が違う。――ほら、早く貸せって」
「だったら私が連絡する!」
彼女に背を向けて、ポケットから取り出したスマホを起動させる。すでに時刻がお昼を過ぎていることに驚いていると、顔の横から伸びてきた手にスマホを取り上げられてしまった。
「返せって!」
「見られたら困るものでも入ってるのか?」
「そういう訳じゃ――」
「警察に、連絡してしまうんですね」
その静かな呟きが、誰から発せられたのか一瞬わからなかった。
「もちろん。なにか不都合でも?」
「いいえ」
彼女の視線の先には柚木さんが佇んでいる。光の加減だろうか。その表情は、暗い。二人の間に訪れた沈黙の意味が、やっぱり私にはわからない。
「変な事を聞いて、申し訳ありません」
不意に柚木さんが微笑む。
「大丈夫です。自分自身が直接手を下していなくても、殺人に加担した罪は償わなくてはいけません。織之助先生だってわかっているはずです。すぐに警察へ連絡してください」
「そうか」
彼女は椅子から立ち上がり、私達から距離を取るように本棚前の椅子に腰掛けた。
緊迫した状況下で、ふいに訪れた手持ち無沙汰な空白。
私はさっきから、ベッドの枕元に置きっぱなしにされたタブレット端末が気になっていた。あの端末の中にはどれほどの情念が渦巻いているのだろう。もしかして、昨日アイツが楽し気に話していた柚木さんの映像というのもこの中に……?
端末に伸ばしかけた手を直前で止める。
なんだか、ものすごくいけないことをしようとしている感覚だ。人の秘密をこっそり覗こうとしている背徳感や罪悪感が、アイツにとっては性的興奮を高める一助だったのだろう。心臓の鼓動の速さが、アイツの感情の昂りと共鳴しているようで気持ちが悪い。
「コレが気になりますか?」
背後から伸ばされた手が端末を取り上げた。慌てて振り向けば、思いがけない至近距離で柚木さんが佇んでいた。
「どうして、コレが気になるんですか?」
「うぇ!? あ、いや、それは――」
疚しい気持ちなんて何もないはずなのに、とっさには言葉が出てこない。
「な、なんでもないよ。ただ、アイツの事だから色々と違法なモノがこの中にあるんだろうなぁって思っただけ。後で恭介に確認してもらわないとなぁって……」
「駄目です!」
「……なんで?」
「それだけは絶対に駄目です!」
強い否定を意外に思うと同時に、確信する。やっぱりこの端末にはアイツが盗撮した映像が――。
「羽琉さん!?」
手にしたタブレット端末を思いっきり窓枠に叩きつけて、窓の外に放り投げた。視界の隅で探偵様がものスゴく苦々しい表情を浮かべたけど、そんなの知るもんか。
「だって、見られたくないんだろう? だったらこうやって壊すしかないじゃないか!」
泣きたいような怒りたいような、でもその感情のやり場がどこにもなくてどうしようもない柚木さん気持ちが痛いほど伝わってくる。薄暗いベッドの上で卑しい笑みを浮かべながら、濡れる肢体を画面越しになぞるアイツの顔がありありと想像出来た。視姦されたその肢体はコイツの頭の中で何度も繰り返し犯されたのだろう。他人の頭の中に焼きつけられてしまった映像をパソコンのデータのように消去することなんて誰にも出来ない。……いや、違う。それを完全に消し去ることができる方法はただ一つ。だから――。
「あんなヤツ、死んでよかった」
無意識に言葉が漏れた。
「羽流さん」
柚木さんがとても驚いた表情を浮かべ――すぐに、嬉しそうに笑う。
「僕も、羽琉さんと同じ気持ちです」
バンッと。
遠く微かに破裂音が響いた――気がした。
それは、つい今さっき聞いた音と全く同じもので。
「まさか……ッ!?」
緊張で一気に研ぎ澄まされる聴覚に、再び軽い破裂音。
「恭介!」




